#5
7月も後半に突入したある日。
暁学園高等部の全生徒は、講堂に集まり、1学期の終業式を受けている。
そう、明日からは夏休みなのだ。
終業式が終わり、各クラスで成績表を受け取り、担任からの注意事項が伝えられると、いよいよ多くの学生が待ちに待った夏休みの始まりである。
「六文君!一緒に帰ろっ!」
「ん?部活は?」
「部活も今日から1週間は夏休み!一応自主トレぐらいはするけど、今年の夏は今年だけなんだから。目一杯楽しむつもりだよ」
実に楽しそうな表情を浮かべている香里奈。それを見て俺に突き刺さる、好奇や嫉妬を含んだ視線……
だから、何度でも言うけど、俺と香里奈は付き合ってるわけじゃないんだよ!
「六文君の成績も上々だったし、これで巴さんとの約束は果たせたよ!」
「はいはい。香里奈センセのお陰ですよ」
我が学園では、1教科でもE判定以下の科目があった生徒には、夏休み返上の夏期講習というありがた迷惑な強制イベントが待ち構えている。
俺の今回の成績はオールB。中等部の3年間では毎年数科目の夏期講習があった事を考えると、本当に上々な結果を残したと思う。
下駄箱で靴を履き替え、帰宅していく学生の波に乗りながら、俺と香里奈も帰宅するのだが、香里奈はウチに用があるらしい。またお袋と新たな密約でも交わすか?
「ただいま~っと」
「お邪魔します」
「香里奈ちゃん、いらっしゃい」
笑顔で香里奈を迎えるお袋。何だかこのやり取りにも慣れてきたな。
「それで、六文?成績はどうだったの?」
「夏期講習は免れたよ」
「そう!じゃあ、香里奈ちゃんとの約束も果たさないといけないわね!」
やっぱり何かしらの密約があったのか……香里奈もお袋も、タダでは動かないようだな。
「それじゃあ、六文はサッサと着替えてきなさい」
「はいはい」
お袋と香里奈の邪魔をしようものなら、何倍になって返ってくるか分からない。大人しく指示に従うのが得策だろうな。
カバンを机に置くと、俺は普段着に着替える。黒いジーパンに黒いシャツ。少しだけ飢えを感じるので、悪意を喰らいに街に出てみるか……
いや、香里奈をウチに放置しておくのは、何だか嫌な予感がする。
でも飢えは感じるし……
どうしたものか、と悩んでいると、コンコンコンと扉をノックされた。
「開いてるよ~」
入ってきたのは、白衣を着たままのオヤジだった。
「どうしたの?何かあった?」
「六文、お前向けの患者だ」
「ん、了解」
真田診療所を訪ねてくる患者は、他の病院では原因不明、もしくは重病と診断された患者が多い。
そのうちの前者、つまり原因不明と診断された患者の中には、他人からの悪意が取り憑き、不調を訴える患者も大勢いる。
渡りに船、とはこの事だな。俺は早速その患者を治療するために、診察室へと向かった。
例え妖に取り憑かれても、自我を保てる人間もいる。まぁそれでも精神が妖に侵食されるのは時間の問題なのだが、普通の病気と一緒で、早期発見は重要だ。
今日はそんな患者を1人治療して仕事は終了だった。治療と言っても、オヤジがカウンセリングしている間に俺が妖を喰らうだけなんだけどね。
そこまで強大な悪意を持った妖ではなかったが、それでも妖は妖。普通の人間が抱く悪意よりも濃厚で、深く、美味なものだった。
「……何か、心が軽くなった気がします。先生、ありがとうございました!」
その患者は実に清々しい笑顔を浮かべて診察室を出て行った。
何も知らない方が平和な日々を過ごせるんだ。妖の存在まで告知する必要は無いと思う。
「……ん。悪かったな」
「いや、ごちそうさん」
用件はそれだけだったようで、俺はお役御免となる。
飢えはそれなりに満たされたし、何をしようかと再び頭を悩ませていると、キッチンから揚げ物の良い匂いが漂ってきた。今日はクリームコロッケかな?
だと良いな。
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「……んで、何でまだ香里奈がいるんだ?」
診療所の仕事が終わった午後8時過ぎ。
いつもの食卓に、いつもと違う顔が混ざっていた。
「何でって……夕飯を食べて帰るから?」
「香里奈ちゃんのお陰で六文の成績が上がったのよ?夕飯ぐらいはごちそうしないとね」
「……まぁ良いか。飯食ったら家まで送るよ」
流石にウチに泊めるワケにはいかない。あの辻香里奈が、夏休み早々ウチに外泊したなんて事がクラスメイトが知られたら、何を言われ、何をされるのか分かったもんじゃない。
人の噂は怖いんだよ。
「じゃあ、今日は辻さんの手作りのコロッケか」
オヤジは揚げ物が食卓にある事で機嫌が良いみたいだし、お袋は既に香里奈と打ち解けている。香里奈は……何を考えているのかイマイチ分からないが、悪意は無いのは確かなんだ。深く考えるのは止めよう。思春期女子の思考回路なんて、俺には理解出来ないだろうし。
いつもより1人多い夕飯を楽しみ、9時を回ったところで香里奈を自宅まで送り届けた。
「じゃあ、おやすみ!」
「あぁ、おやすみ」
満面の笑みの香里奈を見送り、自宅へと戻る途中、スマホが鳴った。
「ん、オヤジ?」
『六文!急いで戻ってこい!』
「はいよ」
何だろう?また、俺向けの急患でもやって来たのだろうか?
