第63話
さて、いつレアモンスターに出会ってもいいように、こちらの準備も万端にしておかねばならない。まずは朝食だ。
といっても、残念ながら昨日と内容は何ら変わらない。固い保存食のパンに魔道具から生成される水、そして亜竜の肉である。この中で魔素を含み味も格別なのは肉だけである。ただ肉だけではバランスが悪いので、事務的にでもパンも口に入れる。時間に余裕があったなら魔法の小袋もあることだし、野菜や果物も持って来たかった所だが、所詮は無いものねだりである。
棘豹竜の肉を塩胡椒で味付けし半生に近い状態に焼き上げると、勢い良くかぶり付いた。落し物として迷宮から得られる食べ物は須らく良好な状態で出現する。傷んだり腐ったりするものなど存在しないのだ。迷宮外で亜竜や魔物を倒したなら、損傷具合や病気や、はては寄生虫の有無などを確認しなければいけないというのに、実に便利なことだ。
此処、神々の迷宮ではそんなどこか現実離れした現象でさえその目で直に見られるが、他の迷宮では敵の死体はそのままだったり、あるいは敵の所持品のみが残るなど様々だ。
まあこちらに不都合はないし利点だらけなので、不満など言ったら罰が当たるというものである。取り留めのない考えを中断し、簡素な調理でも極上の味を堪能させてくれる美味な食材に集中することにする。ただしこの後の戦闘を考慮して腹八分程度に抑え、万全の状態で敵に挑めるように心掛けるのだった。
朝食を済ませれば神の試練の続き、守護者との連戦である。
昨日は深夜を過ぎても闘いを止めず明け方近くまで闘った事もあり、1日で実に70体もの守護者を倒したのだ。初日の20体と合わせれば90体もの守護者を討伐したことになる。初日は登山に時間を取られ火口に到着できたのが昼過ぎだった事、まだ守護者や夜戦に慣れておらず余計な時間が掛かった事が討伐数に表れた形だ。
だが、2日目になれば早朝から戦闘を開始できたし、敵の攻撃方法や弱点、あるいは有効な反撃の仕方も把握できたので戦闘時間の短縮につながったというわけである。昼辺りからちらほら冒険者達が火口に訪れたが、善良な者が大半でほとんどが交渉で終わり、時間のロスも最小限で済んだのも大きい。そのおかげもあっての2日目の討伐数である。
そして3日目である。
すでに東の空に太陽が顔を出しているので、視界が悪いということはない。まあ昏くとも目をあまり使わない戦闘に慣れてきた事だし、もう少しで日中とそう変わらない速度で殲滅できるかという所まで感覚も掴めてきていた。
しかも最終日という事もあり、もう後がないという事実がエルの心を引き締め高揚させていた。リリの大人になった姿を彷彿させる、優しい笑顔でいつも宿を送り出してくれたマリナを助けるため、そして親友のリリのためにエルは燃えに燃えていたのだ。
そんなエルが、独自の攻略法を確立した敵に負けることなどありはしない。
守護者が魔方陣から出現するや否や、一瞬で距離を詰めると致命的な連撃を仕掛けたのである。どの守護者であろうと変わらない。
全て戦闘経験済みであり、頭だけでなく身体で敵の動きを覚えたので、意識せずとも勝手に最良の反撃を繰り出している、そんな状態にまで上り詰めていたのである。加えて守護者を百体近くも倒しエルの心身が成長した事が、討伐速度に拍車を掛けていた。
