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資本家  作者: ドライサーの小説の翻訳作品です
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第50章-第56章

第五十章

 



クーパーウッドが出頭すればいい月曜日まで保安官側からは何の動きもない、という知らせをシュテーガーが持ってきてくれたおかげで問題が簡単になった。これで考える――ゆっくりと家庭の問題を調整する――時間ができた。両親を慰めがてらこのニュースを報告し、家族がもうすぐ引っ越さねばならないもっと手狭な家に関係する問題をさっさと片付けようと弟や父親と一緒に話し合った。潰れかけの会社のさまざまなメンバーの間で、細かいことに関する多くの協議があった。クーパーウッドはシュテーガーと打ち合わせたり、デービソン、リー、ジェイ・クック商会のアベリー・ストーン、ジョージ・ウォーターマン(昔の雇用主のヘンリーは死去)、前政権と共に退陣した前州財務官のヴァン・ノーストランドなどと個別に会ったりして多忙だった。今や刑務所行きが本当に迫っていたので、金融界の仲間に結集してもらい、彼らの力で自分が出所できるよう知事に働きかけてもらえないか確かめたかった。州最高裁判事の間で意見が割れたことが、クーパーウッドの弁明であり強みだった。シュテーガーにはこれを進めてほしかった。自分の役に立ちそうなありとあらゆる人――今も三番街で営業しているティグ商会のエドワード・ティグ、ニュートン・ターグール、アーサー・リバース、繊維で名をあげ今や大富豪のジョセフ・ジマーマン、ジャッジ・キッチン、ハリスバーグ金融界の前代表テレンス・レリイハン、その他大勢――に会おうとする努力を惜しまなかった。


レイリハンには報道機関と接触して彼らの態度を自分を釈放する方向に再調整できないか確認してほしかった。ウォルター・リーには富裕層などの重要人物全員が名前を連ねた請願書を作成して、自分の釈放を知事に求める活動の陣頭指揮を取ってほしかった。レイリハンやその他大勢と同様に、リーは気持ちよくこれを引き受けた。


あとはアイリーンと再会する以外、本当に何もすることがなかった。他の難問や責務が山積する中で時には無理だと思うこともあったが――それでもなし遂げた――無知なくせに包容力にあふれる彼女の愛に癒やされ慰められたくて仕方がなかった。この頃のアイリーンの目は! その中で強く輝いたのは、クーパーウッドと彼の幸せ求める熱く燃える思いだった。彼が――あたしのフランクが責め苦を味わわされるだなんて! ああ――クーパーウッドが何を言おうが、どんなに勇ましく明るく話をしようが、アイリーンはお見通しだった。もう信じて疑わないが、自分がクーパーウッドを愛したことが、彼が投獄されようとしている主な原因だった。父親のひどい仕打ち! 敵の小物ぶり――たとえばあの愚かなステーネルのことは新聞で写真を見たことがあった。現にアイリーンはフランクを前にするといつも得体の知れない苦悩に苛まれた――フランクを――自分の強くてハンサムな恋人を――世界一強くて勇敢で賢く優しくハンサムな男性を、慕ってやまなかった。でもアイリーンは知らなかった! クーパーウッドは、アイリーンの目を見て、この理屈の通じない、しかし彼にとってはとても心地よい情熱を理解し、微笑み、感動したのである。そういう愛を! 犬が飼い主に抱く愛、子供に対する母親の愛。どうしてクーパーウッドそんなものを呼び覚ましたのだろう? 彼にはわからなかったが、それはすばらしかった。


そして今、この最後の試練のときにクーパーウッドはアイリーンに会いたくてたまらなかった――そして会った――有罪宣告から上告棄却までの自由でいられたその月の間は少なくとも四回会った。クーパーウッドはアイリーンと――アイリーンはクーパーウッドと――会う最後のチャンスをつかんだ――この最後の時間は刑務所に入る直前――刑期が始まる月曜日の前の土曜日――だった。最高裁の判決があってからはアイリーンと接触しなかったが彼女から私書箱に宛てた手紙は受け取っていて、キャムデンの小さなホテルに土曜日の予約をいれた。そこなら川向こうだからフィラデルフィアのどこよりも安全だとクーパーウッドは判断した。月曜日後はすぐに自分には会えないかもしれないのをアイリーンはどう受け止めるか、また、好きなだけ話ができない場所に自分が行ったらアイリーンはいったいどういう行動をとるだろうか、少し気がかりだった。だからこそアイリーンと話がしたかった。しかしクーパーウッドはこの時アイリーンにはすまない気持ちでいっぱいだったが、予期したとおり、また恐れていたとおり、アイリーンは少なくともこれまで以上に、いやはるかに語気を荒らげて言った。クーパーウッドが遠くから近づいてくるのを見るとアイリーンは、彼女だけが彼にとれるあの率直な力強い態度で、クーパーウッドが楽しみにして称賛したある種の男のような性急さで、会おうと進み出た。首に抱きつくようにしてアイリーンは言った。「ねえ、あなた、説明なんかいらないわよ。この前の朝、新聞で見たから。気にすることないわ、あなた。愛してる。あなたのことを待ってます。十二年待つことになったって、あたしはあなたと一緒よ。百年かかったってあたしはへっちゃらだわ。ただあなたはお気の毒ね、フランク。この先もあたしはずっとあなたと一緒にいて精一杯愛し続けるわ」


アイリーンはクーパーウッドを撫でた。一方、クーパーウッドは、自分が落ち着いていることと、アイリーンに関心と満足を抱いていることをいっぺんに示すあの物静かな態度で相手を見た。アイリーンを愛さずにはいられなかった。愛さずにいられる者がいるだろうかと考えた。アイリーンはとても情熱的で、活動的で、欲望に正直だった。クーパーウッドは今これまで以上にそんな彼女にただただ感服するしかなかった。何しろ自分の知力をもってしても文字通り彼女だけはまったく支配できなかった。アイリーンは、彼が冷静に厳しくはねつけても、まるで彼が自分の特別な所有物、おもちゃででもあるかのように、立ち向かっていった。アイリーンはいつも、特に興奮したときに、まるで彼が赤ん坊かペットででもあるかのように話しかけた。クーパーウッドは時々、アイリーンはこの自分を精神的に圧倒している、従属させている、アイリーンはとても個性的であり、女性としての自分の真価を確信している、と感じることがあった。


このときアイリーンは、まるで彼が失意のどん底にいて、彼女の精一杯の気遣いと優しさを必要としているかのようにしゃべり続けたが、クーパーウッドは全然そんな状態ではなかった。なのにそのときアイリーンはクーパーウッドに、彼がそんな状態であるかのように実際に感じさせた。


「そんなにひどくはないんだよ、アイリーン」クーパーウッドがわざわざ言う始末だった。アイリーンは心配なのに、彼はいつになく穏やかで優しかった。しかしアイリーンは相手に構わず力強く続けた。


「あら、ひどいわよ、あなた、わかってるんだから。かわいそうなフランク! でもあなたにはあたしがついてるわ。どうなったって何とかするから。あそこってどのくらいの頻度で囚人に面会させてくれるの?」


「三か月に一度だけという話だ。でも入所したらこっちで調整できると思う。ただきみはすぐにでも面会しようと思ってるのかい、アイリーン? 今がどんな状況かわかってるはずだ。しばらく時間をおいた方がいいんじゃないか? お父さんを刺激する危険があるんじゃないかな? お父さんが機嫌を損ねたら大騒ぎになるかもしれないからね」


「三か月にたった一度ですって!」クーパーウッドが説明し始めたとたんにアイリーンは語気を荒らげて叫んだ。「ねえ、フランク、嫌よ! 絶対にお断りよ! 三か月に一度だなんて! ああ、そんなの耐えられないわ! 従うもんですか! 所長に直談判してやる。そうすれば会わせてもらえるわよ。所長に話せば、きっと承知するわ」


アイリーンは興奮してすっかり息を切らしているのに長話をやめそうになかった。クーパーウッドは割って入った。「きみは自分が何を言っているのか考えてないね、アイリーン。きみは考えていないんだ。お父さんこのことを忘れちゃいけないよ! 家族のことを忘れちゃいけない! お父さんはあそこの所長と知り合いかもしれないよ。きみだって、私に会いにあそこに通っていることを町中に知られたくないだろ? お父さんが邪魔をするかもしれないよ。それにきみは小さな政党の政治家ってものを私のようにはわかってない。あいつらはね、婆さんみたいに言いふらすんだぞ。やることと、やり方にはせいぜい用心しないといけないよ。私はきみを失いたくはないんだ。きみには会いたいよ。でもきみは自分がしていることに注意しなくちゃいけないね。すぐに私に会おうとしちゃ駄目だ。私だってきみに会いに来てほしいけど状況を見極めたい。きみも見極めてほしい。きみが私を失うことはないんだ。私はちゃんとそこにいるんだからね」


そこにあるにちがいない鉄の独房の長い列を思い浮かべたのかクーパーウッドは口をつぐんだ――そのうちの一つが自分のものだ――刑期はどのくらいだろう?――アイリーンとの面会は独房の扉越しだろうか中に入れるのだろうか。他のことをあれこれ考えていたにもかかわらず同時に、今日のアイリーンは何てチャーミングに見えるのだろう、と考えていた。いつ見ても何て若くて力強いのだろう! クーパーウッドがじきに円熟の盛りにさしかかろうというのに、アイリーンはまだわりと若い娘であり、相変わらず美しかった。当時としては珍しいバッスルスタイルの白と黒の縞模様のシルクのドレスを着て、赤みをおびた金髪のてっぺんに小さなアザラシ皮のキャップをおしゃれにのせて、アザラシの毛皮製品一式を身につけていた。


「わかってる。わかってるわよ」アイリーンはしっかりと答えた。「でも三か月よ! フランク、無理だわ! 冗談じゃない! ばかげてる! 三か月だなんて! もしうちの父があそこで誰かに会いたければ三か月も待つ必要はないし、他の人だって父がお願いすれば同じだと思うわ。だからあたしも待ったりしない。何とかしてみるわよ」


クーパーウッドは笑わざるをえなかった。アイリーンはそう簡単に挫けなかった。


「でも、きみはお父さんじゃないからね、アイリーン。それにお父さんには知られたくないだろう」


「そんなことわかってる。でも、あたしが誰なのかを相手が知る必要はないでしょ。しっかりベールで隠して行けばいいのよ。所長は父を知らないと思うわ。知ってるかもしれないけど。とにかく所長はあたしを知らないわ。もし知っていたとしても、あたしが話をすれば告げ口したりしないわよ」


自分の魅力、個性、世俗的な特権に対するアイリーンの自信は、何ものにも支配されない自分本位なものだった。クーパーウッドは首を傾げた。


「きみという女性は最高でありながら最悪でもあるからね」クーパーウッドはアイリーンの頭を引き寄せてキスをしながら優しく言った。「いずれにしても私の言うとおりにしないと駄目だよ。シュテーガーという弁護士がいるんだ――知ってるよね。彼がこの件で所長と打ち合わせをすることになっている――今日やってるんだ。調整できるかもしれないし、できないかもしれない。明日か日曜日にはわかるから手紙を書くよ。知らせを耳にするまで先走ったり無茶はしないこと。面会の制限は半分に抑えられると思う。多分月に一回か二週間に一回程度にね。手紙は三か月に一回書くことを認めてるだけだからね」――アイリーンは再び憤慨した――「その辺は改められるはずだ――多少はね。でも連絡がいくまで手紙は書いちゃ駄目だ、少なくとも名前や住所は書かないこと。手紙はすべて検閲されるからね。私に面会したり手紙を書いたりするのなら、用心しないとね。きみは世界一用心深い人とはいえないからな。これからはちゃんとするかい?」


二人はもっとたくさんの話をした――彼の家族のこと、月曜日に出廷すること、依然として係争中の訴訟に出席するためにすぐに出ることになるのか、恩赦がくだされるのか。アイリーンは今でも彼の将来を信じていた。彼を支持した反対派判事の意見書にも、彼を支持しなかった三名の賛成派判事の意見書にも目を通していた。フィラデルフィアで彼の時代が終わるわけではない、いつか返り咲いてどこか他の地へ自分を連れて行ってくれると信じていた。クーパーウッド夫人にはすまないと思ったが、夫人はフランクにふさわしくない――フランクに必要なのは自分のような相手だ、若くて美しくて力強い女性だ――自分しかいないと確信していた。別れの時間が来るまでアイリーンは恍惚と彼に抱きついたまま離れなかった。正しい修正ができない状況でも処遇が調整できる限り、行われたのである。最後の瞬間、クーパーウッドもそうだったが、アイリーンは別れが辛くてひどく落ち込んだ。しかしいつもの力で気を引き締めて、ゆるぎない眼差しで暗い将来と向き合った。






 

 

第五十一章

 



月曜日が来た。これでいよいよお別れだった。できることはすべてやった。クーパーウッドは両親、弟たち、妹に別れを告げた。妻とはかなりよそよそしい常識的で平凡な話をした。息子と娘には特に別れの言葉をかけなかった。月曜日に行かねばならないと知ってからは木金土日の夜帰宅したときに、とびっきり優しく少し子供に話しかけて思いを込めた。自分の日頃の道徳に適ったあるいは適わない態度が、おそらく子供たちに一時的に悪影響を及ぼしているかもしれないと思ったが、かといって確証とまではいかなかった。ほとんどの人は甘やかされようが、チャンスを奪われようが、割りと順調に人生を歩んでいる。何が起ころうと、この子たちは多分多くの子供たちと同じように順調に成長するだろう――とにかく助けられるのであればお金の面で彼は子供たちを見捨てるつもりはなかった。子供たちから妻を、妻から子供たちを引き離したくなかった。子供たちの面倒は妻が見るべきだ。子供たちには妻と一緒に幸せでいてほしかった。子供たちが妻と一緒ならどこででもいいから時々会いたかった。ただ妻子があっても、別れて、アイリーンとの新しい世界、新しい家庭を築く自分だけの自由が欲しかった。だからこの最後の日々、特にこの最後の日曜の夜は、子供たちとの別れが迫っていることをあまり全面に出し過ぎないようにして息子と娘を存分にかわいがった。


「フランク」クーパーウッドはこれを機会に目に見えて無気力な息子に言った。「しゃきっとして、大きくて強い健康な人間になる気はないか? ちゃんと遊んでないだろ。男の子たちの仲間に入ってリーダーになったらいい。どこかの体育館で体を鍛えて、どれだけ強くなるか試してみたらどうだ?」


家族はヘンリー・クーパーウッド邸のリビングにいた。この時はみんながかなり意識してそこに集まった。


大きな読書テーブルを挟んで父親の真向かいにいた娘のリリアンは、父親と兄とをじろじろと観察した。子供たちは、父親の問題と現在の窮状を知らずにすむように、しっかり保護されてきた。父親は一か月くらい旅行にでも出かけるのだと考えていた。リリアンは去年のクリスマスにプレゼントされたお話の本を読んでいた。


「お兄ちゃんは何もやんないもん」本から顔を上げて、彼女にしては妙に手厳しく口を挟んだ。「だって、わたしがやろうって言っても一緒にかけっこしてくんないもん」


「へっ、おまえなんかと誰がかけっこしたがるもんか?」フランク・ジュニアがふてくされて言い返した。「ぼくがおまえとかけっこしたくたって、おまえは走れないじゃないか」


「わたしが走れない?」妹は答えた。「お兄ちゃんなんか負かっしゃうもんね」


「リリアン!」母親はたしなめる調子で言い聞かせた。


クーパーウッドは微笑んで、いたわるように息子の頭に手を乗せた。「大丈夫だ、フランク」その耳を軽くつまんで声をかけた。「心配するな――努力すればいいんだ」


息子は期待したほどいい反応を示さなかった。夕方遅くなった頃クーパーウッド夫人は、夫が娘の華奢なウエストをつかんで抱っこしたりカールした髪をそっと引っ張ったりするのに気がつき、思わずやきもちを焼いてしまった。


「お父さんがいない間も、いい子にしていられるかい?」クーパーウッドはこっそり娘に言った。


「はい、お父さん」娘は明るく答えた。


「いい子だ」クーパーウッドは答えると、かがみ込んで優しく口にキスをして「ボタンのような目だ」と言った。


夫が行ってしまうとクーパーウッド夫人はため息をついた。「子供たちのことばかりで、私のことは全然相手にしないのね」リリアンは思ったが、子供たちにしたってこれまでそれほどちやほやされてきたわけではなかった。


この最後の時間にクーパーウッドが母親にとった態度は、この世界で彼が示せるどれにも引けを取らない優しくて思いやりがあるものだった。クーパーウッドは母親の気遣いのきめ細かさや、母親が自分のことや他のいろいろなことでどれほど苦しんでいるかをはっきりと理解していた。幼い頃、親身に面倒を見てくれた恩を忘れたことはなかった。母親が老後にこんな不幸な運命に遭わないためにできることがあったら何だってしただろう。こぼれたミルクを嘆いても仕方がなかった。勝負が決まる瞬間に強い感情を出さないことはクーパーウッドでも時にはできないことがあった。しかしやるべきことは、耐え忍ぶこと、それを表に出さないこと、何が待ち構えていようとも弱音を吐かず、あきらめよりも自分で何とかしようという構えで自分の道を進むことだった。それが今朝のクーパーウッドの態度であり、周囲の者に期待したことだった――実は彼自身の態度によってそう仕向けられたようなものだった。


「では、お母さん」クーパーウッドは別れ際に優しく言った――妻も妹も裁判所に来させるつもりはなかった。来たところで自分はどうってことなかったし、無駄に二人の心を傷つけるだけだと言い続けた――「行ってきます。心配はいりません。元気でいてくださいね」


クーパーウッドは母親のウエストに腕をまわした。母親は延々と人目もはばからずあきらめの心境で抱きついてキスをした。


「行っておいで、フランク」母親は送り出すときに、むせびながら言った。「神の祝福を。祈ってますからね」クーパーウッドはそれ以上母親に注意を払わなかった。あえて払わなかった。


「さようなら、リリアン」妻に明るく優しく声をかけた。「数日で戻ると思う。公判手続きのいくつかに出ることになるだろうからね」


妹に言った。「じゃあね、アンナ。他の連中をあまり落ち込ませないようにしてくれよ」


「三人とは後で会いましょう」父親と弟たちに告げると、当時最高のファッションで身を固めたクーパーウッドはシュテーガーの待つ応接間に急いで家を出た。彼を送り出すドアが閉まる音を聞いた家族は、胸を刺すような寂寥感に襲われた。母親は泣き、父親は一番の親友を失ったように見えながらも自分を抑えてこのくらいの問題なら何でもないと見えるように精一杯努力し、アンナはリリアンに気にしないように言い、リリアンは何を考えていいのかわからないまま黙って未来を見つめて、しばらくその場に立っていた。確かに、まぶしい太陽がその地にも出てはいたが、とても悲しそうだった。






