第23話
太陽が西に傾きその身を大地に隠そうとし始めた頃、エルは金の雄羊亭に戻ってきた。今日の散策の成果はまずまずといった所だろう。行政区画や迷宮区画は協会以外訪れることもないだろうから、商業区画や工業区画、そして神殿区画などを中心に散策を行ったのだ。商業区画では迷宮産の食材専門店などもあり、興味を引かれるお店がいくつか見つかった。魔物を倒して落し物からしか迷宮産の食材を手に入れてこなかったので、採取で入手できる果物や野菜など今迄見逃していた食材を見れたのは僥倖であった。また、神殿区画などは信仰する神に合わせて大小様々な建造物が見受けられた。大通りに面する武神シルバの白亜の神殿に修行に訪れるので多少は見慣れてきたが、それでも小道に入るとエルでは理解の及ばない、何の神のために建てたのは解らない建物や像で溢れていた。まだまだ学ぶことは多いと実感できただけでも、良い一日だったろうとエルは納得することにした。
エルはすることがないのでテーブルについて待っていると、リリが息せき切って走ってくる。エルの前で立ち止まると顔に手を合わせてあやまってくる。
「ごめん、エル。
待った?」
「ううん、全然待ってないよ。
それよりシェーバさんにちゃんと許可もらえた?」
「もちろんよ。
毎年この日はお祭りに行かせてもらえるように、朝から頑張ってるんだから」
エルの質問にリリは得意気に胸を張って応える。少女が精いっぱい背伸びした様な微笑ましい姿に、エルは笑顔を浮かべると早速祭りに出掛けることにした。
「それじゃあ、出発しようか」
「ええ、見る物は一杯あるから楽しみにしててね。
エルは初めてだから、あたしがおすすめの所を案内してあげるわ」
「うん、よろしくお願いします。」
「任せておきなさい!!
さあ、出掛けましょう。
父さーん、行ってくるわね」
リリが大声で叫ぶと、シェーバがキッチンからのっそりと出て来て声を掛けてくる。
「リリ、あんまり羽目を外し過ぎるなよ。
エル、すまんが娘のことをよろしく頼む」
「はい、わかりました」
「はいはい、わかってるわよ。
それじゃあ、行ってきまーす」
「ああ、楽しんでおいで」
エルは喜色満面のリリに手を引かれて急かされながら宿を出ると、祭りが行われる女神の泉を目指すのだった。
女神の泉に向かって歩いていると、既に大通りには多くの露店が出ている。どれもここれも田舎の出のエルでは見たことのないばかりで、あちこち目移りしてしまう。
そのうち、目当てのものを見つけたのかリリが突然駆け出してしまう。慌てて後を追うと、どうやらお菓子を売っている店らしい。エルが何か言う前に、リリは店主に2人分の注文をしてしまう。
「おじさん、バーズ飴2人分ちょうだい」
「あいよ。
2人分で銅貨4枚だよ」
「銅貨4枚ね、はいどうぞ」
「はい、ちょうどだね。
買ってくれてありがとう」
店主から紙皿にのったお菓子を2つ受け取ると、リリはにこやかに片方を手渡してくる。
「はい、エル。
バーズ飴だよ」
「ありがとう、リリ。
でも言ってくれれば、僕がお金を出したのに」
「いいの、いいの、これくらい。
あたしのお小遣いでも買える額だしね。
このお菓子はこの地方の名物なの。
毎年この飴を食べながら露店を回るのが楽しみなの」
そう言って、リリははち切れんばかりの笑顔を見せる。エルは受け取ったお菓子を見た。紙皿の上には一口大のお菓子が幾つものっている。これがバーズ飴なのだろう。バーズとは、この付近でよく取れる甘みと若干の酸味を併せ持つ果物だ。大きさも親指大程度で表皮も固くなく、水洗いするだけで食べられる庶民によく親しまれた果物である。バーズ飴とは、バーズの水気を切り軽く乾燥させてから、表面を飴でコーティングしただけの簡単なものである。
リリが食べ始めるのを見て取ると、エルも店主が付けてくれた串を突き刺し、バーズ飴を口に放り込み咀嚼した。噛み込んだ途端、口の中に表面の飴の甘さとバーズの酸味が合わさって実に美味しい。単純な製法のお菓子であるが、この地方の人々に愛されているのも頷ける味だ。エルは満面の笑みを浮かべて、リリにお礼を述べた。
「リリ、ありがとう。
すごくおいしいよ」
「エルも気に入ってくれたようでよかったわ。
やっぱりお祭りの時はこれよね」
