第57話
朝の静寂を破る少女の悲鳴。この宿に少女と呼べる人物は一人しかいない。そう、リリだ。
エルは寝台から一気に飛び降りると慌ただしく着替え、ドアを蹴破る様にして部屋を出ると階段を駆け降りた。
本来ならリリ達の居住区に無断で侵入するのは失礼だが、緊急事態ということで目を瞑ってもらうことにして入らせてもらう。
ドアが開きエルの目に飛び込んできた光景は、寝台に倒れ伏して意識のないマリナとその傍らで泣きじゃくるリリの姿であった。
「リリ!!」
「エル!?お母さんが、お母さんが……」
天真爛漫な姿が見る影もなく、目から大粒の涙を零しながらリリがエルの胸に飛び込んできた。余程動転しているのだろう、普段だったら恥ずかしくて絶対にしない行為だ。シェーバの姿は何処にも見えない。おそらく医者を呼びに行ったのだろう。不安で心細い状況にエルが駆け付けてくれたので、つい抱き着いたに違いない。嗚咽を繰り返すリリの小さな背中に手を回し優しく撫でると、落ち着くのを待った。
しばらくして、どうにか泣き止んだリリに事情を聞く事にした。
「リリ、何があったんだい?」
「お母さん、朝起きた時は調子が良くて元気だったの。今日も一緒に働こうねって、笑顔で話してたの。でも、突然糸が切れた人形の様に倒れて動かなくなったの……。何度呼びかけても返事してくれない。お父さんは急いで先生を呼びに行ったけど、このままお母さんが目を覚まさないかもって、嫌な想像がどんどん浮かんできて……」
「だいじょうぶ、マリナさんはきっと良くなるさ」
話している内に再び目に涙を溜め始めたリリを強く腕に抱き、エルはきつく抱きしめた。マリナに意識はなく、か細いながらなんとか息をしている状態だ。顔色も悪く、非常に苦しそうだ。
だが、エルにできることなどほとんどない。情緒不安定なリリに励ましの言葉を掛け、シェーバの帰りを待つ事しかできない。
沈黙が重苦しくエルの肩にのしかかってくる。どうすることもできない中、エルはただ抱きしめた少女のか細い背中を、少しでも安心させようと撫で続けるのだった。
しばらくすると、シェーバと短く髪を切り揃えた壮年の男が勢い良く扉を開け入ってきた。呼吸もだいぶ荒い。きっと診療所から休まずに走ってきたに違いない。おそらく目の前の短髪の男性が、マリナをいつも診察しているドウェル医師だろう。
エルとリリはベッドの傍から脇にずれ場所を譲った。ドウェルは呼吸も整える時間も惜しいと倒れ付すマリナに近付くと、呪文を唱え出し柔らかな魔法の光を全身にくまなく浴びせた。
生命の女神の癒しの奇跡であろう。春の柔らかい陽光を連想させるような穏やかな光を浴びて、マリナの表情も幾分和らいだようだ。
しかし、基本的に魔法では病気を治す事はできない。魔法では傷や体力の回復は可能だが、何らかの要因で患っている病を治す事はできないのだ。
つまり、現在のドウェルの処置は一時しのぎに過ぎないという事だ。
3人が緊張した様子で見守る中、医師は慎重にマリナを診察していき、やがて大きく息を吐くと苦悶の表情を浮かべ振り返った。
「どうか落ち着いて聞いて欲しい。信じられない事だが、マリナさんはハス病の末期段階になってしまったようだ」
「先生、妻はどうなるですか?」
普段は大声を上げる事すら珍しいシェーバが、声を荒げて問い詰めるかのように距離をつめた。一方のドウェルは少しの間言い難そうに答えあぐねていたが、やがて意を決したのか、ゆっくりと諭すように話し出した。
「ハス病の最終段階に至ると昏睡状態に陥り、目を覚ますまでの間隔が徐々に長くなっていく。この状態になると、人体に本来備わっている体力や魔力が徐々に喪われていき、やがて石の様に固まって息を引き取る事になる」
「なんてことだ……。なんとか、妻を助けられないんですか?」
「ハス病の特効薬は、神々の迷宮の67階層のレアモンスターから取れる材料から作れる薬、ただ1つだけだ。材料さえあれば、今すぐにでも薬を処方しマリナさんを助けられる。だが、材料が手に入らずこのまま応急処置しか施せないようであれば、非常に残念だがもって3日といった所だろう。それ以上はマリナさんがもたない」
「そんな馬鹿な……」
シェーバが突き付けられた残酷な現実に絶望で顔を歪め、リリは立っている気力も無くなり床に泣き崩れた。エルも受け入れ難い事態に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
ここ最近病も回復傾向にありお店に立つ事も増え、マリナの笑顔を見る機会も多くなってきた矢先だというのに、まさに青天の霹靂である。まるで天国から奈落に突き落とされたような事態だ。
薬の材料の代金は、すでに迷宮に毎日潜ることで稼ぎきっていた。後は材料さえ手に入れば、薬を処方してもらいマリナの病も治るはずだったのだ。
だが、肝心の材料が手に入らない。大商人エピタフに入手を依頼してあるが、数ヶ月は掛かると念を押され、1ヶ月たった今も何の連絡もない。
後3日の間に手に入る確立は、それこそ奇跡でも起きない限りありえないだろう。
手詰まりに近い状態に、諦めにも似た暗い感情が何度も何度も去来しては消え、少しずつエル達の心を黒く塗り潰していった。
寝室にはリリの嗚咽だけが響き、刻一刻と時間だけが無駄に過ぎ、居合わせた人々の心に昏い陰を落としていった。
本当にもう何もできないのか?
