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第64話

 爆炎が世界を紅く彩り、地形を見る間に変えていった。

 その身に受けたなら一瞬で全身を焼き尽くし炭化させるであろう、真なる竜の息吹が戦場に撒き散らされ、あまりの威力に大地が溶解し煉獄宛らの地獄をこの地に顕現させたのである。

 そんな奈落の底の様な世界の中で、エルは餓竜スタービングドラゴンとの生死を賭した円舞ダンスに興じていた。

 その顔は恐怖に引き攣っている所か、今が楽しくて仕方ないとばかりに見る人を畏怖させる様な嗤い顔を浮かべ、一瞬たりとも休むことなく自分の有利な距離を模索しながら自慢の拳を振い続けていた。

 悪名高き名持ちの真竜、ヴォリクスの圧倒的な強さにエルの戦闘狂の血が呼び覚まされ、あたかも2頭の竜が争うかの様な熾烈な闘いを繰り広げたのである。

 

 一咬みで容易く頭を噛み砕くに違いない牙が、鞭のようにしなる太い毒の尾が、そして名剣と遜色ない切れ味を誇る刃のごとき翼が、幾度も幾度もエルを襲った。

 しかも、どれもこれも悪竜の魔力で強化されており、下手に防御する事もできないほどの想像を絶する威力を秘めていた。

 だが、そんな激烈な攻撃の嵐に晒されても、エルの獣のごとき笑みは消えるどころか一層凄みを増し、恐ろしい程の集中と技の冴えを見せ回避してみせると攻撃に転じたのである。

 己の最も頼みとする両拳に混沌の気を宿すと、竜の巨体を手当たり次第に突きまくったのだ。

 もっとも、鱗と同じ禍々しい紫色の魔力に覆われた竜鱗の強固さは脅威の一言である。今まで闘った亜竜であれば、とうにその身を砕かれたであろう連撃を受けても、一向に堪えた様子もない。むしろ、矮小な人間の抵抗を不遜であるとでも思ったのか、その身に怒りを宿すと更に攻撃の速度を上げ、闘いは次第にヒートアップしていくのだった。


 人と竜。

 本来なら力の差は歴然であり、争うことなど一笑に付されるであろう両者の闘いは、エルの奮闘もあって互角の様相を為すという、観戦者が居たのなら興奮の坩堝に包まれたであろう驚異的な状況が続いていた。

 だがしかし一見同等に見える闘いであるが、やはりエルの不利は否めなかった。エルは神の御業、剛体醒覚で内部から肉体を強化すると共に自分の眠っている力を呼び覚まし、更には黒と白の気でその身を包み外部からも強化する事で、ようやくヴォリクスに伍する闘いを演じていたのだ。

 内部と外部からの気による2重強化は戦闘力を大幅に上昇させたが、当然消耗は激しい。餓竜スタービングドラゴンから離れた際に、一瞬でも外気修練法により傷を癒しつつ精神力の回復も図ったが、真竜の息吹により直ぐに中断する羽目になり中々回復させてもらえなかったせいで、気力は見る間に減少していった。

 しかも竜の息吹は2種類あった。1つは放射状に火炎を撒き散らす、まさにブレスと言って差し支えないものであるが、もう1つは火炎を巨大な球にして幾つも吐き出すのである。1つ1つは赤虎族の戦士アリーシャの行使した陽神ポロンの御業、爆炎顕現フレアインカネーションには劣るが、それでも避け損なえば大火傷は必至であろうし、何よりその速射性には驚愕を禁じ得なかった。

 一度に広範囲に攻撃できるブレス、そして無数の火炎球という2種類の息吹によって距離をとっても直ちに移動を余儀なくされ、回復する時間を得られないのが現状であった。

 だからといって、エルも手を拱いていたわけではない。

 遠距離では気弾や気刃、あるいは烈光拳等で反撃を行い、至近距離では武人拳や手足を気によって武器化させた、穿貫槍や断魔剣や飛翔槍など、ありとあらゆる攻撃を浴びせたのである。

 加えて、直接攻撃は右後足の膝に集中して行っていた。竜の巨体を支え、高速移動を行う要である後足を破壊する事により、機動力を奪おうという目論見ゆえの攻撃である。それに、あれほどの巨体をたった2本の後足で支えているのだ。膝の負担は相当であり、片足さえ挫く事ができれば大分有利になるであろうという予想があったからだ。

 ただ残念な事に、無限とさえ思える野放図な体力でもって、エルを一時たりとも休ませず容赦のない攻撃を続ける餓竜スタービングドラゴンの方に、少しずつであるが形勢は傾きつつあった。