リリは破顔すると、エルを先導して露店を見て回り始めた。
一口に露店をいうが、商品は実に多種多様だ。先ほどのお菓子屋などの食べ物を売る店から、宝石やアクセサリーを売る店に雑貨品を売る店、そして武器や防具を売る店などもある。文字通りありとあらゆるものが売りに出されている。祭りの時は観光客や商人が大挙して訪れるので、稼ぎ時ということなのだろう。普段は見ることのできない、遥か東方の国の品も見られたりもする。きっとこの日のために遠方から訪れたのだろう。エルはバーズ飴を頬張り心躍らせながら、リリと露店を賑やかすのだった。
そのうち、リリが気になるものを見つけたのかアクセサリー店の前に止まる。リリが真剣に見ているのを横から覗き込むと、どうやら髪留め用の紐を見ているようだ。リリは普段何の装飾も付いていないシンプルな髪留め紐を使っているが、今見入っているのは、紐の一部に淡い薄桃色の蝶を模った飾りが付いている。よほど気に入ったのかリリは食い入るように見ていたが、値段の所を見て大きなため息を吐いた。
銀貨2枚、それがこの商品の値段である。リリはこの日のために小遣いをこつこつ貯めてきたが、それでも銀貨2枚には届かない。どうやら諦めるしかないと立ち去ろうとした時、エルが店主に声を掛けた。
「おじさん、この髪留め紐ください」
「ありがとう、銀貨2枚になるよ」
「エルっ?」
リリが動揺している間に、エルはさっさとお金を渡し商品を受け取ってしまう。そして朗らかな笑顔でリリに髪留め紐を渡してくる。
「はい、リリ。
欲しかったんでしょう?」
「でも、こんな高いの受け取れないよ」
リリは受け取るのを躊躇し、エルの差し出した手を恐々と見つめている。そんなリリを安心させるように、エルは穏やかな笑顔浮かべながら、ゆっくりと話し出す。
「僕はこれでも1つ星の冒険者だから、1日で金貨だって稼げるんだ。
だから、このぐらいの金額ならリリが気にする必要は全然ないんだよ。
それにさっきリリにおごってもらったから、これは僕からのお返しのプレゼントということで、受け取ってくれるとうれしいな」
「エル、無理していない?
本当に大丈夫?」
「もちろん!!
何の問題もないさ。
だから気にせず受け取ってもらえるとうれいしいな」
エルの力強い断言に受けて、リリは恐る恐る髪留め紐に手を伸ばしゆっくりと受け取った。やがて、ぎこちない笑顔を浮かべる。
「お金が足りなかったけど気に入ったから、本当はすごく欲しかったの。
エル、私がこんなに高価なものもらっていいの?」
「もちろんさ。
いつも良くしてもらってるリリには、この程度じゃ足りないぐらいだよ。
だから笑顔で受け取ってくれると、僕も嬉しいな」
エル自身がこの商品の金額を全く問題にしていないことを悟ると、リリはようやく花咲く様な笑顔を浮かべた。
「ありがとう、エル。
あたし大事にするね」
「僕も受け取ってもらえてうれしいよ」
「じゃあ、さっそく使わせてもらうね」
そう言うと、リリは後で髪を一つに束ねていたシンプルで実用的な紐を外し、エルにもらった薄桃色の蝶の飾りの付いた髪留め紐で髪を括りなおす。リリの亜麻色の髪に白色に近い淡い色の蝶が良く似合う。エルはプレゼントできてよかったとほっと胸を撫で下ろし、リリを称賛する。
「リリ、よく似合っているよ」
「えへへっ。
エル、ありがとう。
大切にするね」
リリはよほど嬉しかったか、その場でくるくると回って見せる。その度に髪に絡み付いた風に見える蝶が宙を舞い、まるで生きているかの様にひらひらと動く。快活なリリには相性の良い品のようだ。そのことも嬉しいが、プレゼントに心から喜んでくれるリリの姿がエルにとってなによりの褒美だった。勇気を出してプレゼントして良かったと、エルは先ほどの自分の行動を心底褒めたい気分になった。自然と笑みが零れる。リリもはち切れんばかりの笑みを浮かべている。二人して幸せな気分になり、周りに笑顔を振り撒きながら楽しい露店巡りを再開するのだった。
それからはリリの体力の続く限り、できるだけ多くの露店をあちこち見て回った。本当に見たことない品ばかりであり、エルは驚きの連続であった。
