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(8)一角獣

 宿場の村は、いつにないほどのざわめきに包まれていた。


 空飛ぶ船はもちろん、水に浮かぶ船もろくに見たことがない宿場の村人たちにとっては、こんな家のようなものが動くと言うこと自体が驚きだったのである。

 それが空から降りてきたとあって、到着したばかりの時にはもはや上を下への大騒ぎだったが、彼らも空腹には勝てなかったのか、夕飯の時間を過ぎると騒動はいくらかの落ち着きを見せた。


 それでも、夜を迎えた宿場の端に停泊している船を、いくらかの村人が物珍しそうに見守る中、船室と言うにはあまりに殺風景な船の中で一行は合流を果たした。


「本当に半日で飛んできたのか?」

「本当だって! 明日を楽しみにしてろよフェレス、山のふもとにだってこいつならあと半日ぐらいで着くからな!」


 まだ疑いをぬぐい切れず、部屋の床に座ってそう訊ねるフェレスに、ガストンはヴィータの調子を確認しながら得意げに答えた。実際に追い抜かれるときに見はしたが、それでもこの船がたった半日で馬車六日分の旅程をこなせると言うことをまだフェレスは飲み込めないまま、船室の床で眠るフランシアにしなだれかかられている。


 そんなやりとりを背中で聞きながら、部屋の端で船尾のほうを眺めていたアレックスがガストンのほうを見た。彼はすぐそばにある歯車の塊をぽんぽんと叩きながら相棒に訊ねる。


「すげえなあおい相棒。この風車アレだろ、前に街ん中で台車に着けて回したらすげえ速さになって衛兵にめちゃめちゃ怒られたやつだろ」

「そうそう。あれの改良型。この船が一応の完成を見たのは、あの時の実験のおかげってわけさ。まあ、問題はまだまだ多いけどな」


 上機嫌に答えながら、ガストンはヴィータの肩から先の関節部分に油をさしていた。変速機があるとは言え、半日の間風車を回し続けたヴィータの関節は予想以上に消耗していたのだ。まさにいま口にしたばかりの問題の一つに対応しているガストンに、プリシラが上機嫌に言う。


「どのあたりに問題があるのか、わたくしにはまるでわからないわ。あなたがわたくしの従者でよかったって今日ほど思ったことはないぐらい。六日分を半日で行けるなら、十二日分を一日で行けるってことでしょう?」

「お嬢さんにそんなに褒められると参るすね。期待裏切るみたいで申し訳ないんすけど、一度に飛べるのは半日ぐらいが限度すから、馬車十二日分を飛ぶのには二日かかるすよ」

「それでも馬車に比べれば天地の差だわ。移動だけでひと月もかかりそうだったのが、たった一週間になるんだもの」


 何しろ事態は一刻を争っている。アンドリューの命を繋げる可能性は、この船のおかげでまさに飛躍的に向上したと言っていいだろう。まだ何を達成したというわけでもないが、プリシラは感激を抑えられずに船をあちらへこちらへ見て回っている。

 それを横目で見ながらガストンはヴィータの両腕を戻すと、ふうと一つ息をついて言った。


「よーし、整備終わりす! じゃ、宿にいくすか。昨日の晩徹夜だったし、メシ用意しないで出発しちまったもんすから、もう腹減るし眠いしさんざんすよ」

「そうね。フェレス、フランシアを起こしてちょうだい。あと……この船、誰もいなくても大丈夫かしら」

「悪戯をする者はいないとは思うが……念のため、ヴィータを見張りに残しておこう。ヴィータ、この船の中と外を交互に見張ってくれ。僕ら以外の誰かが近づこうとしたら、邪魔して押し返せ。優しくだぞ」

