議論
「・・・え?」
同時に開かれたメモを凝視し、そこに書かれたメアリカの文章に思わず声が出るソヴィチナ。
「何よ、そんなに意外? ここは同じなのを喜ぶところよ。」
「いや、確かにそうなんだけど・・・。」
開示された二つのメモには帰りたくない、帰る気はないという文章が書かれていた。
同意見である事は喜ばしい事だがソヴィチナは、帰るか否かの議題をふってきたメアリカは帰りたいと思っていると考えていたので驚きを隠せないでいる。
「とにかく意見は一致、これはいいんだけど・・・。
問題は理由、理由の程度によっては今後の事態で意見が変わるかもだし、お互い履き違えて進むと決定的な破滅や決別を起こしかねない。理由についてとことん議論よ。」
「う、うん。じゃあ、僕から言うよ。」
元から議論はする気だったのでまずはソヴィチナから理由を説明する。
天涯孤独の身である事、帰ったらいつ死ぬかも分からない難病に犯された体の事、他の細々とした帰りたくない理由も全て話す。
「・・・と、言う訳で僕は元の世界へ帰りたくないんだ。」
「そう、話を聞く限りじゃ意見が変わるって事はなさそうね。」
メアリカは最後まで黙って聞くと納得したように腕を組んで背もたれにもたれかかる。
メアリカにここまでリアルの話をしたのはこれが初めてだったが特に驚いた様子もなく理解してくれた事にソヴィチナは密かに安堵する。
ソヴィチナの身の上話は、場合によっては作り話と言えなくはない境遇だ。
事実ではあるがそれを証明する事は出来ない、なのでメアリカがすぐに信じて理解してくれたのは助かった。
「うん、もしここが危険な世界だとしてもきっと気持ちは変わらないよ。」
「ふーん、やっぱりそうなるだろうと思ってたけど。」
「思ってたって、僕、そんなそぶり見せてたかな。」
「分かるわよ誰でも。この一週間を見てればソヴィーの気持ちくらいだいたい想像がつくわよ。ご飯は毎度肉ってこんな味だったんだとか、甘いって美味しいだとかまるで初めて食べたみたいな事を言って感激してるし、現実になったこの体に慣れる為って言って動きまわっては、激しい運動が出来る事を嬉しそうに楽しんでるし・・・。察しやすいにも程があるわ。」
自覚がないのかと言わんばかりのジト目で見てくるメアリカ、キョトンとしているソヴィチナにやれやれと肩をすくめながら指摘する。
「まぁ、最初からそう思うのは分かってたけど・・・。」
そして、最後にボソリとメアリカは小声で呟いた。
「え、メアリー、何か言った?」
「ん? 言ってないわ。気のせいじゃない? それよりソヴィーの意見の理由は分かった、次は私の意見の理由ね。」
姿勢を正して何から話すか悩んでいる様子のメアリカ、つられてソヴィチナも姿勢を正した。
少し考える素振りをしてからメアリカは話し出す。
「私の理由もソヴィーと似たようなものよ、元の世界に強い未練がある訳でもなければ愛着もないし。肉親はいるけど絶縁状態だし、これといって親しい友人もいない。あとソヴィーと違って健康体だけど、どっちの体がいいかと聞かれれば今のこの体だし。」
自身の体をまじまじと見た後で手鏡を持って顔も見つめるメアリカの表情は少しだけナルシストな感じが出ている。
「メアリーの理想の姿っていうか、なってみたい姿だもんね。『メアリカ・ネイビル』ってキャラクターは。」
ソヴィチナもその気持ちは理解出来る、出来るのだが少しばかりだらしない笑みを浮かべるメアリカにやや苦笑気味だ。
その事に気づいたメアリカはわざとらしく咳払いをする。
「と、とにかく帰る為に死に物狂いで頑張るって気はないし、元の世界かこの世界かと聞かれればこの世界を選ぶわ。自分達が手塩にかけて作り上げたギルドとNPC達が本物となった世界をね。」
ギルドとNPCの事を考えたのか優しく微笑むメアリカ、ソヴィチナもギルドとNPCの事は大切だと思っているし現実の、本物となった今は本当に我が子のような気持ちを抱いている。
「それは僕だって同じだよ、でも・・・。う~ん、言っちゃあれだけどそれだけ?
