第37話
大口を開けて、エルはサンドイッチにかぶり付いた。
一角海馬の肉は脂肪分の少ない赤身の多い筋肉質な肉であり、意図的にぶ厚く切って焼いてあるので噛み応えがすごい。まさに肉そのものを食べている気分になる。加えて、しゃきしゃきした新鮮な葉野菜とやや濃いめに調えられたタレが、更に味を引き立てている。今日の日のために、シェーバとリリが丹精込めて作ってくれた逸品だ。魔道具の水管から水を飲みつつ噛み下し、これから守護者挑む前の腹ごしらえとして、思う存分美味な昼食を堪能するのだった。
ライネル達も銘々に地に腰を下ろし、31階層への転移陣が視界に入る平地で携帯食を取っていた。これから3つ星の獲得の条件となる、強大な魔物の闘うのだ。数ヶ月という時間をかけて入念に準備を行い、全員の成長を重ねてきたが、それでも油断はできない。それほどこの階層を守る守護者達はどれも強敵なのだ。少しの判断や行動の遅れが死を招く事もあり得る。
だが、誰一人として悲観はしていない。それどころか闘志を漲らせ、必ず勝つと決意を胸に秘めていた。
一方のエルはというと呑気にサンドイッチを頬張り、その美味しさに舌鼓を打っていた。顔に満面の笑みを湛え、惚れ惚れするほど次から次へと大量にその口に収めていった。その様は、闘志を燃やし緊張を高めていたライネル達が思わず唖然とするほどであった。
「ちょっと、エルくん?
食べ過ぎじゃないかしら?」
「そうだぞ。
いくら俺達の闘った後が出番だといっても、腹がもたれるんじゃないか?」
「大丈夫ですよ。
お腹一杯で真面に動けないなんて、格好悪いですからね。
ちゃんと腹八分ぐらいに抑えますよ」
からからと笑いながら答えると、エルはまたサンドイッチを美味しそうに頬張った。
そして、思わず見惚れて仕舞いそうな幸せな笑顔を浮かべる。マイペースというか、大胆不敵というか、これから恐ろしい敵に挑むというのに呆れるほど気楽な様子である。
もっとも、エルに強敵と闘う心構えが出来てないというわけではない。強敵との闘いは、エルにとって心躍る楽しい時間である。大望の時が訪れるのを、くつろぎつつ待っているだけなのだ。
「ふふっ、エル君は大物ですね」
「ああそうだな。
緊張している俺達が馬鹿らしく見えるな」
鈴の音を転がす様な声でクリスが笑いながら話し掛けると、ダムも頭を掻きながら相槌を打ち、やがて大声で笑い出した。笑いは伝染して、ライネルやエミリーでさえも大声を上げる。エルのおかげで余計な緊張が解けたといったところだ。当の本人は何故笑い出したのかわからず、きょとんと不思議そうにライネル達を見つめているだけだったが……。
「はははっ、エルのおかげで緊張もほぐれたな。
よーし、みんな行くか」
「ええ、行きましょう」
「終わったら今日は宴会だな」
「そのためにも、全員で生きて帰りましょうね」
「みなさん、頑張ってください。
ここから応援していますね」
「ああ、そこで俺達の闘いを見ていてくれ。
みんな、必ず勝つぞ!!」
「おうっ」
「「はいっ」」
ライネル達は気合いを入れると、転移陣に向かって歩き出した。エルはその場に留まり、声援を送る。エルはライネル達が守護者を倒した後、いつもの様に独りで挑む心算なのだ。守護者に別々に挑む事は、事前に話し合って決めてある。
当初はエミリーやクリスが共に守護者に挑もうと持ちかけたが、ライネルがお互いのためにならないと難色を示したのだ。エルとライネル達では成長速度も違うし、何よりエル自身の夢が己独りで魔神や竜を打ち倒すことである。たまに臨時パーティを組み魔物を倒すのは構わないが、強敵でさえもパーティを組んで倒すようになってしまえば、エルの心に甘えが生じてしまう。それに、その行為はエルの夢を潰すことになりかねない。魔神や竜に打ち勝つためにも、様々な強敵を独りで倒して経験を積んでいかなければならない。そうしなければ、次元の違う遥か超常の存在にどうして打ち勝つことができようかと、渋る女性陣をライネルが説き伏せたのである。
