第39話
巨大な大理石が敷き詰められ、魔鉱の燭台が取り付けられた白色の石柱と壁に囲まれた迷宮を、黒髪の少年は独り探索していた。
短く切り揃えられた黒髪に、まだ幼くあどけない童顔の少年だが、意志の強そうな瞳が獲物を求めるかのように炯々と輝いている。身には翡翠色の美しい武道着に淡黄色の籠手、そして腰の辺りには大量の品を持ち運べる小さな魔法の小袋を携えているだけの軽快な出で立ちだ。
少年、エルは現在神々の迷宮の31階層を、単独で敵を求めて探し回っていた。通常なら4、5人程度のパーティを組んで迷宮を探索するのが冒険者の常識であるが、エルは独りでの探索が主流である。
もちろんエルとて臨時パーティを組む場合もあるし、懇意にしている仲間達と共に迷宮に赴く場合もある。エルがただ一人で迷宮に赴くのは、己が夢のためである。幼き日旅の冒険者に聞かされ憧れた、唯一人で伝説に名を残す魔神や竜を打ち倒した冒険者と同様に、自分の力のみで強敵達を打ち倒すことがエルの夢なのである。
その夢を叶えるためには、一人で迷宮に潜らねばならない。エルは日常の多くの時間を単独での迷宮探索に費やし、魔物との闘いを通して実力を付けるべく、闘争を繰り返しているのである。
31階層。
そこは大理石の床や石灰岩の柱や壁で囲まれた、巨大な白亜の神殿を想わせる迷宮を探索する階層である。迷宮は白い壁で覆われ外に出ることは叶わず、陽の光は差さない。そのかわり、魔鉱製の照明が柱などに括り付けられており、何処にも暗闇がないかのように明るく照らし出しており、視界も良好だ。
この階層の特徴は各部屋や回廊一つ一つがあまりにも大きく、天井までの高さなども高過ぎることが挙げられる。人間用ではなく、まるで巨人などの巨大な生物用に設計されているかのような大きさだ。たとえ大型の魔物が複数いても、存分に暴れられるだけの広さが確保されているようだ。
そんなことを思索しながら歩いていると、自分の存在を隠そうともしない大きな音を立てながら魔物の一団がエルに接近してきた。
どうやら亜竜、砂礫竜の群れのようだ。この竜は亜竜に分類され
るがその力は凄まじく、辺境の村などはこの竜に襲われ滅ぼされることもあるほどだ。知能は低いが食欲旺盛で、みっしりと岩の様なごつごつとした鱗のついた巨木さながらの太い四肢で大地を駆け、獲物を発見するや否や喰らい付く習性を持つ、非常に好戦的な魔物である。迷宮の10階層では最強の守護者として現れ、エルを苦しめた強敵でもある。
初遭遇の時は砂礫竜1体でも苦戦したというのに、今回は亜竜が5体ほど群れをなし、エル目掛けて襲い掛かってきている。亜竜達の大きな咆哮が空気を振動させ、エルの耳を強く打つ。
亜竜とはいえ彼らの咆哮は力を持つ。竜の咆哮は人の根源、魂に根ざされた恐れを呼び覚まし、その身を竦ませるのだ。唐突にこの咆哮をくらって立ち竦んでしまい、何も出来ぬまま、儚く命を散らせる冒険者もいるほどである。
では、エルはどうであろうか?
体が小刻みに震えているようだが、恐怖に慄いてしまったのであろうか?