 百数十体もの守護者を討伐し、もはやその実力は5つ星、ひょっとしたら6つ星の冒険者にも勝るかもしれないという急成長を遂げたエルをもってしても、やはりこの名持ちの真竜相手には分が悪かったのだ。いやっ、もし多数の守護者を倒さず成長せぬままこの強敵と相対したなら、為す術も無く敗北していた可能性すら有り得ただろう。

 武神シルバは、このレアモンスターと闘う前の神の試練として大量の守護者の討伐を命じたが、ヴォリクスとエルの強さを見通していたからこそ、あれほど過酷な試練を課したに違いない。

 ただし、3日という短期間での試練であった事からエルの成長にも自ずと限界があり、真竜への勝率が1割にも満たないのもまた残酷なる事実であった。

 必然、エルの方から打開策を講じ無茶な試みをしなければならなくなった。徐々にではあるが追い込まれつつあり、全力で動けている今の内に賭けに出る必要があったのだ。

 だがそんな窮地に追い込まれてもなお、少年の狂気は治まらず恐ろしげな嗤い顔のままであった。ヴォリクスという格上の敵との死闘が、一瞬の迷いや失敗が生死を別つ刹那の攻防がエルを昂ぶらせ、ただ目の前の闘いに集中させていった。もはや自分の生き死やそれ以外の些末な事(・・・・・・・・・)など眼中に無く、心躍る闘いに全神経を傾けたのである。


 苦境?

 それがどうした、これから逆転すればいいだけだ。

 今こそ僕の力を、武神流の力を見せる時なんだ!!


 猛り昂ぶるエルには、恐れなど微塵もない。研鑽してきた技をもって、真竜を打ち倒す事しか頭になかったのである。

 そんなエルに、不意に師であるアルドの言葉が蘇る。

 今まで教えた技は基礎でしかないと。

 自分に合うように創意工夫し、独自に練り上げるのだと。

 そう、教授された技を改良する事も可能だし、自分用の技を新たに編み出す事もできるのだ。

 それに己が気は意志力によって左右される。自分が信じ願えば必ず応えてくれると、アルド神官はおっしゃった。

 ならば、今の自分ならこの状況を打破するだけの力が、技が使えるはずだ!!

 戦闘の鬼と化したエルはそう信じて疑わず、猛り狂う竜の虎口に一瞬の逡巡もなく飛び込んだ。

 巨大な竜の顎門を紙一重で交わし、大剣の横薙ぎの如き翼の横振りを地を這う様な信じられない体勢で回避しながら気の力で前進すると、目的の右後足に接近したのである。


「くらえっ!!」


 心の赴くままに大声を発しながら右掌に莫大な量の気を込めると、大地を砕く強烈な踏み込みから右掌を突き出した。

 猛武掌。

 猛き武人を思わせるような震脚からの掌底による発剄である。気による強化も合わさり、竜の右膝に高速でぶつかると信じられない大音をあげた。

 発剄は全身を隈なく使って攻撃力を高める技である。この猛武掌も震脚で得た力を攻撃部位に伝えるために筋肉を締め、足腰を瞬時に捻らなければならないので技を放った後の隙が大きい。

 通常ならここで肉体は硬直してしまい、次の攻撃には移れないはずであった。

 だが現実は違う。

 肉体はどこも動いていないのに何故か滑るように移動し、側面に回り込んだのだ!!

 エルは強靭な意志力によって発剄直後にも関わらず気を行使し、滑歩と疾歩によって側面に移動してのけたのである。

 そして硬直の解けた脚を振るい、右膝での廻し蹴りを放った。気の武器化による強化も付けてである。

 剛破鎚

 気によってエルの強固な膝を鎚と為し、強烈な一撃を竜の膝に打ち込んだのだ。

 金属と金属と衝突しあった甲高い音が周囲に鳴り響く。

 いくら魔力と強固な竜鱗に覆われようとその防御力を上回れば、ダメージは通るのだ。 

 発剄と気の武器化による凶悪な連撃は見事その防御を上回り、真竜に悲鳴を上げさせる事に成功したのである。


 勢いにのって竜の後ろに回り込んだエルは、会心の笑みを浮かべると追撃を掛けるべく左拳を叩き込まんとした。

 だが、追撃は行えなかった。

 突然エルの中の生存本能が大音で警鐘を鳴らし、その場を一刻も早く逃れよと報せてきたのだ。

 エルはその警告に従い直ちに飛び退いたというわけだ。

 距離をとったエルは、すぐに本能が下した判断が正しかった事を悟った。


 痛みで悲鳴を挙げていた竜の目が細まって血走ると、全身を覆う魔力が爆発的に増え、狂ったように暴れながら大きな大きな咆哮を挙げたのである。

 その後の行動も滅茶苦茶だ。

 全身を怒らせ理解不能な動きをしながらエルに突っ込んできたのだ。

 だが、暴力的なまでに過剰な魔力で全身を強化した竜の動きはあまりにも速い。首を振ったり翼をばたつかせたりと、余計な行動をしつつも一際抜きん出た速さでエルとの距離を無にすると、暴走としか言いようの無い理解し難き激しい攻撃を繰り出してきたのである。

