第83話
四方から連続的に上がる咆哮と共に、幾つもの巨大な影が5人の冒険者達に一斉に飛び掛かった。
前衛の3人が外を囲み内側に後衛の2人を入れる急ごしらえの防御陣形で迎えうったが、それでも付け焼刃の感は否めない。奇襲を仕掛けてきたのは10頭以上の迷宮に生息する獣であり、その全てが鎧をも切り裂く牙と爪を持ち強靭な肉体を有する剣歯虎獅子だ。陣形を崩されるまでには至っていないが、敵の数が多かった事もあって前衛の3人は肉食獣の牙の洗礼を受けたのである。
「きゃあああっ!?」
「ぐああっ!!」
「目の前の敵に集中するんだ!! 中に入り込ませるな!!」
怒号と悲鳴が交差する中、3頭の魔物と対峙しながらリーダーのイヴンが仲間を鼓舞しようと一人気炎を上げ続けた。
仲間達とて6つ星を冠する上位冒険者である。奇襲で負傷し、今もなお数を頼みに押し込まれつつある危機的状況であるにも関わらず、どの顔も希望を捨ててはいない。
リーダーの激励に奮励した後衛の魔法使い達が口早に呪文を紡ぐと、傷付いた仲間達に回復魔法を掛けていった。
「生命の泉!!」
「守護の聖光! みんな、頑張って!!」
「ありがてぇ。これなら持ち堪えられそうだぜ!」
敵の攻撃を緩和する柔らかな陽光が冒険者達を包み、生命の女神の信者と思しき白いローブに身を包んだ黒髪の女性を中心に地面に魔法陣が展開されると、新緑の若葉を連想させる緑光が継続的に仲間達の傷を癒していった。
長期戦を念頭に置き、守備を固めると共に持続的な回復手段を設けたわけである。
前衛の剣士2人に槍斧使いは重傷とまではいかないが、何しろ多勢に無勢なので既に決して軽くない傷を負っていた。そんな折に支援してもらえたので、このまま押し切られる最悪の事態は何とか免れたといった所だろう。
これから一転攻勢だと反撃の狼煙を上げようとしたまさにその時、イヴンの受け持っていた3頭の剣歯虎獅子が何の前触れもなく、はじけ飛んだのである!
「なっ!?」
獣達がいたはずの場所にはいつの間にか黒髪の少年が佇んでいた。一体全体どうやったのかは皆目見当が付かず、驚愕の声を発せずにはいられなかったほどだ。
まあ、驚いていられるだけまだ幸運な方だろう。
エルの側面からの奇襲を受けた剣歯虎獅子はというと、首から上が爆散したものや腹がまるで内部から爆発したかの様に臓物をまき散らしているもの、胴体を横から両断されているものなど、死因は様々だ。どれも一撃で屠殺され、惨たらしい姿を晒している。
しかもこの獣達は魔物と違いこの迷宮に生息しており、死んだら魔素になり迷宮に還るわけではないので、死体は消えずそのままだ。凄惨な姿の死体がいつまでも残っている様は忌避感を覚えずにはいられまい。
また更に悪い事に、地面を濡らす大量の血やまき散らされた内臓の発する臭いが、新たな敵を呼び寄せる撒き餌となってしまっていた。
エルは兎も角、これ以上増援が来ればこの冒険者達では厳しいのは間違いない。命の危機だ。
わざわざ助成に来てくれた冒険者達を危険に巻き込んだ事が申し訳なく、エルは一瞬後悔で顔を歪ませたが、今はそんな事をしている暇があったならさっさと敵を倒し、彼等に避難してもらうのが先決だろうと思い直した。
少年は珍しい2色の気を発現させると、その身を一陣の疾風と化した。
対象は槍斧を持つ壮年の男に噛みついている虎獅子に、男の側面から今しも強靭な前脚で爪を振るわんとしている1頭だ。
