表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
22/107

第21話

 朝靄が立ち視界が霞む中、エルは10階層の草原に降り立っていた。

 昨夜のカイ達との宴会は深夜遅くまで続いたが、睡眠時間が短くとも不思議と爽快な気分で目覚めることができ、不快な気分など微塵もなかった。それどころか、体中にやる気が満ち溢れエルの心を戦場へ誘った。カイ達も夢のために邁進している。自分も精進せなばという気持ちも後押ししたのだろうか、こんなにも朝早く、日が昇ってまもない時間に迷宮に赴いてしまっている。

 他の冒険者の姿など全く見受けられない。

 だが、そんなことは関係ない。もとより己唯独りが立ち向かうべき戦場だ。己が拳に全てを託し、命を賭けるのが自分の闘いなのだ。今日はこの拳を守護者に届けようと、決意を新たに意気揚々と10階層の攻略に乗り出すのだった。

 10階層の魔物は、例え強敵と名高い偉大なる箆鹿(グレートエルク)であろうと、日々の修行と闘いによって成長したエルにとってはもはや格下の敵だ。だが、余裕で倒せる相手であっても傷を負う場合もあるし、特に複数を相手取る場合は負傷は避けられない。普段であったなら嬉々として立ち向かうところであるが、今回は目的が違う。守護者と闘うまでにできるだけ消耗を避け、万全な状態で闘いに挑みたい。エルは極力魔物との戦闘を避け、自身の損耗を最小限に抑えるように慎重に立ち回りながら守護者が待つ転移陣の元に急いだ。

 幸いなことに、連日10階層を探索していたので転移陣の場所は調べがついている。早朝から探索を開始したこともあってか、昼前には転移陣に辿り着くのだった。


 転移陣からある程度離れた見晴らしのいい場所に、腰かけるのにちょうどいい倒木を見つけると、どっかりと腰を下ろし守護者との戦闘前の最後の休憩を取ることにした。この場所に到達するためには幾多の魔物と戦闘を繰り広げる必要あり、流石に無傷というわけにはいかなかった。軽傷ではあるがいくつも傷を負っているし、気力も消耗している。エルは、魔法の小袋(マジックポーチ)から回復薬を取り出すと一気に飲み干した。口の中に独特の甘みと苦味の混ざり合ったなんとも形容し難い味を広がるのを感じながら、今から闘うであろう守護者に思いを馳せた。

 10階層以降に現れる守護者は複数体の中からランダムで選ばれる。この10階層で出現する守護者は確認されているもので3体だ。鎧猪アームドボア熟練の豚鬼戦士(ハイオークウォーリア)、そして砂礫竜サンドドレイクである。

 鎧猪アームドボア狂猪マッドボアの上位個体で、皮膚が硬化して非常に堅固でまるで鎧に覆われているのと遜色ないことから名付けられている。狂猪マッドボアと同じく巨体を生かした超重量の突進が武器であり、この突進を攻略できるかが鍵になってくるだろう。

 熟練の豚鬼戦士(ハイオークウォーリア)は名前の通り豚鬼オークの上位個体である。豚鬼オーク達は皆一様に武器の扱いに熟達した戦士である。豚鬼オークの槍使いに苦戦し体中傷だらけになったのはエルにとって良い思い出である。またあの時の様に、いやあの時以上の激戦が待っているだろう公算が高い。その想像するとエルの胸は期待に膨らみ、鼓動が自然と速くなった。

 そして、最後の守護者は砂礫竜サンドドレイクであり、10階層の守護者の中で最も強い魔物である。ただ、竜の名を冠するが英雄譚に登場するような真なる竜ではなく、砂礫竜サンドドレイクは亜竜に分類される。竜であったなら言語を理解し独自の魔法を使うこともあるが、亜竜は知能は低く獣のような存在である。ただ本能の赴くままに目の前の肉を喰らい食む生き物だ。ただし、竜と名付けられるだけあって獣などとは存在の格そのものが違う。小山の様な巨体であり、鱗に覆われた皮膚は並みの武器ではびくともしない。辺境の村などの防衛があまり整っていない村がこの竜に襲われ、壊滅した話もあるほどの強敵である。竜とは力持たない人間にとっては形ある災害そのものなのだ。だからこそ竜殺しは偉業であり、英雄と称賛されるのである。エルもいつか本物の竜を倒したいという願望を持っている。砂礫竜サンドドレイクという亜竜を倒せればその夢に一歩近づける実感を得られるかもしれない。どの守護者が出るかはわからないが、熟練の豚鬼戦士(ハイオークウォーリア)砂礫竜サンドドレイクと闘えればいいと願うのだった。