 それは、先ほどまでの攻撃を鋭利な刃とすると、今は鈍器で殴るかの様な攻撃であった。

 牙ではなく首、翼も先端の刃部分ではなく、攻撃面積の広い翼膜部分で文字通り殴り付ける様な攻撃を仕掛けてきたのだ。しかも、ただエルに攻撃が当たればいいと思っているのか、体の動きやセオリーを度外視し、威力が弱くとも当てる事に重点を置いた、点ではなく面の攻撃を繰り出してきたのである。

 エルにしても今までと全く違う、避け辛く速さだけはある攻撃を全て躱しきる事は不可能であった。

 思わず正気を疑いたくなる竜の連続の首振りを、幾度か運よく回避しても終には捕まってしまい、ならばとばかりに全身に気の鎧を纏いあえて前進しながら受ける事で、少しでも威力を殺して受け止めたのだった。

 だが、その直ぐ後に至近距離で大きく広げた翼によって叩かれ、その場に止まる事はできず後方に大きくふっ飛ばされてしまう。

 宙を舞いなんとか着地した頃には、狂ってるとしか思えない動きで距離を詰められまた暴走に巻き込まれてしまう。大きな痛手こそ受けてはいないが、何度も竜の攻撃を受け止めさせられば軽傷も増えてくるし、体力がごっそり削られていった。

 これを続けられれば、種族差によって只でさえ分の悪いエルの体力が早々に費える可能性がある。そんな時に正気に戻られれば、絶体絶命である。

 とにかくこのまま敵の攻撃を防御し続ける状況は、非常に拙かった。

 何とか窮地を逃れようと手弄っていると、更なる危機が訪れた。

 なんと、高速の首振りの後に下から上に打ち上げる様な蹴りを放ってきたのである!!

 竜が蹴り?

 思考にノイズが混じったかの様に、暴走した真竜の突拍子のない攻撃に脳が僅かの間考える事を拒否してしまう。

 そのほんの微小な時間が命取りであった。

 もはや回避も適わず、硬質化した気の鎧で覆った両腕を交差させるように受けると体を宙に浮かされてしまう。

 更に竜の体はそこで止まらず足が上に向うと、自身の超重量を脅威的な脚力でもって縦方向に宙を1回転させたのだ!!

 足の次に迫るのは尻尾である。

 先端部分がモーニングスターの様な太まり無数の突起の付いた尾が、遠心力も相まり恐ろしい威力でエルの防御を突き破り天高く打ち上げたのである。

 しかも毒のおまけつきだ。

 交差した腕に付いていた猛虎の籠手を打ち砕き突起物がエルの腕に刺さると、毒を流し込んだのである。もっとも強烈な勢いで高々と打ち上げられたエルは、その衝撃によって両腕の骨を砕かれ、毒を感じる所では無かったのが不幸中の幸いであったが……。

 宙を見事に1回転した竜は翼をはためかせると、大きく口を開け空を飛び空中で身動きの取れない小さな少年に追撃を掛けた。今だ目は血走っているが、先程の狂態はどこにいったのかという恐るべき連撃である。おそらく激情も少しずつ冷め、普段の狩人のごとき冷徹さを取り戻しつつあるのだろう。

 だがこのタイミングでは、エルにとっては最悪の事態だ。

 あの飛翔して急接近する顎門に挟まれれば、万事休すなのである。

 迫りくる巨大な口に対し、エルは痛む体に鞭を打ち足掻く。大空に向かって折れた左手を掲げ、全力で気を放ち落下速度を加速させたのだ。

 その甲斐あって、なんとか胴や頭を食れずに済んだが、掲げた左手は今度は肩付近から無残に咬み千切られてしまったのである。

 興奮状態であったためか痛みは思ったほどではないが、受け身も取れず地に叩き付けられ喪った肩傍から噴水の如く出血した。墜落した衝撃で一瞬呼吸も止まり意識も飛びそうになる。

 なんとか呼吸を繰り返し大地を真紅に染めながら、弱々しく立ち上がろうとしていたエルの目に飛び込んできたのは、再度大きな口を開けて獲物を捕らえんと一直線に空を掛けえくる禍々しき餓竜スタービングドラゴンの姿であった。