家族はいるし、これといって親しい友人もいないって言っても親友ではなくても友達くらい少しはいるんでしょ? 体だって健康体なら元の世界でもっと安全に楽しく暮らせるんじゃないかなって思うんだけど?」
しかしソヴィチナは、それだけでは帰る気はないという理由には弱いと考える。
NPC達を我が子同然に、家族だと思っているがそれを言うなら元の世界の家族は?
友達、知人の事はどう思うのか?
冷酷に考えるならば現実になったとはいえ所詮は電子の存在だったNPCと最初から現実の存在の親族、知人・・・どちらを選ぶとなれば考えるまでもない。
ソヴィチナは天涯孤独であり、親しい友人はメアリカ以外にはいない。
専属の看護師とは親しかったと思うが自分という面倒な患者にずっと専属として縛り付けるのは心苦しいという思いもない訳ではない。
なによりあんな不自由な体と元気な体、選ぶなら後者しかありえない。
だからソヴィチナは元の世界へ帰りたくないとはっきりと断言出来るし、この世界が危険な世界だとしても意見が変わらないと確信もしている。
だがメアリカの話を聞く限り、メアリカの意見が今後も変わらないとまでは断言も確信もソヴィチナには出来なかった。
「へぇ? ソヴィーの事だからなるほど分かったって二つ返事になると思ったんだけど、しっかり考えてるじゃない。」
感心したように笑うメアリカだったがソヴィチナの方は、メアリカの様子にむぅっと膨れっ面だ。
確かにメアリカの言う通り、ソヴィチナは割と楽観的な面があり、問題には直面しないと行動が遅かったり判断がいい加減になったりする事があるのだが今回はかなり真面目問題の為、きっちり考えて行動していたのだ。
「とことん議論しようって言ったのはメアリーだし、今回の議題は本当に大切じゃないか。僕は嫌だよ、ここでお互いの意見とその本気具合を履き違えたまま進んで最後には『私ってほんとばか』って破滅するのはさ。」
「『一人ぼっちは寂しいもんな』?」
「正解! だからもう少し詳しく議論しようよ。」
こういう例えの時はまさに阿吽の呼吸で会話が進む二人である。
お互いの趣味嗜好や理解度が似通っている為にすぐ元ネタやどういう意味で使ったのかが分かるのだ。
なのでソヴィチナの言いたい事はメアリカにはっきりと伝わる。
「とは言っても、こういう人間関係は他人に上手く伝えるってなると難しいのよね。」
メアリカが腕を組んで頭を悩ませる。
それを黙って見つめて待つソヴィチナ、急かしたってきちんとしたモノは出ないのである。
「はぁ、仕方ないわね。真面目な議論でこういう例えはあんまりな気もするけど、ソヴィーには分かりやすく伝わるか・・・?」
僅かに難色を示すが、その例え以外には上手く表現出来ないと思っているらしくチラリとソヴィチナの様子を伺うメアリカに、ソヴィチナはやれやれと許可を出す。
「真面目な議論だって言っても別に僕達の仲なんだからそんなに気にしなくてもいいよ、いつもアニメやゲームで例えるんだし。」
「じゃあ言うけど、私の肉親関係は化けた物語の委員長の家族に匹敵するかそれ以上に終わってる、血の繋がりがある分余計にね。そして友人関係は学校で先生に二人組作ってと言われるのが苦痛で拷問に等しいと言えば分かる? マジできついのよ、あれ・・・。」
「あ~、うん、分かりやすい、分かりやすいけどさ。その、なんという言うか、ごめんね?」
なんとも言えない微妙な顔で言われたソヴィチナは気まずそうに謝る。
家族関係はともかく、まさかメアリカがリアルじゃボッチだったとは思いもしなかったのだ。
クリアドでは社交辞令や挨拶、人付き合いは上手にこなしていたので完全に予想外だった。
(もしかしてメアリーって、ネット弁慶?)
ネットでは上手く付き合えるがリアルだと途端に駄目なのだろうか?
もしそうなら現実となった、リアルとなった現状は大丈夫なのだろうか?
