第42章-第49章
第四十二章
裁判は続いた。これでクーパーウッドの有罪を確定できる、とシャノンが納得するだけの立証作業を州側が完成させて、シャノンが終了を宣言するまで、検察側の証人は次から次へと現れた。シュテーガーがすかさず立ち上がり、これもあれもそれも証明するだけの証拠がないのだから、この起訴を取り下げるよう長い議論を始めたが、ペイダーソン判事は全く取り合おうとしなかった。彼はこの問題が地元の政界でどれほど重要かを知っていた。
「今、その全部を持ち出さない方がいいと思いますよ、シュテーガーさん」言わせるだけ言わせておいてからペイダーソンは疲れた様子で言った。「市の慣習なら私もよく知っていますが、ここでなされた起訴は市の慣習とは関係ありません。あなたの弁論は陪審にするものであって私にするものではありません。私は今それに立ち入ることができないんです。被告側の立証が終了した時点で新たに申し立てればいいでしょう。申し立ては却下します」
注意して聞いていたシャノン地方検事は席に着いた。議論で丸め込もうとしても裁判長の心をやわらげる余地がないと見て、シュテーガーがクーパーウッドのところに戻ると、クーパーウッドはその結果を笑顔で迎えた。
「陪審に賭けるしかありません」シュテーガーは言った。
「思ってたとおりだ」クーパーウッドは答えた。
それからシュテーガーは陪審に近づき、自分の視点から事件の概要を簡単に説明して、自分の視点から証拠が証明するであろうものを陪審に向かって説明しつづけた。
「実際のところはですね、みなさん、検察側が提出できる証拠と、我々弁護側が提出できる証拠に、本質的な違いはありません。我々だって、検察側が今主張しているように、クーパーウッドさんがステナーさんから六万ドルの小切手を受け取ったことや、その金額の、彼が代理人として支払いを受ける権利があった市債の証書を減債基金に納めなかったことに、異議を唱えるつもりはありません。しかし、彼が市の代理人として四年間市の財務局を通じて市と取引を行っていたときは、市財務官との合意に基づいて、いかなる取引であろうともすべての金銭の支払い及び減債基金への証書の預託を、その取引があった翌月の一日まで保留する権利を有していたことについても、合理的疑いの余地さえ残さないように主張し証明するつもりです。実際に、我々はこれを証明するために、過去にまさにこのやり方で市の財務局と取り引きした経験がある大勢の市場関係者や銀行家を連れてくることができます。そして連れてくるつもりでおります。検察側はみなさんに、クーパーウッドさんがこの小切手を受け取った時点で自分が破産することを知っていたとか、この証書を購入したのは彼が主張するような減債基金に納めるつもりではなかったとか、さらには自分が破産することや、後で証書を預けられないことを知りながら、計画的にステナーさんの秘書のアルバート・スターズさんのところに行って証書を購入した話をしたとか、もしくは実際には話さなくてもそうやってほのめかされた嘘をもとに、小切手を確保して、立ち去った、と信じさせようとしています。
さて、みなさん、事実がどうだったかは、すぐに証言が明らかにしてくれますから、現時点でこれらの点を長々と議論するつもりはありません。ここにはたくさんの証人がいますから、証人の話を聞くのが待ち遠しくてなりません。みなさんに覚えておいてほしいのは、クーパーウッドさんが市財務官を訪ねた時点で自分が破産しそうなのを知っていたとか、問題の証書を購入していなかったとか、月初にいつも市とやっていた収支決算のときまで、好きなだけ減債基金に納めずに保留しておく権利はなかった、などを証明するものは、おそらくジョージ・W・ステナーさんによってなされるかもしれない証言の他には、これっぽっちも証拠がないということです。前の市財務官ステナーさんはおそらくそう証言するかもしれませんが、クーパーウッドさんは自分の立場から、また違った証言するでしょう。そのとき、みなさんは二人のうちのどちらを信じるかを判断することになります――前の市財務官のジョージ・W・ステナーさん、クーパーウッドさんの元仕事仲間で、長年にわたって利益を得てきましたが、ただ一度の金融不安、火事、恐慌に見舞われただけで、その労働から多大な利益を受けていたかつての仲間を裏切った人物でしょうか、それとも、フランク・A・クーパーウッドさん、有名な銀行家にして資本家であり、この嵐を切り抜けるために孤軍奮闘し、市と交わしたすべての契約を履行し、火事と恐慌によって押し付けられたこの不当な財政的困難を是正しようとこのときまで多忙を極め、つい昨日も、市に対して、もし自分が事業を中断せずに管理を許されるなら、喜んで自分の負債を(実際には全額が彼の負債ではないのですが)彼とステナーさんと市との間で議論されている五十万ドルも含めて、喜んでできるだけ速やかに返済し、自分の動機に対するこの不当な疑いには何の根拠もないことを、口先ではなく、仕事によって証明する旨を申し出た人物でしょうか。おそらくみなさんが推測するとおり、市は彼の申し出を受け入れませんでした。後ほどみなさんにその理由をお話しします。今は証言を進めていきます。弁護側としては、今日ここで証言されるすべてのことに細心の注意を払うよう、みなさんにお願いします。W・C・デービソンさんが証言台に立ったら、よく注意して話を聞いてください。クーパーウッドさんが証言に立ったら、同じように注意して話を聞いてください。他の証言もよく聞いてください。そうすればみなさんがご自身で判断できるはずです。この起訴に正当な動機が見出せるか、確かめてください。私は見出せませんね。みなさん、ご清聴いただき、どうもありがとうございました」
それから恐慌のときに取引所でクーパーウッドの特別代理人として行動していたアーサー・リバースを証人に呼んで、マーケットを支えるために彼が大量の市債を購入したことを証言させ、次にクーパーウッドの弟、エドワードとジョセフが、その時に市債の売買――主に買い付け――に関してリバースから受けた指示について証言した。
次の証人はジラード・ナショナル銀行のW・C・デービソン頭取だった。体の大きな男で、丸々としているというより、がっしりして横幅のある体型だった。肩と胸に厚みがあり、大きな金髪の頭には、高潔で健全そうに見える広い額がある。太いずんぐりした鼻をしているが、そこには力強さがあり、唇は薄く、引き締まって、均整が取れていた。その鋭い青い目には時折、皮肉なユーモアのかすかな気配が浮かぶが、概ね親しみやすくて、油断のない、穏やかな表情であり、これっぽっちも感傷的なところがなく親切にさえ見えなかった。誰の目にも明らかなように、デービソンの仕事は、金融に関する厳しい事実を述べることだった。彼がフランク・アルガーノン・クーパーウッドに精神的に支配されたり、動揺させられたりせずに、クーパーウッドに自然に惹かれていく様子も見て取れた。デービソンがとても静かに、しかしあえて言うなら大物然とした態度で席に着いたとき、自分がこの種の法律や金融について延々と語ったところで、普通の人間には理解できないし、本物の資本家にすれば沽券に関わる――つまり面倒だ、と感じているのは明らかだった。彼に宣誓させるためにその横で聖書を掲げている眠たそうなスパークヒーバーなどは、さながら木の塊に過ぎす、宣誓は彼の個人的な問題だった。時には真実を語るのが、都合がいいこともある。デービソンの証言はとても率直で単純明快だった。
彼はフランク・アルガーノン・クーパーウッド氏とは十年来の知り合いだった。その間ほぼずっと、彼と、あるいは彼を通じて取引をしていた。ステナーとのクーパーウッドの個人的な関係については何も知らなかったし、ステナーとは個人的な面識はなかった。問題になっている六万ドルの小切手に話が及ぶと――はい、以前にそれを見たことがあります。これは十月十日に、クーパーウッド商会の当座貸越を相殺するために、他の担保と一緒に銀行に持ち込まれたものだった。銀行の帳簿ではクーパーウッド商会の貸方に記載され、銀行は手形交換所を通じて現金を確保していた。その後クーパーウッド商会が銀行から資金を引き出して、当座貸越を発生させることはなかった。銀行側のクーパーウッドの口座が清算されたからだ。
それでも、クーパーウッドが多額の引き出しをしたとしても、そのことは検討されなかっただろう。デービソンはクーパーウッドが破産しそうだったことを知らなかった――こうもあっけなくするとは思わなかった。クーパーウッドは銀行の自分の口座で頻繁に当座借越をしていた。実際に、当座借越は彼の事業では定期的に行われていることだった。それは資産の積極的活用がつづいていることであり、優れた経営の極みだった。しかしクーパーウッドの当座借越は担保で保護されており、担保や小切手、あるいはその両方を束にして送るのが習慣だった。そういうものがいろいろな形で配分されて物事を立ち行かせていた。クーパーウッドさんの口座は銀行でも最大で最も活発でした、とデービソン氏は親切にもわざわざ口添えしてくれた。クーパーウッドが破産したとき、銀行にはクーパーウッドが担保として送った市債の証書が九万ドル以上あった。シャノンは反対尋問で、陪審員への影響を考えて、デービソン氏は何か下心があってクーパーウッドに特別好意的だったのではないかと探りを入れようとしたが果たせなかった。シュテーガーはその後を受けて、デービソン氏がクーパーウッドのために述べてくれた有利な点を、彼に繰り返し説明させることで、陪審員に完全に理解させようと全力を尽くした。シャノンは当然、異議を唱えたが無駄だった。シュテーガーは何とか自分の目的を果たした。
シュテーガーはここでクーパーウッドを証言台に立たせようと決心した。この流れで彼の名前が出ると法廷全体がざわめいた。
クーパーウッドはきびきびと素早く前に出た。とても冷静で、陽気で、人生に挑戦的でありながら、人生に礼儀正しく向き合っていた。この弁護士たちも、この陪審も、この藁とも水ともつかぬ裁判官も、運命のいたずらも、彼を根本的に動揺させたり、おとなしくさせたり、弱気にさせたりはしなかった。クーパーウッドは陪審員の精神的素養をすぐに見抜いた。彼は自分の弁護士がシャノンを動揺させ、混乱させるのを手伝いたかったが、理性が彼に、それをなすのは、事実またはもっともらしく見えるもので構成された、破壊できない構造の論理だけだ、と告げた。彼は自分のしたことは、経済活動として正しいと信じていた。自分にはこれをする権利があった。人生は戦争だ――特に金融に関わる人生は。戦略はその基本であり、義務であり、必然だった。そんなことも理解できない、ちっぽけな、つまらない考えの持ち主たちに、どうして煩わされねばならないのだろう? クーパーウッドは、シュテーガーと陪審員のために自分の経歴を説明して、自分にできるこの上なく健全で、この上なく感じのいい印象を与えた。そもそも私からステナーさんに近づいたのではありません――クーパーウッドは語った――私は呼ばれたんです。私は何もステナーさんに勧めてはいません。私はただステナーと彼の友人たちに、彼らが飛びつきたくなるような投資の可能性を示しただけで、それに彼らが飛びついたんです。(シャノンはこの時点で、クーパーウッドがどれほど巧妙に路面鉄道会社を組織していたかを見抜けなかった。その巧妙さはステナーと彼の友人たちに一言の抗議もさせないで〝振り落とす〟ことができるほどのものだった。そこでクーパーウッドは、これを自分がステナーと彼の友人たちに作ったチャンスとして語った。シャノンもシュテーガーも金融は専門ではなかった。部分的に――特にシャノンは――疑ってはいたが、二人とも一応信じるしかなかった。)市財務官の事務所で慣習がまかり通っていることについては自分の責任ではないと証言した。彼は一介の銀行家でありブローカーにすぎなかった。
陪審はクーパーウッドを見て、六万ドルの小切手の問題以外すべてを信じた。話がその件に及ぶと、クーパーウッドはすべてをもっともらしく説明した。この最後の数日間にステナーさんに会いに行ったとき、私は自分が本当に破産するとは思っていませんでした。私はステナーさんにお金を用立ててほしいと頼みました。それは事実です――それほど多くではありません、総額は――十五万ドルです。しかし、ステナーが証言しておくべきでしたが、私は動揺なんかしませんでした。ステナーさんは私の一つの資金源にすぎなかったからです。あの時は他にも頼む当てはたくさんあると確信していました。パニックに陥ったり、追加融資を控えるのは間違いだとステナーさんに指摘したことはありましたが、ステナーさんが言ったような強い言葉は使わなかったし、切羽詰まった訴えなどはしておりません。ステナーさんが最も簡単で手っ取り早い資金源だったことは事実ですが、唯一の資金源ではありませんでした。実際のところ、必要なら、主だった金融の仲間たちが私の信用枠を拡大してくれたでしょうし、時間はたっぷりあるだろうから、嵐が通り過ぎるまでは行き当たりばったりでつないで仕事をつづけていけるだろう、と考えていました。恐慌初日のマーケットを維持するために、市債の購入規模を拡大したことと、自分が六万ドルを負担している事実をステナーさんに伝えました。ステナーさんは何も反対しませんでした。ちょうどその時ステナーさんは精神的にかなり動揺していたので細心の注意を払えなかったのかもしれません。私も驚いたんですが、その後、予想もしなかった方向から予想もしなかった圧力がかかって、大手の金融機関はやりたくてそうしたのではないでしょうけど、残念なことに私に厳しい態度をとるようになったんです。翌日この圧力が一気に押し寄せて、店を閉めざるを得なくなりましたが、最後の瞬間まで本当に予想していませんでした。その時、六万ドルの小切手を取りに行ったのは、まったくの偶然です。もちろん、そのお金は必要でしたが、それは支払われて当然のものであり、うちの事務員はみんな多忙を極めていたので、ただ時間を節約するために、私が自分で頼んで、受け取ったに過ぎません。もしこれが拒まれたら、私が訴訟を起こすだろうとステナーさんは知っていました。市のために購入されたときに、市債の証書を預ける件については、私の完全な不注意によるものです。簿記係のスタプレイさんがこの件をすべて担当していたものですから。実を言いますと、証書が預けられていなかったことを私は知りませんでした。(これは真っ赤な嘘だった。彼はちゃんと知っていた。)その小切手がジラード・ナショナル銀行に渡されたのは偶然で、状況が違っていたら、どこかの別の銀行に引き渡されたかもしれなかったのだ。
こうしてクーパーウッドは、シュテーガーとシャノンの厳しい質問に、この上なく魅力的な率直さで答えていった。彼がそのすべてに対してとった真面目な態度――その真剣な、やるべきことに向ける注意力――を見れば、彼はいわゆる商人の鑑である、と断言できただろう。そして、本当のところを言えば、クーパーウッドは、自分がしてきて今説明していることは、すべて必要であり重要であったのと同時に、正当であったと信じていた。陪審には自分が見たとおりのままに、これを見てほしかった――自分の立場に立って自分に共感してほしかった。
クーパーウッドはようやく証言を終えた。彼の証言と彼の人柄が陪審に与えた印象は独特だった。陪審員番号一番のフィリップ・モールトリーは、クーパーウッドが嘘をついていると判断した。自分が破産しそうなのが前日にわからないなどということが、どうしてありえるのか彼には理解できなかった。クーパーウッドは知っていたにちがいない、と思った。いずれにせよ、クーパーウッドとステナーの間であった一連の取引全体は、何かの処罰に値するように思えた。この証言の間ずっと彼は陪審室に入ったら、どういう理屈で有罪に一票投じたものか、と考えていた。クーパーウッドが有罪だと他の人たちに納得させるために用いる論点をいくつか考えてさえいた。かと思えば陪審員二番、洋服屋のサイモン・グラスバーグはすべての経緯を理解したと考え、無罪に投票することに決めた。クーパーウッドが無実だとは思わなかったが、処罰には当たらないと思った。陪審員三番、建築家のフレッチャー・ノートンは、クーパーウッドは有罪だと思ったが、その一方では、あまりに才能があるから刑務所に送るのは惜しいと考えた。陪審員四番、アイルランド人の請負業者チャールズ・ヒレガンはやや信心深い考え方をする人で、クーパーウッドは有罪であり罰せられるべきだと考えた。陪審員五番、石炭商のフィリップ・ルカッシュは、クーパーウッドは有罪だと思った。陪審員六番、鉱山技師のベンジャミン・フレイザーは、おそらく有罪だと思ったが確信は持てなかった。陪審員七番、小柄で現実的で心の狭い三番街のブローカー、J・J・ブリッジスは、どうしようか決めかねていたが、クーパーウッドは狡猾で、有罪であり、処罰に値すると考え有罪に投票するつもりだった。陪審員八番、小さな蒸気船会社の総支配人ガイ・E・トリップは決心がつかなかった。陪審員九番、引退した接着剤製造業者のジョセフ・ティスディルは、クーパーウッドはおそらく起訴内容どおりに有罪だとは思ったが、ティスディルにすればそんなものは犯罪ではなかった。クーパーウッドには、あの状況下で行ったとおりのことを行う権利があった。ティスディルは無罪に投票するつもりだった。陪審員十番、若い花屋のリチャード・マーシュは感情に左右されてクーパーウッドを支持した。実際のところ、彼に確たる信念はなかった。陪審員十一番、懐は軽いが体重は重い食料雑貨商のリチャード・ウエバーは、クーパーウッドの有罪を支持した。彼は有罪だと思った。陪審員十二番、小麦粉の卸売商のワシントン・B・トーマスは、クーパーウッドは有罪だと思ったが、有罪を宣告した上で情状酌量を勧めたいと信じた。人は更生させるべきである、が彼のモットーだった。
一同は立ち上がった。自分の証言が少しでもいい影響を与えたかどうかを考えながら、クーパーウッドはその場を離れた。
第四十三章
最初に陪審に演説するのは被告側弁護士の特権なので、シュテーガーは検察に向かって丁寧に一礼して前に出た。両手を陪審席の手すりに置いて、とても静かで控えめだが印象的な口調で話し始めた。
「陪審員のみなさん、私の依頼人、三番街で働くこの街の有名な銀行家で資本家のフランク・アルガーノン・クーパーウッドさんが、総額六万ドルをフィラデルフィア市の金庫から自分の財布に不正に移し替えたとして、この地区の地方検事を代表とするペンシルベニア州に起訴されました。これは一八七一年十月九日付で、彼の名義で振り出され、当時この市の財務官の専属秘書兼主席会計士だったアルバート・スターズから受け取った小切手という形をとっています。さて、みなさん、これに関連する事実とは何でしょうか? みなさんはいろいろな証人の話を聞いて、この事件の概略をご存知です。まずはジョージ・W・ステナーの証言を取り上げてみましょう。その証言によりますと、証人は一八六六年のある時期に、かなりの安値をつけていた市債を額面価格に引き上げる方法を教えてくれる――教えてくれるだけでなく、それを実践して自らの知識が正しいことを証明してくれる銀行家だかブローカーが、どうしても必要でした。ステナーさんは当時、金融に関する経験が足りませんでした。クーパーウッドさんは取引所でブローカーやトレーダーとして、うらやましいほどの実績を持つ活発な青年でした。市債を額面で扱う方法を、ステナーさんに理論で説明するだけでなく実践してみせました。その時に、クーパーウッドさんはステナーさんと取り決めをしました。その詳細については、みなさんがステナーさん本人から聞いたとおりです。その結果、大量の市債が販売するためにステナーさんからクーパーウッドさんに引き渡されました。巧みな操作によって――売買の方法はここで説明する必要はありませんが、クーパーウッドさんが活動していた世界では完全に正当で合法的な方法で――市債を額面まで引き上げ、みなさんもここでの証言ですべて聞いたように、毎年その状態を維持しました。
さて、みなさん、ここでの争点は何でしょう? 今ステナーさんをこの法廷に連れてきて、かつての代理人兼ブローカーを窃盗と横領で告発し、市の公金六万ドルを何の見返りも与えずに私的に流用したと主張させている重要な事実とは? 一体何なのでしょう? クーパーウッドさんは密かに、まるで盗む気満々で、いつの間にか、ステナーさんや彼の部下たちに知られぬよう財務官の事務室に入り込み、強引に犯罪的意図をもって六万ドル相当の市の公金を持ち去ったのでしょうか? 全然違います。みなさんも地方検事が説明するのを聞いたでしょうが、罪状というのは、クーパーウッドさんが譲渡を行った前日の午後四時から五時の間の白昼に公然とやってきて、三十分から四十五分ほどステナーさんと閉じこもり、出てきて、アルバート・スターズさんに、最近、市の減債基金向けに六万ドル分の市債を購入したことと、その分の金はまだ支払われていないことを説明し、その金額を市の帳簿の自分の欄に計上し、自分に当然の権利がある小切手を渡すよう求めて立ち去った件です。これに何か注目すべきことがあるのでしょうか、みなさん? 何か変なところがありますか? クーパーウッドさんは、その時に自分が行ったと自分でも言ってましたが、彼がそういう業務を行う市の代理人ではないという証言が今日ここでされたでしょうか? 自分でも言ってましたが、彼が市債を購入しなかったと、どなたかこの証言台で証言したでしょうか?