「承知しました、マスター・フェレス」


 寝かされていた床から起き上がり、ヴィータがさっそく甲板へと上がっていく。

 それを見届けてから、彼はフランシアを起こして宿へと向かった。



-◆◆◆◆◆-



 馬車を宿場に預け、荷物を船に積み込んで出発した一行は、ガストンの宣言通りその日の夕方ごろには山のふもとの村に到着した。


 たどり着いたその地の夏とは思えぬ寒さと乾いて荒涼とした景色に驚きながら宿で一夜を明かした後、一行はそこで馬と馬車を借り、一角獣がいると言う森の近くへと向かう。


 半日弱をかけてたどり着いた湖のほとりは、確かに美しくはあったが森の中ではなく森のそばであり、条件とはいささか異なっていた。


 ドレスの上から防寒具を身に着け、馬車を降りたプリシラは、あたりを見回して少し不安そうに訊ねる。


「本当にいいの? ここで」

「わたしがユニコーンの角を手に入れた場所とは、ちょっと違う感じですけども……」

「でも、村で聞き込みをしたら、怖がって誰も近づかないけど一角獣ならここだ、って言われたすよ」


 肩をすくめるフランシアと、首を傾げながらあたりを見回すガストン。水辺のせいか空気はさらに冷たく、ふ、とプリシラが息をつくと、それは一瞬白く曇って消えていく。

 天気はよかったが、太陽のぬくもりを感じるよりは空の寒々しさが際立って、プリシラはさらに不安を募らせた。


「ユニコーンって、そんなに怖がって近づかないものかしら。絵巻とかだと、こう。女の膝枕で眠っているのばかり見るのだけど」

「ユニコーンは角に強力な浄化の力を持っていたり、あとはりりしい白い馬に似ていて清楚な印象ですけど、実は結構獰猛な幻獣です。肉食でこそないですけど、そこらの動物とか魔物よりよっぽど危険ですよ。……それで、安全のために美しい処女が必要になるわけです」


 ぼやくように言ったプリシラに、フランシアが穏やかな口調で解説した。ひとつ深呼吸した後、プリシラはぎゅっと視線に力をこめる。


「……いいわ、やってやろうじゃない。アレックス!」

「はい、お嬢さん。がんばってください!」


 名前を呼ばれたアレックスが上着を脱がせると、いつもとは違う白いドレスを身にまとったプリシラはその場に置いたクッションの上にしどけなく腰かけた。全員が急いでそこから森へと入って木の陰に隠れると、プリシラはゆっくりと息を吸い込み、朗々と歌いだす。


「あら、お上手ですね」

「お嬢さんは大抵のことはなんでもすぐにそつなくこなされるす。そのまま続けてけば大成すると思うんすけど……」

「けど?」

「お嬢さんはどうにも飽きっぽくて、どれも半月以上保ったことがないす」


 小声で言いながらガストンが肩をすくめると、フランシアが小さく笑った。寒風の吹く湖畔で歌うプリシラはとても絵になっていて、歌も半月程度で止めてしまったとは思えないほど、その歌声は堂に入っている。


 そしてしばらくの後、遠くから重たい足音が聞こえ始めた。ずしん、ずしん、と大地を揺らすその足音に皆があたりを見回すと、木の陰からちらりといかつい角が覗く。


「ユニコーンか!?」

「……あの角はちょっと違うと思うですけども」


 茂みから身を乗り出そうとするアレックスを押しとどめながらフランシアが囁いたその時、のそりとその主が姿を現した。


 いかつい一本の角。

 ふさふさしたたてがみ。

 白い体。


 だが、その顔は肉食獣のそれであり、踏み出した足には遠くからでもわかるほどに鋭い爪が生えていた。青白い縦縞模様を毛皮に備えたそれは、胴だけで馬ほどもありそうなるネコ科の動物だった。その姿を目にしたプリシラが、歌を忘れて呆気にとられた表情を見せる。


 それと同時に、その巨大な魔獣は遠くからプリシラを目掛けて猛然と走り始めた。慌てて茂みに隠れていたフランシアが立ち上がる。


「みなさん! 助けに入るですよ!」

「うおっ! やべえ!」


 猛然と迫る魔獣。最初に茂みから飛び出したフランシアを追い越し、槍を手にしたアレックスがそれとプリシラの間に立ちはだかると、魔獣が威嚇するように大きく吠える。

 軽いものとは言え鎧も着てきたが、あの大きさの魔獣があれだけ助走して繰り出す攻撃を受け止めるのはさすがのアレックスにも無理だった。そのままの勢いで敵が飛び掛かってこないよう、アレックスは牽制するように槍の穂先を前へ突き出すが、魔獣は意に介する様子もなく突っ込んでくる。


「〈炎熱防幕フレイム・スクリーン〉!」


 発動詞を唱えたフランシアが、魔法符をアレックスと魔獣の間に投げつけた。その瞬間にアレックスとプリシラを守るように立ち上がる炎の壁。だが、魔獣はその直前で壁を回り込むように側面へと跳んだ。その巨体でその運動能力ですか、と目を見張るフランシア。そしてアレックスが雄叫びをあげる。