否、そんなことはない。
ようやく魔物に出会えたことを喜び、満面の笑みを浮かべている。体の震えはこれからの激しい戦闘へと思いを馳せ、心が奮い立ち武者震いをしていたからなのだ。
この幼さを残す少年は、見かけに反して戦闘狂で、魔物との生死を賭けた闘いや修行を好む風変りな性格をしている。エルは自己の研鑚と闘争によって、自分の成長を実感できることが好きなのだ。それに平穏とはかけ離れた己が命を賭した闘いは、日常では決して味わえないスリルを与えてくれる。痛みと緊張、そして魔物を研鑚した技で屠る全能感。他では味わえない興奮と喜びが、エルを闘争に駆り立てるのだ。
今もかつての強敵に対し、自分がどれだけ成長したか試せる良い機会だとばかりに、口角を吊り上げ闘いの時だけ見せる獣の様な笑みを浮かべている。
亜竜達が地響きを立て急速に駆けて来る。その小山の様な巨体が迫り、急速に視界の中で大きくなって行く様は、見るだけで恐怖を煽るだろう。
だが、身の心も奮い立ち臨戦態勢に入ったエルにとっては、強敵との闘いこそ望むべきものである。待ちきれないとばかりに大理石を蹴り、エルは亜竜達に向けて駆け出した。
お互いの距離が急速に無になる。
エルは砂礫竜の巨体目掛けて止まりもせずにまっしぐらに駆ける。エルと亜竜とでは体格も、その体重も比べるほどもばからしい差が存在する。
しかし、エルはそんな差など些細なものだとばかりに気にも留めない。エルが信仰する神、武神シルバから賜った神の御業、剛体醒覚によって肉体に眠る力を呼び起こし、体の内部に気を通して肉体を強化する。そして、突進してくる亜竜の巨体に対し、駆け出した力を乗せるようにして右拳を突き出した。
はたして、エルの拳は見事大質量の亜竜の突進に打ち勝ち、小山の様な砂礫竜の巨体を弾き飛ばすという目を疑う結果を導いた。
冒険者は迷宮で魔物を倒すと、魔物が魔素に還元され迷宮に戻る際に少量の魔素を吸収し心身が強化される。その強化は市井の民とは逸脱した力を冒険者に与え、巨人と力比べできるほどの、人類の枠を超えた進化を与えてくれる。もっとも、その高みに至るのは至難の業であり、冒険者の中でも最上位冒険者と呼ばれる、ほんの一握りの者だけが有する超常の力であるが……。
エルも30階層に到達しており、3つ星を有する下位冒険者でも中堅処の実力を持っている。エルの力は既に一般の人々の力を遥かに凌駕しており、今し方の、亜竜を拳で吹き飛ばすという、信じ難い現象を行えるだけの力を身に付けたのだ。
先頭の亜竜が弾き飛ばされて後続を駆けていた竜にぶつかり、魔物達に一瞬の混乱が訪れる。竜も矮小な人間に力負けして弾き飛ばされるとは、予想だにしなかったのだ。エルはその隙を見逃さず、先程殴りつけた亜竜の懐に飛び込んだ。
そして左拳に気を纏うと、砂礫竜の太い首目掛けて、下方から天に昇る様な豪快な下突きを繰り出した。亜竜の首は鱗も薄く、他の強固な部位に比べれば比較的柔らかい弱点だ。気に包まれたエルの強固な拳は、亜竜の首を容易く貫くと半ば首を千切れさせ、一撃のもとに絶命させる。
残りの亜竜達はようやく混乱から立ち直ると、仲間が無惨にやられた様に怒りを覚えたのか、大きく吠えながら倒れ伏す亜竜を避けるように回り込みながらエルに突撃しようとしているようだ。
知能が低いせいか群れだというのに統率は取れておらず、各自が思い思いに動きエルに向かおうとしている。その動きは大きすぎる巨体に対して見掛け以上に俊敏であるが、高速移動術を修めている武神流の格闘者であるエルに対しては、各個撃破してくれと言わんばかりのスピードである。エルは先頭の一体に狙いを付け両足に気を溜めると、高速移動術、疾歩によって解き放たれた矢の様に、真っ直ぐに亜竜に飛び込んだ。
急速に接近するエルに対し、亜竜は大口を開き鋭い牙で応戦したが、エルはあっさりと側面に移動して回避すると、伸びきった竜の頭に側面から右掌での発剄、猛武掌を叩き込む。
床を砕く程の轟音を響かせながら放ったエルの発剄は、凄まじい衝撃を与えると共に内部に衝撃を浸透させ、竜の脳をずたずたに破壊してしまう。頭を陥没させ鼻や口から大量に血を噴出させると、竜は地に伏し落命した。
これで残りは3体である。
エルがあっさり一体また一体と倒しきる様を見て、ようやく残りの亜竜達はこの人間を強敵と感じ取ったのか、奥の手である竜の息の体勢を一斉に取った。エルにしても一体を倒した直後なので、自分が行動するよりも魔物達の準備が整う方が速いだろうと迎撃の体勢をとる。
竜達の口から岩が吐き出されると、エルに高速で迫りながらどんどんその大きさを肥大させ、見る間に巨大化していく。それも3つ同時にだ。
以前の闘いではこの竜の息を躱しきれず、重傷を負った苦い記憶のある技である。
あれから20階層を踏破し成長したエルにとっては、この攻撃をどうだろうか?