もはやこうなると、守護者の方がいっそ憐れに思えてくる。無慈悲な殺戮機械と化したエルの攻防一体の攻撃によって、抗う術も無く1体また1体と出現する端から屠られていったのだ。
実力が伯仲していたならまだ闘いと呼べるものになったろうが、一撃も中てる事叶わずただエルに滅ぼされる様は、もはや虐殺劇といっても過言ではなかった。
エルも本来なら、ここまで実力差が開いたら更なる強者を求めて下層に向かうのだが、今回はそういうわけにはいかない。指定された回数守護者を倒さねば、神の試練を達成できないからだ。
その回数がわからないのだから、手心を加える事などできるはずもない。試練を達成できなければ、大切な人を助ける事ができない。余裕などどこにもないのだ。
ただ最速最短で倒す事を心掛け、鍛え上げた力と技をもって一方的な殺戮を繰り広げるのだった。
あっさりと100体の討伐を成し遂げたが、レアモンスターは現れなかった。
朝方という事もあって、まだそこまで焦りを覚えずにすんだ。
だがしかし、110、120体と倒した守護者の数が増え時間が経つにしたがって、エルの小さな体に次第に焦燥と苛立ちが募り、終いには目に見えた形で悪態まで付くようになってしまった。
「一体、何体倒したら試練は終わるんだ?」
つい声に出してしまうほど、エルは苛々を隠せない状態になっていたのである。
魔物を倒し心身が成長したおかげで、あまり時間も経過しておらずまだ昼前だ。陽も南に差し掛かった頃で真南までまだかなりの時間があるが、ゴールが見えない焦りから声を荒げてしてしまったのだ。
このままでは駄目だと頭を振り、エルは深呼吸を繰り返し心を鎮めようと努めた。
自分が自棄になってどうするのだと。
自分しかマリナを助けられないのだから、ここで焦れて自滅するのかと。
リリに誓った言葉を嘘にする積りかと。
あせり逸る心を叱咤激励し何度も呼吸をする事で、いきって熱を帯びた体を冷まし、なんとか落ち着かせる事に成功した。
首を振り呼吸をすることで、視野狭窄に陥っていた頭も次第にクリアになる。
そうだ、愚痴を吐き余裕がないと切羽詰まって行動すれば、失敗も増え余計に貴重な時間を無駄にするだけじゃないか。
マリナさんを助けようと無茶すればするほど、失敗する確率は高くなるんだ。
こういう時こそ冷静になれ。
自分が今やるべき事を、守護者を倒す事に全霊を傾けるんだ!!
自分の為すべきことを為せ。他の事は終わってから考えろ。
自己暗示の様に何度も強く自分に言い聞かせると、エルの顔は一変した。
焦燥は消え、ただ1つの事に邁進する男の顔になったのである。
そこから先は、エルは自分のやるべき事を為したに過ぎない。
守護者の討滅に身魂を投げ打ち、無心で敵を屠り続けた。
もはや無我の境地といっても差し支えない状態で、ただただ敵を倒し続けたのである。
一体どれくらいの時間が過ぎたのか、どれほどの数の敵を屠ったのかさえわからない。
ただ夢中で攻撃を繰り出し続けた。
何度も何度も何度もだ。
どれほど強力な守護者であろうと打ち倒し続けた。
倒したら一度41階層に転移し、再び40階層に戻ってくる。
そしてまた守護者と闘う。
そんなルーチンワークを何の感慨も懐かず、只管繰り返した。
太陽が中天を過ぎ西に傾き始めた頃、ようやくエルの行為が、そしてこの3日間の尽力が実りを迎えた。
そう、神の試練を突破しついに倒すべき最後の敵、67階層のレアモンスターが
その姿を現したのである!!