高速で駆け抜け様に1発ずつ軽く拳を当て、そのまま後方に走り抜けた。
獣達は少年に何をされたのか理解できなかっただろう。拳打されても何ら痛みを受けなかったからだ。側面からの余りにも素早い奇襲ということもあって、獅子達はエルの攻撃をもらった事さえ気づけたのかさえ怪しいくらいである。
だが、この失敗したとさえ思える拳撃の威力の恐ろしさを数瞬後に身をもって知ることになった。
いや、知る事もなしに冥府に旅立ったといった方が正確だろうか。
獣達は目の前の冒険者に襲い掛かかっている最中、内から身を爆ぜさせ一瞬で絶命したからだ。
エルお得意の気を用いた内部破壊の荒技、徹気拳である。
一呼吸の間に自分が今まさに闘っていた肉食獣が臓物を飛散させて死に絶えたわけであるが、少年の華麗というより畏怖の念を抱かざるを得ない攻撃に、壮年の男は戦々恐々とした態度を隠せずにいた。
「……とんでもねえな」
発した言葉も力が無い。言葉の中に怯えが混じっているのもまた事実であった。
同じ6つ星とはいえ、エルとこの冒険者達との間には大きな力の差があったのだ。エルは武天闘地を編み出すために長らく修行の日々を送っていたため未だ6つ星に留まっているが、実際の実力は7つ星の冒険者と比較しても何ら遜色がない程である。いや、下手したらソロ冒険者であるエルの方が強い可能性だってあり得るのだ。そんなエルと彼我の戦闘力を比較し、恐れ戦いてしまうのも仕方のない事だろう。
優秀な冒険者ほど強さに敏感で、自分達より強い敵とは闘わない事を徹底しているからだ。そうでなければ生き延びられない。無茶や無謀、血気逸る冒険は己だけでなく仲間に死神を引き寄せるのだ。
徹底した実力主義の現実主義者、それこそが冒険者に求められる資質なのである。
まあ何はともあれ、エルの活躍によって襲っていた獣達も一気に半分まで数を減らしている。
これなら彼等だけでも問題なく対処できるだろう。
エルは新たに近付いてくる存在を感知すると、剣歯虎獅子と激しい闘争を繰り広げている真っ最中の冒険者達に大声で問い掛けた。
「そちらは任せても大丈夫ですか?」
「!? ああもちろんだ!! 任せてくれ!」
「私達だって6つ星の冒険者なんだから、いつまでもこんな敵に苦戦したりしないわ!」
「俺達の力を侮るなよ!」
返ってきたのは心地よい程の力強い言葉だ。
彼らの言葉は死闘を乗り越えた経験に裏打ちされた自身から来たものである。
50階層ではかの有名な真なる竜、赤竜との激闘を制し、その後も60、65階層と強力な守護者と熱戦を演じ、その全てに勝利したからこそ今ここに立っているのだ。
確かに数は多いが、こんな敵に負けるほど自分達は弱くはない!!
そんな思いから出た言葉なのである。
そして直ぐに、その言葉が真実なのだと知らしめるために冒険者達は攻勢にうって出た。
稲妻を纏った剣が敵を切り裂き、深緑の気を帯びた槍斧が虎獅子の胴を貫き、燃え盛る炎が獣の身を焦がす。
さすがは6つ星の冒険者である。
エルは一瞬でもこの冒険者達の事を自分より下で、守らなければならない存在だと意識した事を恥じた。
僕が彼等を守る?
思い上がりもいい加減にしろ!
彼らは僕が守らなければならないほど弱い存在じゃない。
6つ星の冒険者の名に恥じない、立派な冒険者じゃないか!!