 

 

第五十二章

 



クーパーウッドが刑務所にたどり着くとジャスパースがいてうれしそうに出迎えたが、うれしかったのは主に保安官としての自分の評判を損なうことが何も起こらなかったとほっとしたからだった。裁判所の問題は一般的に緊急性が高いため、法廷に向かう出発時刻は九時に定められた。クーパーウッドがペイダーソン判事の前に無事に連れ出されてその後で刑務所に連行されるのを見届けるために再びエディー・ザンダースが遣わされた。所長に引き渡すために事件の記録が全て彼に預けられた。


「ご存じでしょうが」ジャスパース保安官はシュテーガーに打ち明けた。「ステーネルもここにいるんです。今や文無しですが、それでも個室を提供してやりました。ああいう人は独房に入れたくありませんのでね」ジャスパース保安官はステーネルに同情的だった。


「ごもっともですね。いい話をうかがいました」シュテーガーはにんまりして答えた。


「聞いた話からすると、クーパーウッドさんはここでステーネルとは会いたくないでしょうから遠ざけました。ジョージは一足先に別の副保安官と出かけました」


「ありがとうございます。願ってもない話です」シュテーガーは答えた。クーパーウッドのために保安官が随分気を利かせてくれたのがうれしかった。ステーネルはひどい目に遭って財産を失っていたが、明らかにジョージと保安官はとても仲良くやっていた。


クーパーウッドたちは大した距離ではないので徒歩で行った。道中は深刻な話題は避けて割りと単純なことばかり話した。


「事態はそんなに悪い方向には進みませんよ」エドワードは父親に言った。「知事はきっと一年以内にステーネルを赦免するってシュテーガーが言ってます。もしそうならフランクにもそうするに決まってます」


ヘンリー・クーパーウッドは何度もこの話を聞いていたが、決して聞き飽きなかった。これはまるで赤ん坊があやされて眠る単純な子守唄だった。この時期にしてはよく積もった雪、快晴の始まりを告げるこの日のすばらしさ、法廷は満席にならないという期待、父親と二人の息子はそんなことばかり気にしていた。ヘンリー・クーパーウッドはただの気休めに、冬なのに元気だなと感心して、パンの欠片の取り合いをしているスズメを話題にした。クーパーウッドはシュテーガーとザンダースと連れ立って前を歩きながら、自分の仕事関連の裁判が迫っていることやその対応の仕方について話をした。


裁判所に着くと、数か月前に陪審の評決を待ったのと同じ狭い小部屋が、クーパーウッドを迎えようと待ち構えていた。


ヘンリー・クーパーウッドと他の息子たちは法廷内で適当な場所をさがした。エディ・ザンダースは自分が担当する相手と残った。室内にはステーネルとウィルカーソンという副保安官がいた。しかしステーネルとクーパーウッドは互いに見て見ぬふりをした。フランクはかつての仲間と話すことに抵抗はなかったが、ステーネルが気まずく面目なさそうにしているのが見て取れた。だから目もくれず何の言葉も交わさずにその場をやり過ごした。約四十五分の退屈な待ち時間が過ぎたあとで、法廷に通じるドアが開き、廷吏が入ってきた。


「囚人全員に判決を言い渡す」廷吏は叫んだ。


クーパーウッドとステーネルを含めて、全部で六人いた。そのうちの二人は深夜に現行犯で逮捕された共謀の押込み強盗だった。


もう一人の囚人はただの平凡な馬泥棒だった。二十六歳になる青年が雑貨屋の馬を盗んで売り飛ばしたとして陪審に有罪判決を下されていた。最後の男は、背が高くて、よろよろと歩く、無学で、はっきりとした考えのない黒人だった。男は材木置き場で見つけた明らかに捨ててあった鉛管一本を持ち去った。売るか酒とでも交換する了見だった。本来ならこの裁判所の領分ではないが、土地の管理を任されていた小振りのアメリカ人警備員に捕まってしまい、最初に罪を認めず、自分がどういうことになるかを全く理解しないまま必然的に身柄を拘束されて、この法廷で裁判を受ける羽目になった。その後考えを改めて罪を認めたので、今度はペイダーソン判事の前に来て判決か訴えの却下を言い渡されねばならなかった。男が最初に連れてこられた下級審は、裁判で身柄を上級審に送致したことで管轄権を失っていた。クーパーウッドを先導し指導する役目を自認していたエディ・ザンダースは、待っている間にこの情報のほぼすべてを教えていた。


法廷は満員だった。こんな連中と一緒にこんなふうに通路に並ばされるのはクーパーウッドにとって大変な屈辱だった。後続のステーネルは身なりこそ立派だったが見るからに病人で悄然としていた。


チャールズ・アッカーマンという黒人が列の先頭だった。


「何だってこんな男が私の前に現れるのかね?」アッカーマンが盗んだとされるものの資産価値に目がとまると、ペイダーソン判事は不機嫌に尋ねた。


「裁判長」すぐに地方検事補が説明した。「この男は酔っていたか何かのせいで、下級審で罪を認めませんでした。原告が告訴を取り下げようとしなかったので、下級審は審議のためこの法廷に送らざるを得ませんでした。その後、男は考えを改め、地方検事に罪を認めました。他にやりようがないのでもない限り、ここに出て来るような輩ではありません。予定を片付けねばなりませんから、こうしてここに来ることになった次第です」


ペイダーソン判事は訝しげに黒人を見つめた。黒人は明らかにこの審理にあまり動揺しておらず、普通の犯罪者ならその前で直立して脅えている出入口だか柵にくつろいで寄りかかっていた。男はこれまでにもあれやこれやの罪で――泥酔や治安紊乱行為などで――警察裁判所判事の前に出たことがあった。しかし男の態度は一貫して、よろよろ歩くとか、無気力とか、笑いを誘う無邪気なものだった。


「さて、アッカーマン」判事は厳しく尋ねた。「ここに起訴されたとおり、あなたはこの鉛管一本――四ドル八十セント相当を盗みましたか、盗んでいませんか?」


「はあ、盗みました」アッカーマンは証言を始めた。「どうだったかっていいますとね、裁判長。ある土曜日の午後、材木置き場を通りかかったんです。俺はずっと仕事をしてなかったもんでね。すると柵越しに中に鉛管があるのが見えたんで、そこで見つけた木のきれっぱしを使って、引き寄せて、とったんです。後でこの警備の人が」――男は雄弁に手を証人席にかざした。裁判長が何か質問をしたがる場合に備えて原告がそこに控えていた――「俺の住んでるところに来て、そいつをとったと言って俺を訴えたんです」


「でもあなたはそれをとったんですよね?」


「はあ、とりました」


「それをどうしましたか?」


「二十五セントと交換しました」


「つまり、それを売ったわけですね」裁判長は訂正した。


「はあ、売りました」


「そういうことをすることが悪いことだとわからないのですか? 柵ごしに鉛管を自分の方へ引き寄せたとき、自分が盗みをしているとわかっていたんじゃないですか? わかっていませんでしたか?」


「はあ、悪いことだとわかっとりました」アッカーマンはおどおどして答えた。「盗んでいるとは思わなかったけど、悪いことだとはわかっとりました。やっちゃいかんとわかってたと思います」


「もちろん、わかっていたんですよ。もちろん、あなたはわかっていた。そこが問題なんです。あなたは自分が盗みをしているとわかっていた。その上で、とったんです。この黒人が鉛管を売った相手の男はもう逮捕されたんですか?」裁判長は地方検事に鋭く問いただした。「逮捕されて当然だ。そいつはこの黒人より罪が重い。何しろ盗品を受け取った相手ですからね」


「はい」補佐官が答えた。「その件はヤウガー判事が担当しております」


「ならばよろしい。そうあるべきですね」ペイダーソン判事は厳しく答えた。「盗品を受け取るのは、私の判断では最悪の犯罪行為です」


それから判事は再びアッカーマンに注意を向けた。「さて、いいですかな、アッカーマン」こんなつまらない事件に煩わされなくてはならないこと苛立ちを覚えて判事は声を大にした。「あなたに言っておきたいことがある。私の言うことを心して聞いてもらいたい。そこで、きちんと立ちたまえ! 入口に寄り掛かるな! あなたは今、法の裁きを受けとるんですぞ」アッカーマンは後ろの柵の出入口から身を乗り出して誰かに話しかけるような格好で、両肘をつき、手足を伸ばしてくつろいでいたが、これを聞くと、相変わらず馬鹿みたいに申し訳なさそうににやついてはいたが、すぐ姿勢を正した。「あなたはそんなに鈍感じゃないんだから、私が言おうとしていることくらい理解できますね。あなたが犯した罪、鉛管一本だろうと盗めば犯罪なんです。聞いてますか? 刑事犯ってものに私は厳罰を下せるんですよ。私がその気になればあなたを一年間刑務所へ送ることだってできるんです――私がそうしてもいいと法律が言っているんです――鉛管一本を盗んだ罪で一年の重労働ですよ。さあ、もしあなたに分別があるんなら、私が話すことにちゃんと注意を払うことですね。私はただちにあなたを刑務所に送るつもりはありません。少し猶予を与えましょう。懲役一年を宣告します――一年ですよ。わかりますか?」アッカーマンは少し青ざめて神経質に唇をなめた。「その上でその判決をひとまず保留します――あなたの頭上に留め置くんです。もしこの先あなたが何か他のものをとって捕まったら、今回の犯行と次回の犯行を同時に適用して処罰されるようにね。わかりましたか? 私の言ってる意味がわかりますか? 答えてください。どうなんですか?」


「はい! わかります、裁判長」黒人は答えた。「今回は釈放する――ってことですね」


傍聴人は笑いをこぼした。判事は苦笑いを見せまいと顔をしかめた。


「他に何も盗まなければ、あなたを自由にします」判事は怒鳴った。「何か他のものを盗んだ瞬間にあなたはこの法廷に逆戻りです。それから一年とさらにいくらでもあなたにふさわしい刑期が加わってあなたは刑務所へ行きます。わかりましたか? では、この法廷からさっさと出て行って行動を慎むんですよ。どんなものであれ盗みをしてはいけません。仕事に就きなさい! 盗みはいけませんよ、いいですね? 自分の持ち物でないものには一切手を触れないことです! ここに戻って来ることのないように! もし戻って来たら刑務所に送りますよ、絶対に」


「はい! いたしません、裁判長」アッカーマンはおどおど答えた。「自分のものでないものは何もとりません」


やがてアッカーマンは廷吏の手招きにせかされて足をひきずりながらそこを離れ、その素朴さとペイダーソンの態度の過剰な厳しさに向けられた微笑みと笑いが入り交じる中を抜けて、無事に法廷の外に連れ出された。しかし次の事件が呼び出されて、たちまち傍聴人の関心を引きつけた。


二人組の強盗の事件だった。クーパーウッドはかなり注目してこれを研究してきたし今でも研究を続けていた。これまで生きてきて、いかなる種類の刑の宣告場面も目撃したことがなかった。警察やいかなる刑事裁判所とも無縁で、民事裁判にもほとんど出たことがなかった。クーパーウッドは黒人の釈放をうれしそうに見送り、ペイダーソンには――意外と――良識も情けもあると信じてしまった。


もしかしたらアイリーンが来ているかもしれないとクーパーウッドはふと思った。来ることに反対はしたがアイリーンなら来かねなかった。現に一番後ろで、入口付近の人混みにまぎれて、厚手のベールをかぶって、アイリーンは来ていた。考えたところで、愛する人の運命を一刻も早く確実に知りたい――本当に苦しんでいるときに近くにいたい――という欲求にあらがいきれなかった。クーパーウッドが普通の犯罪者の列に入れられて連行され、こんな、彼女にすれば恥ずかしい公衆の面前で待たされるのを見て大層憤慨したが、こんな場所でさえ彼の存在が堂々として群を抜いているのでますます感服せずにいられなかった。見たところ青ざめた様子さえなく、彼女が知るいつもの彼と同じように動じることなく落ち着いていた。もし今、クーパーウッドが彼女だとわかったら、クーパーウッドがそっちを見ただけで、アイリーンはベールをあげて微笑んだだろう! しかしクーパーウッドはそうしなかった。するつもりもなかった。こんなところでアイリーンに会いたくなかった。でもアイリーンは今度会ったときに、このことを全部話すつもりだった。


二人組の強盗は判事に手際よく処理されてそれぞれ一年の刑を宣告された。二人は納得しない様子で、明らかに自分たちの罪や将来をどう考えていいかわからないまま連れ出された。


クーパーウッドの呼ばれる番がくると判事は気を引き締めて姿勢を正した。これは違うタイプの男で、一筋縄でいく相手ではなかった。判事は自分がこれから言うことを正確にわかっていた。バトラーの親友のモレンハウワーの代理人が、クーパーウッドとステーネルは両名とも刑期は五年が妥当だと言ったときに、判事はやるべきことを正確に理解した。「フランク・アルガーノン・クーパーウッド」事務官が呼び出した。


クーパーウッドは元気よく前に踏み出した。我ながら情けなく一応自分の境遇を恥じていたがそれを顔にも態度にも出さなかった。ペイダーソンは他の囚人にしたようにクーパーウッドを見つめた。


「名前は?」裁判所速記官が役目を果たせるように廷吏が尋ねた。


「フランク・アルガーノン・クーパーウッドです」


「住まいは?」


「ジラード・ストリート一九三七です」


「職業は?」


「銀行と仲介業です」


傍らにはシュテーガーが控えていた。威風堂々たる態度で、その時が来たら法廷と市民に向かって最終弁論をぶちかます覚悟でいた。入口近くの人混みではアイリーンが生まれて初めて緊張して指を噛み、額に大粒の汗を浮かべていた。ヘンリー・クーパーウッドは興奮のあまり緊張し、二人の弟たちはすぐに顔をそむけて必死に不安と悲しみを隠そうとした。


「これまでに有罪判決を受けたことはありますか?」


「一度もございません」クーパーウッドに代わってシュテーガーが静かに答えた。


「フランク・アルガーノン・クーパーウッド」事務官が前に出ながら鼻にかかった抑揚のない声で名前を呼んだ。「今判決が言い渡されるべきではない理由が何かありますか? あれば申し出てください」


クーパーウッドは、ないと言いかけたが、シュテーガーが手をあげた。


「裁判所がお望みとあらば申し上げますが、私の依頼人クーパーウッドさん、そこの被告人席におります者は、本人の意見もペンシルバニア州最高裁判所――この州の最後の砦となる裁判所――の五分の二にあたる意見も、いずれも有罪ではありません」シュテーガーはそこにいる全員に聞こえるように大声ではっきりと叫んだ。


この時、関心を持って見守っていた一人がエドワード・マリア・バトラーだった。別の法廷で判事と話をしていてちょうどそこからやって来たところだった。クーパーウッドに判決が下されようとしているとご機嫌取りの廷吏が知らせてくれた。この刑の宣告を聞き逃さないために本当は朝からここに来ていたが、別の用事を設けてその動機を隠していた。アイリーンがここにいることは知らなかったし会ってもいなかった。


「本人が自分の裁判で証言したように」シュテーガーは続けた。「そして証拠がはっきり示したように、クーパーウッドさんはその後この法廷でその犯行が裁かれた人物の代理人に過ぎません。そして代理人として彼が六万ドル相当の市債の証書を、地方検事を通して行動している人々が彼がそうすべきだったと訴えた時期に、その方法で預けなかったことは、自分の権利と特権の範囲内である、と今も主張しておりますし、州最高裁判所の五分の二も彼を支持しています。私の依頼人は類まれな金融手腕の持ち主です。裁判長に提出された彼のためのさまざまな書簡をご覧になれば、彼がその特別な世界きっての実力者や高名な方々の大多数の尊敬や共感を集めていることがおわかりいただけるでしょう。立派な社会的地位を築き、数々の偉業を成し遂げた人物ですからね。何の前触れもない無情な運命の一撃に過ぎないものが、彼を今日みなさんの前に連れ出したのです――完璧で安全な性格の金融資産をも巻き込んだ火事とその結果生じたパニックがです。陪審の評決と州最高裁判所の五分の三を占める判決があったわけですが、私は私の依頼人が横領犯ではないこと、窃盗罪を犯してはいないこと、絶対に有罪が宣告されるべきではなかったこと、犯してもいない罪で今処罰されてはならないことを主張いたします。


この状況で、私が言ったことが事実だと指摘しても、裁判長は私もしくは私の真意を誤解しないと信じています。私は裁判所の信用に傷をつけたくありません。それはどの裁判所、司法手続きのどんなものであれ同じです。しかし私は、素人の頭では簡単に理解できないいかにもそれらしい状況を作り出して、私の著名な依頼人を司直の手に委ねてしまった数々の出来事の不幸な連鎖を、糾弾し残念に思います。これを今この場で、最後に公然と述べられてよかったと思います。裁判長には寛大なご判断をお願いします。もし良心に照らしてこの公訴を棄却できないのであれば、せめて私が示した事実が、科される処罰の量刑に正しく加味されるようお計らいください」


シュテーガーは引き下がった。ペイダーソン判事は、著名な弁護士の言い分はしかと聞き届けたとばかりにうなずいた。功罪に見合う配慮をするつもりだった――それだけのことだった。それからクーパーウッドの方を向いた。裁判官の威厳を総動員して援軍に加えながら始めた。


「フランク・アルガーノン・クーパーウッド、あなたは自ら選んだ陪審に窃盗罪で有罪を宣告されました。あなたの博学な弁護人があなたのために提出した再審請求は慎重に検討されて却下されました。法律と証拠の両面から有罪判決が妥当であると裁判官の過半数が完全に確信しています。あなたの犯罪の重大さは並大抵のものではありません。あなたの得た巨額のお金が市のものであるだけになおさらです。それに加えて数十万ドルの市債と市の公金を不法に使用し、私的に流用した事実により、状況はさらに悪化しました。このような犯罪には法律で定められた最大の刑ですら極めて慈悲深いといえます。それでも、あなたのこれまでの立派な立場に関係する諸々の事実と、あなたが破産するに至った事情と、あなたの多数の友人と金融関係者の訴えには、当裁判所によってしかるべき配慮がなされるでしょう。あなたの大きな業績の数々を留意しないことはありません」ペイダーソンは自分がどう進めるつもりかをちゃんとわかっているくせに、さも迷っているように話を中断した。上にいる者が自分に何を期待しているのか彼はわかっていた。


「あなたの事件が他の道徳の模範を示さなくても」ペイダーソンは少し間を置いて事件の摘要書をいじりながら続けた。「少なくとも現時点で必要とされる教訓をたっぷり教えてくれるでしょう。市の公金たるものは刑罰を受けることなく、薄っぺらい偽装商取引などで侵害、略奪されはしないし、法律には依然としてそれ自体が正常に機能していることを証明し市民を守る力があるのです」


