第47話
エル達が協会の修行場を使用禁止になってから1か月の時が経った。エルにしたら元々武神流の修練場でいつも修行していたので、特に罰則で弊害が出たわけではない。ただし、アリーシャやカーン等の実力者達としばらく手合わせできないのは残念ではあった。もっとも、初戦からアリーシャとやらかしてしまったので、次回以降は手合わせできたとしてもやり過ぎないように気を使わなければならないが……。
この一月の間にエルは35階層まで探索を進めていた。エルにしたら大分遅い攻略速度であるが、それでも一般の冒険者にとっては順調なペースといって差し支えないほどである。
迷宮の敵が強くなったために、エルの攻略速度は落ちてしまったのだろうか?
否、攻撃力や防御力は高いが比較的動きの遅い魔物達では、高速戦闘を得意とするエルの相手は務まらない。動きに差があり過ぎてしまい、皮一枚掠らせて攻撃を回避することもできるので身の危険を感じさせる程の脅威には映らず、最終的には出現する魔物達はただ技の実験台程度の存在に成り下がってしまったのである。
では病を患ったり、あるいは別の何かにうつつを抜かしたのだろうか?
それも否である。エルはいたって健康そのものであり、その生活の大半は技を鍛え自分が強くなることに重点を置いていた。
まあ、義兄であるライネル達や赤虎族のアリーシャ達と、戦闘ではなく迷宮の恵みである動植物や鉱物などを取りに行ったり、リリと街の散策に出かけてリフレッシュしたりもしたが、大半は武神の修練場でアルドと共に汗を流したり、己独りで迷宮に赴いていた。
それではこの常より遅い攻略速度の原因は何かというと、気の武器化の修練のためであった。
屠竜槍トラログの、あの華美た装飾の一切ない武骨であるが何ものも貫かんとする漆黒の刃や、大刀や戦斧などの様々な武器の力を己が五体と気をもって再現しようと奮闘していたのである。運が良いことに、30~35階層は亜竜や巨人族をはじめとした生命力の強い、人類より遥かに頑丈な魔物達が出現する階層である。
エルは此れ幸いと体力の高い魔物相手に技を練磨し磨き上げていったというわけである。ただし、エルが如何に実力のある前途有望な冒険者といっても、気の武器化は一朝一夕で体得できるほど甘くなかった。貫き手を槍に見立てて武器化させる技は、突きがエルの得意技という事もあり比較的早くものになったが、肘や膝、あるいは足や脛等を用途に応じた武器と為すにはさしものエルも難儀した。
武器屋“竜を屠る槌”で何度も名品を見せて貰い、気で拵えた武器との違いを比較しながら修行と実戦を通してひたすら練り上げ、どうにかアルドから合格を貰えるまでに要した時間が1ヶ月というわけである。今では気を使い、体の各攻撃部位を戦況に応じて一つか二つ程度の別種の武器として用いる事まで可能になっている。
だが課題も残っている。手を槍化させても依然としてトラログ程の貫通力は出せなかったし、武器化できる武器の種類も少ない。現状ではようやく戦力に数えられるようになった程度であり、切り札の一つだと自信を持って言えるようになるのはまだまだ先である。
エルは慢心せぬように己を叱咤し、遥か彼方の目標に向かって日々精進するのであった。
それから、この一ヶ月の間に様々なことがあった。
アリーシャ達との仲も大分深まった。中でも特にアリーシャがエルの事を気に入り、まるで本当の弟に対する様にエルに接し始めたのだ。戦場では燃え盛る焔を纏い、烈火の如き苛烈な攻めを行う熟達の戦士であるが、日常では実に人懐っこい一面を見せた。抱きしめたり、頭を撫でたり頬ずりしたりと、エルを可愛がってくる。末っ子でありずっと弟や妹を欲しがっていたせいか、年下で童顔のエルへの構いっぷりは凄まじい。弟の存在を全身で確認するかの様に、豊満な胸にエルを抱く事だってあった。その度にエルは赤面したり慌てふためいて手足をバタバタしたりしたが、その行動もアリーシャには微笑ましく映るのか、更にきつく胸に抱かれる結果になっりもした。今では出会えばスキンシップは当たり前で、まるで年の近い姉と弟の様な関係になったといえるかもしれない。
また、カーンやディムやイーニャ達、アリーシャのパーティの赤虎族の戦士達との友好も深めた。
槍使いのカーンとは近接戦闘を行う者同士であり、加えてカーンも早さに重きを置く戦士である事から意気投合するのは早かった。口下手なエルも自分の好きな魔物や戦闘の話では饒舌になり話も盛り上がったのだ。話して見ると、カーンは鋭い精悍な容貌からは想像が付かないほど気さくで、からっと竹を割った様な性格である事がわかった。エルの幾つもの質問にも面倒な顔一つせず懇切丁寧に答えてくれる、頼りがいのあるいい兄貴分的な存在となったのだ。
