酒盛りの終わり
飲み比べが始まってからしばらく経ち、周囲の歓声と騒ぎは更なる盛り上がりを見せていた。
最初の方は、ルべアムが肴となる話をしながら、ディストメートが相づちをうったり質問をしたりといった様子だったが、次第に飲んではジョッキを空にして次へといった、ディストメートは情報収集そっちのけ、ルべアムは肴の話が尽きたのか、あるいは本気で飲み比べを始めたのか、飲んではお代わりの今までで一番激しい飲み比べが発生している。
「二人共、よく飲むなぁ。急性アルコール中毒とかにならないと良いけど。」
静観している間に運ばれて来た料理を食べながら、ソヴィチナは少しだけ心配そうに飲み比べを眺める。
ディストメートとルべアムの飲み比べは、ソヴィチナのような素人目にもハイペースでお酒を飲み干し、かつ量もかなりの量になってきている。
流石に完全にぶっ倒れたりするまで飲むなんて事はないだろうとは思っているがそれでも心配は心配のソヴィチナ。
「ご安心を。いざとなれば私が止めに入ります、それに双方無茶な飲み合いをしているように見えてキチンと考えて飲んでいるようですよ。」
マスターのところから戻り、心配そうなソヴィチナの心情を察したのか相席しているクリクが不安げな様子もなく断言する。
クリクも酒豪という訳ではないが、祝杯のお酒が飲めない軍人はらしくないと飲める設定にはしてあるので、お酒を飲んだ事すらないソヴィチナはそういうモノかと思い、再び料理を口に運ぶ。
「うん! 最初のお勧めの料理も良かったけど、これもなかなか美味しいね。クリクも食べる?」
「ありがとうございます。ですがもうお腹がいっぱいで、私は結構です。ソヴィチナ様こそ、次の料理を頼みますか?」
自分側に置かれた空になったお皿を横目にクリクは申し訳なさそうに断る。
とは言ってもクリクもいくつかお皿は積んでおり、女性としては相当量を食べていた。
軍人だから高いカロリー摂取も仕事の内と考えれば普通である。
「ん~、そうだね。まだ続きそうだし次の料理を頼もうかな。いやぁ、たくさん食べられるって良いモノだ。すみませーん!次の料理をお願いします。」
嬉しそうにソヴィチナは、マスターに料理の注文をする。
しかし、そんなソヴィチナとは正反対に残念そうにマスターは頭を下げた。
「も、申し訳ございません。もうウチにある料理は全種類お出ししました。次となると同じものをどれかという事に…。」
「え…もうないの?」
わくわくとした気分だった所に冷や水をかけられたようで、子供の様に不貞腐れたように頬を膨らますソヴィチナだったが、そのソヴィチナの前には空になったお皿が山積みになっている。
最初のお勧め料理を食べて美味しいと舌鼓をうち、食べ終えた時に様子を見れば、まだ飲み比べをしていた為に、ただ待つのも暇だし順番に料理を頼んで食べるなんて事をしていたのだ。
もうないの、なんてソヴィチナは言ったが、普通なら十分な種類と十分な量をとうに食べておいてまだ足りないとするソヴィチナの方に問題があったりする。
「…あ、いや、まぁ、そうだよね。これだけ食べればそうなるか。マスターさん、頭を上げて下さい。」
ソヴィチナも、目の前の山積みになったお皿を改めて見て、非が自分にあると思ったのか申し訳なさそうに頭を下げたままのマスターに声をかけた。
とは言っても、お金を払い、完食してから追加の注文をしているだけなので実際には非はないのだが。
「じゃあ、もう一周しますから、またお勧めの料理をお願いしますね。」
注文を止めるのではなく、周回に行く辺りが、ソヴィチナの食事が出来る事に対する喜びの大きさを表していた。
「あ、はい!承りました!」
そう言ってすぐさま料理を作り始めようとしたマスターを、一際大きな歓声が、驚かせて中断させる。
ソヴィチナは食事の区切りもついていた事もあり、すぐに視線を歓声のした方向、ディストメートとルべアムのいる中央のテーブルへと向ける。
「ウチの勝ちッスー!!最後まで勝ちッスー!!」
「…う、く…だ、大酒豪め…。」