「判決を言い渡します」ペイダーソン判事は厳かに続けた。一方クーパーウッドは動じずに見つめた。「郡の使用のために罰金千ドルを州に支払うこと、起訴費用を支払うこと、イースタン州立刑務所に四年三か月間収容し、隔離措置もしくは独房監禁にて労役を課す、本判決が遵守されるまで身柄を拘束します」


これを聞いてクーパーウッドの父親は涙を隠そうとうつむいた。アイリーンは下唇を噛みしめて両手を握り、怒りと失望と涙を抑えた。四年三月! これではクーパーウッドとアイリーンの人生に大きな溝ができてしまう。それでもアイリーンなら待てるかもしれない。まさかと恐れていた八年や十年よりはましだった。おそらくは、これで一件落着してクーパーウッドが刑務所に入れば知事が恩赦を与えるのだろう。


判事はとっくにステーネルの事件の関係書類を取ろうと動いていた。クーパーウッドの情状酌量を求めた訴えを無視したと言う隙を金融関係者たちに与えなかったことに満足だった。情状酌量の訴えに配慮したように見える一方で、クーパーウッドに最高刑を与えたも同然だと政治家たちが喜ぶ顔が目に浮かんだ。クーパーウッドはとっくにそんな小細工をお見通しだったが、そんなことで取り乱す彼ではなかった。むしろ意気地のない情けないやり方だと思った。廷吏が進み出て、さっさと連れ出そうとした。


「その囚人はしばらくいてもよろしい」判事は言った。


ジョージ・W・ステーネルの名前が事務官に呼ばれた。クーパーウッドはどうして自分が引きとめられたのかさっぱりわからなかったが、すぐに合点がいった。自分の共犯者に関する裁判所の見解を聞いてもいいということだった。ステーネルの人定質問がなされた。困っている間ずっと相談役だった政治家の息がかかったアイルランド系の弁護士ロジャー・オマーラがすぐ近くにいたが、ステーネルのこれまでの立派な経歴を考慮してほしいと判事に求めただけでそれ以上何も言わなかった。


「ジョージ・W・ステーネル」裁判長が言うとクーパーウッドを含む傍聴人がじっと耳を傾けた。「あなたの事件の裁判の中止と再審の請求は却下されました。あとは裁判所があなたの犯罪の性質に応じた判決を下すだけです。私の見解を延々と述べてあなたの立場をさらに苦しめたくはありませんが、あなたの犯罪を強く糾弾せずにこの場をやり過ごすわけにはいきません。公金の不正使用は今や重大犯罪となりました。迅速かつ確実に阻止されなかったら最後には社会秩序を崩壊させてしまうでしょう。社会が腐敗の巣窟と化したときその活力は失われます。最初のひと押しで砕けてしまうのです。


あなたの犯罪や他の類似の犯罪が起きるのは市民にも大きな責任があるからだと私は考えます。これまで公職の不正は見過ごされてきたと言っても過言ではありません。我々に必要なのはより高潔で潔癖な政治倫理――公金の不正使用を忌み嫌う世論のあり方――です。あなたの犯罪が成立したのはこれが欠けていたからです。それ以前に、あなたには情状酌量の余地が見当たりません」ペイダーソン判事は強調するために一呼吸おいた。自分が最高の域に到達しかけていて、それを浸透させたかったのだ。


「市民はあなたに自分たちのお金の管理を任せました」判事は厳かに続けた。「それは崇高で神聖な信頼でした。あなたはケルビムがエデンの園を守るように金庫の扉を守って、みだりに近づく者がいれば誰であろうと一分の隙も見せずに正直に炎の剣を向けるべきでした。偉大な社会の代表者であるあなたの立場ならそれができたのです。


あなたの事件のすべての事実を考慮すると、裁判所は大きな刑罰を科すしかありません。刑事訴訟法第七十四条の定めにより、囚人は十一月十五日から二月十五日の間に経過する期間中に、この州の裁判所によって、管内のいずれの刑務所にも送検されることはありません。そしてこの規定は、私があなたの事件で科す刑期の上限――すなわち五年から三か月を軽減するよう求めています。従って裁判所の判決は、郡の使用に対して州に五千ドルの罰金を支払うこと」――ペイダーソンはステーネルがその金額を払えないことを十分承知していた――「イースタン州立刑務所で懲役四年九か月、隔離措置及び独房監禁にて労役を課すこととし、この判決が遵守されるまで身柄は収監されます」ペイダーソンは書類を置いて、反射的に顎をこすった。その間にクーパーウッドとステーネルの両名は連れ出された。バトラーは判決が下ると真っ先に立ち去った――すこぶる満足だった。自分にできることはもうないと見切りをつけてアイリーンは人目を盗むようにしてさっさと抜け出した。アイリーンに少し遅れてクーパーウッドの父親と弟たちが出て行った。みんなは外でフランクを待って、一緒に刑務所まで行く手はずだった。残された家族は、午前中にあったことが知りたくて自宅で待機していた。ジョセフ・クーパーウッドがさっそく報告しに派遣された。


その日はもうすっかり陰って、雲が垂れ込め、雪になりそうな空模様だった。エディ・ザンダースは事件の書類をすべて渡されていたから、郡刑務所には戻らなくていいと告げた。だから五名は――ザンダース、シュテーガー、クーパーウッド、父親、エドワードは――刑務所から数ブロック圏内を走っている路面鉄道に乗り込んだ。三十分もしないうちに一行はイースタン刑務所の門にたどり着いた。






 

 

第五十三章

 



クーパーウッドが四年三か月の刑に服することになったベンシルバニアのイースタン州立刑務所は、フィラデルフィアのフェアモント・アベニューと二十一番街にある灰色の石造りの大きな建物で、その雰囲気は荘厳で物々しく、ミラノのスフォルツァの宮殿と似てなくもないが、あまり上品ではなかった。それは四本の異なる通り沿いに数ブロックに渡って灰色の部分を伸ばし、いかにも刑務所らしい寂しさと近寄りがたいたたずまいを見せていた。十エーカー以上に及んでその広大な敷地を取り囲み、そのいかつい物々しさを存分に見せつける壁は、高さが三十五フィート、厚さは約七フィートもあった。刑務所本体は外からは見えないが、中央スペースというか囲われた部分を中心にタコの形に並ぶ七本の腕というか通廊で構成され、そのだらしなく伸びたものが、壁に囲まれた敷地の約三分の二ほどを占拠している。おかげで芝生や草地などのすてきな空間はほとんどなかった。外壁から外壁までの幅が四十二フィートの通廊は、全長が百八十フィートで、うち四つが二階建てで、放射状にその長さの分伸びていた。通廊には窓がなく、屋根に長さ三・五フィート、幅八インチほどの狭い天窓があるだけだった。一階の独房の何部屋かには十×十六ほどの小さな庭がついていた――独房と同じ広さで、いずれも高いレンガ塀で囲まれていた。独房と床と屋根は石でできていて、独房と独房の間の幅がたった十フィートしかない通廊と、高さが十五フィートしかない平屋部分は、石が敷かれていた。中央スペースというか円形の建物に立って、そこから四方八方に長く伸びる通廊を見下ろすと、その長さに釣り合わない狭さと閉塞感を覚えた。鉄の扉には、囚人の視界と聴覚をすべて遮断するために時々使われる頑丈な木の扉が外側についていて、見るからに不気味で不快だった。廊下は十分に明るく、頻繁に白く塗られていて、狭い天窓が設置されていたが冬になるとすりガラスで塞がれた。しかしそれらはみんな刑務所用の実用本位なものだから飾りっ気がなくて、見てもつまらなかった。当時ここには四百人の囚人がいて、ほぼすべての房が塞がっていたことを見れば、確かにまがりなりにも生活はあった。しかしそれは誰も本質的に見るに値するものと意識しない生活だった。クーパーウッドもその中にいたが彼は違った。長く服役していると囚人の中には、いわゆる『模範囚』とか『使い番』として使われる者がいたが人数は多くなかった。パン屋、機械屋、大工、倉庫、製粉所、菜園だか畑だかがひと通りあった。しかしこれらの運営に大人数はいらなかった。


刑務所の創立は一八二二年であり、現在の大きさになるまでどんどん大きくなった。そこには殺人犯から軽微な窃盗犯まで収容されていて、知性と悪質性にかけてはすべての等級の人がそろっていた。収容者を取り締まる「ペンシルバニア・システム」なるものがあったが、それは関係者全員を独房に監禁する以外の何ものでもなかった――独居房で私語を禁じられて独り黙々と労働する生活だった。


結局、普通の処遇とは程遠かったが、郡刑務所での比較的最近の経験をのぞけば、クーパーウッドは生まれてから一度も刑務所に入ったことがなかった。子供の頃に一度、周辺の町をいくつかを渡り歩いていて、ある村の『留置場』を通りかかった――当時町の刑務所はそう呼ばれた――小さな四角い灰色の建物で、長い鉄格子の窓があった。すると二階のかなり陰気な窓の一つに、見苦しい酔っ払いだか町のごろつきが見えた。そいつは寝ぼけた目で、髪はボサボサ、酒浸りの、蝋のように白い顔で彼を見下ろし声をかけた――夏だったから刑務所の窓は開いていた。


「なあ、坊や、噛みタバコくれねえか?」


見上げたクーパーウッドは、男のだらしない格好に驚いて気が動転し、立ち止まって考えもせずに答えた。


「できませんよ」


「いつか刑務所にぶちこまれんよう気をつけろよ、小僧」男は前日の酔いが半分しか冷めないまま当たり散らした。


この特別の場面を何年も考えたことがなかったのに、今、急によみがえった。今度はクーパーウッドがこの冴えない陰気な刑務所に閉じ込められようとしていた。雪が降っていた。切れる限界まで人間関係を切り離されているところだった。


外門の先は誰も同行が認められなかった――その日のうちに後で訪ねて来るかもしれないシュテーガーでさえこの時は駄目だった。これは犯してはならない規則だった。ザンダースは門番と知り合いで、収監状を持参していたので、すぐに認められた。その他の者は神妙に引き下がった。みんなはクーパーウッドに気を遣いながらも暗い別れを告げた。クーパーウッドの方は大したことではない雰囲気にしようとした――事ここに至っても彼はそんな調子だった。


「じゃあ、そろそろお別れにしましょう」握手しながら言った。「私なら大丈夫。どうせすぐに出ますよ。まあ、見ててください。リリアンに心配無用と伝えて下さい」


クーパーウッドは中に入った。門が背後でいかつい音をあげた。ザンダースは広くて天井の高い、暗く陰気なホールを抜けてその先の門へ案内した。そこで大きな鍵をもてあそんでいた二人目の門番が命じられるがままに(かんぬき)のかかった扉を開けた。ザンダースは刑務所の敷地内に入るとすぐに左に曲がって小さな事務所に入り、胸の高さほどの小さな机の前で囚人を引き渡した。そこには青い制服を着た看守が立っていた。それが刑務所側の収監責任者だった――細い灰色の目と明るい髪をした痩せ型の管理者風の人物が、副保安官に手渡された書類を受け取ってそれに目を通した。これで彼がクーパーウッドを受け取れるようになった。今度は看守がザンダースに囚人を受け取ったことを示す確認証を手渡した。それからザンダースはクーパーウッドが握らせたチップをありがたく頂戴して立ち去った。


「では、さようなら、クーパーウッドさん」ザンダースは刑事みたい頭をいかにもそれらしくひねって言った。「名残惜しいことです。あなたがここでひどい目に遭わないことを願ってます」


ザンダースは自分がこの有名な囚人と懇意であることを収監責任者に印象づけたかった。クーパーウッドはそう信じさせたいザンダースの方針に調子を合わせて心から握手を交わした。


「あなたのご厚意には大変感謝しております、ザンダースさん」そう言ってから、好感度を上げようと決心させられた人のような態度で、新しい主人の方を向いた。自分が今、自分の快適さを自由に修正したり増やしたりできる小役人の手の中にいることをクーパーウッドは知っていた。どんな形であれ自分を卑下することなく――相手の権威を尊重し――おとなしく従う意志がちゃんとあることをこの男に印象づけたかった。クーパーウッドは落ち込んでいたが、司法の最後の組織、州刑務所の中にあってさえ、効率よく立ち回ろうとした。この境遇を逃れようと必死でもがいていた。


収監責任者のロジャー・ケンダルは痩せた事務員風の男だが刑務官としてはかなり有能だった――抜け目がなくて、特にいい教育を受けたわけではなく、生まれつきずば抜けて頭がよかったわけではなく、過度に勤勉なわけではなかったが、自分の地位を守るだけのやる気はあった。囚人のことは――かなり――詳しかった。何しろ二十六年近くずっと相手にしてきたのだ。囚人に対する彼の態度は、冷たく、冷笑的で、批判的だった。


囚人が自分と個人的な接触を図ることは許さなかった。目の前の部下が法の要求を満たすことに気を配った。


とても立派な服装――濃い灰青色をした純毛の綾織のスーツ、軽くて仕立てのいい灰色のオーバーコート、最新型の黒い山高帽、新しい良質な革靴、暗い地味な色の極上のシルクのネクタイ、利口な理髪師の仕事だとわかる髪と口髭、きれいにマニキュアを塗られた手――でクーパーウッドが入ってくると、収監責任者はすぐに自分が、高い知性と実力を兼ね備えた人物、この仕事では運がよくても滅多に網にかからないような人物、の前にいることがわかった。


クーパーウッドはすべてを見ていたが、誰のことも見ていないし何も見ていないような素振りで、部屋の真ん中に立っていた。「囚人三六三三番」ケンダルは事務官に声をかけて、同時に黄色い紙切れを手渡した。そこにはクーパーウッドのフルネームと、刑務所開設時から数が続いている彼の登録番号が記載されていた。


それを下働きの囚人が受け取って帳簿に挟んだ。紙切れは最終的にクーパーウッドを『生活指導室』へ連れて行く刑務所の『使い番』だか『模範囚』に渡すまで保管した。


「服を脱いで風呂に入ってもらいます」ケンダルはじろじろ見ながらクーパーウッドに言った。「その必要があるとは思わないがそれが規則でね」


「ありがとうございます」自分の人柄がこんなところでさえ何かの役に立っていると喜びながらクーパーウッドは答えた。「どんな規則だろうと従いたいと思います」


しかしコートを脱ぎ始めると、ケンダルがそれを制するように手をかざして、ベルをたたいた。さっそく隣の部屋から補佐役が現れた。刑務所の下働きで、『模範囚』に属する異様な風貌の男だった。小柄で色が黒く体が傾いていた。片方の足が少し短いために片方の肩がもう片方よりも低かった。胸がへこんでいて、斜視で、かなりよろよろとした歩き方だったが、十分元気だった。男は縞柄のジーン布でできた薄っぺらい粗末な作りのダブダブの服、囚人服を着ていた。その下に柔らかいロールカラーのシャツを見せて、太い縞柄のでかい帽子をかぶっていたが、その大きさと形状はクーパーウッドを妙に不快な気分にさせた。そのまっすぐ突き出たつばの下にあるこの男の斜視がどんなに薄気味悪く見えるか、考えずにはいられなかった。模範囚は片手を上げて敬礼するというひょうきんなへつらい方をした。この男は泥棒が職業で十年間ぶちこまれていたが、素行がよかったために、囚人がいつも帽子の上にかぶるみっともないフードをつけずにこの部署で働く栄誉を獲得していた。男はこれにちゃんと感謝していた。今は神経質な犬のような目をして上司のことを考えて、自分の境遇をある程度ずる賢く見極め、まずは不信感をあらわにしてクーパーウッドを見た。


普通の囚人にすれば、あの囚人もこの囚人も同じである。実際、ここに来る者はみんな自分たちと同じだ、というのが落ちぶれた彼らの唯一の慰めである。世の中は彼らを蹴落としたかもしれないが、彼らは彼らなりの考えで仲間を蹴落とすのである。『お前よりまし』という態度は意図があろうとなかろうと刑務所の塀の中ではとったら最後で、とんでもない反感を買ってしまう。ハエ(フライ)がフライホイールの仕組みを理解できないのと同じで、この『模範囚』にクーパーウッドを理解できるはずはないのだが、世の中の底辺にいる者が持つあのお高くとまった偉そうな態度で、ためらうことなく自分に理解できると考えた。この男にすれば泥棒は泥棒でしかなかった――クーパーウッドはケチなスリと同じだった。相手を見下したい、自分と同じレベルにまで引きずり下ろしたい、という考えしかなかった。


「ポケットの中身をすべて出さないといけないんですよ」さっそくケンダルはクーパーウッドに言った。いつもなら「囚人の検査をしろ」と言っていただろう。


クーパーウッドは前に出て、二十五ドル入りの財布、ペンナイフ、鉛筆、小さなメモ帳、かつてアイリーンが『お守り』にくれた小さな象牙の象を並べた。それはアイリーンがくれたものだから大切にしていただけだった。ケンダルはそれを珍しそうに見て「じゃ、作業を続けて」と次の脱衣と入浴の工程に言及しながら『模範囚』に言った。


「こっちだ」そう言って男はクーパーウッドを隣の部屋へ案内した。そこの三つの個室には、古めかしい全体が鉄で上の部分が木の浴槽が三つあって、付属の棚には目の粗いタオルや黄色い石鹸の類があり、衣類をかけるホックがあった。


「そこに入るんだ」トーマス・クービーという名前の模範囚が浴槽の一つを指して言った。


いよいよ小役人の監督指導が始まったとクーパーウッドは思ったが、この場は愛想よく振る舞った方が賢明だと考えた。


「はい。わかりました」


「よし」多少気をよくして付添人は答えた。「どんだけくらったんだ?」


クーパーウッドはきょとんとして相手を見た。言っていることがわからなかった。囚人付添人は相手が刑務所独特の言い回しを知らないことに気がついて「どんだけくらったんだ?」と繰り返した。「刑期は何年なんだ?」


「ああ!」クーパーウッドは今度はわかったとばかりに叫んだ。「そういうことでしたか。四年三か月です」


クーパーウッドは男の機嫌をとることにした。おそらく、その方がいいだろう。


「何やらかした?」クービーはなれなれしく尋ねた。


クーパーウッドは少し血の気が引いた。「窃盗です」と言った。


「すぐにおさらばだな」クービーは言った。「こっちとら十年よ。新米の判事にやられちまってな」


クービーはクーパーウッドの事件について全然聞いたことがなかった。もし聞いていたとしても、難しくてわからなかっただろう。クーパーウッドはこの男と話をしたくなかった。かといって、どうしたらいいのかわからなかった。いなくなってほしかったが、そうなりそうもなかった。独房に入れられて、独りっきりにされたかった。


「それはひど過ぎますね」クーパーウッドは答えた。やがて囚人も、確かにこの男は自分たちの仲間ではないことをはっきりと悟った。囚人だったらこんなことは言わなかっただろう。クービーは浴槽に通じている二本の給水栓のところへ行ってハンドルをひねった。その間にクーパーウッドは服を脱いでしまい、今は裸で立っていたが、このろくな知性もない男の前だからはずかしくなかった。


「頭洗うのも忘れんな」クービーはそう言っていなくなった。


水が出る間、自分の運命について考えながらクーパーウッドはそこに立っていた。このところ人生の自分に対する処遇が変だ――とても厳しかった。彼の立場にいる大勢の人間がそうではないように、クーパーウッドは罪悪感に悩んでいなかった。自分が悪いとは考えなかった。彼にすれば、ただ運が悪いだけだった。まさか、自分がこんな大きな静まり返った刑務所で実際に囚人に身をやつして、この頭のいかれた犯罪者に見張られて、どう考えても快適でも衛生的でもない、この安っぽい鉄の浴槽の横で、こうして待っていなくてはならなくなるとは! 


