第8話
今日こそ5階層を攻略しみせると、エルは闘志を燃やす。5階層攻略で晴れて新人を卒業し、下位冒険者として認められるようになるからだ。
加えて、武の神の神官に課された試験は5階層の踏破である。踏破したあかつきには、武の神の神殿で教えを乞うことができる。弥が上にも士気は高まる。
エルは道具屋で持てるだけの回復薬と毒消し薬を買い込み、足早に迷宮に向う。
上層は何度も探索したので、階段の位置から迷宮の構造まで完璧に記憶できている。出会った魔物を蹴散らしながら1階から4階までを一気に駆け抜けると、5階に降立つのだった。
5階層の最奥には、転移陣と呼ばれる魔法陣が存在する。6階層に降りるための階段はなく、転移陣を使って転移するしか6階層に移動する手段はない。
しかし、転移陣は守護者と呼ばれる強力な魔物に守られている。守護者を倒さぬ限り、転移陣は使えぬというわけである。
エルはこの魔物を倒す力を付けるために、ここ数日4階層に篭り鍛錬を重ねていたのである。
今まで積み重ねた努力はこの敵を打ち倒すためにある。
また、5階層では新たな魔物として、弓使いと呼ばれる小型の魔物が現れるようになる。魔法使いに続いての遠距離攻撃手段を有する敵である。犬鬼と大蜘蛛の近距離攻撃に対処しながら、魔法使いと弓使いの遠距離攻撃にも対応しなければならないという、まさに今までの総決算に相応しい階層である。
エルはきつく拳を握りしめ、闘志を剥き出しにしながら5階層に挑むのだった。
幾多の魔物が襲い来る。
炎が、氷が、矢が乱れ飛ぶ。
咆哮や諍いの喧騒が旋律を奏で、爪が、牙が、そして剣が戦場を紅く彩る。
化生が集いて相争う人外の地を、エルはその身を血で染めながら駆け抜けた。
闘争の果てに、遂には転移陣のある最奥の部屋に辿り着く。
体に疲労は蓄積している上、回復薬も残り少ない。だがここからが本番だ。守護者との闘いが待っている。
エルがゆっくり部屋に入ると、転移陣を守るように巨大な魔物が地から浮かび上がってくる。
ゴブルと呼ばれる子鬼達の王だ。子鬼と同様に粗末な腰巻しか身に付けていないが、赤黒く変色した筋肉は見るからに強靭で、腕はエルの胴より太い。しかも、その身はエルがはるか上を仰ぎ見るほどの巨体だ。長大で無骨な棍棒を右手に掲げ、黄色の瞳が炯々とエルを射る。
すると、鋸刃の様な歯を見せて嗤い、迷宮の隅々に響き渡るかのような大咆哮をあげた。
さあ、闘いの幕開けだ。
嘗てない強敵の予感に身が震え心が猛る。
部屋の中央で待ち構える小鬼の王に向かって、エルは待ちきれないとばかりに駆け出した。
間合いに入るや否や、小鬼の王は棍棒を小枝の如く軽々と片手で持ち上げ打ち降ろす。逸早く反応して左に避けると、巨大な塊がエルの横を高速で通り過ぎる。
一瞬後に地を穿ち轟音が鳴り響く。大地が爆発したかと錯覚するほどの剛撃だ。
エルは素早く踏み込み、がら空きの右脇腹に最も信頼する右の中段付きを放つ。
踏み込んだ左足が地に着いた刹那、全身を連動させるように捻り螺旋の軌跡を描きながら右拳が小鬼の王の脇腹に突き刺さる。
だが、拳はめり込まず表面で止まってしまう。硬い岩を叩いたような感触だ。
追撃をする間もなく棍棒が横殴りに迫る。
エルは飛び上がって避けると、顔面に左の飛び回し蹴りを放つ。目論み通り顔を捉えるが小鬼の王は小揺るぎもしない。太い丸太のような首が衝撃を受けとめたのだろう。
小蝿でも払うかのように無造作に腕が振るわれる。蹴りを放った直後で避けられず、籠手で受けるも遠くに吹き飛ばされてしまう。
辛うじて着地はできたが、苦い笑みを浮かべずには入られなかった。
