第6話
「腰を入れろっ!!まだ足だけで蹴っているぞ」
「はい、すいません」
教官の注意に謝りながら、意識して右足を蹴り出す動きに腰が連動するように中段の右回し蹴りを行う。
「そうだ、できるじゃないか。
慣れないうちは蹴る前に腰を先に逆向きに捻り、腰を戻す動きに合わせて足を蹴るようにすると感覚を掴み易いぞ」
「わかりました。やってみます」
エルは左足で踏み込む際に腰を右に捻り、そのまま勢いをつけて左に捻り返しながら右足で回し蹴りを行う。こちらの蹴り方の方が、腰と足が連動している感覚を掴み易いように感じる。
「よし、感覚を掴めれば逆向きに腰を捻らなくてもいいぞ。
後はひたすら反復して体に覚え込ますんだ」
「はいっ、わかりました」
「協会の訓練所は冒険者登録していれば誰でも無料で使えるから、技の練習に使うといい。
教えた技は一通り確認し直したな。訓練は此処までとする」
「ありがとうございました」
様々な技を教えてくれた教官に、感謝を込めて深々と頭を下げた。
「私は帰るが、君は好きに練習しなさい。
ではまたな」
「はいっ、ありがとうございました」
再度頭を下げるエルに頷くと、教官は去って行った。
エルは早く技を覚えようと身を奮い立たせて練習を続けるのだった。
迷宮の2階層で初戦闘を行ってから4日ほど経っている。連日迷宮探索を続けたおかげてエルの肉体は大幅に強化され、2階層での戦闘も余裕をもって闘えるようになっていた。このまま3階層に向かうという選択肢もあったが、頼れる技は長年練習してきた突きしかなかったことが、降りることを踏み留まらせていた。加えて、相変わらず敵から攻撃を受けて負傷する機会も多かったこともあり、関門と言われる3階層では通用しないだろうと判断せざるを得なかった。
そこで、有料で行われる協会の訓練を受講することにしたのだ。連日の迷宮探索のおかげで、魔物の戦利品だけでなく宝箱や魔鉱を発見し、銀貨30枚までお金が貯まったことも訓練を受ける後押しをした。
そして、エルは訓練所の教官から攻撃技や防御法を学んだ。
訓練所の教官はエルの事情を聴き、後々武の神の神殿で教えを受ける際に余計な癖が付かないよう、どの流派にもある共通の技術を教授してくれた。教官の配慮に頭が下がる。
また、訓練中自分が長年研鑚してきた技は中段突きと呼ばれるものの範疇にあることを学んだ。流派によって技の名前は変わるらしいが、攻撃する部位あるいは攻撃を開始する位置からを3つの区分、すなわち上中下段に分けて解り易いように名付けるするそうだ。今まで自分が如何に無知だったか理解し忸怩たる思いを味わったが、開き直って初歩的なことから質問し、自分の修めるであろう技術への知識を深めた。
教官が去った後も独りで学んだ技の反復練習を続け、我に返った時には既に日は傾き夜の帳が下り始めていた。明日も朝から訓練場で修行しようと心に定め、宿に向かうのだった。
それからしばらくの間は午前中協会の訓練所で修行を行い、午後は迷宮の2階層の魔物相手に覚えたての技を試す日々を送る。修行と戦闘を交互に繰り返すことで、技への理解を深めると共に実践で鍛え上げ、エルは新技を急速にものにしていった。
ある時は子鬼達を中段回し蹴りでまとめてなぎ倒したり、前蹴りで大山猫の動きを止め左右の連続中段突きで止めを刺したりもした。またある時は、下方から大山猫のあごをかち上げるように強烈な下突きを放ち、浮き上がった所を上段回し蹴りで屠ったりもした。突き以外の技を覚えたことで攻撃の選択肢が増え、さらに連続技で一気に魔物を仕留められるようになった。
もちろん、課題であった防御の技術も実戦で修行した。