(町に行ったら、見知らぬ人だらけであのそのってしどろもどろになったりして・・・。)
見た目は幼く見れば幼女と言っても通じるメアリカがもじもじと人見知りしている様子を想像すると非常に微笑ましかった。
「何考えてるのよ、クスクス笑って?」
「え!? い、いやぁ、何でもないよ、何でも。あはは!」
不機嫌丸出しで問いかけてくるメアリカにソヴィチナの方がしどろもどろになっている。
「とにかく分かった? 私は元の世界へ帰る気はない、私にとって命の危険があるかも知れない事を差し引いてもこの異世界の方が魅力的なのよ。」
「そっか、じゃあ僕達の方針としてはこの世界で生きていくでいいかな?」
ズバッと言い切ったメアリカにソヴィチナもこれ以上は議論しても変わらないと判断する。
どちらにせよ、まだこの世界で活動していく基盤もまだ万全ではないのだ。
基盤が整ってきた時にまた議論しても遅くはないだろう。
「えぇ、NPC達にも街へ行く件も含めて伝えておきましょ。会議室に呼び出せばいいか。えっと、あとはとくには思いつかないけど・・・。あ! 聞きたい事があったんだったわ! ちょうどいいし今聞いておきたいんだけど、いいわね?」
真面目な議論はおしまいと言わんばかりに姿勢を崩してから気楽な様子でメアリカは何故だか楽しそうに問いかける。
そのまま話ながら席を立つと会議室の壁の柱にある艦内の主要箇所に伝わる呼び出しベルのスイッチを押して鳴らす。
「うん、いいよ、何?」
真面目な議論はいったん終わり、真面目な議論の続きはNPCがこの会議室に集まってからだ。
それまでは気楽な雑談でもしてリラックスしようと思い、ソヴィチナはメアリカの問いに簡単に頷く。
そして頷いたのを確認してから、物凄く楽しそうに怪しい笑顔でニンマリとするメアリカ。
(あ、これはやばい・・・。)
こういう笑顔の時、メアリカは何時もろくでもない事を考えている。
何を聞かれるのか思わず身構えるソヴィチナだったが・・・。
「ここで生きていくって事は、ずっとその体で過ごすって事よね? 女の身体で生涯を過ごすんだけど・・・。
男の娘としては、それはどう思ってるのかなぁ~ってねぇ?」
「えっ・・・いや、それは、その・・・ん!? いや待て!メアリー今なんて言った!?男の娘って、何言ってやがる!?リアルじゃ会った事ないだろう!!」
「流石はソヴィー!文面なら即分かるけど口頭で男の子と男の娘の違いが分かるなんて!」
「長い付き合いだからな!こういう時すぐ分かるんだよ!」
お互いに大声の応酬が炸裂する。
ソヴィチナは普段は大人しい口調だが親しい相手に許容限界を超える事態を起こされると口調が荒くなる事がある、男の娘発言は身構えても耐えられる問いではなかった・・・。
「でも、実際男の娘でしょ? 病弱で病院内でしか生活してなかったというある種の温室育ちなら筋骨粒々の男って事はない筈。虚弱な男の子は大抵が男の娘って私の相場では決まってるのよ!加えてソヴィーの女の子よりのハスキーボイスは決定的!確定的に明らかだわ!」
「う、うるさい! 確かに看護師さんには女の子みたいだねってよく言われたけど、女装とかはしてないし!」
「病院なら患者服!患者服なんて男女共同の物なら男の娘の服で通るわ! 私の相場ではね!」
「ぶっ壊れちまえ、そんな相場!」
そうした不毛な言い合いを経て、男の娘か否かの議論に発展し最後には立ち上がって肩で息をするまでに白熱した男の娘議論はやっと終わる。
「ぜぇ、ぜぇ・・・な、何で帰るか帰らないかの真面目な議論よりこんなくだらない議論の方が白熱して長引くんだよ?」
椅子に座り込んで円卓にぐて~っと倒れる疲れきったソヴィチナは喋るのもしんどそうに呟く。
「はぁ、はぁ・・・そ、そうは言うけどソヴィー、男の娘か否かは置いておいて。私は女から女だけどそっちは男の娘、じゃなくて男から女でしょ?