突きも蹴りも会心の当たりだったが、平然と受け止められてしまっからだ。それに、小鬼の王の攻撃は侮れない。地を裂くかのような剛撃を真面に受けたらただでは済まないだろう。肉は裂け骨は砕け、想像を絶する痛みを味わうだろうことは想像に難くない。
エルの背中に冷たい汗が伝う。間違いなく今迄で一番の強敵だ。本当に勝てるのかと疑問が頭を掠める。
だが、自分は強敵との闘いを望んでいたでないかと叱咤し、無理やり弱気を追い出す。
幸い敵の攻撃は見切れないほどではない。一撃が効かないなら、効くまで何度でも殴れば良いのだ。
決意を新たに、エルは雄叫びを上げながら小鬼の王に駆け出した。
暴力の権化のような棍棒が振り下ろされる。
凶悪な破壊の一撃を斜め左横に踏み込みながら避けると、先ほど攻撃した右脇腹に左右の連続中段突きを放つ。案の定、堅牢な肉体を破れずに弾かれる。
小鬼の王は怒号を発しながら、顔を潰さんと左拳で殴りつけてくる。
エルは飛び退くどころか前進し、脇を通り過ぎ裏まで回る。
拳を空振り未だ振り向けない小鬼の王の脇腹に右の中段回し蹴りを叩き込む。やはり強靭な筋肉を崩せなかったが、小鬼の王は苦痛を覚えたのかうめき声を上げる。
通じる。こちらの攻撃は通じるのだ。
ならば、敵が倒れるまで攻撃し続けるだけだ。
エルは拳を固く握りしめ、向き直った小鬼の王に再び突撃を敢行するのだった。
縦横無尽に振るわれる棍棒を、当たれば落命するかと想われるような拳を前進しながら回避する。もちろん、中には避けられない攻撃もある。エルはその攻撃にひるむことなく前に駆け出し攻撃位置をずらして受けることで、致命的な痛手をさけた。
だが、受ける度に信じられない力によって跳ね飛ばされ地面に叩き付けられる。
体中のあちこちが悲鳴を上げ、血は流れ出る。呼吸は千々に乱れ空気を欲する。
それでもなおエルは突撃を繰り返す。
避ける、受ける、回り込む。幾度も弾き飛ばされても起き上がり、小鬼の王に肉薄して右脇腹を殴り続ける。
何度も、何度も、何度も。
まるで神を信仰する敬虔な信徒のように、己が拳に願いを託し愚直に殴り続けた。
鋼鉄の塊のようだった筋肉も鱗が1枚1枚剥がれ落ちるように傷つき始め、しだいに拳が通るようになっていく。
己が身を削り赤く身を染めながら、何度繰り返したかわからないほど突きを放つと、終には拳が脇腹を突き破った。
表皮を破り分厚い筋肉の中に左拳が入り込む。生暖かい感触が伝わる。
エルはそのまま力を込めて抉り込み筋肉の奥まで手を入れると、柔らかいものを引っ張り出した。
気味の悪い緑の血が噴水のように流れだし、引きずり出された腸が剥き出しになる。
さしもの小鬼の王も悲鳴を上げ、棍棒を放り捨てのたうち回る。
エルの思いの一念が強靭な筋肉を貫き通したのだ。
初めは無敵の巨人に思えた小鬼の王も、苦しみもがいている。
こちらも大分苦しいが、あちらももはや余裕はないだろう。終幕は近い。
膝をつく小鬼の王に追撃をかけようと駆け出す。
しかし、敵も然るもの。
突然立ち上がるや否や、巨体を活かして肩口から体当たりを仕掛けてくる。
駆け出しているエルには避けようがない。空に高々と吹き飛ばされてしまう。
途方もない衝撃に一瞬意識が飛ぶ。しばし後、地に叩き付けられた衝撃でどうにか覚醒する。
息が詰まり呼吸ができない。
ようやく大きく息を吐き出して息を整え始めるが、絶大な痛みに悶えてしまう。胸骨を何本も折られたのだろう、身体がばらばらにされたかのような苦しみが襲う。
震える四肢に力を込め立ち上がろうとした瞬間、横腹を蹴り飛ばされる。
地面を何度も跳ね飛ばされ壁に叩き付けられる。
