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第35話

「ご心配をお掛けして申し訳ありませんでした」


 エルはアルドにこの1ヶ月間のでき事を説明すると、腰を2つに折り深々と頭を下げた。

 そんな殊勝な態度のエルを、アルドは苦々しい顔で見つめていた。

 アルドにしてもエルが音信不通になってから、不測の事態が起きたのではと案じていたのだ。しかし、エルはほぼ毎日武神の神殿の修練所に訪れるので、エルの宿泊施設などを聞いていなかったことが、今回は仇になってしまった。宿屋の名前さえ聞いていればと、アルドは自分の手際の悪さを恥じた。

 また、アルド自身も外気修練法にそのような用い方ができるなど、全く想像もできていなかった。本来はエルを教え導く教官としての立場である自分こそが、その危険性を指摘してやらねばならなかったのだ。加えて、エルが暴走した際に自分が居れば、冒険者達を危険な目に合わせずエルを正気に戻せたであろうことを考えると、アルドの顔にさらに苦味が増した。

 ただし、アルド自身に悔悟すべき点があるにせよ、エルはあと少しで魔人に堕ちる所だったのだ。武人とは対極に位置する、ただ破壊を撒き散らすだけの存在にだ。本人は反省しているようだが、事の重大性をどこまで認識しているか怪しい点もある。こんな事を2度と起こさない様にわからせてやらねばなるまいと、アルドはきつく拳を握りしめた。


「破門だ」

「そっ、そんな」

「冗談だ。

 もしエルの行いが武神流に相応しくなければ、シルバ様がエルのことを破門している。

 それがないということは、エルはまだ武神流の信徒であることを許されているということだ」

「よかった……」


 冗談でも破門と聞かされると心臓に悪い。エルは、自分が武神流の信徒でいられることにほっと胸を撫で下ろした。

 

「安心するのはまだ早いぞ。

 歯を食いしばれっ」

「えっ?」


 訳が分からず呆けた表情の横っ面に、アルドの太い拳が全力で叩き込まれた!!

 エルはものすごい勢いで弾き飛ばされ大地を転げ回る。ようやく止まった頃には地に伏し頬に強い痛みと、口内が切れたのか鉄の味に似た、血の味を噛みしめた。


「エル、お前は反省しているようだがどれほど大変な事を仕出かしたかわかっているのか?

 お前はもう少しで武神流の名声を地に落とす所だったんだぞ!!」


 殴られた痛みと共に、アルドの激しい叱責がエルの胸に突き刺さった。自分が魔人と化し冒険者に襲い掛かったならば、アルドの言う通り武神流の名を汚す結果になっていただろう。エルは自分の認識の甘さを愧じ、地に頭を擦りつけて謝った。


「申し訳ありません。

 自分の行ったことを甘くみていました」

「魔人に堕ち冒険者に襲い掛かるのも問題だが、もし何かの拍子に転移陣で迷宮都市アドリウムに戻っていたら何とする?

 お前が市井の民を、平和に生活する一般市民をその手に掛けたかもしれないのだぞ!!」

「……」

「今回はエルの仲間達の献身によって事無きを得たが、もし仲間達の実力が足りなかったら、あるいはエルの魔人化の進行がもう少し早ければ、私の言った事は起こり得たかもしれないのだぞ」

 

 アルドの指摘はどこまでも正しい。エルが正気に戻れたのは、幾つもの幸運が重なりあった結果に過ぎないのだ。アルドの言葉が現実になっていた可能性も否めない。そうなれば、自分が一般市民を己が手に掛けたかもしれないのだ。そう、ライネルの腹を貫いたように……。

 あの時の生暖かい吐き気を覚える感触が思い起こされる。エルは激しい自己嫌悪に陥ると共に、はらはらと落涙した。自分が何と馬鹿なことをしたのだろうと、自責の念に駆られる。


「申し訳、ありませんでした……」


 涙のせいか上手くしゃべれない。記憶が曖昧なせいかエルはこの1か月間の行いをどこか甘くみており、アルドに叱り付けられるまで己が人殺しになるという最悪の可能性をあまり考慮していなかった。魔物の魔素を2度と吸収しないようにすればいい程度にしか、考えていたかったのだ。