エルは自分の考えを改めると再び大声を発した。
「それじゃあよろしくお願いします! 僕は新手の敵に対処しますね」
「ああ任せたよ!」
「気を付けてね」
「そっちこそ下手こくんじゃねえぞ!」
「はい!!」
やはり彼等は優秀だ。多数の剣歯虎獅子との戦闘中でも会話する余裕がある。
いや、会話中にまた1頭仕留めた。これで残りは5頭といった所だ。
彼等が勝利を収める事はもはや確定だろう。もう何も心配する必要はないのだ。
エルは土煙を上げながら近づいてくる敵の群れに視線を向けた。
多鼻象の一団だ。
4つ又に別れた大きく鞭のようにしなる鼻に鋭い牙、特徴的な漆黒の肌に鼻の上、ちょうご額の真ん中に縦長の第3の目を持つ肉食の魔物だ。
特に人肉を好むそうだが食欲旺盛で、同族以外なら何でも食べるという悪食で大喰らいの魔物である。
加えて狩人蜻蛉竜や鎧魔生物、更には別の剣歯虎獅子の群れまでがこちらに向かって来ている。
遠くまで見渡せる視界の良好な平原で一所に留まり長時間戦い過ぎたせいで、あちこちから敵が寄って来ている状態だ。更には何頭もの死体や血の臭いが敵を引き寄せる要因を担っているのは疑う余地もない。更に敵が現れ可能性もあり得る。いや、そうなる可能性の方が高いに違いない。
ならば今すべき事は何だ?
今は己の修行なんて言っている場合じゃない。
迅速に敵を屠り、包囲させないようにしなくちゃならない
そのためには……、遠距離攻撃で殲滅させるつもりで攻撃を仕掛けるんだ!!
エルの両手を天に掲げると荒ぶる気を顕現させていった。
「気刃斬波!!」
力強い叫びと共に交互に手を振うと、手の軌跡に沿う様に気の刃が出現し魔物の群れに襲い掛かった!
しかもエルが手を動かし続ける度に気刃の数はどんどん増えていく。
十重二十重と絶え間なく押し寄せる波濤のごとく……。
1発2発程度ならなんとかなったかもしれないが、高速で飛来する無数の刃の前には抗う術もない。
襲撃しに来たはずの魔物達は、逆に迎え撃たれ次々にその身を斬り刻まれると落命していったのである。
といっても血の臭いに引かれ集まってきた魔物の数は多い。
仲間の死体を乗り越えエルや冒険者達に殺到してくる。武天闘地を会得したエルならば天空を自在に駆け巡れるので、例え包囲されても何ら問題ないが、剣歯虎獅子と大立ち回りを演じている冒険者達はそういうわけにはいかない。
自分達のキャパシティーを越える量の魔物に一斉に襲い掛かられたら壊滅の危機だ。
エルが手を休めるわけにはいかない。
ひたすら気刃を生み出す傍ら、今度は周囲に大量の気弾を生み出していく。
そして、四方八方の敵目掛けて何度も何度も発射させていった。もちろん冒険者には被害を与えない様にその周囲をさけて飛ばしたり、弧を描いて敵に向かう様に調整したりしている。
エルは一度に何十何百の気刃や気弾を作製させ操ってみせたのだ!!
魔鉱の剣にも劣らぬ気の刃が魔物の体を切断し、恐ろしい力を内包した気の弾が炸裂すると周囲に破壊をまき散らしていった。
神の御業外気修練法によって周囲から力を取り込み気の回復させ肉体を癒す事ができるエルは、まさに無尽蔵の砲台だ。大地は抉れ爆散し、無数の魔物や獣達の死骸が溢れ返った。
人間1人が作り出したとは到底想像もできない破壊の嵐が吹き荒れたのである!