口から大量の血を吐血し、呼吸がままならなくなる。内臓にも深刻な損害が出たのだろう。苦しくて仕方がない。
しばらくは動くこともできない絶体絶命な状況だが、つい小鬼の王の強さを称賛する気持ちが芽生える。なんと強大で猛々しい敵だろうと。甚大な痛手で手一本すら動かせないが、つい口角が吊り上る。
小鬼の王よ、お前は強敵と呼ぶに相応しい相手だ。
地に倒れ伏したままのエルを小鬼の王が頭を掴み持ち上げる。
掴まれながらも小鬼の王の顔を覗くと、怒りと苦痛に顔を歪め息を荒げている。あちらも決して万全な状態ではなく、ぎりぎりの状態なのだろう。
両者は生と死の狭間で揺蕩っている。
小鬼の王はエルの頭を握り潰さんと万力のような力で締め付ける。
頭蓋がきしみ悲鳴を上げる。
このままなら幾ばくもせずに頭を潰されエルは死ぬだろう。
万全の状態で掴み上げられていたなら、エルの攻撃は強靭な肉体に阻まれこのまま勝負は決しただろう。
だが、今のお前には弱点がある。
命の灯火が消えんとする危機にありながら、エルは極限の力を発揮する。
掴まれた手を支点に反動を付けると、足のつま先で腸が剥き出しの脇腹を蹴り込んだ。
内臓を直接蹴られた痛みは如何ばかりか、小鬼の王は苦痛の声を上げ手を放してしまう。
地に降り立ったエルは気力を振り絞り、雄叫びえ上げて追撃をかける。
小鬼の王は思わず右脇腹をかばってしまう。
一つ弱点ができれば他の箇所がおろそかになる。
エルの目的は別の場所だった。
エルは右足を跳ね上げ、粗末な腰蓑にしか守られていない股間を蹴り上げた。
当たった直後、柔らかい性器は簡単に破裂し血が飛び散る。
小鬼の王は哀れを誘う声で悲鳴を上げると、股間を押さえ蹲ってしまう。
頭が下がり、飛び上がらなくて殴れる位置に顔が降りてくる。
「ようやく殴り易い位置に来てくれたね。」
エルは壮絶な笑みを浮かべると、万感の思いを込めて小鬼の王の喉に右の中段突きを放つ。
喉を突かれ苦痛の声を上げるが、小鬼の王はまだ倒れない。なんとも凄まじく頑強な肉体である。
ああ小鬼の王よ、お前が一撃で倒れないことはわかっている。
お前が倒れるまで何度でも突き続けてみせるさ。
エルは覚悟を決めると、最後の力を燃やし尽くすかのように左右の拳でのどに突きを放ち出した。
小鬼の王は股間から手を上げ抵抗を続けるも、徐々に抵抗する力は弱まっていく。
ついには後ろに倒れ込むが、エルは小鬼の王に飛び乗りひたすら拳を振るい続けた。
殴る度に体が軋み激痛が襲うが、エルは構わず突き続ける。
この強敵はこんなものでは倒れはしない、己が命の続く限り突き続けるのだと。
やがて体力の限界に達し、拳が止まる。
霞む瞳で強敵を見ると力尽き絶命していた。
「勝った。勝ったんだ!!」
エルは激痛に顔を歪めながらも両手を天に掲げ、自身の勝利を誇るように雄叫びを上げ続けるのだった。
しばらくして呼吸を整えると、直ぐ様残りの回復薬を全て飲み干した。
未だ震えの残る体を引きずるようにして戦利品を回収しに行く。
地面には魔石の他に赤黒い内臓と小さな袋の様なものが残されている。
黒ずんだ内臓は、通常の落し物の小鬼の王の肝だ。
だが、この小袋は何だろうか。
情報誌に記載されていない落し物だから、神様の贈り物ということになる。
もしかしたら、今の闘いが神様に認められたということではないだろうかと、ふとした思いつきがエルの頭に浮かぶ。
神様に認められると神様の贈り物を贈られるという説は推論の域を出ていないが、もし本当なら強敵との闘いが認められたことになる。
それに、激闘の末に得られたのは出来過ぎているような気がするのだ。何か超常の存在に見守られ、見事打ち克った褒美として贈られたのではないかと思えてならない。
