ふたりのプラシーボ効果
制限時間:1時間 文字数:1396字
「わああ、可愛い」
お兄さんの家に初めてお呼ばれされたわたしは、飾り棚に置かれている小さな小瓶たちに目を輝かせた。
「ちっちゃいお酒!」
パパよく飲んでいる大瓶のウイスキーのミニチュア版みたいだった。
パパは豪快にジョッキに注いで、ちょいっと口をつけたかと思うと一気に飲んでしまう。
お兄さんにその話をすると、
「みのりちゃんちのパパは酒豪だな」
と苦笑して腕組みをした。
「お兄さんはこれ、飲むの?」
わたしは無邪気なふりをして聞いた。酔っぱらったお兄さんがどんな風になるのか、興味があった。
「お兄さんにとってはね、これはお薬なんだよ」
お兄さんは黄色いウイスキーの入った小瓶を掲げて揺らした。
「お薬?」
「そ。プラシーボ効果ってやつ? だから、スランプの……本当に困った時に、ちょびっとしか飲まないのさ」
ウイスキーの瓶の向こうから、お兄さんの真っ直ぐな眼差しがわたしを見ていて、ちょっとどきっとした。
「じゃあ、始めようか」
お兄さんはピアノの前に屈みこんで、椅子を調整してくれた。
「こんなもんかな。みのりちゃん、ちょっと座ってみてくれる?」
「うん」
お兄さんの目の前で、お尻を椅子に落とすのはちょっぴり緊張した。
座った拍子にスカートがめくれないか、とか。
「もうちょっと低めかなぁ、ちょっと立って」
言われるがままに立つ。お兄さんがレバーを引いて椅子を少しだけ下げた。
ぴょこん、と座る。
「うん、うちの椅子と一緒くらい!」
本当はまだちょっとだけ高かったけど、そう言っておいた。
真っ白な鍵盤と、時々ちょっと指を伸ばすようになった黒いぴかぴかした鍵盤がずらりと並んでいる。うちのおんぼろエレクトーンとは豪華さも手入れの良さも段違い。
お兄さんに楽譜を広げてもらうのもそこそこに、そわそわと手を鍵盤にかざした。
「さ、遠慮なくどうぞ」
お兄さんの声に後押しされて、ようやく右の小指を降ろした。
ラの音が、とても綺麗に響いて、それからわたしは夢中で楽譜を追った。
ちょっと黒い鍵盤に届かなかったことがあったけれど、それでもいつもよりずっとうまく弾けたような気がした。
「――うん、あとちょっとで完璧だ。練習頑張ったんだね」
お兄さんが感心して褒めてくれた。
「ううん」
わたしは首を振った。
「お兄さんちのピアノだから、うまく弾けたんだと思う。うちのじゃ駄目」
「そうかな? みのりちゃんの家のエレクトーンだって、修理から帰ってくれば綺麗な音が出るんじゃないかな」
「うーん」
わたしは、ずっと渋ってたパパがようやく修理に出してくれたおんぼろエレクトーンなのに、まだしばらくは帰ってきてほしくないな、と身勝手なことを思った。
この夢が、はじけちゃう。
そうだ、とわたしは思いついた。図々しいけど、言っちゃえ。
「エレクトーンが直っても、時々お兄さんちのピアノ、弾きに来てもいい?」
「いいけど、どうして?」
「お兄さんのピアノをわたしのお薬にするの。うまく弾けなかった時の、お薬。プラシーボ効果ってやつ?」
「おれの真似っこかぁ」
お兄さんは鍵盤みたいに整列した歯をきらりと見せて笑った。
かっこいい。わたしは心の中でひっそりとときめいた。
本当は、お兄さんを想ってる気持ちが、お薬なんだよね。
時々お兄さんの家に来て、そして、いつかわたしがお兄さんのお薬になれたらいいなぁ。
お題:恋の芸術 必須要素:ウイスキー