クーパーウッドは浴槽に入り、ひりひりする黄色の石鹸でゴシゴシ体を洗い、とりあえず漂白しただけの粗いタオルで体を拭いた。下着を探したがどこにもなかった。この時、付添人が再び顔を出して「こっちだ」とぞんざいに言った。


クーパーウッドは裸のまま後に続いた。収監室を素通りして、体重計や計測器や記録簿などのある部屋へ案内された。さっそく入口で見張っていた付添人がやって来た。隅に座っていた事務官は自動的に白紙の記録用紙に記入した。ケンダルはクーパーウッドのスタイル抜群の体を観察した。すでにウエストが少し太くなり始めていたが、ここに来る大勢の囚人の体より立派だと認めた。特に目についたのは肌がやけに白いことだった。


「体重計にのって」付添人がつっけんどんに言った。


クーパーウッドはそのとおりにした。付添人は重りを調整して慎重に体重を測った。


「体重百七十五」と読み上げた。「今度はこっち」


男は薄い板が留めてある側壁の一か所を指した。床から垂直に約七・五フィートほど上にいったあたりに小さな可動式の木の計測器があり、その下に人が立てば頭上に降ろせるようになっていた。その薄い板の横には身長の測定用に二分の一、四分の一、八分の一インチのメモリが振られていて、右側で腕の長さが測定できた。クーパーウッドは何が求められているかを理解し、計測器の下まで行ってまっすぐに立った。


「足を平らにして壁までさがって」付添人は言った。「そうだ。身長五フィート、九と十六分の十」と叫んだ。隅にいた事務官が書き留めた。今度は巻き尺を出して、クーパーウッドの腕、足、胸囲、ウエスト、腰などを測り始めた。目と髪と口髭の色を呼び上げて、口の中をのぞき込んで声を張り上げた。「歯は全て正常」


クーパーウッドは、もう一度住所と年齢と職業、何かの技能などをもっているかいないか――彼にはなかった――を伝えてから浴室へ戻ることを許されて、刑務所が支給した服を着た――まずは生地が粗くてチクチクする下着、次に安物の柔らかいロールカラーの白い綿のシャツ、それから生まれてから一度も履いたことがない品質の厚ぼったい青灰色の木綿の靴下、その上から言葉では説明できないラフレザーのサンダルを履いた。木か鉄でできているような感触が足に伝わった――ベトベトして重かった。それから、言わずと知れたあの縞柄の不格好なダブダブのズボンをはき、両腕と胸部をゆったりと覆う不格好な上着とベストを着た。自分がとても変な惨めな姿をしていることは、もちろん感じたし、わかっていた。そして、再び収監室に足を踏み入れたとき、妙な脱力感を覚えた。今まで自分を襲ったことがない、そして今は隠すのに必死でいる喪失感だった。これが社会が犯罪者に科す制裁なんだ、とクーパーウッドは内心で思った。身柄を拘束して、肉体と生活から自分本来の服装を引き剥がして、こんなものを残した。悲しみとおぞましさを感じ、こらえようとした――しばらくはそれを表に出さずにいられなかった。いつもの彼だったら本心を隠したし隠そうとしただろうが、今はそれができなかった。この服では品位などあったものではないし、無理だと感じた。自分が落ちぶれて見えるのがわかっていた。それでも気を引き締めて、平然とし、前向きに構え、素直に応じ、目上の者への配慮が見えるように最善を尽くした。どうせ、これはみんな芝居のようなものだ、夢なんだ、そう見なしたければ瘴気なんだ。時間が経ってちょっと運が良ければ、無事にここから抜け出せるものなんだと自分に言い聞かせた。そう願った。続くはずはないのだ。ただ舞台で、自分がよく知っている人生というこの舞台で、奇妙なやり慣れない役柄を演じているだけなのだ。


しかしケンダルは彼を見て時間を無駄にしなかった。部下に「彼に合う帽子があるか見てこい」と言っただけだった。部下は番号のついた棚があるクローゼットに行って帽子を取り出した――山が高く、ひさしが真っすぐな、みすぼらしい縞柄のものだった。クーパーウッドは試着するよう求められた。サイズはぴったりで、耳を覆ってぴったり収まった。そろそろ侮辱の品々も出揃ったに違いないとクーパーウッドは考えた。あと追加できるとしたら何があるだろう? こんないたたまれなくなる衣装はもうないだろう。しかし彼は間違っていた。「では、クービー、チェイピンさんのところへ連れていけ」ケンダルは言った。


クービーは心得たもので、洗面所へとって返し、クーパーウッドが話には聞いていたがこれまで見たことがなかったものを持ってきた――長さと幅が普通の枕カバーの半分ほどの、青と白の縞柄の綿袋だった。クービーはそれを広げて振りながらクーパーウッドに近づいた。これは習わしだった。このフードは刑務所が始まった頃から使われていて、位置と方向の感覚を麻痺させて、脱獄の企てをことごとく阻止することが目的だった。その後の収監中もずっと彼は他の囚人と一緒に歩いたり、話したり、会ったりしないようになっていた――呼ばれない限りは上の者ですら言葉を交わすことはなかった。ひどい理屈だったが、確かにここで強いられたものだった。クーパーウッドは後に知ることになるが、ここではこれさえも修正可能だった。


「これをつけなきゃいけないんだ」クービーはそう言ってクーパーウッドの頭部がすっぽり覆いかぶさるようにそれを広げた。


クーパーウッドは思い当たる節があった。過去に何かの折りにそれを聞いたことがあった。少しショックだった――最初は少し本気で驚いたようにそれを見たが、すぐに両手をあげて引き下ろすのを手伝った。


「いいから」看守は注意した。「両手はおろしておけ。俺がやるから」


クーパーウッドは両腕をおろした。完全に装着すると、胸のあたりまであって、視界がほとんどなくなった。とても変な気分だった。とても恥ずかしくて、落ち込んでしまった。青と白の縞柄の袋をただ頭にかぶっただけなのに冷静でいられなくなった。どうしてここまで辱めないといけないのだろう、とクーパーウッドは思った。


「こっちだ」付添人が言った。すると、どこだか見当もつかないところへ案内された。


「前に広げれば歩けるくらいは見えるからな」教わったとおりに、クーパーウッドはひっぱって広げた。これで足元と下の床の一部が見えるようになった。こうして、移動中は何も見えないまま、少し歩いて、長い廊下を抜けて、それから制服を来た看守たちのいる部屋を通り抜けて、最後に鉄の踏み段の狭い階段を上り、二階建て区画の一棟のうちの二階にある看守長室に案内された。そこでクービーの声がした。「チェイピンさん、ケンダルさんのところからまた囚人を連れてきました」


「すぐそっちへいく」離れたところから、やけに感じのいい声が聞こえてきた。やがて、大きな重みのある手が腕をつかみ、クーパーウッドはもっと奥に案内された。


「もう先は長くないよ」声がした。「そしたら、袋をはずすからね」クーパーウッドは何だか同情されていると感じた――多分、息苦しいからだ。それからいくらも歩かなかった。


独房の扉までくると、大きな鉄の鍵が差し込まれて解錠された。扉が開けられて、同じ大きな手が彼を中へ案内した。すぐに頭から袋が簡単にひきはがされた。白塗りの狭い独房にいるのだとわかった。かなり薄暗くて窓はないが、長さ三・五フィート、幅四インチのすりガラスの小さな天窓があって上から光があたった。側壁の一つの中ほどのフックに、ブリキのランプが常夜灯用にぶらさがっていた。隅っこには粗末な鉄のベッドがあり、わらのマットレスが一枚と、おそらく洗っていない濃い青の毛布が二枚置いてあった。別の隅っこには蛇口と小さな流しがあった。ベッドの反対側の壁に小さな棚があった。ベッドの足元に、平凡な丸い背もたれの普通の木の椅子があり、かなり重宝する(ほうき)が隅っこに立て掛けてあった。排泄用に鉄の便器というかおまるがあった。見てのとおり、出したものは内壁を伝う大きな排水管に捨てて、バケツで水を注いで洗い流すのだ。ここにはネズミや害虫がはびこっていて、独房に充満するほどの不快な悪臭を放った。床は石だった。クーパーウッドの澄んだ目は一目ですべてを把握した。頑丈な独房の扉は鉄格子で、複数の鉄の立派な丸棒が交差し、分厚くてきれいに磨き上げられた錠前がかけられているのに気がついた。その向こうに重い木の扉も見えた。これは鉄の扉よりも完全に囚人を閉じ込めておけた。澄んだ清めの太陽の光はここには届きそうもなかった。清潔さは、もっぱら漆喰と石鹸と水と箒に依存していた。それは回り回って囚人自身に依存していた。


クーパーウッドはチェイピンのこともしっかりと見た。第一印象は家庭的で、温厚な、独房の看守長――大柄で、太っていて、重そうに歩く男で、あまりパッとしない不格好な風采であり、制服はあまり似合わず、まるで座りたがっているように見える立ち方だった。明らかに体格はいいが体力はなく、優しい顔に白髪まじりの茶色い頬髭が短く生えていた。整髪が雑で、大きな帽子の下から変なふうにちらほらはみ出ていた。それなのにクーパーウッドは全然悪い印象を受けなかった――正反対だった――この男は他の誰よりも自分を案じてくれているかもしれないとすぐに感じた。いずれにしても、そうであることを願った。クーパーウッドは、自分が『生活指導班』の看守の前にいて、相手は刑務所のルールを教えながら二週間しか自分を担当しないことや、チェイピンが担当する相手は全部で二十六名もいて自分はその中の一人に過ぎないことを知らなかった。


まず手始めに相手はベッドへ行ってそこに腰かけ、硬い木の椅子を指差した。クーパーウッドは椅子をひっぱり出して座った。


「さて、今あなたはここにいるわけですね?」チェイピンは尋ねておいて実に和やかに自分で答えた。彼は無学な男で寛大な性格だった。犯罪者を相手にした長い経験があり、優しい態度と、ある種の宗教的信条――彼を慈悲深くさせていたクエーカーの教え――で優しく応対する傾向があった。クーパーウッドは後で知ったが、それでも公務は彼を、ほとんどの犯罪者は生まれつき悪人だという結論に導いたようだった。ケンダル同様にチェイピンは、犯罪者を悪意を持つ弱虫やろくでなしと考えた。あながち間違いではなかった。しかし父親のような優しさを持つ老人にならずにはいられず、精神的に弱い未熟な者を見分ける基準――人間の正義と人間の良識――を信じていた。


「はい、私はここにいます、チェイピンさん」付添人から聞いた名前を思い出し、それを使って相手の機嫌を取りながら、クーパーウッドは簡潔に答えた。


ベテランのチェイピンといえど、この状況に多少戸惑いを感じていた。ここにいるのは新聞で読んだあの有名なフランク・A・クーパーウッド、著名な銀行家でありながら公金泥棒だった。この男と共犯ステーネルは、新聞で読んだとおり、ここで割と長い刑期を務める運命だった。当時の五十万ドルは大金で、四十年後の五百万ドルよりもはるかに価値が大きかっただろう。いったい何があったのか――新聞が報じたことのすべてを果たしてクーパーウッドがやってのけたか――考えると畏敬の念を覚えた。チェイピンには、新しい囚人を調べるのにいつも使うちょっとした決まった質問があった――自分が犯した罪を今は反省していますか、新しいチャンスをつかんだらもっとまともにやろうと思いますか、両親は健在ですか、などと尋ねて、この質問への答え方で――単純に、後悔して、反抗的、もしくはその逆の反応で――相手への処罰が適切であるかどうかを判断した。しかしこの調子で、あるいは普通の民家に忍び込む泥棒や、店舗荒らしや、スリや、ただのこそ泥や、詐欺師を相手にする調子で、クーパーウッドに話しかけるわけにはいかなかった。かと言って他の話し方を知らなかった。


「では、始めましょう」チェイピンは続けた。「まさか自分がこんなところに来ることになると思っていたわけじゃありませんよね、クーパーウッドさん?」


「全然思いませんでした」フランクは簡潔に答えた。「二、三か月前だったら信じなかったでしょうね、チェイピンさん。今いるここが私の居場所だとは思いませんが、もちろんそれをあなたに言っても仕方がありません」


クーパーウッドには、チェイピン老人が少し説教したがっているのがわかって、うれしさのあまり話に乗ってしまった。どうせすぐに一人になって話し相手がいなくなるのだ。もしこの男と気心の知れる仲になれたらそれに越したことはなかった。嵐では港の選り好みはできない。溺れる者は藁だってつかむのだ。


「まあ、確かに私たちはみんな過ちを犯します」チェイピンは偉そうに続けた。更生指導員としての自分の価値におかしな自信をもっていた。「自分が名案だと思う計画がどうなるのか、いつもわかるわけではありませんよね? あなたは今ここにいます。ある事が自分の思いどおりにならなかったのをさぞかし悔やんでいることと思います。でも、もしチャンスがあったとしても、私はあなたが前回と同じことをやろうとするとは思わないのですが、いかがですか?」


「はい、チェイピンさん、やりませんね、確かに」クーパーウッドは本心からそう言った。「でも私は自分がしたことがすべて正しいと信じていました。自分が公平な法の裁きを受けたとは思わないのです」


「まあ、そういうものですから」チェイピンは白髪まじりの頭をかきながら、そっとあたりを見まわして、考え込むように続けた。「ここに来る若い連中にいつも言ってやるのですが、時として私たちは自分たちが思うほど自分たちの行動をわかってはいません。私たちは、自分たちと同じくらい賢い者が他にもいることや、自分たちをずっと見ている者がいつだっていることを忘れています。裁判所や刑務所があって刑事がいるのです――ずっといるのです。そして私たちを捕まえます。私だって捕まえますよ(アイ・ゴット)」――チェイピンは「絶対にね(バイ・ゴッド)」を自分に置き換えた――「私たちが正しい行いをしなければ、捕まえるものがいるのです」


「ええ」クーパーウッドは答えた。「確かにそうですね、チェイピンさん」


「さて」しばらくして老人は、もう少し重みがあって、もったいつけた、それでいて善意の言葉をかけてから続けた。「これがあなたのベッドでしょ。そして椅子があって、洗面台があって、水洗便器があります。きれいに正しく使ってください」(人が見たらクーパーウッドに財産を贈与していると思っただろう)「毎朝ベッドを整え、床を掃き、トイレを洗い、独房を清潔にしておかねばなりません。ここにはあなたのために、そういうことをしてくれる者は誰もいませんからね。朝起きたら、まずこうした作業をすべてやり、それから六時半ごろ食事です。だから起床は五時半になります」


「はい、チェイピンさん」クーパーウッドは丁寧に言った。「お任せください。すべて迅速に行います」


「もうあまりありませんね」チェイピンは付け加えた。「週に一度、全身を洗うことになっているので、そのときはきれいなタオルを支給します。あとは毎週金曜の朝、この床を洗います」クーパーウッドはそれを聞いて顔をしかめた。「欲しければお湯が使えます。私が使い番に届けさせます。それと友人や親族のことですが」――チェイピンは立ち上がって大きなニューファンドランド犬のように体を震わせた。「奥さんはいますね?」


「はい」クーパーウッドは答えた。


「ここの規則では奥さんや友人との面会は三か月に一回、弁護士は――弁護士はいますよね?」


「はい、います」クーパーウッドは面白がって答えた。


「毎週来られます。何なら――毎日でも平気でしょう。弁護士に関する規則はありませんから。自分で手紙を出す場合は三か月に一度。タバコの類が欲しいのなら、所長にお金を預けてあれば伝票にサインして倉庫からもらえます。その時は私が届けます」


実は、お金の形でちょっとした心付けを受け取るのはこの老人のプライドが許さなかった。老人は人一倍謹厳実直な人だったが、後で物を贈るなり甘言を絶やさなければ、間違いなく優しい寛大な態度をとってくれるだろう。クーパーウッドは正確に相手の心を読んだ。


「なるほど、チェイピンさん。よくわかりました」老人が立ったので自分も立ち上がりながら言った。


「それからここに来て二週間たったら」チェイピンはかなり考え込むようにして付け加えた。(先にこれをクーパーウッドに伝えておくのを忘れていた)「所長があなたを引き取りに来て下の階にある夏の普通の独房に移してくれるでしょう。その時までに、自分がやりたいことと、自分がやりたい仕事を決めておくことですね。ちゃんとおとなしくしていれば、庭つきの独房だってくれますよ。わかりませんがね」


チェイピンは厳粛な音をたててドアを施錠して出て行った。この最新情報のせいでクーパーウッドはそれまでよりも少し落ち込んでその場に立っていた。たったの二週間で、この親切な老人から、自分の知らない、うまが合わないかもしれない別の者へ担当を代えられてしまうのだ。


「もし私に用があれば――病気とかそういう不調になったら」チェイピンは二、三歩離れた後でこれを言うために引き返してきた。「ここにはここの合図があってね。この鉄格子にタオルをかけるだけでいいんだ。通りかかった時にタオルを見たら、立ち寄って用件を聞くからね」


クーパーウッドはふさいでいたが、たちまち回復した。


「わかりました」と答えた。「ありがとうございます、チェイピンさん」


老人は立ち去った。足音がセメントで舗装された廊下を遠ざかっていくのが聞こえた。クーパーウッドは立ったまま耳をすませた。遠くの咳、擦って歩くようなかすかな足音、ブーンとかヒューンとかいう機械音、錠に鍵をかける金属音が時々聞こた。物音はどれも大きくなかった。むしろ、どれもかすかで遠くに聞こえた。クーパーウッドはベッドのところへ行って具合を見た。あまり清潔ではなく、リネンではなく、広くも柔らかくもなく、変な感触だった。そう、これからはここで眠ることになるのだ――贅沢や洗練されたものを追い求め、物の値打ちがわかるこの自分が。もしアイリーンや金持ちの友人の誰かが、ここにいる自分を見でもしたら。それよりひどいのは、害虫が出かもしれないと思うと気分が悪くなった。どう言えばいいだろう? どうすればいいのだろう? 一つしかない椅子は粗末だった。天窓の日差しは弱かった。状況に慣れてきたと考えようとしたが、隅っこにある忌まわしい便器に改めて目がいくと、げんなりした。ここはネズミが出るかもしれなかった――いかにもそんな雰囲気だった。絵も、本も、風景も、人も、歩くスペースもなかった――ただ四方にむき出しの壁と静寂があるだけで、夜は厚い扉によってこの中に閉じ込められるのだ。何と恐ろしい運命だろう! 