そうであったらいいと思いながら、強敵が消えた地にエルは頭を下げるのだった。
戦利品を回収し終えると、転移陣に進入する。
転移陣の中央まで進んだ途端、強烈な光が放たれる。光は強さをどんどん増していき、やがて巨大な光の柱になった。エルは光の柱に包まれると、5階層から消え去った。
瞼を焼くかのような強烈な光がおさまると、エルは草原に立っていた。
先ほどの洞窟の様な光景はどこにもなく、見渡す限りの大草原が広がっている。
背の高い草や灌木がまばらに点在するだけで非常に見晴らしがいい。
風が頬を撫で、草の匂いが鼻に伝わる。
本当に迷宮の中なのかと疑問がわいてくるが、果ては確かに存在するらしい。
空と風の神ボレロスの信徒の魔法使いが飛んで調べたところ、見えない壁に行き当たるそうだ。四方八方どこに行っても壁に着き当たり、それ以上は進めないらしい。
また、この草原はセレド大陸のどこにも存在しないらしく、近隣諸国が騎士団を派遣して手を尽くして探したが見つからなかったそうだ。
出ることは叶わず転移陣からしか入ることも叶わない、まさに神々が創りたもうた神秘の迷宮ということなのだ。
だが、今は6階層を探索する余裕はない。
エルは疲れた体を動かし、傍らにあるもう一つの転移陣に向かう。迷宮都市への帰還用の転移陣だ。
転移陣の傍には暁の時空神クロスの石像が立っており、胸の前に宝珠を両手で掲げている。
エルは自分の歯で指を切るとクロスが掲げる宝珠に血を垂らす。
すると、宝珠から音もなく首飾りが現れた。
転移の首飾りである。これより先の迷宮は階段はなく、転移陣での移動になる。新しい階層に転移した際にクロスの石像に自分の情報を登録しておけば、転移の首飾りで自分の登録した階層に戻ってこれるという寸法だ。
神々が創った迷宮はまさに不思議で溢れていると痛切に感じる。
エルは帰還の転移陣を起動すると迷宮都市に帰還するのだった。
迷宮の入口の裏に巧妙に隠された転移陣にエルは帰還した。
今まで入口から階段を降りていたので気付かなかったが、上手に隠してあるものである。次回の探索からは階段ではなく、こちらの転移陣を使うことになるだろう。
門番の兵士に冒険者カードを見せて通してもらうと、意気揚々と受付に向かった。
せっかくなので、冒険者登録をしてもらったセレーナさん、栗色の髪の笑顔が可愛い女性である、の所に行く。迷宮探索の帰りに何度か鑑定をしてもらううちに、打ち解け名前を教えてもらったのだ。今では軽くくだけた口調で話し合うぐらいになっている。エルは急くように話し掛けた。
「セレーナさん、買い取りをお願いします」
「あらっ、エルくん。毎日お疲れ様。
今日も頑張ったのね」
「ええ、頑張りましたよ」
エルはどこか誇らしそうに戦利品を並べだす。
「ふふっ、よほどいいことがあったのね。
今日の戦利品は、犬鬼に魔法使い、そして大蜘蛛に弓使いの戦利品ね。
5階層までもぐったのね。
エル君ももうすぐ新人卒業ね」
優しい笑顔に見惚れそうになるのを慌てて堪えながら、今回の一番の戦利品である小鬼の王の落し物を渡す。受け取った物を見て、セレーナは驚愕した。
「これはっ……、小鬼の王の戦利品じゃない。
なるほど。どうりで機嫌がいいわけね」
「ええ、今日で新人は卒業です」
「おめとう、エル君。
今日からあなたは下位冒険者よ。
よくがんばったわね」
暖かな祝福の言葉に今までの努力が報われた気分になる。ようやく冒険者として認められたのである。感動も一塩だ。
エルは喜色満面のまま小袋について聞いてみることにした。
「セレーナさん、ところでこの小袋は何ですか?
