第53話
強烈な掛け声と共に練武の音があちこちから巻き起こる。
ここは武人を志す者達の集いし武錬場。武神流の巨大な白亜の神殿の裏にある修練場である。
アルド神官の伝手によって大商人エピタフにレアモンスターの材料の入手を依頼すると、エルは購入費用を稼ぐために早速迷宮に潜りにいこうとしたが、アルドに引き止められ修練場に着いて来たというわけだ。
剣や槍、弓や棍、はては斧や鞭などの多種多様の武器の修行に励む冒険者達の傍ら、修練場の隅に割り当てられた格闘術の鍛錬場所にて、2人は向かい合うように立っていた。
「少し早いとは思うが、エルには新たな技を伝授する」
「本当ですか?アルド神官、ありがとうございます!!」
「うむ。本来なら4つ星になった褒美に授ける技なのだが、修行の様子や普段の迷宮での行動を聞くに、エルには既にその資格が備わっていると判断したのだ。もしかしたら5つ星並の力量があるかもしれんな」
「そんなっ、過大評価ですよ。僕はまだまだ未熟ですし、足りないものが多過ぎるくらいです」
エルは謙遜したが、内心ではアルドの評価に飛び上がりそうな程喜んでいた。誰だって褒められて悪い気はしない。ましてや自分の日ごろの行いや努力を評価して貰えたのだ。嬉しいに決まっている。
また、アルドの評価は甘く採点したものではなく、正確にエルの能力を見極めた上での正当な評価であった。一日に倒す魔物の種類や量。教えていない高速移動術風迅や神の御業轟天衝などをアルドの修行風景を熱心に観察し、自分なりの技として模倣してのけた事。そして、上位冒険者であるアリーシャと遊びの試合とはいえ善戦できた事などから総合的に判断すれば、4つ星以上の力を有している事は明白であった。先程5つ星の冒険者並だとアルドは評したがあながち間違いではない。それほどの力を本人は気付ぬうちに身に付けていたのである。
まあエルの性格ではないとは思うが褒め過ぎて自惚れられても困るので、アルドは話を切上げ新技の説明に入る事にした。
「さて、エル。よく私の動きを見ておけ。これがエルに授ける新たな技だ!!」
言うや否や裂帛の声と共にアルドは大音を轟かせながら新技を披露した。
それはエルが見惚れるほど雄雄しく豪壮な技であった。
全身を連動させた背中からの体当たりといえばいいだろうか。踏み込んだ右足を起点にアルドは一瞬の内に回転すると背を向けると、後足で大地を砕く強烈な踏み込み下半身のばねをきかせて全身でぶつかって行く様な体当たりをみせたのだ。
しかもあの後足の踏み込みは、エルが慣れ親しんだ発剄の前段階の畜剄に用いる震脚だ。大地を踏み砕く音とほぼ同時に体当たりが完成していることからも、これは発剄の技である事が推測できる。
エルは我知らず身が震えた。強烈な体当たりでの発剄。その見た目以上に恐ろしい威力を秘めた技であろう。一体どれほどの力があるのだろうかと想像するだけで興奮する。
「アルド神官!!今の技は背中を利用した体当たりの発剄ですね?」
「その通りだ。名を破竜靠という。その昔、この技を創始した偉大な武人が、この技をもって悪竜を倒した事からその名が付いたのだ」
「竜さえ倒した技ですか!!すごいっ、すごいなー。早く自分のものにしたいです」
子供の様に目を家が輝かせ興奮しているエルを見て、アルドは頷き笑顔になった。アルドの弟子と呼べる者は10人ほどであるが、エル程熱心で良い意味で武神流に狂っている者はいない。
武神シルバの教義として、来る者を拒まず去る者を追わずという言葉がある。武神流の技の伝授にはいくつかの制限は設けられているが、修練場での修行などは本人の自主性に任されれているのだ。強くなるために研鑚を積むのも自由であるが、日々享楽に生きるのも酒色に溺れるのも本人の自由なのだ。
武神シルバは人間一人一人が自分の意志を持って夫々の道を生きるのを好むのだ。
だから、武術指導をしている神官も冒険者に修行の強制をする事はない。武器術の教えを乞う者達は桁が違うので修行に熱心な者ももちろん存在する。修行にそこまで力を入れていない者達もいるが、入れ替わり立ち代わり訪れるのであちらはいつも賑やかである。
