#7
学生にとって、夏休みの楽しみ方は人それぞれだろう。
受験の事を考えて勉強に明け暮れる人もいれば、部活に精を出す人もいる。中には俺のように怠惰な生活を楽しむ人もいるだろう。
昼前まで惰眠を貪り、飯を食ったらまた昼寝。夕方から夜になるとようやく活動を始めるが、俺の場合は街に出て悪意を求める。
今日もガッツリ夕方まで眠り、空腹で起床してリビングに向かうと、香里奈とお袋が世間話をしていた。香里奈がうちに来るという事は、飢えを感じたのかな?
「六文も少しは香里奈ちゃんを見習って、部活とかしないの?」
「もう人間レベルのスポーツはやる気がおきないんだよ」
冷蔵庫から麦茶を取り出し、コップに注いで口をつける。
「確かにやろうと思えばすぐに結果を残せるのはちょっと味気ないですね」
「香里奈ちゃんも、そうなの?」
「はい……部内のランキング戦で1位になっちゃいました。大会でもシングルスで確実に1勝を取るように言われてます」
「ふ~ん。色々あるのねぇ……」
「それより、香里奈、用事を済ませようか?」
「あ、うん……お願いします」
最近はわざわざ切り傷を作る事は無く、香里奈が直接俺の腕に噛み付いて血を吸うようになった。毎回ナイフやメスを使用するのも面倒だからね。
「ちゅぅぅぅ……っぷはぁ。ごちそうさま」
「はいはい……それで?今日も飯食っていくのか?」
「巴さんが迷惑じゃなければお願いしたいんだけど……」
「ウチはいつでも大歓迎よ?食事は大勢で取った方が楽しいからね」
それならば、と早速夕飯の準備を始める2人をよそに、俺はまた自室に戻った。部屋着から外出用の服によって着替え、晩飯終わりで香里奈を自宅まで送る準備をしておく。
晩飯の時間までは、夏休みの課題を消化し適当に時間を潰す。1日に1時間程度の作業だが、授業で学んだ内容の復習でしかない課題は、俺には大した苦じゃない。サクサク進めていく。
量的にももう少しで終わりが見えそうなので、課題は早めに終わらせて、残りの日々を自由に謳歌する計画なのだ。
今日の分、と決めた範囲が終わると、愛読している漫画に手をのばす。それはもう何度も何度も読み返している作品だが、飽きないものは飽きないよね。
日が沈み始め、外灯が点灯為始めた頃、香里奈が俺を呼びに来た。もう飯の時間か。
「……お、珍しいな」
今まで香里奈が血を吸いに来た日の晩飯は、クリームコロッケと決まっていたが、今日のメニューはハヤシライス。まぁ嫌いじゃないから良いんだけどさ。
白衣を脱いだオヤジも席につき、4人での食事が始まる。他愛の無い世間話や近況報告、またはそれぞれの糧について話し合いながらの食事は、9時前には終了した。
片付けはお袋に任せて、俺は香里奈を家まで送る。人外の存在である香里奈を力でどうこう出来る人間がいるとは思えないが、一応年頃の女の子を1人で帰すのは、ね。
「ありがと。じゃあまたね!」
いつものように玄関先で香里奈と別れる。それからが俺の夜食の時間だ。
今日は夜中の繁華街で喧嘩をしている酔っ払い数人から、弱々しいが、量は喰えた。あまり欲張るのもどうかと思うので、今日はこれで終了だ。
帰宅しようと繁華街を歩いていると、夏場なのに長袖のジャージにフードを深くかぶった男とすれ違った。
「っ!?」
何の注意も払っていなかった俺が感じたもの。
それは今までの経験と比べても、比較する事自体が烏滸がましく感じる程の強い悪意。
だが、以前感じたような火山のように激しく燃え盛る悪意ではなく、全てを飲み込む深海のような、光を完全に失った、とてつもなく深い悪意である。
これほどの悪意を持った人間が、何をしようというのか?