それではどうしてステナーさんはクーパーウッドさんを、彼が購入する権利を持っていて、しかも彼が購入したことはここでは争われてもいないのに、証書の代金の六万ドルの小切手を窃取して不法に処分したとして告発するのでしょうか? その理由はここにあります――いいですか――ここです。私の依頼人は小切手を要求して、それを持ち去って、自分の銀行の自分の口座に入れたときに、検察側の主張によれば、その小切手と引き替えに受け取った六万ドル分の証書を減債基金に納めるのを怠りました。そしてそれを怠ったことと、同じ日の金融情勢逼迫のせいで支払いを全面的に停止せざるを得なくなったことが原因で、彼は検察側とこの市の共和党の心配性の指導者たちの言う、横領犯だか泥棒だかその類になったのです――その辺は何でも好きなものでいいんです。みなさんがジョージ・W・ステナーと無関心な共和党指導者たちの代わりに、市民の目から見て罪人に見える代わりものを見つけるのであれば」
そして、ここでシュテーガーは大胆かつ挑戦的に、シカゴ大火とその後の恐慌とその政治的影響に関連して現れた政治状況全体を概説して、クーパーウッドを不当に中傷された代理人、火災の前はフィラデルフィアのどの政治指導者にも重宝され一目置かれた人物、火災の後で選挙に負ける恐れが出たときは、手近なところにいた最も手頃なスケープゴートとして選ばれた者、として描写した。
そして、シュテーガーはこれを説明するのに三十分かけた。この後でシュテーガーは、今度はステナーのことを、特定の財務的成果を達成するために、自分たちがその結果に結びつくのを望まない上役の政治的実力者に利用された、まさに手先であり隠れ蓑だと指摘し、直後に続けた。
「しかし今、このすべてを踏まえて考えると、このすべてがいかに馬鹿げているかがおわかりでしょう! 馬鹿げています! フランク・A・クーパーウッドは長年この問題を扱う市の代理人だったのです。彼は、最初に自分とステナーさんが合意した一定の規則のもとで働きました。その規則は、ステナーさんが市の財務官として登場するずっと前の歴代政権から引き継がれた慣習や規則だったので、明らかにステナーさんの上にいる人たちから来たものでした。そのうちの一つは、翌月一日に収支決算をするまで、すべての取引を繰り越すことができるというものでした。つまり、彼は月初まで、市の財務官に一切お金を支払う必要がなく、小切手を送ったり、お金や証書を減債基金に納める必要もありませんでした。その理由はですね――これを注意して聞いてください、みなさん、ここが重要ですから――それはですね、彼が市の財務官のために行った市債その他の取引は、非常に数が多く、迅速さが求められ、事前に予測がつかなかったので、業務を適切に遂行するために――仕事として立ち行かせるために――この種のゆるい簡単なやり方をしなければならなかったからなんです。そうでなければ、彼はステナーさんのために、いや、他の誰のためにも、最大の利益になるように働くことはできなかったでしょう。彼にとっても――市の財務官にとっても――帳簿の処理が追いつかなくなることになりますからね。ステナーさんは証人尋問の早い段階でこのことを証言しています。アルバート・スターズさんも、そう理解していると述べています。では、それだと、どういうことになるのでしょう? つまり、これだけのことです。陪審員のみなさんや、正常なビジネスマンは、こういう場合に、クーパーウッドさん本人が預け入れるこういうものを全部持って、いろんな銀行や減債基金や市の財務官事務所を走り回ったり、部下の会計責任者に『はい、これ、スタプレイ、六万ドルの小切手だ。この分の市債の証書を今日中に減債基金に納めておいてくれ』と言ったりするとでも思うのでしょうか? どうしてそんなことを思わないといけないのでしょう? そんな考え方をするほうが、馬鹿げているんです! 当然のこととして、そしていつもそうしていたように、クーパーウッドさんには決まったやり方があったわけです。時が来れば、この小切手もこれらの証書も自動的に処理されたことでしょう。彼は小切手を簿記係に渡して、それっきり忘れていたのです。みなさんは、こういう大仕事を抱えた銀行家が、何か他のことをするとでも想像するのでしょうか?」
シュテーガーは一息ついて、様子を見て、自分の主張が十分に伝わったことに満足すると、話を続けた。
「もちろん、その答えは、自分が破産しそうなことを知っていた、というものでしょう。ですが、クーパーウッドさんの答えは、そんなことはまったく知らなかった、です。彼自身はここで、自分がそういう事態を考えたもしくは知ったのは、実際にそうなる直前だった、と言って証言しております。では、どうしてこれが、法的権利のある小切手をクーパーウッドさんに渡すことを拒む理由になるのでしょうか? 私にはそれがわかっている気がします。もし私の話を最後まで聞いていただけるのなら、私は理由を説明できると思います」
シュテーガーは見方をかえて、別の知的な角度から陪審に迫った。
それは単に、そのときのジョージ・W・ステナーさんが、直近の大火事と恐慌のために、何らかの理由で――おそらくはクーパーウッドさんが地元の情勢全般に過度に怯えるなと警告したことが理由で――クーパーウッドさんが店を閉めるつもりだ、と想像したからです。そして、低金利で彼に多額の資金を預けていたステナーさんは、これ以上クーパーウッドさんにお金を渡してはいけない、と決めました――提供された労働の代償に実際に彼に支払われるべきお金であり、二・五パーセントの金利でステナーさんが彼に貸し付けたお金とはまったく関係のないお金さえもです。これは馬鹿げた状況ではありませんか? しかし、ジョージ・W・ステナーさんが、本来なら支払われるべきお金をフランク・A・クーパーウッドさんに渡さないと決めたのは、クーパーウッドさんの支払能力とは最初からまったく関係のない、火事と恐慌が原因の自分の恐怖心で彼が満たされたからです。それというのも、ステナーさんは(クーパーウッドさんを仲介人として)市の公金を自分の利益を促進するために不正に流用していて、摘発され、処罰されるかもしれない危険にさらされていたからです。さて、みなさん、この決定のどこに良識があるのでしょう? これでわかりましたか、みなさん? ここで証言されたように、クーパーウッドさんが市債の証書を購入したとき、彼はまだ市の代理人だったでしょうか? 確かに代理人でした。もしそうなら、彼にはそのお金を受け取る権利があったでしょうか? どなたか、ここで立ち上がってそれを否定しようという人はいますか? この件での彼の権利、もしくは誠実さの、どこに疑問があるのでしょう? いったいどうやって疑問がここで生じるのでしょう? 私はみなさんに説明できます。それが生じる場所はひとつだけで、他のどこからも生じません。それは、共和党のスケープゴートを見つけたいというこの街の政治家たちの欲望なのです。
実際には自分のものであるものを要求して受け取ったことを理由に、市の代理人のクーパーウッドさんを起訴するという、このとてもおかしな決定を説明するのに、私の話が随分脇道に逸れている、と今みなさんはお考えかもしれませんが、そんなことはありません。当時の共和党の立場を考えてください。市の公金の巨額の横領の詳細に関する真相が明るみに出ると、目前に迫った選挙にかなりの悪影響が出る事を考えてください。共和党は当選させたい新しい財務官と新しい地方検事を抱えていました。党には、歴代の財務官に、彼らが保有する資金を財務官自身や財務官の友人たちのために低金利で運用する特権を認める慣習がありました。財務官は安月給でしたからね。それなりの生活をするには何らかの手段をもたなければなりませんでした。この市の公金貸付の慣習はジョージ・ステナーさんの責任でしょうか? まったく違います。ではクーパーウッドさんでしょうか? やはり違います。この習慣は、クーパーウッドさんやステナーさんが登場するずっと以前からありました。では、なぜ今になってこんな大騒ぎをするのでしょう? この騒動のすべては、世間に知られるのを、あのときのステナーさんが恐れ、あのとき政治家たちが恐れたことから始まったに過ぎません。これまで財務官は一度も摘発されたことがありません。露見に直面したことは、つまりステナーさんが利用していたかなり悪質な慣行に世間の注意を向けてしまう危機に直面したことは、新しい事態だったのです。それだけのことなんです。大火災と恐慌が、街中のたくさんの金融機関の安全と存続を脅かしていました――その中にクーパーウッドさんの会社もありました。破産者がたくさん出るかもしれません。たくさんの破産者が出るなら、ある人が破産することだってあるでしょう。もしフランク・A・クーパーウッドが破産したら、彼は二・五パーセントという超低金利で市の財務官から借りた五十万ドルをフィラデルフィア市に返せなくなります。このことはクーパーウッドさんにとってかなり不利に働きませんか? 彼は財務官のところへ行って二・五パーセントの金利で融資を依頼したでしょうか? もし依頼したとして、ビジネスの面から見て、そこに何か犯罪的な要素があったでしょうか? 人間には、できるだけ低い金利で借りられる融資先からお金を借りる権利があるのではないでしょうか? もし貸したくなければ、ステナーさんがクーパーウッドさんに貸さなければよかったのではありませんか? 現に彼は今日ここで、最初は自分がクーパーウッドさんを呼び寄せた、と証言したではありませんか? それでは、いったい、どうしてこのような窃盗罪、受託者による窃盗罪、横領罪、小切手による横領罪などいった扇動的な告発がなされたのでしょう?
みなさん、もう一度、よく聞いてください。私がその理由を説明します。ステナーさんの背後にいて、ステナーさんがその命令に従っていた人たちは、誰かを政治的なスケープゴートに仕立てたかったのです――他に誰も見つけることができなければフランク・アルガーノン・クーパーウッドにすればよかったわけです。それが理由です。この神の青い空の下に、他の理由はひとつもありません。もしもクーパーウッドさんがあの時、危機を乗り切るために追加融資を必要としていたなら、お金を提供してこの問題をもみ消す方が彼らにとっては良策だったでしょう。違法ではあったでしょうが――この件でこれまでに行われた他のどれと比べてみてもことさら違法というわけではありません――むしろ、その方が安全だったでしょう。恐怖ですよ、みなさん、恐怖が、勇気の欠如が、大きな危機が発生したときに大きな危機に立ち向かう能力の欠如が、実は彼らの行動の妨げただけなんです。これまで一度も自分たちの信頼を裏切ったことがなく、その忠誠心とすばらしい金融手腕から、彼らと市は大きな利益を得ていたのに、その相手を信じることが怖かったのです。火事と恐慌と破綻の可能性の噂を前にしたその時の財務官には、つづけることも違法行為をやり通す勇気もありませんでした。そして今日ここで証言したとおり、彼は手を引くことに決めました――自分がクーパーウッドさんに融資した全額あるいは少なくとも五十万ドルの大半を返すよう求めたのです。これは実際には、クーパーウッドさんがステナーさんのために使っていたものなのにです。さらには権限で購入した市債の代金として実際に彼に支払うべきお金まで拒否しました。クーパーウッドさんはこれらの取引のいずれかで、代理人として罪を犯したでしょうか? これっぽっちも犯してはいません。この彼の破産に関連して、市の五十万ドルを彼に返済させるために起こされている訴訟があったでしょうか? まったくありません。これはジョージ・W・ステナーの見当違いの愚かな狼狽が起こしただけの事件にすぎず、党の財務官であるステナー以外に、市の損失の責任を負わせられる相手を見つけたいという、事情を知った共和党指導者の強い願望にすぎません。みなさんは今日ここでクーパーウッドさんの証言を聞きました――彼はまずこういう事態が起きないようにするために、ステナーさんのところへ行きました。この警告が仇となり、ステナーさんは激しく動揺して、正気を失い、クーパーウッドさんに融資の全額、自分が二・五パーセントの金利で彼に貸した五十万ドル全額の返済を求めました。これは、どう見ても愚かなお金のやりとりではありませんか? これは、完全に合法な融資を回収するにしてはひどいタイミングではないでしょうか?
さて、六万ドルの小切手の件に戻りましょう。ステナーさんの証言によれば、ステナーさんはクーパーウッドさんが破産する直前の午後訪ねたときに、これ以上お金は渡せない、無理だ、と彼に告げました。するとクーパーウッドさんは部屋を出て一般事務室に出て行き、ステナーさんの知らないうちに、あるいは同意もないのに、彼には権利のない、もしステナーさんが知っていたらなら支払いを止めていたはずの六万ドルの小切手を渡すよう、彼の主席事務官であり秘書のアルバート・スターズさんを説得したのだそうです。
馬鹿げています! どうして彼が知らなかったんですか? 帳簿があったんですよ、彼は見ることだってできた。スターズさんが最初に言ってきたのは翌朝です。クーパーウッドさんはそれを何とも思いませんでした。だって彼にはそれを受け取る権利がありましたから。破産しようがしまいが、こういう事件を管轄するどの裁判所でもそれを回収できたんです。ステナーさんが、自分なら支払いを止めていたのに、などと言うのは愚かなことです。この主張は、おそらく翌朝仲間や政治家たちと相談して後で思いついたものでしょう。すべてが、この時期に共和党にスケープゴートを与えようという策略であり罠であり、罠の一部だったにすぎません。それ以上でもそれ以下でもありません。こればかりはクーパーウッドさんが有罪になるのを見たくて仕方がない人たちでなければわかりませんから」
シュテーガーはいったん話をやめて、意味ありげにシャノンに目を向けた。
「陪審員のみなさん(シュテーガーはようやく、静かに、真剣に結論に入った。)今晩評議室でよく考えれば、この起訴状に記された窃盗罪、受託者による窃盗罪、六万ドルの小切手の横領罪というこの訴えが、この一つの行為がさも犯罪に見えるように言いくるめようとする地方検事の熱心な努力以外の何物でもないことがわかります。これは、クーパーウッドさんを犠牲にしてでも自分の立場を守りたくて仕方がない、危険から逃げ出したい大勢の政治家の興奮した想像力の産物以外の何物でもありません。彼らは自分たちさえ罪に問われなければ、名誉も公正も一切まったく気にしないのです。彼らはペンシルベニア州の共和党員たちに、この市の共和党の運営と管理がうまくいっていないと思われたくないのです。彼らはジョージ・W・ステナーをできる限り守り、私の依頼人を政治的なスケープゴートにしたいのです。そんなことはあってはならないし、許されることはありません。そんなことは、名誉を重んじる知性ある人間として、みなさんが許さないでしょう。そう考えることで、私は安心してみなさんにお任せすることができます」
シュテーガーは突然、陪審員席に背を向けてクーパーウッドの隣の自分の席へ戻った。するとシャノンが立ち上がった。冷静で、力強く、活気に満ちていて、ずっと若々しかった。
人間同士の間にあることとして見れば、シャノンはシュテーガーがクーパーウッドのために築いたこの論証に特に異論はなかったし、クーパーウッドがしたようなお金の稼ぎ方に反対でもなかった。現にシャノンは、もし自分がクーパーウッドの立場だったら、まったく同じことをしただろうと実際に考えていた。しかし、彼は新たに選出された地方検事だった。彼は実績を作らなければならなかったし、その上、彼の上にいる政治権力者たちは、たとえ見せかけでもクーパーウッドは有罪になるべきだと考えていた。そこで、シャノンはまず手すりにしっかり両手を置き、しばらく陪審員の目をじっと見て、頭の中で少し考えをまとめてから話を始めた。
「さて、陪審員のみなさん、私には、私たち全員が今日ここで起きたことにしっかりと注意を払えば、一つの結論にたどり着くのに何の困難もないように思えます。その結論は、私たちみんなが事実を正しく判断しようと努めれば、とても満足できるものになるでしょう。この被告人、クーパーウッドさんは、先ほども述べましたが、窃盗罪、受託者による窃盗罪、横領罪、特定小切手の横領罪で起訴されて本日この法廷に出廷しました。――その小切手とは一八七一年十月九日付で、市の財務官に代わって市の財務官の秘書によって、フランク・A・クーパーウッド商会宛に総額六万ドルで振り出され、それに署名する権利があったときと同じように彼によって署名がなされて、先ほど述べたフランク・A・クーパーウッドさんに引き渡されたものです。彼は、当時自分にはきちんと支払う能力があっただけでなく、事前に六万ドル分の市債の証書も購入済みで、その時点か、もしくは慣例にならって後日、市の減債基金口座に預け入れて、普段なら普通の取引になるはずのもの――つまり、市のために市債を購入し、それを減債基金に預け、迅速かつ適切に払い戻しを受けるという、市の銀行及びブローカーとしてのフランク・A・クーパーウッド商会の業務――を終えたと主張しています。さて、みなさん、この事件で実在する事実とは何でしょう? いわゆるフランク・A・クーパーウッド商会なるものは実在したのでしょうか――みなさんがご存知のように、みなさんが今日ここで証言をお聞きになったように、会社は存在しません、だたのフランク・A・クーパーウッドという個人にすぎません――今述べたフランク・A・クーパーウッドは、彼が受領したというやり方で、このときに小切手を受け取るのにふさわしい人物だったのでしょうか――つまり、そのとき、彼は権限を有する市の代理人だったのでしょうか、それともそうではなかったのでしょうか? 彼に支払能力はあったのでしょうか? 彼は自分が破産すると本当に思っていたのでしょうか、この六万ドルの小切手は、法や道徳、その他のものに関係なく、彼が自分の財政的命脈を守るためにつかんだ最後の一本の細い藁だったのでしょうか、それとも、彼は自分が語った入手方法で入手し、自分が語った入手時期に入手したその金額の市債の証書を、実際に購入していて、ただ単に自分の正当な取り分を受け取っていただけなのでしょうか? 彼はこの市債の証書を、自分が言ったとおりに――彼はそういう行動をする、と自然に、普通に理解されていたように――市の減債基金に預けるつもりだったのでしょうか――それともそうではなかったのでしょうか? ブローカー及び代理人としての彼と市の財務官との関係は、彼がこの六万ドルの小切手を手に入れた日も、いつもと同じままだったのでしょうか、それとも違っていたでしょうか? 両者の関係は、十五分前でも二日前でも二週間前でも――きちんと終了していれば時期は重要ではありませんが――会話によって終了していたでしょうか、それともしていなかったでしょうか? 事業者は、契約が明確な形式を取っていなくて、運用期間の定めもない場合には、いつでも合意を破棄する権利を持っています――みなさんもきっとご存知でしょうが。この事件の証拠を検証する上で、みなさんはそのことを忘れてはなりません。ジョージ・W・ステナーは、フランク・A・クーパーウッドが資金繰りに行き詰まり、もはやこの合意により彼が負っているはずの義務を適切かつ忠実に遂行できないことを知り、もしくは疑い、この六万ドルの小切手が渡される前の一八七一年十月九日に、即刻その場で合意を破棄しましたか、それとも破棄しなかったでしょうか? フランク・A・クーパーウッドさんはそのとき、もう自分が市や財務官の代理人でないことを知り、自分が支払不能であることも知り(ステナーさんの証言によれば彼自身が認めているわけですが)、その後購入したと主張した証書を減債基金に納めるつもりもないのに、ステナーさんの事務所に出向き、秘書に会い、六万ドル相当の市債を購入したと告げて小切手を請求して受け取り、ポケットに入れて立ち去り、市に対していかなる手段、様式、形状でも一切返還しないまま、その二十四時間後に、これとさらに五十万ドルの市への負債を抱えて破産しましたか、それともしませんでしたか? この場合の事実とは何でしょう? 証人たちは何を証言しましたか? ジョージ・W・ステナー、アルバート・スターズ、デービソン頭取、クーパーウッドさん本人は、何を証言しましたか? いずれにせよ、この事件の気になるわかりにくい事実は何でしょう? みなさんはとても奇妙な問題を判断しなければなりません」
シャノンはいったん話をやめて、袖を直しながら陪審員を見つめた。その様子はまるで自分が、名誉を重んじる健全な社会と名誉を重んじる罪と無縁の陪審員に、自分自身を正直者として堂々と押し付けている狡猾でとらえどころのない犯罪者を追っている、と確信しているかのようだった。
それから続けた。
「さて、みなさん、事実はどうなのでしょう? この状況全体がどのようにして起きたのか、みなさんならご自分で正確にわかるはずです。みなさんには分別がありますから。私が言うまでもありません。ここに二人の人物がいます。一人はフィラデルフィア市の財務官に選ばれ、市の利益を守ってその財政を最も有利に運営することを誓った人物で、もう一人は財政の先行きが不透明な時期に難しい財政問題の解決を手助けするために招かれた人物です。そして次は、静かに私的な金融上の了解が成立して、違法な取引へとつづいていくわけです。その中で、一段と狡猾で賢く、三番街の微妙な手法に精通した人物が、もう一方の人物を幸運な投資という見かけだけは魅力的な道に誘導して、偶然とはいえそれでも犯罪に近い、破滅とさらし者と世間から後ろ指をさされる泥沼に引きずり込んだのです。そして、二人のうちで批判の矢面に立つ方の人間――つまり最も危険な立場にいるフィラデルフィア市の財務官が――もはや合理的にも、まあ、勇気を出しても――それ以上は相手についていけなくなるところまで来てしまいました。そのときに、今日の午後ここの証人席でステナーさんによって描写されたような光景がありました――あれですよ、たちの悪い貪欲で無慈悲な金融屋の狼が、ちぢこまった世間知らずな商人の子羊を見下ろすように立って、白い輝く歯をギラギラさせながら、こう言うのです『もし私が要求するお金――とりあえず三十万ドル――を寄こさなければ、あなたは囚人になってあなたの子供たちは路頭に迷い、あなたも奥さんも家族も再び貧乏に逆戻りだ。そしてあなたに手を差し伸べる者は誰もいなくなるんですよ』ステナーさんの証言によれば、これがクーパーウッドさんが彼に言った言葉です。私としては、彼が言ったということに、これっぽっちも疑いを抱いてはおりません。シュテーガーさんは自分の依頼人に言及する場合とても慎重に、上品で、親切で、紳士的な代理人だとか、三番街でコールローンが十から十五パーセント、あるいはそれ以上かかるときに、二・五パーセントの金利で五十万ドルを使うことを事実上余儀なくされただけのブローカーだと述べています。ですが、私はそれを信じる気にはなれません。このすべての中で私が奇妙に思えるのは、もし彼がそんなに上品で、親切で、優しく、穏やかで、関係が希薄な――ただの雇われ人でしかない従属的な代理人だったら――どういうわけでこの六万ドルの小切手の問題が持ち上がる二、三日前にステナーさんの事務所に行き、ステナーさんが宣誓のもとで証言しているような『すぐに、今日中に、私に市のお金をあと三十万ドル渡さないと、私は破産し、あなたは囚人になって刑務所に行くことになりますよ』と言うことができたのでしょう? これは、彼がステナーさんに言った言葉ですが、『私は破産し、あなたは囚人になる。彼らは私には手を出せなくても、あなたのことは逮捕するでしょう。私は単なる代理人ですからね』これは、親切で、罪のない、礼儀正しい代理人、もしくは雇われブローカーの言う言葉に聞こえますか、それとも、厳しい、反抗的な、人を見下した主人――つまりは主導権を握って、公正な手段であれ不正な手段であれ支配して勝つ覚悟のできている人の言葉に聞こえますか?