リリは小物やアクセサリー、そして食器などの日用品などに興味を示した。特に関心を持たせたのは、優美な鳥獣が描かれた食器である。もっとも、製作者の渾身の作であるのか驚くほどの値段であったので見るだけに止めたが・・・。実際に使うには高価過ぎて怖くて使えないから観賞用に飾っておきたいわ、とリリは感想を漏らした。もちろん、これほどの食器を食卓に並べられるのは、王侯貴族でなければ到底無理であることは承知の上である。宿屋が繁盛してお金に余裕ができれば、これを食堂に飾るだけでも箔がつくのでは、とはエルの言である。その後は、そんな未来が来るといいねと二人で笑い合った。
一方、エルが興味を持ったのは武器や防具類である。冒険者の性なのかつい目が行ってしまう。中でも興味を引いたのが、東方から取り寄せられた鉄扇という武器である。店主の説明によると、開閉式の武器で閉じている時は相手を打ったり突いたりできるようだ。開いた時は扇の側面で相手の攻撃を受けたり捌いたりもでき、更に扇の円弧部分に仕込まれた刃で切り裂いたりできる実に幅広い用途に使える武器らしい。ただし、開閉する構造を取るので芯骨部分に使われる金属は薄くても強度がある材質が求められるし、芯骨に張り合わせる扇子紙部分の材質も薄くて伸縮性に富み、かつ防刃性や高い耐久性を有するものが求められるだろう。実戦用に設えるには、よほど高価な金属を用いるか、魔法付与などの技術を要するであろうことは想像に難くない。そんなことを時を忘れて熟考していると、終にはリリに耳を引っ張られ、強制的に次の露店に連れて行かれた。自分の興味のあることだけにはすぐ集中して周りが見えなくなるんだから、とはぷりぷり怒って機嫌を悪くしたリリの言である。その後は慌ててリリの機嫌取りに終始したのは言うまでもない。
このように賑やかに二人で露店巡りをしていると、やがては日が沈み夜の帳が降りてくる。フィナーレを飾る巫女達による神に奉ずる舞の時間である。
エルはリリに手を引かれて、見物し易い場所に移動する。
街の中心部にある女神の泉の広場は、この高低差の激しい丘陵地の最も低い窪地にある。勾配のおかげで少し離れると、広場の様子を簡単に見て取れる。そのおかげで巫女達の舞を多くの人々が観賞できるのである。
女神の泉には女神像などを模った大がかりな噴水装置はなく、ノズルから噴水が湧き上がるシンプルな仕組みしかない。街の中心部であり観光名所になる場所であるから、名前の通りの女神像を模した噴水装置を作る計画が過去幾度か持ち上がったりもしたが、どの女神にするかで紛糾し最終的には現在の単純なものに落ち着いたのである。
今日はその噴水も一時的に止めて、泉の上に舞台が設けられている。この都市のまさに中心部で神への舞が行われるのである。
闇の色が濃くなってきた。いつもなら魔石を用いた魔光が照らす街灯が点灯するのだが、今日は広場のあちこちに篝火が置かれている。ぱちぱちと薪が燃える音が広がって、火の粉が舞い上がる。松明の火が薄っすらと舞台を映し出し、幻想的な情景を醸し出す。おしゃべりに興じていた人々もその光景に圧倒されたか、自然と言葉少なくなりやがてしんと静まり返る。厳かで神聖な雰囲気の中、巫女達が静かに舞台に現れる。そして、美しい音色と共に踊りが始まった。
仄かな明かりに照らされて、色とりどりの神秘的な衣装を纏った巫女達が、様々な楽器が奏でる美しい音色に合わせて舞い踊る。
迷宮の繁栄と神々への感謝と畏敬の念を込めて・・・。
あまりに神秘的な光景に全く実感が沸いてこない。夢の中にいると言われても信じてしまいそうな幻想的で現実離れした情景だ。なるほど、この舞を見るために多くの人々が迷宮都市に来訪するわけである。エルは呼吸するのも忘れたかのように、ただひたすらに巫女達の踊りと心揺さぶる様な音楽が織り成す神聖な祭事を見つめ続けるのだった。
どれほどの時間が経っただろう。
時が過ぎるのも忘れて夢中で観賞し続けているとやがて踊りが終わる。巫女達が動きを止め音が止むと、周りから一斉に拍手と称賛の声が巻き起こる。エルもいつのまにか汗をかいた手で一生懸命拍手しながらリリに話し掛けた。
「すごいね。
これほど感動したのは初めてだよ。
この祭りを見れて本当に良かった」
「ふふっ、それはよかった。
でも、これで終わりじゃないのよ」