わざと魔物に攻撃させて攻撃をそらしたり、踏み込んで受け止めたりして研鑚を積んだ。相手の攻撃を躱し様に側面に回りこむことなども練習した。この側面に回り込むことは、試していくうちに非常に重要だということを学んだ。攻撃を避けて横に回りこむと、相手の対応が遅ければ側面や背面を好きなように攻撃ができるのだ。また、相手が振り向くまでにこちらの攻撃の準備が整えられるので、優位に立ち回れるという利点も有する。
さばき、受け、回りこみなど防御の技術はどれも大切で、もっとはやく教えを乞うべきだったかと後悔もしたが、今からでも遅くないと研鑽を積むのだった。
エルは本日も2階層に篭り自己鍛錬を行っていた。
さきほど、大山猫2体と同時に闘ったが、もはや完全に相手にならない。
1体目の喉元に槍の様に真っ直ぐ伸びる左前蹴りを打ち込み絶命させると、素早く2体目に向き直り大山猫の飛び掛りの噛み付きを横に躱す。
目標を探して振り向いた所に、右拳を打ち降ろして顔面を粉砕した。
ゆっくり息を吐いて呼吸を整える。
連日の特訓のおかげで、新技は体得したといっても過言ではない状態に達している。
これで3階層に降りる準備は整ったとエルは決断を下した。
しかし、今日はもう遅い。宿に戻ってゆっくり疲れを癒し、明日は難関と噂の3階層に降りようと決め、迷宮を出ようと階段に向かっていると喧騒が聞こえてきた。
怒鳴り合うような声と共に金属音が近づいてくる。4人の冒険者達が着込んだ金属鎧の音を響かせながら走り込んでくる。
何かから逃げてきたのだろう。
「早く逃げろ!!
変異種だ」
逃げてきたうちの一人である、長剣を背負った冒険者がエルに忠告しながら仲間達と走り去っていった。
ほとんど間をおかず大きな魔物が駆けてくる。
大山猫の変異種だ。虎と見紛う程の巨体になっている。しかも注視して見ると、左目は傷で塞がり隻眼になっており、あちこちに傷を負っている。傷物でもあるようだ。
エルを見つけると獲物に見定めたのか飛び掛ってくる。
早い。通常の生まれたての個体の比ではない、圧倒的な素早さだ。
エルは慌てて左に飛び退く。変異種の振り向き様に右の中段回し蹴りを鼻面に蹴り込むが、意に介さずに強靭な前足で引っかかれる。
回避する余裕がないので両腕を交差させて防ぐが、鋭く大きな爪がエルの服を切り裂き血が滲み出る。
そのまま大きな口を開け噛み付いてくる。今度はなんとか回避して側面に回り込む。変異種は逸早く向き直り飛び掛ろうとする。だが、こちらの攻撃の方が早い。
エルは変異種の顔目掛けて左右の拳で連続中段突きを放った。
しかし、変異種は連撃を受けてもまだ倒れない。雄たけびを上げながら、今一度とばかり飛び掛ってくる。
また噛み付きかと思いエルは横に躱そうとしたが、変異種は両前足を横に広げ掴み掛かってくる。予想外の攻撃に一種呆気にとられ、捕まってしまう。
変異種は口を広げエルの頭に噛み付いてくる。両肩を横から押さえつけられているため逃げられない。咄嗟に首を左に曲げ頭を噛まれることだけは避けたが、右肩に喰らい付かれてしまう。
激しい痛みに伴い血が止め処なく流れ出す。必死に振りほどこうとするが、強い力で押さえ付けられ変異種を引き剥がせない。
エルは右腕を懸命に持ち上げ、変異種の潰れた左目に指を当てると、そのまま突き込んだ。眼球を潰し奥まで指を捩じり込むと血が溢れだす。
さしもの変異種も泣き声を上げて口を離し、もがき苦しでいる。
エルは荒い呼吸を必死に整えようと試みる。右肩の傷は深い。動かす度に激痛が走る。もうそれほど長くは闘えないだろう。
だが、不思議と恐怖は沸いてこない。こんな逆境に立たされているのに気分が高揚する。前々から薄々思っていたが、自分は闘いが心底好きなようだ。自然と口元が吊り上る。