ライネルにしても、義弟を独り守護者と闘わせるのに事は葛藤があった。だが、義兄である自分が義弟の夢を壊すことはあってはならないと、断腸の思いでエルの今後の成長のためにも独りで闘わせることにしたのである。
エルは自分の気持ちを酌み、独り闘う事を認めてくれた兄貴分や姉貴分に頭が下がる思いであった。絶対にライネル達の期待に応えてみせると、秘かに決意の炎を燃やすのだった。
そうこうする内にライネル達が転移陣に近づくと、強大な影が出現した。
30階層の守護者の中で最も出現率の高い魔物、暴虐竜である。走竜と同じく2足歩行の亜竜で、強靭な後足は何千年もの樹齢を重ねた大木のように太く、人など何人も一度に丸呑みにできる巨大な口から赤々とした舌を覗かせ唾液を垂らしている。体高も長身のライネルの3倍以上あり、太く長い尻尾は先端部分に大きな棘がついている。前腕はそこまで発達しておらず他の部位に比べて小さいが、それでも中背のエルの身長近い長さと鋭利な爪を有しているようだ。
暴虐竜は亜竜の中でもその凶暴性と強さは群を抜いており、
真なる竜に挑むための登竜門とされる魔物である。この魔物が30階層の守護者の中で最もポピュラーであり、その他の魔物は暴虐竜と同等かそれ以上の力を有している。この魔物かそれ以上の強敵を倒さずして3つ星を得ることはできない。3つ星の冒険者となるためには、最低でも暴虐竜を打ち斃すだけの力を有する必要があるのだ。
ライネル達を餌と見定めたのか大口からヨダレを滴らせ、亜竜は島中に響く程の大咆哮を上げた!!
大気が震え軽い衝撃となってライネル達を襲う。竜の咆哮には力がある。竜が人の敵わない存在であると、恐れを抱かせるのだ。人々の本能、原初の記憶に刻まれた恐怖を呼び覚ますのである。勇気を持ち咆哮を撥ね退けられなければ、身が竦みこの竜の前に致命的な隙を晒すことになるだろう。
だが、ライネル達も歴戦の強者である。ここまで来るのに数多くの死闘を経験している。予め準備をしておいたダムが、素早く事態の打開を試みた。
「勇壮なる魂」
軍神アナスが与える神の御業、勇壮なる魂である。その御業は仲間達の心に恐怖に打ち克つ力を与え、魂を高揚させる。人間の力を越えた、格上の存在に挑む勇気を与えるのだ。
恐怖に慄きそうになったクリスも持ち直したようだ。
エルは遠くから少しでも力になればと、声も枯れんばかりの声援を送った。
「ダム、助かったぜ。
さあ、予定通りの相手だ。
エルに格好良い所を見せてやろうぜ!!」
「おうっ!!」
「「はいっ!!」」
全員が恐れを振り払い、ライネルの号令のもとに迅速に戦闘体勢を取った。
暴虐竜はその巨体を弾ませるように大地を駆け、真正面に雄雄しく立ちはだかるダム目掛けて大口を開け突進してくる。
だが、亜竜がダムに到達するよりも早く、咆哮から立ち直ったクリスやエミリーが口早に呪文を唱えた。
「守護の光」
「大気の束縛」
クリスの魔法によって仲間達が防護の光に包まれる。そして、エミリーの不可視の魔法が、暴虐竜を覆い尽くした。エミリーの魔法は、大気が重さを増して対象に纏わり付き動きを阻害する魔法であり、しばらくの間は呪文の効果が継続する。風の神モウには風の縛めという、短時間であるが完全に相手の動きを止める魔法も存在するが、この守護者相手では一瞬の内に束縛から逃れられると踏んで、継続的に動きを遅くする魔法を選んだのである。
大地を駆けていた亜竜は、いきなり空気が重さを増したので転びそうになり、静止して体勢を整えようとしたがつんのめってしまう。
その隙を逃さずダムとライネルが攻勢を掛けた。
「ダム、合わせろ!!
