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プロローグ

 誇り高き吸魂鬼(クラウディファジー)族長にして、仄青き目(ファジョン)とも呼ばわれるメイズライヤーは、手にした大鉈を振るう。

 降りしきる雪は血飛沫で赤く染め上げられ、優に彼の三倍はあろうフィジー熊の首が宙を舞い、ダイソンの足元にドサリと落下した。その目はまだ生気に満ち満ちていて、恐ろしげな牙から血と涎を飛ばしながら唸っている。

 死の山クラウディフィルで百年生きた獣は、総じて千万の寿命と魔力を宿す。首を切り落としたくらいでは死にやしない。このまま放っておけば、頭には新しい胴体が、生き別れた胴体には新たな頭が生えてくるという厄介な性質を持つ。

 ボスッ、ボスッと音を立て、生ける打ち首は次々と飛んできた。四つ目を数えたところでダイソンが顔を上げると、いつの間にか振るっていた大鉈が二振りになった族長は、血の香に誘われて次々現れる熊の首を無心に刎ね続けている。


「ア゛ア゛ー、ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛ア゛っ?(族長(グル)ー、先に食べちゃってていーですかぁ?)」


 迸る殺気で発光して見える族長(グル)の背中に向かって、ダイソンはくぐもった声を上げた。


「好きにしろっ……今いいところなんだ、邪魔するな!」


 一瞬だけ振り返ったメイズライヤーは、落ち窪んだ眼底に宿った仄青い焔を揺らし、剥き出しの歯列からも流暢に怒鳴り返してくる。


「ア゛ーっ!(はーい)」


 血が通わなくなって久しい暗灰色の両腕を振って答えたダイソンは、ただちに目深に被っていたフードを肩に落とす。


「ギャヒィっ……!」


 彼が恭しささえ感じる造作で雪の上に膝をつくと、目の前で威嚇していたファジー熊の首は、まるで子犬のような鳴き声を上げた。先ほどまで赤黒く輝いていた目には、怯えの色さえ浮かんでいる。

 露わになった唇を鋭く釣り上げ、ダイソンは恐怖する彼らに笑いかけた。上下の唇は一族秘伝の呪い糸で縫い合わされていて、彼はそれを殊更ゆっくりと解いていった。


「……はぁっ、スッキリした」


 頬肉が耳まで裂け、一回り大きく広がった口は、先ほどまでとは打って変わったハッキリとして、かつ弾んだ声を上げる。


「いっただきまーす!」


 次いで、合掌とともに食前の祈りを口にしたらば、周囲の吹雪など消し飛ぶほどの猛烈な風がダイソンの口腔から吹き荒れ、哀れ生首達は残らず吸い込まれていった。




   * * *




「ア゛ア゛ー、ア゛ア゛ア゛ーー、ア゛ア゛ア゛ア゛ーーーーっ」


 決して快いとは言えない鼻歌が、クラウディフィルの西の斜面を木霊する。

 雪に埋もれる切り立った傾斜をスキップで駆け下りるのは、大層ご機嫌なダイソンだ。一年間の山籠もりを終え、族長との実践試験を突破した彼は、晴れて一人前の吸魂鬼(クラウディファジー)と認められたのだ。

 ここは極北の山、クラウディフィル。万年雪に埋もれ、全ての生者を凍てつかせる死の山と恐れられている。

 しかし、永久凍土の岩肌には、貴重なガリリウム鉱物が含まれていて、鍛えれば恐るべき切れ味の剣となる鉱物採掘のために、山を目指す人間は後を絶たなかった。かつて名の売れた鍛冶職人だったダイソンも、その一人だ。

 もう分かりだろうが、死の山に足を踏み入れた彼は、ついぞお目にかかったことのない巨大なルルゾロ狼に襲われ、命を落としていた。

 ただし、ダイソンの生への執着はすさまじく、腹を裂かれて臓腑の大部分を食い散らかされた状態でも暫く生き延びた。厳しい寒さが血液を凝固させ、失血死を免れたとはいえ、気が狂わんばかりの激痛に、彼は一昼夜耐え抜いたのだ。

 クラウディフィルは、人知の及ばぬ力を秘めていた山。生と死の狭間を漂いながら、山で一夜を明かし、絶命した後におぞましくも強大な力を得て蘇る……そうしてダイソンは吸魂鬼(クラウディファジー)となった。

 蘇ったばかりの頃は我が身の変化に動揺し、空っぽになった腹を抱えて山を彷徨う自分を、見つけ出したのはメイズライヤー……偉大なる吸魂鬼族族長(グル)は、彼を温かく一族に迎え入れてくれた。右も左も分からない新参者の自分に、魔獣達の狩り方、口の中でカマイタチを起こす方法に、喉に詰まらせず魂を吸い込む巧い遣り方を、根気よく百年かけて叩き込んでくれたのだ。

 苦しくもやり甲斐に満ちたこの百年を思い出すだけで、空になった内臓の代わりに腹に詰めたガリリウム鉱物は熱く燃え、感嘆の涙が溢れそうになる。

 こんなところで涙を流そうものなら、瞬時に目玉が凍りつき、叩きつけるような風に砕け散ってしまうだろう。一人前になったばかりの自分には、まだ瞳に鬼火を灯すことはできない……これから麓の町に下りるというのに、真っ黒な眼孔なんぞ晒せば、可憐な乙女達はドン引きするに違いない。

 ダイソンは尖った奥歯を噛み締め、すんでのところで涙をグッと堪えた。

 独り立ちの最終儀式として、吸魂鬼が絶対に果たさなければならない掟……それは『狩り婚』である。悠久を共に生きるただ一人の番いを見つけ出し、クラウディフィルに攫ってくるのだ。それを成し遂げて初めて、本当の意味での吸魂鬼の一員になれる。

 奥手のジェイドさえも去年成し遂げ、ウィルリッカに至っては、一昨年連れてきた妻がもう懐妊したと聞いた……自分も彼らに続かずにどうする。


「ア゛ア゛ア゛、ア゛ア゛ア゛ア゛ーーっ!(待っててね、僕のお嫁さんっ!)」


 ダイソンは両手を空に向かって高々と突き上げ、まだ見ぬ花嫁に宣言するがごとく雄叫びを上げた。

 途端、耳をつんざくような轟音が辺りに響き渡り、雪に塗れた岩肌が揺れる。咄嗟に振り返った彼が目の当たりにしたのは、山頂から恐るべき勢いで斜面を呑み込んで、迫りくる真っ白な悪魔……死の山で最も恐れられている巨大雪崩だった。


「ア゛ア゛っ、ア゛ーーっ!(しまったー!)」


 後悔先に立たず……己が招いた凶事に絶叫したダイソンの身体は、そのまま雪崩に呑み込まれて消えた。

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