「やらせっかよぉ!!」


 プリシラの前に立ちはだかり、再び飛び掛かって来た魔獣の一撃を槍で受け流そうとするアレックス。

 だが、数百キロはありそうな魔獣の一撃は、助走などほとんどなくても人の身で受け切るにはあまりに重かった。人並外れた腕力でなんとか攻撃は反らしたものの、彼は背中から硬い地面に叩きつけられて苦鳴を漏らす。


「アレックス! お嬢さん!」


 ガストンが石弓クロスボウから打ち出したコショウ弾も、魔獣はひらりとかわして距離を取った。弾がはじけて広がったコショウに少し鼻をひくつかせつつ、魔獣は間合いを測るようにゆっくりとした足取りで皆の周りを歩き始める。

 アレックスとフェレスが前に出て、プリシラとフランシアを守るように魔獣の歩みに合わせてじりじりと動く中、プリシラは寒さに自分の肩を抱きながら隣のフランシアに言った。



「ちょっと、フランシア! 思ってたのと違うんだけど……!」

「思ってたのと違うというか、あれは有角虎獅子ホーンドライガーと言って……一角獣といえば一角獣なんですけど、全然関係ない別の魔物ですね。正直、例え何か関係あっても正面から戦う相手じゃないと思うですよ」

「かと言って、走って逃げられる相手じゃない……」


 まさに正面から獣の眼光を受け止めているフェレスが、額に汗を浮かべながらつぶやくように言った。ほぼ純粋な殺意と食欲を猛烈な強さで浴びせられ、少年は腹の底に冷水が溜まっていくような嫌な感覚に、ただ睨みあっているだけだというのに消耗していた。

 肩で呼吸しているフェレスを見ながら、フランシアは心配げに呟く。


「なんとかして、足止めか何かしないとですよね……。ガストンさん、コショウもう一発いけるです? 当てなくていいですから、足元で弾けさせる感じで」

「了解す。すぐ撃っていいすか?」

「……ちょっと待ってください」


 相変わらず少しずつ旋回しつつのにらみ合いを続けながら、フランシアは静かに呪文の詠唱に入った。魔法符は何枚か作ったが、あまり実地で直接使うのには慣れてないその呪文をアレンジなしで唱え終わると、フランシアは片手でガストンに合図を送る。


「行くっす」


 小声で答えてガストンが石弓を構えると、わずかな音に虎獅子が反応した。構わずその足元を狙ってガストンがコショウ弾を放つと、フランシアは虎獅子が飛びのいたところを狙って詠唱しておいた魔法を発動させる。


「〈麻痺電閃パラリシス・ショック〉!」


 ばちばちという音とともにほとんど直線的に紫の稲妻が走り、それが虎獅子の体を打ち据えた。体を麻痺させ、動きを封じる電撃魔法。だが、虎獅子は苦しそうな声を上げて数歩よろけたがそれだけだった。低く唸りながら爛々と目を輝かせ、虎獅子は姿勢を低く構え始める。


 そして、再び虎獅子は一行を目掛けて飛び掛かった。さすがに若干動きが鈍っているもののやはりその一撃は早く、重く、アレックスは目いっぱい足を踏ん張り、槍の長さをフルに使ってその攻撃を受け流す。


「はっ!」


 そして身をかわしつつ、すれ違いざまにフェレスも短剣を振るった。だが、厚く硬い毛皮に阻まれ、その刃は虎獅子の体を切り裂けない。手ごたえのなさに顔をしかめつつ、フェレスは再び構えを取った。


「毛皮が分厚くて刃が通らない」

「〈麻痺電閃パラリシス・ショック〉を受けてもほとんど関係なく動いてる感じなのも信じられないですよ。うまくすればこれだけで撤退できるかと思ったですのに」


 呆れ、感心、恐れの混じった口調で言ってから、フランシアは別の魔法の準備に入った。虎獅子の顔を見ながら口の中で呪文を紡ぎ、彼女はそれを放つすきをうかがう。


 その時、虎獅子が急に大きな咆哮を上げた。思わず全員が身構えると虎獅子は前足で一度強く地面を蹴る。


「〈重化捕縛グラビティバインド〉!」


 その瞬間を狙って、フランシアは準備しておいた魔法を虎獅子に向かって解き放った。だが、飛び掛かってくるかと思われた虎獅子は、彼女の放った黒い光弾を横飛びにかわす。虎獅子が地面を蹴ったのは地面を叩いただけの見せかけで、実際には攻撃に対して油断なく身構えていたのだ。