みなさん、私はジョージ・W・ステナーの弁護をしているのではありません。私の判断では、彼はうぬぼれた彼の共犯者と同じくらい――少なくともそれ以上に――有罪です。羊の皮をかぶって笑顔で現れて、市のお金を二人が儲かるようにできる巧妙な手口を指摘したあの油断できない資本家と同じです。でも私はこのクーパーウッドさんが、つい先ほども聞きましたが、親切で、穏やかで、罪のない代理人と評されるのを聞くと怒りが込み上げます。もしみなさんがこの主張全体を正しく理解したければ、十年から十二年くらいさかのぼって、当時かなりの貧困で苦しんだ政治の世界の駆け出しだった頃と、この非常に狡猾で有能なブローカーでもある代理人が現れて、市の金で金儲けをする手段を指摘する前のジョージ・W・ステナーさんを見なければなりません。ジョージ・W・ステナーはあまり大した人物ではありませんでした。ステナーが新しい市の財務官に選ばれたのを知ったときのフランク・A・クーパーウッドも大した人物ではありませんでした。その時に、上品で、さわやかで、若々しい、立派な身なりの彼が、狐のように抜け目なく現れて、こう言うのが目に浮かびませんか?『お任せください。私に市債を扱わせてください。市のお金を二パーセント以下で貸してください』彼がこう持ちかける声がみなさんには聞こえませんか? その様子を思い浮かべることはできませんか?
初めて市の財務官に就任したとき、ジョージ・W・ステナーは貧乏でした。比較すればかなりの貧乏人でした。彼が持っていたものは、年間二千五百ドルほどの収入をもたらす不動産と保険を扱う小さな仕事だけでした。養わなければならない奥さんと四人の子供がいて、贅沢や快適と呼べるものは、ほんのわずかでも一度も味わったことがありませんでした。そんなときに現れたのがクーパーウッドさんです――確か求めに応じたんでしたね、しかし用事といってもステナーさんの頭には不正な利益を得ようという考えはまったくありませんでした――そして彼は二人の相互利益のために市債の相場を操縦するという壮大な計画を提案します。みなさん、この証言台で見たジョージ・W・ステナーさんの様子から、あそこにいるあの紳士に不正に富を得る計画を持ちかけたのがステナーさんだと思いますか?」
シャノンはクーパーウッドを指さした。
「みなさんにはステナーさんが、金融やそれに伴うこのすばらしい相場操縦についてあの紳士に何かを言える人物に見えますか? みなさんにお尋ねします。この二人はその後で大金を稼いだわけですが、そのすべての巧妙な手口を提案するほど彼は賢く見えますか? 数週間前ここで破産した時に、このクーパーウッドさんが自分の債権者向けに作成した収支報告書によれば、彼は自分の資産を百二十五万ドル以上と考えています。今日の段階で彼は三十四歳を少し過ぎたばかりです。彼が最初に元財務官と仕事の関係を結んだ時点では、どのくらいの資産があったのでしょう? みなさんはご存知ですか? 私は知っています。一か月ほど前に就任した時に、この件を調べてもらいましたから。二十万ドルちょっとなんです、みなさん――二十万ドルをちょっと超える程度でした。ここにその年のダン商会の記録からの抜粋があります。その後、我らのシーザーがどれほど急に豊かになったか、これでみなさんにもおわかりいただけるでしょう。この短い年月でどれほどの利益が彼にもたらされたかがわかります。ジョージ・W・ステナーは、自分が解任されて横領罪で起訴されるまでに、これほどの資産を築いたでしょうか? 彼は築いたでしょうか? ここに当時の彼の負債と資産の一覧表があります。みなさん自身の目でこれを確認してください。三週間前に調べた総資産はちょうど二十二万ドルでした。私には知るだけの根拠がありますが、これは正確な評価額です。クーパーウッドさんは急速にお金持ちになったのに、ステナーさんが随分ゆっくりなのはどうしてだと思いますか? 二人は共犯者なんですよ。三番街のコールレートが時々十六とか十七パーセントになることがあるときに、ステナーさんは巨額の市の資金を二パーセントでクーパーウッドさんに貸し付けていました。そこに座っているクーパーウッドさんなら、このとても安く手に入れた資金を最大限に活用する方法を知っているとは思いませんか? みなさんには彼が知らないように見えますか? みなさんは証言台で彼を見たことがあります。彼が証言するのを聞いたことがあります。とても人当たりがよく、とても率直そうに見え、いかにも善人で、もちろんステナーさんや彼の友だちのために好意として何でもやりながら、それでも、六年ちょっとで百万ドルも稼いでいて、そのくせステナーさんには十六万ドル以下しか稼がせませんでした。もっともこの提携が始まった時点でステナーさんの所持金は微々たるもの――数千ドル――でしたが」
シャノンはいよいよ、クーパーウッドがステナーを訪ねてアルバート・スターズから六万ドルの小切手を受け取った十月九日の大事な取引に話を進めた。この巧妙で犯罪的な(とシャノンは考えているらしい)取引に対する彼の軽蔑には限りがなかった。これは明らかな窃盗で、泥棒だった。クーパーウッドはスターズに小切手を要求したときに、それを知っていたからだ。
「考えてください! (シャノンは振り返って、真っ向からクーパーウッドを見据えて叫んだ。クーパーウッドは平然と構え、動じたり、恥じる様子もなく、彼と対峙した。)考えてください! この男の途方もない厚かましさ――その頭脳のマキャベリのような狡猾さを考えてください。この男は自分が破産することを知っていたのです。資金繰りの二日間後に――彼の邪悪な計画を覆した天災の相殺に明け暮れた二日間の奮闘後に――一か所、つまり市の財務部を除いて、当たれるだけの資金源を片っ端から当たり尽くしてしまったので、無理してでもそこで援助を得られない限り、自分が破産してしまうことを知りました。すでに彼は市の財務部に対して五十万ドルの負債があります。すでに市の財務官を手玉に取って散々利用し、随分深く巻き込んでいたため、財務官は借金の途方もない大きさに怯えていました。そんなことがクーパーウッドさんを思いとどまらせたでしょうか? とんでもありません」
シャノンが目の前で不気味に指を振ったので、クーパーウッドはうっとうしそうに顔をそむけた。「あいつは自分の将来のために、自分を誇示しているんだ」とシュテーガーにささやいた。「陪審員にそう言ってもらいたいな」
「そうしたいのは山々ですが」シュテーガーは冷笑しながら答えた。「私の持ち時間は終わりました」
「どうしてでしょう。(シャノンはもう一度陪審員の方を向いて続けた。)六万ドル分の市債を追加購入したと言ったそばから、その場ですぐにその分の小切手をくれ、とアルバート・スターズに言えてしまうほどの、とてつもなく大きくて狼のように貪欲な厚かましさを考えてください! 彼は言葉どおり、本当にこの市債を購入したのでしょうか? 誰にわかるでしょう? 彼が使っていた迷路のように複雑な会計処理に目を通して実際にわかる人がいるのでしょうか? もし彼が証書を購入していたとしても、市に何の影響も与えるつもりはなかったのです。なぜなら、彼はその証書を、本来あるべき減債基金に納める努力をしなかったのですから。彼も彼の弁護士も、月初までやる必要がなかったと口をそろえて言いますが、法律ではただちにやらねばならないことになっています。そう法的に義務づけられていることは本人もちゃんとわかっていました。彼も彼の弁護士も、彼が破産するとは思わなかったと言っています。だから、そんな心配をする必要はなかったのだと。みなさんのうちのどなたかでも、これを本当に信じたでしょうか? これ以前に彼がこんなに急いで小切手を請求したことがあったでしょうか? この不正取引全体の歴史の中で、こういう事例が他にあったでしょうか? なかったことはみなさんがご存じです。これ以前は一度も、どんな場合でも、彼自身がこの事務所で何かの小切手を請求したことはありませんでした。なのに今回は請求したのです。なぜでしょう? なぜこの時は請求しなくてはならなかったのでしょう? 本人の弁明によれば、あと数時間遅くても何ら違いは生じなかったのですよね? いつものように若いのを使いに送ってもよかったはずです。これ以前はずっとそうしてきたわけですから。なぜ今回は違ったのでしょう? 私からみなさんにその理由を説明します! (シャノンはいきなり声を張り上げて叫んだ。)理由はこうです! 自分が破産するとわかったからです! 一応は合法である最後の逃げ道――ジョージ・W・ステナーの好意――が閉ざされたとわかったからです! 正直なところ、正式な合意では、これ以上は一ドルもフィラデルフィア市から引き出せないことを知ったからです。この小切手を受け取らずに事務所を離れて使いの者を取りに行かせたら、部下に周知させる時間を、危機感に駆られた財務官に与えてしまうことになり、そのときはもうお金を手に入れることはできないとわかったからです。これが理由なんです! みなさん、本当に知りたいのであれば、これが理由です。
さて、陪審員のみなさん、有罪にしようものなら重大な不正を犯すことになると弁護側のシュテーガーさんが言う、この立派な名誉と徳を備えた市民に対する私の論告は終わりました。これだけは言っておかねばなりません。私にはみなさんが正気で理性のある人たちに見えます――日常生活のいたるところで出会う、立派なアメリカのビジネスを立派なアメリカのやり方で営んでいるような人たちということです。さて、陪審員のみなさん(今度はとても穏やかな口調だった。)これだけは言わねばなりません。今日みなさんはここですべてのことを見聞きしたわけですが、それでもなお、フランク・A・クーパーウッドさんは正直で立派な人物である、故意に承知の上でフィラデルフィア市から六万ドルを盗んではいない、彼は証言どおりに証書を実際に購入していて、しかも証言どおりに減債基金に納めるつもりだった、と思うのでしたら、みなさんは彼が今日にでも三番街に戻って、もつれにもつれた自分の財務整理にかかれるよう、速やかに釈放する以外何もしてはいけません。正直で良心的なみなさんがすべきことはそれだけです――ただちに彼をこの社会に解き放ち、被告側弁護人シュテーガーさんの言う、彼に対してとられたひどい不当な仕打ちが少しでも償われるようにしてください。もしそう思うのであれば、すみやかに彼の無罪を認める義務がみなさんにはあります。ジョージ・W・ステナーについては心配しないでください。彼の有罪は本人の供述で成立します。本人が有罪を認めていますから。後ほど裁判なしで判決が言い渡されるでしょう。ですが、この男――彼は自分が正直であり名誉ある人間であると言い、破産するとは思わなかったと言っています。ああいう脅迫的で、強制的で、恐ろしい言葉を使ったのは、自分が破産の危機にあったからではなく、さらに援助を探す手間を避けたかったからだと言っています。みなさんはどう思いますか? みなさんは、彼が減債基金用に証書を六万ドル分の購入したと、そのお金を受け取る権利があったと、本当に思いますか? だったら、どうして彼はそれを減債基金に納めなかったのですか? 証書は今もそこにありませんし、六万ドルはなくなりました。どこにあるのでしょう? ジラード・ナショナル銀行です。そこで彼は十万ドルも借り越していました! 銀行はその小切手と、他の小切手や証書で残りの四万ドル分を受け取ったのでしょうか? 確かに受け取っています。なぜでしょう? みなさんは、彼が店を閉める直前にしたこの最後の小さな好意に対し、ジラード・ナショナル銀行が何らかの形で感謝しているかもしれない、と思いますか? みなさんがこの事件でとても親切に証言している様子をご覧になったデービソン頭取は、とにかく友好的な感情を抱いていて、このことがおそらくは――必ずしもそうだとは言い切れませんが――クーパーウッドさんの状況についての彼のとても好意的な解釈の説明になるかもしれない、と思いますか? そうなのかもしれませんね。みなさんは、私と同じように、そういうふうに考えることだってできます。いずれにしても、みなさん、デービソン頭取は、クーパーウッドさんを名誉ある正直者だと言っています。彼の弁護人のシュテーガーさんもそう言っています。みなさんは証言を聞いてきました。さあ、よく考えてください。もし彼を解き放ちたいのであれば――解き放ってください。(シャノンはだるそうに手をふった。)みなさんが判断してください。私ならしませんがね。しかし私は一介の勤勉な検察官に過ぎません――一人の人間の一つの意見です。みなさんは違う考え方をするかもしれません――それはみなさんにおまかせします。(思わせぶりに、ほとんど軽蔑するみたいに手を振った。)私の役目はこれで終わりです。ご静聴、感謝いたします。みなさん、決めるのはみなさんです」
シャノンは堂々と背を向けた。陪審はざわついた――法廷にいるだけで何もしていない傍聴人もざわついた。ペイダーソン判事は安堵のため息をついた。もうすっかり暗くなり、法廷のめらめら燃えるガス灯はすべて明るく灯っていた。外で雪が降っているのが見えた。裁判長は疲れた様子で書類をいじり、厳粛な態度で陪審員の方を向いて、いつものように法律上の注意事項を説明し始めた。それが済むと陪審員たちは評議室に退出した。
クーパーウッドは、急に人がいなくなり始めた法廷を横切ってやってくる父親の方を向いて言った。
「さあ、これでもうじき結果がわかるでしょう」
「そうだな」ヘンリー・クーパーウッドは少し疲れた様子で答えた。「うまくいくといいがな。ついさっき向こうでバトラーを見かけた」
「いたんですか?」クーパーウッドは尋ねた。これは彼にとって特に気になる問題だった。
「ああ」父親は答えた。「ちょうど帰るところだった」
こんなところまで来て私が裁かれるのを見とどけたがるほどバトラーは私の運命に興味があるのか、とクーパーウッドは思った。シャノンはバトラーの手先であり、ペイダーソン判事はある意味でバトラーの密使だった。クーパーウッドは娘の問題でバトラーを打ち負かしたかもしれないが、陪審が何かのはずみで同情的な態度をとらない限り、ここではそう簡単にバトラーを打ち負かすことはできなかった。陪審員は有罪の評決を出すかもしれない。そのときはバトラーの判事ペイダーソンが判決を下す特権を持つことになる――量刑を最大にして判決を下すだろう。これはあまりいい話ではない――五年なのだ! それを考えると少し冷静になったが、まだ起きてもいないことを心配しても仕方がなかった。シュテーガーは前に出て、保釈が今――陪審員がこの部屋を出た瞬間に――終了し、身柄はこの瞬間事実上、保安官の管理下にあることをクーパーウッドに告げた。面識のあるアドレイ・ジャスパース保安官だった。陪審員が無罪評決を出さなかったら、合理的な疑いを証明するために控訴手続きがとられて承認されるまで、保安官の管理下に留まらなくてはならないことをシュテーガーは付け加えた。
「丸五日はかかるでしょう、フランク」シュテーガーは言った。「ジャスパースは悪い奴じゃない。話が通じる奴です。もちろん運がよければ、彼のところに行く必要はありません。でも今はこの廷吏と一緒に行かねばなりません。もし事が順調に運べば家に帰ることになります。まあ、ここは勝ちたいところですね」シュテーガーは言った。「奴らを笑いものにして、あなたが勝つところを見たいものです。あなたは随分ひどい扱いを受けたと思います。だからそのことを完全にはっきりさせたいと思います。陪審があなたに不利な評決を出しても、一ダースの根拠を並べ立てそんなものくつがえしてやりますよ」
シュテーガーとクーパーウッド親子はさっそく保安官の部下――担当するために近づいてきた〝エディ〟・ザンダースという名前の小柄な男――と一緒に歩き出した。彼らは法廷の奥にある〝ペン〟と呼ばれる小さな部屋に入った。陪審員の退室によって自由を剥奪された被告人たちは全員そこで陪審員の帰りを待たねばならなかった。天井が高い正方形の陰気な場所で、チェストナット・ストリートに面した窓が一つと、どこかに通じている二つ目のドアがあったが、どこに通じているかは誰も知らなかった。そこは薄汚く、すり切れた木の床で、四方の壁に重たい質素な木の長椅子がいくつか並んでいて、絵や飾りの類は何もなかった。二股のガス管が一本、天井の中央から垂れ下がっていた。そこには独特のこもって汚れた鼻をつく臭いがしみついていて、明らかに人生のあらゆる漂流物と残骸のにおいがした――犯罪者もいれば無実の者もいる――それがここで時には立ち、時には座って、審議の結果が何をもたらすかを知るために辛抱強く待っていた。
もちろん、クーパーウッドは嫌気が差したが、あまりにも自立心が旺盛で、有能だったためにそれを表に出すことはできなかった。生涯を通じてずっと清潔で、身だしなみにかけてはほとんど気難しいほどだったのに、ここで不快極まる生活の一形態に否応なく接することになった。傍らにいたシュテーガーが、慰めるように、説明するように、申し訳なさそうに言葉をかけた。
「意に沿わないかもしれませんが、少し待つくらいなら気にすることもないでしょう。評議はそう長くかからないと思います」
「私の助けにはならないかもしれない」クーパーウッドは答えて窓のところへ行き、つけ加えた。「なるようにしかならないからな」
父親は表情を曇らせた。こんな気分を生み出す長期服役の瀬戸際にフランクがいるのだとしたら? 何ということだ! 一瞬、体が震えた。そして何年ぶりかに黙祷を捧げた。
第四十四章
一方、評議室では大論争が始まっていた。陪審席で黙想するように推測が重ねられたすべての論点が今、公然と議論されていた。
こういう事件で陪審がどのように迷ってあれこれ考えるのか――いわゆる考えを固める過程がどれほど奇妙で不確かなものなのか――を見るのは驚くほど興味深い。いわゆる真実は、贔屓目に見ても曖昧なものであり、事実は、誠実な場合もそうでない場合でも、こういう奇妙な反転や解釈できてしまう。陪審はとても複雑な問題を前にして検討に検討を重ねた。
陪審は、奇妙なやり方と奇妙な理由で、明確な結論、いや、評決にたどり着く。陪審はたびたび、個々の陪審員がろくに結論を出していないのに評決に達してしまうことがある。すべての弁護士が知っているように、これには時間が一役買っている。陪審は、集団としても個人としても、事件の判断に時間をかけるのを嫌がる。よほど魅力的でない限り、座って問題を審議することを楽しむことはない。三段論法の展開や謎が、疲労と退屈を生むからだ。評議室そのものが、鈍い苦悶の場になりかねず、なってしまうことがよくあるのだ。
