草が美味い
草原に寝そべる僕を撫でるように柔らかい風が吹き抜けた。木々が騒めき、草が揺れる。隣で生草を食べる愛馬も気持ち良さそうだった。
ここが三年前まで魔物に支配された腐り果てた土地だとは誰も思うまい。
平和でのどかな田舎の空き地だ。今はもうそれでいい。
横に置いた愛剣の柄に少し触れた。
剣はそのままだが、柄は無難な無地に変更した。
深い意味は無い。ただ昔の自分と決別したいと思っただけだ。
そんな感傷に浸っていると、丁度近くを通りかかった老人に声をかけられた。
「そこの若いの! ちょいとコレを運ぶのを手伝ってくれるかの」
腰の曲がったお爺さんが抱えていたのは人二人分はありそうな大きな袋だった。
「お手伝いしましょう! ちなみにコレは?」
「家で取れた芋を市場に売りに行こうと思っての」
歯の少ない口でガハハと笑うお爺さんは、その大きな袋を渡すと、一息吐いた。
無理も無い。単純な肉体強化の魔法じゃ限界がある。
「昔はムキムキのイケメンじゃったのに……今はもうダメじゃの」
お爺さんは力こぶを作って見せた。老人にしてはなかなか良い筋肉ではあったが、やはり若い頃を思い出してか、悲しい表情をやめなかった。
「市場までは遠いでしょう? 馬を連れてるので乗ってください」
「なら……遠慮無く、そうさせてもらうわい」
それを聞くと、口笛を鳴らした。茶色で毛並みの整った愛馬が、美味しい牧草を惜しみつつ走ってやってきた。そしてその背中に老人を乗せてやると、いざ市場へ参らん。ゆっくりと出発するのである。
*
先程の景色とは大きく変わり、木製の家や商店が立ち並ぶ街にやってきた。
露店の兄ちゃんが威勢よく声を張り上げると、向かいの肉屋のおっさんが張り合うように大声を上げる。
お客は売られる品々を手に取り、次々に買っていく。
まさに市場。
そこらじゅうから歌や踊りも聞こえたり、服や農耕具まで売っていた。
「ありがとさん。お礼の品よ」
お爺さんは袋からいくつか芋を取り出して渡してくれた。
「そんな……ありがとうございます」
「いいんだよ。それと、あんたの名前聞いてなかったな」
「……僕の名前…………リュウです」
お爺さんは少ない歯を見せて笑った。
「あんたは良い人だ。死ぬまで忘れないよ」
そう言うとお爺さんは袋を担いで市場の人混みに紛れて行く。
リュウはその背中が見えなくなるまでそこに立っていた。
そしてその姿が見えなくなると、ポケットから取り出したフードを被り、顔を隠した。
「ごめんねお爺さん。僕はここに居られないんだ。それに……」
そう呟いて、リュウは足早に市場の入り口まで戻り、すぐに馬に飛び乗った。
その時だった。
「ちょっと待て! 貴様、どこかで見たことがあるぞ……? 何者だ!」
市場の衛兵らしき人物が二人、馬に近づいてリュウを見上げた。
リュウはこれは仕方がないと馬から降りた。
「僕はただの旅人ですよ」
しかし、衛兵も簡単には見放さない。より一層怪しむ目を強めて、
「旅人だぁ? それにしちゃご立派な剣を携えて……」
衛兵はリュウの腰にある剣を見て言った。確かに常人が持つには少し大きめの剣だったが、別に似たようなのはその辺で売っている。
「護身用ですよ。蛮族やら野犬やらから身を守らないといけませんから」
そう言って剣を抜いてみせた。刃こぼれの激しい剣だった。
「殺傷能力も無いですし。僕はただの旅人ですよ」
それを見て衛兵たちは納得したのか、
「……そうか、すまん。くれぐれも気を付けて行けよ。良い旅を!」
つい先程とは裏腹に、笑顔で手を差し出す衛兵に少し戸惑いつつも、その手を握った。
馬に乗ってから見えなくなるまで手を振って見送ってくれた衛兵たちは、きっと良い人なんだろう。
そう思いながら、リュウはフードを深く被り、安堵の溜息をついた。