小鬼の王から手に入れたのですが……」
「これは魔法の小袋よ。
小袋は持主に重さを感じさせずに大量の物を詰め込めるわ。
随分良い神様の贈り物をもらったのね」
「これが魔法の小袋ですか。
初めて見ましたよ」
「しかも、魔法の小袋の中でもかなりいいものよ。
下位冒険者でも中堅所の2つ星ぐらいから持つようになるものよ。
買うとしたら最低でも金貨5枚はかかるわね」
「えっ、これそんなに高いんですか。
僕の防具の10倍以上するじゃないですか」
あまりの値段に驚くエルに、セレーナは魔法の小袋の重要性を説明する。
「そのクラスの魔法の小袋になると、エル君の20人分ぐらいの重量が入るのよ。
迷宮は下層になるほど広くて探索が難しくなるから、何日も寝泊まりして転移陣を探さなくちゃならない事も珍しくないの。
だから、冒険者には魔法の小袋は絶対必要なものなのよ」
「なるほど。
冒険者に必須なものなら買わずに手に入れられてラッキーだったわけですね」
「本当なら銀貨50枚くらいの魔法の小袋を買って、お金を貯めてから買い替えるんだけどね」
神様も贈り物を奮発してくれたのだなと気分が良くなる。嬉しさが爆発しそうなエルを横に、セレーナは笑顔で鑑定を終えて買い取り額を伝える。
「持ち帰る食材を除いた買い取り額は、銀貨5枚と銅貨32枚になるわ。
それと冒険者カードも更新しておいたわ。
これでエル君は下位冒険者よ」
「セレーナさん、ありがとうございます」
「私は何もしてないわ。
エル君の努力の成果よ。
本当におめでとう。
疲れたろうから、今日ゆっくり休んで疲れを癒してね」
心安らぐセレーナの笑顔に見惚れながら、エルは報酬と冒険者カードを受け取る。これでついに下位冒険者だ。この喜びを誰かと分かち合いたい。
そうだ、友人のリリに伝えよう。きっと喜んでくれるはずだ。
「それじゃあ、宿に帰りますね」
「ええ、ゆっくり休んでね。
あっ、それと次回迷宮探索する前にこちらによってね。
下位冒険者について説明するから」
「わかりました。迷宮にもぐる前に寄るようにします。
では、失礼します」
セレーナに別れを告げると、喜びを抑えきれず疲れを無視して宿に向かって駆け出すのだった。
金の雄羊亭に駆け込むと、入口付近にいたリリに突進し冒険者カードを見せる。
「リリ、これを見て」
あまりのエルの勢いにしばし茫然としたが、言われた通りにリリは冒険者カードを見た。やがて、何故エルが冒険者カードを見せたのか悟る。
エルがカードを見せびらかしたくて仕方なかったのだろうことは、簡単に想像できる。年上のくせに子供なんだからとリリは笑い出しそうになるが、せっかくの慶事に水を差す真似はしない。
顔中を笑顔にして、冒険者として認められたエルを祝うことにした。
「エルさん、おめでとう。
これで下位冒険者だね」
「うん、これでやっと冒険者として認められたよ」
エルは得意満面そうに答える。本当にどちらが年上なのかという気さえするが、今日ぐらいはお小言を止めていっぱい甘やかしてやろうと、エルを褒め称える。
「本当によく頑張ったね。
守護者はとても強かったでしょう?」
「うん、強かったよ。
途中死にそうになったけど、なんとか勝てたよ」
あっけらかんと笑いながら話すエルに、リリは固まってしまう。守護者は強い。何でもないようにエルは答えたが、リリが想像も着かない激闘があったと思わずにいられない。迷宮では、人の命はとても軽いのだ。
思わず叱責しそうになるのを、年に似合わない強い意志力で押し止め軽い注意だけで済ますことにした。
「無理したら駄目だっていつもいってるじゃない。
冒険者は臆病なくらいがちょうどいいのよ」
