初めての旅立ち
燕に引っ張られたまま帝都の港までやってきた。俺は引っ張られながら、ずっと燕の用事というのを考えていた。先ほどの発言から作戦を阻止するつもりはないようだが、これほどまでに急かしている以上、作戦前に何かをしようとしているのは想像できる。
燕が船のある倉庫に入ろうとした瞬間、俺は一つの考えが頭をよぎった。燕はあくまで帝国の将軍だ。もしかすると、軍に先んじて残党を討伐しようとしているのではないかと。俺は咄嗟に俺を引っ張る燕の手を振り払った。燕は倉庫に入る直前に腕を組んで立ち止まる。
「ったく、急に何?」
「燕がシルアールに行く理由、ちゃんと教えてくれないか」
残党と会おうとしている俺にとって、燕こそが最大の障害である可能性があると考え、船に乗る前に尋ねることにした。
「今言えることは、あなたの邪魔はしないわ」
俺の心の内を知ってか知らずか燕が一言いうと、そのまま燕は歩き出して倉庫の中へと入っていった。正直納得のいく答えは得られなかったが、これ以上は今答えてもらえないと思い、俺は覚悟を決めて燕が入っていった大きな倉庫へと足を踏み入れる。
倉庫に入ると、眼前には大きな船が停泊していた。
「これが親父の船……」
あまりの大きさに俺は呆然と立ち尽くしていた。そんな時、倉庫内で人の気配を感じ、周囲を見渡した。しかし、人影は一切なく俺は首を傾げた。
「おかしいな。人の気配を感じたはずなんだが」
「そんなところで突っ立ってないで、あなたも早く船に乗りなさい!」
既に船に乗り込んでいた燕が甲板から顔を出す。
「わかった。今行く!」
俺は燕に促されて慌てて船へと駆けこむ。その最中、先ほどの不安が吹き飛ぶほど俺の心の中は躍っていた。恥ずかしながら俺は帝都から一度も出たことがなく、ましてや船に乗るのは初めてだった。
船内を駆け抜ける俺は真っ先に甲板に上がる。俺が船首に着いたと同時にちょうど船が出港し、倉庫の中から船が大海原へ飛び出す。暗い倉庫から一面に広がる大海が映りだされた瞬間、俺は興奮のあまり身を乗り出した。その後もずっと大海を望んでいた俺は、目的を忘れるほど周囲の景色に夢中になっていた。その様は他人から見れば無邪気にはしゃぐ子供と何ら変わらなかっただろう。そんな子供に戻っていた俺に辛辣な言葉が背後から突き刺さる。
「あなたね。観光のつもりなの?」
振り返ると、両手を腰に当てて呆れた表情をした燕が立っていた。
「わ、悪い。船旅なんて初めてだったからさ……」
我に戻った俺は燕に平謝りをすると、燕は表情を一変させて笑い出す。
「ほんと、まだまだ子供ね。それにこの年まで船に乗ったことがないなんて、とんだ笑い種だわ」
「帝国の人間ならほとんどが船に乗ったことがないし、珍しくないだろ!」
燕に笑われて黙っていられなかった俺は声を荒げて反論した。もちろん口からの出まかせではなく、ルゼロア帝国の実情だ。
「軍に所属していれば、あなたも船に乗る機会はあったんでしょうけれどね。でもそのことで父上を恨んでは駄目よ」
俺が士官学校卒業後、軍に所属できなかったのは戦争に反対している親父のせいだ。今の帝国は大陸統一を掲げ必死で本当は守護者である親父の力を借りたかったのだろうが、親父は守護者の力は侵略戦争のためにあるのではないといい、アラビル王国滅亡後は戦争に参加することはなかった。
「別にそんなことで親父を恨んだりはしてないさ。俺も戦争自体は反対だからな」
「そうね。戦争なんて誰も得しない。どうして皇帝陛下は戦争なんて始めたのかしらね……」
燕が空の彼方を見つめながらつぶやく。その遠くを見つめる様はどこぞなく寂しげに見えた。燕の出身である倭陵国はルゼロア帝国の宣戦布告を受けて降伏した。もし、帝国が戦争なんて始めなければ、燕は帝国の将軍として仕えることはなかっただろう。
「それより、こんな大層な船を何で親父が所有しているんだ?」
俺はこの船を見た時から疑問に思っていたことを口にした。ルゼロア帝国は軍事国家としてどの国よりも発展しているが、船の保有数は少なく、個人が所有することなど裕福な貴族ですらありえなかった。だからこそ俺も船に乗ったことはなかったのだが、親父が元々所有していたというのなら、俺はもっと昔に船に乗ることができたはずだった。
「あなたはほんと、お父上から何も聞かされていないのね」
「親父は何も言ってくれないからな。俺が聞いたところでまともに答えたことなんてないし」
親父は無口というわけではないが、最低限の話しかしない。守護者という立場から余計な発言は控えているのかもしれないが、とにかく親父の考えていることはよくわからない。
「私も直接聞いたわけではないけれど、十二年前に船を譲ってもらったという話を耳にしてね」
十二年前と聞き、当然爆発事件が頭に浮かんだ。あの事件の時、各国から要人が帝都に集っており、その時に他の国の人間から譲られたのだろう。だが、これほどの船をただで譲るというのだから、とんでもない話だ。
「で、そろそろ本題なんだが、燕の目的を話してくれてもいいんじゃないか?」
後戻りが出来なくなった今、俺は肝心な燕がシルアールに向かう理由を尋ねた。
「簡単な話よ。アラビル王国の残党に私の知り合いがいると聞いたから、その人を助けたいの」
先ほどとは打って変わって燕はあっさりと答えた。その内容は単純だったが、俺は全く予想できなかった内容だった。
「なるほど、そういう理由なら軍船なんて利用できないな。それに軍より先に行動する必要があるもんな。しかし、なんで急にアラビル王国の残党について情報が入ってきたんだ?」
先ほどアラビル王国の残党であるラバルカーンと会っていた俺としては、このタイミングに疑問を抱かざるを得なかった。
「さぁ? 私にはわからないわ。……さて、シルアールまではまだ遠いわ。今のうちに休んでおきなさい」
そういうと、燕は船室へと立ち去っていった。疑問は残ったままだったが、今深く考えても無駄だと判断し、俺は再び子供に戻って船から見る景色を眺めることにした。