転移陣より出現したのは、他の巨大な守護者達に比べれは小さな竜であった。小さいといっても後足で立ち上がる姿はエルのゆうに3倍はあるだろう。単に40階層の守護者が巨人や巨獣や巨鳥といった、魔物達の中でも巨大な部類に入るものばかりであり、この竜も人間と比較すればもちろんのこと、食人大鬼などよりも大きいのである。ただ大き過ぎというわけではなく、想像でしかないが力と速度のバランスの取れた戦闘に適した体躯をしているようだ。
また、紫色の毒々しい竜鱗に全身包まれ、しなやかで太く長い尻尾の先端部分はやや太まり、棘のような突起物が無数についている。毒をもっている事を前提に対処した方がいいだろう。前肢は飛行に特化しているようで、突き出された鋭利な鉤爪以外の指の間には薄く半透明な皮膜の付いた翼になっている。
餓竜はその細い縦長の竜眼でエルを視認しているはずなのに、路傍の石しかないといわんばかりに無視して翼をはためかせている。なんとも憎らしいまでに泰然自若とした態度である。
翼開長は非常に長い。その巨体を支え空を飛ぼうというのだ。両翼を広げれば人間十数人が簡単に納まる程度の大きさを有している。
エルを無視した行動はさらに続く。その大翼を広げたと思ったら、翼と首の付け根の部分にわずかに存在している、白い竜毛の毛繕いまで始めてしまったではないか!!
なんとも尊大で傲慢な態度である。
いいや、そうではない。この真なる竜はエルを、小さな人間である自分を敵と見做しておらず、何ら脅威を覚えていないのだ。だからこそ、あきれる程の傲岸不遜な態度を崩さないのだ。
敵とすら認識しないどころか、少年の存在自体知らぬとばかりにグルーミングを続ける姿が、エルの心をいたく傷付け発憤させた。
その増上慢な態度を後悔させてやると、つい怒りに任せて無警戒に踏み込んでしまう。その行為が戦場でどれほど不用意で愚かであるか考えもせずに……。
「えっ?」
たった一歩、怒りに任せて無造作に踏み出したエルを待っていたものは、強大な牙による極悪な洗礼であった。
竜の巨体がいつの間にこれほど早く動いたのかと、エルの理解が及ばぬ内に至近距離まで一気に迫られ、人間など簡単に丸呑みにできそうな大きなな顎門がエルを捕らえんとしていた。
咄嗟のエルにできたのは、ただ真横に全力で転がる様にして飛び退く事だけだった。高速で口を閉じ突進してきた勢いのままに竜が通り過ぎていった。
ほっと安心するのも束の間あり得ない激痛が起こった。わけもわからず茫然と痛みの箇所を探したエルの瞳に映ったのは、武道着ごと食い千切られ大量の血が流れ出ている、肘から先のない左腕であった。
「あああああっ!!」
絶叫が口から迸る。鋭利な刃物で斬られた傷とはまた違う、力で無理矢理引き裂かれた腕は断面も不揃いで酷く傷む。滴り落ち地面を血が紅く染める度に、痛みが増大し張り裂けんばかりに声を上げた。
油断した。ああ油断した。
シルバ様がおっしゃっていた通り、こちらの勝率は1割にも満たない強敵だと事前に分かっていたのに、敵の態度に怒りを覚え不用意に踏み込んだ。
何をやっている?
それが挑戦者のすべき態度か?
僕は馬鹿か!!最初から勝利を捨てているようなもんじゃないか!!