一方で陪審は、満足の度合いがどれほどであれ、不一致で終わらすことは考えない。人間の心には本質的に建設的なところがあるので、問題を未解決のままにしておくことが明らかにみじめだからだ。このことは、他の未完成のままの重要な仕事と同じように、平均的な人にとりついて悩ませる。評議室にいる男たちは、科学者や哲学者が好んで考えたがる科学的に証明された結晶の原子と同じように、最終的には秩序正しい芸術的なひとつの全体形に自分たちを並べて、しっかりまとまった知的な面を前面に出し、何にせよ自分たちが適切に正しく目指したものに――しっかりまとまった分別のある陪審に――なりたがる。人は、これと同じ本能が自然界の他のあらゆる局面でも見事に示されるのを見ることがある――サルガッソー海に流れ出た流木の中で。静かな水面で気泡がつくる幾何学的な互いの位置関係の中で。数多くの昆虫や原子形態が作り出す、この世界の物質や質感の驚くべき人知を超えた構造の中で。生命の実体――目がとらえて実在と呼ぶ形状の幻影――は、秩序を愛し、それ自体が秩序である何かの巨大な精巧さに貫かれているように思える。いわゆる我々の存在を形づくる原子は、いわゆる我々の理性――気分の夢のようなもの――に左右されることなく、どこへ行き何をすべきかを知っている。それらは、我々のものではない秩序や知恵や意志を表していて、我々を差し置いて、秩序を作り上げる。陪審の潜在意識も同じである。同時に、ひとつの人格が別の人格に及ぼす奇妙な催眠効果や、さまざまなタイプの人格が互いに及ぼすさまざまな影響を、ひとつの解答――純粋に化学的意味でこの言葉を使うなら溶液――にたどり着くまで、忘れてはならない。評議室では、一人か二人か三人の考えや決意が十分に明確であれば、それが部屋全体に浸透して、多数派の理性や反対意見を征服しがちである。自分の中にある明確な考えのために〝立ち上がる〟人間は、従順な集団で勝利の指導者になるか、燃え盛る知的な集中砲火に無惨に打ちのめされる標的になるかのいずれかである。人は理由のない退屈な反対を軽蔑する。中でも評議室では――もし求められたら――人は自分が抱く信念に理由を述べることが期待される。「同意できない」では済まず、陪審員同士が喧嘩になったことが知られている。何年も続く激しい敵意が、この閉ざされた空間で生み出されてきた。頑なに反対する陪審員は、理由のない反対や結論のために、地元の社会でも商業的に追い詰められるのである。
クーパーウッドは間違いなく何らかの処罰に値すると結論が出た後、評決は起訴状にある四つの罪すべてを有罪にすべきかどうかで争われた。陪審員たちは個々の罪状の違いがよくわからなかったので、四つ全部を有罪にして情状酌量の勧告を付け加えることにした。しかしその後、この最後の一文は削除された。被告は有罪か無罪のいずれかだ。裁判官は陪審員と同じくらい――おそらくはそれ以上に――酌量すべき事情をすべて理解できる。その手を縛る理由があるだろうか? いずれにせよ、普通こういう勧告に注意は払われず、ただ陪審員を優柔不断に見せるだけだった。
そしてようやく、深夜十二時十分に陪審は評決の準備ができた。この事件に関心があって、自宅がそれほど遠くなかったことから、寝ずにずっと待つことにしていたペイダーソン判事が呼び戻された。シュテーガーとクーパーウッドが呼び出された。法廷には明かりが煌々と灯り、廷吏と事務官と速記がいた。陪審が入廷した。クーパーウッドは右にシュテーガーを従え、いつも被告人が立って評決と裁判官の言葉を聞く、柵で囲まれた場所に続く入口に立った。ひどく緊張している父親が付き添っていた。
クーパーウッドは生まれて初めて、夢遊病者の気分を味わった。これが二か月前――あれほど裕福で、進歩的な、自信に満ちていた――本物のフランク・クーパーウッドだろうか? 今はまだ十二月五日なのか、それとももう六日になっただろうか(真夜中は過ぎていた)? どうして陪審の評議はこんなに長引いたのだろう? このことは何を意味するのだろう? 陪審は今、起立した状態でここにいて、厳かに前方を見つめている。そして今度はここにペイダーソン判事が現れ、壇の踏み段をのぼっていく。縮れ髪が奇妙に魅力的に逆立っていた。馴染みの廷吏が秩序を求めて槌を打っていた。判事は――礼を失するだろうが――クーパーウッドには目もくれずに陪審を見て、陪審は判事を見返した。「陪審のみなさん、評決は出ましたか?」という事務官の言葉に、陪審長ははっきりと応じた。「出ました」
「被告人は有罪ですか無罪ですか?」
「被告人は起訴状の罪状どおり有罪です」
どういうわけでこの評決に至ったのだろう? 自分のものではない六万ドルの小切手を私が受け取ったからだろうか? 確かにあれは私のものだ。ああ、私とジョージ・W・ステナーの間を行き来したお金の総額からしたら、六万ドルが何だというんだ? ないも同然だ! そんなつまらないものが、それが、この粗末な取るに足らない小切手が、ここで立ち上がって、阻む山となり、石の壁となり、牢獄の壁となって私のさらなる前進を妨げている。驚くべきことだ。クーパーウッドはぐるっと法廷を見回した。何てだたっ広く、殺風景で、寒々しいのだろう! それでも、自分がフランク・A・クーパーウッドであることに変わりはない。何でこんな奇妙な考えに心を乱させねばならないんだ? 自由と特権と再起のための私の戦いは、まだ終わってはいない。何てことだ! 戦いは始まったばかりだ。五日もすれば保釈でまた外に出られるのだ。シュテーガーが控訴するだろう。保釈され、追加の戦いをする二か月が手に入る。私はまだ負けていない。自由を勝ち取るのだ。この陪審は完全に間違えている。上級審ならそう言ってくれるだろう。この評決を覆してくれるだろう。クーパーウッドにはそれがわかった。シュテーガーの方を向くと、シュテーガーは陪審員の誰かが無理やり説得されて、本人の意思に反する投票をさせられたことに期待して、陪審への聞き取りを事務官にさせていた。
「あれはあなたの評決ですか?」事務官が陪審員番号一番のフィリップ・モールトリーに尋ねるのをシュテーガーは聞いた。
「そうです」相手は厳かに答えた。
「あれはあなたの評決ですか?」事務官はサイモン・グラスバーグを指さしていた。
「そうです」
「あれはあなたの評決ですか?」事務官はフレッチャー・ノートンを指さした。
「はい」
こうして陪審員全員の聞き取りが終了した。ひょっとしたら、ひとりくらい考えを変えるかもしれないとシュテーガーはかすかに期待を抱いてみたが、全員が力強くはっきりと答えた。判事は陪審員たちに感謝の言葉を述べ、今夜の長時間役務に鑑みて任期の終了を告げた。今残された唯一のことは、シュテーガーがペイダーソン判事を説得して、州最高裁が再審請求の審理を終えるまで、判決の言い渡しを延期させることだった。
シュテーガーが正式にこの要請を行う間、判事はとても興味深そうにクーパーウッドを見た。この事件が重要であることや、この事件にある合理的な疑いを証明するとした申請を、最高裁はあっさり認めるかもしれないと自分でも感じていたことから、判事は同意した。こうしてクーパーウッドは、この遅い時刻に副保安官と郡刑務所に戻り、少なくとも五日――おそらくはもっと長く――そこにとどまるしかなかった。
地元ではモヤメンシング刑務所として知られる問題の刑務所は、十番街とリード・ストリートの角にあり、建築的・美術的観点から見ても実際、見苦しくはなかった。そこは、中央部――刑務所と保安官居住区の三階建てで、胸壁のコーニスと、高さが中央部の三分の一ほどの円形の胸壁塔があるもの――と、二つの翼棟部――それぞれが二階建てで、両端に胸壁の小塔があり、かなり城郭風の外観で、アメリカ人の目にはいかにも刑務所らしく見えるもの――とで構成されていた。刑務所の正面は、中央部が高さ三十五フィートを超えないように、翼棟部は二十五フィートを超えないように、通りからは少なくとも百フィート後退して建てられ、両端は翼棟から街区の端まで高さ二十フィートの石の壁が続いていた。この建物には刑務所のような厳つさはなかった。というのも、中央部は上から二つの階にかなり大きな、鉄格子のない窓が設置されて、カーテンがかかっていたので、正面全体をかなり快適な住居風に見せていたからだ。通りから見て右側の翼棟は郡刑務所として知られる区画で、何かの司法命令を受けた短期受刑者の管理にあてられ、左側の翼棟はもっぱら未決囚の管理と監督にあてられた。建物全体が滑らかな淡色の石造りだったので、こういう雪の夜は、内部で使われる数少ない灯りが暗闇でかすかに光ると、不気味で、幻想的、ほとんど超自然的な様相を呈した。
クーパーウッドがやむなくこの施設に向かったのは、風が激しく吹きすさぶ夜だった。風がその前の雪を吹き飛ばして奇妙な興味深い渦をつくっていた。四季裁判所で警備を務める保安官代理のエディ・ザンダースがクーパーウッド親子とシュテーガーに同行した。ザンダースは小柄で、色黒、短くて太い髭をはやし、抜けめないが知性は高くなかった。自分の評価ではとても重要な地位である保安官代理としての威厳を保つことを第一に考え、次に、できれば真面目にこつこつ稼きたいと考えた。彼は、法廷と刑務所の間を往復するときに囚人に同行して囚人が逃亡しないように見張ることで成り立つ、小さな世界の細かいこと以外をほとんど知らなかった。特定のタイプの囚人――金持ちやそこそこ裕福な囚人――にはつれない態度をとらなかった。その方が得なのを随分前に学んでいたからだ。今夜も彼は二言三言愛想よく言葉をかけた――かなり荒れた天候だとか、刑務所はそれほど遠くないから歩いていけるとか、ジャスパース保安官はおそらくその辺にいるとか起こせばいい、などと。クーパーウッドはろくに聞きもせず、母親と妻とアイリーンのことを考えていた。
刑務所にたどり着くと、中央部に連れていかれた。保安官のアドレイ・ジャスパースの事務所がそっちにあったからだ。ジャスパースは最近選出されたばかりだった。職務の適切な遂行に関しては、外見上はすべて従っているように見せかけてはいても、内心では実は従っていなかった。彼が自分の安月給を増やす方法として、代償を支払えるお金のある囚人に個室を貸して、特別扱いの特典を与えていることは、政治家の間で広く知られていた。前任の保安官たちもやっていた。実際、ジャスパースが就任したとき、すでに数名の囚人がこの特権を享受していたし、その者たちの邪魔をする考えはなかった。彼がいつも言っていた〝ふさわしい相手〟に貸す部屋は、刑務所の中央部にあり、そこは彼自身の私的な居住区画だった。鉄格子がなく、独房らしさが全然なかった。収容者全員の動きから〝目を離さない〟よう指示された看守が私室の入口に常に立っていたから、脱獄の危険は特になかった。便宜がはかられた囚人は多くの点でかなり自由な人間である。望めば個室で食事をとることができた。読書、トランプ、面会者を自室に招き入れることができ、好きな楽器があれば禁止されなかった。守らねばならない規則が一つだけあった。もしその囚人が公人で、報道関係者が訪ねてきたら、その者が他の囚人のように独房に収容されていないことを相手に知られないために、下の階の専用の面会室まで連れて行かれなければならなかった。
こういう事実のほぼすべてが事前にシュテーガーからクーパーウッドに伝えられていた。しかしそれでも、刑務所の敷居をまたぐと、奇妙な違和感と敗北感が襲ってきた。クーパーウッド一行は入口の左側にある小さな事務所に案内された。そこは机が一つと椅子が一つあるだけで、弱火のガス灯に薄暗く照らされていた。丸々太った血色のいいジャスパース保安官が出迎え、かなり親しげに挨拶した。ザンダースは役目を解かれ、さっさと自分の仕事に戻った。
「ひどい夜ですね?」ジャスパースはそう言ってガスを強め、囚人の登録手続きの準備にかかった。シュテーガーが近寄って、部屋の隅で机越しに短い内緒話を交わすと、すぐに保安官の顔が明るくなった。
「ああ、もちろん、もちろんです! それで結構ですよ、シュテーガーさん! 確かに! ええ、もちろんでとも!」
クーパーウッドは自分のいるところから太った保安官を見て状況をすべて理解した。持ち前の批判的な態度と、冷静で知的な落ち着きを完全に取り戻していた。ここは刑務所であり、これが自分を担当することになる太った凡庸な保安官だ。よし、ならばこれを最大限に活用するまでだ。これから検査をされるのだろうか、とクーパーウッドは考えた――普通、囚人はされるものだ――しかしされないことがすぐにわかった。
「大丈夫ですよ、クーパーウッドさん」ジャスパースは立ち上がりながら言った。「それなりに快適な環境を用意できると思います。おわかりでしょうが、我々はここでホテルを経営しているわけじゃない」――一人悦に入った――「でも快適にはできると思いますよ。ジョン」ジャスパースは、目をこすりながら別の部屋から現れた眠そうな雑用係に声をかけた。「六号室の鍵はあるか?」
「はい」
「持ってくるんだ」
ジョンは姿を消して戻ってきた。その間にシュテーガーはクーパーウッドに、衣類など欲しいものは何でも持ち込めると説明した。シュテーガーは翌朝、自ら立ち寄って、クーパーウッドの相談に乗るつもりであり、クーパーウッドが面会を望む家族は誰もがそのつもりだった。クーパーウッドはすぐに父親に、これについてはできるだけ控えてほしいと説明した。ジョセフかエドワードが翌朝、下着類を詰めた手荷物を持ってくれば十分で、他の者は、出所かずっと勾留かが決まるまで待たせておけばいいからだ。アイリーンに手紙を書いて、何もするなと注意しようと考えていると、保安官が手招きしたのでおとなしく従った。父親とシュテーガーに付き添われて自分の新しい部屋に上がった。
そこは簡素な白い壁の部屋で、広さは十五フィート×二十フィート、天井はやや高く、備品は高い背もたれの黄色い木製のベッド、黄色い書き物机、模造桜材の小さなテーブル、彫刻入りのヒッコリー材の背もたれがついている桜色に染めたごく普通の藤椅子が三脚だった。ベッドと同じ黄色に塗られた木の洗面台には、洗面器、水差し、蓋のない石鹸入れ、そして他のものと合っていないおそらく十セントくらいの、小さな安物のピンクの花柄の歯ブラシと髭剃りブラシ用のマグカップがあった。ジャスパース保安官にとってこの部屋には、こういう場合に得られる賃料――一週間で二十五ドルから三十五ドル――の価値があった。クーパーウッドは三十五ドルを払うことになった。
クーパーウッドは足早に歩いて窓辺に行った。窓の前の芝生はもう雪に埋もれていた。これで大丈夫だと思うと言った。父親もシュテーガーも彼が望めば何時間でも相談に応じるつもりだったが、話すことは何もなかった。クーパーウッドは話をしたくなかった。
「朝のうちにエドに新しい下着をいくつかとスーツを二着持って来させてください。それで十分です。ジョージなら僕の荷物をそろえられます」身の回りの世話から他のことまでこなしてしまう家の使用人の名前をあげた。「リリアンには心配しないよう伝えてください。僕なら大丈夫です。五日で出られるのに、わざわざこんなところに来ることはない。出られなかったら、そのときに来ればいい。僕に代わって子供たちにキスしてあげてください」そして気持ちよく微笑んだ。
この予備審問の結果についての予想が外れてから、シュテーガーは州最高裁判所が何をして何をしないかを自信をもって口にするのをほとんどはばかっていたが、何かを言わなければならなかった。
「控訴の結果については心配する必要はないと思います、フランク。合理的な疑いは証明できるでしょう。これで二か月、ひょっとしたらそれ以上引き延ばせるかもしれません。保釈金は多くても三万ドルを超えることはないでしょう。何が起ころうと、五、六日もすれば再び外に出られますよ」
クーパーウッドはそう願いたいものだと言って今夜はこの辺にしておこうと提案した。無駄なやりとりを少ししてから、父親とシュテーガーはようやく別れの挨拶を告げ、ひとりで考え事ができるようにクーパーウッドを残して帰った。しかしクーパーウッドは疲れていたので、服を脱ぎ捨て、平凡なベッドにもぐり込み、すぐに眠ってしまった。
第四十五章
刑務所暮らしについて一概に語るなら、特別室があって、へつらう看守がいて、できるだけ快適にしようといろいろ手を尽くして大幅に修正されようと、刑務所は刑務所である。そのことからは逃れられない。クーパーウッドは、普通の下宿屋の部屋と何ら遜色のない一室で、この本物の刑務所のまだ自分の一部になっていない区域の特徴を意識していた。ここに独房があることは知っていた。おそらく脂ぎっていて、臭く、害虫が住みつき、重い鉄格子に囲まれている。もしもっといい部屋代を払うお金がなかったら、鉄格子は今そこに収容されている囚人と同じように、彼にも簡単にカシャンという音を聞かせていただろう。人間の平等なるものは、たとえ司法組織の厳しい枠組みの中でさえ、ある人間には彼自身が今楽しんでいるような私的な自由を与え、別の人間にはたまたま機転や存在感や友人や富を欠いているという理由で、お金で買えるもっと快適な環境を拒むのだ。
裁判の翌朝、目が覚めるとクーパーウッドはいぶかしげに身じろぎした。自分はもう自分の寝室の自由で快適な環境ではなく、刑務所の独房、いや、かなり快適な代用品である保安官から借りた寝室にいることに突然気がついた。起き上がって窓の外を見た。外の地面とパセインク・アベニューは雪で真っ白だ。荷馬車が数台、静かにのろのろと通り過ぎて行く。朝の用事で行き来するフィラデルフィア市民が少しではあるがあちらこちらに見えた。クーパーウッドはさっそく、事業を継続するには、再起するには、自分が何をしなければならないか、どう振る舞わねばならないかを考え始めた。考えながら、服を着て、指示されていた呼び鈴の紐を引いた。これで火を起こしその後で食事を運んでくる部屋付きの者が来る。青い制服を着たみすぼらしい刑務所の部屋付きが、クーパーウッドが占有した部屋から彼の地位の高さを意識しながら、暖炉に木と石炭をくべて火を起こし、後で朝食を運んできた。それは刑務所の食事らしからぬものだったが、それでも十分粗末だった。
その後、保安官は心配そうに気遣うふりをしていたが、服を持ってきた弟のエドワードの入室が許可されるまで、辛抱強く数時間待たされた。部屋付きが報酬と引き換えに朝刊を持ってきたが、金融記事以外は漫然と目を通した。午後遅くなってシュテーガーが到着し、特定の訴訟手続きを延期させるのに忙しかったが、重要な用件のある者に限りクーパーウッドの面会が許可されるよう保安官と調整していたことを告げた。
この時までにクーパーウッドは、十日後にはここを出る、当日かその直後に会うだろうからどんなことがあっても自分に会おうとするな、とアイリーンに手紙を書いていた。クーパーウッドも知ってのとおり、アイリーンは彼に会いたがっていた。しかし彼には、彼女が父親に雇われた探偵に監視されていると信じるだけの根拠があった。これは事実ではなかったが、アイリーンの心をむしばんでいた。そして最近夕食の席でオーエンとカラムに言われた誹謗中傷と合わさって、彼女の激しい気性には耐え難いほどになっていた。しかしキャリガン家に届いていたクーパーウッドの手紙のおかげで、十日の朝に、合理的な疑いを証明したいというクーパーウッドの申請が認められて、少なくとも当分の間彼が再び自由の身になることを知るまで、何も行動を起こさなかった。これはずっとやりたがっていたことを実行する勇気をアイリーンに与えた。それは、自分は父親がいなくてもやっていける、自分がやりたくないことは父親でもやらせることはできない、と父親に教えることだった。クーパーウッドがくれた二百ドルはまだ持っていた。それと自分の手持ちの現金がいくらか――全部で三百五十ドル――あった。これだけあれば冒険が終わるまで、あるいは少なくとも何か別の生活の準備が整うまで十分だと考えた。自分に対する家族の感情を知る限り、苦しむのは家族であって自分ではないと感じた。おそらく、自分の決意の強さを知れば、父は干渉をやめ、和解を決心するだろう。とにかくやってみることにした。アイリーンはさっそく、キャリガン家に行きます、自由になったあなたを歓迎します、とクーパーウッドに連絡した。
クーパーウッドは一応アイリーンの連絡を受けてかなり喜んだ。今の自分の窮地は、それがつらくても、バトラーとの対立が大きな原因だと感じていたから、娘を使ってバトラーを攻撃することに全然呵責を感じなかった。バトラーを怒らせないことが賢明だと以前は感じていたが、むしろ無駄だとわかったし、老人をなだめられない以上、アイリーンに彼女の資産がないわけではないことと、父親なしでも彼女が生きられることを、バトラーに示してもらうのもいいかもしれない、と考えた。アイリーンならバトラーに強く迫って、娘に対する父親の態度を変えさせたり、もしかしたら自分に対する政治的な謀略を多少修正させられるかもしれない。嵐のときに港を選り好みしてはいられない――それにもう失うものは何もない。アイリーンの行動は他の何よりも効果があるかもしれないと直感が告げた――だからそれをとめなかった。
