#4
香里奈に血を与えるようになってから10日程が経過した。
相変わらず昼飯の時間には香里奈の手作り弁当を一緒に食べており、周囲からは付き合っていると誤認されるようになった。
いや、別に香里奈の事を嫌ってるわけじゃないんだが、俺からすればまだまだ同級生に対するLikeの範囲内だ。それに、香里奈にだって彼氏に対する取捨選択の権利があるんだし、ただ血を分け与えているから好きになる、なんてチョロい考えは持っていないはずだ。
……でも、そんな噂を否定する事も無く、甲斐甲斐しく毎日毎日昼飯を提供してくれる香里奈の姿を見ているクラスメイト達には、俺が超鈍感な男だと見えるのだろう。最近、俺を見て溜め息をつく男子が増えた。俺を妬むくらいなら、玉砕覚悟で告白でもすりゃ良いのに……
「六文君、帰ろっか!」
「ん?今日は部活じゃないのか?」
「中間試験まで1週間切ったから、部活も休止なんだよ……って、試験が近いんだから、学生らしく勉強しようって気にはならないの?」
「将来、サインコサインが何の役に立つのか、俺には全く理解が出来ないんだよ」
カバンを持ち、一緒に帰る事にも慣れてきた。
……同時に、突き刺さるような嫉妬の視線にもね。
「今回の試験で、六文君の成績を上げるように、って巴さんにも頼まれているからね!」
「勘弁してくれよ……」
この数日、学年でも上位の成績を誇る香里奈が我が家でその日の復習を行っていたんだが、まさかその背後にお袋が絡んでいたとは……
「それと、お願い、があるんだけど……」
「はいはい。ウチに着いたら、な?」
「うん……ゴメンね?」
「謝るなよ。別に悪いことしてるわけじゃないんだから」
「うん……」
血を吸わなければ衰弱してしまう。吸血鬼であるが故の悩みなんだろうが、まだ俺から血をもらう事が申し訳ないと感じているのだろう。
まぁ、こればかりは慣れてもらうしか無いかな。
学園からウチまでは徒歩で15分程。他愛の無い会話を続けながら玄関から家に入る。
「あらあらあら、香里奈ちゃんいらっしゃい」
「巴さん、今日もお邪魔します」
「後でコーヒー持っていくから、いつものように六文に勉強教えてあげてね?」
「頑張りますっ!」
ウチの家族とすっかり打ち解けた香里奈を連れて部屋へと向かう。制服姿の香里奈を待たせてまで俺だけ着替える必要性は感じないので、まだまだ学生服のまま試験対策を始める。
今日の課題は香里奈も予習復習で使うという問題集を相手に、20分程格闘し、答え合わせ。
「……うん、合ってる。六文君、やれば出来るんじゃん!」
「授業で1度聞きゃ分かる内容だったからな」
「じゃあ、何で試験の成績は良くないの?」
「パソコンやスマホで自動変換出来る時代に、薔薇って漢字が書ける事で何の得があるんだよ」
「むぅ……私なんてキッチリ予習復習しないと今の成績を維持出来ないのに……」
勉強は出来るうちにしておいた方が良い。
その理屈は理解しているつもりだ。だが、どうしても試験の結果だけが頭の良さに直結しているとは思えないんだよね。
「……そう拗ねるなって。今度の中間試験では、香里奈の指導があったからだって思えるような結果を残すように心掛けるから」
「ほほぉ~そこまで言い切りますか……じゃあ、勝負する?」
「勝負?何の?」
「どちらが上位になるか。負けた方は勝った方の命令を聞く。それでどう?」
「やだよ。面倒臭い」
「はっはぁ~ん、何だかんだ言いながら、本当は私に勝つ自信が無いのかな?」
「何だ、と?」
「勉強をする必要を感じない、なんて言い訳で、順位を付けられるのが恐いのかな?」
「……いい度胸だな、香里奈。そこまで言うなら勝負してやろう」
「今のうちに負けた時の言い訳も考えておいてね?」
「そっちこそ、負けても泣くんじゃねぇぞ?」
何だか対抗心が燃えてきた。順位とか点数はどうでも良いが、香里奈にだけは負けないように頑張ろう。
「面白い話ね。じゃあ、六文が負けたら休日返上して家事の手伝いもしてもらおっかな」
いつの間にかコーヒーを持ってきたお袋も参戦していた。
ってか、お袋よ。貴方の予想は俺が負ける事の1択なのかよ……
「じゃあ、精々試験まで勉強頑張ってね」
フフンと鼻で笑いながら部屋を出て行こうとする香里奈。
「ちょっと待った!」
「何よ……前言撤回なんて認めないわよ?」
「香里奈……」
「……な、何?」
「……血は、良いのか?」
「あ……」
「あらあら」
お袋はクスクスと笑みを浮かべ、香里奈は恥ずかしそうに俺の腕に作った切り傷から血を飲んで、帰宅していった。
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香里奈と試験対決をする事は決まったが、俺は特に自分のライフスタイルを変えるつもりは無い。悪意を喰いに街に出る事も止めないし、ちゃんと睡眠時間も確保する。
つまりはいつもと大差ない日常を送るだけだ。変わった事と言えば、教科書を少し見るようになったぐらい、かな?