「……まるで戦場だな」
「っていうか、あの坊主本当に人間か疑いたくなるぜ。回復薬を飲んでるわけでもねえのに、何で気が尽きねえんだ?」
無数の気の弾や刃が飛び交う台風の目、エルによって意図的に作り出された安全地帯で剣歯虎獅子の群れに勝利した冒険者達は周囲を見渡しながら呆れた様に呟いた。
「わからないわよ、そんなこと。でもこの危機を乗り越えられそうなのは確かでしょ?」
「まあ、そうなんだがな……」
「俺達はあんまり役にたってねえけどな」
男達の言葉は歯切れが悪く、表情も芳しくない。
まあ、それも仕方ないだろう。自分達はほとんど闘っていないのだ。
少年の作り出した気の弾幕を越えられず、自分達の所に敵が到達する事は無いのだ。
よしんば運良くくぐり抜けてられたとしても瀕死の重傷であろう事が容易に想像できる。
このままならば自分達は労せず危機を脱する事は間違いないだろうが、少年の力に頼るばかりでほとんど闘っていないのもまた事実なのだ。
己の無力を噛みしめ苦虫を潰した様な顔になった男共を、生命の女神に使える冒険者が叱り飛ばした。
「まだ闘いは終わってないのよ! シャキッとしなさい!! 大量の敵に襲われたら私達じゃ対処できないんだから、むしろあの子に感謝しなさいよ!」
「いや、それはそうなんだがな……」
「こうも実力差を見せつけられるとね」
「きっとあの子は8つ星とか9つ星の冒険者なのよ。この階層には気分転換でもしにきたんでしょ」
「まあ、そうだろうな」
「少年の実力からいえば間違いないだろう」
彼らがそう思うのも無理はなかった。
エルの信じられないほどの気の量、そして文字通り敵を寄せ付けない圧倒的な強さは、到底自分達と同じクラスとは思えなかったからだ。
自分達より上なのは当然の事だし、しかもソロでと考えれば彼等の予想はある意味妥当ともいえる。
「格上の冒険者と実力を比較して落ち込んでても仕方ないじゃない。」
「そう、だよな……」
「はあっ。その通りなんだが、あの坊主の年齢で俺達より遥かに上ってのが、中々納得できなくてな。これも才能の差ってやつか?」
「まあ才能もあるんじゃない。でも、私達より努力してたり闘った可能性もあ……!?」
突如耳を劈く様な大気を震わす大咆哮が起こった。
一斉に鳥達が飛び立ち、動物達が一目散に逃げ出していく。冒険者達に向かって来ていた残り少ない魔物や獣達も襲撃を止め狂騒に駆られた様に我先にと四散していった。
「なっ、なんだ!?」
「何が起こったんだ?」
「!? 見て!!」
不安に駆られ落ち着きなく周囲を見渡していた女性が指さした方向には、林を破壊し突き破りながら現れた怒れる巨竜の姿があった。
この階層の主が姿を現したのである……。
巨竜は激怒していた。
この地に住まうものは須らく竜の餌であったからだ。
己に逆らうものは、魔物であろうと人であろうと差別なく全てを殺戮し君臨してきたのだ。
この地はまさに竜のための王国であり、竜の意に反するものは存在せず塒でまどろいんでいたのである。
だが、その平穏が無礼な闖入者によって破られた。
竜の生餌を何頭も勝手に殺害するだけでも大罪だというのに、この地を荒らし大音をもって王の眠りを妨げたのだ。
許されざる罪であった。
牙と爪をもって不遜なる者にその罪を贖わせねばなるまい。
大口を開け咆哮を上げると共に、巨竜はかっと目を見開き立ち上がったのである!!