アイリーンは、宝石、下着を少々、役に立ちそうなドレスを二、三着、その他の物も少し選んで、持っていた一番大きな旅行鞄に詰めた。靴やストッキングも考えたが、頑張っても欲しいもの全部は詰められないことに気がついた。持っていくと決めた一番すてきな帽子は入れずに持ち運ぶしかなかった。それだけ別にひとつ梱包するのは気が進まなかったが、それでも持っていくことにした。お金や宝石をしまってある小さな引き出しを引っかき回して、三百五十ドル見つけ、財布に入れた。アイリーン自身がわかったように、これでは足らない。でもクーパーウッドが助けてくれるだろう。もしクーパーウッドが自分の面倒を見る手配をせず、父親が折れなかったら、何か仕事をしなければならない。実践的な訓練を受けたことがなく、経済観念がない人たちに世間が向ける厳しい顔を、アイリーンはほとんど知らなかった。人生の過酷な現実を彼女は全然理解していなかった。十二月十日、アイリーンは聞こえよがしに鼻歌を歌いながら、父親が夕食のために下の階へ降りる音が聞こえるまで待った。それから、上の手すりから体を乗り出して、オーエン、カラム、ノラ、母親がテーブルについて、家政婦のケーティがどこにも見えないことを確認した。それから父親の書斎に忍び込み、服の中から書き置きを出し、父親の机の上に置いて外に出た。宛名は「お父さん」で内容はこうだった。
親愛なるお父さん
あたしにはお父さんの期待に応えることができません。クーパーウッドさんをとても愛しているので、出て行くことに決めました。彼共々あたしを探さないでください。お父さんが思いつきそうなところにはいません。彼のところにも行きません。そこにはいませんから。彼があたしを求めて結婚できるまで、しばらく一人で頑張るつもりです。本当にごめんなさい、でもお父さんの期待には応えられません。あたしはお父さんがあたしにした仕打ちを絶対に許すことができません。お母さん、ノラ、兄たちには、あたしに代わってさよならを伝えてください。
アイリーン
確実に発見させるために、アイリーンはバトラーが読み物をする時にいつも使っている縁のぶ厚いメガネを手に取り、その上に置いた。一瞬、とても変な、泥棒にでもなったような感じがした――彼女にとって新しい感覚だった。一瞬、痛みと一緒に恩知らずになった気分さえ感じた。もしかしたら、自分は間違ったことをしているのかもしれない。父はずっとあたしを大切にしてきたのだ。母はひどく落胆するだろう。ノラは悲しむだろう、カラムとオーエンもだ。それでも、みんなはもうあたしを理解してくれない。父の態度は腹立たしい限りだ。父だって問題が何なのかはわかっていたのかもしれないが、だめだ、父は古過ぎる。宗教や既成概念にしばられ過ぎている――変わることはないだろう。二度とあたしに家の敷居をまたがせないかもしれない。構うものか、何とかうまくやっていけるだろう。父に思い知らせてやる。学校の先生になって、必要ならずっとキャリガン家で暮らし、音楽を教えてもいい。
アイリーンはこっそり下の階へ降りて玄関ホールに行き、外のドアを開けて通りをのぞき込んだ。暗闇ではすでに街灯が煌々と燃えていて、冷たい風が吹いていた。鞄は重かったが、アイリーンはかなり力があった。約五十フィート先の街角まで元気に歩いて、南に曲がった。やや神経質に、イライラしながら歩き続けた。これはアイリーンにとって新しい経験であり、すべてがとてもみっともなく、普段のやり慣れている行動とはかなり違うように思えた。ついに街角に鞄を置いて、ひと休みした。遠くで口笛を吹いている少年が目にとまった。近づいて来たので声をかけた。「坊や! ねえ、坊や!」
少年は物珍しそうにアイリーンを見ながらやってきた。
「お小遣い稼ぎたくない?」
「はい」少年は片方の耳を覆っている薄汚い帽子を直しながら礼儀正しく答えた。
「この鞄を運んでちょうだい」アイリーンが言うと少年は鞄を持ち上げて歩き出した。
やがてキャリガン家にたどり着くと、アイリーンは大きな興奮に包まれて新しい家庭の中心に迎え入れられた。いったん落ち着くと、まったく気にもせず、自分の状況を受け入れ、化粧品や自分の着るものを静かに丁寧に整理した。自分と母親とノラの面倒をまとめてみていたメイドのキャサリンがもういないという事実は、勝手が違っても苦にはならなかった。そういう贅沢と永遠に別れたとは感じなかったので気楽なものだった。
マミー・キャリガンと母娘は主人を崇拝する奴隷だったので、アイリーンは自分が求めてやまない慣れ親しんだ雰囲気から完全に抜け出すことはなかった。
第四十六章
一方、バトラー邸では家族が夕食に集まっていた。バトラー夫人はテーブルの末席にぬくぬくと満ち足りた様子で座っていた。灰色の髪を丸いつやつやの額からまっすぐ後ろに撫でつけ、灰色と白の縞柄のリボンに縁取られた、濃い灰色のシルクのドレスをまとっていた。それは夫人の派手な気質に見事に合っていた。アイリーンが母親の選択に口を出し、適切に仕立てられたかを確認していたからだ。ノラは、袖口と襟が赤いベルベットの、淡いグリーンのドレスを着て、爽やかで初々しかった。若く、細く、華やかに見え、目も、肌の色も、髪もみずみずしく健康的だった。母親からもらったばかりのサンゴのビーズの首飾りをいじっていた。
「ねえ、見てよ、カラム」ノラは向かいにいる兄に言った。カラムはナイフとフォークでテーブルをたたいて遊んでいた。「これ、すてきじゃない? お母さんがくれたのよ」
「お母さんは僕のことよりお前を可愛がるな。お前は自分が僕から何をもらえるかわかってるな?」
「何さ?」
カラムはからかうようにノラを見た。お返しにノラはしかめっ面をしてみせた。ちょうどその時オーエンが入ってきてテーブルの自分の席についた。バトラー夫人はノラのゆがんだ顔を見た。
「まあ、そんなことしたらお兄さんは大事にしてくれませんよ、間違いなく」
「ああ、何て日なんだ!」オーエンはだるそうにナプキンを広げながら言った。「もう仕事はたくさんだ」
「どうしたんだい?」母親は心配そうに尋ねた。
「大したことじゃないですよ、お母さん」とオーエンは答えた。「まあ、どれもこれもやっても無駄ってだけのことです」
「さあ、お腹いっぱい食べて、元気を取り戻さないとね」母親は優しく気遣って言った。「トンプソンがね」――母親は出入りの食料雑貨商の話をした――「うちに最後の豆を持ってきたの。それをお食べなさい」
「まったくだ、まめにやってりゃ何だって解決するぞ、オーエン」カラムは冗談を言った。「お母さんの言うとおりだ」
「おいしいわよ、知ってるでしょ」バトラー夫人は冗談にまったく気づかずに答えた。
「間違いないですよ、お母さん」カラムは答えた。「まさに頭脳食です。ノラに食べさせましょう」
「自分こそ食べた方がいいわよ、お利口さん。それにしてもご機嫌ね! 誰かに会いに行くんだ。だからでしょ」
「そうだよ、ノラ。賢くなったな、お前。相手は五、六人いる。ひとり十分か十五分ずつだ。お前がもっとすてきだったら、お前のとこにも行くんだがな」
「チャンスがあればの話ね」ノラは馬鹿にした。「あってもお断りだから覚えておいて。もし兄さんよりましな人をつかまえられなかったら最悪だわ」
「僕くらいいい奴ってことだろうが」カラムは訂正した。
「子供たち、子供たち!」バトラー夫人は使用人のジョン老人がいないか周囲を見回しながら静かに口を挟んだ。「そろそろ歯止めがきかなくなるわよ。静かにしなさい。お父さんがいらしたわ。アイリーンはどこかしら?」
バトラーは重い足取りで入ってきて席についた。
使用人のジョンが他の料理と一緒に豆の大皿を運んで現れた。バトラー夫人はアイリーンを呼びに誰かを行かせるよう頼んだ。
「寒くなってきたな」バトラーは会話を誘いながら、アイリーンがいない席に目をやった。じきに降りて来るだろう――大きな悩みの種が。バトラーはこの二か月ずっと気を遣いっぱなしだった――娘の前ではできるだけクーパーウッドの話題を避けていた。
「寒くなりましたね」オーエンが言った。「一段と。いよいよ冬本番ですね」
ジョン老人は順番にいろいろな料理を並べ始めたが、すべて並べ終わってもまだアイリーンは現れなかった。
「ジョン、アイリーンがどこにいるか見てきて」バトラー夫人は気になって言った。「食事が冷めちゃうわ」
ジョン老人はアイリーンが部屋にいないことを知らせに戻ってきた。
「きっとどこかにいるはずよ」バトラー夫人は少しだけ困惑して言った。「来たければ来るでしょ、心配ないわ。食事の時間だってわかってるんだから」
会話は、新しく計画されている水道事業から、その時点で完成間近だった新しい市庁舎、クーパーウッドの財政的社会的問題、株式市場の概況、アリゾナの新しい金鉱、次の火曜日にモレンハウワー夫人がヨーロッパに出発すること、これにノラとカラムの妥当なコメントがついて、クリスマスの慈善ダンスパーティーに移った。
「アイリーンが行きたがるわね」バトラー夫人は言った。
「私は絶対行くわ」ノラが口を挟んだ。
「誰が連れていくのかな?」カラムが尋ねた。
「それは私の問題だわ、兄さん」ノラは上手に切り返した。
食事は終わった。バトラー夫人はどうして食事に降りてこなかったのかを確認しに、アイリーンの部屋まで行った。バトラーは自分の悩みのすべてを妻に打ち明けられたらどんなにいいだろうと思いながら書斎に入った。座って明かりをつけると、机の上に手紙があった。すぐにアイリーンの筆跡だとわかった。こんなものを書いて寄越すとはどういうつもりだ? 不吉な予感した。バトラーはゆっくり封を破ってメガネをかけて真剣に読んだ。
アイリーンが出て行った。バトラーはそれがまるで火で書かれたかのように一語一語を食い入るように見た。クーパーウッドと一緒に行ったのではない、と書いてある。それでもなお、クーパーウッドがアイリーンを連れてフィラデルフィアから逃げた可能性はある。もう我慢できん。これで終わりだ。アイリーンは家から誘い出された――どこへ――何のために? しかしバトラーには、クーパーウッドがアイリーンをそそのかしてこれをやらせたとは到底信じられなかった。あまりにもリスクが大き過ぎる。自分の家族とバトラーの家族まで巻き込むことになる。きっと新聞はすぐに嗅ぎ付けるだろう。バトラーは手紙を手の中で握りつぶしながら立ち上がった。物音がしたので振り向いた。妻が入ってきた。バトラーは気を引き締めてポケットに手紙を押し込んだ。
「アイリーンが部屋にいないのよ」夫人は不思議そうに言った。「外出するようなことをあなたに言ってませんか?」
「いや」バトラーはいつ妻に打ち明けようか迷いながら正直に答えた。
「変ね」バトラー夫人は不審そうに言った。「何か用があって出かけたに違いないのに、誰にも言わないなんて不思議ね」
バトラーは何の反応も示さなかった。あえて反応しなかった。「戻って来るさ」何よりも時間を稼ぎたい一心でバトラーは言った。こんなふりをしなければならないのを申し訳なく思った。夫人が出ていくとバトラーはドアを閉めた。そして手紙を取り出し、もう一度読んだ。娘は正気じゃない。野蛮極まりない、人の道に外れた、非常識なことをしている。クーパーウッドのところじゃなかったら一体どこに行くんだ? 公然たるスキャンダルの瀬戸際にいる。このままだとそうなる。バトラーの見る限り、やるべきことは一つしかなかった。クーパーウッドがまだフィラデルフィアにいるのなら、奴が知っている。奴のところに行こう――脅し、すかし、必要なら本当に潰してやる。アイリーンは戻ってこなければならない。ヨーロッパに行く必要はないかもしれないが、戻ってきて、少なくともクーパーウッドが正式に結婚できるようになるまで行動を慎まねばならない。今、期待できるのはそれだけだ。アイリーンは待たなければならない。いつかは私も娘のみじめな提案を受け入れられるようになるかもしれない。恐ろしい考えだ! 母を殺し、妹にまで恥をかかせてしまう。バトラーは立ち上がり、帽子をとってオーバーコートを着て外出した。
クーパーウッド邸に到着すると応接間に通された。クーパーウッドはその時書斎で私的な書類に目を通していたが、バトラーの名前が告げられるとすぐ下の階に降りた。バトラーの来訪を告げられても全然動揺しないのがこの男らしい。バトラーが来るとは。つまりアイリーンが家出したのだ。今や戦いは言葉の戦いではなく、人格の重みの戦いだ。この二人でなら、知的にも、社会的にも、他のどんな点においても、自分の方が勝っていると感じた。我々が生命力と呼ぶこの男の精神的部分が鋼のように硬くなった。妻と父親には、政治家たちが自分をスケープゴートにしようとしていて、バトラーもその一味だと話してあったが、それでもバトラーは友人として完全に遠ざけられたとは見なされず、礼儀は払われなければならないことを思い出した。できればバトラーをなだめて、静かに友好的に人生の厳しい現実を話し合いたかった。しかしアイリーンの件は今きっぱり決着をつけねばならない。そう決心して、クーパーウッドは足早にバトラーの前に現れた。
クーパーウッドが在宅で、面会に応じる気があることを知ると、老人はこの資本家との接触を極力短く効果的に済ますことに決めた。相変わらず軽やかで弾むクーパーウッドの足音を聞くと、バトラーはほんの少しだけ動揺した。
「こんばんは、バトラーさん」相手を見て手を差し出しながらクーパーウッドは明るく言った。「どういったご用件でしょう?」
「まずは私の前のからそいつをどけてもらおう」バトラーは厳しい態度でクーパーウッドの手に言及した。「そんなものは必要ない。娘の件で話をしに来たんだ。率直に答えてほしい。娘はどこにいる?」
「アイリーンのことですか?」クーパーウッドは、落ち着いた、好奇の、何も明かさない目で、相手を見ながら言った。考える一瞬の時間を稼ぐためにこれを言っただけだった。「お嬢さんのことで私に何が言えるというんですか?」
「娘の居場所を言えるはずだ、わかってるんだぞ。そして、自宅に帰らせることもできるはずだ、本来いる場所にな。お前にうちの敷居をまたがせたのは不覚だった。しかしここでお前と言い争うつもりはない。娘の居場所を言うんだ、そして今後は娘に近づくな、さもないと私は――」老人の拳が万力のように閉まり、抑えられた怒りで胸がふくらんだ。「お前が賢いなら、あまり私を追い詰めるな」バトラーはしばらくしてから幾分落ち着きを取り戻して付け加えた。「お前とは関わりたくない。娘を取り戻したいだけだ」
「話を聞いてください、バトラーさん」この状況が自分にもたらした優越感を味わいながらクーパーウッドは極めて冷静に言った。「あなたさえよければ私は率直に話をしたい。私はあなたのお嬢さんの居場所を知っているかもしれないし、知らないかもしれない。あなたに話したいかもしれないし、話したくないかもしれない。私が話すことをお嬢さんは望まないかもしれない。しかしあなたが私と礼儀正しく話したくないのであれば、これ以上続ける必要はありません。好きなようにすればいい。上の階の私の部屋に行きませんか? そこならもっと気楽に話せますよ」
バトラーはかつて自分が散々目をかけてやった相手を見て完全に驚いた。これまでの経験でもこれほど冷酷なタイプ――人当たりがよく、温和で、力があり、恐れを知らない者――に会ったことがなかった。この男は確かに羊のように現れ、貪欲な狼であることが判明した。収監されても少しも萎縮しなかった。
「お前の部屋に行くつもりはない」バトラーは言った。「もしお前が娘と一緒にフィラデルフィアを出て行こうと計画していても、そうはいかないからな。そうならないようにすることはできるんだ。私を手玉に取った気になって、それを利用したいんだろうが、そうはいかん。うちに物乞いに来て、私に助けを求め、私が目をかけて散々助けてやったのにそれでは飽き足らず――私から娘まで奪っていくとはな。娘の母、妹、兄たち――お前が一生かかってもそうなる方法がわからない立派な人たち――のことがなかったら、この場でおまえの頭を叩き割ってやるところだ。若い純真な娘を連れ去って、悪女に仕立てるとは。しかもお前は既婚者だろうが! ここで話をしているのが息子の一人でなく私だったことを、神のご加護だと思うがいい。さもなければお前は生きて自分の言いたいことを言えなかっただろうからな」
老人は厳しい態度を崩さなかったが怒りで何もできなかった。
「すいませんが、バトラーさん」クーパーウッドは穏やかに答えた。「私は説明したいのに、あなたがさせてくれないのですよ。私にはあなたのお嬢さんと駆け落ちするつもりも、フィラデルフィアを離れるつもりもありません。あなたは私を知ってますから、私がそんなことを考えていないことを知ってるはずです。私の利害は大きすぎますからね。あなたも私も現実的な人間です。この件を一緒に話し合えば理解し合えるはずです。一度、あなたのところに行ってこれを説明しようと思ったのですが、あなたは私の話を聞かないと確信していました。せっかくいらしたんですから、お話したいですね。もし私の部屋へおいでいただけるなら喜んで話をしますが――そうでないならやめておきます。いらっしゃいませんか?」
バトラーはクーパーウッドに分があるのを悟った。行った方がいいかもしれない。そうしなければ何も情報を得られないことは明らかだ。
「いいだろう」バトラーは言った。
クーパーウッドは実に友好的に先導し、仕事部屋に入りながら後ろ手にドアを閉めた。
「二人でこの問題を話し合えば合意に達することができるはずです」二人が部屋に入ってドアを閉めた時にクーパーウッドは改めて言った。「自分がかなり悪く見えることは承知していますが、私はあなたが考えるほど悪い人間じゃありません」バトラーは軽蔑の目で相手を見つめた。「私はお嬢さんを愛していますし、お嬢さんは私を愛しています。結婚していてどうすればそんなことができるんだとお考えなのはわかりますが、できると断言しますし、実行しています。私は幸せな結婚をしなかったのです。この恐慌がなかったら、妻と離婚してアイリーンと結婚するつもりでした。私は本気なんです。あなたが文句を言える状況が確かに数週間前にありましたが、あれは軽率でした。しかし完全に人間的なことです。お嬢さんは文句を言ってません――理解してくれています」ここで娘を持ち出されて、バトラーは怒りと恥ずかしさで顔を赤くしたが、自分を抑えた。
「娘が文句を言わなければそれでいいと思ってるのか?」バトラーは皮肉を込めて尋ねた。
「私から見ればそうでも、あなたから見れば違うのでしょう。バトラーさん、あなたにはあなたの人生観があって、私には私の人生観がある」
「いずれにせよ正しいのはそこだけだ」バトラーは口を挟んだ。
「私たちのどちらが正しくて、どちらが間違っているか、は証明できません。私の判断では、目的を達成できる手段は正しいのです。私が目指す最終目標はアイリーンとの結婚です。私が陥ったこの財政的窮地から抜け出せたら、そうするつもりです。もちろん、私はあなたの承諾を得たい――これはアイリーンも同じです。でも得られなければ仕方がありません」(こんなことを言ってもこの老いた請負業者の考えをやわらげる効果はあまりないかもしれないが、それでも相手の譲れることと譲れない一線の考え方に多少は響くに違いないとクーパーウッドは考えていた。結婚を見すえなければ、アイリーンの現状は到底満足できるものではない。たとえ世間が、彼を有罪判決を受けた横領犯と見ても、それが彼の本質を決めることはない。自由の身になって立ち直るかもしれない――きっと立ち直るだろう――そうなったときに、もしアイリーンができるのであれば彼は喜んで結婚するはずだ。クーパーウッドは、バトラーの宗教や道徳に対する考え方がかなり偏っていることを完全には理解していなかった。)「最近あなたはアイリーンのことで、私を引きずり降ろそうとあらゆる手を尽くしているようですが、それはただ私がやりたいと思うことを遅らせているだけです」