親友のリリが泣き叫ぶ姿を、ただ見つめる事しかできない自分が無性に悔しかった。
英雄になる夢を抱きこの都市に訪れてから、リリはエルにとって一番の友であった。いや、故郷では武神流の技の研鑽のみに時間を費やし、独りぼっちであったエルにとっては、初めてできた大切な親友といっても過言ではない。
迷宮の危険性を説き、いつもエルの無謀を咎め叱ってくれるリリ。
宿の看板娘として、元気溌剌な笑顔と愛嬌のある性格で人気者のリリ。
2人の時は年下なのに大人ぶって見せたり、エルの言葉にコロコロと表情を変える年相応の幼い姿を見せてくる、掛け替えの無い唯一無二の存在のリリ。
そんなリリのために、本当にもうできる事はないのだろうか?
自分にできる事なら、自分に支払えるものだったら、何に代えてでもリリの笑顔を取り戻したかった。
こんな不器用で人付き合いの苦手な自分に親身に接してくれた、大切なリリのためならどんな事でもしたかった。
何か無いのか?
これで万事休すなのか?
僕に支払えるものだったなら、何を代価に求められてもいい。
だから、だからっ、どうか助けてください。
エルは初めて心の奥底から助けを求めた。
ただ己を強くする事のみに邁進した少年は、親友のため祈りを捧げた。
自分はどうなってもいい。ただ大切な人を助けたいという、純粋で無垢なる祈りであった。
世界は不平等で、この許容し難い事態も有り触れた悲劇の1つかもしれない。天空に座す神々は気まぐれで、自身の信者を平等に扱うことはしない。
必ず人に死は訪れる。病だけじゃない。凶悪な魔物達が生息するこの世界で生活することを余儀なくされた人類にとって、昨日共に笑い合った友や肉親の笑顔が翌日には2度と見れなくなる事も起こり得るのだ。そうでなくとも、死因には事欠かない。草原や森の採取で危険な生き物遭う事だってある。旅の途中で襲われる事なんて日常茶飯事だ。塀に囲まれた村や街に居たとしても、何かの拍子に大挙した魔物に襲撃される事だってある。慮外の力を有する魔物が息衝くこの世界では、死とは身近な隣人なのである。そんな残酷な現実を、人々は無理やりにでも受け入れて生きていくしかないのだ。
だがそんな厳しい世界の中でさえ、ごく僅かながら優しい夢のような奇跡が存在する事もまた事実である。弱肉強食の酷薄な世界の中であったとしても、愛と希望は決して無くなるわけではないのだ。辛い現実を受容しつつも抗い続ける者達には、女神が微笑む時もあるのだ。
エルが幸運だったのは、ただ愚直なまでに強さを求め魔物との闘争と修行の日々を送り続け、己の神たる武神から関心を寄せられていたこと。
そして我欲のためではなく、自分が代償を支払ってでも大切なだれかを助けたいという優しい願いであったこと。
武神であり、そして善なる神である大神シルバが、感興を覚えるにたる純粋な祈りに耳を傾け、今ここに奇跡が起きたのである。
突如エルの全身を光が包み、天から神の声が降りてきた。
エルよ、我が敬虔なる信徒よ
汝の尊き思い、確かに我が聞き届けた
久方ぶりに聞く武神シルバの圧倒的な畏敬を覚える声に心が震え、そして告げられた神の御言葉にエルは途端に喜色ばんだ。もしかしたら、マリナを助けてもらえるかもしれないのだ。
「シルバ様。どうかマリナさんを、僕の親友の家族を助けてください!!」
エルよ、我が直接その願いを叶える事はできない
遥か原初の時代、我等が世界を創造せし時より神の力をもって、我が子等の命に介入する事は能わずと定められている
人の営み。生まれて死に、また生まれては死ぬ。死が訪れるからこそ必死に生き、時代に未来を託し命を繋いでいく。人類の健全な繁栄のためにも、善なる神々は人の死を覆す事を善しとせず、律してきたのである。