翻って、アルドの教導する格闘術はどうであろうか。人数の少なさから隅に追いやられ、修行好きなのはエルくらいでその他の者はほとんど来ない。必然、アルドはエルと過ごす時間が増えていった。最近ではエル個人の武術の師になった気分さえしてきた。
だが、もし仮にそうなったとしてもアルドは後悔しない自信があった。エルと共に修行に励む時間は充実しており、毎日が色鮮やかに輝いていた。格闘術に見切りをつける者が多く、アルドが教えた者もそういった類か熱心に励む者は皆無だったのだ。
かつて、まだ若く情熱を燃やして指導に中ろうとしたアルドの落胆ぶりはひどいものだった。教官となってただ時だけが無為に過ぎ、いつしか事務的に乞われた事のみを教えるようになっていた。武術の教導よりも、神官として信者への説法の時間が長くなる時が増え、いつしか諦念の思いが支配するするようになっていった。
だが、エルとの出会いによって胸に燻っていた情熱の残り火が、かつての勢いを取り戻したのだ!!
鍛錬を怠らず、良く聞き良く質問するエルは理想の弟子だと言っても過言ではない。アルドは今迄も鬱憤を晴らすかのように、様々な教訓や技術、更にはちょっとした応用まで教えるようになったのだ
今回の技も本来なら4つ星になる事が開示の条件であるが、アルドは多少の事は大目に見て、エルに必要になるであろうこの技を教える事にしたのである。もっとも、アルド自身の修行を観察し、本来なら上位冒険者になってから教えるはずの風迅をエルは独力で模倣してのけたので、今さらの部分もあるのだが……。
「エル。発剄とは何だと思う?」
「発剄ですか?」
「そうだ」
「うーん……」
唐突な質問にエルは答えが出ずに考えあぐねた。言われてみれば発剄とは何であろうか。今まで考えもしなかったが、何かといわれても表現するのも難しい。
エルは自分が今まで修めた技から答えを探した。
猛武掌。短震肘。そして纏震靠。
どれも大地を砕くかのような強烈な踏み込み、震脚から得た力を攻撃部位に伝え通常の攻撃に更に上乗せして威力を高める技である。
そこから思い付く限り、発剄とは……
「発剄とは、大地の力を借りる技の事を言うのでしょうか?」
自信無さそうに答えたエルに対して、アルドは頷いた。
その答えもある意味正解であるからである。だが、発剄とはそれだけではない。
「それも1つの答えではある。発剄とは言ってみれば、突きや蹴り等と同じ1つの技術にすぎない。だが、見た目ではわからない威力を秘めているのが発剄だ。大地から力を得る、あるいは攻撃部位以外から力を得る事もできる」
「攻撃部位以外から力を得るですか?」
「そうだ。例えば回転する力や筋肉の伸縮する力などだな。震脚の様に見た目ではっきりわかるものではないから分かり辛いかもしれんな。肉体の使い方がちょっと違った突きや蹴りとだと思えばいい」
「うーん、よくわからないですね」
「まあおいおいわかってくるだろう。さて私の結論としては、発剄とは内外とわず様々な箇所から力を得て攻撃力を高める技ということになる」
「ああ、それなら何となくわかりますね」
発剄とは気の力や魔力を用いる精神の力に根ざした超常の力を操るのとは異なり、れっきとした体系付けられた武術なのである。ただその外観からは理解し難いので、知らない者にとっては気を用いた技と勘違いされ易いのだ。人間の肉体とは奥が深く、使い方、運用法を知らなければわからない、できない事など幾らでもある。
その1つが発剄というわけだ。
「また、発剄は打撃に加えて内部に衝撃を伝え易いという利点もある。ただし、これは発剄に限った事ではない。例えば、エル程の力があれば単純な掌底でも相手の内臓に衝撃を伝えられるだろう」
「発剄による内部破壊は、いろんな魔物との闘いで役立ちました。硬い表皮や筋肉に守られていても、その内側は弱い場合が多いですしね」
「その通りだ。さてっ、先程見せた破竜靠であるが、最も内部に衝撃を伝え易い技でもある」
「えっ、そうなんですか!?」
エルは色めき立つ同時に、アルドの発した言葉の意味を理解できず当惑した。背中からの体当たりがもっとも衝撃を伝え易い?