クーパーウッドは座って状況を考えた。ついにここ、イースタン刑務所に収容されてしまった。政治家たち(中でもバトラー)の意向で四年以上ここにいる運命だった。ふと思いついたのだが、ステーネルもおそらく自分がたった今終えたのと同じ手順を踏まされているかもしれない。哀れなステーネル! 随分と愚かな役回りを演じたものだ。しかし本人が愚かだったのだからすべて自業自得だった。しかし自分とステーネルが違うのは、政治家がステーネルを釈放する気でいることだった。自分が知らない何らかの方法で、すでに減刑に着手している可能性があった。顎に手をあてて、仕事や家や友人や家族やアイリーンのことを考えた。腕時計に手をやろうとして、取り上げられたことを思い出した。時間を知る術がなかった。退屈しのぎにせよ、楽しむにせよ、ノートもペンも鉛筆もなかった。おまけに朝から何も食べていなかった。しかしそれは大したことではなかった。問題は、自分が世間から切り離されてここに閉じ込められてしまい、孤立無援で、時間を知ることさえかなわず、自分が取り組んでいなければならないこと――仕事や将来のこと――に全然取り組めないことだった。きっと、シュテーガーがしばらくしたら面会に来てくれる。それで少しはましになるだろう。それにしても――自分の境遇を考えるがいい。火事の日までの将来性とこの有り様を。クーパーウッドは座って靴と着ているものを見ていた。ああ! 立ち上がって行ったり来たりを繰り返した。自分の足音と動く時の物音がやけに大きく聞こえた。独房の扉のところまで歩いて行き、太い鉄格子越しに外を見たが、見るものは何もなかった――この部屋と同じような向かいの二つの独房の扉の一部以外は何もなかった。戻って一つしかない椅子に腰かけじっと考え事をした。終いにはそれにも飽きてしまい、汚い刑務所のベッドの上で大の字になってみた。寝心地は必ずしも悪くなかった。しかししばらくすると起き上がり、座って、歩いて、また座った。散歩するには狭い場所だと思った。ひどいものだ――霊廟で暮らすようなものだ。今はここにいなければならないのだ、来る日も来る日も、来る日も来る日も――一体いつまでだ? 知事が恩赦を与えるまでか、あるいは刑期が満了するまでか、あるいは運が尽きるまでか――それとも――。


そうやって考えているうちに、いつの間にか時間が経っていた。シュテーガーが戻らぬうちに五時近くになってしまい、ろくに時間がとれなかった。シュテーガーは次の木曜日と金曜日と月曜日にクーパーウッドが裁判に出廷する手続きを取っていた。しかしシュテーガーが帰って夜になり、小さなボロい石油ランプを調整し、濃い茶を飲み、作業が適切に行われたかを見届ける監督官に付き添われた配膳担当の模範囚に、扉の小さな差入口から押し込まれた糠と精白粉で作った粗末なわびしいパンを食べなくてはならなくなったときは、本当にかなり気分が悪かった。食事が済むと独房内側の木の扉はさっさと閉められ、それを無言で乱暴に閉めた模範囚に施錠された。どこかで大きな鐘が鳴らされて九時になったのがわかった。煙の出る石油ランプは速やかに消され、服を脱いで寝なくてはならなかった。こういう規則の違反者にはきっと罰がある――配給量を減らされたり、拘束衣を着せられる、多分縞柄だ――詳しくは知らなかった。わびしさを感じ、心がすさみ、うんざりした。クーパーウッドはこの長い納得いかない闘いに立ち向かった。水道で重い石のコップとブリキの皿を洗った後で、胸くそ悪い囚人服と、靴と、ザラザラの下着のズボン下まで脱いで、ぐったりとベッドに体を伸ばした。そこはちっとも暖かくなかったから、毛布にくるまって自分で居心地よくするしかなかった――しかし大した効果はなかった。魂が冷え切っていたからだ。


「これじゃ駄目だな」クーパーウッドは思った。「全然駄目だ。これに耐え切れるかどうか自信がないな」それでもクーパーウッドは壁に顔を向けて、数時間後にようやく眠りについた。






 

 

第五十四章

 



幸運や、生まれ合わせや、相続や、両親や友人の知恵などに恵まれたおかげで、裕福で悠々自適な人々が忌み嫌うあの「人生の混乱」を回避することに成功した人たちには、最初の数日間独房で鬱々と座り続け、散々手を尽くしたのに自分はどうなるのだろうと考えていたクーパーウッドの気持ちは到底理解できなかっただろう。最強の者にもうまくいかない時期はある。最高の知性を授けられた人たち――おそらくはほとんどの人たち――の人生でも陰りを帯びる時はある。その色あせた鋭さにも多くの段階が見て取れる。人間の魂が人生にひるまず立ち向かうのは、それが何か変な自信へと成長を遂げたとき、つまり、それ自体の力には肉体に微妙に関連する同じ力が確かに実在するのだから、その力に何か奇妙な信頼を築けるようになったとき、だけである。クーパーウッドの思考力を一級品と言ったら言い過ぎだろう。確かに十分鋭かった――実行力のある偉人にありがちなように、自分の出世のことばかり考えていた。それは強い思考力で、巨大なサーチライトのように向きを変えて眩しい光線を多くの暗い隅々に注いだ。最大の闇を探ることに無関心というわけではなかった。クーパーウッドは一応、偉大な天文学者や社会学者や哲学者や化学者や物理学者や生理学者が考えている内容は理解した。しかしそれが何であっても自分に重要だとは、考えても確信できなかった。確かに人生は未知のわからないことばかりだった。誰かがそれを調べるべきだったかもしれない。しかしそうかもしれないが、彼の魂の叫びは別の方向を向いていた。彼の仕事はお金を稼ぐことだった――自分が大金を稼げるような何かを組織すること、もっといいのは自分が始めた組織を救うことだった。


しかし今も考えたが、これは到底不可能だった。不幸な状況が重なって、混乱に拍車がかり複雑になり過ぎていた。シュテーガーが指摘したように、破産手続きを何年も引き伸ばして債権者を疲弊させるのもいいかもしれないが、その間に関連資産が深刻なダメージを被り続けるかもしれなかった。返済していない借入金の利息が重くのしかかっていた。訴訟費用がふくらんでいた。挙句の果てに、バトラーに売り渡した債権者、さらにモレンハウワーに売り渡した債権者――つまり全額返済以外は一切受け付けようとしない債権者――がかなりいることをクーパーウッドはシュテーガーと一緒に突き止めた。今願うことは、少ししてから和解してできることを残しておき、スティーブン・ウィンゲートを使って何か儲かる事業を構築することだった。二日目に新しい囚人を見に来たマイケル・デスマス所長とシュテーガーが何らか仕事の取り決めをしたとたんに、一日か二日してウインゲートがやってきた。


デスマスは体の大きな男だった――生まれはアイルランドで、経験を積んだ行政官だった――始まりは警察官で、南北戦争では伍長、やがてモレンハウワーの息のかかった刑務所長になるまでフィラデルフィアでいろんなことをやってきた。利ざとい男で、背が高く、骨張っているが、異様に筋肉質に見えた。かれこれ五十七歳になるが体力を競う大会でもあれば優秀な成績を出せそうな風貌だった。手は大きくて骨太で、顔は丸顔でも面長でもなく四角くて、額が高かった。短く刈り込まれた鉄灰色の髪と、剛毛の鉄灰色の口髭と、とても短くて鋭い知的な青灰色の目は生き生きとしていて、顔色はよかった。一様に研ぎ澄まされた残忍そうな歯は笑うとちょっぴり狼っぽかった。しかし見た目ほど残酷な人間ではなかった。気難しく、ある程度まで厳しく、時には粗暴だったが、優しい時もあった。デスマスの最大の弱点は、囚人でも知能や社会性はまちまちであることと、政治的影響力があろうがなかろうが特別な配慮をするに値する人間がここには時々現れることを必ずしも自分の頭脳で認識できないことだった。彼に認識できるのは――クーパーウッドではなく――ステーネルのような特例で、政治家からの口添えのあった別扱いだった。しかし刑務所は、弁護士、刑事、医師、牧師、政治活動家、一般市民がいつ訪れてもおかしくない公共施設であることや、(自分自身の救済でも良心や行政の支配の下で行うなら)一定の規則や規制などが課せられねばならないことを考えれば――政治家の前であろうと――ある程度は規律や制度や秩序を維持する必要があった。誰に対してであろうと寛大な扱いには限度があった。しかし例外は存在した――豊かな上流階級の人間や、政治指導者全体に衝撃を与えた突発事態の犠牲になった者――は優遇されねばならなかった。


もちろん、デスマスはクーパーウッドとステーネルのいきさつをちゃんと承知していた。これまでの社会への貢献度に免じて特別な配慮を持って取り扱うように、政治家サイドはすでに注意を出していた。クーパーウッドについて多くは語られなかったが、かなり厳しい処遇を認めていた。多分、少しくらい自分のためになることをやる分にはいいが自己責任だった。


「バトラーが目の敵にしている」何かの折にストロビクがデスマスに話したことがあった。「すべてはバトラーの娘のせいなんだ。バトラーの言うことを聞いたら、パンと水であいつを養うことになっちまうが、あいつは悪人じゃない。現に、ジョージに分別ってもんがあったら、クーパーウッドは今いる場所にはいなかったさ。だが上の連中はステーネルに勝手なまねを許さず、彼がクーパーウッドに金を渡さないようにしたんだ」


ストロビクはモレンハウワーから圧力をかけられてクーパーウッドにこれ以上資金を持たせないようステーネルに忠告した連中の一人だったが、ここでは犠牲者の愚行を指摘していた。その矛盾を考えてもストロビクは少しも苦にならなかった。


だからデスマスは、もしクーパーウッドが「ビッグスリー」に歓迎されない人物であるなら、相手にしないか、少なくとも特別な便宜を図るのは遅らせる必要があるかもしれないと判断した。ステーネルには、良い椅子、清潔なリネン、特別な食器と皿、毎日の新聞、郵便の特権を与え、友人の面会を認めた。クーパーウッドへの対応は――うーん、まずは当人に会って相手の考えを確かめるつもりだった。それでも、シュテーガーのとりなしがデスマスに影響を与えずにはいなかった。クーパーウッドが入所した翌朝に、所長はハリスバーグの有力者テレンス・レイリハンから、クーパーウッド氏に示せれた厚意に自分はちゃんと報いるという手紙を受け取った。この手紙を受け取るとデスマスはクーパーウッドの房まで行って鉄の扉越しに様子をうかがった。その途中で簡単なやりとりをしたところチェイピンは、クーパーウッドはいい人だと思いますと言った。


デスマスはそれまでクーパーウッドと面識はなかったが、みすぼらしい囚人服、木靴、安っぽいシャツ、惨めな独房にもかかわらず感銘を受けた。普通の囚人の虚弱で貧血気味な体とずる賢い目の代わりに、元気と力とで顔と体が燃え盛り、どんなみじめな服装や境遇でもおとしめることができない血気盛んなまっすぐな男を見たからだった。デスマスが現れるとクーパーウッドは頭を上げた。どんな人影が扉に現れてもうれしかった。大きな澄んだ探るような目で相手を見た――その目はその昔、彼を知るすべての者に絶大な信頼と安心を起こさせたものだった。デスマスは動揺した。昔からの知り合いで入所のときに会ったステーネルと比べればわかるが、この男は実力者だった。誰が何と言おうと、たくましい者は本来たくましい者を尊敬する。そしてデスマスの体はたくましかった。デスマスはクーパーウッドを見て、クーパーウッドはデスマスを見た。本能でデスマスは相手を気に入った。虎を見ている虎のようだった。


本能でクーパーウッドは相手が所長だとわかった。「デスマス所長ですね?」礼儀正しく笑顔で尋ねた。


「いかにも、そのとおりです」デスマスは関心を示しながら答えた。「こういう部屋はそれほど快適とはいえないでしょう?」所長の均整のとれた歯は、親しげだが狼のように見えた。


「おっしゃるとおりです、デスマス所長」クーパーウッドは軍人さながらに直立不動で答えた。「ですが、ホテルに来たとは思っておりませんから」そう言って微笑んだ。


「私で何かあなたのお力になれることが特にありませんかね、クーパーウッドさん?」デスマスは妙なことを言い始めた。こういう男はいつかやがて自分の役に立つかもしれない、という考えに動かされたのだ。「あなたの弁護士とは話が続いています」クーパーウッドはさん付けされてご機嫌だった。風が吹いてきたからこうなっているのだ。まあ、限度はあるだろうが、ここはあまりひどいところではないのかもしれない。いまにわかることだ。クーパーウッドはこの男に探りを入れてみるつもりだった。


「合理的に判断してあなたにできないことはお願いしたくありませんが、所長」さっそくクーパーウッドは丁寧に答えた。「しかし、できることなら変えたいと思うことは、もちろんいくつかあります。ベッドにシーツを掛けたいのと、着用をお許しいただけるならもっとましな下着が欲しいですね。今着ているこいつは不快極まりないものですから」


「最高のウールではありませんから、そうなりますね」デスマスは真面目に答えた。「ペンシルバニア産には違いないが州のここ向けに作られたものです。あなたがそうしたくて自分の下着を自分で着る分には問題ないと思います。その件は確認しましょう。シーツの件もね。自分のシーツを用意するのなら、利用を許可するかもしれません。こういうことは少し時間をかけなくてはならないのですよ。仕事のやり方を所長に教えることに特別な関心を持つ者が大勢いますから」


「その辺のことはよくわかっています、所長」クーパーウッドは調子よく続けた。「必ずご恩に報います。あなたがここで私のためにしたことはすべて感謝されることはあっても不利益にはなりません、その時が来れば私に代わって返礼できる友人が外にいることをご承知おきください」ずっとデスマスの目を直視したままクーパーウッドはゆっくりと強い口調で言った。デスマスはすっかり感服してしまった。


「わかりました」今や友人を相手にする調子になった。「多くは約束できません。刑務所でも規則は規則ですから。しかしできることはいくつかあります。行動を慎めば他の囚人でも処遇を改善するのが規則ですからね。何でしたらそれよりもいい椅子をあげましょう。それと何か読むものを。まだ仕事を続けているのであれば、それを中断させるようなことはしたくないのですが、十五分ごとにここに人を出入りさせるわけにはいきませんし、独房をオフィスに使うこともできません――そういうことは無理です。そんなことしたら、ここの秩序が崩壊してしまう。ですが、時々友人と面会してはいけない理由はありません。手紙などは――まあ、当分は普通に開封せざるをえませんね。その件も確認しないとならないでしょう。あまり多くのことはお約束できませんね。この区画と一階から出るまでは待たなくてはなりません。向こうには庭つきの独房があるんですよ、もし空いていればですが――」所長が抜け目なく目くばせした。十分に悪いのだが、クーパーウッドは自分の運命は思っていたほど悪くはならないことがわかった。所長は彼が従事するかもしれないいろいろな刑務作業の話をして、やりたそうなものを考えておくように頼んだ。「暇つぶしになることが欲しくなるんですよ、他のことでもいいですがね。そういうものが必要になるといずれわかりますよ。ここの者はみんなしばらくすると仕事をしたがるんです。そういうものなんですね」


クーパーウッドはデスマスへの理解を深めて感謝を惜しまなかった。静まり返っていて、首の向きなら楽に変えられる程度の広さしかない独房で何もしないでいるやりきれなさが、すでにクーパーウッドを襲い始めていた。ウィンゲートとシュテーガーには頻繁に会えるし、しばらくすれば検閲されずに郵便が届くようになると思うことが大きな救いだった。シルクやウールの自前の下着を使えるようになる――ありがたい!――多分しばらくすればこの靴だって脱がせてもらえるだろう。こうした待遇改善と、仕事と、デスマスが言っていた小さな庭があえば、生活は理想的ではないにしても少なくとも我慢できるものになるだろう。それでも刑務所は刑務所だった。それは大勢の人にとっては恐怖に違いないのだが、どうやらクーパーウッドにはあまり恐怖ではないようだった。


クーパーウッドはチェイピンが担当する「生活指導班」に二週間いる間に、刑務所生活の全体的な特徴についてこれまでに学んでいたのとほぼ同じことを学んだ。刑務所の構内、看守のチーム、刑務所の密集行進、刑務所の食堂、刑務作業などが、普通の刑務所を形成するのだとすれば、ここは普通の刑務所ではなかった。クーパーウッドにも、そこに収容されたほとんどの人にも、いかなる形であれ普通の刑務所生活は存在しなかった。大多数の人は割り当てられた特定の仕事を独房で黙々とこなし、自分の周りで過ぎて行く他の受刑者の生活のことは何もわからないようになっていた。この刑務所の収容方法は独房監禁であり、数に限りのある外の単調な仕事に就くことを許された人は少なかった。実際にクーパーウッドが感じて、チェイピン老人がすぐに教えてくれたように、ここに収容された四百名の囚人でそうした作業の従事者は七十五名もいなかったし、全員に定期的な仕事があるわけではなかった――炊事、季節に応じた造園作業、製粉、全体の清掃しか孤独から逃れる手段はなかった。こうして働く者でさえ話すことは厳しく禁じられた。作業中はあの不快なフードを着用する必要はなかったが仕事への行き帰りの時は着用することになっていた。クーパーウッドは自分の独房の扉付近を時折彼らが重い足取りで歩いていくのを見かけた。その姿は異様で、不気味で、おぞましかった。チェイピン老人はとても温和で話し好きだったから、ずっと自分の担当者でいてほしいと心から願うことが時々あったが、そうはならなかった。