エルの興奮した心が冷水を浴びせられたかのように、一気に冷える。それではマリナを助ける事は不可能なのかと、失意の念を抱きかけた。
そんなエルの心の動きを読み、武神の言葉が降りてくる。
確かに我が力で助ける事はできない
だが、エルよ。我が信徒たる汝に、対価を元に試練を課す事はできるのだ
神は己の信徒に御業を授けるに足るか試練を課す事ができる。だがそれとは別に非常に稀な事であるが、人々の願いを聞き届けその願いに相応しき代償をもって試練を課す事もあるのである。
有名所であれば、伝説にある邪竜殺しの聖剣バルフェルドである。
太古の時代、真なる竜でありながら邪神に見初められ堕ちた悪竜シェーザを討つために、竜殺しの英雄レーベが振るうべき剣を欲し、後のドワーフの王たるヴェルグが鍛冶神に窮状を訴え祈ったのである。神は願いを聞き届けたが剣を贈る事はよしとせず、試練を乗り越えた後に星々の欠片を授けヴェルグ自身に剣を造らせたのである。試練への代償は、ヴェルグのその後の数百年の生涯で1000の善行を積みドワーフの繁栄を齎す事であり、その試練も達成する事自体が偉業である、名高き5つの試練である。その後、艱難辛苦を乗り越え仲間達と共に見事試練を果したヴェルグは、邪竜を倒す聖剣を打ちレーベに送ったというわけである。
このように、過去にも神が認めれば代償を元に試練を課し、結果的に願いを叶えてくれる事例はいくつもある。この故事からわかる通り神が直接介入することは許されないが、人々の努力に間接的に助力する事で結果的に目的を叶える手助けをしてくれるのだ。
つまり、エルが神が課すであろう試練を達成する事で、マリナを救える可能性があるというわけだ。まだ希望は残されている。
失意の海に沈みかけたエルに、微かな灯りがともった。
エルよ、汝に求める代償は1つ
我が認める偉勲を立てるまで、新たな御業を授与する事なしと心得よ
そして汝に課す試練は、遥かなる剣峰の頂きにて3日の内に我が定めし数の強者を討つべし
さすれば、汝が欲する敵と会い見える機会を与えよう
武神の求める代償は、神が認めるほどの大功を為すまで新たな神の御業を授かる機会を失うというものだ。神が認めるほどの偉業を行うなど並大抵のことではない。それこそ伝説に謳われるような偉業を為す必要があるだろう。下手したら2度と神の御業を授かる事ができない可能性もある。いや、その可能性の方が高い厳しい代償だ。
そして神の試練は、おそらく40階層で武神シルバが定めた回数守護者を討ち斃せということだ。その褒美としてエルの求めている敵、すなわち薬の材料を落とす67階層のレアモンスターと闘う機会を貰えるのだろう。神の試練さえ果たせれば出現頻度が非常に低く、いつ会えるか分からないレアモンスターと相対できるというわけだ。
ドウェルも材料さえあれば、すぐに薬を作れると言っていた。エルが3日以内にレアモンスターを狩って材料を手に入れられれば、マリナを助けられるのだ。
まさに願ってもない、今だからこそ必要な試練だ。
エルは周りの様子をちらりと見た。
座り込んでいたリリもすっかり泣き止んで、突然光に包まれたエルの様子を驚いた様子で見つめている。シェーバも同様で驚愕の表情を浮かべながら成行きを見守っているといったところだ。おそらく神の啓示を受けたことなどないのだろう。
冒険者ならば神々の迷宮に潜り、魔物達との激しい闘争を経ることで心身を鍛え成長するので、その褒美として己の信望する神から啓示を受け、神の試練を受ける機会は稀にある。だが一般市民では、それこそ神の琴線に触れるほどの善行などを行わない限り、啓示を受ける機会などは皆無といっていいほどだ。