……そして、1週間が経過した。
国語、数学、英語の3科目だけの中間試験は、たった1日で終了する。そしてその翌日には試験結果と順位も発表されるのだが……
『1位:真田六文 300点』
『2位:辻香里奈 298点』
今回、初めて真面目に試験を受けてみたんだが……案外チョロいもんだな。
「全教科満点って何よーっ!」
香里奈の叫びに同調した、いつもは成績上位の面々が悔しそうな表情で俺を睨んでいる。おぉ、恐い恐い。
「まぁ、結果的には僅差でも勝敗は付いたわけだが……で、負けたら何だっけ?」
「~~~っ!!」
口角が上がり、憎たらしいほどのドヤ顔になっているのは自分でも分かった。たかが筆記試験のランキングに意味など無いと思っていたが、競う相手がいるなら、これはこれで楽しいもんだな。
「おい、六文が1位とか、辻さんの指導でもあったのか?」
「だよな!最近特に仲良くしてるみたいだし……」
「カレカノで1位2位独占とか、どれだけリア充なのよ!」
……外野がうるさいのは変わらないのかよ……
試験が終わり、部活動も再開した。
香里奈はテニス部のエース候補として近々開かれる大会に向けてスイッチを切り換えたようだ。まぁ、人間より優れている身体能力があれば、そしてその力を使いこなす事に慣れれば、大抵のスポーツでもプロとして成功出来るだろう。
……張り切り過ぎて他の部員から変な目で見られなきゃいいがな。
試験期間も終わり、自由になった俺の放課後は、いつものように悪意を喰らいに街に出る。今日の糧は、放っておけば喧嘩を始めそうなヤンチャそうな集団からいただいた。ごちそうさま。
悪意を失った8人は虚空を見つめながらぼぉ~っと突っ立っているが、そのうち自我も戻るだろう。
悪いが、悪意を失った人間のその後に興味は無い。
夕飯までには自宅に戻れるよう、時間を確認しながらそのまま街をブラついて回ったが、今日の収穫、というか、ごちそうと呼べる程の強い悪意を喰らう事は出来なかった。
まぁ、数は喰えて魂の飢えは満たされたんだし、平和な日常は大事にしないとな。
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夕飯も終わり、風呂も済ませ、あとは眠るだけ。
そんな時に、ふと、自分の左手首の腕輪に触れている自分に気が付いた。
「……」
それは俺の『力』を封じているもの。
外そうと思えば、今すぐにでも外す事は出来るが、平穏な日々が続いている現在、この腕輪に施された封を解く必要は無いだろう。
これは俺が俺でいるために必要なのだから。
願わくば、2度目が無い事を祈りながら、この日は就寝した。
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夏休みが間近に迫ってきた7月。
ウチの学園だけに限らず、世の中の多くの学生達はこの2ヶ月近い大型連休をどう過ごすのか、またタップリと出される課題について、色々な計画を考え始める頃だろう。
まぁ俺は大型連休だからこそ出来る、のんびりとした日常を送るつもりなんだが……
「……んでね?出来れば六文君にも応援に来て欲しいんだけど、ダメかな?」
昼飯時。いつものように香里奈が持参した弁当を一緒に食いながら世間話を交わす。その内容は、インハイの前哨戦として、とあるスポーツメーカーが今週の日曜に主催する大会へ香里奈が出場するというものだ。
人間離れした身体能力を持つ俺達にとって、一般的なスポーツで成績を残す事は容易い。だが、まだ普通の人間の感覚が残っている香里奈にとっては、高等部に入って初の公式戦という事もあり、その力をフルで発揮するつもりのようだ。
「応援には……行けたら行ってやるが、あまりやりすぎるよ?」
「うん!分かってるって!」
……絶対分かってないな。やる気に満ち溢れてるじゃんかよ。
まぁそんな感じで今週末に予定が1つ入った、と思ったら、香里奈は他にもアレコレと夏休み中の俺の予定に予約を入れ始めた。
いや、買い物がどうだの、映画がどうだの……そういう事はちゃんとした彼氏とやれば良いと思うのだが。
「はいはい。可能な限り香里奈の暇潰しにも付き合うよ」
「暇潰し、じゃないんだけど……」
「ん?何か言ったか?」
「何でもないっ!」
プイッと横を向く香里奈は少しふて腐れているようだ。何だ?何か地雷踏んだか?