突然の注意に横入りを入れた気分になりエルは不満を表したが、心底心配しているリリを見て急に我に返る。この年下の友人は、本当に自分の身を案じてくれているのだ。この思いに答えないようでは、友たる資格はないと思い直す。
エルは神妙な顔になるとリリに謝意を述べる。
「ごめん、リリ。
心配掛けたようだね。
少し浮かれ過ぎてたよ」
「ううん。私こそこんな時にごめんね。
でも、エルのことが心配だから言ってるんだからね」
リリの言葉にエルは笑顔で頷いた。田舎から出てきた知り合いもほとんどいない自分に本当に良くしている。リリは得難い友人なのだ。これで忠告を無視するようでは罰が当たるというものだ。
しんみりした雰囲気を変えるように、リリがわざと明るい声で話し出す。
「はい、重い話はこれでおしまい。
今日はエルが下位冒険者になれたせっかくの記念日だから、お祝いしましょ。
父さんに美味しいもの作ってもらうわ」
「うん、これで何か作ってもらえないかな」
エルは今日の戦利品である犬鬼の尻尾と小鬼の王の肝を渡す。
「テーブルに座って待ってて。
美味しいもの作って持ってくからね」
「うん、期待してるよ」
エルは酒場の空いてるテーブルに座って待つことにする。
待つ間に手持無沙汰にしていると、今日の疲れも相まって眠りに落ちそうになる。
エルが眠気と格闘していると、リリが料理を運んできてくれる。
犬鬼の尻尾を使ったテールスープに小鬼の王の肝の煮物、そしてグラスに赤色の飲みものが注がれている。
「リリ、その飲み物は何かな?」
「これは迷宮で採れるククの実を使ったジュースよ。
迷宮産だから当然冒険者には人気もあるんだけど、体に良くって味もいいから一般の人にも人気なの。
父さんからのサービスだって」
シェーバさんからの祝いの品ということだろう。ありがたくて頭が下がる。
「シェーバさんには後でお礼を言ってくれるかな。
さて、冷めてしまっても申し訳ないから頂くことにするよ」
「ええ、楽しんで食べてね」
リリはまだ宿の手伝いがあるのだろう。厨房に去って行った。
さっそくエルは料理を頂くことにする。
まずはククの実のジュースからだ。口に入れると甘酸っぱい味が広がる。酸味はそれほどなく飲みやすい。飲み込んだ後も口に甘みは一切残らず、すっきりとした清涼感が体を満たす。なるほど、一般市民にも人気があるわけだ。食前酒代わりにちょうどいい。
続いて、テールスープに手を伸ばす。ゆっくりスープをすする。
塩コショウに数種の香辛料を加えたスープは、テールから旨味が溶け出しえも言われぬ味を醸し出している。テール自身の味も然ることながら、舌に似た独特のコリコリした歯ごたえがたまらない。
そして極め付けは肝の煮物である。どんな下処理を施したのか想像もできないが、肝特有の臭みや苦味が全くしない。それどころか、甘辛い味付けに肝のコクのある味わいが渾然一体となってエルを責め立てる。あまりの美味さに忘我の境にあるほどだ。2階層で死闘を演じた大山猫の中落ち肉以来の衝撃であった。
エルが料理を楽しんでいると、リリが自分の飲み物を持ってエルの横に座った。
そして今日の冒険譚をせがむ。
エルはどちらかとういうと口下手で事務的なこと以外はあまりしゃべらない方だが、今日ばかりはいつもより舌が回る。
リリに茶化されたり、鋭い指摘を受けたりをして、たわい無いことなのにおかしくなって笑い声を上げる。
リリと二人で笑っていると、何事かと興味を示した冒険者達が寄ってくる。
事情を聞くと、皆我がことのようにエルを祝福してくれる。
中には自分の杯を持ち出し祝杯してくれる冒険者もいる。
駆け出しの苦労を知っているのだろう、今日ばかりはと皆エルの成功を慶ぶ。
エルは言葉にできない幸せを噛み締めながら、いつの間にか眠りに落ちるのだった。