とりあえず駆け足で自宅まで戻ろうとした時、遠くで数台の救急車がサイレンを鳴っていた。
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自宅に戻ると、家の前に救急車が列を作り、体調不良を訴える患者が何人も搬送されていた。ウチは緊急時の患者も受け付けているが、単なる事故にしては数が多い気がする。
そんな俺の予想通り、俺の目に映ったのは、運ばれてくる患者全員を覆い尽くす程のドス黒い悪意だった。1匹の妖が集団感染をするような事は無いので、恐らくだが、人に憑く前の妖の悪意の影響を受けてしまったのだろう。
「六文、片っ端から片付けていけ」
「あいよ!」
診察前の問診、と称して、お袋が1人1人から体調を崩した時の状況を聞き出す。その間に俺が悪意を喰らい、患者の不調を消していくのだが、こんな時間帯に10人近い患者がやって来るのはやはり異常だ。
何とか運び込まれた患者全員から黒い悪意を喰らって事無きを得たが、『悪意が集団に影響を与えた』という現実は、妖の存在を裏付けるのに十分な理由となるだろう。
「……じゃあちょっと出掛けてくるわ」
「気を付けろよ?」
「分かってる」
オヤジは俺が何をしに出るのか理解しているし、今回はいつもより強大な悪意をもった妖だという事は簡単に予想出来る。しかし、悪意に取り憑かれた患者の発生は、悪意を、妖を喰らう俺にしか解決出来ない事だろう。
ウチに来た患者への問診から、ある程度の推測は出来た。多くの人間が往来する、駅の近くにある公園。そこに原因がいるのだろう。迷う事無く、その公園に足を向けた。
何人もの人間がいきなり体調不良を訴えた、とあって、公園は警察の手によって封鎖されていたが、『KEEPOUT』のテープを潜り抜けて中に入る。
「これほどとはな……」
公園中に漂う、深く濃ゆい悪意。こんな場所を普通の人間が通れば、体調不良になるのは当たり前だ。
公園の中を散策すると、そいつはいた。
悪意の塊、妖。
まだ人に憑いているわけでは無いが、その分剥き出しの悪意を漂わせ、公園の中に佇んでいる。
「さっさと終わらせるか……いただきます」
いつものように、妖を喰らう。体の隅々まで力が漲る感覚に、事の解決を実感した、瞬間だった。
ドクンッ!と心臓が強く鼓動したかと思うと、妖の濃厚な悪意が体中を駆け巡った。
この世の全てに対する果てしなく強烈な憎悪。何度も何度も噴火を繰り返す、活火山のような激しい悪意。そんな悪意が体を浸食していく。
「っく!……はぁっ、はぁっ、はぁっ」
危うく悪意に意識を持っていかれそうになったが、堪える事は出来た。妖なら今までに何百匹と喰らってきたが、これほど深い闇を持った妖は久々だ。
「君っ!そこで何をしているんだ!ここは現在立ち入り禁止だぞ!」
制服姿の警察官が、懐中電灯を照らしながら俺のもとへとやって来る。
「……何もしてませんよ。ただ、騒ぎがあったと聞いたんで、見に来ただけです」
野次馬的な言葉を発すると、警察官は溜め息をはいた。
「……テロの可能性も疑われているんだ。さっさと立ち去りなさい」
「はいはい」
俺を公園から追い出して、警官はまたパトロールに出て行った。
まぁもう妖はいないから大丈夫だろうが、それを告げる必要は無い、かな?
「……でも、何故こんな場所にこんなに強い悪意を持った妖がいたんだ?」
確かに人気の多い場所には、多くの思念が存在する。それ故に悪意も溜まり、妖を引き寄せる事が多いのは事実だ。
だが、そんな単純な理由でこんなにも強い悪意を持った妖が引き寄せられたとは思えないんだが……
兎に角、騒動の元凶は断った。これで一応は一件落着である。不審な点は残っているが、まぁ妖が出たならまた喰えば良いだけだろう。
まだ、この時の俺は、妖が現れたなら喰えば良い、それだけの認識しか持ち合わせていなかった。
亀更新&駄文ですいません。