 休憩を取り体力も気力も回復したエルはゆっくりと転移陣に赴いた。転移陣まであと少しといった所まで近付くと、強烈な光と共に転移陣を護るように守護者が現れた。

 それはエルとは比較するのが烏滸がましいほどの巨体持つ魔物であった。

 砂礫竜サンドドレイクである。

 エルの希望が叶い、10階層の最強の守護者が現れたのだ。翼を持たず四肢のその一つ一つがエルよりも巨大で、岩を連想するごつごつとした鱗に覆われ、エルの何倍もあるであろう長大な尾が伸びている。爬虫類を思わせる黄色い角膜に、感情の起伏が感じられない縦長の瞳孔がエルを捉えると細まり、鎌首を持ち上げると空間そのものが振動するかのような大咆哮をあげた。

 大気を揺さぶる咆哮がエルを襲う。魂に刻み付けられたかの様な恐怖がエルに伝わり細胞がざわめく。咆哮一つだけで、エルは否応もなく生き物としての格が違うことを理解させられてしまった。今まで感じたことのない恐怖が襲い、汗がとめどなく流れ出す。心と体が凍てついた様に動かない。エルが咆哮で固まっている間に、砂礫竜サンドドレイクが巨躯を動かし眼前に迫る。

 早い。

 小山の様な巨体からは予想できなかったほどの速度だ。まだ、動けないでいるエルにその強大な足、爪もあるが引き裂くというよりは重量で圧し潰すのにむいている前肢を振り下ろしてくる。エルは砂礫竜サンドドレイクが足を振り下ろした時になってようやく体が動き出す。迫り来る大質量の物体を、未だに震える体に鞭打ってなんとか横に大きく飛び退くことで辛くも窮地を脱した。その直後、エルという目標を失った凶悪な足が大地に衝突する。

 すると、砂礫竜サンドドレイクの体重の乗った前肢の一撃は、轟音を響かせながら前肢の周囲の地面ごと大きく陥没させるのだった。なんともあきれた攻撃力である。エルの身で下手に受けたなら体が潰れてもおかしくない一撃だ。判断の遅れや逡巡が致命傷になり得るほどの厳しい闘いになりそうである。エルは微弱の震えが残る右手をゆっくり握りしめると、自分の右の頬に手加減せずに叩き付けた。

 そして己を叱咤する。これこそが自分の望んだお互いの生命を賭けた闘いではないかと。己の望んだ戦場で震えたままでは、実力も出せず悔いが残るだろうと。

 思い切り殴ったせいか唇が切れ血が流れ出し、口内に血の味が広がる。鉄さびに似た味を噛み締めると、ようやくエルの身体の震えが治まり強張りが取れ始めた。それどころか心に火が灯ったかのように熱くなり出してくる。かつてない強敵との遭遇に、喜びと興奮で顔が紅潮し、目が爛々と輝き出す。今こそ自分の鍛え上げた肉体と技を信じて闘う時なのだ。

 エルが自己の内面と葛藤しているうちに、砂礫竜サンドドレイクは既に体勢を整え再度攻撃を繰り出してくる。エルを簡単に一飲みできそうな巨大な口を広げて咬み付いてくる。鋭く尖った牙がエルを噛み砕かんと迫り来る。だが、恐れの取れたエルには魔物の攻撃がはっきり見てとれる。こちらも負けじと大声を張り上げて砂礫竜サンドドレイクに突進し、余裕を持って斜め左前方に回避した。

 一方、エルに咬み付きを躱された守護者は、その巨大過ぎる質量のせいで体が前方に泳いでしまう。好機を逃さす必要はない。エルは一気に間合いを詰めると、右後足の膝目掛けて渾身の武人拳を放った。気で覆われた右拳が固いものを打ち、鈍い音が辺りに響く。魔鉱製の鎧さえも粉砕する気を用いたエルの突きは、表面の鱗をいくつか破壊したようだが内部までは届かない。予想した通りであるが、恐ろしく強固で堅牢な鱗である。だが、この強靭な敵ならば修行してきた技を思う存分打ち込めるだろう。そう思うとエルの片口が吊り上り、犬歯を覗かせるようにして笑った。

 砂礫竜サンドドレイクはまさにエルが待ち望んだ強敵であった。

 エルの武人拳に少しも痛痒を感じなかった砂礫竜サンドドレイクは、エルの方に向き直ると今度は左前足を打ち降ろしてくる。だが冷静になって観察すると、この竜の攻撃は小山の様な巨体にしては俊敏であるが、幾多の魔物と闘ってきたエルの経験からいえば、豚鬼オークの高速の槍さばきには劣るように感じた。ただし、攻撃範囲と攻撃力が桁違いだ。回避に失敗した場合の被害は甚大であろう。紙一重で回避することは考えず余裕を持って回避することにしたエルは、両足に力を込めると先ほど攻撃を加えた右後足に向かって疾駆する。砂礫竜サンドドレイクの打ち降ろしが先ほどまでエルのいた位置に到達するころには、エルは既に守護者の前足部分まで駆け抜けている。エルの後方で轟音が響くが構わず後足目掛けて走る。