答えに辿り着けず、とうとう頭を抱えて唸り出す始末である。そんなエルにアルドは助言を出す。
「例えば剣と鎚で相手を攻撃した場合はどうなる?」
「剣なら相手が斬れるだけすよね。鎚は打撃武器ですから押し潰すようになります。うーん……!?そういえば鎧の上からでも鎚に叩かれると痛みますね」
「その通り、ようは点と面の違いだ。攻撃する部位の面積が小さくなるにしたがって力が一点に集中するので切断、ないしは貫通力が増すのだ。逆に面積が広くなれば、力は分散されるが相手に対して瞬間的な力、衝撃を加える事ができるようになるのだ」
「なるほど。だから掌や肩などより面積の大きい背中の体当たりなら、衝撃を伝え易いんですね」
「胸や腹などで攻撃する事も可能であるが、背中ほど頑丈ではないので攻撃には向かない。必然的に接触面積の大きな背中を用いた打撃ということになる。それに、体当たりは全身の体重を乗せ易いという利点もある。ただし……」
「ただし体当たりであり、相手に背中を見せる必要があるので、避けられたり上手く防がれるとたちまちピンチになるってことですね?」
「そうだ。この技は威力は申し分ないが、その分今まで以上に隙も大きく欠点もあるのだ」
何事にも長所短所はつきものである。長所だけのものなど存在しないといっても過言ではない。
だがこの破竜靠を極める事ができたなら、どんな窮地でも一発で逆転できるかもしれない。この技の創始者は竜をも倒したという話だが、気も併用すれば威力は激増する事もエルは経験からわかっていた。おそらく、創始者もそうやって竜を斃したのだろうと想像すると、エルは頬が緩むのを隠せなかった。
竜をも倒す技。若輩者の自分がそんな領域に踏み込んだのだ。喜びも一入である。
上位冒険者、5つ星の冒険者になるためには51階層に到達しなければならないが、その転移陣を守る守護者の中には、真なる竜もいる。真なる竜と一括りで称されるがその強さはピンキリであり、弱いものでは亜竜を強化した程度である。ただし、竜の中でも上位になってくれば、1頭の竜で国を滅ぼせるだけの絶望的な力を有するのだ。遥か古より生き常識外の超常の魔法を繰る古竜、華麗に空を舞い強力無比の雷を雲霞の如く降らせる雷竜、そして存在しているだけで周囲を焦土と化す豪炎竜など、竜の種族や生きた経験によってその強さは千差万別なのである。
まあ、50階層の竜の強さは最下層、辛うじて真なる竜に数えられる程度といったものであるが、それでも亜竜ではなく真なる竜に分類されるだけあって、今迄の守護者の比ではない。数多の冒険者をその牙で喰らい、上位冒険者へ到達する道を無慈悲に断ってきた最強の守護者である。
その血塗られた牙に対抗するために、アルドはこの技を授けてくれたのだろうと思うと、気合いも入るというものだ。
エルはアルドに心からの礼を述べると共に、新技の習得に励むのだった。
夕暮れ刻。その日は結局迷宮に向かわず、破竜靠の習熟に費やすと心地よい疲れに浸りながら金の雄羊亭に引き上げた。
宿に戻ると、元気に働くリリにエルは早速声を掛けた。
「ただいま。リリ、それでマリナさんの調子はどうだい?」
「エル、おかえりなさい。母さんはまだ寝ているけど大分良くなってきたみたい。ドウェル先生に薬を調合してもらって飲んだら少しずつ安定してきたみたい」
昨日とは打って変わって明るい表情に戻ったリリの様子、エルはほっと胸を撫で下ろした。ドウェル先生というのが、おそらく懇意にしている医者なのだろう。