 体が震えながらもなんとか立ち上がろうと悪戦苦闘している状況で、とてもあの竜の牙を避ける余力などありはしなかった。それに、今も大量に流れ落ちる血によって段々と意識は遠退きつつあり、目も霞んできている。まさに被害甚大、万事休すといった絶望的な状況だ。

 竜の顎門という、自分の死がもう直ぐ其処まで迫っている事をエルは朦朧とする意識の中、何故かはっきりと自覚できた。

 本来なら高速で飛来しているはずの竜が、ずいぶんと遅く感じる。

 景色が世界が緩やかに流れる中、過ぎ去りし過去の記憶が次々とエルの脳裏に浮かんできた。


 大志を抱き、始めて迷宮都市アドリウムを訪れた日のこと。

 義兄であるライネルや、頼もしい兄貴分や姉貴分達との出会い。

 師のアルド神官との過ごした、辛くも楽しい修行の時間。

 そして親友のリリやその家族と過ごした、騒がしくも心温まる賑やかな日々。

 

 どれもこれも大切な思い出だ。できるならそんな温かな日々を、これからも仲間達と過ごしたかった。

 だが、現実は残酷だ。特に冒険者稼の命は紙の様に薄い、弱肉強食の非情な世界に身を置かねばならない。弱ければ死ぬ、それだけである。

 自分はこの竜より弱かった。ただそれだけなのだ。

 あの牙がこの身に届けば、自分の死は確実なものになるだろう。

 諦念にも似た思いがエルの頭を占有し、抵抗する気力を削いでいった。

 自分の死がもはや確定事項に思えてならなかったのだ。

 甚大な痛みを訴える身体を、そして重い瞼が落ちそうになるのをなんとか耐えつつ、自分の死が到来するのを傍観者のように見つめる事しかできなかった。

 ただ、心残りもある。武運拙く力尽き、リリに約束したマリナへの薬の材料を届けられなかったのが、返す返すも無念であった。

 エルがここで果てるという事は、すなわちマリナも助からないという事である。気絶しそうなエルには、謝罪の言葉しか思い浮かばなかった。


「すまないっ、リリ。そして、シャーバさんにマリナさん。約束を守れそうにもない弱い僕を、どうか許してください……」

  

 そんな弱々しい言葉を吐いたエルは、もはや死に体も同然であった。立っているのが精一杯で、今しも倒れそうである。

 真竜の牙ももう直ぐ傍まで来ていた。エルに到達するのも、後ほんの数瞬といった所だ。その時間が経てば、自分の生の終わりである。 

 エルは自らの敗北を受け入れるかのように、静かに目を閉じかけた。

 そんなエルの脳裏に悲しみに暮れる少女の姿が、髪を振り乱し泣き叫ぶリリの姿が、突如閃光の様に浮かび上がってきたのである。

 安らかな死を甘受しようとしていたエルにとって、それはひどく不愉快で心乱される光景であった。

 大好きなリリが、太陽の様に光り輝く笑顔が似合うリリが半狂乱になって嘆く様は、失神しそうな最中に会ってもなおエルの心を掻き乱した。

 心中で必死に宥めようとするも、空想のリリは泣くばかりだ。

 悲嘆し顔を歪めるリリの姿と号泣する少女特有の甲高い声の幻聴が、エルを揺さぶり意識を急速に覚醒させていった。

 そうなると、次第に怒りが込み上げてくる。


 リリ、何がそんなに悲しいんだい?

 何が、いやっ、誰がきみをそんな顔させたんだ?

 誰だ?

 誰がリリを悲しませる?


 起き上がり小刻みに震えるエルの目に映るのは、唯1つしかない。

 今しも自分を噛む砕かんと迫る凶暴なる悪竜である。


 あいつか?

 あの竜のせいで、君は泣いているんだね?

 あの竜の素材がマリナさんの薬に必要なんだものね。

 それとも、約束を破りそうな僕のことを非難しているのかい?

 ごめん、リリ。

 諦めかけていた僕を許してくれ。

 もう大丈夫だ。

 必ず薬の材料を持ち帰ってみせるから。

 そうすれば、いつもの可愛い笑顔を見せてくれるかい?

