1ー4 稽古のち時々ハプニング!?
俺は外に出ていた。
あの後、加奈子選手からいつも通り稽古をすると言われ庭に出たのだ。
庭の倉庫から竹刀を取り出し、ストレッチをして入念に身体をほぐす。
ストレッチを終え、暇な時間で素振りをする。
ゆっくり滑らかな動きで竹刀を振り、回数を増すごとに速くしていく。
ちょうど五十回目になったときに、剣道着に着替えた加奈子先輩が庭に姿を現した。
「身体を温め終えているか?」
「はい!いつでもいいですよ、師匠!」
俺の返事に頷くと、加奈子先輩は自分の準備を始めた。
ストレッチを始める先輩の後ろに回って、彼女の背中を押してやる。
(いつもながらすげー柔らかいよな。加奈子先輩の体)
体操選手並みの柔らかさに、感動すら覚えそうだ。
「師匠。こんな感じでいいですか?」
俺は加奈子先輩に押す力が大丈夫か尋ねる。
「大丈夫だ」と短い返事が返ってきて、俺はそのまま続けた。いつものことで慣れているから、どのくらいの力加減がいいのかわかってるけどね。
余談だが、俺が加奈子先輩を師匠と呼ぶのは鍛練や稽古をするときだけだ。
学校では師匠と呼ばれるのを嫌がるため、今の呼び方に落ち着いている。
「さて。そろそろ始めようか」
加奈子先輩は立ち上がるとそう言って、俺に背を向け離れる。五メートル程離れると再び向き合った。
俺と先輩は竹刀を構えた。
微動だにせず、互いに相手の初動を見逃すまいと睨み合う。
永遠に続くかと思えるような緊張感が場に満ちる。
最初に動いたのは俺だった。
「セイヤァァアアア!」
一気に接近し、下段から左斜めに斬り上げる。
それを先輩は余裕を持って受け止める。
俺は更に踏み込み、斬撃を浴びせる。様々な角度から迫る斬撃の雨。しかし先輩は顔色一つ変えずに、それら全てを防いでいく。
こんなものはほんの小手調べだが、全く攻め勝てるビジョンが浮かばず、俺は内心苦笑した。
剣の天才。
世界で十本の内に入るとすら言われる若き天才剣士、桐島加奈子。
物心ついた頃には剣を握り、小学生の時に日本を、中学では世界の頂点を取る偉業を成し遂げた。
俺が出会ったのは小学生のときで、彼女の実家の道場で一緒に竹刀を振るっていた。彼女の剣を振る姿に憧れた俺は彼女に教えを乞い、いつしか師弟関係になっていた。
俺の剣では加奈子先輩に届かないのはわかっている。
こうして今でも夜に稽古をするのも、先輩が誘って来るからであって、俺が望んだことではない。いや、こうして相手役に選んでくれるのは本当嬉しいのだ。
それでも俺は、もっとレベルの近い相手、彼女の実家にいる家族の方が良いのではと思ってしまうのだ。
フェイントを混ぜ竹刀を振るう。するとほんの少し先輩に隙が出来て、俺はすかさず狙う。ーー狙ってしまった。
届く!
そう思った瞬間先輩の身体がブレたように見え、気付けば俺は地面に仰向けで倒れていた。
何が起きたのかはわかっていた。
俺が焦っているのを見透かした加奈子先輩は、ワザと俺に隙を見せたのだ。それに引っかかった俺は思わず攻撃してしまい、突撃時の運動エネルギーを上手く利用され、一回転して倒れることになった。
つまりドジって転かされたのである。
ちなみに稽古と言っても剣道ではないため、柔道や合気道などの技を使うのだ。
「大丈夫か悠真。ほら、立てるか?」
差し出された手を握り、礼を言って立ち上がる。
加奈子先輩は俺の顔を、心配を含んだ厳しい表情をしながら見ていた。
「今日はらしくないな。あの程度のフェイントも見抜けないなんて。一体どうしたんだ?」
「いえ、特には・・・・・・」
俺は目を逸らす。
自分でもわかってはいた。何だか調子が良くないことは。集中力が散漫になっており、昔と同じようなミスをしてしまった。
おそらく今日いろいろと非日常的なことに遭って頭の整理が追い付いていないのだと思うが、それを言い訳にしたくなかった。
「まあいい。調子の出ない日もあるだろう。余り誉められたことではないが、いろいろありすぎてパンクしかけていることぐらいわかるし、許してやる。だが、もう少し付き合ってくれよ?」
「はい!」
再び向き合い、構える。
今度はゆっくりと深呼吸をして、意識をリセットしてから始める。
結果として、最初よりかはマシだったと言っておこう。最終的に五本まで打ち合い、ようやく先輩を満足させられたのだ。
一本たりとも取れずじまいであった。
「ふいー・・・・・・つっかれた~~~!」
俺は座り込み、そして寝転んだ。加奈子先輩は俺の隣に腰を下ろし、足を崩して楽にする。
「なあ悠真。ちょっと聞きたいことがあるんだが」
「何ですか?」
「あのソフィアという娘についてだ」
俺は身を起こして加奈子先輩に向き合った。
先輩の表情がとても真剣で、寝転びながら聞くというのはどこか気が引けた。
「お前がソフィアに出会ったのは、高校の屋上で間違いないか?」
「え、ええ。けど、どうして知ってるんですか?」
予想外の質問に驚いた。
そして既にソフィアが精霊という事実を受け入れているみたいだった。
(そういや皆も、驚いていてもすんなり受け入れていたな)
普通の人なら信じられないような出来事だったはずが、おざわ荘のメンバー全員がソフィアが精霊であると納得していたように思える。
精霊術とやらを見たおかげかとも思うが、あの適応力は異常だ。