拳を掲げるディストメートに対してルべアムは、テーブルに伏している。
どうやら決着がついたらしい、勝者となったディストメートが誇らしげな表情で振り返り手を振って来た。
ソヴィチナも満更でもないように振り返すと、席を立つ。
情報収集は十分だろうし、最後までと言っていたからもう飲み比べもない。
混ざっても問題ないだろうと判断したソヴィチナは労いに似たような感じで褒める。
「勝ちおめでとう、ディストメート。まだ余裕そうだね。」
パチパチと軽く拍手までしながらディストメートのいるテーブルまで行くと、ディストメートは子供の様に嬉しそうに笑ってから腰にエッヘンと手を置く。
「えっへへ♪ 大人ッスから!お酒は大人の嗜みッスよ?」
言動が全く大人じゃないが、見た目は大人のディストメートがすると、妙な感覚である。
「あくまで程々にね。で、こっちの子は大丈夫?」
テーブルに伏したままのルべアムにソヴィチナは、心配そうに少し肩をつつく。
すると多少身動ぎをした後、ルべアムはすっかり紅くなった顔を上げてソヴィチナを見上げる。
「っ!? し、失礼致しました。大丈夫です、ご心配をおかけしました。…あ。」
途端、バネの様に跳ね上がってルべアムは立ち上がり、そして体勢を崩す。
咄嗟にソヴィチナが体を支えて事なきを得るが、体格差の関係上、ソヴィチナの体にルべアムが埋もれるようになってしまう。
「おっとと、ほら。お酒でクラクラしているのに急に立ち上がったら危ないですよ、ゆっくり座ってください。」
紅くなった顔を更に紅くしながらルべアムは体を少し離す。
遠目で見ていたクリクが、僅かに眉をひそめた。
しかし、すぐに元の表情に戻ると、手元のお酒を飲む。
「あ、ありがとうございます。」
ソヴィチナに支えられながらルべアムは席に座ると、僅かに顔を伏してぼそりと呟く。
「しくじった、まさかこれほどお酒に強いとは…いや、想定した接点じゃないけど、予想の範囲内。密偵は正副予備と手管を有するのよ。まだまだ…。」
「?……何て言いましたか? お水?」
あまりにもぼそぼそとした呟きだったので、誰も聞き取る事が出来ず、ソヴィチナは、状況から推察出来る事を聞く。
ソヴィチナの質問に、ディストメートはすぐに反応してマスターの方へと水を貰いに行き、ルべアムは申し訳なさそうに伏した頭を更に下げてから顔を上げた。
「重ね重ねありがとうございます、そして申し訳ございません。それと、挨拶が遅れました。私はルべアムと申します。シルト辺境伯家に仕える使用人の一人です。」
(辺境伯!? という事は…この子は貴族に仕える使用人。)
貴族の使用人、どう対応するべきか判断に迷うソヴィチナは、一瞬身構える。
しかし相手の様子に、悪意は欠片も感じない。
それに仮に悪意があったとして、こんな泥酔した状態で何が出来るというのか。
驚きはしたがソヴィチナは姿勢を整えて握手の手を差し出す。
「初めまして、僕はソヴィチナ・ライヒグラードです。ルべアムさん、ですね? どうぞよろしくお願いします。こんなところで貴族に仕える方に会うとは思いませんでしたよ。」
「ふふ、ソレをおっしゃるのでしたら私も貴女様のような貴族にお会い出来るとは夢にも思いませんでした。しかも使用人に対してここまで親しく接していただけるだなんて。」
差し出された手を、ルべアムは席を立ってから握り返した。
「おぉ!同じ使用人だったスか!?それは知らなかったッス、奇遇ッスね。」
和やかな雰囲気の中、握手を終えた二人のところへ、マスターから水を貰って来たディストメートが、あからさまにビックリしたジェスチャーをしながらルべアムに水を渡し、ルべアムはお礼と共に水を受け取り、一口ゆっくり飲む。
「ふぅ、助かりました。こちらから挑戦しておきながら何から何まで申し訳ございません。そのお詫びとお礼と言っては何ですが、あまり大きな声では言えない情報などいかがでしょう?」
「ほぉ、そんな情報があるんですか!」
ソヴィチナは思わず食い気味に出された話題に食いつく。
情報はディストメートが散々収集してくれただろう、しかしそれはあくまで酒場で出る当たり障りのない雑多で噂の域を出ない情報の筈だ。