ぎりぎりと歯を悔い走り、だくだくと血を流す左腕を痛い程握りしめ竜を睨み付けた。
一方の真竜はというと、こちらをふり返り見せつけるかのようにエルの左腕を口から少しはみ出させながら、咀嚼しているではないか。
攻撃する素振りを一切見せず、挑発しながらエルの腕を噛み砕く姿には愉悦と侮蔑の表情が浮かんでいた。
まるで入手した獲物の味を確かめるように。
まるでわざわざ狩った獲物の弱さに失望したかのように。
人間と変わらない様な表情の豊さである。
だが、攻撃しないというのであれば有り難い。エルは魔法の小袋から数少ない高価な最高級回復薬を取り出すと、一気に飲み下した。
すると立ち所に出血は治まり、左腕の再生が始まった。
喪ったものが生えてくる。あの悍ましき魔神との遭遇戦以来の久しく体験していなかった感覚であるが、痛みは無いがむず痒いというか、何とも摩訶不思議な感触である。
エルの腕を噛潰しながら横目でこちらを見ていた竜は、面白い玩具でも見つけたかのように目を細めてほくそ笑んだ。きっとまだ遊べるとでも思っているに違いない。
武道着と籠手ごと持って行かれた左腕は再生した肘からさきはまる裸である。
喪失した左手の感覚を確かめようにして動かす事で、遅まきながら少年はようやく今自分が闘っているものが何なのか理解し始めた。
真なる竜。
それは天災が形を取った恐るべき破壊の具現者。強さも種族と齢で様々であるが、最弱と目されるものでさえ大軍で対処せねばならず、場合によっては国の存亡にも係わる事態に発展する事もあるほどの、凶悪なる力を自由奔放に行使する破壊者こそが真なる竜という存在だ。
餓竜。
真なる竜では下位に分類され、知能も低く言語を解さず独自の魔法などは使えない、本能のままに気ままに食らい力を振るう竜である。
その性格は狂猛であり、まさに血に餓えた獣そのものである。目に付いた生物は片っ端から襲い掛かる非常に好戦的な竜である。加えて食欲のためではなく、己の闘争心を満足させるためだけのために闘い殺す酷薄な習癖を持ち合わせている。
この竜に出会ったならば、自分達が生き残るかはたまた竜が生きるかどどちらかしかあり得ないのだ。
逃げるなど論外だ。視界に入った生物の存在を、この竜は須らく認めないからだ。竜の脅威的なスタミナとエルでさえ瞠目した迅さでもって執拗に追い縋り、闘いを余儀なくされるのだ。2者共存など夢の又夢。己以外の生者を容認しない竜の前では、己の全存在を賭け弱肉強食の生存闘争を行うしかないのである。
しかもエルにとっては不運な事に、この竜にはヴォリクスという名まである、名持ちの竜なのである。
極めて残虐性が高く数多の冒険者達を血祭りに上げてきた暴虐の主が、この目の前の竜なのだ。その強さは当然ながら通常の餓竜よりも格段に上である。
武神シルバがエルの勝ち目が限りなく低いと評したのも、極めて正当なものなのなのだ。
だからといって、今さら尻尾を撒いて逃げ出すわけにはいかない。
この1戦はエル自身の命が掛かっているというだけでなく、大切な人の命と多くの人の未来を左右する1大事なのである。
勝率が低い?それがどうした?
零と言われたわけでもないし、10に1つ勝てるならその1つを今手繰り寄せればいいだけなのだ!!
出し惜しみ無しだ。最初から全力である。
剛体醒覚
神の御業によって細胞の隅々まで気を行き渡らせ強化すると共に、眠っている力を引き出す秘儀を行使すると、エルはしっかりと竜を見据え疾駆した。
駆け出した少年に呼応するかのように呆けた風を装っていた竜も走り出した。そして巨大な口を開きエルを噛み砕かんと首を突き出してくる。
速い。圧倒的な速さだ。
今迄闘ったのどの敵よりも俊敏で凶悪な攻撃である。さっきはこの噛み付きと竜のあまりに速い突進に反応が理解が及ばず、反応できなかったのだ。
だが、今は違う。
冷静になりしっかり見極めればなんとか躱せないことはない。
エルは走る足に無理やり急制動を掛けると左に大きく横っ飛びして、大きな顎門を回避した。そのまま側面から接近しようと試みたが、なんと餓竜は強靭な後足で一瞬で立ち止まり方向転換して見せたのだ!!
人間の数倍以上もある巨体を軽々と操るその異常なまでの身体能力には、まさに脅威であった。魔神を除けば、エルが出会った中で最強の敵は文句なしにこの竜である事は間違いない。
旋回する勢いのまま鎌首を横降りして、エルをその極悪な牙で捕らえようとしてくる。先程エルの防御をものともせず防具ごと噛み千切られた事を考えれば、下手に受ける事はできず躱すしか方法はないだろう。
それに、速さにかけてはエルも自信を持っている。
この竜は確かに速い。速過ぎるぐらいだが、だがそれでも自分の方がもっと速い!!