(普通じゃない経験をしてない奴がおざわ荘にいる方が珍しいし、今更と言えば今更か)
皆のことを思い返して、妙に納得してしまった。
彼らは多少の差はあれど、普通ではない境遇や過去を持っているがためにおざわ荘にいる。詳しく話すと長くなるので割愛するが、いつか話すことになるだろう。
「屋上に小規模の魔力溜まりが出来ていた。悠真がソフィアに出会うとするならそこぐらいだろうと考えたんだ」
「魔力溜まりが出来てたんですか!?」
魔力溜まり。
それは魔素という一般人には見ることも触れることも出来ない粒子が、ある一定の地域に集中して出来るものだ。
それは魔物という、これもまた一般人には見えない怪物が生まれる原因となり、放置すれば規模が大きくなり出現する魔物も強力になるのである。
加奈子先輩は魔力が見え、そして操ることの出来る一族の末裔らしく、彼女の一家は魔物退治の仕事をしている。そういった人達を『祓魔師』と呼ぶのだと昔先輩に教えられた。
ついでに言うと、俺と美奈穂も魔力を見るだけなら出来る。見えると言ってもぼんやりとだが。
体内の魔力を上手く扱えないためあまり魔物と関わることは少ないため、俺たち一般人に関係ない話だ。
「ああ、出来ていた・・・・・・お前、まさかあれだけの魔力に気が付かなかったのか?」
「あー・・・・・・すみません、全く気づいてませんでした」
あのとき周囲が何かキラキラ光っていたような気がするが、どうやら魔力溜まりが出来かけていたらしい。ソフィアに気を取られすぎていて、他のことに全く気が向いていなかった。
自らの失態に、俺は肝を冷やした。
「魔力溜まりは私が処理しておいた。次からはこんなことのないように」
「はい・・・・・・ありがとうございました。そして後始末押し付けることになってすみませんでした」
今度は気を付けます、今度があればね。もうないと信じたい。
加奈子先輩は溜め息を吐いた後、「ここからが本題だ」と言ったので、俺は気を引き締め直した。
「お前はソフィアが何かに似ていると感じなかったか?」
「似ている、ですか?」
人間離れした(確かに精霊なので人間ではないが表現として)美しさを持ったソフィアに似ている人間がいるなら、覚えてない方がおかしいと断言出来る。そして俺に心当たりはない。
「容姿についてではない。彼女から感じる『気配』のことだ」
「?ソフィアが何に似ているって言うんですか?」
気配とか言われても余計混乱するだけで、何のことかさっぱりわからない。
「私は感じた。彼女からーー魔物に似た気配をな」
「ーーなっ!?」
思いもしなかった存在の名があげられ驚愕する。
俺はすぐさま否定した。
「あり得ませんって!ソフィアが魔物な訳ありません!信じられないです!」
「私だって信じたくはない。だが、彼女の言う精霊という存在と魔物にどんな関係があるかもわかっていない。無関係と決めつけることも出来ない」
「それは、そうですけど・・・・・・」
信じられない。ソフィアが魔物である可能性なんて。
「今はまだ注意しておくだけでいい。可能性が有ることを忘れなければいいんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
加奈子先輩は立ち上がって、砂を軽く払い落とす。
「もし彼女の危険性が認められた場合、私は彼女を排除しなければならない・・・・・・そうならなければ良いんだがな」
先輩はそう言い残しておざわ荘に戻って行く。
俺は、茫然とその背中を見ていることしか出来なかった。
□□
俺も加奈子先輩がおざわ荘に戻って姿が見えなくなると、急にそのときまで忘れていた寒さを思い出し、おざわ荘の中に駆け戻った。
部屋に戻り着替えを用意して、浴場へと向かう。
一階の階段を挟んでダイニングと反対側の廊下の先に、おざわ荘自慢の浴場がある。
『男』と書かれた青い暖簾があり、俺は引き戸を開け中に入る。
元旅館のため温泉に関する部分は、綺麗に改装されていても構造はほぼ同じだ。
棚も壁際のと中央の二つあり、衣類を入れる籠まである。浴場内に続く扉の近くには、冷水機や洗面台、ドライヤーも備えていて、未使用のタオルと使用済みタオルを入れる籠もある。温泉施設にあるものは大体揃っていて、そしてかなり広い。
ちなみに、男女問わず風呂掃除の当番が断トツで不人気である。広すぎるせいで、終わった後は決まって筋肉痛になるからね。
(あれ?中に誰かいる。亮太か?鍵も掛けずに不用心だなぁ)
俺は中に入ると浴場の方から人の気配を感じた。鍵のスイッチを掛けながらその不用心さに呆れる。いくら女子が入って来ることがありえなくても、鍵は掛けるものだろう。
服を脱いでタオルを腰に巻き、浴場内へ。
おざわ荘の浴場は、脱衣所、室内浴場、露天風呂と続いている。露天風呂は外へ通じる扉の先にあるため、それを知っていなければ露天風呂に入るという発想はまずできない。
室内浴場は壁際に沿って洗うスペースがあり、それに沿って進んだ先に露天風呂への扉がある。
そうなると温泉は入って目の前にあることになる。銭湯のように種類がある訳ではないが、実にシンプルで良い雰囲気だ。
なぜ今そんな説明をしたかって?
入ってすぐに温泉が見えるなら、温泉からも入口が見える訳で。
説明の理由は、なぜか俺は、突然の来訪者に驚き固まるソフィアと遭遇してしまったからだった。