あっという間に二週間が過ぎた――確かに退屈だった。しかし、ベッドの支度、床掃除、服を着る、食事、服を脱ぐ、五時半の起床、九時の就寝、毎食後の皿洗いなどの数少ない平凡な仕事をやっているうちに過ぎてしまった。ここの食事に慣れることは絶対にないと思った。言われた通り、朝食は六時半で、糠に多少の白い小麦粉を加えた粗末な黒パンが主食で、ブラックコーヒーと一緒に出された。昼食は十一時半で、粗末な肉が多少入っている豆か野菜のスープと、同じパンだった。夕食は六時で、お茶とパンだった。とても濃いお茶でパンは同じだった――バターもミルクも砂糖もなかった。クーパーウッドは煙草を吸わなかったので、煙草を少し支給されてもありがたくなかった。シュテーガーは二、三週間の間毎日顔を出した。二日過ぎてからスティーブン・ウィンゲートも新しい仕事の関係者として希望すれば一日一回面会を許可された。デスマスは、こんな早急に許可するのは特例もいいところだと感じつつも明言した。どちらも一時間から一時間半以上いることはめったになかったから、面会が終わると一日が長かった。クーパーウッドは自分の破産手続きで証言するために、裁判所の命令で数日九時から五時まで連れ出された。そのせいで最初うちは時間が早く経過した。


数年の刑期をくらって明らかに完全に世間から隔離されて刑務所に入ったとたんに、大の仲良しだった連中の頭から彼を応援しようという考えがすぐに消えたのは不思議だった。彼は終わったとほとんどの人が考えた。今彼らにできることは、自分たちの影響力を駆使していつか彼を出所させることだけだろうが、いつになるかは予測できなかった。それ以外には何もなかった。彼はもう誰にとっても決して重要な存在になることはないだろうと誰もが考えた。とても残念であり、悲劇だったが、彼は終わったのだ――天職だったのに。


「有望な青年だったのにな」ジラード・ナショナル銀行のデービソン頭取はクーパーウッドの判決と収監の記事を読むと言った。「ひどい話だ! ひどすぎる! 大きな過ちを犯したものだ」


クーパーウッドの不在を本当に寂しがったのは、両親とアイリーンと妻だけだった――妻は怒りと悲しみの入り混じった感情を抱いた。アイリーンはクーパーウッドに熱愛中だったから、その中で一番苦しんでいた。四年三か月という歳月を考えた。もしその前に出所しなかったら、自分は二十九歳に手が届き、クーパーウッドは四十歳になってしまう。そのとき、あの人はあたしを求めるかしら? あたしは魅力的でいるかしら? そして五年に近い歳月はあの人の考え方を変えてしまうかしら? その間ずっと囚人服を着なければならないのだろうし、その後も前科は一生付いて回るのだ。それを考えると辛かった。しかしそれはただ、何があっても彼のそばを離れず、精一杯彼を助けようというアイリーンの決意をこれまで以上に強くしただけだった。


実は収監の翌日、アイリーンは馬車で出かけて刑務所の不気味な灰色の壁を見ていた。法律や刑罰の膨大で複雑な作業を全然知らないので、アイリーンにはそれが特にひどいことに思えた。まさかあたしのフランクをひどい目に遭わせてはいないわよね? フランクはとてもつらい目に遭っているのかしら? あたしがフランクのことを考えているように、フランクはあたしのことを考えているかしら? ああ、何もかも哀れだこと! 哀れだわ! 自分が哀れよ――こんなにフランクを愛しているのに! アイリーンはクーパーウッドに会おうと心に決めて帰宅した。しかし彼が最初に言ったとおり、面会日は三か月にたったの一回しかなかった。次の面会日か、アイリーンが来られる日か、彼が外でアイリーンに会える日は彼が手紙で知らせるしかなかったので、アイリーンはどうしたらいいかわからなかった。事は秘密を要した。


それでも翌日、アイリーンは手紙を書いて、前日の嵐の午後に駆けつけたこと――あの不気味な灰色の壁の向こうに彼がいると考えたときの恐怖――を打ち明けて、すぐに会うことに決めたと明言した。そして、この手紙は新しい取り決めのおかげで、すぐ彼に届いた。クーパーウッドは返事を書いて、その手紙をウィンゲートに渡して投函してもらった。その内容は、 

 


いとしいひとへ

私があなたになかなか会えないものだから少し落ち込んでいるようですね。でも、それじゃ、いけません。判決のことはすべて新聞で読んだことと思います。ここへは同じ日の午前中――ほとんど正午に来ました。時間があれば、あなたの気が休まるよう、近況を報告がてら長い手紙を書くつもりでしたが、しませんでした。規則に反するからです。実は、これは内緒で書いています。私はここで一応つつがなくやっていますが、出たいことに変わりはありません。まずあなたはどういうふうにして私に会えばいいか、注意しなくてはいけません。私を励ます以外に、あなたにできることはあまりないのに、あなた自身に累が及ぶかもしれないのです。それに、私は自分では償いきれないほどの累をあなたに及ぼしてしまいました。あなたがそう思わないのはわかっていますし、そうなったら残念なのですが、私と別れることがあなたにとって一番いいことだと思います。金曜日の二時に六番街とチェスナット・ストリートにある裁判所の特別控訴審に出席する予定ですが、そこでは会えません。弁護士付き添いの外出です。ご自重願います。くれぐれも、ここには来ないようにしてください。 

 


この最後のくだりは正に気鬱の現れだった。クーパーウッドが二人の間に持ち込んだのは初めてだった。状況が彼を変えてしまったのだ。これまでクーパーウッドは上位にいた、求められている側だった――アイリーンは今も昔も求めるだけの価値があった――そしてクーパーウッドは、自分が無傷で逃げ切り、アイリーンはもはや自分にふさわしくないかもしれないと思うほど、威厳も力も増すかもしれないと考えていた。そんな考えをもっていた。ところが、ここに来て囚人に身をやつして、事情は変わってしまった。アイリーンの立場は、自分との長い熱烈な関係のせいで価値が下がったが、それでも今の自分よりは上だった――明らかに上だった。ゆくゆくはエドワード・バトラーの娘ではなくなる。しばらく自分から離れた後で、囚人の花嫁になることを望むかもしれない。本来なら望むべきではなかったし、望まないかもしれない。わかりきったことだが、アイリーンが心変わりするかもしれない。自分を待つべきではなかった。アイリーンの人生は、まだ破滅してはいないのだ。世間はアイリーンが自分の愛人だったことを知らない――とにかくみんながみんな知っているわけではない、とクーパーウッドは思っていた。結婚だってするかもしれない。したっていいだろう、そして永遠に自分の人生からいなくなるのだ。そうなったら自分は悲しくならないだろうか? それにしても、自分にはアイリーンに対する責任があるのではないだろうか、自分の良心に照らして、自分を諦めるように、少なくともそうすることの賢明さを考えるように、アイリーンに問う責任があるのではないだろうか? 


クーパーウッドはアイリーンを正しく評価して、彼女が自分をあきらめることはないと信じた。彼の立場からすれば、アイリーンにどれだけ累が及ぼうと、彼女が自分を愛し続けることは、好都合であり、自分の過去の生活の最高の時期とのつながりが続くということだった。しかしウィンゲートがいる独房でこの手紙を走り書きして、投函してもらおうと手渡す直前になって、アイリーンが手紙を読んだときに胸を打ちそうな、少し迷っている感じを付け加えずにはいられなかった。(看守のチェイピンは立ち会うことになっていたのに、気を利かせてわざわざ離れていてくれた)アイリーンはそれをクーパーウッドの気鬱――ひどく落ち込んでいる――ととらえた。結局、刑務所はこんなにも早く彼の精神を壊しているのだ。あれだけ勇敢に耐えてきたのに。このせいでアイリーンは今、たとえそれに困難や危険が伴おうとも、どうしてもクーパーウッドのもとへ行き、慰めたくてたまらなかった。あたしがしなければいけないんだわとアイリーンは言った。


クーパーウッドは破産審問に出席するために外出した日に、家族――父親、母親、弟、妻、妹――との面会は、たとえ手配ができたとしても、自分が手紙で知らせるかシュテーガーから連絡がない限り、三か月に一回以上は頻繁に来るべきではないと思う、と明言した。本当は今、家族の誰ともあまり会いたくなかった。社会全体の仕組みにうんざりしていた。何の役にも立たないとわかったので、自分が巻き込まれたこの騒動から解放されたかった。自分を守るために、クーパーウッドはこれまでに一万五千ドル近く使っていた――裁判費用、家族の生活費、シュテーガーへの報酬など。しかしそれは気にしなかった。ウィンゲートを介して働きながら多少の金を稼ごうと思った。家族は全く財産がないわけではなく、細々と暮らしていく分には十分だった。クーパーウッドは、自分たちの落ちぶれた状況に見合った家に引っ越すよう家族にアドバイスした。家族はそのとおりにした――両親と弟たちと妹は、昔のボタンウッド・ストリートの家のような三階建てのレンガ造りの家に移り、妻は刑務所の近くの北二十一丁目のもっと小さくて安い二階建ての家に引っ越した。偽りの口実でステーネルから引き出した三万五千ドルから抜き取っておいた金の一部がその維持に役立った。当然クーパーウッドの両親も没落してジラード・ストリートの豪邸を立ち退いた。今度の家には他の多少豪華な住宅にありがちな家具は一切なかった。ただ店で買っただけの既製の家具と、すてきだが安物の掛け物や備品ばかりだった。クーパーウッドの私産のすべてが帰属し、ヘンリー・クーパーウッドが全財産を明け渡した管財人は、重要なものの持ち出しを一切許さなかった。すべてが債権者のために売却されねばならないものだった。少し前に財産目録が作成されたのだが、とても小さなものがほんの少し残されただけだった。ヘンリー・クーパーウッドが欲しかったものの一つは、フランクが父親のために設計した机だった。しかしその価値は五百ドルだったので、その金額を払うか、競売で競り落さない限り保安官から引き渡されるはずがなかった。ヘンリー・クーパーウッドにそんな余裕はなかったので、机を手放さなければならなかった。みんなだって欲しいものはたくさんあった。 アンナ・アデレードはその事実をずっと後まで両親に打ち明けなかったが、実は少しくすねていた。


ジラード・ストリートの二軒の家が公売会場になる日が来た。その期間中、一般市民は何の障害もなく各部屋を歩き回って、最高額の入札者に競り落とされる絵や彫像、美術品全般を調べることができた。クーパーウッドの活動はこの分野でかなり名声を博していた。第一に彼が買い集めた作品には本物の良さがあった。第二に、ウィルトン・エルスワース、フレッチャー・ノートン、ゴードン・ストレイク――フィラデルフィアでその判断力とセンスが重要視されていた建築家や美術商たち――が絶賛したからだ。クーパーウッドが大切にしていた宝物のすべてが――イタリア・ルネッサンスの黄金期を代表する小さなブロンズ像、手間隙かけて集めたベネチアングラスの品々――骨董品収納ケース丸々一つ分、パワーズ、ホズマー、トルバルセンの彫像――三十年後には笑われそうだが当時は高い価値があったもの、ギルバートからイーストマン・ジョンソンまでのアメリカを代表する画家の絵のすべてが、当時の流行の見本といえるフランスやイギリスの作品数点と一緒に――二束三文で売り払われた。この当時のフィラデルフィアの審美眼はそれほど高くなかった。絵の中には鑑定力が及ばないせいで低過ぎる金額で処分されたものもあった。ストレイク、ノートン、エルスワースは三人とも来場して大量に買い求めた。シンプソン上院議員とモレンハウワーとストロビクは、自分たちにわかるものを見に来た。小物の政治家も大勢来ていた。優れた芸術品を冷静に判断するシンプソンは、提供されたすべての中から実際に最高の品を入手した。ベネチアングラスの骨董品収納ケース、縦長で青と白のイスラム的な筒形の花瓶一対、画家の水皿数点を含む中国の翡翠十四点、かすかに緑がかった穿孔の窓覆いなどがシンプソンの手に渡った。ヘンリー・クーパーウッド邸の玄関ホールと応接室の家具と装飾品がモレンハウアーへ、クーパーウッド邸の鳥目模様のカエデ材の寝室家具セット二組が実に手頃な値段でエドワード・ストロビクへ渡った。アダム・デイビスは来場して、ヘンリー・クーパーウッドがとても大切にしていたブール細工の机を手に入れた。フレッチャー・ノートンはギリシャの壷を四つ手に入れた――キュリックスの杯一つ、水瓶一つ、古代のアンフォラ壺二つ――当人がクーパーウッドに売却したもので当人はそれを高く評価していた。セーブルのディナーセット、ゴブラン織のタペストリー、バリイのブロンズ像、デダイユ、フォルトゥーニ、ジョージ・イネスの絵画を含むいろいろな芸術品が、ウォルター・リー、アーサー・リバース、ジョセフ・ジマーマン、ジャッジ・キッチン、ハーパー・シュテーガー、テレンス・レイリハン、トレノア・ドレーク、シメオン・ジョーンズ夫妻、W・ C・デーヴィソン、フレウェン・キャソン、フレッチャー・ノートン、ラファルスキー判事に渡った。


販売が始まって四日のうちに、二軒の家は空っぽになった。北十丁目九三一番地にあったものも、その家の閉鎖が望ましいと判断された時点で、保管されていた倉庫から引っぱり出されて、二軒の他の品々と一緒に公売にかけられた。クーパーウッドの両親が、どうも息子夫婦の様子がおかしいと初めて気がついたのはこの時だった。この憂鬱な公売期間中、クーパーウッド家の人間は誰も立ち会わなかった。 アイリーンは、すべての品物が処分されることを新聞で読み、それが自分にとって魅力的だったことは言うまでもないがクーパーウッドの大事な物だったことを知っていただけに、ひどく落ち込んだ。しかしクーパーウッドがいつの日か自由を取り戻し、金融界でもっとずっと大きな地位に就くことを確信していたから、そう長くは落ち込まなかった。根拠は言えなくても、アイリーンはそれを信じていた。






 

 

第五十五章

 



一方、クーパーウッドの身柄は新しい看守に引き渡されて一階の第三区画にある新しい独房に移された。大きさは十×十六で他の部屋と同じだったが、前にも述べた小さな庭がついていた。身柄を移される二日前にデスマス所長が現れて、独房の扉越しにまた短い会話を交わした。


「あなたの身柄は月曜日に移されます」デスマスは堅苦しいゆっくりとした口調で言った。「あなたにとっては大したことではないでしょうが、庭つきです――庭には一日に三十分しかいられません。仕事の件は看守に伝えておきましたから、きちんと対応してくれるでしょう。そちらに時間をかけ過ぎないように気をつければ、万事うまくいきます。あなたには籐椅子作りを習得してもらうことに決めました。それが一番あなたには向いているでしょう。簡単ですし、集中できます」


所長と仲間の議員たちはこの刑務作業を利権にしていた。作業は決して重労働ではなく、単純で過酷ではなかった。製品はすぐに完売してしまい、利益が懐に入った。だから、すべての囚人が働いている姿を見るのはいいことであり、囚人のためにもなった。クーパーウッドはあまり読書が好きではなかったから、何かをする機会ができてうれしかった。ウィンゲートとの関係や過ぎた出来事を蒸し返しても、満足いく形で頭を使えなかった。同時に、もし今の自分が奇妙に見えるのなら、この狭い鉄格子の向こうで、藤椅子作りという平凡な仕事をしている自分は、どんなに奇妙に見えるだろうと考えずにいられなかった。それでも、差し入れされたばかりのシーツや洗面用具に対してしたように、この件にもさっそくデスマスにお礼を言った。


「どういたしまして」今ではすっかりクーパーウッドに興味津々のデスマスは明るく穏やかに答えた。「どこも一緒でしょうが、ここには人が大勢いますからね。こういうものの使い方を心得ていて清潔でいたいのなら、別にそれを邪魔するつもりはありません」


クーパーウッドが相手にしなければならなくなった新しい看守は、エリアス・チェイピンとは全然違う人物だった。名前はウォルター・ボンハ、年齢はせいぜい三十七歳――大柄で、たるんだ、ずる賢い頭を持つ人間で、その人生の主な目的は、自分が見つけたこの刑務所の仕事が、通常の給料よりも良い収入をもたらすように目を光らせることだった。ボンハをじっくり観察すると、デスマスのスパイに見えそうだが、狭義で見なければ実際は違っていた。ボンハは抜け目がなく、ごますりで、誰彼構わず相手の懐に入ろうとするので、命令や提案に融通を利かせると信じていい人間であることにデスマスは本能的に気がついた。デスマスが少しでも囚人に興味を持ったら、ボンハに多くを語る必要はなかった。この男は違った生活に慣れているんだよねとか、過去の経験からすると乱暴に扱われたら彼には辛いかもね、と示唆するだけでよかった。するとボンハは気張って感じのいい態度をとろうとした。問題は、洗練された賢い人間に対するボンハの気遣いは、明らかに下心があって提供されたものだから不快だった。貧乏人や無学な者への態度は、粗暴で見下していた。ボンハは刑務所にこっそり持ち込んだものを囚人に売って見逃してやることで、所内で勝手に臨時収入を稼いでいた。倉庫で売られていないもの――タバコ、紙、ペン、インク、ウイスキー、葉巻、各種の高級食材など――を持ち込むのは、少なくとも理屈の上では厳しく禁じられていた。その反面、ボンハには好都合なことに、粗末なペンやインクや紙ばかりか、粗悪なタバコしか供給されないのが実情だった。自尊心のある人間なら耐えるに耐えられない代物だった。ウイスキーは一切禁止で、高級食材は階級特権的だと忌み嫌われたが、それでも持ち込まれた。もし囚人にお金があって、ボンハに手間賃が入るように取り計らうつもりがあるのなら、ほぼ何でも手に入った。また、「模範囚」として大きな庭に連れ出されたり、一部の独房にある小さな専用の庭に、通常認められる三十分よりも長い滞在が許される特権も販売された。


この時の不思議でありながら、それがクーパーウッドに有利に働いたことの一つは、ボンハがステーネルを担当した看守と仲がいいという事実だった。ステーネルは政治家仲間の計らいで、寛大に扱われていた。そしてボンハがこれを聞きつけた。ボンハは丹念に新聞を読まないし、重大な出来事を知的に把握していなかった。しかしステーネルとクーパーウッドの両名がこの地域社会の重要な人物であり、そうであったことや、二人のうちではクーパーウッドの方が大物であることももう知っていた。さらにいいのは、ボンハが聞いたところによると、クーパーウッドはまだお金を持っていた。新聞を読むことを許されたある囚人がボンハにそれを教えた。するとボンハは、とても穏便で言質を与えないようになされたデスマス所長の提案とは完全に別に、自分がクーパーウッドのために有償でどんなことができそうかを確かめたくなった。


クーパーウッドが新しい独房に移された日、ボンハは開いている扉の前までぶらっと来て、多少恩着せがましい態度で「もう荷物は全部運び終わりましたか?」と言った。クーパーウッドが中に入ったら、扉を施錠するのが彼の仕事だった。


「はい終わりました」クーパーウッドは答えた。ちゃっかりチェイピンから新しい看守の名前を聞き出してあった。「ボンハさんですね?」


「そうだ」ボンハは自分が知られていたことにかなりご満悦で答えた。それでもこの出会いの実用的な側面には純粋に興味があった。クーパーウッドを研究して、どういうタイプの人間なのかを確かめたかった。