 だから、だからっ


「僕の邪魔をするなああああああっ!!」


 それはまさに魂の咆哮。

 死に瀕する中で眩いばかりに光を放つ、命の輝きであった。

 高速で飛来する竜に対し、痛む身体を無理やり気と意志の力で動かし、ありったけの気を籠めた右脚の上段回し蹴りで迎え撃ったのだった。


 交錯は一瞬であった。

 エルの全力の気と悪竜が衝突し大爆発が起きた。エルは斬り揉みして吹っ飛ばされ、竜も遥か彼方に墜落したようだ。

 死神の冥界への招きを身魂をもって退けたのである。

 ただし、その代償も大きかった。何とか空中で姿勢を整え着地したエルの右足は脹脛部分から喪失した痛ましい姿になっていたのである。極悪なる竜の牙を逃れた対価に失ったのだ。

 だが、この事態も今までの激しい闘いから想像できる範疇である。片手片足という不格好な状態で直立し、器用に腰の魔法の小袋(マジックポーチ)を弄ると最高級回復薬を取り出し一息で飲み下した。

 一方の竜も、エルの捨て身の反撃を受けたお蔭で大分消耗しているらしく、暴走状態では全身隈なく溢れんばかりに纏っていた紫の魔力を大分消耗している。墜落した痛みで激昂し、空気を震撼させる大きな雄叫びを上げているが、少年からは大分距離を離れているし、少量であるが紅い血が鱗の隙間から流れ出ていた。

 そう、エルの攻撃がついに真竜の身を傷つけたのだ。

 竜の動向を見逃すまいと熟視しつつ、噛み千切られた腕と脚が再生しその他の大小様々な傷が癒えてくると、右腕の毒の痛みを今さらながらに思い出した。

 既に一部が変色し動かすと痛みが走る。

 咆哮を発しながら迫り来るヴォリクスを横目に、急いで回復薬の瓶を投げ捨てると毒消し薬を取り出し呷った。

 そして、こちらも負けじと竜に向けって駆け出した。


 駆け寄りながら餓竜スタービングドラゴンは口を開け、火炎球を幾つも幾つも放ってくる。

 しかしリリのお蔭で死地を辛くも脱したエルは、怒りと決意で心を魂を燃え上がらせ、冴えに冴え渡っていた。

 超高速移動術、風迅で大量の火球を稲妻のごとくジグザグに避けながら前進し、さらに迎え撃つ竜の顎門さへも紙一重で回避すると、懐深く潜り込み嵐の様な連打を浴びせたのである。

 これにはさしもの真竜も悲鳴を上げた。魔力が弱まってきた真竜に攻撃がついに通りだしたのだ。相変わらず堅牢な竜鱗の護りは健在であるが、拳や肘、足や膝と五体を凶器と化したエルの烈火の攻めに綻び始めたのだ。

 しかし、ヴォリクスとて負けてはいない。

 真竜として、そして悪名を轟かせる名持ちの竜にふさわしく暴虐の嵐で迎え撃ったのである。その牙が、尾が、刃の翼が振るわれる度にエルの真っ赤な血が飛び散ったのだ。

 だが、エルは止まらない。

 躱しきれず身を切られ出血を強いられようと、はたまた遠くに吹き飛ばされようと、直ぐ様立て直し果敢に飛び掛かったのである。

 その様相は血濡れの修羅さながらである。

 荒れ狂う真竜、そして小さな赤き修羅。

 1人と1頭の闘いは、一進一退の激しい攻防を見せ始めたのだった。


 その後も熾烈な闘いは続いた。

 胸を引き裂かれ防具としての役目を果していない道着を血で染めた少年は、竜の猛攻を最小限の被害で留めながら、まるで無尽蔵の体力でも持つかの様に拳を振るい続けた。 

 終には竜が悲鳴を上げて後退するほどの、激烈な攻めである。

 はたして人は、打撲や切り傷など様々な傷を負いながらも、そんな動きは可能なのであろうか?

 答えは否だ。

 だが、エルにはできた。いやっ、できるといった方が正しいだろう。

 エルの戦闘をよくよく観察すれば、その理由を直ぐに把握できる。

 なんとエルは攻撃を続けるうちに、竜から受けた傷をみるみる回復させてしまっているではないか!!

 如何なる神技がそのような事を可能にするのか?

 そう、神の御業外気修練法である。この御業の本来の使い方は、立ち止まり深呼吸をする体勢で己の周囲に存在する力を取り込むものであるが、あろうことかエルは高速で動く最中に外気修練法を発動し、自身の傷と気力を回復させていたのである。

 本当ならこんな事は不可能だ。

 神から授かった御業を改変することはできない。できはしないというより、限りなく難しいと言った方が語弊がないだろう。

 それは御業を享受する際に、その使い方をまるで何千何万回と繰り返し修練したかの様に心身にすり込まれ、初めて使っても最適な動作を取る事が可能になるからである。つまり心と身体が神の御業の確固たる型を覚えてしまうのだ。それを変えるのは並大抵のことではない。むしろできない方が当たり前なのだ。

