第90話
エル達が武神流の神殿に到着する頃には、いつの間にか大所帯になってしまっていた。
純血同盟は団員の数が少ないせいかほとんど見かけなかったが、とにかく雇われた冬幻迷宮の冒険者の数が多い。
しかも適当に暴れろとしか依頼されていないのかほとんどが少人数で行動しており、強盗や火付け、婦女暴行や賊害等々、銘々が自分の欲望の赴くままに醜悪な行為を平然と行っていたのである。
人の愚かさ、醜さをありありと見せつけられ、少年は吐き気や言い表せぬ不快感を味わわさせられた。
リリ達を守りながらの強行軍であったが、神殿までの道中で助けられる人は可能な限り救助した。
ディムやイーニャに常時魔法による防御結界を張り巡らせてもらい、その間にエルやアリーシャ、そしてカーンといった上位冒険者達が襲われている人々や逃げ惑う人々を助けていったのである。
そして、無法を働く外道共には一切手心を加えなかった。
この頃になると悪漢共のあまりの非道な行いに、慈悲を掛けるのが愚かしく思えてきさえしてきた程だったのだ。畜生にも劣るとはまさにこの事を指すのだろう。
エル達は敵の迅速な無力化を主眼に置き、魔物との戦闘と同様に情け容赦なく攻撃していった。
悪を挫く事で少しでも多くの民が助かると信じて、少年はその身を深紅の血で染め上げながらも戦い続けたのである。
武神流の神殿、その奥にある修練場には、すでに多くの市民達が避難しており、皆一様に不安そうな顔をしていた。それも当然だろう。わけもわからず突然戦争を仕掛けられたのだから。
予期せぬ奇襲によって、すでに相当な被害を被っている。
知人や家族と離れ離れになってしまった者もいれば、残念ながら悪人の魔手に掛かったしまった者達も大勢いる。加えて、家を焼かれ家財を強奪されたりもしているのだ。
命からがら逃げては来たものの、これからどうなるか心配で仕方ないのだ。
エルが達が連れて来た人達もその輪に加わった。こちらは実際襲われている所を少年達に助けられながらここまで逃げてきたので、ようやく人心地が付けたといった所だ。
先に避難している者達の中に知人がいないが探している者もいるようだ。
リリやマリナも安堵の息を吐き、寡黙なシェーバも珍しい事に顔を綻ばせ、家族が皆無事にだった喜びを噛み締めている。一息付き終わると、少女達親子は口々に礼を述べてきた。
「エル、アリーシャさん、そしてみなさん。本当にありがとうございました」
「私達が助かったのはみなさんのおかげです。」
「ありがとう、この恩は決して忘れはしない」
「やっぱり人助けはいいわね。あっ、でも、こっちが好きでやった事なんだから、そんなに畏まらないでね」
「しかし、こちらは命まで助けてもらっているのだが……」
「いいのいいの。あんまりしゃちほこばられても話し辛くなるし、こっちも疲れちゃうじゃない」
「俺達は赤虎族の戦士として、そしてこの街に住まう冒険者として当然の事をしただけだ。感謝してくれればそれでいい」
アリーシャやカーンはあっけらんとした態度で快活そうに笑った。思わず見惚れそうになりそうな程の美しい笑顔である。彼女達の行動は完全に善意のものであり、見返りなど求めてはいなかったのだ。
エルにしても、親しい人達を助けた見返りに代価を求めるなど考えすらしていなかった。
リリ達が悲しい思いをしなければそれでいい。それだけだったのだ。
恐縮しきりのシェーバ夫妻を見兼ねたのか、アリーシャが明るい声で条件を提示した。
「そうね、私達に恩を感じてくれているなら、この件が片付いたら美味しい夕食をご馳走してもらえるかしら?」
「……そんな事でいいのかね?」
「もちろんよ。でも、私達全員となると大変よ。みんなよく食べるから。それに、分ってるとは思うけど、エルは人の何倍も食べるわよ?」
「!? アッ、アリーシャさん!」
予期せず、突然引き合いに出されたエルはびっくり仰天である。
エルが大食漢でありこのメンバーの中でも一番食べるのは事実なので、上手く否定できず顔を赤らめてもごもごとと意味のない言葉を発っした。
そんな少年の初々しい姿が場を和ませる。シェーバも笑いながら了承した。
「はっはっは、それは大変だ。それじゃあエルのためにも、腕によりをかけて大量の食事を準備しなくてはな」
「シェーバさんまで!? もう、僕で遊ばないでくださいよ!」
「ふふっ、あれでエル君に感謝しているのよ。あの人無口だしあまり口が上手くないから。アリーシャさんの話に乗っからせてもらっただけなのよ」
「そっ、それならいいですけど……」
「エル!!」
ちょうど話しが上手くまとまった所で、遠くから大声で少年を呼ぶ声が聞こえてきた。