「お前は私に手を貸せとでもいいたいのか?」バトラーは限りない嫌悪と我慢を強いられながら言った。
「私はアイリーンと結婚したいのです」クーパーウッドは強調するために繰り返した。「アイリーンも私と結婚したがっています。この状況では、あなたがどう感じようと、私がそうすることにあなたに異論はないはずです。それなのに、あなたは私と争い続けている――そうすべきだと本当は自分でも知っていることを、私がやりにくいようにしている」
「おまえは悪党だ」バトラーは相手の狙いを見抜いて言った。「私の考えからすればお前は詐欺師だ。お前と関わらせたい子供はうちにはいない。状況がこうなっている以上、お前が自由の身なら、娘はお前と結婚した方がましだろうから、そこまでは否定していない。それはお前にできる唯一のまともなことだ――もしやるつもりがあればだが、それだって疑わしい。しかし今それはどうでもいい。娘をどこかに隠して、お前に何ができるんだ? 娘とは結婚できんのだぞ。離婚ひとつできんのだからな。訴訟対策と刑務所行きを防ぐだけで手が一杯だろう。娘がいたところでお前の出費が増えるだけだ。持ってるお金は全部他のことに使いたいところだと思うんだがな。何でまともな家庭から娘を連れ去り、結婚できたとしても恥ずかしいものにしたがるんだ? お前が少しでもまともな人間で、少しでも愛情と呼べるものを持っているなら、娘を自宅から引き離したりせず、できるだけ品位を尊重するのが、最低限の務めだ。いいか、お前が娘をどうしようが、娘がお前より一万倍ましであることに変わりはないんだ。でもお前に少しでも良識ってものがあるなら、家族の顔に泥を塗るとか、老いた母親の心を打ち砕くまねを娘にさせないはずだ。そんなことしたって今以上に娘を堕落させるだけだろうが。今そんなことをしてお前に何の得があるんだ? そこからどんな結果を期待しているんだ? 少しでも分別があれば、それくらい自分でわかるはずだ。お前は自分の厄介事を増やしているだけで、減らしてはいないんだぞ――後々娘がお前に感謝することはないからな」
バトラーは議論に引き込まれたことに幾分驚いて話すのをやめた。正視できないほどこの男への軽蔑は大きいが、バトラーの役目は、必要なことは、アイリーンを取り戻すことだった。クーパーウッドは相手に真剣な注意を払う人のようにバトラーを注視した。バトラーが言ったことを深く考えているようだった。
「実を言うと、バトラーさん」クーパーウッドは言った。「私はアイリーンに家出してほしくありませんでした。ご自分でお聞きになれば、彼女はそう言うでしょう。思いとどまるよう精一杯説得したのですが、出ていくの一点張りでしたから、どこへ行くにせよ快適で過ごせるのを確実にすることくらいしかできませんでした。あなたが探偵に尾行させたことを、ひどく怒ってましたからね。そのことと、あなたが本人の意志に反してどこかに追いやろうとしたことが、彼女が家を出た主な理由です。家出は私が望んだことではないと断言します。あなたは時々お忘れのようですが、バトラーさん、アイリーンは成人女性であり、自分の意志だってあります。あなたは、私が彼女を支配してすごく不利な状況に追い込んだと考えていますね。実際問題として、私は彼女をとても愛しています。かれこれ三、四年になります。愛について多少なりともご存知なら、愛が必ずしも支配を意味しないことはご存知でしょう。アイリーンだって私が与えた影響と同じくらいの影響を私に与えてくれた、と言っても私はアイリーンに不当なことはしていませんよ。私は彼女を愛してます。そしてそれこそがすべての問題の原因です。あなたはやって来て、お嬢さんを返せと要求しますが、実際、私にできるのかできないのか、私にもわかりません。私がそう願っても、相手の気持ちまではわかりませんからね。私に食ってかかって、もうあたしのことなんか大事じゃないんでしょ、と言うかもしれません。それは事実ではないし、私は彼女にそんな思いをさせたくありません。先ほども言いましたが、あなたが彼女にした仕打ちと、あなたが彼女をフィラデルフィアから離したがっている事実が原因で、彼女は大変傷ついています。私にできるように、あなたもそれを改善できます。彼女の居場所を教えることが私にできても、教えたいとは思いません。彼女とこの提案に対するあなたの態度がどういうものになるかを知るまでは絶対に教えたくありません」
クーパーウッドは話をやめて冷静にこの老いた請負業者を見た。相手は険しい目で見返した。
「何の提案についての話をしているんだ?」バトラーはこの議論の奇妙な展開に興味がわいて尋ねた。自分でも気づかぬうちに、この状況全体を少し違った角度から見始めていた。情勢はある程度変化しつつあった。クーパーウッドはこの件にかなり誠実であるように見えた。約束はすべて当てにならないかもしれないが、もしかしたらアイリーンを愛しているのかもしれない。そして、いつかは妻と離婚して結婚するつもりなのかもしれない。バトラーも知ってのとおり、離婚は彼が崇拝してやまないカトリック教会の掟に反していた。神の法と良識は、クーパーウッドが妻子を捨てて他の女と一緒になることを禁じていた――たとえアイリーンであっても、彼女を救うためだとしても。これは社会学的に言えば、企てること自体が罪深いことであり、クーパーウッドが本質的にいかに悪党であるかを示していた。しかしクーパーウッドはカトリックではなく、彼の人生観はバトラーのものと同じではなかった。それよりも最悪なのは(アイリーンの気質が一因なのは疑いないが)彼はアイリーンの立場を著しく悪くしていた。アイリーンはそう簡単に元の普通のまともな感覚には戻らないかもしれない。だからこの問題は一考の価値があった。最終的にこれを容認できないことをバトラーは知っていた――絶対にできない、教会への信仰を守れない――しかしそれでもこれを考えるだけの人間性は持っていた。それにアイリーンに戻ってきてほしかった。今後アイリーンは自分の将来がどうあるべきかについて多少の発言権を持つことになるのがバトラーにはわかった。
「まあ、簡単なことです」クーパーウッドは答えた。「まずアイリーンがフィラデルフィアに留まることに反対しないでいただきたい。次に私への攻撃をやめていただきたい」クーパーウッドは取り入るように微笑んだ。この対話中ずっと寛大な態度で臨むことで、バトラーをある程度なだめたいと本当に願っていた。「あなたが望まなければ、もちろん無理強いはできません。バトラーさん、私がこれを持ち出すのは、もしアイリーンのことがなかったら、あなたは私に対してとった態度を取らなかったと思うからです。匿名の手紙を受け取り、その日の午後、私への融資を引き上げたことは承知しています。それ以来、あちこちであなたが私をやたら目の敵にしていると聞きました。私はただ、そういう態度をとらないでほしいと言いたいだけです。私は六万ドルを横領していません。あなたはそれを知っている。私の意図はいたって善意です。あの証書を使った時点では破産すると思いませんでした。他のいくつかの融資が返済を求められなかったら、月末まで持ちこたえていつものように期日内に取り戻していたでしょう。私は常にあなたの友情をとても大切に思ってきました。それを失ったことが残念でなりません。これで私が言いたいことはすべて言いました」
バトラーは抜け目のない値踏みする目でクーパーウッドを見た。この男はなかなか見どころがあるが、途方もない邪悪さを秘めている。バトラーは彼がどうやって小切手を取得したか、これに関連するたくさんのことをよく知っていた。今夜の手札の切り方は、あの火事の晩に自分のところに駆け込んだやり方と同じだ。この男は抜け目ない打算的なただの薄情者だ。
「約束はしないが」バトラーは言った。「娘の居場所を教えればその件は考えてやる。今さらお前に頼みごとをされる筋合いはないし、こっちも応える義理はない。だがとにかくその件は考えてやる」
「それで結構です」クーパーウッドは答えた。「それ以上は期待できません。でもアイリーンのことはどうなんですか? フィラデルフィアから離れさせるつもりですか?」
「落ちついて生活態度を改めるなら、離れさせはせんよ、だがお前と娘の関係は終わらせないとな。家族の顔に泥を塗り、自分の魂まで堕落させているんだから。それはお前が自分の魂にしていることでもある。お前が自由の身になれば、他のことを話す時間もできるだろう。それ以上は約束しない」
クーパーウッドは、このアイリーンの行動は特に自分には寄与しなかったとしても、アイリーンに対しては確かに有効だったことに満足し、すぐに彼女を家に戻した方がいいと確信した。州最高裁判所への上告がどうなるかはわからない。特別な措置でこれから開かれる、合理的疑いを証明しようという再審の請求は認められないかもしれない。その場合クーパーウッドは刑務所で刑期を務めなければならなくなる。もし刑務所に行かざるを得なくなったら、アイリーンは家族のもとにいた方が安全だ――その方がずっといい。今後二か月は、上告の行方が判明するまで、両手はふさがりっぱなしになるだろう。そしてその後は――まあ、何があってもクーパーウッドは戦い続けるつもりだった。
こうして自分の言い分を主張する間クーパーウッドは、どうやってこの妥協案を調整すれば、アイリーンの愛情をつなぎとめておけるか、家に戻るよう勧めても彼女の気持ちを傷つけずにいられるか、を考えていた。アイリーンが自分と会うのをやめることに同意しないのはわかっていたし、それを勧めるつもりもなかった。正当で十分な理由がないのにバトラーにアイリーンの居場所を教えるのは惨めな役まわりを演じることになる。クーパーウッドは、どうすればいいか――アイリーンが最も受け入れやすい方法――がはっきりわかるまで教えるつもりはなかった。彼女が今いる場所でずっと幸せがつづかないことはわかっていた。アイリーンの家出は、一部はバトラーの自分に対する激しい反発、一部は娘をフィラデルフィアから離れさせて生活態度を改めさせるという決意、によるものだが、後者はもう部分的に取り除かれた。言葉とは裏腹に、バトラーはもはや復讐の鬼ではなかった。頑なさはやわらぎ――娘を見つけたくてたまらず、いくらでも許そうという気になっていた。自分が仕掛けた勝負で、文字通り打ちのめされた。クーパーウッドは老人の目にそれを見てとった。自分が直接アイリーンと話をして状況を説明できれば、少なくとも当面は、この問題を丸く収めることがお互いの利益になる、とアイリーンを説得する自信があった。やるべきことは、バトラーをどこかに――多分ここに――待たせておく。その間に自分が行ってアイリーンに話をする。状況を知ればアイリーンはおそらく黙って従うだろう。
「この状況で私にできるのはせいぜい」しばらくしてクーパーウッドは言った。「二、三日中にアイリーンに会って彼女がどうしたいかを聞くくらいですね。私が事情を説明します。もし彼女が戻りたければ戻ればいい。あなたの言い分は何でも伝えると約束します」
「二、三日だと!」バトラーはいらだって叫んだ。「二、三日など、とんでもない! 今夜帰らなくちゃ駄目だ。母親はまだ家出のことを知らんのだ。今夜やらないと! 私が自分で行って今夜中に連れ戻す」
「いや、それは駄目です」クーパーウッドは言った。「私が自分で行かなければなりません。ここで待っていていただけるなら、できることを私が確認して、あなたに知らせます」
「いいだろう」バトラーはしぶしぶ言うと今度は手を後ろで組んで行ったり来たりを始めた。「頼むから、急いでくれ。無駄にする時間はないんだ」バトラーは妻のことを考えていた。クーパーウッドは使用人を呼ぶと馬車の支度を言いつけ、他の者をこの部屋に近づけないようジョージに指示した。バトラーが、彼にとっては不愉快な部屋を行ったり来たりしている間に、クーパーウッドは急いで馬車を走らせた。
第四十七章
キャリガン家に到着したのは十一時近くだったが、アイリーンはまだ寝ていなかった。ベルが鳴ったときは、二階の寝室でマミーとキャリガン夫人に自分の社交での経験を打ち明けていた。キャリガン夫人が下におりてドアを開けクーパーウッドと応対した。
「バトラーさんがこちらにいらしてますね」クーパーウッドは言った。「父親からの使いが来たと伝えてもらえますか?」自分がここにいることは家族の者にさえ漏らさぬようアイリーンが指示しておいたのに、クーパーウッドの強烈な存在感とバトラーの名前が出たことでキャリガン夫人は冷静さを失った。「ちょっとお待ちを」夫人は言った。「見てまいります」
夫人が奥に引っ込むと、クーパーウッドはすかさず中に入り、アイリーンがそこにいることに満足した様子で帽子を脱いだ。「少し話をしたいだけだと伝えてください」キャリガン夫人が階段をあがって行くときに、アイリーンに聞こえるのを期待して声を張り上げた。これを聞きつけるとアイリーンはすぐ降りて来た。こんなに早く来たことにとてもびっくりし、うぬぼれから、家中は大騒ぎに違いないと想像をふくらませた。もしそうなっていなかったら、ひどく悲しんだだろう。
キャリガン家の人たちがうれしそうに聞いていただろうから、クーパーウッドは慎重だった。アイリーンが降りてくると、指を唇にあてて黙るよう合図して言った。「バトラーさんですね」
「そうよ」アイリーンはこっそり微笑んで答えた。唯一の望みは彼にキスすることだった。「どうしたの?」静かに尋ねた。
「きみは帰らなければならないと思う」クーパーウッドは小声で言った。「そうしないと大騒ぎになりそうだ。お母さんはまだ知らないらしい。お父さんが今私のうちにいてきみを待っている。きみが帰ってくれば、私はかなり助かるかもしれない。実はね――」クーパーウッドはバトラーとの会話を包み隠さず話し、この問題について自分の見解を述べ始めた。問題のさまざまな局面が提示されるたびに、アイリーンの表情は時々変化したが、クーパーウッドの明確な説明と、これが片付けば二人はこれまでどおり関係を継続できるという確約に説得されて帰ることに決めた。ある意味で父親の降伏は大勝利だった。アイリーンは、自分が家にいないと家族がやっていけない、荷物は後で取りに来る、と笑顔でキャリガン家に別れを告げてクーパーウッドと一緒に彼の自宅の玄関まで戻った。そこで彼は、父親に降りてきてもらうから馬車で待つようにアイリーンに頼んだ。
「どうだった?」クーパーウッドがドアを開けると、バトラーは振り向き、アイリーンがいないのを見て言った。
「外の馬車にいます」クーパーウッドは言った。「よかったらそれを使ってください。うちの者をとりに行かせます」
「けっこうだ。歩いて行く」バトラーは言った。
クーパーウッドは使用人を呼んで馬車を任せた。バトラーは威厳を保って堂々と立ち去った。
娘に対するクーパーウッドの影響力は致命的で、おそらくは永続的であると認めざるを得なかった。バトラーにできることはせいぜい娘を家の敷地内にとどめておくくらいだった。自宅にいた方がまだ正気に戻る可能性があった。帰り道、バトラーは娘がまた機嫌を損ねるのを恐れたので、とても慎重に娘と対話した。議論など論外だった。
「家出する前にもう一度話をしてもよかったんじゃないか、アイリーン」バトラーは言った。「お前が家出したと知ったらお母さんはオロオロするぞ。まだ知らずにいるからな。夕食の時間はどこかにいたと言わなくちゃいけないよ」
「キャリガンさんのところにいたのよ」アイリーンは答えた。「それで平気よ。お母さんはそんなこと心配しないわ」
「胸が痛むよ、アイリーン。自分のやり方をよく考えて態度を改めてほしい。もうこれ以上何も言わないから」
このときアイリーンは明らかに勝った気分で部屋に戻った。バトラー家では表面上、物事はこれまでと同じように進んだ。しかしこの敗北がクーパーウッドに対するバトラーの態度を永久に変えたと思ったら大間違いである。
仮釈放の日から二か月先の控訴審までの間、クーパーウッドは粉砕された自分の戦力を立て直そうと最善を尽くしていた。中断したところから仕事を再開した。しかし事業再建の見込みは、有罪の評決が出てから明らかに変わってしまった。破産したときに一番大口の債権者たちを守ろうとしたのだから、もし再び自由の身になり、他の条件が同じであれば、自分を最も助けてくれそうな人たち――たとえばクック商会、クラーク商会、ドレクセル商会、ジラード・ナショナル銀行など――の信用は良好だろうと思っていた――ただし判決で彼の個人的評判が過度に傷つけられていなかったらだが。彼の楽観的な考え方に幸いだったのは、正当か否か別として、この種の司法判断が、最も熱心な彼の支持者たちの心にさえ、どれほど抑制的影響を与えるかをクーパーウッドが完全に読み違えたことだった。
金融界の親しい友人たちはすでに、彼が沈みかけている船だと確信していた。金融を学んだ者がかつて、お金ほど敏感なものはない、金融を扱う人の心は取り扱う対象の性質を色濃く反映する、と言った。何年も刑務所にいるかもしれない男のために、多くのことをしようとするのは無駄だった。最高裁で敗けて実刑判決が下されても、知事に関係した何らかの対応がとられるかもしれないが、それは二か月以上先のことであり、結果がどうなるかはわからないのだ。だから、援助や信用枠の拡大、あるいは全面的な再建のために立てた計画を受け入れてほしいというクーパーウッドの度重なる訴えは、疑念を持つ人たちにやんわりかわされた。考えてみるよ。検討してみるよ。いくつか障害があるんだ。ああでもない、こうでもない、と行動したくない人たちの果てしない言い訳を聞かされるだけだった。この頃、クーパーウッドはいつものように元気よく金融界を歩き回り、長年来の知り合い全員に挨拶し、問われれば、かなり有望で、順調にいっているふりをしたが、彼を信じる者はいなかった。実は彼も相手が信じようが信じまいが気にしなかった。彼の仕事は、誰でもいいから本当に自分を助けてくれそうな人物を説得、もしくは強引にでも説き伏せることだった。そして他のことには目もくれず、一心不乱にこの仕事に取り組んだ。
「やあ、フランク」彼を見かければ友人は声をかけてくれる。「調子はどうだい?」
「いいよ! 順調だ!」クーパーウッドは明るく答えた。「これまでになく順調だよ」そしてクーパーウッドは自分の業務がどのように処理されているかをざっと説明した。自分を知り、自分の繁栄に関心を持つ人全員に、自分の楽観的展望をたっぷり伝えたが、当然関心のない人も多かった。
また、この頃、破産申請に関する再調査がずっと続けられていたので、クーパーウッドとシュテーガーは絶えず裁判所で顔を合わせるようになった。胸が張り裂けそうな日々だったが、くじけなかった。フィラデルフィアにとどまり、最後まで戦いたかった――火事の前の地位に就き、世間の目に自分が復活した姿を見せたかった。実際に長期刑にさえならなければ、彼はこれができると感じた。さらには、たとえそのときでさえ、再び世に出たときでさえ、彼の展望は当然、楽観的だった。しかしフィラデルフィアに関する限り、彼は明らかにむなしい夢を見ていた。
彼に不利に働いている要因の一つは、バトラーと政治家たちがつづけている敵対だった。どういうわけか――誰もその理由をはっきり言えなかったが――世間一般の政治的観測は、この資本家と元市財務官は控訴に敗れて、最後は一緒に刑を宣告される、というものだった。ステナーは当初、罪を認めて黙って刑に服するつもりだったが、率直に罪を認めてまったく正当性がなかったように見せるよりは、自分の罪は慣例によるものだったと主張した方が将来のためにいい、と政治家仲間に説得され、これを実行したが有罪にされた。体裁を繕うために、でっち上げの控訴が行われ、それが今、州最高裁判所で審理中だった。