 エルは心底悔いた。自分は薄氷の上の僥倖で助けられたに過ぎないのだ。本来であればどれ程の危険性があったか熟慮し、2度と仲間達に命を掛けさせる様な行為を行わせないために、自ら反省と行動を示さねばならなかったのだ。

 僕は馬鹿だ。何て大馬鹿なのだろう。

 エルの涙が止め処なく流れ、大地を濡らした。

 大地に頭を擦り付け滂沱の涙を流すエルの肩に、そっとアルドの手が掛けられる。


「エル、お前のやった行為の危険性を理解したようだな」

「はい……、本当に申し訳ありませんでした」

「だが、幸いにして最悪な事態にはならなかった。

 お前はまだやり直しができるのだ。

 悔い改めたなら立ち上がれ!!

 2度と無謀なことをする気が起きないよう、私が鍛えてやる」

「アルド神官……」

「それに私にも至らなかった点もある。

 本来なら外気修練法の危険性については、私が気付いてしかるべきだったのだ。

 エル、すまなかったな」

「そんな、アルド神官が謝ることなんてありません。

 僕が馬鹿な事さえしなければよかったんです」

「エルよ、我ら武神流の徒は武人でなければならない。

 己が拳を向けるのは、魔物や悪に対してのみでなければならないのだ。

 自分の力を好き放題に揮うようでは、町のゴロツキと変わらん。

 そうなってしまえば、次第に煙たがられ排斥されてしまうだろう。

 我らは市井の民とは隔絶した力を有する戦闘者だ。

 だが、我らだけで生きることはできはしない。

 多くの人々によって生かされているのだ。

 エルよ、人々への感謝を忘れてはならない。

 そして、拳を向ける相手を決して違えてはならないのだ」

「はい。

 2度と愚かな行為をしないよう、アルド神官の教えを絶対に忘れません!!」


 エルは涙を拭い顏を上げた。その瞳はエルの強い思いを表すかのように、燦然と輝いている。エルの心は固い決意の炎を纏った。反省と後悔を胸に、2度と過ちを犯さないと決意を誓ったのだ。

 その様子を見て、十分反省しているようだとアルドは安堵した。

 エルの暴走には同情の余地もある。凶悪な魔神との相対によって何もできなかった無力感と仲間達の死は、幼いエルの心に大きな爪痕を残しただろう。安易に力を求めたのも分からないでもない。だが、それではいけない。力に固執し愚行を繰り返せば、待っているのは破滅しかない。2度とそのような事に耽溺しないように、武人としての心構えを説きエルの心を成長させることが肝要だと思惟した。そして、力に囚われないよう厳しく修行をつけ、武神流の技の素晴らしさを教え込まなければならないと臍を固めた。


「それと、エル。

 私には気に入らない事がもう一つある。

 お前の最も頼れるものは何だ?」


 アルドに問われ、エルは考え込んだ。だが、直ぐに答えは見つかった。それは、やはり長年の修行によって己がものとした技であろう。


「中段突きです」

「ほう、それは何故だ?」

「それは故郷にいた頃から毎日続けて自分のものにした技だからです」

「そうだ。

 真に頼れるものとは、長い研鑚の末に己がものとした技なのだ。

 私が気に入らんのは、お前が安易に力を求め技を疎かにしたことだ。

 急激に力を得たとしても、その力に振り回されるのが落ちだ。

 強大な力を野放図に振るう暴力と研ぎ澄まされた技、どちらが真に脅威なのだ?」


 エルは過去闘った魔物達に思いを馳せる。生まれながら強大な力を有する砂礫竜サンドドレイクと、修練によって目を見張る槍技を身に付けた名持ち(ネームド)豚鬼オークどちらか危険かと想像を巡らせた。確かに、砂礫竜サンドドレイクの持つ力は脅威だ。単純な腕力は比較するまでもなく砂礫竜サンドドレイクに軍配が上がる。されど、どちらがエルの心胆寒からしめたかといえば、名持ち(ネームド)豚鬼オークである。竜の大雑把な攻撃は、その巨体ゆえ攻撃範囲は広いが回避は難しくない。逆に豚鬼オークの鋭敏な突きは的確に急所を襲い、一歩間違えればエルの命を刈り取る事もあり得た、凄まじい攻撃だった。