「あっ、あれは!?」
「グッ、大地竜、ガイア……」
「ガイアッ!? 嘘だろ!?」
巨竜の姿を看破した冒険者の口々から悲鳴が漏れ出した。
大地竜。
亜竜に分類される竜で知能も低く、魔法や独自の言語を話すというわけではない。
ただその代わり巨体を支える四肢は異常なまでに発達し、岩盤を何重にも重ねた様な土気色した竜鱗は、その1つとっても大木よりも厚い。また爪も牙も信じられないほど大きく、人間など何人でも同時にかみ砕けるであろう。竜の額には長く鋭い一本の角がその存在を誇示するかの様に輝いていた。
この竜も剣歯虎獅子と同様にこの地に住まう生物であり、魔物ではない。
真竜よりも弱くこの階層に出現する魔物やこの地に生きる獣達と強さもそれほど変わらない。
通常の大地竜であれば、6つ星の冒険者ならパーティーを組み慎重に闘えば十分打倒し得る存在である。
通常の大地竜ならばだ。
このガイアは別である。
この地に住まう生物でありながら唯一名を与えられた名持ちの竜であり、そして幾多の闘いを経験し成長した歳経た竜である。
大地竜が成竜となったばかりの頃は鎧魔生物と変わらぬ程度であるのに、このガイアの大きさはどうだ。優に3倍はあるに違いない。まるで動く要塞だ。
それに、よく見ればあちこちにこの竜が経験した歴戦の凄まじさを想わせる幾つもの痕を見つける事ができるだろう。名を与えられ、他とは一線を画す程の強さを、このガイアは備えているのだ。
67階層には2頭の王がいる。
1頭はレアモンスターであり、エルでさえも瀕死の重傷を負わさられた強敵にして真なる竜、餓竜。
そしてもう1頭が、幾つもの死線を潜り抜け下位の真竜でさえ凌駕するに至った亜竜、大地竜ガイアなのである!
そんな巨竜を前にして少年は楽しそうに笑っていた。
新たな強敵の出現が心と体を昂らせ、自分が全身全霊を掛けて磨き上げてきた技を出せるかもしれないという予感がどうしょうもなくエルを興奮させていたのである。
ガイアの出現によって他の魔物は逃げ去った。
この戦場で闘う相手はあの巨竜しかいないのだ。冒険者達が避難するのは容易なはずである。
そして自分は、全力を尽くせるであろう相手と闘うのだ!
待ちきれないとばかりに湯気の様に体中から黒と白の2色の気を立ち昇らせながら、少年は歩き出した。
「まっ、待ってくれ!! 君も避難した方が……」
「止めときなさい!」
「シャル! 何で止めるんだ!!」
巨竜に向かって歩を進める少年を心配して声を掛けようとした所を仲間に咎められたのである。イヴンとしては納得できるものではなかった。
問い詰めようと振り返ったが、仲間達の余りにも真剣極まりない顔に開き掛けた口を閉じざるを得なかった。
「無粋だからよ。あの子、笑ってたわ。ガイアと闘いたくて仕方ないのよ」
「しかし、危険じゃないか?」
「イヴン、この階層程度の敵じゃあ、あの坊主の相手にさえならない事をもう分かってるだろう?」
「それは、分かっているけど……」
「なら黙ってみてな。坊主はようやく強敵が現れたんで、闘える事を楽しみにしてるんだ。俺達が水を指しても、良い事なんて何もねえぜ?」
「……、わかった」
がしがしと頭を掻き不承不承ながら青年は納得したといった感じである。
生来のお人好しの性格からか、少年が独りこの階層の主に挑むのを見ているだけなのが良心の呵責を起こしたのだ。
だが冒険者は闘いはあくまで自己責任であり、不利になったら逃げるだろうと何とか自分を納得させたのである。
そして、もし何かあったら助けに入れる位置に陣取ると1人と1頭の闘いを観戦する事にしたのであった。
一方の闘いの当事者達はというと、エルは笑みを浮かべたまま大地竜に向かって真っすぐに歩き続けていた。敵からみると実に太々しい態度である。
反対にガイアはいうと、小生意気な人間が生きているのが我慢ならぬとばかりに、巨大な四肢を駆り大地を疾駆した。
その速度は要塞の如き巨体だというのに重さを感じさせぬ程軽やかで、この階層に出現する魔物達と比較してもなお速かった。
注視すれば茶色の魔力を纏っており全身を強化している事がわかるだろう。この亜竜は長年の経験から真竜と同じ様に己の魔力で肉体を強化する術を身に着けるまでに至っていたのである。
ただでさえ頑丈で強靭な竜が自分の豊富な魔力で肉体を更に強化するのだ。
生半可な冒険者など太刀打ちできず骸となるに違いない。
まあ、エルは迫り来る巨竜の魁偉を前にして、恐怖とは無縁の感想を抱いていたが……。
あの巨体にしてはかなり速いが、かつて死闘を繰り広げた餓竜の目の霞む程の高速移動には及ばないと、冷静に分析していたのである。
それは当然の判断だ。
エルがかつて闘ったのはただの餓竜ではなく、ヴォリクスという名持ちの真竜である。ただでさえ強力な餓竜が更に凶悪になった相手である。
彼の真竜と比較されれば、ガイアといえどさすがに分が悪いと言わざるを得ない。
ただし、あくまで速度に限っていえばの話であったが。
大地を駆ける速度を些かも減じずに、巨竜がその強大な前肢をエル目掛けて叩き付けてきた!