何万何千もの闘争と修練によって築き上げられた思いと自負が、エルの身体をつき動かしたのである。
風迅
未だ修得は不完全であり、体の負担の大きい気を用いた超高速移動術によって、竜の牙を低空に潜るようにして躱しながら懐に潜り込んだのである。
胴体の下まではいればこちらのものだ。入り込むや否や至る所に拳を叩き付け、股座を高速で駆け抜けたのである。しかもただ拳で叩いたわけではない。一撃一撃が竜に触れると同時に気を送り込み内部破壊を目論んだのだ。
無数の拳から気を送り込み敵の内部を破壊する荒技、徹気連破衝を放ったのである。
いかな名工の鍛えし鎧よりも堅固な鱗に覆われていても、内部はそうではない。エルの気を受ければ立ち所に内から爆ぜ、竜といえどもただでは済まない。
いやっ、当たり所によっては重傷を負うの事だってあり得る。
あり得るはずだった。
何時もだったらとっくに内部から爆発が起こるはずなのに、一向に起きずその兆候すら見られない。
それ所か、何ら問題ないとばかりに再びエルに突進してくる始末である。
今まで幾多の敵を葬ってきた絶大の信頼を置いた得意技、徹気拳が破られた瞬間であった。
信じ難い、理解したくない現象を目の当たりにしてエルは茫然自失の体となり、わずかばかり身体が硬直し反応が遅れてしまう。
そんな隙を見逃す餓竜ではない。
あっという間にエルとの距離を無にし、巨大な口を開け襲い掛かってきたのである。
何とか横に飛び退り牙を逃れるのも束の間、ヴォリクスは休む間も与えず苛烈な連撃を仕掛けてきた。
巨体を生かした体当たりに、連続の咬み付きからの長大な尻尾の尾撃など、素早く多彩な攻撃を繰り出したのである。
もちろん全てを躱すのは不可能だ。エルにできたのは被害を最小限に抑えるように尽力することだけであった。
竜の顎門は何としても避けるか、顏の横っ面を気を籠めた牙受けで叩き少しでも向きを変えてやり過ごした。また、尻尾については先端の無数の突起物の付いた、毒針と思わしき場所だけには中るわけにはいかないので、踏み込んで先端以外の部分を受け止めるか、尻尾の範囲より高速で離脱して事無きを得た。
だが、至近距離での体当たりは完全に回避するのも防御するのも不可能だった。有り余る巨体を生かした体当たりは、エルをもってしても飛び退る余裕などなく竜の体の何処かしかとぶつかる事になったのである。できる限り避けながら気の鎧、纏鎧で身を護るが圧倒的な体重差とスピードによって跳ね飛ばせてしまう。地面に叩き付けられ急いで飛び起きて体勢を整える頃には、竜は眼前に迫っている状態であり、苛烈な攻撃をなんとか防御し、あるいは避けながら隙を探し反撃の機会を虎視眈々と狙うのであった。
巨大な牙を側面に回り込みながらエルが避けると、ヴォリクスは突如体を回転させた。また横からの尻尾の一撃かと考えたが、すぐに間違いだと気付かされる。
なんと、大きな翼を回転させながらエルに叩き付けた来たのだ。
まるで巨大な大剣を横薙ぎにして敵を両断するかのように……。
エルの背筋が泡立ち、本能が特大の危険を知らせるかのように警鐘を鳴らした。尻尾と予想してせいで反応が遅れ、翼はもう目の前である。普通なら受けるしかない。だがそれでは駄目だ。この胸騒ぎからいって、牙と同じく受けきれない可能性がある。しかし、もう避けられる機を逸しているのは事実だ。
受けるしかない?いいやっ、武神流の技には足を動かさずとも回避できる技があるのだ。武神流の技術と自分を信じろ!!