 獣がフェイントをかけてくるなんて、と驚いた彼女の側面で、宙を舞った虎獅子はしなやかな動きで方向転換すると、今度こそ爪を振りかざして彼女に飛び掛かる。


「フランシア!」


 右手に長剣、左手に短剣を構えたフェレスがそこへ割って入った。睨みつけたところへまっすぐ撃ち込んでくる虎獅子の爪を長剣で受け、その長剣を短剣で支えながら斜めに流そうとして、だが彼は一撃の重さに負けてそのまま地面に押し倒される。


「〈不可視の衝槌(インビジブル・ラム)〉! 〈不可視の衝槌(インビジブル・ラム)〉! 〈不可視の衝槌(インビジブル・ラム)〉!!」


 牙を剥く虎獅子に、フランシアは魔法符と無詠唱の〈不可視の衝槌(インビジブル・ラム)〉を合計三発、連続で撃ち込んだ。さすがに虎獅子がひるんで一度下がると、ガストンが急いでフェレスを助け起こす。


「しっかりしろ、フェレス!」

「ぐっ……く、なんて重い攻撃なんだ……。とても受けられない……」

「馬鹿野郎! 当たり前だろ! お前のガタイじゃ流すのだって無理だ! 防御はおれがやってやるから、お前はかわせ!」


 ガストンに支えられつつふらふらと立ち上がるフェレスを怒鳴りつけ、アレックスが槍を構えて前へ出る。

 とは言え、相手は切りつけてもろくに傷を負わせられないうえ、一撃受ければ致命の攻撃力を持った魔獣である。走る速さは人間など問題にならず、逃げることもできそうにない。

 どうしたもんかと冷や汗を流しながら、顔だけは不敵に笑うアレックス。


「……アレックスさん、フェレス。あれの動きがもうちょっと速くなっても反応できるです?」

「冗談じゃねえよ、先生。今でも受け流せるギリギリですぜ。これ以上速くなられたら、真正面で受け止めるのが精いっぱいだ」


 唐突なフランシアの問いに、自嘲のような笑い交じりでアレックスは答えた。次の攻撃のチャンスを伺う虎獅子を睨んだまま、フランシアは重ねて問う。


「真正面なら受けられるですね? フェレスもです?」

「どこに攻撃が来るかは見ていればわかるが、重すぎて受け止めるのは無理だ。アレックスでも厳しいだろう。どうする気だ?」

「ちょっと考えがあるです。……ガストンさん、またけん制お願いできるです?」


 フランシアに問われてうなずくガストン。そんな一行を、プリシラはどこか悔しそうな顔で見つめていた。今ここにいる五人の中で、戦闘能力を全く持っていないのは彼女だけだった。船の留守番に置いてきたヴィータを含めても同じことである。


 何もできない。そう思った彼女の頭を、森で出会ったエルフの言葉がよぎった。

 アンドリューの孫娘だというのであれば、お前もまた素晴らしき弓の使い手であろう、と。

 わたくしはお爺様の孫なのに、矢の一本も放つことができない。

 家の血を絶やさないことは、貴族や王族の至上命題だ。

 だが、それだけでは駄目なのだ、とプリシラは強く思った。


「行くす!」


 気合いの声と同時にガストン特性の投網弾が放たれると、虎獅子は大きく開いた網から素早く身をかわした。一瞬の後、回避されないよう広範囲化のアレンジを施した魔法をフランシアが解き放つ。


「〈荷重軽減レデュース・ウエイト〉!」

「!?」


 あの敵を身軽にしてどうしようというのか。発動詞を聞いたフェレスが、驚いて背後のフランシアを振り返った。その瞬間、スキを見つけた虎獅子が、先ほどを上回る速さでフェレスに飛び掛かる。


「馬鹿野郎、よそ見してんな!」


 槍を水平に構えたアレックスが、フェレスの前に飛び出した。目の前に迫る虎獅子の爪。正面から受ければ槍をへし折りかねないその一撃を、だがアレックスは受け流すこともできず正面から受け止めにかかる。

 やべえ、やっちまった。死んだらお嬢さんを頼むぜ相棒。

 そんな思いが、アレックスの頭をよぎる。


「ん!?」


 だが、受け止めたその一撃はアレックスが拍子抜けするぐらいに軽かった。一瞬戸惑ったアレックスだったが、彼はすぐに気を取り直すと槍を思い切り押し返し、そのままの勢いで下から上へと穂先を振り上げる。真っ白い虎獅子の腹に、ぱっと噴き出す赤い血しぶき。