声を発した人物は大股でこっちに向かってきているようで、すぐに誰か分かる。少年の師であり、武神流の武官を示す白地の道着を纏った筋骨隆々の偉丈夫、アルドである。
「アルド師範!」
「エル! それに、皆無事なようで安心したぞ。突然暴漢共が市民を襲いはじめたので、こちらは民の救助で手一杯だったのだ。一体全体何が起きているか、皆目見当もつかん」
「冬幻迷宮の冒険者達ですね! 純血同盟の連中が金で雇ったみたいです」
「!? 何か知っているのか?」
「今回の騒動は、聖王国の過激派が黒幕だそうよ。騎士団の一部も動いているようだし、聖遺物なんて御大層なものをわざわざ持ち出してまで転移陣を封じて、冒険者を迷宮に閉じ込めているわ。まっ、ようするにこの都市は戦争を仕掛けられたのよ」
「なんだと!?」
告げられた事実にアルドも驚愕の色を隠せないようだ。
それ所か何か思い当たる事があるようで、顔の深刻さが増し一段と真剣な表情で言葉を紡いだ。
「その話が事実だとしたら、非常にまずいな。今の協会長イグニス・ヴァルガは亜人連合諸国の出、それも王族に連なる者だ。彼の就任にあたって一悶着が起きた。彼の国の人間至上主義者達、おそらくは今回の首謀者達である過激派が強固に反対を唱えたのだ。だがそんなものが通るはずがない。協会長は任期毎に各国から持ち回りで選出されるのだからな」
「そんな因縁があったのか……、だとしたら、まさかっ!?」
「この都市の占領も目的だろうが、協会長の殺害も計画されているだろう」
喉がカラカラと渇く。アルドから告げられた推測は、それほどの衝撃を与えたのである。
協会長の死。それも人種差別が平然と罷り通っている聖王国の人間の手によって、亜人連合諸国の王族が殺されるのだ。その先に待っているものは——、アリーシャが戦場の時にしか見せない恐ろしく真剣な顔になった。
「戦争ね。それもどちらか一国が滅びるまで止まらない大戦争にまで発展するかもしれないわ」
「そんなっ!?」
「私達は身内を非常に大切にするし、仲間が傷付けられれば報復は熾烈なものになるわ。しかも、それが相手の身勝手な思想によるものだとしたら、絶対に許しはしないわ」
「それに、聖王国の多くの人間がこの蛮行に加わっているんだ。これでもし本当に協会長が殺害されれば、もう個人の犯行とか一部の者の暴走では済まされない。間違いなく国同士の戦争が起きるだろうね」
「過激派もそれを狙っているに違いない。亜人連合諸国との戦争になれば、アドリウムを占領できていれば戦略的価値は計り知れない。この都市を交渉材料として他国をけん制する事も可能だろう。聖王国も戦争に勝利するのために、過激派の暴挙に目をつぶるらざるを得なくなるかもしれん」
「ひどい……」
少女の発した言葉が決して大きくないのに、やけに耳に残った。
少年の抱いている思いをそのまま代弁してくれた言葉だからという事もあるのかもしれない。
過激派や純血同盟の目論見が達成されてしまえば、彼等の非道も暴虐も罪に問われない?
罪のない人々を襲い回り、欲望の限りを尽くした彼等が?
ふざけるな!! そんな無法が許されていいのか!
体中から怒りが湧き出てきて抑えきれない。
だが、それ以上にそんな悲惨な未来は勘弁ならなかった。どうにかして彼等の企てを阻止したい。
アルドや頭脳明晰なディムなら、もしかしたら打開策を見出してくれるかもしれない。エルは哀願するように問い掛けた。
「どうにかならないんですか? 何か手はないんでしょうか?」
「奴らが決起してからそれほど時は経ってはいない。まだ事は成就していないはずだ。過激派がどれだけ戦力を用意し策を練っているかわからんが、協会長や協会本部を守り通せればこちらの勝ちだ」
「それともう1つ。近隣諸国からの援軍は早くても数日は掛かるだろうね。こちらは協会の兵士と偶々街に残っていた冒険者だけ。まあ、相手はそれを見越して決起したんだから当然だけど、数で圧倒的に負けてる状況なんだ。僕達が奮闘しても限界があるから、まずこの状況を何とかしなくちゃいけない」
「どっ、どうすればいいんですか?」
「慌てない、慌てない。よく考えてごらん? 僕らは幸運な事に情報を持っているだろう? 奴らはどうやって冒険者を迷宮に閉じ込めた? それをしたのは誰だい?」
ディムの問いの先に、この状況を打破できる可能性がると信じ少年は熟考した。
転移陣は何百年とたった今も未解明なままの聖遺物であり、その機能を封じるのは通常なら絶対にできないのだ。
フォルス達が口を滑らした様に、それこそ同等以上の力を有する何らかの聖遺物を用いなければ、封じる事なんて考えること自体ありえないだろう。
だが、今回は聖王国の聖遺物を使用する事で、その不可能を無理やり可能にしたのである。
では、誰がそれを行った?