さらに、あちこちで噂がささやかれていた。バトラーとクーパーウッド夫人に手紙を書いた少女が発端のこうした噂のせいで、この頃、クーパーウッドとバトラーの娘アイリーンとの怪しい関係にまつわるゴシップが広がりを見せていた。十番街には家があり、アイリーンのためにクーパーウッドが維持していた。バトラーがこれほど執念深かったのも不思議ではなかった。これで多くのことに説明がついた。現実的な金融界でさえ、今や批判の矛先は彼の敵にではなく、むしろクーパーウッドに向いていた。というのも、キャリアが始まった頃、彼はバトラーに目をかけられたというのが事実ではなかったか? その恩に対して何という報い方だろう! 彼の古参の岩盤支持者たちさえ首を振った。これがクーパーウッドの行動を司る、あの持ち前の「自分を満足させる」という態度のもうひとつの実例だ、と彼らははっきり感じ取った。クーパーウッドは確かに強い男だ――そして華麗な男でもある。これほど華々しく、それでいて魅力的で、金融にかけては攻撃的で、同時に保守的な人物は三番街では見られなかった。しかし、人は過剰な大胆さと利己主義とで、復讐の女神を呼び寄せるのではないだろうか? あれは死神と同じで輝いている標的が大好きなのだ。彼はおそらく、バトラーの娘を誘惑すべきではなかったし、間違いなく、特にステナーと喧嘩別れした直後に、あの小切手をあんなに大胆に手に入れるべきではなかった。少し攻撃的過ぎたのだ。こういう経歴の持ち主が、ここで元の地位に戻れるか、疑わしくないだろうか? 彼に一番近い銀行家や実業家たちも明らかに懐疑的だった。
しかし、この頃のクーパーウッドと彼の人生への向き合い方――彼が抱いていた感情――「自分を満足させる」――は、彼の美を愛する心、愛情を愛する心、女性を愛する心と結びつくと、依然として彼を無情にも軽率にもした。もし人の善意を得なくて済むのであれば、このときでさえアイリーン・バトラーのような少女の美しさと喜びは、クーパーウッドにとって五千万人の善意よりもはるかに重要だった。シカゴ大火と恐慌が起きる前、彼の運勢は急上昇していたので、重要で有利な出来事続きの慌ただしさにかまけて、彼は自分がしていることの社会的意味をろくに考えたことがなかった。若さと生きる喜びが血潮に流れていた。みなぎる若さと元気をひしひしと感じ、見るからに感じるからに新緑の芝生だった。春の夕暮れのさわやかさが自分の中にあったので、クーパーウッドは気にしなかった。破綻後も、とにかく、しばらくはアイリーンと別れていた方が賢明だとわかりそうなときでさえ、そうする気にならなかった。アイリーンは過ぎ去ったすばらしい日々の最高の部分の象徴であり、彼と、過去と、まだ成功していない未来とを結ぶものだった。
彼の最大の不安は、もし刑務所に送られるとか、破産宣告を受けるとか、あるいはその両方をくらったら、おそらくは取引所の会員権を失うことになり、このフィラデルフィアでの繁栄につづいている一番立派な道を、永遠ではないにしても、しばらくの間閉ざしてしまうことだった。クーパーウッドは今、複雑な事情のために、会員権を資産として差し押さえられていて活動できなかった。彼が雇えるほとんど唯一の従業員エドワードとジョセフは、クーパーウッドに代わってまだ細々と行動していたが、取引所の他の会員たちは、当然、この弟たちをクーパーウッドの代理人と疑っていたので、彼らが独立して事業を始めると言ってもそれは、債権者にとって必ずしも有利とはいえない、何か違法な隠れた活動をクーパーウッドが企んでいる、と他のブローカーや銀行家たちに思わせただけだった。しかし、何があろうと、活動的ではないにしても潜在的に取引所にとどまらねばならない。そしてすばやく思索し、自分が刑務所に送られるか破産するか、あるいはその両方に備えて、取引所で好かれているか好かれそうな人物と密かに従属的業務提携を結び、相手を手先かダミーとして利用すべきだという考えにいたった。
ようやく適任者を思いついた。大した人物ではなかった――小さな商売をしていたが、正直者でクーパーウッドに好意的だった。名前はウィンゲート――スティーブン・ウィンゲート。ブローカーとして南三番街であまり安定しているとはいえない生活を細々と続けていた。四十五歳、背は中くらい、かなりがっしりしていて、見た目は決して悪くなく、むしろ知的で活動的だが、精神的にはあまり強引でもなく押しが強くもなかった。仮になれたとしても、彼がひとかどの人物になるには、クーパーウッドのような男が実際に必要だった。取引所の会員で、評判がよく、尊敬されてはいたが、それほど繁盛していなかった。過去にクーパーウッドに小さな――妥当な金利での小口融資とか情報の提供など――頼みごとをしてクーパーウッドがかなえたことがあったので、ウィンゲートはクーパーウッドに好意的で、少し気の毒に思っていた。今ウィンゲートはあまり成功したとは言えない老後にゆっくり流れて行くところで、そういう男が自然にそうなるように、扱いやすかった。しばらくは誰もウインゲートがクーパーウッドに雇われているとは疑わないだろうし、クーパーウッドはウインゲートが自分の命令を忠実に実行するのを当てにできた。クーパーウッドはウインゲートを呼び寄せて長い話し合いをした。現在の状況、パートナーとしてウインゲートが自分のために何ができると思っているか、自分には彼の事業がどれだけ必要か、などを話したところ、ウインゲートが乗り気だとわかった。
「あなたの言うことなら何でも喜んでやりますよ、クーパーウッドさん」ウインゲートは保証した。「何があってもあなたなら私を守ってくれるとわかってますし、私が一緒に働きたいか、あなた以上に尊敬できる人は世界に誰もいませんからね。この嵐は完全に吹きやみますよ。それに、あなたなら大丈夫です。とにかく私たちならできますよ。うまくいかなくても、あなたが何をやりたいかは、後であなたが考えればいいことです」
こうして、この関係は暫定的に始まり、クーパーウッドはウィンゲートを通じて小さな活動を始めた。
第四十八章
下級審の判決破棄と再審を求めたクーパーウッドの訴えに対して、州最高裁判所が判断を下すまでに、アイリーンとの関係についての噂は広く知れ渡っていた。これまで見てきたように、それはクーパーウッドに大きなダメージを与え、未だに与え続けていた。これは、クーパーウッドが主犯でステナーは犠牲者である、という政治家たちが最初に作ろうとした印象を確かなものにした。彼の合法すれすれの金融技術は、彼の非凡な金融の才能にしっかり裏打ちされていて、この点に関しては、他の各方面で平和で静かにしかも大喝采を浴びて行われていたものに比べても悪質ではなかったのに、今や最も危険な種類のマキャベリ的策略だと見なされた。クーパーウッドには妻と二人の子供がいた。想像力の豊かな大衆は彼の真意がどういうものかを知りもせず、彼が妻子を捨て、リリアンと離婚し、アイリーンと結婚しようとしているという結論に飛びついた。保守的な見方からすれば、これは十分に犯罪的だった。世間は彼の金融の経歴、裁判、有罪評決、全面的な破産状況などと合わせて、彼が政治家たちの言う通りの人物だと信じる傾向があった。有罪に処されるべきだ。最高裁判所は、彼の再審請求を認めるべきではない。このように、時として私たちの心の奥の思考や意図は、既知の物理的な伝達手段をまったく通らずに、突如として公衆の思考に入り込むことがある。どうして知っているのか、明らかにその人たちが知るはずがないときでさえ、人々は知っている。テレパシーだか、経験を飛び越える認識、の類が存在しているのだ。
まず、それは州最高裁判所の五人の判事と州知事の耳に届いた。
合理的な疑いを証明したいという申請が認められてクーパーウッドが保釈されていた四週間の間に、ハーパー・シュテーガーとデニス・シャノンの両名は州最高裁判所判事の前に出て、再審を認める妥当性を巡って賛否両論を唱えた。クーパーウッドは弁護士を通して最高裁判所判事に学識深い訴えを行い、そもそも自分は不当に起訴されていて、窃盗その他の罪状の根拠となる実質的証拠が何もない状況を示した。シュテーガーは自分の主張を述べるのに二時間十分かけ、地方検事のシャノンは反論にそれ以上かけた。その間、法廷にいた五人の判事、司法の経験は豊富でも金融をあまり理解していない男たち、は熱心に耳を傾けた。そのうちの三人、スミッソン、レイニー、ベックウィスは、当時の政治的感情やボスの意向に最も従順な人たちで、特にバトラーの娘との関係とそれによるバトラーの彼に対する敵対が耳に入っていたので、クーパーウッドの取引に関するこの話にほとんど関心を示さなかった。彼らは一応この問題全体を公平中立に考えているつもりだったが、クーパーウッドがバトラーにとった態度は決して彼らの心から離れなかった。残りの二人、マーヴィンとラファルスキー判事には、人より大きな同情心と理解力があったが、人より政治的自由があるわけではなかった。クーパーウッドはこれまでひどい扱いを受けてきた、と感じはしたが、それに対し自分たちに何ができるかはわからなかった。クーパーウッドは政治的にも社会的にも極めて苦しい立場にあった。判事たちは、シュテーガーが正確に述べた彼の大きな経済的社会的ダメージを理解し考慮に入れた。中でもラファルスキー判事は自分の人生にも女性関係の似た出来事があったため、クーパーウッドを有罪とすることに強く反対する気になった。しかし政治的なしがらみと義務があるため、求められていることに逆らうのは政治的に賢明ではないと悟った。それでもスミッソン、レイニー、ベックウィス各判事がろくに議論もせずクーパーウッドを有罪にしようとしているのを知ると、ラファルスキーとマーヴィンは反対意見を出すことにした。関連する問題は非常に複雑だった。クーパーウッドは行動の自由という基本原則に基づいて、合衆国最高裁判所に持ち込むかもしれない。いずれにせよ、ペンシルベニアでも他の地域でも他の裁判所の他の判事たちは、この事件の判決を検討したがるだろう。これはそれほど重要だった。反対意見を出しても自分たちに害はないと少数派は判断した。クーパーウッドが有罪である限り、政治家は気にしない――むしろこの方がいい。この方が公平に見える。それにマーヴィンとラファルスキーは、できることならクーパーウッドを一気に有罪に持ち込もうとするスミッソン、レイニー、ベックウィスと一緒にされるのはご免だった。五人の判事は全員、このような状況で誰もがそうであるように、自分たちはかなり公平中立にすべての問題を検討している、と思っていた。一八七二年十二月十一日スミッソンは、自分とレイニーとベックウィス両判事の意見としてこう述べた。
「被告人フランク・A・クーパーウッドは下級審(ペンシルベニア州対フランク・A・クーパーウッド)の陪審評決破棄と再審を求めている。本法廷は、被告人に対して、何ら重大な不正義が行われたとは認めることができない。(ここで事件のかなり長い要約が続き、その中で、クーパーウッドの市財務部との簡単な取引方法は言うまでもなく、財務官事務所の慣習や先例は、法の精神と条文を守らなかった彼の責任とは何ら関係がないと指摘された。)合法的手続きを装った物品の取得行為は(スミッソン判事は多数派を代表して続けた)窃盗罪に該当するかもしれない。本件では、重罪の意図を確認することが陪審の責務であり、陪審は事実の問題として被告人に不利な評決を下した。そして、本法廷はその評決を支持するに足る証拠がなかったとは断言できない。被告人はいかなる目的で小切手を入手したのか? 被告人は破産寸前だった。売却用に託された市債を、すでに自分の債務の担保にしていた――五十万ドルの現金を融資として不正に取得していた。被告人が通常の手段で市財務部からこれ以上得られないと考えるのは妥当である。それから被告人はそこへ行き、明示的でなくとも暗黙的虚偽の手段で、さらに六万ドルを手に入れた。陪審は、意図があってこれが行われたことを認定した」
クーパーウッドの再審請求が多数派によって却下されたことがこのような言葉で述べられた。
マーヴィン判事は、自分とラファルスキー判事の意見として反対意見を記した。
「クーパーウッド氏が代理人の権限を持たずにこの小切手を受け取ったわけでないことは、事件の証拠から明らかである。代理人の資格で、この小切手の受領が意味する義務を彼が履行しなかった、あるいは履行する意図がなかったことは明確に立証されなかった。減債基金向けの購入は、市場や一般大衆に、その事実を知られてはならないことが方針として理解されていたことと、最終結果が満足できるものである限り、クーパーウッド氏は代理人として資産と負債の処理について完全に自由な裁量を持つことになっていた、ことが裁判で明らかにされた。購入時期に特定の時期はなく、いかなる時点でも購入額へ言及はなされなかった。被告人が小切手を受け取った時点で、それを不正に流用する意図がなければ、第一の訴因でさえ有罪にはできない。陪審の評決はこの事実を立証していない。証拠はそれが立証できることを決定的に示していない。この同じ陪審は他の三つの訴因でも証拠の影も形もないのに被告を有罪にした。他の訴因が明らかに間違っているのに、第一の訴因の結論が間違いではない、とどうして言えるだろうか? 第一の訴因で窃盗罪を科した陪審評決は有効ではない、この評決を破棄して再審を認めるべきである、とするのが少数派の意見である」
ラファルスキー判事はユダヤ系だが独特のアメリカ人らしい風貌を持つ、思索的でありながら実践的人物で、自分の考えを特に反映し、多数派に批判的でありながら、マーヴィン判事と一致した点に若干の修正と補足を加えた第三の意見を書くことが求められていると感じた。クーパーウッドを有罪にするのは難しい問題だった。彼の有罪を政治が必要としたのはさておき、上級裁判所のこうした異なる意見の中以上に、それがはっきり示された場所はなかった。ラファルスキー判事は、犯罪が行われたとしても、それは窃盗として知られているものではない、と述べてつけ加えた。
「証拠からは、すみやかに市債を引き渡す意図がクーパーウッド氏になかったとも、アルバート・スターズ主席事務官もしくは市財務官が単に小切手の占有権を手放しただけでなく、小切手とその分の金銭の所有権を完全に手放す意図がなかったとも、いずれも結論づけることはできない。クーパーウッド氏がこの金額の市債の証書を購入したと発言したことは、スターズ氏によって証言されたが、彼が購入していなかったことは明確に立証されなかった。同氏がそれを減債基金に収めなかったことは、法律の条文に反していようと、公平を期して、慣習に照らしてみて判断されねばならない。そうすることが同氏の慣習だったのか? 私の判断では、今しがた本法廷多数派によって表明された理論は、法律上窃盗とみなされる犯罪をその限界まで拡大していて、手広く完全に合法な株取引に従事する実業家の誰もが、市場の急落や火災によって、本件のように、知らないうちに重罪犯になりかねなくしている。このような先例を確立して、このような結果を招きかねない原則が主張される事態は、控えめに言っても驚くべきことである」
少数派判事の反対意見によって随分慰められ、この件に関して最悪の事態を想定して自分を鍛え、それを見越してできる限り身辺整理をしてきたとはいえ、クーパーウッドはそれでもひどく失望した。いつもどおり強気で、自立心旺盛だったが、苦しんでいなかったと言えば事実ではない。最高水準の感受性はなくなってはおらず、それらは彼の中であの冷たい鉄のようなもの、決して彼を見捨てない理性、に支配され制御されているだけだった。シュテーガーが指摘したように、あとは合衆国最高裁判所に上告するしかなかったが、そこで合衆国最高裁判所が扱わねばならないのは、判決のある側面の合憲性と、国民としての権利についてだけだった。これは面倒で費用がかかる作業だった。何を争点にできるのか、現時点では必ずしも明らかではなかった。かなり時間がかかるだろう――おそらく一年半かそれ以上。いずれにせよ、その期間が終われば服役しなければならないかもしれないし、その期間中でもしばらくは収監されなければならないだろう。
クーパーウッドは、シュテーガーの状況説明を聞いた後、しばらく思案にふけった。それから言った。「どうやら、刑務所に行くか国を出るしかなさそうだな。私は刑務所に行くことにした。長い目で見ればこのフィラデルフィアで戦い抜いて勝ち上がれるからね。最高裁で判決をくつがえせるかもしれないし、しばらくすれば知事に赦免してもらえると思う。私は逃げたりしない。私がそんなことをしないのはみんなが知っているからね。私を倒したつもりの連中は、これっぽっちも私を叩いちゃいない。しばらくすれば、私はこの件から抜け出すだろう。その時、このつまらんちっぽけな政治家たちに、本当の闘いがどういうものかを見せてやる。奴らはもう私から一ドルも搾り取れない――一ドルもな! 私を解放していたら、いつかはあの五十万ドルだって払うつもりだったのに。もう彼らが手に入れられるものは何もないんだ!」
クーパーウッドは歯を食いしばり、灰色の目が決意を鋭く光らせた。
「私にできることは全部やりました、フランク」シュテーガーは同情を込めて弁解した。「私なりに全力で闘ったことは認めてくれますね。私がやり方を知らなかったのかもしれないが――その答えはご自分で出してください――でも私は自分の限界内で最善を尽くしました。あなたが望むなら、この件を続けるためにもう少しやれることがありますが、それはもうあなたにお任せします。何なりと言ってください」
「この期に及んで馬鹿なことを言うな、ハーパー」クーパーウッドは苛立ちを隠しきれずに答えた。「満足してるかどうかは自分でわかってる。不満があればすぐに言うさ。きみはこのまま続けて最高裁に持ち込むだけの確かな根拠を見つけられるか確認した方がいいと思うが、私はその間に刑期を始めるよ。じきにペイダーソンが召喚日を決めてくれるさ」
「それはあなたの対応次第ですよ、フランク。その方が都合がよければ、多分一週間か十日、刑の宣告を引き延ばせるかもしれません。シャノンはそれに反対しないでしょう。問題が一つだけあります。ジャスパースが明日あなたを探しにここに来ます。控訴が棄却されたことが通知され次第、再びあなたを拘束するのが彼の義務ですから。お金を払わないと拘束したがるでしょうけど、それは解決できます。先に延ばして少しでも時間を稼ぎたければ、副保安官をつけて外出できるように調整してくれると思います。でも夜は所内にいなくてはならないでしょう。数年前のアルバートソン事件以来、その辺がかなり厳しいんです」
シュテーガーは、夜間に副保安官の監視つきで郡刑務所から出され、逃亡してしまった有名な銀行の出納係の事件に言及した。当時、保安官事務所に激しく厳しい非難が浴びせられ、それ以来、評判や財産の有無にかかわらず、有罪になった犯罪者は少なくとも夜間は郡刑務所に留まることになった。
クーパーウッドは弁護士事務所の窓から二番街を眺めながら、このことを冷静に考えた。刑期全体が少しも減らないのに郡刑務所で夜を過ごすのは嫌だったが、ジャスパースの厚遇を最初に味わってからは、この紳士の管理下で自分に起こるかもしれないことをあまり恐れなかった。数か月の自由が得られないなら、今業務で自分にできることはすべて、三番街の事務所からでも刑務所の独房からでも調整できるのだ――まったく同じではないがほぼ同じだった。いずれにしろ議論してどうなる? 服役が目の前にあるのなら、これ以上悪あがきしないでそれを受け入れた方がいいかもしれない。仕事の整理に一日か二日かかるかもしれないが、それ以上かけたところで何になるんだ?