「……それと、お願いなんだけど……」
「ん?……あぁ、はいはい。今日もウチで待ってるから、部活が終わったら来ればいいさ」
吸血鬼である香里奈は、定期的に血を吸う必要がある。そして、それには同じく人外である俺の血、つまり鬼の血は特効薬でもあるのだが……本当に、いつまで経っても血を分けてもらう事に遠慮がちなんだな。俺なんて自分の糧である悪意を喰らう事に、何の迷いも無くなったんだが……
「何か、ごめんね?」
「気にすんなって。香里奈が抱えている問題は理解しているつもりだし、俺だって飢えには逆らえないからな」
「うん……」
申し訳なさそうに弁当のクリームコロッケを口にする香里奈。
血を吸うために定期的にウチに出入りするようになって、お袋から俺の好物を聞き出した香里奈は、こうやって何かしらのお願いする時にはクリームコロッケを弁当に入れてくる。分かりやすいっちゃ分かりやすい。
でも、わざわざそんな事をしなくても、俺は血を与える事を大した問題とは思っていないんだが……
午後の授業は満腹感からくる眠気との戦いだった。教科書を読めば理解出来るだけの授業だなんて、受ける必要は無いと思うのだが、一応俺の成績を上げるように、とお袋から頼まれている香里奈のメンツを保つためにも、何とか睡魔と格闘しながら授業を受けていた。
授業が終われば特に予定も無く、部活動が学外な俺は、とりあえずはいつものように悪意を喰らいに出るつもりでいるが……
キーンコーンカーンコーン♪
授業も終わり、大人しく帰宅しようと教科書やノートをカバンに仕舞っていると、ウチの教室に3年の先輩がやって来た。
ちなみに、ウチの制服はありきたりな学生服なんだが、女子はスカーフの色、男子は首のバッヂの色で学年が分かる。1年は緑、2年は青、3年は赤だ。
「あれ?宮園先輩じゃんか」
宮園雅、高等部3年。男子テニス部のエースでありながらキャプテンも務める、模範的な優等生の1人だ。
「宮園先輩?何か用ですか?」
部活で面識のある香里奈が声をかける。校内にファンクラブがあるとか無いとか、下級生にも人気のある先輩なんだが、ウチのクラスメイトの顔を確認しながら一言発した。
「真田六文君は、いるかな?」
皆の視線が一斉に俺に集まる。何だろう、面倒な予感しかしないんだが……
「……君か」
「はぁ……何の用ですか?」
「聞くところによると、帰宅部だそうだな。この後時間があるのなら少し僕に付き合ってくれないか?」
「……別に良いっすけど」
言質は取った!と言わんばかりの、ニヤリとした笑みを見せ、教室から出て行く宮園先輩。着いて来いって事かな?