勿論、そんな稚拙な情報でも現状では十分役立つ情報ではある。
何せこちらはこの世界の常識すら知らない、今は多種多様、真偽は問わずあらゆる情報を入手したいところだ。
そこへ飛び出て来た貴族に仕える使用人の提供する情報、欲しがるのは当然だった。
嘘の気配もないし渡りに船とはこの事だ、なんてソヴィチナは、自分の幸運を喜ぶ。
「それは是非ともお聞きしたいですね。私達は残念な事に情弱ですから…。」
「情弱?」
「情報弱者の略です、遠方から来たのでこの辺りの情報、情勢に無知なんですよ。」
ピクリ、とルべアムが反応する。
しかしその反応は一瞬、その一瞬の後は先程と全く変わらぬ様子だ。
「なるほど…そうですか。でしたらその辺りも含めてお話ししましょう。そうですね…遅かれ早かれ噂話にはなるでしょうが、今はまだ平民にはあまり聞かれたくないですし、酒場で何時までもという訳にもいきません。上のお部屋で話しませんか?」
「願ったり叶ったりです。では、ゆっくりお話ししたいですし私が宿泊する部屋へいきましょう。ディストメート、上の部屋に…あ。」
上に行くなら声をかけないとと思い、クリクの方へ目を向けたソヴィチナの視界に入って来たのは出来立ての料理を手に持ったマスターだった。
どうやら追加の料理がちょうど出来上がったらしい。
「ルべアムさん、先にディストメートと一緒に部屋に行って貰えますか?あの料理だけ頂いていきますので。」
「分かりました。ごゆっくりどうぞ。」
「ではソヴィチナ様。お先に失礼しますッス。ルべアムさんはこちらッスよ。」
軽く頭を下げた後で、ルべアムはディストメートと一緒に上のソヴィチナが泊まる部屋へと向かった。
二人を見送ったソヴィチナは、待たせない様に早く済ませようと席に着くなり、急いで料理を食べ始める。
「ソヴィチナ様、よろしいのですか?」
クリクがやけに強張った表情で、内緒話でもするかのようにソヴィチナの方へと顔を近付ける。
ソヴィチナは咄嗟に後ろに引きそうになったが、料理がこぼれそうになった為、そのままお互いに顔を近付けたままになった。
「よろしいって言うと?」
あまり聞かれたくない内容になると考え、お互いに顔を近付けたまま内緒話に進む。
十中八九ルべアムの事だろう、とは察しているが何か問題があっただろうかとソヴィチナは思い返す。
確かに無警戒に部屋へ招き入れるのは失策だったかも知れない。
堅物なクリクの事だ、よく知れない者を招き入れるのは抵抗があるのだろう。
そう結論付けるソヴィチナだったが、確実に正解かは分からない、なのでまずは説明を求めた。
「あのルべアムという使用人が信用出来ません、都合が良すぎます。偶然来た酒場に、偶然貴族の使用人がいて、我々にあまり大きな声では言えない情報を提示する…留意しておいた方が良いですよ。」
「ふむ。」
もっともな意見だった、確かにまるでRPGか何かかのように都合が良い。
警戒をするには十分な要素だ、しかしソヴィチナはそこまで不安視はしていない。
ディストメート程楽観的に見る気はないがクリクの様に警戒心を強くする気もそれほどない。
都合が良いから警戒する、では逆に都合が悪かったら信用するのかと言えばそうではないのだ。
「クリク。気持ちは分かるけど、過ぎた警戒心は相手の心証を害するよ。」
「それは、そうですが…万が一があります。」
どこまでも心配性なクリクにソヴィチナは苦笑する。
別にクリクが臆病だからこんな風になっているのではなく、ソヴィチナの安全を最優先しているからだというのは重々承知している。
とは言ってもソレが問題になる時もある、今が正にそうだった。
「一応根拠はあるよ、ルべアムさんには悪意もなければ嘘をついている様子もない。」
「何故、そのような事が分かるのですか?」
「勘って言ったら信憑性が低くなるけど、勘だよ。正確には、相手の仕草、雰囲気、声音、そういったモノから推察する心理学モドキかな?」
「勘、心理学、ですか…。」
