H社 1/32 零式艦上戦闘機五十二型丙 その1
「こんばんわ」
そう言いつつ、星野模型店に入ると、カウンターで四十代ぐらいの男性とつぐみさんが話をしている。
始めてみる顔だ。
誰だろうと思ったら、つぐみさんと目が合った。
「ああっ。よかったーっ。すみません…助けてくださいっ」
つぐみさんがそんな声を上げて助けを求める。
なんだ?なんだ?
慌ててカウンターに立ち寄ると、その男性が僕を見下したように見ていた。
ああ、嫌なタイプだ。
あの男を思い出す。
つぐみさんの元婚約者だった男だ。
しかし、初対面の人間に貴方は嫌いなタイプだからとか言えるはずもなく、見下した視線を無視する事にした。
男の方を見ないでつぐみさんを見てどうしたのかを聞く。
「実は、このお客様が…」
つぐみさんがそう言いかけた途端、この男性は見下した態度で僕やつぐみさんを見て言う。
「金はいくらでも出すといってるではないか。だからさっさと用意しろ」
さすがにカチンと来た。
僕が営業の時にもこういうタイプの客はいた。
お客だから何を言ってもいい。金さえ払えば何をしてもいいと勘違いしている馬鹿野郎だ。
だから、僕は男を無視して、つぐみさんに聞く。
「どういうことで困っているんですか?」
「だからっ」
男が大声を上げて話をさえぎる。
僕はさすがに頭にきて、男を睨みつける。
「貴方には聞いていません。あなたとは初対面ですから、貴方の話を優先して聞く理由もありません。僕は、つぐみさんが困っているから、つぐみさんに話を聞こうとしているだけです」
きっぱりと言い切った。
そして、言葉を続ける。
「何勘違いされているか知りませんが、ここではあなたはただの普通の始めて来たお客さんだ。あまりにもお店の迷惑になるようなら警察を呼びますが…」
「どこに客がいるっ。こんな寂れたくだらない店にっ」
「私がいますよ。私はここの常連客です。静かに待てないなら、私の迷惑になるので警察呼んでもらいましょうか、ねぇ、つぐみさん」
軽く冗談でも言っている口調でつぐみさんの方を見て微笑んでそう言った後、ずいっと男を殺す気で睨みつけながら低めの声で言葉を続ける。
「あとね…この店を馬鹿にする人は、誰だって僕は許さないっ。絶対にだっ」
さすがに僕の剣幕に驚いたのだろう。
男がたじろいで黙り込む。
「静かになったようです。つぐみさん、どうしたんですか?」
そう言って微笑むと、なぜかつぐみさんは頬を赤らめてうっとりしていた。
えっと……なんで?
詳しく話を聞いてみるとこの男性があそこに飾ってある1/32の零式艦上戦闘機の完成品を譲れ、金はいくらでも出すと言って聞かないらしい。
「あれって確か…」
「ええ。おじいちゃんの亡くなった友人が作った作品です」
僕もそれらしい話を悟さんから聞いたことがある。
あれはわしの大切な友人の形見だと…。
それでつぐみさんは困っていたのか…。
連絡取れる人なら何とかなるけど、亡くなっている人、それもおじいちゃんの友人の形見と言っている作品はちょっと無理だ。
僕は男の方を向き、はっきりと言う。
「あの作品は、すでに亡くなった方の作品でお譲りで来ません」
「ならいいじゃないか。金はいくらでも払う。だから…」
僕は睨みつけて言う。
「何でも金、金、金って、人の心は無視ですかっ。あれはここのおじいちゃんの友人の形見なんですっ。それを貴方は無視して金を出せばと言うんですかっ。最低だっ、あなたはっ」
さすがに男は黙り込む。
静まり返る店内で、つぐみさんが笑顔を浮かべる。
「まぁまぁ、理由を聞きましょう。どうしてあの完成された模型が必要なのかを…」
「こんな失礼なやつの話を聞く必要なんて…」
「駄目ですっ。きっと理由があって、どうしてもあれが必要だったんですよね」
つぐみさんが男に優しく声をかける。
なんか腹立つ。
しかし、つぐみさんがそう言っているのだ。
僕がいろいろ言う筋合いはない。
だから、膨れっ面で男の話を聞くことにした。
さっきまで散々無理難題を言っていた相手にそう言われたのだ。
言いにくいのだろう。
しばらくどうしょうかという感じだったが、男が口を開いた。
「じいちゃんに見せる為だ…」
「おじいさんに?」
「ああ。うちのじいちゃんは先があまり長くなくて病院に入院している。悪性リンパ腫でいろんな治療を試したが治る見込みは厳しいといわれたよ。だから少しでも一緒にいようと思ったんだ。そしていろんな話をした。薬の副作用か知らないがじいちゃんの記憶が時々飛ぶんだ。そして、聞かれるんだ。お前にやった飛行機はまだあるのかって…。『あれはな、じいちゃんのお父さんが日本のために乗って戦ってた飛行機でなぁ。あの飛行機には思い出がいっぱい詰まっているんだ。よかったら一度だけでいいから、最後に見せてくれないか』って言われて…」
「それで何とか願いをかなえようと?」
「そうだっ。そうだっ。私にとってじいちゃんは大切な人なんだ。だからっ」