「えっ、まだ何かあるの?」
これ以上にまだ何かあるのだろうか。今は感動と興奮で熱狂の最中だというのに、下手なことをされたらこの気持ちも冷めてしまうだろう。せっかくの感動に水を差されたようでわずらわしそうな顏をするエルに、リリが安心させるように語りかけた。
「心配しなくても大丈夫よ。
最後のトリを務める舞があるだけだから。
大神に分類される神々に仕える巫女姫様の誰かが、毎年最後に踊るの。
ほらっ、出てきたわよ」
リリの言葉通り、舞台の中央に一人の巫女が進み出てくる。大胆に肌が現れる扇情的な衣装を着た、肩よりある癖のない長い赤髪をまっすぐに降ろした猫科と思わしき耳を頭長に持つ亜人族、赤虎族の美しい女性だ。エルにはどの神の巫女なのかはわからなかったが、彼女は大地母神の巫女姫である。今年は大地母神の巫女が祭りの最後を飾る年のようだ。
彼女の登場に騒いでいた観衆も徐々に静まり返る。完全に音が無くなった無音の中、エルも固唾を飲んで見守っていると、大きな太鼓の音が鳴り響いた。
始まりは厳かに。
やがていくつもの太鼓の音が鳴り響き、重なり合ってリズムを形成する。
心臓の音に似た全身を揺さぶられるようなビートだ。そこに透明で澄んだ鈴と笛の音が加わる。そして、ゆっくりと息を吸い込んだ巫女姫の美しい声色が加わった。
それは、今は使われなくなった古い言葉で作られた、神々へ感謝する太古の祭りの歌であった。エルにはすこしも理解できない、いにしえの言葉で紡がれた歌だ。
だが、言葉が理解できなくともわかることもある。
それは太古から連綿と受け継がれた喜びの歌。今日を生きられた喜びと、明日を、そして未来を、自分だけではなく子子孫孫が生きられることを願う歌。原初から続く人々の営みに感謝する歌。
たとえ悠久の時が経ち記憶から忘れ去られようとも、魂に刻み付けられ肉体が共感する祭り歌だ。
巫女姫が太古の歌を歌いながら舞い踊り出す。とても激しく、生命の脈動を全身全霊で表す踊りであった。太鼓の音が激しいリズムを刻む。
布面積の少ないあられもない衣装で激しく踊るので、巫女姫の瑞々しい肢体や豊かな乳房が衣服の隙間から時折顔を覗かせる。
本来ならエルがそんな官能的で情欲をそそる様を見たら、赤面し言葉を発せられなくなるほどだが、不思議といまは性的な興奮を覚えなかった。おそらく巫女姫の歌と踊りが神に捧げられたものだからであろう。蠱惑的で扇情的な姿も自分に向けられたものでなく神への供物であるから、純情で初心なエルでも真面に見ていられたのである。
だが、心と体が高揚し踊り出したくて仕方ない気持ちにさせられる。今にも舞台に飛び出して一緒に踊り狂いたい気分だ。全身を躍動させ若々しい命の輝きを放つ、あの巫女姫と共に踊れたらどんなに気持ち良いことだろう。だが、誰も動き出す人はいない。ここで自分が動いたら、祭りのトリを務めるに相応しいあの舞を汚すことになりかねない。エルは踊り出したい衝動をきつく拳を握ってぐっと堪え、得も言われぬ感動と興奮に包まれながら巫女姫の舞を観賞し続けるのだった。
ほどなくして舞が終わり、興奮が冷めやらぬ中をリリと帰途に就く。故郷の村では体験することのできない、巫女達の神秘的で美しい舞であった。特に、最後の巫女姫の舞は神がかっていた。あれほど衝撃的で身体が突き動かされる体験はしたことがない。
「最後の舞は本当にすごかったね」
「うん。
どの巫女姫様の舞も本当にすごいの」
リリの今迄の言葉から察すると、毎年別の巫女姫が最後の舞を務めるということだ。この祭りが毎年盛況だというのももっともな話だ。来年もまた祭りが見れるといいと、純粋にそう思えた。
「また見たいな」
「ふふっ、来年も暇だったらまた一緒に行ってあげるわ。
そのためにも、エルは無鉄砲なことをせず怪我しないことを心掛けるのよ」
「うん、わかっているよ。
無茶はしないさ」
「よろしい」
リリのお姉さんぶったしぐさにエルは笑いが込み上げてくる。笑い声を上げながら今日一日をふり返ると、本当に良い一日だったと思える。心も体も安らいだ。
明日からは血沸き肉躍る修行と闘いの日々が待っている。
今日の喜びと感動を胸にまた明日から頑張って行こうと、決意を新たにリリと共に笑い声を響かせながら宿に戻るのだった。