生命の女神の信徒であり、癒しの魔法を使えるドウェルだけは過去に冒険者をした経験があるのか、エルの状態を把握しているようで、もしかたしたらマリナを助ける啓示を受けたのではないかと、期待した様子でエルの動向を見守っている。
この神の試練を受けるための代償は、強さを求めるエルにとっては辛い内容だ。神から授かる御業はどれも強力で、しかも授与された時に使い方もわかるので即戦闘で使用できる。大半の御業は長く苦しい修行の果てに習得できるが、中には神から授からないと行使できない、まさに御業と呼ぶべき業も存在するのである。
そんな御業を得る機会が、神が納得するほどの偉勲たてるまで授けてもらえなくなるのだ。英雄を夢み、貪欲に強さを求める少年にとっては、実に苦しい代償であった。
だが、マリナの命には代えられない。
悲嘆にくれるリリに、また笑顔が戻るのならば惜しくない。
先ほど立てた誓いに偽りはないのだ。マリナを助けてもらえるならば、どんな代償を支払ってでもいいと誓ったのは自分自身なのだ。少しくらい遠回りになってもいいじゃないか。時間が掛かったとしても、僕は必ず英雄になってみせる。
だから、親友の家族を救うチャンスをください!!
エルは決意に満ちた瞳で、天に向けて高らかに宣言した。
「シルバ様、あなたの望む代償を受け入れます。どうか試練を、レアモンスターと戦える機会をお与えください!!」
エルよ、この試練は人の命を左右する重大なものだ
試練の内容も対価に相応しい過酷なものとなる
まず汝一人で試練に挑まなくてはならず、刻限までに強者を定められし回数倒せなければ、欲する敵と会うことは許されない
そして目的の魔物と出会えたとしても、汝では十に一つも勝ち目もないだろう
それほど人の命運を左右する試練は重いのだ
それでもなおこの試練を求めるか?
神の言葉がエルを揺さぶる。なるほど、死に瀕しているマリナを救うためには、その運命を変えるに足るほどの試練が待っているというわけだ。三日以内に守護者を規定数倒せなければ、レアモンスターと闘う機会さえ与えてもらえない。また、仮に会えたとしても今のエルでは1割も勝率もないらしい。67階層に出現する魔物である。4つ星間近で、アルドから5つ星に近い実力があると評されていても、まだなお魔物の方が実力が上なのだろう。
だが、それがどうしたというのだ。
迷宮で死にかけることなどは良くあることだ。いくつもの死闘も、知恵と勇気を振り絞って打ち勝ってきたではないか。
しかも今回は僕だけじゃいない。親友の家族、マリナの命も掛かっているのだ。この試練を受けなかった場合に、薬の材料が手に入る確率は絶望的だ。つまりエルが試験を受けなければ、マリナは助からないのだ。
それならば自分の取る選択肢は一つしかない。
今こそ日頃の恩に報いる時なのだ。
僕は必ずマリナさんを助け、リリの笑顔を取り戻すんだ!!
エルにしか神の言葉は届かないので事の成行きがわからず、不安そうにしているリリを安心させるようにエルはにっこりとほほ笑むと、力いっぱい声を張り上げた。
「シルバ様、僕の決意は変わりません。代償の結果たとえ2度と神の御業を授けられなくてもかまいません。それに試練で僕の命を懸けるのも何も問題ありません。だから、だからっ、どうかチャンスを!!僕の大切な人を救う機会をお与えください!!」
よろしい
汝の決意、しかと聞き届けた
これより神の試練を開始する
疾く急げ
そして見事打ち勝ってみせよ
汝が欲する敵、餓竜ヴォリクスに!!