逆にディムは、後衛の攻撃や補助を担当する魔法使いである。戦況をよく読み随時適切な魔法を唱え有利に進めていく、参謀的な役割も果たしている。その智謀は戦闘だけではなく、迷宮の恵みや探索、はては協会に張られているクエストにまで及んだ。貴重な植物や鉱物の大まかな分布や採取方法、あるいは40階層までの割りの良いクエストや希少な魔物の情報など、本来なら情報屋からお金を出して教えてもらわねばならないものまで、惜し気もなく教授してくれたのには頭が下がった。微に入り細に入り実に細々な事まで情報収集し、パーティに役立てようとするディムの姿勢は、戦闘の事しか考えていないエルには実に新鮮に映った。今迄頭の片隅にさへ思い浮かべなかった事も、迷宮の探索や生活に役立つ事があると学んだのである。エルはディムの教えや情報を深く胸に刻み付けるのであった。カーンが頼れる兄貴とすれば、ディムはさしずめ幾つもの道を示してくれる教師といった所である。
そして、イーニャは温厚で柔和なパーティの良心である。アリーシャを筆頭に、ディムでさえも入手した情報を駆使し魔物を殲滅しようとする傾向が強く、いうなれば戦闘狂の気がある一団であるが、イーニャは行き過ぎた探索や継戦に警鐘を鳴らし諌めるストッパーの役割を果たしていた。大地母神の神官を務める高位の癒し手であり、アリーシャの大人と少女の中間の様な魅力とは逆に、年上の成熟した大人の女性といった感があり、ふとした仕草にドキッとさせられる色香があった。エルへの接し方はアリーシャと同様に可愛い弟を構う風であり、よく柔らかい笑顔を浮かべて優しく頭を撫でられたりもした。男兄弟ばかりだったエルにしたら、年の離れた姉の様に感じられる女性がイーニャであった。
また、アリーシャがよくエルを構いに訪れるので、ライネル達との邂逅もあった。といっても、アルドとライネルの様に出会えば口喧嘩し合う様な事も一切なく、実にスムーズにお互いの事を認め合った。
アリーシャ達は実力のある戦士を好むので、その観点から言えば3つ星であるが今後も昇格していくであろう実力を有するライネル達は、お眼鏡に適ったといった所である。
一方のライネル達にしても、エルと友好的な実力者とわざわざ険悪になる必要はない。出会った当初は警戒したが、アリーシャ達が本当にエルの事を気に入ってる事がわかると気を許し、酒を酌み交わし合ったのだった。
逆にアルドとライネルは寄れば触れば罵り合いが続いていた。二人共相手がいない時は悪口は言いつつも一定の敬意を示すのだが、出会ってしまえば罵詈雑言が飛び交った。寄れば触れば罵声を放つ犬猿の仲である。
ただし、相手の事を悪し様に言いつつも取っ組み合いにまでは発展しないので、酒場ではある種の恒例の行事として、他の冒険者の酒の肴となっている始末である。行き過ぎるとエミリーやクリス達、女性陣が止めに入るので、おたおたして成り行きを見守っていたエルでさえも、今では安心して見ていられるようになってしまった。仲裁役もいるので、ある意味この口喧嘩は二人のガス抜きにもなっており、実に良い笑顔で出会えば罵り合っている。一見険悪だげ仲も悪いわけではない、こういった喧嘩友達の様な関係もあるのだなとエルは感心したものである。
また、リリの偶にの自由時間にはよく街へ散策に出掛けた。
この都市に来て早5ヶ月が経過しようというのに、エルは未だにこの街の地理に明るくなかった。自分の興味のあること以外には全く食指の動かない性格も手伝って、エルの行動範囲は主に迷宮か武神流の修練場か宿ぐらいであり、非常に狭かったのである。最近になって武器屋や防具屋にも顔を出すようにもなったが、それも結局はアルドに紹介された店のみであり、自分から率先して探しに赴くことはなかった。
そのせいもあってか、リリに手を引かれながらの街の散策はいつも新鮮であった。この都市が広過ぎるせいもあるのだが、例えば食事処だけを全て回るだけにしても何日も掛かるほどである。
まあ、エルにしたら嬉しそうに先導するリリの姿を見つつ、美味しい物を食べたり色々なお店を冷かしつつ休日を楽しめれば良かったのである。リリのはち切れんばかりの生力に満ちた目映い笑顔はエルに活力を与えてくれた。激しい訓練や魔物との戦闘によって、血と汗に塗れたエルの清涼剤となり疲れを癒してくれたのである。彼女が楽しそうにコロコロと笑い、亜麻色の髪を弾ませ話し掛けてくれるのが何より嬉しかった。故郷では孤独でも平気であったが、この楽しさを知ってしまった今ならもう独りに戻ることは耐えられないかもしれない、そう思えるほどリリとの時間は大切になっていったのだった。