一生の事ならそういう面もしっかり考えておくべきでしょうが。」
男の娘発言の時にソヴィチナに睨まれると残念そうに言い直し、同じく椅子に座り込んで疲れきったメアリカがくだらないかと思えば真面目な理由を言ってきた。
ふざけているようでメアリカはよく考えていたらしい。
「まぁ、そうだけどさ。そこはメアリカじゃないけど、前の体より今の体の方が魅力的って奴だよ。」
「世界と体を同列扱いって何気に凄いわね。けど真面目な話、男から女になって生活は大分変わるでしょ? 異世界に来てから正直そこまで気を回せなかったのもあるけど、何も言ってこなかったからスルーしたままってのもアレだし。街に行くならそういう面も多少は認識しとかないと・・・。」
「ふむ、なるほど。けど、その心配は杞憂だよ。問題は解決済みさ。」
どうやら雑談ではあるが割りと真面目な話ではあったと認識を改めたソヴィチナは、メアリカの指摘を改めて考えるが、実はこの指摘はメアリカに言われる以前に直面して解決した問題だった。
「と、言うと何をどうしたのかしら?」
「・・・。」
物凄くイヤらしい悪戯心と興奮が隠しきれてない笑顔で聞かれた。
この話題はメアリカの趣味的に大好物なようだと確信するソヴィチナ。
お互いの趣味嗜好は似たり寄ったり、だから気持ちは理解できるのだがその対象が自分自身に向けられると非常に複雑な感情が沸き上がってくる。
しかし真面目な面がない訳ではないので堪えて答える。
「えっと、クリアドの魔法でいくつか仕様が変わってるのがあってね。
体はステータス回復魔法『清め火の奇跡』で清潔に保ってるからお風呂は不要だし、着替えは極力体に触らないようにしながら上を向いて着替えればいいし、お手洗いは元々洋式で小さいのでも座ってやるタイプだし、まぁ拭くのは流石に恥ずかしいけどリアルで身動きがとれなくなる位体調を崩した時に全部看護師さんに・・・その、処置してもらうのに比べたらだし、生活で困るような恥ずかしイベントは全部回避解決だよ。」
ステータス回復魔法『清め火の奇跡』は、クリアドの魔法であり、ステータス状態異常を回復させる魔法だ。
『清め火の奇跡』は本来ならステータス状態異常の回復のみだったが、
この世界ではその名の通り清める効果もあるようで体の汚れは綺麗にしてくれる。
ソヴィチナもメアリカの指摘通り男から女へと体が変化した事で生活にだいぶ影響が出る事は重々承知しており、解決できそうな手段を片っ端から試して早急に対処していた。
幸い、と言っていいかは不明だがTSFモノや男の娘女装モノのアニメや漫画の類はメアリカ程ではないにしてもソヴィチナも嗜んでいて、ある程度解決策を知っていた為にそこまで苦戦する事なく問題を解決したのだった。
もっとも、それらを全て自分が体験して実施する事になるとは夢にも思っていなかったが。
しかし、そういった事もあって我ながら素晴らしい解決策と割り切りだと自負しているソヴィチナは自慢気にドヤ顔をする。
「え?・・・は、な・・・ふ、ふざけるんじゃないわよおぉー!」
一方、メアリカは少しの間ぽかんと呆けていたかと思うと次は一気に怒り顔に変わって絶叫する。
あまりの大声に驚いたソヴィチナはそんなに対応が不味かったかと考えるが、その間にもメアリカは頭を抱えながら何故か悔しそうにしていた。
「こ、こんな、ずっとこの事はお楽しみにしてやっと聞き出してみれば! そ、そんな・・・もっと赤面して恥じらって慌てて動揺するような行動を期待してたのにぃ! TSFカッコガチが目の前にあるって期待してたのにぃ! こんなあっさり終わるなんて、ソヴィーはなんにも分かってないわよ!!」
不味かったのはメアリカの方だった、本気で悔しそうに目端に涙まで見せて円卓に拳を叩きつけている。
「もうこの話題はいいね、終了だ。そろそろNPC達も来る頃だし。」
許容範囲をぶち抜く事態にソヴィチナは、努めて平静を装う。
お互いオタクな事は知っているし、趣味を否定されるのは辛いという事も知っている。
だからこそスルーするしかないソヴィチナは、どこか虚空を見ながら話題を終わらせる。
「あぁ、待って!? なら最後にひとつだけ! 下着は? 流石にブラは赤面して初々しくなっちゃったんでしょう!? あ! いや、まさかノーブラ!? それは駄目よ! いろいろ負担が大きいわ!」
「もうこの話題は終わらせてよ! メアリー!!」
結局、NPCが来るまでこの話題は続いたのだった。