 では、どうしてエルは不可能を可能にできたのか。

 まず第一に師の言葉である。今まで習った武神流の技は基礎であり自分に合った形に改良できると言っていたのを、神の御業にも適応できると勘違いしたのだ。無知ゆえの行いであるが、時として知らないからこそ思いの寄らない事を起こせるのもまた事実である。

 そして第二に、この試みに近い事を強敵との闘いの間で行ってきた事が挙げられる。傷を負い攻撃を逃れ遠退いたり、回り込んだりする際に僅かな時間立ち止まり外気修練法を行っていたのだ。加えて、立ち止まらなければならないのが不便でどうにかどうにか改良できないかと、戦闘後も試行錯誤を繰り返していたのである。

 強烈な思い込みと努力、その二つと改良が必要となる場、できなけば敗北するであろう窮境がエルを追い詰め進化を促し、奇跡を起こさせたのである。


 それゆえの今、真竜を負傷させ後退させる事ができたのだ。

 だがそこまでしてもなお、ヴォリクスの壁は厚かった。

 毒を受けた右腕は肩付近までどす黒く変色しており、回復しても痛みは治まらず、動きに支障が出ている段階に達していたのである。先ほど飲み込んだ毒消し薬程度では進行を遅らせるのが精一杯で、解毒できなかったのだ。

 このままの闘いが続いていれば竜の右膝を砕く事ができるだろう。そうなれば勝ったも同然だが、その前に全身に毒が回る可能性も否めない。

 竜の膝を壊すかのが先か、毒が回るの先かの勝負、そんな選択肢もあり得たがエルはそれを良しとはしなかった。

 リリとの約束を守る為、そして笑顔を取り戻すためにはそんな分の悪い賭けに出るわけにはいかなかったのだ。博打に近くとも、もっと勝率の高い案を取りたかったのだ。

 それに、幾度傷ついても怯み所か嬉々として闘い続ける修羅と化したエルには、大怪我だろうと肉体の欠損だろうと勝つためなら許容できる。そんな常軌を逸した心理状態にまで達していた。


 ああそういえば、あの竜は上手そうに|僕の腕{・・・・・・}を食べていたな。魔力の強化を行っているが、内側はどうだろう?

 冒険者の気の強化は、僕の剛体醒覚みたいな特殊技を除けば外部からの強化だけだ。そうならあの竜の内側は外に比べて大分脆いだろう。

 二度も食べられたんだ、最高級回復薬もあと何個かあることだし、もう一、二回食べられても構わない。

 勝利をくれるなら喜んで差し出すよ。


 問題は噛み千切った腕を竜はどうするかだが、一度目は見せびらかす様に咀嚼したから飲み込み、二度目はそこらに手が落ちていないので食べたのだろう。

 そうであるならば、今度も食べる可能性が高い。

 エルはニヤリと笑った。

 この賭けが吉とでるか凶と出るか、さあっ


「勝負だ!!」  

  

 大声を上げるや否や、竜に向かってまっしぐらに疾駆した。

 迎え撃つ餓竜スタービングドラゴンは、竜の息吹、放射状に延びる大火炎で応戦してくる。

 これに中れば、賭けに出る以前の問題でその身を焼き尽くされてしまう。

 風迅。

 エルは高速で走り様に足の負担や痛みを無視し、直角に方向転換し難を逃れた。そして、外気修練法で回復しつつ竜に迫る。

 この竜は獣と変わらないが、猛獣であるからこそ本能で危機を察するだろう。

 罠だと見抜かれれば、掛かってはくれまい。慎重に期を見極める必要があるだろう。それまでは今まで通りに闘えばよい。

 駆け寄るエルに迫る大牙を類い稀な集中力で回避すると、竜の懐に潜り込んだ。そして、大量の気を籠めた右拳での武人拳を放ち、返しの左での肘を用いた発剄、短震肘を太い丸太の様な右後足の膝に叩き込む。

 魔力切れも近いせいか防御も弱く、何十回と攻撃された膝は既に負傷しておりひどく傷むのか、悲痛な声を発した。

 更なる追撃をかける前に竜の反撃、巨体を用いた側面からの体当たりを受け、至近距離で防御してもある程度ふっとばされてしまう。

 今度はこちらの番だとばかりに竜がエルに迫る。

 危険な咬み付きを左横に飛び退いて回避すると、ヴォリクスは身体を回転させ刃の翼で斬り付けた。本日何度も嫌という程見た連携である。造作もないとばかりに姿勢を低くして回避しながら突っ込んだ。