シルバの啓示が終わるとエルを包んでいた暖かな光は消え、神は天の御座に還ったようだ。
しかし、もうすでに神の試練は始まっている。時間はないのだ。エルは手短に事情を説明することにした。
「ドウェル先生。僕はシルバ様からレアモンスターと闘う機会をいただきました。今からすぐに迷宮に向かいます。授かった試練の内容は厳しいので、帰ってこれても3日ぎりぎりになるかもしれません。その間マリナさんの事を、どうかよろしくお願いします」
「わかった。任せておいてくれ」
「リリ、シェーバさん。僕はこれから迷宮に潜り、必ず薬の材料を取ってきます。マリナさんは必ず助けてみせるから、信じて待っていてください」
「でもっ、代償も払うし命も懸けるって。お母さんがこんな状態なのに、エルがもし帰ってこなかったら……」
戸惑いと不安で、またリリの瞳に涙が溜まり出した。正直リリとしても母を助けようとしてくれるエルの行為は非常に嬉しかった。
しかし、自分達のためにエルが代償を支払い、あまつさえ命を賭した試練を受けるのには申し訳ない気持ちでいっぱいだった。現状ではエルが神に試練を嘆願してくれなければマリナが助かる可能性はないという事も、聡明なリリには薄々理解できていた。大切な母を助けるために、大好きなエルが命を賭けた試練に挑まなければならない。母を助けてもらいたいという思いと、そのために親友に無茶な行いをお願いしなければならないという状況に、そしてなにより何もできない無力な自分が悲しかった。
シェーバにしても同様だ。ことこの状況に至っては、妻の命運は目の前の少年に縋るしかない事は重々承知している。だが、娘とさして年も変わらないまだ幼さの残る少年に、恐ろしい試練に挑んでもらわねばならないのだ。
妻を助けるために、この心優しい少年に死地に送り出し苦難を乗り越えてもらわねばならない。二律背反した思いのせいで、シェーバはエルに向けてどんな顔をしていいか分からず、言葉を掛けあぐねていた。
未熟なエルではリリやシェーバの心情はわからなかった。ただ、こんな自分が役に立つ機会を得られたのが嬉しく、皆で笑い合える未来が残っていることに純粋に喜んでいた。必ずマリナを助けてみせると、心が、体が高揚しエルを急かした。
心細そさで今にも折れそうなリリの両肩に手を置くと、不安と涙に揺れる瞳に太陽の輝きを彷彿させる健やかな笑顔で笑い掛けた。
「だいじょうぶ、必ずマリナさんは助けてみせるさ。だから、いつもの様に笑ってごらん」
「でも、でもっ、母さんを助けるためにはエルが危険な事をしなくちゃならないんでしょ?」
「冒険者は命を賭けるのが仕事だから、普段の冒険と何も変わらないさ。ただちょっと時間が掛かるかもしれないけど、何も心配はいらない。必ず3日以内に帰るから、リリにはご馳走を用意して待っていて欲しいな。腹ペコで帰ってくると思うから、いーっぱい美味しい物用意しておいて欲しいな」
おどけた様に言いながら不器用なウィンクを一つ。エルの精一杯の慰めと優しい心遣いに、リリの心に温かな思いが流れ込んできた。
強くなることばかりに夢中で、他の事はてんで駄目なエル。
まだ人付き合いは少し苦手で言葉足らずな所もあるけど、素朴で優しいエル
無茶ばかりして心配ばかり掛けるけど、それでも約束は決して破らない私の大好きなエル
いつの間にか涙は止まり、心を埋め尽くしていた暗雲は晴れていた。
エルへの感謝に気持ちで胸が溢れそうになりながらも、気恥ずかしさからつい照れ隠しな対応をしてしまう。
「相変わらずウィンクが下手ね」
「しょっ、しょうがないじゃないか。使う機会もほとんどないし、慣れてないんだから。でも、ようやく笑ったね」
「エル、本当にありがとう。たくさんご馳走を用意して待ってるから、必ず帰ってきてね?」
「うん、約束だ。必ず帰って来るよ」
「エル、無茶な事を頼んですまん。どうか無事に帰ってきてくれ」
「シェーバさん。日頃沢山お世話になっているんですから、このぐらいどうってころないですよ。それよりお腹を空かせて帰ってくるので、美味しい物用意しておいてくださいね?」
「ああっ、ああ。食べきれない程準備しておくからな。だから必ず帰ってくるんだぞ」
「もちろんですよ。それじゃあ行ってきます」
「ああ、気を付けてな」
「エル、行ってらっしゃい!!」
リリやシェーバの声援に後押しされ、身が引き締まり心身共に充実したエルは
宿を後にし協会で3日分の食糧と大量の薬を買い込むと、誓いを胸に迷宮に旅立つのだった。