ガヴィーだ。
強引にエルをクランに勧誘した傲慢な男。
そして純血同盟の団長であり、亜人を人とも思わない偏った思想の持主の男だ。
副団長の言葉を信じるなら、あの男が聖遺物を行使して転移陣を封印した事になる。おそらく今も聖遺物を所持しているだろう。
ガヴィーを捕られるか何かして転移陣を元通り使えるようにすれば、冒険者達がアドリウムに帰還できるになる。
そうすれば、数の不利も覆せるかもしれない。いや、きっと覆せるに違いない!
光明が見えた!!
「ガヴィーです! 純血同盟の団長が転移陣を封じた聖遺物を持っています。ガヴィーから聖遺物を奪い転移陣を使えるようにすれば、迷宮に閉じ込められた冒険者も帰ってこれるようになります。そうすれば……!」
「そうすれば、数の不利も覆せるね。つまり僕達がしなくちゃいけないのは、騎士団から協会を守ること。そしてガヴィーを探し出して、転移陣の封印を解くことの2つさ!」
「でも、ガヴィーはどこにいるんでしょう?」
解決の糸口は見えたが、問題は敵の居場所であった。
潜伏されでもしていたら目も当てられない。
「さて、それはさすがに分からないなあ」
「そんなっ!?」
「分からないが、ある程度推測する事はできるよ。おそらくは騎士団に合流しているか、純血同盟の館の中にいるんじゃないかな? 都市外に逃げた可能性もあるけど、その可能性は低いと思うから、前者のどちらかだと思うよ」
「そうね、案外ディムの考えは当たっていると思うわ」
「えっ、何でそんな分かり易い場所に!?」
「考えても見てごらん。僕達が転移陣を封印したのは、ガヴィーだって知っているのは全くの偶然なんだ。純血同盟の団員がしゃべらなければ分からなかったんだ」
ディムの指摘は的を得ていた。
調子に乗ったフォルスがうっかり情報を漏らしたからこそ知り得たのだ。そうでなければ、未だに何が起こっているのかさえ分からず、右往左往していたに違いない。
「たしかに、その通りですね」
「だからガヴィーの方は油断しているはずさ。計画が露見したなんて夢にも思ってないんじゃないかな。まあ外に逃げた可能性もあるけど、距離が離れても聖遺物が効果を発揮できるか分からないし、そっちの可能性は低いんじゃないかな」
「そうだな、まだこの都市にいる可能性が高いだろう」
あの傲岸不遜で傲慢が服を着た様な男の事である。
少年にはディムの推測が正解に思えてならなかった。
そして打開策が見えた事で希望が湧いてきたのである!
「時間がない事だし早速動こうか。僕らは純血同盟の館に急行するから、エル君は協会本部に行ってくれ。おそらくそっちに騎士団が向かっているだろう」
「わかりました!!」
「エル。すまないが、私は民を守らなくてはならないから、この場を動く事はできん。命を粗末にするなよ。お前の帰りを皆待っているのだからな!」
「エル、必ず帰ってきてね」
「リリ、アルド師範……。もちろんです! 必ず勝って帰ってきますよ!!」
少女や師の言葉に体が熱くなる。
こんな状況でも自分を案じてくれている人がいる事のが、純粋にうれしかった。
絶対にこの街に平和を取り戻してみせると心の中で誓ったのである!
アリーシャ達もやる気十分なようである。自分達のやるべき事がはっきりしているので、後は戦うだけであったからだ。
「さーてあの盆暗共をさっさと退治して、美味しい夕食でも食べさせてもらいましょうか。エルも、無理するじゃないわよ」
「人同士の戦も、迷宮での闘いも基本的には変わらん。自分の力量以上の事はするな。冒険者の鉄則を守っていれば、エルなら大丈夫だ!」
「はい、気を付けます!! アリーシャさん達も気を付けてくださいね!」
「ふふっ、またみんなと夕食を共にするためにも死ねないわね」
「ああ、ここで死ぬわけにはいかないよ!」
「よーし、いくわよ!!」
「「おうっ!!」」
大切な人を守るために、友との再会と団欒のために、そしてこの街に平和を取り戻すために!
それぞれが戦う理由を胸に秘め、決然とした足取りで戦場に向かうのだった。