低い唸り声を上げ、血走った瞳でエルを睥睨する変異種目掛け、右の前蹴りを放つ。鼻が潰れ、血が吹き出し変異種が悲鳴を上げる。
しかし、血を流しながらも後ろ足で立ち上がり、変異種は前足でエルを何度も殴りつけてくる。幾度か腕で受け止めるも、胸や脇にも食らってしまい吹き飛ばされる。服は破れ、あちこちから血が流れ出る。体中が痛い。満身創痍といった様態だ。
自分の死が頭に過るが、逆により一層生を実感する。
痛みが、苦しみが、自分が生きていることを伝えてくれる。
今この瞬間を正に自分は生きている。意識が研ぎ澄まされ、闘志が燃え上がる。
さあ、乾坤一擲の勝負を仕掛けるよう。
再度立ち上がり凶悪な前肢で殴りかかろうとする変異種に、エルはその顎目掛けて渾身の力で右足を蹴り上げる。
顎を跳ね上げられた変異種はその体ごと浮き上がる。
ここしかない。蹴り上げた右足の戻し様に、腰を回転させ拳をひねり込むように左の上段突きを放ち、即座に追撃の左の上段回し蹴りを敢行する。
変異種は錐揉みしながら吹き飛び、地に落ちる。
倒れた変異種に向かって己が心の思うままに雄叫びを上げながら駆け出し、最後の力を振り絞って飛び蹴りを放った。何かが潰れる感覚が足に伝わる。
終には変異種も力尽き、光になって消え去った。
まさに死闘と呼ぶに相応しい激しい闘いだった。服は破れ上半身はほとんど裸といった状態で、いたる所を怪我している。変異種であり傷物であったせいか、通常の個体の何倍もの強さをもっていた。場合によっては、敗者は自分であったただろう事は想像に難くない。
だが、エルは不思議とこの敵を憎む気になれなかった。むしろ感謝したい気持ちでいっぱいだった。
これほど強烈な生と死の体験はしたことがない。強敵なくしてはできない経験だったろう。
エルは変異種が消えた床に向かって、そっと頭を下げた。
エルは痛みで震える手をなんとか動かし、回復薬を取り出して飲み干す。1本では足らない。続けざまに2本、3本と回復薬を飲み込む。
徐々に身体は再生していくが疲労困憊だ。荒い息を整えながらしばし休息を取った。
まだ疲れが残るが傷が治ったので立ち上がり、戦利品を拾いに行く。通常より大きな魔石と中落ち肉が落ちている。中落ち肉も心なし通常のものとは違う気がする。気のせいかもしれないが、倒した自分を喰らい力をつけろと言われたような気がしてならない。
感謝してこの肉を頂こうと決断し、迷宮を引き上げた。
迷宮を出た後は大変だった。まず、迷宮の入り口で兵士に説明する羽目になった。
上半身裸の冒険者が帰還したのだから驚くのも無理はないだろう。
変異種の傷物との闘いのことを話すと、見兼ねた親切な兵士が詰所にあった古着を貸してくれたので、どうにか体裁を整えられた。後で兵士にお礼の差し入れを持っていこうと決める。
受付でも同様に説明をして戦利品を買い取りしてもらい、さっさと宿に向かう。
宿に着くと、リリのお父さんであり宿主のシューバさんに中落ち肉を渡し料理を作ってもらうことにする。
いつもはシューバさんに調理方法をお任せしているが、今回は肉そのものを味わいたいとお願いしてみた。
待つことしばし、ステーキが運ばれてくる。塩と胡椒のみで味付けしただけのようだ。
ステーキを切り分け静かに口に運ぶ。
肉を咀嚼した瞬間、なんとも形容し難い極上の旨味が広がる。
ゆっくり飲み込むと、体中に力が湧いてくるような感覚に陥る。
まるで、強敵が自分の血肉となり力を貸してくれるようだ。エルは一心不乱に食べ続けた。
ほどなくして全て食べ終わる。中落ち肉は前回食べた時もおいしかったが、今日の味は格別だった。思いれが強い分、味を引き立てたのだろう。
今日のことは決して忘れまいと心に誓い、部屋に戻って眠りに着くのだった。