エルは気の高速移動によって余裕で回避したが、数瞬後にこの竜への認識を改めさせられる事になったのである。
ガイアの人間数人以上あるであろう巨大な前脚が地面に衝突すると、大地が爆発したのである!!
耳を劈く轟音。
巻き上がり四方八方に吹き飛ばされる土砂。
たった一撃。大地竜の奥の手でも何でもない、ただの先制の一撃によってクレーターが出来上がっていたのである。
これにはエルも驚きを隠せない。
こと攻撃力という点においては、ガイアは餓竜を上回っていたのだ。
エルが戦慄し目を見開いていられる余裕も僅かの間であった。ガイアの追撃が迫っていたのである。
今度も反対の前脚を用いた叩き付けである。
威力には驚かされたが、エルの体術や気による高速移動術をもってすれば回避は問題ない。
回避様に飛び込んでこちらの攻撃をお見舞いしようと前進した瞬間、エルは途轍もない衝撃を受けた!
息が詰まり、情けないうめき声を上げる。
高々と空に跳ね上げられている途中で何とか事態を把握できたといった所だ。
一体全体何をされたのかさえ分からない。分からないが取り敢えず反撃のために体制を整えようとした所に、猛烈な胸騒ぎを覚えた。速くこの場を離れないと命が危ないという予感がだ。
エルにガイアの動きが見えておらず体を戻している最中であったが、一刻も早くこの場を離れなければならないという胸のざわめきにしたがって、形振り構わず飛天を発動した。
否、飛天を使わさせられたのである。
「「「危ないっ!!」」」
見守っていた冒険者達から悲鳴が上がる中、つい先程までエルがいた位置は極太の魔力の奔流が通過していった。ガイアの顎門から発射された魔力砲は遥か彼方まで昇っても威力を衰えず、空に浮かぶ雲に大きな穴を開けるほどであった。
辛くも魔力砲を回避し空中に浮かびながら、その威力を目の当たりにしたエルはというと、顔を俯かせ自分を抱きしめるように震えながら両手で肩を抱いていた。
徐々に震えは強くなっていき、堪え切れなくなって少年は顔を一気に上げた。
そして……、天上から地上に降り注ぐかの様な大声で嗤ったのである。
「ははっ、はははははははっ!!」
それと同時に童顔のまだ幼い顔も一変した。
猛獣もかくやという凶暴な嗤い顔に変わったのである。
認めよう、ああ認めよう。
動きが遅いからと、どこか君を甘く見ていた事を!
君は餓竜に勝るとも劣らない素晴らしい敵だ!
僕が全身全霊を賭けて闘うべき強敵だ!!
エルの心の変化に対応する様に気は荒れ狂い、少年の凶顔は禍々しさを増していった。
「あの子、空を飛べるのね」
「いや、それもあるけど、驚くのは別の所だろう?」
「あいつは……」
「あの子は……」
「あの坊主は……」
「「「間違いなく戦闘狂だ!!」」」
少年の顔は野獣の様な貌に変じており、一歩間違えば死んでいた様な攻撃をされたはずなのに、意にも介さず大声で嗤っているのだ。
常人ではあり得ない思考回路である。
っと、そう思っている間に事態は急変した。
宙に浮かぶ少年目掛けて、ガイアが魔力を変換させ口腔から次々と巨大な岩を発射したのである!