 吼え声を上げ、虎獅子は身をひるがえすと間合いを取って地面に降り立った。短い草がまばらにしか生えていない乾いた土の上に、ぽたぽたと赤い雫が滴る。


「なんだ、急に攻撃が軽くなったぞ!」

「それはもう、軽くしたですもの。でも気を付けるですよ、皆さん。体は軽くても、腕とか顎の力は変わってないです。噛みつかれたら骨ごと食いちぎられるですよ」


 アレックスが驚いてあげた声に、フランシアが少し得意げに、だが後半はまじめな調子で答えた。

 体の軽い者の攻撃は軽い。先日、彼女が自らの――厳密には違うが――体で体験したことだった。特に、あの魔獣が得意としている飛び掛かり、のしかかりと言った攻撃には体重が重要な意味を持つだろうことは明白だった。


「なるほどな……」


 意味を理解したフェレスが、魔獣のほうに目を向けながら感心したような声を上げた。確かに動きは軽いぶん速くなったが、あの重ささえなければ虎獅子の攻撃を受け止めるのは彼にも不可能ではない。

 それに加えて、先ほどのアレックスのような浅めの振りでも、腹側ならば攻撃が入ることがわかったことは一行にとって収穫だった。虎か獅子のような見た目なのに甲殻類のような弱点だな、と思いながらフェレスは姿勢を低くする。


 そして、再び虎獅子が襲い掛かった相手はフェレスだった。体が軽くなったせいかそのその攻撃は速く、咄嗟に彼は右手に握っていた長剣ロングソードを攻撃に割り込ませる。


「う……っ!」


 先ほどに比べればその一撃ははるかに軽かったが、それでもフェレスが片手で受け止めるには重すぎた。押し倒されてしまわないよう左半身を引き、左手に逆手で握った短剣ショートソードを長剣に添えて、フェレスは飛び掛かって来た虎獅子の攻撃を斜めに流す。

 間髪入れず再び襲い掛かった魔獣の攻撃を、今度はフェレスは最初から両手の武器を組み合わせて受け止めると、相手の体をひっくり返すように右へ受け流した。


「おらぁ!」


 空中で体勢を崩した虎獅子の腹に、アレックスが鋭く槍を突き込む。恐るべき反射神経で身を捻って致命傷を避けるも、また新しい傷を腹に刻まれ、一度間合いを取って咆哮を上げる虎獅子。


「くそ、さっきまでよりゃマシだがやっぱつええな」

「攻撃がまともに通る部分が少ないのがきつい。そこらの金属鎧より丈夫なんじゃないのか、あの毛皮は」


 武器を油断なく構えたまま、前衛組が呟いた。一撃即死の戦いゆえに、いまだ二人とも傷こそ負っていないが、緊張感からくる疲労はその体に重くのしかかっていた。とは言え、投網弾すら撃たれてから回避するあの魔獣には漫然と飛び道具を放っても効果は期待できず、ガストンも次の手を考えあぐねている。

 そんな中、腰のカードホルダから三枚の魔法符を取り出すと、フランシアは隣のプリシラを横目で見ながら訊ねた。


「プリシラ様、これ使ったことおありです?」

「な、ないわよ! わたくしにも使えるの?」

「発動詞を正しく唱えて、ちょっと魔力を込めるです。魔力を帯びたら光るですから、手から離せば発動するですよ」


 こともなげに言うフランシアに、プリシラの表情が困惑に曇った。そんなあっさりと魔力を込めると言われても、彼女にはそんなものを扱った経験はないのだ。差し出された魔法符を見て戸惑いながら、プリシラは眉を寄せる。


「魔力を込めるってどうすればいいのよ!?」

「具体的に説明するの難しいですね。こう、自分の中にある何かを、手を通して魔法符に注ぎ込んでいるつもりになるっていうか」


 ふんわりとしたフランシアの説明に、プリシラの表情が険しくなった。苦笑いするフランシア。そこに、魔獣とにらみ合いながらフェレスが助け舟を出す。


「御令嬢、僕も最初はその説明をされて困ったが、なんとなくできるようになった。大事なのはたぶん想像力と自信だ」

「うまくいかなかったら返してくださればいいですから、とりあえず挑戦です。その〈火弾ファイア・ブレット〉はまっすぐ飛ぶですから、アレックスさんに当てないように気を付けてくださいね」