「薬って何だい?たしか67階層のレアモンスターの材料が必要なんじゃなかったの?」
「ええ、母さんの病気の治すためには絶対に必要らしいわ。今回処方してもらったのは、症状を抑えて調子を良くするぐらいのものなの。病気の進行をちょっとは遅くできるみたいだけど、このまま治療薬が飲めなかったらどんどん悪くなっていくそうなの」
「そうか……」
元気な笑顔が途端に鳴りを潜め、リリは物憂げな表情になった。マリナが倒れて、昨日の今日である。それに加えて病気を治す薬を作るために絶対必要な材料が手に入らないという、悪い状況が一層不安に拍車を掛けているのだ。
そんなリリを安心させるように肩に手を置くと、エルはにっこりと笑顔を浮かべた。
「大丈夫、マリナさんは必ず良くなるさ。僕も材料を手に入れるために、色々動いているんだ」
「エル……。でもすごい品薄で、ドウェル先生でも全く手に入れられないって言ってたわ」
「僕はアルド神官にお願いして、大商人のエピタフさんを紹介してもらったんだ。武神流の神殿にも商品を卸している、この都市でも指折りの商人のエピタフさんなら、きっと材料を手に入れてくれるさ」
「本当!?それならきっと手に入るよね?」
「うん、絶対手に入るよ」
エルは終始笑顔を崩さず、リリを安心させるように事実を伝えた。
欲しい品物を手に入れるには、その道のプロである商人に中るのがよいだろう。ましてや大商人であり多くの部下を持つエピタフなら、必ず手に入れてくれるに違いない。
今は相場が恐ろしく高騰しているのでエルの所持金では不足しているが、足りない場合はアルド神官も助力してくれるので問題ない。
もっとも、金策なら魔物を倒せば済む話だ。材料が手に入るまでにできるだけ多く迷宮に潜り、不足分のお金を貯める予定である。
「エル、ありがとう。あたし達のために頑張ってくれて。大変だったでしょう?」
「いや、僕はただアルド神官に相談しただけだよ。アルド神官とエピタフさんがすごいだけだよ」
「ううん、そんなことないよ。エルが頼み込んでくれからアルド神官やエピタフさんが動いてくれただよ。本当にありがとう」
「ははっ、照れるな。でも、これでリリも安心できたでしょ?」
「うん、ありがとう。とってもうれしいわ」
感激したリリはようやくいつもの見惚れるような可愛い笑顔に戻った。
やっぱりリリは笑顔が一番だとエルは一安心すると、途端に腹の虫が鳴り出した。
今日も朝から夕方まで修行に励んだせいで、体が食料を必要としているらしい。
どうにも恥ずかしい気持ちで顔を赤らめたたが、リリはそんなエルを微笑ましく思うとそっと手を取った。
「今日も一日頑張ったからお腹が空いたでしょう。父さんに美味しい物をいーっぱい作ってもらうから、エルは椅子に座って待ってて」
「ええとっ、ごめん。お腹が空き過ぎちゃったみたい」
「ふふっ、ちょっと待っててね。すぐ持ってくるわ」
リリはエルを空いた席に案内すると、足取りも軽く父シェーバの元に向かった。
エルのおかげで希望がみえたのである。シェーバもリリから話を聞くと、大喜びしているようだ。人が喜んでくれるのはうれしいものだと、2人が明るく声を弾ませるのを横目で見ながら、エルは会心の笑みを浮かべるのだった。
その後はシェーバのサービスで大量の料理を作ってもらいご馳走に舌鼓を打つと、ご機嫌な気持ちで一日を終えるのだった。