エルの身に付けた気を用いた高速移動術なら容易く回避することも可能だろう。
だが、エルはその選択を良しとしなかった。成長したことを実感するためにも、かつては対処できなかった攻撃を、真っ向から打ち破ることにしたのだ。
エルは迫り来る3つの巨岩に向けて、雄叫びを上げながら駆け出した。そして真ん中の巨岩に気を纏った跳び蹴りを放った。それは高速で疾駆した勢いを破壊力に転換し、気によってその威力を何倍に高めた、美しくも猛々しい烈火の様な飛び蹴りであった。
衝突はまさに一瞬である。
大質量の巨岩とエルの高速の飛び蹴りがぶつかると、一瞬の遅滞なく轟音と共に岩が砕け散った。エルは足に強烈な衝撃を受けながらも、巨岩を打ち破ったのである。
そして着地と同時に亜竜に目掛けて疾駆する。
必殺の竜の息を破られるも、亜竜達は接近するエルに雄雄しく立ち向かう。巌の様な肉体を活かし体当たりを敢行したり、人を飲み込める大きな顎を開き咬み付きを行い抵抗したりもした。
だが、どの攻撃も成長したエルにとっては、攻撃範囲は広くとも十分に対処できる速度の反撃でしかなかった。竜の急所も既に分かっているので、大振りな攻撃を躱して一気に亜竜に肉薄すると、気を籠めて拳で首を貫いてゆく。
全ての亜竜がその骸を大地にさらすのに然したる時間を要しなかった。
血や肉を撒き散らし惨たらしい姿になった魔物達も、やがて魔素になり迷宮に還っていく。そうすると魔物達の落し物が現れ、魔物の死体によって汚れた迷宮も元通りになる。
エルはゆっくりと呼吸を繰り返しながら落し物を拾った。砂礫竜の魔石がいくつかと、竜のモモ肉と希少な落とし物のヒレ肉まである。エルは喜色満面になった。
迷宮産の食物を食べると、魔物を倒し魔素を取り込んだ冒険者の強化を促進してくれるので、迷宮から都市に帰還した後に手に入れた食べ物を喰らうのが冒険者の常である。しかも、迷宮産の食物はどれも美味で、どれほど食べてもまだ足りないと思わせるほどの極上のものが多い。特に、下層に行くほど絶品な食物が多く、また希少な落とし物などで手に入る肉も格別な美味しさを有している。
エルもこの砂礫竜のヒレ肉は一度だけ食したことがあるが、あまりの美味さに陶酔し言葉が出ない程であった。あの味をまた味わえると思うと、頬も緩むというものである。
今日の夕飯が楽しみだと一人ごちると、神の御業、外気修練法によって大気に満ちる力を取り込み心身を癒すと、新たな敵にを求めて探索を再開した。
それから夜半までひたすら魔物達との闘争を繰り返し充実した時間を過ごすと、魔物から手に入れた多くの戦利品を小脇に携えた魔法の小袋に収納すると、意気揚々と都市に帰還するのだった。