「もし何もしないで普通にいけば、刑の宣告はいつになるんだ?」
「まあ、金曜日か月曜日でしょう」シュテーガーは答えた。「この件でシャノンがどう動くつもりなのか私にはわかりません。少し調べてから会いに行こうと思っています」
「その方がいいと思う」クーパーウッドは答えた。「私は金曜日でも月曜日でもどちらでもいい。特にこだわりはないからね。できれば月曜日の方がいいな。それまで手を出さないようジャスパースを説得できる手段があると思わんか? 向こうは私がちゃんと責任を果たせるってことを知ってるんだ」
「わかりませんが、フランク、確かめてみます。今夜行って話してきます。多分百ドルもやれば、あいつはその程度の規則なら緩めてくれますよ」
クーパーウッドは苦笑いした。
「ジャスパースに百ドルもやったら規則なんかゆるゆるになってしまうだろう」と答えて、帰ろうと立ち上がった。
シュテーガーも立ち上がった。「双方に会ってからお宅へうかがいます。夕食後は家にいますか?」
「ああ」
二人はオーバーコートを着ると、寒い二月の中に出て行った。クーパーウッドは三番街の事務所に戻り、シュテーガーはシャノンとジャスパースに会いに行った。
第四十九章
クーパーウッドの刑の宣告を月曜日にする手続きは、シャノンを通してすぐに行われた。シャノンは合理的な延期について何も異論を挟まなかった。
次にシュテーガーは郡刑務所を訪れた。五時近かったのですでに暗かった。ジャスパース保安官が私設の書斎からのんびりと出てきた。そこでパイプの掃除をしていたのだ。
「どうしました、シュテーガーさん?」ジャスパースは形だけの愛想笑いを浮かべて言った。「調子はどうですか? 会えてよかった。座りませんか? またあのクーパーウッドの件で来たんでしょ。ちょうど地方検事から彼が敗訴したという連絡を受け取ったところです」
「その件ですよ、保安官」シュテーガーは機嫌を取るように答えた。「その件で保安官の意向をうかがってくるよう頼まれたのです。ペイダーソン判事は、刑の宣告の時間を月曜日午前十時と定めました。いずれにせよ、彼が月曜日の八時前か日曜日の夜までここに来なくても、保安官はあまりお困りになりませんよね? ご存知のとおり、完全に信頼できる人物です」できれば百ドルの支払いを避けるために、シュテーガーはクーパーウッドの到着時刻をささいな問題にしようと、ジャスパースの出方を丁寧に探っていた。しかしジャスパースはそう簡単にあしらえる相手ではなかった。太った顔がかなり渋い顔になった。どうしてシュテーガーは報酬もちらつかせずにこんな頼みごとができるんだ?
「ご存知でしょうが、シュテーガーさん、それは法律違反ですよ」ジャスパースは慎重に不満をにじませて話し始めた。「他のことと同じように便宜を図りたいところだが、三年前のあのアルバートソン事件以来こっちもここの運営をもっと慎重にやらなくちゃならなくてね、それに――」
「ええ、わかってます、保安官」シュテーガーも形ばかりの愛想笑いを浮かべて口を挟んだ。「おわかりでしょうが、とにかくこれは普通の事情とは違うんです。クーパーウッドさんはとても重要な人物で、やらねばならないことをたくさんかかえてましてね。裁判所の事務官に納得してもらうというか罰金を払うのに、七十五ドルか百ドルで済む問題なら事は簡単なんでしょうが――」シュテーガーは言いよどんで巧みに顔をそむけた。ジャスパースの顔がたちまちゆるみ始めた。普段なら違反するのがとても難しい法律でも、もうそれほど重要ではなくなった。これ以上言う必要はないとシュテーガーは判断した。
「とても扱いにくい問題なんですよ、これはね、シュテーガーさん」保安官は譲歩しつつも声にかすかな泣き言じみた響きをにじませて言った。「何かあったら、こっちは職を失うんですからね。どんな事情でもそんなことはやりたくないし、やるつもりもないが、ただ私はたまたまクーパーウッドさんとステナーさんを知ってるし、二人とも好きですからね。こんなことをする権利が二人にあるとは思わんが、クーパーウッドさんがあまり大っぴらに行動しないのなら、この件は例外にしても構わないと思います。このことは地方検事局の人間には知られたくないんですよ。副保安官をどこか近くに常駐させて監視させる分には構いませんな。私も、まあ、法律はちゃんと守らないといけないんでね。副保安官が彼を煩わせることはありません。ただの見張りみたいなもんです」ジャスパースはにべもなく、してやったりと――状況に乗じてほとんどなだめるように――シュテーガーを見すえた。シュテーガーはうなずいた。
「ごもっともです、保安官、その通りです。あなたのおっしゃる通りです」保安官がとても警戒して書斎に誘導する間に、シュテーガーは財布を取り出した。
「ここで私が自分用にそろえた法律書をあなたにお見せしたいですね、シュテーガーさん」ジャスパースは穏やかな口調で言い、シュテーガーが差し出す十ドル札の小さな束をそっと握っていた。「見ての通り、ここでは時々こういう本を使うんですよ。こういうものを手元に置くのはいいことだと思いましてね」ジャスパースは州の判例書や改正法令集や刑務所規則などが並ぶ棚を網羅するように片腕を振りかざし、その間にお金をポケットにしまった。シュテーガーは眺めるふりをした。
「良いお考えです、保安官。実に名案です。では、クーパーウッドさんは月曜の早朝、八時か八時半にここに来ればいいとお考えですね?」
「そうだな」保安官は答えた。妙に緊張していたが、話には乗り気で、相手を喜ばせたがっていた。「それよりも早く身柄を必要とする事態が生じるとは思わんが、もしそうなったらあなたに知らせるから、あなたが連れて来てください。でもそんなことはないと思いますよ、シュテーガーさん。何も問題はないと思います」この時二人は再びメインホールにいた。「またお会いできてよかった、シュテーガーさん――本当によかった」保安官は付け加えた。「いつかまた来てください」
シュテーガーは保安官に手を振って気持ちよく別れると、クーパーウッド邸に急いだ。
その晩、事務所から帰ってきたクーパーウッドがきちんとした灰色のスーツと仕立てのいいオーバーコートを着て、立派な邸宅の正面の階段をのぼる姿を見たら、これがここでの最後の夜になるかもしれないと彼が考えていたとは誰も思わなかっただろう。彼の態度や歩き方からは、気が弱くなっている様子はまったくうかがい知れなかった。早めに灯されたランプが煌々と輝く玄関に入ると、年寄りの黒人雑用係のウォッシュ・シムズが、暖炉にくべる石炭の入ったバケツを持って地下室から上がってくるところだった。
「今夜外はひどく寒いですね、クーパーウッドさま」ウォッシュは言った。彼にとって、華氏六十度以下はとても寒かった。彼が唯一悔やんでいるのは、フィラデルフィアが故郷のノースカロライナにないことだった。
「身にしみるね、ウォッシュ」クーパーウッドは生返事をした。ジラード・ストリートを西に家に向かう間、家のことや家の様子について――近所の人が時々窓からこっちを見ながら自分をどう考えているかも――少し考えていた。澄み切っていて寒かった。困難が始まってから、葬式のように陰鬱な雰囲気がここに居座るのをクーパーウッドが許さなかったので、応接間と居間には明かりが灯されていた。通りの西の果ての道路の冷たい白い雪をおおうように、薄紫とスミレ色がその日の終わりを鮮やかに彩っていた。明かりの灯った窓にクリーム色のレースのカーテンがかかった灰緑色の石造りの家は、ひときわ魅力的に見えた。ここにこれだけのものを築いて、概観を飾って細部まで飾りつけた誇りを一瞬思い返して、いつかまたこれを自分のために手に入れられるだろうかと考えた。「家内はどこにいる?」思い出したように、ウォッシュに尋ねた。
「居間にいらっしゃると思います、旦那様」
すべての残務整理の中からクーパーウッド夫人が、やりそうもない彼の雇用の継続を選択しない限り、ウォッシュはすぐに失業だな、と奇妙なことを考えながらクーパーウッドは階段をのぼった。居間に入ると、夫人は長方形のセンターテーブルのそばに座って、娘のリリアンのペチコートにホックと留穴を縫い付けていた。夫の足音に気づくと顔をあげて、近頃見せる妙に不安げな微笑み――苦痛、恐怖、疑念の表れ――を浮かべて尋ねた。「あら、何かあったの、フランク?」彼女の微笑みは、自在に取り外せる帽子かベルトかアクセサリーのようだった。
「特に何もないよ」とそっけなく答えた。「敗訴が判明したくらいだ。じきにシュテーガーがここに報告に来る。彼から連絡があったんだ。そのことについてだと思う」
はっきり負けたと言いたくなかった。様子から妻が十分に悩んでいるのがわかったし、今は唐突すぎる発表は避けたかった。
「まさかそんな!」リリアンは驚きと恐怖が入り混じった声で答えると、立ち上がった。
刑務所のことなどほとんど考えられたことのない世界、裁判所や拘置所などの悩ましいものが目立って入り込む余地のない物事が日々順調に進む世界、にずっと慣れ親しんでいたので、この数か月間は彼女をほとんど狂わんばかりに追い詰めていた。クーパーウッドはリリアンに目立たないでいるようにきっぱりと言っておいた――妻にはほとんど何も話さなかったので、リリアンは全体の流れがよくわかっていなかった。彼女が知識として持っていたものは、自分の両親とアンナから聞いたことと、新聞を綿密に、ほとんど人目を忍ぶようにして読んで知り得たものだった。
夫が郡刑務所に入ったときさえ、夫の父親が法廷と刑務所から戻って知らせるまで、そのことについて何も知らなかった。リリアンにとっては恐ろしい衝撃だった。これを予期して毎時間恐れていたとはいえ、突然この事実をこんなにもぞんざいに突きつけるのは、あんまりだった。
クーパーウッドが三十五歳でリリアンは四十歳でも、娘の服を手に持って立っている姿は今でも明らかに魅力的だった。リリアンはかつての繁栄が生んだもののひとつ、縁取りが濃い茶色の、高級シルクのクリーム色のガウンをまとっていた――これはリリアンを魅力的にする組み合わせだった。目が少しくぼんでふちが赤くなっていたが、それ以外に深刻な精神的苦悩の兆候はなかった。十年前に彼を魅了したかつての穏やかな魅力の痕跡はかなり残っていた。
「それってひどく悪いことじゃない?」両手を神経質に震わせながら、リリアンは弱々しく言った。「恐ろしいことじゃない? もうあなたにできることは本当にないんですか? 本当に刑務所に行かなければならないんですか?」クーパーウッドはリリアンが悲嘆に暮れて神経質に怖がるのが嫌いだった。もっと強くて自立したタイプの女性の方が好きだったが、それでも彼女は自分の妻であり、かつてはとても愛していたのだ。
「そうなりそうなんだ、リリアン」クーパーウッドは、久しぶりに本物の同情の響きをにじませて言った。このときは彼女が気の毒に思えたからだ。同時に、この流れでこれ以上踏み込む気にはなれなかった。基本的に無関心というリリアンに対する今の自分の態度を誤解させるかもしれないと恐れたからだ。しかしリリアンは、夫の声にある思いやりが、夫の敗北、つまりは自分の敗北でもあるもの、によってもたらされたのを理解できないほど鈍くなかった。リリアンは少し息が詰まったが――それでも心は動かされた。ほんのわずかな同情の示唆が、永遠に失われた昔の日々をよみがえらせた。あの日々を取り戻せたらいいのに!
「私のことできみに心配をかけたくないんだ」クーパーウッドはリリアンが何かを言う前に続けた。「私の戦いはまだ終わっていない。私はこれを切り抜けるつもりだ。物事のけじめをつけるために、どうやら刑務所に行かなくてはならないようだ。きみにお願いしたいんだが、残された家族、特に父と母の前では明るさを絶やさないでほしい。元気づけてあげないとね」クーパーウッドは一度リリアンの手を取ろうと思ったが、やめにした。リリアンは夫がためらったのにも、今の夫の態度と十年から十二年前の夫の態度との大きな差にも、内心気づいていた。今はもう、以前なら思ったであろうほど、傷つかなかった。リリアンは何を言っていいのかほとんどわからないまま、夫を見た。実際、話すことがあまりなかった。
「行かねばならないとしても、すぐに行かなくちゃいけないんですか?」リリアンは疲れた様子で思い切って尋ねた。
「まだわからない。今夜かもしれないし、金曜日かもしれない。月曜日まで平気かもしれない。シュテーガーからの連絡を待っているんだ。じきにここに来ると思う」
刑務所に行く! 刑務所に行く! 私のフランク・クーパーウッドが、私の夫が、二人の家庭の支え――二人の魂を破滅させるものが、刑務所に行く。しかも、未だに理由がよくわからない! 自分に何ができるのかを考えながら、リリアンはその場に立ち尽くした。
「何か持ってきましょうか?」まるで夢から覚めたように体を乗り出して尋ねた。「何かしてほしいことはありますか? もしかしたら、フィラデルフィアを離れた方がいいんじゃないですか、フランク? 行きたくなければ、刑務所に行く必要なんてないわよ」
生まれて初めて、死ぬほどの平穏が破られたショックで、リリアンは少し取り乱していた。
クーパーウッドは話をやめ、少しの間、遠慮のない取り調べでもしているような目で相手を見た。厳しい実業家の判断力が瞬時に戻った。
「それじゃ罪を認めることになるんだ、リリアン、私は罪を犯してはいないからね」クーパーウッドはほとんど冷淡に答えた。「私は逃亡だとか刑務所行きになるようなことは何もしていない。今はただ時間を節約するためだけにそこに行くんだ。こんな裁判をいつまでも続けてはいられないからね。どうせ出てくるんだ――それなりの時間はかかるが、恩赦か訴訟でね。だったら、今すぐ行った方がいいと思う。私はフィラデルフィアから逃げ出すつもりはない。五人の判事のうち二人が判決で私を支持してくれた。これは私を訴える決め手を州が持っていないかなり確かな証拠だよ」
リリアンは自分が間違っていたことを悟った。おかげで瞬時に判断がついた。「そんなつもりじゃなかったのよ、フランク」リリアンは申し訳なさそうに答えた。「私がそんなつもりじゃなかったってわかるわよね。もちろん、あなたが有罪でないことはわかってるわ。よりによって私がどうしてあなたを有罪だと思わなければならないの?」
リリアンは何らかの反論、さらなる議論――もしかしたら優しい言葉の一つ――を期待して口をつぐんだ。かつての不可解な愛情がほんの少しだけうかがえはしたが、クーパーウッドは静かに机に向かって他の事を考えていた。
この時、自分の状態の異常さが、再びリリアンを襲った。すべてがとても悲しくて絶望的だった。自分はこれから先どうすればいいのだろう? フランクはどうするつもりかしら? リリアンは半ば震えていたが、それでも決意した――一風変わった抵抗しない性格だったからだ――なんで夫の時間を邪魔するの? どうして煩わせるの? そんなことしたってどうにもならないのに。現にフランクはもう私のことなど気にかけていないのだ――これは事実だった。彼を動かせるものは何もなく、何も、この悲劇でさえでも、二人を再び結びつけることはできないのだ。別の女性――アイリーン――に関心が移ってしまい、妻の愚かな考えや説明、恐怖、悲しみ、苦悩は、彼にとって重要ではないのだ。夫の自由を求める妻の苦悶の声を、自分の有罪の可能性を取り沙汰すもの、自分の無実を疑うもの、自分への非難と受けとめたのかもしれない! リリアンがちょっと背を向けると、クーパーウッドは部屋を出て行こうとした。
「またすぐに戻って来る」わざわざ一声かけた。「子供たちはうちにいるのか?」
「はい、子供部屋にいます」リリアンは悲しそうに、完全に途方に暮れ、取り乱して答えた。
「ねえ、フランク!」と叫ぼうと口まで出かかったが、声にできないうちに、彼は階段を駆け下りて行ってしまった。リリアンはテーブルに向き直って、左手を口にあてた。目は奇妙にかすみ、陰鬱な霧がかかっていた。まさか人生がこんなことになるなんて――愛がこんなにも完全に、徹底的に、死ぬなんてあり得るのかしら? 十年前にあった――でも、なぜそこへ戻るの? 確かに、ありえることだわ。今そんなことを考えても仕方がないのに。これで人生で二度、私の生活は崩れ去ったようだ――一度目は最初の夫が死んだとき、そして今度は二番目の夫が自分を裏切って別の女性と恋に落ち、刑務所に送られようとしているとき。自分の何がこんなことを引き起こすのかしら? 自分に何か落ち度があるのかしら? これからどうすればいいかしら? 私はどこへ行けばいいの? 当然、夫がどれくらい長い期間刑務所に送られるのかリリアンは知らなかった。一年かもしれないし、新聞に書いてあったように五年かもしれない。なんということだ! 五年もかかったら子供たちは父親をほとんど忘れてしまうかもしれない。リリアンはもう片方の手も口にあてて、それから額にあてた。そこに鈍い痛みがあった。さらにその先を考えようとしたが、どういうわけか、今はそれ以上考えが進まなかった。突然、自分の意志に関係なく、そうするつもりはなかったのに、胸が波打ち始めて、喉が四、五回短く鋭い痛みを伴う痙攣を起こして収縮し、目が燃えるように熱くなった。リリアンは、激しく、苦しそうに、絶望的に、涙が出ていないと言われてもおかしくない泣き方で泣きながら、震えた。涙はとても熱くて少なかった。しばらくはとめられず、その場に立って震えるだけだった。そのあと鈍い痛みが取って代わり、元の状態に戻った。
「どうして泣くの?」急に矛先を自分に向けて詰問した。「どうしてこんな無駄な大泣きをするの? これが役に立つの?」
しかし、自分を思索的、哲学的に問い詰めたにもかかわらず、自分の魂の中の嵐の反響を、遠くで轟く響きのようなものを、リリアンはずっと感じていた。「どうして泣くの? どうして泣いちゃいけないの?」と言ってもよかったかもしれないが――言うつもりはなかった。つい最近自分を襲ったこの嵐は、今はただ自分の魂の地平線をぐるぐる回っているだけだが、再び打ち砕きに戻って来ることを、リリアンは知るはずがないのに、彼女が論理的に考えたところでわかるはずがないのに、知っていた。