今度はエルも黙ってはいない。
武天闘地を発動すると、稲妻の様に無秩序に方向転換しつつ、かつ雷にも劣らないとさえ思える超高速でガイアに突っ込んだのである。
発射される巨岩など歯牙にも掛けず一瞬で巨竜の背に到達すると、苛烈な反撃をお見舞いした。
膨大な気を右足に集めて震脚を繰り出し、岩盤の如き大きな鱗にぶち当たると同時に気を打ち込んだのである!
そして間髪入れずに追撃を仕掛ける。
足腰を回転させながら体を折りたたみ、震脚で得た力を掌に伝え下方の巨竜に発剄の一撃、猛武掌を叩き付けのだ!
もちろん分厚い竜鱗に当たった瞬間大量の気を送り込む事も忘れない。
竜の魔力とエルの打つ込んだ気が相殺し合ったようだが、いくらかは局所的に打ち勝つ事に成功したようで内側から肉が弾け、その上を覆っていた鱗も一緒に弾け飛んだ。
巨竜は激烈な痛みを覚えつつも、背に乗る人間を振り落とそうと無茶苦茶に暴れ回った。
だが悲しいかな、空を自由自在に駆け、どこ位置どの方向でも地面にする事が可能なエルにとっては、背から離されても何ら問題はないのだ。
暴走するガイアを嘲笑うかの様に一撃与えては離脱を繰り返し、あちこちに発剄や気を打ち込み巨竜へのダメージを増やしていった。
その姿はさながら獅子に挑む蜂のようであった。
だが、この蜂は獅子にさえ通用する毒針を持っている。獅子さえ屠り得る猛毒の毒針をだ。
豪速で空を飛翔し竜の抵抗をものともせず、一方的に加撃していく少年の姿に冒険者達は感嘆を禁じ得なかった。
「すげー」
「ガイアが、この階層の主が相手になってないじゃないか!」
「ガイアも本来は強いはずなんだけど、あの子相手じゃ相性が悪いわね」
「あの巨体で敵を寄せ付けないのが強みなんだろうが、空を高速で飛べるあの少年には意味が無いな」
「それに近付かれると、却ってあの巨体が邪魔だな。爪や牙の届かない所をいいように蹂躙されているみたいだな」
冒険者達の洞察は正鵠を得ていた。
一度近付かれれば有り余るほどの巨体のせいで死角ができ、小さな人間を排除するのも一苦労だったからだ。もっとも排除しても気を輩出し、あるいは空に透明な壁を作りそれを蹴って跳ね回るエルの接近を防ぐのは至難の業であったが……。
それに加えて、本来なら前足の叩き付けに合わせて地面に魔力を打ち込み、敵の下から間欠泉の如く魔力を打ち上げ迎撃するのが、ガイアの必勝スタイルであった。
初見の一度目はエルもその直下からの広範囲な攻撃にわけもわから天高く吹き飛ばされたが、今は空を稲妻さながらに高速で飛翔しているので、その攻撃も容易く避けられ何ら意味を為していない。
巨竜は為す術も無くエルの攻撃を受けるがままであった。
「このままなら、遠からずあの子の勝利ね」
「ああその通り……見ろ!!」
背中を中心に至る所をエルに破壊され、もはや死を待つばかりかと思われた大地竜が起死回生の反撃にうって出たのである!
少年が攻撃しようとしたまさにその瞬間に、内に貯め込んだ魔力を全身から放射させ迎撃したのだ!!