「上と下では、少し様子が違うでしょう」ボンハは言った。「あまり、むっとしないんだ。庭に出るドアがあると違うからね」


「確かに、そうですね」クーパーウッドは目を向けて抜かりなく言った。「あれがデスマス所長のおっしゃっていた庭ですね」


この呪文のような名前が告げられたとき、もしボンハが馬だったらその耳が上がるさまが見られただろう。もしクーパーウッドがデスマスと親密で、収容されることになる独房の種類をデスマスが事前に彼に伝えていたとしたら、ボンハは特に注意しなければならなかった。


「ああ、そうですよ、でも大したことはありませんよ」ボンハは言った。「庭には一日三十分しかいられませんから。もっと長く出ていられたらいいでしょうけどね」


ボンハはこうして初めて賄賂と特別待遇をほのめかした。クーパーウッドは相手の声にはっきりとその響きを聞き取った。


「それはひどすぎますね」と言った。「態度がよくても得るものが増えるとは思いませんが」クーパーウッドは返事を聞こうと待った。しかしボンハは答えず続けた。「さっそく新しい仕事を教えた方がいいですな。あなたは籐椅子の作り方を覚えなくちゃいけない、と所長が言ってました。よかったら、すぐに始められますよ」しかしクーパーウッドが同意するのを待たずに、ボンハは行ってしまった。しばらくして、ニスの塗ってない椅子の骨組み三つと、籐だか柳だかの束を持ち戻って、床の上に置いた。それが済むと――大げさな身振りを交えて…今度はこう続けた。「さあ、見たければやって見せますよ」ボンハは、細長い材料がどんなふうに両側の開口部に通されて、切断され、小さなヒッコリー材の釘で留められるのかをクーパーウッドにやって見せ始めた。これが終わると、鋭い錐、小型のハンマー、釘の入った箱、大ハサミを持ってきた。別の細長い材料を使って幾何学模様の作り方を何度か簡単に実演してから、ボンハはクーパーウッドにそれをやらせて、肩越しに様子を見ていた。手作業でも頭脳労働でも何でも素早いこの資本家は、いつものように精力的に作業に取り組んで、練習でしか上達しようがない技術とスピードは別として、人並みにできることを五分でボンハに証明してみせた。「あなたなら大丈夫だ」ボンハは言った。「一日十はいけますね。でもあなたなら上達するのに数日とかからないでしょう。そのくらいしたら、どんな調子だか見に来ますよ。扉にタオルをかける件はわかってますね?」ボンハは尋ねた。


「はい、チェイピンさんが説明してくれました」クーパーウッドは答えた。「もう、規則はほとんど覚えたと思います。どれも破らないようにするつもりです」


その後の日々は、刑務所生活を随分修正したが、決してクーパーウッドが納得するものにはならなかった。ボンハはクーパーウッドに藤椅子作りの訓練を始めて早々に、自分があなたのためにやれることはたくさんあると完全に態度を鮮明にした。ボンハをこうさせた要因の一つは、ステーネルの友人たちが、クーパーウッドの友人たちよりも大勢面会に来て、時々果物のかごを差し入れ、ステーネルがそれを看守に振る舞っている事実と、彼の妻子がすでに通常の面会日以外の訪問を許されていた事実があって、それをすごいと思ったからだった。これがボンハの嫉妬の原因だった。同僚の看守長がそのことで偉そうな態度をとってきた――第四区画の盛り上がりぶりをありありと話してきた。ボンハとしては、ここは一つクーパーウッドに社交力でも何でもいいからいいところを出してもらって実力を発揮してほしかった。


さっそくボンハは切り出した。「毎日、弁護士とビジネスパートナーが来てますが、他にどなたか面会希望者はいないんですか? もちろん、奥さんや妹さん、そういう人を面会日以外に迎えるのは規則に反しますが――」ここでボンハは口を閉ざして、大きな含みのある目をぎょろりとクーパーウッドに向けた。――いかにも後ろめたい秘密を伝えんとする目だった。「でもこのあたりでは、すべての規則が必ずしも守られるわけじゃありません」


クーパーウッドはこういうチャンスを逃す人間ではなかった。少し微笑んだ――気を楽にするのと、この情報に満足していることをボンハに伝えるには十分だった。そして声に出して言った。「実を言いますとね、ボンハさん。あなたはその辺の人よりも私の立場がおわかりですから、相談できる相手だと信じているんです。ここに来たがる人はいるんですが、来させるのを心配してたんですよ。そんなことができるとは知りませんでした。もしできるのであれば、大変ありがたいことです。あなたや私は現実的な人間です――もし何かお世話になれば、その実現に協力した人たちに恩返しをしなければならないことを私は知っています。ここで私が少しでも快適に過ごせるようなことが何かあなたにできるのでしたら、私に感謝の気持ちがあることをあなたにお示しします。手元にお金はありませんが、いつでも入手できるんです。あなたにきちんと恩返しができていることも確認します」


ボンハの短くて厚い耳がぴくぴくした。こういう話を聞くのは好きだった。「私はそういうことなら何だってできるんですよ、クーパーウッドさん」ボンハは卑屈に答えた。「任せてください。会いたい人ができたらいつでも私に知らせてください。もちろん、とても慎重にやらねばなりません。それはあなたもですよ。でも大丈夫ですから。これからは午前中もう少し庭に出ていたいとか、午後や夕方出たくなったら、どうぞどうぞ。構いませんから。扉は開けたままにしておきます。所長か誰か他の者が現れたら、私が鍵で扉を引っ掻きます。そしたらあなたは中に入って扉を閉めてください。外から持ち込みたいものがあれば私が調達します――ゼリーとか卵とかバターとか、そういう小さな物でもかまいません。そうやって少しづつ食事の問題を解決するのもいいかもしれません」


「本当にどうもありがとうございます、ボンハさん」クーパーウッドはこの上なく堂々とした態度で答えた。微笑みたいところだったが、真剣な表情を崩さなかった。


「そのほかの件ですが」ボンハは追加の面会者の件に触れながら続けた。「いつでもあなた望むときに手配できます。門にいる連中とは懇意でしてね。ここに来てほしい人がいたらメモにその人のことを書いて私にください。そして来たときに私を呼ぶようその人に伝えてください。そうすればちゃんと中へ入れます。相手がここまで来ればあなたは自分の独房で話ができます。でもね! 私が扉を叩いたらその人は出なくてはいけませんよ。これを覚えておくといいでしょう。あなたは私に知らせるだけでいいんです」


クーパーウッドは感謝の気持ちでいっぱいだった。率直に最高の言葉で感謝した。これでアイリーンに会える、さっそく来るように知らせることができる、とすぐに思いついた。ちゃんとベールで隠せば、おそらく安全だろう。クーパーウッドはアイリーンに手紙を書くことにして、ウィンゲートが来たときに渡して投函させた。


二日後の午後三時に――クーパーウッドが指定した時間に――アイリーンが面会に来た。アイリーンは、白いビロードの飾りと、銀のように輝くカットスチールのボタンのついた、グレーのブロード生地の服をまとい、防寒対策を兼ねた追加の装飾品として、帽子とストールを着用し、雪のように白いアーミンのマフをしていた。このかなり人目に付く衣装の上に、長くて暗い色の丸い外套を羽織っていたが、これは着いたらすぐに脱ぐつもりだった。靴、手袋、髪、つけている金の装飾品に至るまで、とても丁寧に身支度を整えていた。クーパーウッドが提案したとおり、顔は厚手のグリーンのベールで隠された。事前に手配できるぎりぎりのタイミングで、彼が独りでいそうなときを見計らってアイリーンは到着した。ウィンゲートはいつも仕事が終わってから四時に来た。ジュテーガーは来るとすれば午前中だった。アイリーンはこの未知の冒険にかなり神経質になっていて、行くのに選んだ路面鉄道を少し離れたところで降りて脇道を歩いた。寒い天気と、灰色の空の下の灰色の壁が敗北感を与えたが、恋人を元気づけるために、一生懸命に見栄を張った。適切に発揮された自分の美貌さえあればクーパーウッドなどいちころなのをアイリーンは知っていた。


アイリーンが来ることを考慮して、クーパーウッドは独房をできるだけ許容できるものにした。自分で掃いてベッドを整えたのだから清潔だった。さらに髭を剃り、髪をとかし、まともでなかったものを頑張ってまともな状態にした。作りかけの藤椅子はベッドの片隅に追いやられた。数少ない食器が洗って吊るされ、木靴がそれ専用のブラシで磨かれてあった。思えばアイリーンはこれまで自分のこんな姿を見たことがなかった、とあまりの華のなさに変な気持ちになった。いつも服装のセンスの良さや着こなし方を褒めてくれたのに、これから彼女は、どんな威厳のある体にも絶対に似合いようがない衣服をまとった自分の姿を見ることになるのだ。自分の魂の尊厳を毅然と感じることしか、ここにいる自分の助けにならなかった。今思ったように、結局、自分はフランク・A・クーパーウッドだ。何を着ようが中身は変わらない。そしてアイリーンはそれを知っている。いつかまた自分は自由の身に、裕福に、なるかもしれない。そして自分はアイリーンがそれを信じていることを知っている。クーパーウッドは知っていたが、幸いなことに、こんな状況にいようがどんな状況にいようが、自分の見た目がアイリーンに影響することはない。アイリーンならこんな自分でもさらに愛するようになるだけだ。クーパーウッドが恐れたのはアイリーンの強いあわれみだった。鉄格子の扉越しに話をするひどい面会になりそうだったから、アイリーンは独房に入っていい、とボンハが言ってくれたことをクーパーウッドはとても喜んだ。


到着するとアイリーンはボンハを呼び出し、円形の中央棟へ行くことを許された。そこにボンハが差し向けられた。ボンハが現れるとアイリーンは小声で言った。「できましたらクーパーウッドさんに会いたいのですが」するとボンハが大きな声で言った。「ええ、いいですとも、私と一緒にいらっしゃい」廊下から中央棟を横切る間、顔こそ見えなかったが、ボンハはアイリーンの紛れもない若さに衝撃を受けた。これはまさに、彼がクーパーウッドに期待したものと一致するものだった。五十万ドルを盗んで、街中を震撼させられるほどの男は、あらゆる種類のすばらしい冒険をするに違いなく、アイリーンこそまさに冒険に見えた。ボンハはアイリーンを自分のデスクがあって面会者を待機させておく小さな部屋に案内してからクーパーウッドの独房へ駆けつけた。そこで資本家は椅子作りに取り組んでいた。鍵で扉をひっかきながら声をかけた。「若い女性が面会に来てますよ。部屋に通しますか?」


「ありがとうございます」クーパーウッドは答えた。ボンハはがさつで気が回らないものだから、つい独房の扉の鍵を開け忘れ、さっさと行ってしまった。だからアイリーンのいる前で解錠しなくてはならなかった。ぶ厚い扉と、等間隔で鉄格子の蓋がある灰色の石畳の長い廊下は、アイリーンを本当に心細くさせた。刑務所、鉄の独房! しかも、あの人がその中の一つにいる。その思いがいつもは勇敢なアイリーンの心胆を寒からしめた。あたしのフランクは何てひどいところにいるのかしら! こんなところに入れるなんて、何て恐ろしいことかしら! 裁判官、陪審員、裁判所、法律、刑務所が、社会を取り巻き、自分と自分の恋路を目の敵にしていきり立っている大勢の鬼に見えた。解錠の音と扉が外側に開く重たい音が、いたたまれない気持ちを極限まで高めた。そして、アイリーンはクーパーウッドの姿を見た。


報酬を受取ることになっていたので、ボンハはアイリーンに入室を許すと、気を利かせて立ち去った。アイリーンはベール越しにクーパーウッドを見た。ボンハがいなくなったのを確認するまで話すのが不安だった。クーパーウッドは努力して自分を抑えていたが、少しすると居ても立っても居られず切り出した。「もう大丈夫だよ」クーパーウッドは言った。「看守は行っちゃったからね」アイリーンはベールを持ち上げて、外套を脱いだ。そしてそれとなく、風通しが悪くて狭い部屋のむさ苦しさ、惨めな靴、安っぽい不格好な服装、独房の小さな庭に通じている彼の背後の鉄の扉を見てとった。ベッドの片隅に見える作りかけの藤椅子を背景にすると、クーパーウッドは不自然に、場違いにさえ見えた。あたしのフランクが! しかも、こんな目に遭っている。アイリーンは震えてしまい、話そうとしたが話せなかった。抱きしめて、頭をなで、ささやくだけで精一杯だった。「かわいそうに――あなた。こんな目に遭っていたのね? ああ、かわいそうに――」アイリーンが頭を抱きかかえる一方、平静を保とうと必死だったクーパーウッドもひるんで震えた。アイリーンの愛情はあふれるほどだった――まさに本物だった。それでいてとても心地よかった。今ならクーパーウッドにもわかるが、男らしさを失わせて子供に戻していた。そして、生まれて初めて、説明のつかない不思議な反応が起こった――体が勝手に反応した、時々あっさり理性と入れ替わる計画性のない反応が起きた――クーパーウッドは自分をコントロールできなくなった。アイリーンの情の深さが、声の甘ったるい響きが、手のビロードのような柔らかさが、クーパーウッドをずっと惹きつけてきたあの美しさが――おそらくこの堅固な壁の中で、そして彼の見るからに惨めな境遇を前にして、これまで以上に輝きを増し――クーパーウッドを完全に圧倒した。どうしてそうなるのかわからなかった。その雰囲気にあらがおうとしたが、クーパーウッドにはできなかった。アイリーンが頭を抱き寄せて撫でると、突然、自分の意志とは関係なく、胸がいっぱいになって息が苦しくなり、喉が痛くなった。自分でも驚くほどの不思議な感覚だった。泣きたくなった。クーパーウッドはそれを抑え込もうと必死になった。かなりショックだった。そのときそこで、つい最近失ったばかりの偉大な世界と、いつか取り戻したい愛すべき壮大な世界の、見たこともない鮮烈なイメージが一致団結して彼を打ち負かした。クーパーウッドはこのとき、木靴、綿のシャツ、縞柄の服、永久につきまとって拭い去りようがない囚人の汚名を、これまで以上に痛感した。すぐにアイリーンから離れて、背を向け、拳を握り、筋肉を引き締めたが、手遅れだった。泣いてしまい、とめることができなかった。


「ああ、ちくしょう!」腹立たしさと自分への情けなさが半々の、怒りと恥ずかしさの合わさった叫び声をあげた。「なんだって、泣かなきゃならないんだ? 一体全体どうしてしまったんだ?」


アイリーンはそれを見て、さっそうと前に飛び出し、片手で頭、もう一方の手で惨めな服の上から腰をつかんで、相手が簡単に振りほどけないほどの力でしっかり抱きしめた。


「ああ、あなた、あなた、あなた!」アイリーンは不憫でたまらず、思いっきり叫んだ。「愛してる。大好きよ。少しでもあなたのためになるのなら、この体を切り刻んでもらっても構わない。よくもあなたを泣かせたわね! ああ、あなた、あなた、あたしの愛しいひと!」


アイリーンはまだ震えている体をもっと強く引き寄せて、空いている方の手で頭を撫でた。目に、髪に、頬にキスをした。クーパーウッドはすぐに「一体どうなってしまったんだ!」と叫びながら、再び体を引き離したが、アイリーンは引き戻した。


「いいのよ、あなた、泣いたって恥じることはないわ。あたしの肩でお泣きなさい。あたしとここで泣きましょう。赤ん坊さん――いとしのあなた!」


しばらくするとクーパーウッドは落ち着いた。ボンハに聞かれるといけないからアイリーンに注意を促して、失って恥ずかしかった以前の冷静さを取り戻した。


「きみは、大した娘さんだよ」優しく、すまなそうに微笑んで言った。「きみはしっかりしてるね――それだけで十分だ――とても心強いよ。だけど、もう私の心配しなくていいからね。私なら大丈夫だ。きみが思うほどひどくはないからね。きみの方はどうなの?」


アイリーンはそう簡単におさまらなかった。ここの惨めな状態を含めたクーパーウッドの数多くの受難はアイリーンの正義感や良識を踏みにじるものだった。あたしの立派な、すてきなフランクが、こんな――泣くような――目に遭わされるなんて。アイリーンはクーパーウッドの頭を優しく撫でた。その一方で、人生やチャンスに襲いかかる致命的で理不尽な逆風と、厄介な敵対者が脳裏をよぎった。お父さん――忌々しい人だこと! 家族――ふん、あんなもの! あたしの知ったことじゃない。あたしにはフランク――フランクがいる。フランクの前では、他のことなんかみんなつまらないものだわ。絶対、絶対、絶対に、あたしはフランクを見捨てない――絶対に――何があろうと。そして今、アイリーンは黙ってクーパーウッドにしがみつき、その一方で、頭の中では人生と法律と運命と状況を相手に熾烈な闘いを繰り広げた。法律――くだらない! 世間――あんなのは、けだもの、悪魔、敵、犬っころよ! アイリーンは喜んで、意気込んで、遮二無二に、自分を犠牲にした。今はフランクのためなら、フランクと一緒なら、どこへでも行くつもりだった。フランクのためなら何だってするつもりだった。家族なんかいらない――人生なんかいらない、いらない、いらない。彼の望むことは何でもする、それ以上でもそれ以下でもない。彼を救うため、彼の人生をもっと幸せにするためなら自分にできることは何でもする。しかし誰であれ他の人のためには何もするつもりはなかった。






 

 

第五十六章

 



月日が経過した。ボンハの了解が得られれば、折々、妻や母や妹との面会も許された。妻子は今クーパーウッドが家賃を支払っている小さな家に落ち着き、扶養の義務は彼に代わってウインゲートが月々百二十五ドルを支払って果たした。それ以上の義務を妻に負っている自覚はあったが、最近家計は火の車だった。三月に正式に破産宣告を受けて既存の権利はとうとうなくなった。クーパーウッドに対する債権を補填するために財産はすべて没収された。もし一ドルに対し三十セントの比例配分の支払いが宣告されていなかったら、五十万ドルという市の請求分がその時点で現金化されていた以上の額を食いつぶしていただろう。このときでさえ市が正当な権利を受け取ることはなかった。何らかの誤魔化しで権利を失ったことが宣告されたからである。市の請求は、適切な時期に、適切な方法でなされなかった。このおかげで他の債権者により多くの現金を残すことができた。