 だがその後が違った。常なら潜り込まれた竜は体当たりで、あるいは稀に後足での蹴りでエルを迎撃するのだが、今回は回転が止まらない。体の何処に中ってもかまわないので、その勢いでエルを吹き飛ばそうとしているのだろう。

 事実、エルもどこかは判別できないが竜の体を避けきれず、折角足元に入ったのに距離を少し開けられてしまう。

 しかも、竜の回転は未だ止まらないというおまけつきだ。

 今度は反対側の翼が唸りを上げて空を斬り裂いて迫ってくる。

 ちょうどエルの胴体を両断する位置での斬撃を、エルは後方に大きく体を反らす事でぎりぎり回避に成功した。この状態は普通なら死に体だが、武神流の移動術なら足の裏さえ地に付いてさえいれば気の力で移動が可能である。

 滑歩と疾歩によって移動しようとしたのけ反り状態のエル目掛け、大口が上から降ってきた。

 なるほど、これが竜の狙いだったのだ。初めて見せる連携で体勢を崩した所に必殺の一撃である。獣並の知能の筈なのに実に練り込まれた攻撃である。

 だが、それはエルとしても望む所だ。

 本の一瞬だけ気の移動を遅らせつつ、毒に侵された右腕の内部に莫大な気を練り込んだのだ。竜の顎門が閉じる刹那の間に、右腕を食われる(・・・・・・)という大怪我を受けつつも、不自然な体勢ながら後方に移動してのけたのである。

 さあ、待ちに待った賭けの瞬間だ。

 噛み砕くか、丸呑みにするか、それとも食わずに吐き出すか……。

 噛み千切られた激痛と大量の出血に苛まれながらも、エルは竜の一挙一動を見逃すまいとカッと目を見開き注視した。

 はたして結果は……、悪竜は直ちにエルの右腕を飲み込み追撃をしかけんと、駆け出しかけたのである。

 危険な試みに勝利した瞬間であった!!

 飲み込んだエルの右腕が首を通過する辺りで、渾身の力で貯め込んだ気が大爆発を起こした。真竜には何が起きたのかさえ分からなかっただろうが、エルの気は竜の首や口内を荒れ狂い内部を破壊していった。

 ヴォリクスは理解不能の事態と絶大な痛みによって棒立ちとなり、全身を覆っていた肝心要の魔力が途切れてしまったのだ。


「おおおっ!!」


 エルは吠えた。こんなチャンスは二度とない。

 今こそ竜を倒す無二の機会なのだ。

 片腕を食い千切られたのもなんのその、一瞬で距離を無くすと竜の下顎目掛けて全身全霊の絶技を放ったのである。

 大地を陥没させるほどの踏み込みから放った気で強化された猛武掌。

 あまりの威力に竜の頭どころか体まで浮き上がるほどだ。

 そして気と意志の力を総動員し、発剄の隙をなくして移動を行いさらに発剄につなげた。

 短震肘。

 こちらも肘で下から首を跳ね上げるようにして悪竜の体浮き上がらさせる。

 そして更に踏み込んで肩を用いた体当たりの発剄、纏震靠を叩き込む。

 もはや魔力の鎧もなく気や発剄の衝撃を相殺できないので、エルの放った攻撃は次々に内部に浸透し極大の破壊をもたらしていった。

 しかし、発剄の連続技という初めての試み、そして右腕を喪失した痛みと大量の血液を喪った事で、エルの疲労も極地に達していた。

 これ以上追撃を掛けるのは、肉体的疲労や損傷からいって無理かと思えた。

 だがっ、だが、エルはそれでも諦めなかった。

 まだ最後の技が、残りの気力も力も全てを注ぎ込み竜に放つべき技が残っていたからだ。

 思い浮かべるのは、偉大なる先人が竜を倒したとされる技。

 竜さえ屠る武神流の奥義。

 エルの背中に気が収束し、黒と白の混ざり合った混沌の輝きを放ち出した。


「これでっ、止めだーーー!!!」


 発生と同時の強烈な踏み込みからエルの全身が高速で回転する。

 そして背が竜と相対し今しもぶつかろうとした一寸前、体を捻り回転する最中に後足での震脚と全身の筋肉の締めを行い、全てが合わさり最大となった瞬間に竜の側頭部と衝突した。


