ガジヤ公爵家の執事は知っている。
「おかえりなさいませ、旦那様」
「わざわざ毎日出迎えなくてもいいぞ? 私と君は政略結婚なんだからな」
「あらあら、釣れない事。私だって好き好んで出迎えているわけではありませんわ。体面というものがありますからね? 普段から会話ぐらいしていないと社交界で良き夫婦のふりなど出来ませんでしょう?」
ガジヤ公爵家の当主夫妻は、玄関先でそのような会話を交わしている。
互いの間には冷たい空気が漂っており、周りにいる使用人一同は、はらはらとした様子である。……当主と幼馴染と言う立場で長くこの屋敷に務めている執事である俺は、周りから視線を向けられて、二人に話しかけた。
「お二人ともそのくらいにして、夕飯のご準備が出来ておりますから」
俺がそう言えば、二人とも頷いて歩いて行った。ちゃっかり、隣同士で歩いている。会話はないが。
前当主夫妻が馬車の事故で亡くなり、古株の使用人たちも徐々に引退をしていった。その結果、俺が若くして執事長なんてものになってしまったのだ。
……幼馴染の当主に押し切られた形だが、まぁ、出世できるのは悪い事ではない。親を亡くした幼馴染を放っておけなかったし。ただ、ちょっと今の状況には呆れを覚えてしまう。
「お二人とも本当に仲が悪くて心配になりますわ」
「夫婦なのだからもう少し……」
「悪い方ではないのですが……なんで当主様の前では……」
と、心配そうな声をあげている侍女たちに、雑談を慎むように告げる。
正直言って、彼女たちの心配は不必要であると俺は知っている。いや、俺だけが知っているというべきだろうか……。
その後、様子を見に行ったら当主夫妻は相変わらず冷たい空気を醸し出していた。時折会話を交わしているが、仲が良い夫婦の会話ではなかった。ついでにチラチラ見ていたりするが、互いの目が合う事はない。そこで目が合えば、また違った雰囲気になりそうだが……。この二人、なぜか丁度相手を見ているときに他を見てるんだよな。
食事が終わった後、それぞれ執務室などに戻っていった。
当主――ヒートの元へと向かう。
ノックをして、許可をもらい中に入れば、ヒートはなんか気持ち悪い感じでぶつぶつ言っていた。
「可愛すぎる……どうしたらいいんだ、俺は。あんなに可愛いのが嫁だなんて」
……嫁なんだから素直に可愛いっていって、イチャイチャすればいいんだと思うとしか言いようがない。
この発言で分かると思うが、ヒートはちゃんと奥様に惚れている。しかし、なんというか女遊びもしたこともなく、本気の恋もしたことのなかったヒートは奥様に惚れてからと言うものの、本人曰く可愛すぎて対応が出来ないらしい。
確かに奥様は『真紅の妖精姫』と呼ばれ、噂されるぐらいかわいらしい見た目をしている。
だからといって、ヒートがすぐに惚れこむとは思わなかったが。
「当主様、そんなに可愛いとお思いでしたら、「可愛い」って口説けばよろしいんですよ?」
「くっ、それが出来たら苦労はしていない!! あと二人きりなのだから、その口調はやめろ」
「はいはい。で、何が苦労しないって? いいから夫婦なんだから、正々堂々口説けばいいんだって。ほら、「可愛いよ」って言ってキスでもかませばいいじゃねーか。大体、恥ずかしがって初夜さえもしてないとかガキかよ」
その口調をやめろと言われたので、そのまま本音をぶちまける。うん、というか、恥ずかしいとか、あんな可愛い存在に触れられないとかいって初夜も済ませてないと聞いた時は本当に呆れた。
いいから声に出せなくても行動ぐらい示せよ。示せる行動が隣を歩くとかって、ガキかよっていうのが正直な感想である。
「なっ、しかしキーナに嫌われたら……」
「……嫌わねーだろう。こうぶちゅっとして、押し倒しちゃえばいいんだって」
好きなら素直になるのが一番だと思う。俺も嫁が可愛いと思った時は即行動している。可愛いっていうと嫁は益々可愛くなるのだ。
……あーでもこの調子のヒートが夜の奥様とか見たらやばいことになるんじゃ。鼻血出して倒れるとかやらかしそうと思わず残念なものを見る目になってしまう。
何度言っても中々行動をしないヒートに呆れながら俺は執務室を後にした。
その後、奥様に呼ばれていたので奥様の元へと向かう。
「……ヒート様かっこいい。かっこよすぎて直視できない」
……で、奥様は奥様でこうなんだよなぁ。ふんわりとした赤髪を腰まで伸ばした背の低い奥様は、それはもうかわいらしい人だ。使用人たちにも優しいし。ただ、ヒートにだけは冷たかったりする。
それがまぁ、呆れることにヒートと同じ理由でかっこよすぎて落ち着かないという。
っていうかなんなの、この夫婦、政略結婚のはずなのに何でそんなに一瞬で惚れこんで、二人とも素直になれないの? って俺は突っ込みたい。
互いの気持ちを軽くいっても二人とも信じないしさ。まぁ、あれだけツンツン互いにしてたら仕方ないけど。二人とも自分で言いたいから言わないでほしいとかも言ってるし。
奥様の本音をぼそっと聞いてしまってからは相談役になってしまっているのだ。互いから同じような相談をされる俺はさっさと言うか行動示せばいいのにとしか思えない。
「奥様、旦那様の事をお思いになられているのでしたら、素直に言ったらいいのですよ。奥様はかわいらしいのですから、旦那様もいちころです」
意訳:さっさと押し倒すなり、迫るなり、告白するなりして素直になれ。
という気持ちを込めて、言い放つ。
「そんなこと……はしたない女だと思われてしまうわっ」
「そんなことはありません。夫婦なのですから、構いません」
っていうか、こうやって奥様とこそこそ話してたらヒートが嫉妬して面倒なんだよ。さっさとくっつけ!! 奥様が話聞かれたくないっていうから、侍女たちは俺たちが見える位置にいるけどさ。
結局奥様も恥ずかしいとか、はしたないと思われたくないとか言って動かないらしい。
……一回告白でもしたらそのままいちゃいちゃ夫婦になりそうな気もするのだが。そう思いながら今日の業務を終えた。
使用人としてこの屋敷に仕えている俺は使用人棟に家族と共に住んでいる。
素直にならない夫婦の互いの相談にちょっと疲れたので、嫁に癒してもらった。やっぱり夫婦は仲よくする方がいいと思った。
――ガジヤ公爵家の執事は知っている。
(屋敷内で和やかな会話一つしない夫婦。しかし執事は彼らが両思いな事を知っている)
互いに両想いだけど素直になれない夫婦の事情を知っている執事目線です。
はやく言うか、行動に示せよと思いながら眺めてます。