幸い、この頃までにクーパーウッドは、ちょっとした実験を試み、ウィンゲートとの業務提携がうまくいきそうなことがわかり始めていた。ウインゲートはクーパーウッドに一切隠し事をしないことを明言していた。ウィンゲートはクーパーウッドの二人の弟をかなり安い給料で雇った――一人に帳簿の管理と事務所を任せて、会員権は売られず済んだからもう一人はウインゲートと一緒に取引所で活動した。それと、かなり苦労の末にヘンリー・クーパーウッドが銀行員の地位を獲得することにも成功した。ヘンリーは、第三ナショナル銀行を辞めてから、この先自分の人生をどうしようか、失意のどん底にいた。息子の不名誉! 裁判と投獄の恐怖。フランクが起訴された日から、さらに言えば有罪を宣告されてイースタン刑務所に収監されてから、ヘンリーはまるで夢の中をさまよい歩いているようだった。あの裁判! フランクへの有罪宣告! 自分の息子が縞柄の服を着る受刑者になるとは――しかも自分とフランクは、地元で成功し尊敬される人々の先頭を胸を張って歩いていたのに。ヘンリーは苦境に立つ他の多くの人たちと同じように、聖書を読み、ページをのぞき込み、晩年はかなり何気なくやっているが、若い頃はいつもそこで見つかると想像していた心の慰めをさがした。詩篇、イザヤ書、ヨブ記、伝道の書。今は心労がたたって擦り切れているせいか、どうしても見つからなかった。


しかし来る日も来る日も自分の部屋にこもり続けた――今の新居の廊下の片隅の小さな寝室で、妻に向けて自分が今もなお関与している何かの仕事をするふりをした――そして、中に入るとドアに鍵をかけ、座って、自分に降りかかったすべてのこと――自分が失ったものの数々、つまり名声――について考えていた。この数か月後になると、ウィンゲートが用意してくれた新しい職――郊外の銀行の経理業務――朝早の出勤、夜遅い帰宅――のおかげで、すでに起きたことやこれから起こるかもしれないことのすべての陰惨な縮図が浮かぶようになった。


割りと離れていて路面鉄道で通えない小さな銀行にたどり着くために、朝七時半に、新しいがかなり小さくなった自宅を慌ただしく出て行くその姿は、商売の運勢がよくもたらす哀れな光景の一つだった。昼休みに帰宅する余裕がないのと、新しい給料でランチを買う贅沢は出来ないのとで、ヘンリーは小さな弁当箱にランチを入れて持ち運んだ。今のせめてもの願いは、死ぬまで立派に人目につかずに生きていくことだった。しかもそう長く続かないことを願っていた。細い足と体、白髪、雪のように白い頬髯という哀れな姿になった。痩せ細り、骨が目立ち、難しい問題に直面すると、少し自信がないのか態度を決めかねるようになった。手を口に当てたり、目を見開いたりして、何の根拠もない驚きを装う、全盛期に培われた古い癖がここに来てひどくなった。本人は気づいていなかったが、本当はただ機械的にそうしているだけだった。人生はこういう面白い哀れな残骸を海岸にまき散らすのである。


このときクーパーウッドが少なからず考えたことの一つは、特に妻への関心が冷めきっていたので、この妻に対する無関心と、二人の関係の解消という問題をどう持ち出すかだった。しかし、ありのままの事実を残酷に突きつける以外、何の方法も見出せなかった。どう見てもリリアンは今、起きたことを疑うそぶりをはっきりとは出さずに、献身的な態度を取り続けていた。しかし裁判と有罪判決以降も、夫がまだアイリーンと親密な関係を続けていることを、あちこちから耳にしていた。そして夫が同時にかかえている問題と、成功した資産家の暮らしをなくすかもしれない事実だけを考えて、今は話さずにいた。牢屋に入れられたと自分に言い聞かせ、本当に気の毒だと思いはしたが、かつてのようには愛していなかった。夫の不品行な所業がすべて非難されるのは至極当然だった。そしてこれは世の中を支配する力によって意図され強いられているものだった。


この態度をクーパーウッドが知ったら、それがどれほど彼には魅力的に映ったかおわかりだろう。妻がごちそうを差し入れ、夫の運命を不憫に思おうが、一ダースもの小さな兆候で、妻がただ悲しんでいるだけでなく、非難していることは見ればわかった。もしクーパーウッドが常に嫌いなものがあるとすれば、それは道徳にやかましいとか葬式のような暗い雰囲気だった。アイリーンの明るく闘争心旺盛な希望と熱意に満ちた態度とは対照的な、クーパーウッド夫人の疲れた自信のなさは、控えめに言ってもパッとしなかった。アイリーンは涙一つ流さずクーパーウッドの不幸に最初は怒りを爆発させたが、明らかに彼が出所して再び大成功すると信じていた。信じていたからいつも成功と将来の話をした。刑務所に壁を巡らせても彼の刑務所は作れないと本能でわかるようだった。実は、アイリーンは初日にボンハに十ドルを手渡し、魅力的な声で――ただし顔は見せずに――自分への明らかな親切に感謝してクーパーウッド――彼女の言葉では「とても立派な人」――をこれからもよろしくとお願いしますと言った。これでこの野心的で物に目がない男の運命は決まった。この黒っぽい外套を着た若いご婦人のために、看守がやろうとしないことはなくなった。刑務所の面会時間が禁じなかったら、アイリーンはクーパーウッドの独房に一週間でも滞在できたかもしれない。


現在の結婚生活が嫌になったので解消したいとクーパーウッドが妻に相談しようと決めたのは、入所して約四か月後のことだった。その頃には囚人生活にも慣れてきた。独房の静寂と、無駄な繰り返しで最初はとても苦痛でつまらなくて気が狂いそうだった単調な強制労働は、今ではただの日常になった――退屈だが苦痛ではなかった。さらに、以前の食事や、妻やアイリーンが差し入れたかごから取っておいたごちそうを温めるためにランプを使うといった孤独な囚人のちょっとした生活の知恵をいろいろと身につけた。ボンハを説得して小さな袋詰めの石灰を持ってきてもらい、それを自由に使って、独房の悪臭をある程度除去していた。また罠を仕掛けて向こう見ずなネズミを駆除することにも成功した。ボンハの許可を得て、夜、独房の扉をしっかり施錠し、外側の木の扉を閉め、あまり寒くなければ独房の小さな裏庭に椅子を持って出て、晴れていれば星が見える夜空を眺めた。科学的な学問としての天文学に興味を持ったことはなかったが、プレアデス星団、オリオン座の三ツ星、北斗七星、そしてその線の一つが指し示す北極星はクーパーウッドの注意を引いた。想像力を虜にしたといっていい。どうしてオリオン座のベルトの三ツ星は、距離と配列で互いに独特な数学的関係を持つようになったのだろう、そしてそれには何か知的な意味があるのだろうか、と考えた。プレアデス星団に雲のように群がる恒星は、宇宙の静かな奥深さを感じさせた。クーパーウッドは広大なエーテルの中で小さな球のように浮かんでいる地球のことを考えた。こういうものに比べると自分の人生は取るに足らないものに見えた。そんなものに本当に意味があるのだろうか、重要だろうか、と自問していることに気がついた。しかし、この気分は簡単に払拭できた。この男は、自分や自分の仕事をとても偉大なものだと感じていたからである。彼の気質は本質的に物質と活力だった。何かが語りかけていた。現状がどうあれ、大物にならねばならない。その名声が世界中に知れ渡る者に――努力に努力を重ねる者に、ならねばならない。遠くを見通したり、輝かしい業績をあげる力は万人に与えられるわけではなかった。しかし自分にはそれが与えられた。だから自分は、自分がなるべきものにならなければならない。他の多くの者が自分の小ささから逃れられないのと同じで、彼は自分の偉大さから逃れられなかった。


その日の午後、クーパーウッド夫人が、リネンの着替えを数枚、シーツを一組、缶詰の肉、パイを持って物々しく現れた。決して落ち込んではいなかった。しかしクーパーウッドは、妻は自分とアイリーンの関係を思い悩んでいるのだから、その方向に進んでいると考えた。彼は妻が気づいたことを知っていた。妻の態度の何かが、帰る前に話そうとクーパーウッドを踏ん切らせた。そして、子供たちの様子を尋ね、妻が自分に必要なものを質問したのを聞いてから、クーパーウッドは、妻がベッドに座っている間に、一人掛けの椅子に座って話しかけた。


「リリアン、いつかきみに話そうと思っていたことがあるんだ。もっと早く話すべきだった。でも話さないよりは遅れてでも話した方がいい。アイリーン・バトラーと私との関係をきみが知ってることは知っている。だからそれをはっきり明確にした方がいい。私が彼女を好きなのは事実だ。彼女は私にとても献身的なんだ。もしここを出たら、彼女と結婚できるように準備したいんだ。それはつまり、きみさえよければ私と離婚しなければならないということでね。そのことについて今、きみと話がしたい。これはきみにとってそれほど驚くことではあるまい。私たちの関係が本来あるべき姿でなくなっていたのをずっと見てきたに違いないのだからね。それにこの状況でこれはきみにとってそれほど辛いことではないはずだ――と私は思っている」クーパーウッドは話をやめて待った。リリアンは最初何も言わなかった。


夫が最初にこの話を切り出したとき、リリアンは何か驚きか怒りを示すべきだと考えた。しかし、どういう形でそれを示しても錯覚も興味も抱かない、夫のじっと観察している目を見て、リリアンはそれがいかに無駄であるかを悟った。リリアンには極めて私的で秘密を要する――とても恥ずかしく――思える問題なのに、夫は完全に事務的だった。どうして人生の微妙な問題をこんなふうに扱えるのか、リリアンにはまったく理解できなかった。自分がひた隠しにすべきだと常々考えている事柄でも、夫はごく平然と口にした。夫の率直な人との付き合い方に時々耳が痛くなることがあった。しかしこれは著名人の特徴だと思ったからそれについて何も言わなかった。ある種の男たちは好き勝手をしているのに、社会が彼らに何らかの措置をとることはなさそうだった。おそらく、神さまが後でするのだろう――リリアンにはわからなかった。とにかく、夫は不品行で、遠慮がなく、強引だったが、礼儀正しい話し方や謙虚な考え方を社会的な美徳とするらしい保守的なタイプの人たちよりも、はるかに興味深かった。


「そうね」声に怒りと憤りがにじんでいたが、リリアンはかなり穏やかに言った。「これですべてがわかったわ。いつかあなたがこういうことを言ってくると思ってたのよ。散々あなたに尽くしたことへのすてきなご褒美だわね。でもいかにもあなたらしいわ、フランク。あなたがこうと決めたら、あなたを止められるものは何もないものね。夫婦円満で、愛する子供が二人いるだけでは飽き足らず、自分と相手の浮き名を街中に流すまで、このバトラーの娘に入れあげねばならなかったのね。私はこの女が刑務所に通っていることだって知ってるわ。いつだったか、私と入れ違いに出て来るのを見かけたから。もう世間のみなさんも知ってると思うわ。あの女には良識ってものがないから気にしないのね――哀れなうぬぼれ屋だわ――でもね、クランク、私や子供たち、実の両親がありながら、しかも自立する厳しい戦いをしなければならないのが確実なときに、こんなことを続けていたら、さすがにあなただって恥ずかしいと思うんですけど。もしあの女に良識があったら、あなたとは何もなかったでしょうに――恥知らずにもほどがあるわ」


クーパーウッドはひるむことのない目で妻を見た。妻の言葉から、観察してとっくにわかっていたことを読み取った――妻は同じように自分から心が離れていた。もはや肉体的魅力は大したことはなかったし、知性ではアイリーンに及ばなかった。また、自分が最も羽振りが良かった時期に、自宅を訪れて華を添えてくた女性たちと接したことで、クーパーウッドは妻にある種の上流の品格が欠けているとはっきりわかった。アイリーンだって決してずば抜けて優れてはいなかったが、まだ若くて順応性や適応性があったし、まだまだ改善の可能性があった。今も考えたように、アイリーンには成長するチャンスがあるかもしれないが、リリアンには――少なくとも今見てもわかるように――見込みがなかった。


「実を言うとね、リリアン」クーパーウッドは言った。「私の言いたいことをきみが正確に受けとめてくれるか自信がないんだが、きみと私はもうお互い全然合わないんだ」


「三、四年前はそう思っていないようでしたけど」妻は辛辣に横槍を入れた。


「私は二十一歳の時にきみと結婚した」クーパーウッドは、相手が入れた横槍には何の注意も払わずに容赦なく続けた。「本当に若気の至りで自分のしていることがわかっていなかったんだ。ただの子供だったんだ。だけど、そんなことはどっちだっていい。それを言い訳にしてるわけじゃない。私が言いたいのはこうだ――正しかろうが間違っていようが、重要だろうが重要でなかろうが、私はその後考えを改めたんだ。私はもうきみを愛していないし、それが世間にどう見えようと、自分が満足していない関係を続けたいとは思わない。きみにはきみの人生観があり、私には私の人生観がある。きみは自分の意見が正しいと考え、きみに同意する人は何千人もいる。でも私はそうは思わないんだ。私たちはこういうことで喧嘩をしたことがなかった。なぜなら私はこんなことで争っても仕方がないと思ったからだ。この状況で、別れてほしいと頼んだところで、私はきみにひどい仕打ちをしているとは思わない。きみや子供たちを見捨てるつもりはないからね――きみに与えるお金が私にある限り、きみは私から立派な暮らしができる収入を得られるんだ――しかしどうせなら、ここを出るときにこの身の自由が欲しくてね。そうなれるようきみにお願いしたいんだ。きみが持っていたお金と、それ以上の大金がだよ、私がここを出て再び自立したときにきみに戻るんだ。しかしもし私に反対するのなら駄目だ――協力する場合だけだ。私はいつだってきみを助けたいし、助けるつもりだ――しかしあくまで私のやり方でだ」


クーパーウッドは注意して囚人服のズボンのしわを伸ばして、上着の袖を引っ張った。今ここに座っている彼は、本来の彼である重要人物というよりは、かなり知的な職人に見えた。クーパーウッド夫人は激怒した。


「何ともご丁寧な物言いで、丁重な扱い方ですこと!」立ち上がって壁とベッドの間――およそ二歩ほど――の狭い空間を歩きながら大げさに叫んだ。「私と結婚するとき、あなたはまだ若かったのだから、この人は自分の本心がわかっていないんだと私が気づいていてもよかったのよね。何かと言えば、お金、あなたはお金と自分が満足することしか考えていないのよ。あなたには正義感ってものがないんだわ。これまでだってあった試しがない。自分のことしか考えてないんだわ、フランク。あなたのような人は見たことがない。この事件の間だって、あなたは私を犬扱いしてきたわ。そしてその間ずっと、あなたはあのアイルランドの小娘とうまいことやって、自分を売り込んでいたんでしょ。ついさっきまで私を大事にしていると信じさせておいて、今度は突然強気に出て離婚したいと言い出すなんて。そうはいかないわよ。私は離婚するつもりはありません。だから、あなたはそんなこと考える必要はありません」


クーパーウッドは黙って聞いていた。この夫婦の不和の問題に関しては、自分の立場はとても有利だった。自分は囚人であり、今後長期にわたって妻との私的な接触を絶つ境遇を強いられる。妻は自然に自分がいなくてもやっていくように慣らされるはずだ。出所したときに、妻が囚人と離婚する敷居はかなり低くなっているだろう。ましてや他の女性との不貞行為を主張できて、夫が否定しないのだからなおさらである。同時に、アイリーンの名前が出ないようにしたいと思った。クーパーウッド夫人がその気で、自分が反対しなければ、どんな偽名でも使えるのだ。それに、妻は知的に話ができるようなあまり強い人間ではない。自分なら妻を意のままにできる。もうこれ以上話す必要はない。氷は砕かれて、問題は妻の前に置かれた。あとは時間が解決してくれるはずだ。


「大げさだよ、リリアン」クーパーウッドは平然と言った。「十分な生活費があれば、私がいなくなってもきみが失うものはあるまい。ここを出ても、フィラデルフィアで暮らしたくはないからね。今考えているのは西に行くことだ。私はひとりで行きたいと考えている。仮に離婚しても、すぐに再婚する気はない。誰も連れていきたくないんだ。きみはここで暮らして、私と離婚した方が、子供たちのためになる。世間は子供たちやきみには好意的だろうからね」


「私は離婚しません」クーパーウッド夫人はきっぱりと言い切った。「絶対にしません、絶対にしませんからね! あなたが言いたいことを言うのは勝手です。私は散々あなたに尽くしてきたんですから、あなたは私と子供たちのそばにいる義務があるわ。だから私は離婚なんかしません。もうこれ以上は何を言っても無駄です。私は離婚しません」


「よくわかったよ」クーパーウッドは立ち上がりながら静かに答えた。「もうこれ以上この話をする必要はないな。いずれにしても、そろそろ時間だ」(ふつう面会時間は二十分割り当てられていた)「もしかしたら気が変わるかもしれないしね」


リリアンは、マフと、差し入れを運んできた手さげ鞄をまとめると、帰ろうと振り返った。これまでは見せかけでも夫にキスをするのが習慣だったが、今は腹立たしくてそれどころではなかった。それにしても情けなかった――自分が情けなかったし、情けない夫だと思った。


「フランク」リリアンは最後の最後に芝居じみた態度で言い放った。「あなたみたいな人、見たことがないわ。あなたには心ってものがないよ。あなたにいい奥さんはもったいないわ。今つきあってるような女が、お似合いなのよ。あんまりだわ!」急に涙が出てきた。リリアンは軽蔑しながらも悲しみに暮れて飛び出した。


クーパーウッドはそこに立っていた。少なくとも、これでもう二人が無駄なキスを交わすことはないだろうと喜んでいた。ある意味で、あくまで感情面で、しんどかった。自分は、ちっとも妻に不当な仕打ちをしていないと判断した――経済的な負担を与えてはない――それが重要だった。リリアンは今日は怒ったが、それを乗り越えて、やがてこっちの立場もわかるようになるかもしれない。そんなことが誰にわかるだろうか? とにかく、自分が何をしようとしているのかを妻に説明した。そして結果は見てのとおりだった。ここにいる間は、卵の殻からゆっくり出て来るひよこほども自分を思い出す者はいなかった。あと四年近い刑期を残して刑務所の独房にるわけだが、明らかに自分の前にまだ全世界があることを体の中に感じた。フィラデルフィアで再起できなければ西へ行けばいい。しかし、かつての知り合いの信任を得るまでは――他の地域に持参できる信用状を得るまでは――ここにいなければならなかった。


「ひどいことを言ったって骨折はしない」妻が出て行くと独り言を言った。「やりとげるまでは終わらない。やがてここの連中に思い知らせてやる」独房の扉を閉めに来たボンハに、雨が降りますかねと尋ねた。廊下がとても暗く見えた。


「夜までにはきっと降るでしょう」ボンハは答えた。ボンハはクーパーウッドの複雑な事情をあちこちで聞くたびにいつも驚いていた。



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