首を捻るクリクにソヴィチナは、苦笑を続けるが、今度の苦笑は自分に対してだった。
幼少期から病院で生活していたソヴィチナは、必然的に一般の人々より患者や医師、看護師に接する機会が多かった。
病院内限定ではあるがちょっとした散歩は体の調子を整えるのに良かった事もあって、病院内のあちこちで他の患者とその家族、医師達との会話を見聞きする事も少なくない。
大抵は他愛もない話で済むが、そうでない時もあった。
助かる見込みのない重病の患者に家族が、大丈夫だと優しい嘘つく時もあった。
やる気のない看護師が、面倒な患者に対して笑顔の仮面を張り付けて献身的に尽くしつつも裏では早く死ねと悪意に満ちた陰口をつく時もあった。
そして、長期の入院患者で治る見込みはないが金払いは良い両親を持つ厄介で面倒な患者であるソヴィチナに対しても、当然の様に優しい嘘、悪意の嘘、上辺だけは優しい嫌悪を隠す仮面、心配してくれる素顔、様々な表情と感情が向けられた。
ソヴィチナの入院していた病院は命に大きく関わる病気の患者、またはソヴィチナのような治療が困難な患者を多く受け入れていた。
生命、人生に深く関わる現場で発生する様々な表情と感情は、一般のソレとは比べ物にならない程、純粋であったり、巧みに悪意を隠したりしている。
そんな環境でずっと育ったソヴィチナは、自然と相手の悪意、虚偽を見抜く力が身についていた。
とは言え、専門に学んだ訳でもない、いわば我流の独学の技術だ。
感覚的なモノで論理立てて説明する事は出来ない、強いて言えば根拠のない勘になるし、正確に、確実に見抜ける訳ではない。
しかし、それでもソヴィチナにとっては数少ない自慢の特技だ。
「僕の勘は少なくともルべアムに害はないと判断してる。それに、好都合が重なって信じられない、何かの罠ではないかと考えた場合…そっちも同じくらい信じられないよ。」
僅かに自慢気にソヴィチナは語りながら料理を食べ進める、割と自信のある推察だからだ。
「仮に何かの罠だったとして、僕達を狙う理由は何? 想定出来る最悪の理由は、ドソイアが光学迷彩発動前に目撃されていてその調査をルべアム…いや、主人であるシルト辺境伯が行っていて、突如現れた謎の貴族一行の僕達に疑惑を持って接触を図った、かな。でもそうだとしていきなり手を出したりする? 現状、僕達とドソイアを客観的に見て繋げる要素は非常に薄い、たまたま同時期に現れただけの他国の貴族だったら手を出したら大問題だろうという事を考えれば、少なくとも何らかの言質や証拠を得るまでは下手な事はしないと思うんだけど。どうかな?」
「それは、確かに…重大な外交問題に発展しかねません。辺境伯という地位は高いですが、見知らぬ貴族においそれと簡単に手出ししたりはしないでしょう。」
しばらく考え込んだ後で答えたクリクの回答は、肯定だ。
よしっと心中でガッツポーズをとるソヴィチナは、満足気に残り少なくなった料理を一気に平らげる。
口をナプキンで拭うと話は終わりと言わんばかりに席を立った。
「下手な発言には注意するし、クリクにはいつでも対応出来るように待機してもらう。とりあえずそんなところで大丈夫だよ。さて、あんまり待たせるのも悪いし行くよ、クリク。」
「っは! 了解致しました。ですが一つだけ発言をよろしいでしょうか?」
ソヴィチナに続く様に席を立ったクリクだが、申し訳なさそうに控え目に挙手をして尋ねた。
ソヴィチナはまだ何かあったかな等と思いながら頷いて発言を促がす。
「先程のルべアムとの会話で情弱との発言がありましたが、あのようなこちらが不利になりえる情報を与えるのも注意した方がよろしいかと。」
「…確かに不用意だったかも。気を付けるよ、ありがとうクリク。」
「いえ、お気になさらないでください。」
クリクの指摘に、まだまだ駄目だなと気を引き締め直しながらソヴィチナは、金貨袋を取り出し料理の代金と、マスターは良いと言ってくれたが大騒ぎになった事に対するお詫びも兼ねてチップ代わりに数枚金貨をテーブルに置いて、マスターにお代はここと指差しで伝えるとソヴィチナとクリクも上の部屋へと向かった。