雷剣」
「おうっ。
くらえ、気戦斧」
身体が泳ぎ無防備な暴虐竜の顔面にライネルが雷を纏わせた大剣で斬り付けると、ダムも呼応して気で覆った漆黒の戦斧を鼻面に叩き付けた!!
雷が亜竜を感電させ、斧が鼻の一部を切り裂いた。
血が滴り落ち竜が苦痛の声を上げる。眼前の矮小な存在に怒りを燃やし、叩き潰さんと口を開けた。
そして、口から大量の唾液を吐き出した。暴虐竜の唾液は強烈な酸である。触れれば忽ち鎧や、身や骨も溶かされてしまうであろう。
この攻撃を防御することはできない。ダムは慌てて飛び退き、からくも強酸の液を回避した。
だが、竜は唾液を飛ばした口を開けたままダムに襲い掛かった。このままダムを噛み千切るつもりなのだろう。大気の束縛によって動きは遅くなっているが、飛び退いた直後のダムにはその大口を避けることは難しい。すかさずエミリーが援護射撃を行った。
「気連射」
エミリーは矢1本1本を気で覆い貫通力を高めると、亜竜の口目掛けて何本も連射したのだ。エミリーお得意の連続攻撃である。
高速で飛来した矢は口に吸い込まれ、何本かは舌に、また何本かは喉や口内に突き刺さったようだ。
この攻撃に多大な痛みを覚えたのか、暴虐竜は動きを止め悲鳴を上げながら身を捩ってしまう。
その間にダムは何とか体勢を立て直し窮地を脱すると、身ぶりでエミリーに感謝を伝えた。
隙ができた亜竜に、ライネルがすかさず横合いから斬撃を加えた。
しかし、亜竜も黙ってはいない。攻撃を受けてつつも身体を捻り、長い尻尾を振り回した。当然ながら、重い大剣で斬り付けたライネルにはこの攻撃を避ける暇はない。
横降りの、丸太の様に太い尻尾の一撃を受け、遥か後方に吹っ飛ばされてしまう。
ゴロゴロと地を転げまわされようやく止まっても、尾撃の威力は凄まじくライネルは苦痛に呻き、中々立ち上がれない。
暴虐竜は血走った眼をライネルに向け、追撃を掛けんと駆け出そうとする。だが、そうはさせじと戦斧を横合いから腹に叩き付けダムが立ちはだかる。それに加えて、エミリーが顔面目掛けて矢を打ち、亜竜の行動を阻む。
縦長の瞳孔を更に細め怒り狂った竜は、ダムを噛み殺さんと執拗に咬み付きを繰り返した。
ダムは慎重に、その一つ一つの攻撃に対処していく。竜の顎は大盾ごとダムを飲み込めるほど大きい。盾での防御は通用しないのだ。ダムは、重鎧の重さを感じさせないかの様に左右に飛び跳ねて連続噛み付きを避けた。20階層最強の敵、巨大陸鮫もそうだが、下層に行くに従って、盾で防御できない攻撃を繰り出す魔物が増えていく。前衛の盾役も防御一辺倒だけではなく、時には避け、時には受け流す技術と俊敏さを求められるのだ。鈍重な壁役では、人族よりも遥かに強大で凶悪な力を持つ魔物達にはやがて対抗できなくなる。下層を目指す冒険者は、前衛であれ後衛であれ、生き延びるために多くの技と能力を必要とするのだ。ここ数ヶ月間、ダムは移動術や受け流しの技術に重点を置いて研鑚を積み、盾役として強大な敵相手でも仲間を守る力を身に付けたのだ。
加えて、エミリーの魔法のおかげで守護者の動きが遅くなっている事もあり、傷を負うことなく上手に避けて立ち回る事ができたのであった。
ダムが貴重な時間を稼いでいる間に、クリスが回復の奇跡をライネルに掛け、傷を治した。
暴虐竜は目の前で小賢しく立ち回る人間に攻撃を回避され続け、血が昇り我を忘れていた。横合いから復讐に燃えるライネルの接近にも気付かない。
「さっきの礼だ。
極雷」
ライネルが大剣を暴虐竜の傍に叩き付けると、果たして亜竜の巨体を包み込むほどの巨大な雷の柱が立ち昇った!!