これにはエルも手酷い痛手を負った。
背に発剄を打ち込む瞬間に予想外の反撃を受け、天高く打ち上げられたのである。
エルも全身を自分の気で覆っており強化していたが、それを貫きエルの身にダメージを浸透させる程の凶悪な魔力の奔流であったのだ。
まるで巨大なものに体当たりされ全身を強かに打ち付けられたかの如き衝撃であった。
血反吐を吐き息が詰まった。骨が折れたと思しき個所がいくつもある。
打ち上げられた遥か空でどうにか武天闘地を発動し浮遊し直したが、此処の主の名に恥じない恐るべき反撃であった。
一方の地から空に浮かぶ敵を睥睨する巨竜はというと、常なら魔力砲にて追撃を行っていたはずであったが、エルの猛攻と先程の奥の手を出した事によって満身創痍であった。
夥しい血を流し大地に池を作り出し、肉や鱗が散乱していた。
少年をねめつけながら唸り声を上げ続けているが、時折荒い息を付いたり苦しそうに身悶えている。
終わりは近い。
ここまで大地竜が消耗しているなら、気の遠距離攻撃によって倒す事もできそうだ。
その方法を取れば無傷で倒す事も不可能ではないだろう。
だが、そんな選択をする気など少年には毛頭なかった。
今できる最高の技をもって、相手の奥の手を破るのだ。
それこそが死闘を共に演じてくれた強敵への最上の返礼であり、また一歩限界を超え自分を高みに昇らせてくれるのだ。
迷いは無い。
後は自分を信じて突き進むだけだ。
「最後の勝負だ!!」
天高らかに宣言するとエルは気を後方に排出し、高速で竜目掛けて真一文字に落下していった。
ガイアはというとけん制の魔力砲や巨岩の吐息はやるだけ無駄とばかりに、自分の魔力を体内で練り上げているようだ。おそらく、先程の奥義をもって迎え撃つ心算に違いない。
「いったぞ!!」
「一体どうなるんだ!?」
「頑張って!」
固唾を飲んで見守る冒険者達は興奮し思い思いの言葉を発したが、少年と竜の勝負は一合の交錯で決着したのである!!
高速で落下したエルが巨竜に当たるかに思えた瞬間、ガイアが練り上げた魔力を放出しようとしたまさにその時にエルは瞬時に向きを変えた。
そして少年は天に落ちた。
少年を追う様に無形の魔力の奔流が追い縋る最中、直上方向に透明な壁を作り出し震脚をもって急速反転する。
反対の足を中心にありったけの気を込め、正面から竜の強大な魔力の中に突っ込んでいった!
「これが僕の最高の技だ!! 天雷!!」
それはエルが編み出した足で放つ史上初の発剄。
しかも天から地に向かい、全ての力を足に集約する事によって最大の威力を発揮する技なのだ。
天から降り注ぐ雷の如き破壊の力。
全身全霊を注いだ気の力によって際限なく威力は増していき、竜の魔力の奔流でさえものともしない。
竜のその身に触れたと思われたその瞬間、一気に、貫いた!!
天雷、エルの最高の技は竜の堅固な肉体や鱗さえも一瞬たりとも持ち応える事さえさせずにぶち抜いたのだ!
背から腹を突き抜け、勢い余って地面に衝突した少年は、ただ静かに確信をもって右手を突き上げた。
竜は反撃するでもなく僅かに身じろぎすると、ちょうどエルが突き破った部分を中心に内部から身を爆ぜさせたのである!
エルの発剄による衝撃と気による内部破壊の技が相乗効果を発揮し、絶大なる破壊をもたらし竜の心臓や内部を破壊し尽したのだ。
竜の真下にて手を上げた少年はというと、溢れんばかりの竜の血肉を浴び全身を深紅に染め上げたが微動だにしない。
ガイアはそんな少年の姿にまるで敬意を称するかの様にか細く一声嘶くと、少年を避けるように横倒しに地に倒れ伏した。
そして二度と動かない。
少年と巨竜の決闘は、お互いの全力をもって真っ向から相打つという前代未聞の末に終に決着が付いた。
エルの完全勝利である。