それが気になった俺は、踵を返し、男の後を追いかけた。
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深夜の雑居ビルの屋上。
男はそこから繁華街を見下ろしている。だが、投身自殺をするような気配は無い。あるのはただただ強い悪意だけである。
「……」
街を見下ろす男から、ジワジワと悪意が溢れ出る。その光景も、俺の中では衝撃的なものだった。
今まで悪意というものは、総じて黒いものだと思っていた。だが、男の体から溢れ出た悪意は真っ白く、まるで何色にも染まっていない『純粋な悪意』と表現出来そうなものだった。
「……いつまでも見ていないで、出て来たらどうだ?」
俺の気配には気付いていた、という事か。隠れていたつもりだったが、バレているなら仕方ないな。
「……鬼、か」
「そういうアンタは……何者だ?」
俺の正体を一目で見破った事にも驚きだが、男から溢れ出た悪意が形をなしていった時、悪意を喰らう立場にいるはずの俺が、思わず後退りをしてしまった。
白い闇を抱えた妖。
男の白い悪意は、真っ白な悪意を持った妖を生み出したのだ。
「白い……妖、だと?」
「そう不思議な事では無いだろう?何十、何百という人間の強い意思が集まれば、こいつらは自然と発生する。それと同等、いや、それ以上の力を俺が持っている。ただそれだけの事だ」
ニヤリと笑う男に、妖が取り憑いている様子は見られない。つまり、純粋な人間でありながら、たった1人で妖を生み出す程の異常な強さの闇を抱えているという事だ。
「……目的は何だ?」
「目的、か……このくだらない世界をぶち壊す事かな」
「世界を、壊すだと?」
膨れ上がる男の悪意。そこから無数の白い妖が現れる。
「そう、この世は実にくだらないもので溢れている。俺はその全てを一掃し、新しい世界を作り出すんだ」
ヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイヤバイ……
こいつの力と思想は危険過ぎる。仮初めかも知れないが、平和なこの世をぶち壊す。そう言い切れるだけの力がこの男にはある。
「……黙って見過ごすと思うのか?」
「小鬼の分際で、この世を救うヒーロー気取りか?」
「小鬼かどうかは、試してみるんだなっ!」
次から次に現れる白い妖、そいつらに狙いを定めて一気に吸い込む。俺が意識を強く持てば、妖に飲み込まれる事は無いはず……
「うっ……ぐぁぁっ!」
今まで喰らってきたどんな妖よりも、濃密で深い悪意。たった2~3匹喰らっただけで、意識は悪意に染まり、今にも暴れ出したいという衝動が襲ってくる。
全神経と理性を総動員して何とか耐える事は出来たが……たった数匹。それだけでここまで疲労するなんて……
「へぇ……こいつらを喰ってんのか」
「な、舐めんなよ……」
白い妖はまだまだ湧き続けている。流石に俺1人では対応出来ない、か?
「……面白いな……お前のような奴は初めて見る」
男はスタスタと屋上の縁に向かって歩き出す。
「……1つ、ゲームをしよう」
「ゲーム……?」
「俺はこの町を悪意で染めてみせる。お前にそれを止める事が出来るかどうか……」
男はそう言うと、これも悪意の力がなせるのか、フワリと浮かび上がった。生まれた妖達もその後を追うように浮かび上がる。
「逃がすと思うかっ!?」
「その体で追って来れるのか?」
何が面白いのか、男は憎たらしい笑みを絶やさない。
ここで逃がせば大変な事になると分かってはいるが、あまりにも強すぎる悪意を喰らった反動で、体中に力は満ちているが、思うように動かない。動けば理性よりも破壊衝動に走ってしまいそうだ。
「……一応、名前を聞いておこうか」
「……真田六文だ」
「六文、ね……俺は『吉良』。しっかりと覚えておくんだな、六文!」
高らかに笑いながら、『吉良』は白い妖を引き連れて闇夜の空へと消えていった……
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「白い悪意、か……俄には信じられないな」
「あれを野放しにするのは危険過ぎる」
「悪意を喰らうお前が苦戦するほどなんだ……何の抵抗力も持たない一般人がその妖に触れたら、狂人となるのは間違いないだろうな」
しばしビルの屋上で休憩をした俺は、喰らった悪意による衝動が静まると真っ直ぐに帰宅し、オヤジと話し合いを始めた。
今回は俺の食事事情だけでは済まされない、緊急事態である、と認識したからだ。
「……それで、どうするつもりなんだ?」
「……封を解く」
左の手首に巻いた、俺の力を封じた腕輪。ガキの頃、自分の力を抑制出来なかったために暴走を起こし、2度と起こらないように身に付けた物だ。これを解けば白い妖にも対抗は出来るだろう。
「……お前がそう決意したのなら否定はしないが……無理はするなよ?」
「分かってる」
封じられた俺の力。この力に目覚めた時、あまりにも強すぎて周囲に多大な影響が出るから、と封じてきたが、今回は力の出し惜しみが出来そうにない。白い妖、白い悪意に対抗するには、俺も全力を出さなければ。
pipipipipipipipipi
オヤジの仕事用のピッチが鳴る。急患の合図だ。
「真田診療所です……はい……分かりました。急いで搬入をお願いします」
ピッチを切ると白衣を纏うオヤジ。
「……駅前で十数人が一斉に昏倒したようだ。その『吉良』とやらの悪意に触れてしまったのかもな」
「分かった」
強すぎる悪意に触れると、人は狂ってしまうか壊れてしまう。狂人が出ていないのは幸いかも知れないが、悪意に取り憑かれた患者が十数人……今夜は眠る暇は無さそうだな。
10分程で何人もの患者が搬送されてきたが、予想通り妖に触れて気を失っている人達ばかりだった。
その身に憑いている妖の残骸を喰らい、治療の手助けをしていくが、俺の頭の中は『吉良』が言い放ったゲームという言葉で埋め尽くされていた。
夜間に運び込まれた患者に処置を施し、病室に空きがある他の病院までの搬送も終了した。
悪意を十二分に喰らった俺は活力に溢れているが、それでも多少の休息は必要だ。自室に戻ると2~3時間程度の眠りについた。
亀更新、すいません。