 破竜靠


 竜をも破り打ち滅ぼすとされる技が、エルの全霊をもって放たれた瞬間であった。

 すでにエルの発剄の連撃で甚大な損傷を被っているヴォリクスは避ける動作すらできず、悲鳴も上げる間もなく途方もない衝撃によってその巨体ごと跳ね飛ばされたのである。

 轟音。衝撃。真竜は地に落ちて動かない。

 エルは倒れ込みそうになる体を必死に堪え、倒せなかった時を考えて最高級回復薬と外気修練法によって、右腕を再生させ心身を癒しつつ竜を見つめ続けた。

 やがて竜は力なく首をもたげると弱々しく一声啼き、目や口、耳などから大量の血を噴出させると地に伏し、二度と動かなくなった。

 その様子を見ても目の前のできごとが俄かに信じられず、エルはしばらく動けずにいた。

 その後、いくら時間が過ぎても一向に動かない竜の姿に、ようやくにして勝利を確信したのであった。


「勝った!?そうだ、僕は勝ったんだ!!やったー、やったぞーー!!」


 年相応の仕草で歓声を上げ、恥も外聞もなくはしゃぎまくった。この3日間の試練を乗り越え、使命を果たした瞬間である。

 他人の命や親友の家族の未来が掛かっていたのだ。エルの未熟な双肩に圧し掛かった重圧は想像を絶する。目的を達成し、ようやくその重圧から解放されたのである。この大はしゃぎぶりはむしろ当然の行為だろう。

 そんなエルを祝福するかのようにヴォリクスは魔素に還元されると、落し物(ドロップ)が現れる。

 まるで今でも生きてるかのように新鮮な内臓、餓竜スタービングドラゴンのキモである。

 大切そうに清潔な布で包むと、直ぐに魔法の小袋(マジックポーチ)に仕舞い込んだ。後はこれをドウェル医師に届ければ任務完了である。

 その場を立ち去ろうとしたエルに、またしても虚空から落し物(ドロップ)が現れた。

 それは真っ赤なの炎を連想させと共に、見る者を震撼させる様な雄大さを兼ね備えた美しい深紅の武道着であった。神様の贈り物(フォーチュンギフト)に違いない。

 神々が先ほどの激戦を見ていて、道着を壊されたエルへの褒美として授けてくれたのだろうか?あるいは、武神シルバが試練を達成した褒美として授けてくれたのだろうか?

 真実は定かではないが、真竜との死闘に対する神々からの恩賞ならばエルとしても嬉しい。そう思う事にして頂戴することにした。

 あちこち斬り裂かれた猛虎の道着をしまうと、深紅の道着に身を包んだ。まるでエル専用とでもいうかのように設えてあり、体を動かしても何ら支障がない。素材は何でできているか分からないが後で誰かに聞てみようと考えながら、最後の務めとばかりに疲労困憊の体を動かして40階層に転移し、迷宮都市アドリウムに帰還するのであった。


 その後は、まず迷宮の入り口を護る馴染みの守衛に事情を説明し、後日受付(カウンター)に向かう旨を伝えると一路リリ達の待つ金の雄羊亭に急いだ。

 エル自身戦闘に没頭するあまり気付くのが遅れたが、時は既に夕暮れ刻であった。3日目、マリナを治療できる最終日の夜半近いのだ。

 皆ヤキモキしながらエルの帰りを待っているに違いない。少しでも早く材料を届け安心させてやらねばなるまいと最後の力を振り絞って駆け続けた。

 息せき切って大通りを疾走し宿に飛び込み、マリナの居る寝室に慌ただしく駆け込んだ。中にはリリにシェーバ、そしてドウェル医師の3人が沈痛そうな顔で待っていたが、エルの顔を見るや途端に笑顔になった。


「エルっ、無事帰ってこれたのね!!それで、その……」

「リリ、大丈夫だよ。安心して。ちゃんとレアモンスターを倒して薬の材料を取って来たから。ドウェル先生、これでいいんですよね?」


 ポーチから布に包んだ竜のキモを取り出すと開いて見せる。


「それだっ、間違いない!!これでマリナさんは助かるぞ。早速、薬を調合しよう」

「よかった。それじゃあよろしくお願いします」


 ほっと安心した顔で薬を渡すと、今までの無理がたたったのかどっと疲れが出て、今にも気を失いそうだ。そんなエルにリリやシェーバが口々に礼を述べてくる。


「エル。お前には感謝してもし足りないくらいだ。ありがとう、これでマリナを助けられる」

「ありがとう、エル。私達のためにこんなに頑張ってくれて。本当にありがとう。嬉しくてまた泣いちゃいそう……。エルっ!?ねえ、エルどうしたの?」

「あっ、ああごめん。安心したら眠くなっちゃってね。ちょっと休ませて……」

「エルッ!?」


 言葉の途中で力尽き、少女の慌てた声を聞きながら横倒しに倒れ、エルは意識を失った。

 だがその顔はやり遂げた喜びと達成感に包まれ、それはそれは幸せなそうな笑顔であった。

  





 


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