「それなら、貰ったやつを見せればいいじゃないか」
僕がそう言うと、男は悲痛な表情を見せた。
「あれはもうないんだ…。妻がこんなものはいらないでしょうと言っていつの間にか…」
「はぁ…。最悪だな。人のものを勝手に捨てるなんてさ」
思わず思っていることが声に出たが男は何も言わない。
多分、男もそう思っているのだろう。
しかし、強く言えなくてそれを押さえ込んだのかもしれない。
結局、夫婦なんてのは価値観の違うもの同士が一緒に生活するのだから、妥協と諦めはどうしても出てくるものなのだろう。
「本当に、すまないと思っている。私には出せるものが金しかなかった。だから、金で何とかしょうとしてしまったんだ。だから、どうすればいい?どうすればあれを手に入れられる?」
必死な形相でそういう男に、つぐみさんは少し考え込む。
そしてもはっきりと言う。
「申し訳ありませんが、あれは絶対に渡せません。あなたがおじいさんの為と言っているのと同じように、あれは私のおじいちゃんの大切なものなのです」
その言葉にがっくりと肩を落とす男。
さっきの様子から一変してまるで全てを失ってしまったかのように見える。
それほど男にとっておじいちゃんは大切な存在なのだろう。
だが、こればっかりはどうしょうもない…。
しかし、つぐみさんは微笑んだ。
「ないなら作ればいいと思いますよ」
「作る?」
「そう、貴方の手で…」
「でも、私ではあんなに綺麗には…」
「どちらにしてもおじいさんを騙すんでしょう?なら、他人が作ったものより、どうせなら貴方のおじいさんへの愛の詰まったもので騙してあげたらいいんじゃないかしら」
しばらく考え込む男。
そして考えがまとまったのだろう。
僕らに深々と頭を下げる。
「よかったら、それでお願いします」
「ええ。私達も全面的に協力しますね」
つぐみさんが微笑んでいる。
その笑顔を見つつ聞く。
「僕も入っているんだよね?」
「駄目ですか?」
そう言われて、駄目だとはいえないじゃないか。
「仕方ないなぁ…。気が進まないけど…」
「ふふふっ。やっぱり頼りになりますね」
「まぁ、いいか。それじゃあ、さっさと決めていこうか。まずキットだけど…」
「これなんかどうでしょうか?」
そう言って持って来たのは、『T社 1/32 零式艦上戦闘機五十二型』だ。
「これは1/32零戦なら一番完成度が高いといわれているやつですね。稼動部分もあり、見えないところも丁寧に作りこんでありリベットもかなり丁寧に刻んであります。ただ、その分、細かすぎるので時間がかかる恐れがあります」
その説明を聞いた後、男の方を向いて聞く。
「プラモデルを作った事は?」
「し、小学生から中学生ぐらいに作ったことがある」
「ふむ。もう少し簡単に出来るのはないかな。部品点数が少なめのを…」
そう言われ、つぐみさんはもう一回売り場行って戻ってくる。
「ならこれはどうです?」
出されたのは『H社 1/32 零式艦上戦闘機五十二型丙』だ。
「T社に比べると部品点数は少ないですし、リベットとか見えないところは省略されてますけど、きっちりしてますし出来はいいキットです」
どっちにすべきだろうか…。
「猶予はどれくらい?」
僕の問いに男は、「なるべく短いほうがいい」と答える。
なら決定だ…。
「H社の方でいこう」
僕はそう言うと、男の方を向く。
「道具や塗料なんかはこっちで準備する。かかった代金は後日まとめて請求でいいか?」
「わかった。それでお願いする。それで私はどうすればいい?」
「明日から夕方ぐらいでいいからここに来て、ここの工作室で作るんだ。僕も手伝うけど、作ったり塗ったりするのはあなたがメインだ。いいね?」
「わかった。がんばって作ろう」
男はきっと表情を引き締めてそういう。
その表情を見て、大丈夫だと感じた。
そうだ。時間がないのなら…。
「つぐみさん。僕がついておくからさ、残業してもいいかな」
要は、店が終わっても工作室を使っていいかと言うことだが、つぐみさんはすぐにそれがわかったのだろう。
「ええ。お願いします。ご飯とお風呂、用意しておきますから」
「ありがとう。助かるよ」
僕らのやり取りを見ながら男が呟くように聞く。
「君らは何でそんなにこんな私のためにしてくれるんだい?」
落ち着いて振り返ってみて、最初の自分のあまりにも常識のない事をしてしまったのを自覚し、そして、そんな自分になぜ協力してくれるのか理解できないのだろう。
つぐみさんがにこりと笑って言う。
「あなたがここ星野模型店のお客様だからです。私達は、模型を通していろんな人に喜びや楽しみ、それに人と人のつながりを与える事が出来ればいいなと思っていますから」
そう言って僕のほうを見て微笑む。
やられた…。
僕は苦笑する。
それは僕が目指していきたいとつぐみさんに言った言葉だ。
だから、僕は「そうだね」と言って頭をかいたのだった。