エルは無理矢理体を後方に逸らし後に倒れ込む様にしながら、気の移動術、滑歩と迅歩をもって地を滑るにしながら後退してみせたのである。
初めての試みであるが、日頃の修練の賜物もあって今しも地面に倒れ込みそうなあり得ない体勢での移動を成功させたのだった。
だがそこまで無理をしても、被害を最小限に抑えたに過ぎなかった。
餓竜の翼はエルの胸を一瞬だけ捕らえており、気によって防御力も向上した猛虎の道着と、その上を覆っていた纏鎧をあっさりと斬り裂き、エルの胸から血を流させたのである。
距離を取り体を起こしながら胸を擦ってみる。大きく胸元を斬り裂かれた道着はもはや防具としての機能ははてしておらず、次の攻撃を防げるか分からない。不幸中の幸いであるが胸の傷は一見出血は酷いが、骨や臓器まで届いていない。
これなら外気修練法で回復できる範囲である。
禍々しき姿の餓竜を睨みつけながら、神の御業で傷を癒していった。
距離も離れ、先程徹気拳を防がれた衝撃から立ち直り冷静にヴォリクスを観察してみると、竜の鱗と同じ毒々しい紫色の魔力が薄い被膜のように全身を包んでいる事に気が付いた。
冒険者達が己の気や魔力を纏い、自身を強化している姿とそっくりだ。
つまりヴォリクスは己の魔力で自分を強化し、速さや攻撃力を高めていたのだ。
なるほど、速いわけだ。こちらが防御もできないぐらい攻撃が強いわけだ。
餓竜は知能が獣と変わらないくらい低く魔法も使えないが、真なる竜として有り余るほど持っている魔力をその身に纏い、冒険者達と同じく戦闘能力を高めていたのだ。
それなら先ほど徹気拳が防がれたのにも納得がいく。竜の全身を覆う魔力とエルの気が相殺し合い、竜の内部まで到達できなかったのである。
そうであるならば、ヴォリクスの魔力が無くならない限り内部破壊系の技は通らないということだ。
だがしかし、打つ手がないというわけではない。エルの気の防御技、纏鎧もそうだが展開し続ければ消耗も激しいし、敵の攻撃を受ければ更に気力を消耗するのだ。特に強力な攻撃を防げば、その分消耗も激しくなるのだ。エルが有効な攻撃を加え続ければ、魔力の枯渇が早まり強化が解けるというわけだ。
あるいは突きや斬撃やなどで魔力や鱗を穿ち、竜の体内まで拳を侵入させられれば、直接気を叩き込め内部破壊もできるだろう。ただし、それを成功させるめには、気で強化された竜鱗を破壊できるだけの攻撃力を求められるので、1撃で達成できるとは思えないし、どこかを重点的に攻撃する必要があるだろう。
まあ、どちらにしてもかの竜の猛攻を避けながら行わなければならないので、至難の技であるのは間違いない。
エルは自分が窮地に陥りながらも、そんな困難に喜びを感じずにいられなかった。強敵との死闘、文字通り自分の生命を賭した激戦である。
強烈な死の気配がエルを揺さぶり、命の躍動を実感させる。
ああ、僕は今生きている。そして生と死の狭間に立っているんだ。
未だ敵は健在で勝つ確率は1割にも満たない。
そんな死地にいるのに、強敵と闘えることが嬉しい。
戦闘が楽しくて仕方ないんだ。
命を賭ける時は今だ。今しかない。
この竜に持てる力の全てをもって挑むんだ!!
戦闘狂の血が騒ぎ、心が魂が高揚し力が沸いてくる。
相対する餓竜の凶笑と変わらぬ野獣のごとき顔で嗤うと、エルは真一文字に突き進むのだった。