魔に堕ちようとしていたエルを身を挺して救ったライネルの献身ぶりを、雷神ヴァルに認められ授かった神の御業、極雷である。この御業は雷神の名を冠する業であり、御業の中でもその威力は上位に位置し、極大の雷を受けた暴虐竜は全身が焼け焦げたように黒ずみ、目に見えて疲弊ぶりが窺える程になっている。
ただし、ライネルにしても気力の損耗が激しく、肩で息をするほどであった。現時点のライネルの実力では一撃を放つのが限度であり、気力が底をつきそうなので精神的疲労も厳しい。ライネルはダムやエミリーに亜竜を牽制してもらいつつ距離を取ると、急いで魔法の小袋から上級の精神回復薬を取り出し、飲み下すのだった。
そこから先は、終始ライネル達のペースであった。
ライネルの凶悪な神の御業で大ダメージを被った亜竜は、痛みと怒りで行動が単純になっていった。ダムが真正面で注意を引きつつ、受け止められる攻撃だけを受け、それ以外を慎重に回避していく。その間に、ライネルやエミリーが着々と傷を与えていった。
ただし、暴虐竜もやられっぱなしではない、ライネルや偶に手を出すダムの攻撃に合わせるように相打ちを狙って攻撃をしかけ、遠くから観戦していたエルがひやりとする様な場面も何度かあった。しかし、その度に仲間の援護や時間稼ぎによって体勢を立て直し、徐々に形勢はライネル達に傾いていった。
そして終には、ライネルの得意技雷剣によって、この凶悪な亜竜も地に伏したのだ。
ライネル達の素晴らしい連携と、慎重な立ち回りの勝利といえよう。
暴虐竜の落し物を回収し、誇らしげにエルの元に戻ってくるライネル達をエルは祝った。
「義兄さん、そして、みなさん。
おめでとうございます!!
これで3つ星の冒険者ですね」
「ああ、きつい闘いだったが、何とか倒せたぜ」
「危ない場面もあったけど、全員大怪我もすることもなく倒せて安心したわ」
「そうですね。
ほっとしました」
「早く宿に戻って休みたいぜ」
ぼやく様に呟いたダムの言葉が笑いを誘う。クリスもエミリーも、そしてライネルも満面の笑みを湛えている。誰一人欠けることなく強敵を倒せたのが、よほど嬉しいらしい。エルもその様子を見て全員無事で良かったと、朗らかに笑った。
笑い終えると、エルは表情を一変させた。今度は自分の番だと、きつく拳を握り締め気合いを入れ直した。
「それじゃあ、みなさんはここで休憩していてください。
次は僕の番ですね」
「エルくん、無理は禁物ですよ。
今必ず勝つ必要はないのですからね」
「エル、後はお前に任すが無茶だけはするなよ」
クリスやライネルが心配げに忠告してくる。エルもここで果てる積りなど更々無い。無謀な突撃、暴走はしないと誓ったのだから。
「どうしても勝てそうにないなら、逃げ帰ってきますよ」
「そうだ、それでいい。
時には逃げることも大切だぞ」
「はい、ダムさん。
それじゃあ、行ってきますね」
「気を付けてな」
「頑張ってね」
「頑張ってください」
「エルっ!!
頑張れよ」
兄貴分や姉貴分の応援を背に、エルは意気軒昂と気を昂ぶらせ、独り転移陣に向かって歩き出すのだった。