 言って、フランシアはもう一度プリシラに魔法符を差し出した。若干ためらいながらも、プリシラはそれを受け取るとぎゅっと唇を結ぶ。

 プリシラは、それほど魔法と縁のある人生を送ってきたわけではなかった。彼女にとって魔法は魔法使いに使わせるものであって、自分で使うものではなかったからだ。それにしたところで目にしたことなど数えるほどで、攻撃のための魔法など実際に見たのは先日の牧場でのことが初めてである。


「〈火弾ファイア・ブレット〉!」


 教えられたとおりに発動詞を口にし、プリシラは魔法符に魔力を注ぎ込むことを想像する。自分の中にある何か。何かって何よ、と胸中で呟きながら、魔法符をつまんだ親指と人差し指に力を籠めるプリシラ。


「うううううう……!」

「プリシラ様、力まなくていいです。胸とか、頭とか、自分の中の力が溜まってそうなところから、魔法符にそれをすーっと流し込む感じで……。想像できなかったら、空いてるほうの手でたどってみるとちょっとやりやすくなるですよ」


 力を込めて魔法符を睨みつけていたプリシラは、相変わらず抽象的なフランシアの助言を聞いて自分の額に左手の指で触れてみた。そこから彼女が指先を胸元へゆっくりとおろし、肩に触れて腕をなぞり、右手の親指までをたどると、持っていた魔法符が淡い輝きを放つ。


「で、できた……!」

「さすがお嬢さんす! ぼくはやってみたけどできなかったすよ!」

「よし! じゃあ行くわよ!」


 ガストンの賞賛を受けながら、プリシラは少しだけアレックスの陰から出ると持っていた魔法符を虎獅子目掛けて投げつけた。小さな炎の球が魔獣に向かって飛び、そして素早くかわされて地面ではじける。


「当たらない……!」

「狙いはあってましたよ、お嬢さん! あいつが早すぎるん……でっ!」


 アレックスが一瞬後ろに視線を向けて言った瞬間、虎獅子が彼に飛び掛かった。だが、それも予期していたのか、あるいは誘いだったのか、アレックスは槍の柄でそれを弾くと、返す穂先でまた魔獣の腹を切り裂く。


「こんな風に反撃気味にやんねえと、とても当たらねえんですよ」


 ひるんだ虎獅子が間合いを取ったところで、アレックスが今度は前を向いたまま言った。それを聞きながらプリシラはそっと二枚目の魔法符を右手に移すと、深呼吸してまたそれに魔力を込めようと試みる。


「あれだけやられたんですから、そろそろ逃げ帰ってくれてもいいですのにねえ。……しょうがないです。プリシラ様、ガストンさん、ちょっと大技を仕掛けますからお手伝いお願いするですよ。今から準備するですから、合図したら二人でけん制してくださいです」

「了解す」

「……わかったわ。〈火弾ファイア・ブレット〉……!」


 コショウ弾を手に持ったガストンと、今度はガイドなしで魔法符を発動状態に持って行ったプリシラがフランシアの左右でうなずいた。それを確認すると彼女は精神を集中し、両手を構えて呪文の詠唱に入る。

 それに不穏な気配を感じたのか、虎獅子は素早く横に飛びのくと、側面から一行に襲い掛かろうとした。だが、そこにフェレスは素早く割り込み、爪の一撃をうまく斜めに流して短剣を魔獣の腹へと突き出す。


 それでも致命傷を素早く避けると、虎獅子は今度は左右へ揺さぶりをかけ始めた。そこで詠唱を完成させたフランシアが目だけで合図を送ると、まずガストンがコショウ弾をそこへ投げつける。丁度炸裂したコショウの煙に突っ込み、咳き込むような声を魔獣があげた。


「そこよ!」


 すかさずプリシラが魔法符を投げつけると、火の玉が吸い込まれるように虎獅子の顔へと飛んだ。ひるんだ虎獅子が角でそれを受け止めると、ぱっと火の粉が散って魔獣の顔に降り注ぐ。今度は少なくとも命中したことに、プリシラは唇に笑みを浮かべた。


「〈地岩大槍撃グラン・ロック・パイク〉!!」


 その瞬間、フランシアが魔法を解き放った。轟音とともに地面が隆起し、鋭く尖ったいくつもの岩が魔獣の腹に襲い掛かる。

 魔獣の重さが減っていたせいか、岩石の槍はその腹を貫ききれなかったが、尖った岩に腹を突き刺されながら魔獣は宙に打ち上げられ、さすがに着地はできず地面は転がった。


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