 エルは魔神の強大な力に魅せられる余り、目に見える分かり易い力を求め誤ったのだ。真に頼るべきものは力ではなく、己が磨いた技だったのだ。あの魔神の致死の攻撃でさえも、圧倒的に肉体で劣るエルが武神流の技で見事回避し続けたではないか。

 そうだ、アルドの言こそ正しい。自分は何より修行を積み、技を磨くべきだったのだ。


「技です。

 修行で培った技は、敵を打倒できるだけでなく己が身を守ることもできます。

 最後に頼れるものは、長い時間を掛けて修行した技だと思います」

「その通りだ。

 研鑚の末に身に付けた技こそ最も信頼できるものであり、格上の相手を打倒し得る可能性を秘めているのだ。

 もちろん、力も重要だ。

 先ほどは二者択一で問うたが、やはり技の威力を向上させる上で力は重要だ。

 ただし、あくまで技あっての力なのだ。

 そのことを努々忘れるな」

「はい、わかりました」

「よろしい。

 それでは修行を始めよう。

 エルには教えることがまだ山ほどある。

 これからは力が欲しいなどと言っていられないくらい、厳しく指導するから覚悟しろ!!」

「望む所です。

 アルド神官、よろしくお願いします」


 エルは立ち上がり、深々と頭を下げた。もう涙は止んだ。そのかわり、エルの身に覇気が満ち溢れてた。エルの心は目の前に立ちこめた暗雲が晴れ、清々しい風が吹いていた。

 エルの決意とやる気に満ちた様を見て、この様子なら過ちを繰り返さないだろうと、アルドも満足そうに頷いた。そして、気合いを入れ直す。真剣な修行者には教え甲斐があるというものだ。

 アルドの指導も徐々に熱を帯びていく。

 日が暮れるまで2人はほとんど休憩も取らず、飲まず食わずでひたすら武の研鑚に励むのだった。


 それからは、あの時の焦燥感と激しい憎悪が嘘のように、穏やかで平穏な日常が帰って来た。ただし、一部変わったことがある。

 エルは、今まで以上に仲間達との関わりを大切にするようになったことだ。

 カイ達と迷宮の9階層で釣りをしに行ったり、10階層でオルド達と迷宮に自生している茸や野草を取りに行ったりなどするようになった。今まで戦闘一辺倒だったエルにとっては、釣りや食材の探索などはどれも新鮮に映った。迷宮の違った楽しみを覚え、仲間達と共に過ごすことでお互いのことをより理解し合い、徐々に仲も深まっていった。仲間達と共に過ごす日々はどれも楽しく心弾み、エルの心を癒していった。

 リリと街を出歩く機会も増えた。修行や迷宮探索の合間に時間を見つけては、リリと街に散策に出掛けたのだ。リリと笑い合い、ありふれた、本当に大切な日々を過ごすことで、この日常を壊さないためにも、友や仲間達に恥じない行為をしようと、思いを新たにしたのだ。

 そして、アルドとの修行も一層激しさを増していった。元々エルは修行好きである。アルドの熱心な指導によって益々身が入り、武神流の技を磨くことに喜びを覚えていった。いつも疲労困憊で泥だらけになるまで修行しては、気持ちの良い汗を流しアルドと共に語らう時間も増えた。エルの毎日は充実し、魔神への憎しみを思い出す時もないほどであった。エルは喜びを噛み締めながら修行に励み、一歩ずつ着実に成長を重ねていった。

 エルの心に居座っていたどす黒い感情はすっかり消え去り、この都市アドリウムに訪れた時と些かも変わらぬ希望と夢を取り戻したのであった。

  

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[一言] 魔神が来たら死ぬやん、怖さを忘れただけじゃん
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