ただ、リリの笑顔が曇る機会が多くなってきたのが気掛かりであった。どうにも母親のマリナの体調が優れない日が続いているのだ。元来病弱であり伏せる事も多かったらしいが、ここ最近は寝込む事が増えてきているそうだ。懇意の医者に薬を処方してもらい何とか悪化を食い止めようと、シェーバ共々必死にマリナの快方に手を尽くしているようだが、彼女の病気は薬も高価で完治させるには目も眩む様な大金と運が必要らしい。というのも薬の材料となる品は迷宮で手に入るそうなのだが、出会う事さえ非常に稀な魔物であり、かつ強力な力を有するため極偶にオークションに出品されても、市民ではとても手が出せない金額で落札されてしまうそうだ。悩ましげな吐息と共に言葉を吐き出すリリの姿がとても痛々しかった。
エルは自分にできる事だったら何でも協力する積もりである。
リリはエルが魔神に破れ暴走した時も涙を流して心配してくれ、エルの無謀を諫言してくれた。それ以外にも日常的に血気逸るエルを諭し、蛮勇を行わない様に戒めてくれる。そして、飛びっきりの笑顔とその優しい性根が、エルの心を洗い流し癒してくれるのだ。もちろん、リリとの散策も大切だ。今となってはエルの大事な憩いの一時である。
そんな彼女のためなら、エルは少しくらいの無茶でも気にせず力になる心積もりである。リリは遠慮しているが、彼女の力になれる時があるなら今度は自分が助ける番だと、固く心に誓うのであった。
一方のリリはというと、母の体調が良くない事は心配だが、宿の手伝いをきちんと熟しながらエルとの仲をゆっくり温めていった。
年も近く口下手であるが自分の話を良く聞き、きちんと自分なりの意見を返してくれるエルとの会話は、リリにとっても楽しかったのだ。まあ、若く血気盛んなエルが無茶をしない様に注意することも多いが、それでも自分の欠点を自覚しており、リリの言葉に素直に頷き反省する態度を示すのには好感が持てた。
また、街への散策はリリにとっても大切で心地よい時間となっていた。地理に疎いエルの手を取って先導し、綺麗なアクセサリーや服を飾る店を覘いたり、美味しいスイーツが有名な店で休憩し談笑したりした。またある時は、遠方から行商にきた商人の品を見せて貰ったり、迷宮産の食料を商いしている所なども見て回った。
大食漢で美味しい料理が大好きなエルが、シェーバに調理してもらう今夜の食材を選ぶ姿はあまりに真剣過ぎて笑いを誘い、リリも堪えきれずクスクス笑ったものだ。可笑しそうに笑うリリに、エルは年相応の不貞腐れた顏もしたりもしたが、そんな姿が更に笑いを誘った。もはや遠慮の要らない友人付き合いができる仲にまで発展していたのである。リリのからかいに一々反応するエルが面白く、つい意地悪したくなることもあった。ライネル達、エルの兄貴分や姉貴分達が、エルをいじりたくなる気持ちも解るというものだ。
だが、アリーシャがエルを抱擁するのはなんとなく嫌だった。アリーシャにしたら弟を構う様なものであり、恋人に接する様な甘いものではない事は頭では理解しているのだが、心では納得できずついふくれっ面になってしまった。アリーシャの大きな胸を押し付けられ、赤ら顔でおたおたするエルの姿が何とも情けなく、気に食わなかったせいもあるが……。
まあその後は、リリの反応に逸早く勘付いたアリーシャに抱きしめられ可愛がられ、心配しなくていいと言い含められた。それからは、何故かリリもアリーシャに気に入られられ、まるでに妹に接するかのように頻繁に撫でられたり、抱きしめられたりされるようになってしまった。そのおかげでアリーシャの過剰とも言えるスキンシップは、彼女なりの親愛の表現なのだろうと納得できるようにはなった。
ただそれでも初見ほどではないが、エルが抱きしめられるのを見るのはあまりうれしいものではなかった。
友人が親しい姉貴分に愛護されているだけなのに、その行為を見るとリリの心は沸き立った。自分の親しい友人が取られるようでいやだったのかと、自問したりもしたが答えは出なかった。アリーシャの行いがまだ幼いリリの心を急かし、成長を促したのである。リリの心中には理解できないもどかしさと共に、自分でも制御できないはがゆさができてしまったいた。自分でも解らない感情に振り回され堂々巡りの思考のループに嵌り、歯痒い思いを味っていたのである。
リリ自身は気付いていなかったが、彼女の心の中には小さな花の蕾ができていた。それはまだ名も知れぬ花の蕾だが、エルと過ごす日々によって育まれ美しい花を咲かせようとしていた。エルに貰った大切な髪留めと同じ、淡い慕情を示すかの様な薄桃色の花をだ。
乙女の成長は早い。
今は理解できずとも、少女が速足で大人の階段を駆け上がるうちにやがて自覚する温かな思いであった。
リリの心の蕾が花開き可憐な大輪の花を咲かせるのも、そう遠くない未来かもしれない。