廊下を通り抜け、靴を履き替え、運動場の隅にある部室棟までやって来ると、宮園先輩はようやく用件を話してくれた。
「……率直に言おう。辻君と別れてくれ」
「……はい?」
「この1ヶ月程で君達が付き合い出した事は知っている。辻君が部活中に倒れた時から、急速に親密な関係になった事もね」
「いや、あのですね?別に俺と香里奈は付き合ってるわけじゃ……」
「君に辻君は勿体ない!辻君は僕のような模範的な学生と付き合うべきだ!」
……俺の話を聞く耳は持っていないようだな。
ってか、一方的に話を進めている宮園先輩の体からは、黒い悪意が滲み出てきた。これは……嫉妬心、か。ここまで深い嫉妬心は久々に見るな。
「辻君と君の間にどんな繋がりがあるのかは知らないが、君のような不真面目な学生と付き合うより、僕と交際した方が辻君のためにもなると思うのさ!」
……やっぱり面倒な事になったか。
何度も言うが、俺と香里奈は付き合っちゃいない。だが、嫉妬心に染まった宮園先輩はそれを理解するだけの冷静さは無いだろうな。
「さぁ!辻君と別れると宣言しろ!」
「……いただきます」
「へ?」
宮園先輩の悪意を一気に喰らう。
嫉妬心という悪意を失った宮園先輩は、ぼぉ~っと突っ立っているだけだ。
「ごちそうさま……1つ、アドバイスをしておこう。本当に香里奈が好きなら、俺をどうこうするんじゃなくて、香里奈に直接ぶつかれよ……男なら正々堂々と。それが男として通すべき筋なんじゃないのか?」
聞こえているかどうかは知らないが、悪意は喰らった。これでしばらくは嫉妬心から暴走するような事にはならないだろう。
まぁ、人外の力に目覚めている香里奈を、力尽くでどうこう出来るとは思わないけどね。
「……香里奈、隠れてないで出て来いよ」
「……あはは、バレてた?」
少しバツの悪そうな表情を浮かべながら、テニス部の部室の扉を開けて香里奈が入ってきた。ちゃんと一部始終も聞いていたようだな。盗み聞きは良くないぞ?
「人気者も色々と面倒だな?」
「ん~、宮園先輩って部活中は良い先輩だったんだけどなぁ……」
まさか、香里奈と付き合いたいがために意を決した行動で株価が暴落するとは……ご愁傷様です。上場からやり直して下さい。
「……六文君、ごめんなさい。私のせいでまた迷惑かけちゃったね……」
「香里奈が謝る必要は無いだろ」
「でも……」
「俺は気にしちゃいないから。香里奈は香里奈の思うがままに行動しなよ」
「……うん」
「でも、そこに悪意があったら……喰らうからな?」
「私に悪意は無いんだけど……男子の心理は余計に分からなくなった、かなぁ……」
溜め息をはく香里奈。まぁ慕っていた部活の先輩の醜態を見てしまったんだ。そう感じるのも仕方無いよな。
「……でも、諦めないからね!?見ててよ!六文君!」
「ん?お、おぅ」
諦めずに部活に励む。それも学生だから出来る事だよな。俺も、ちゃんと大会の応援に行ってやるかな?
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そして日曜がやって来た。
朝の9時から試合は開始される。そして今回の大会は、高校生から社会人までが参加する、思っていたよりも規模がデカいものだった。
前日、というか、今朝の早朝まで街に出ていたので、まだ少し眠い頭でも応援にやって来たのだが、その甲斐あってか、香里奈は個人戦を順当に勝ち進み、準決勝でゲストプレイヤーであるプロのテニス選手と接戦の末に敗退した。
「お疲れさん」
「六文君、来てくれたんだね!」
「ん~、時間はあったし……香里奈と約束したからな」
「うん……ありがと」
「……それで、満足は出来たのか?」
今回の大会は、香里奈が人間社会でどう生きていくかの分岐点になるだろう。
何度も言うが、俺達の身体能力は非常に高い。それを活かせばプロのスポーツ選手になるのも大した苦労ではない。
「満足は……少ししてるかも。テニスを始めてたった2年ちょいでここまでの成績を残せるんだもん……でも、底上げされた身体能力があっても、まだプロには勝てない。まだまだ上を目指せるって事だよね!」
「まぁ、そうとも言えるな」
「こうなったら、私、プロのテニスプレイヤーを目指してみるよ!」
「そっか……まぁ頑張れや」
眩しいな。
負けた直後でも、香里奈はまだまだ前向きだった。人間ではない事を受け入れ、それでも人間社会で生きようとする熱意は、今の俺には無いものだ。
植物は日当たりの良い場所だとよく育つが、強過ぎる直射日光に当たり過ぎると、葉焼けして弱ってしまうらしい。
もうすぐ本格的な夏が来る。強い光にあてられて焼け過ぎないよう注意しておこう。
亀更新&駄文にお付き合い下さり、ありがとうございます。