 自然と口から雄叫びを上げながら駆ける足に気を籠めて跳躍し、走る勢いを攻撃に乗せた飛び蹴りを先ほど攻撃を加えた右後足に放った。エルの強烈な飛び蹴りは狙い違わず、右後足の膝にぶち当たった。今度は固い鱗を砕いて魔物の内部まで足が入る。肉を通り過ぎ、別の固い物体である強固な骨に到達したようだ。膝の骨を破壊することはできなかったが、筋肉を破壊したことで血が流れ出す。竜も痛みを感じたのか苦痛に顔を歪め身体をよじる。エルが守護者の右後足に突き刺さった足を一気に引き抜くと新にどっと血が流れ、無理やり引き抜いたせいか砂礫竜サンドドレイクは再び悲鳴のような鳴き声を発した。

 竜は苦痛と怒りで縦長の瞳孔を更に細めると、大きく息を吸い込み大咆哮を上げた。己に挑んできた矮小な存在を喰わんと怒りに身を任せると、大きく腰を振った。長大な尾を用いた尾撃である。エルの身体よりも大きい尾が地面を削りながら迫る。この広範囲の攻撃に、あろうことかエルは逃げずに前方に突っ込むことで対処する。先ほど攻撃を加えた右後足の内側にまで潜り込んだのだ。

 尾の一薙ぎも砂礫竜サンドドレイクの身体に当たると止まり、竜の足の内側にいるエルまで届かない。それどころか尾撃を行ったせいで硬直してしまい隙ができてしまう。エルにとっては動かない恰好の的である。先ほどから何度も加撃している右後足の膝目掛けて攻撃を仕掛けることにした。

 今度は右掌を用いた強力な発剄の一撃である猛武掌を放つことにする。強烈な踏み込みの瞬間に体を高速で捻り、右掌を竜の傷付いた膝目掛けて突き出した。尾撃を繰り出した直後の砂礫竜サンドドレイクには、回避することなど不可能だ。鈍い音と共にエルの右掌が竜の膝に命中する。巨大で堅固な膝の骨を破壊することは叶わなかったようだが、おびただしく血が流れ、加えてエルの発剄によって衝撃が内部に浸透し魔物に激しい苦痛を与える。竜も出血や発剄の痛みに耐えかねたのか短く悲鳴を上げる。竜はこの激痛を与えた存在を引き裂かんと身体を回転させるが、痛みのせいか動きに精彩を欠いている。

 エルは血を流す右後足を足掛かりに、一足飛びで魔物の背中に飛び乗った。背中もごつごつした岩の様な鱗がびっしり生えている。だが凹凸がはっきりしていて、今のエルにとっては都合がいい。砂礫竜サンドドレイクがエルを振り落とそうと激しく暴れるが、左手で大きな鱗を掴んだエルは簡単には落とされない。振動で体が浮くことはあってもどうにか背中に踏み留まれている。そして、竜の動きがやや緩やかになるまで我慢すると、エルは右手に気を籠めた武人拳を背中に叩き付け出す。

 一発、二発。

 竜が身をよじって暴れるが気にもかけない。

 殴る、殴る、殴り続ける。

 数発も気で覆われた拳をぶつけると、鱗も破れ肉が姿を現し出す。その肉は本来であれば生半可な刃物も通さない鍛え抜かれた筋肉であるが、今回は相手が悪い。竜の鱗でさえ砕くエルの気魂の拳である。エルが殴る度に筋繊維は破壊され、血が飛び散る。竜が悲鳴を上げ身体を激しく身悶えるが、鱗を掴んだエルを引き剥がせない。

 エルはひたすら気を籠めた拳で殴り続け破壊の痕を広げ続ける。止めどなく血は流れエルの全身を徐々に深紅に染めていく。やがてエルの半身が埋まるほどの血の海ができあがるが、それでも砂礫竜サンドドレイクはエルを振り落とそうと暴れ続けている。

 なんと凄まじく強靭な肉体だろうか。 

 エルは竜の恐ろしいまでの生命力にいつしか畏敬の念を抱いていた。この強敵に出会えたことを喜び、神に感謝した。

 そして、尊敬がするゆえに手を抜かない。エルはひたすら右拳で殴り続け、守護者の肉体を壊し続けた。このままいけばさしもの竜であろうと絶命するだろうと殴り続けていると、突然エルの視界が急激に回転する。死の危険を感じ取った砂礫竜サンドドレイクが自身を横転させたのだ。

 巨体の倒れる轟音が辺りに響き渡る。エルもその衝撃に抗いきれず枯葉の様に飛ばされ、大地に叩き付けられる。余りの衝撃に呼吸が一瞬止まってしまう。しばらく後、息を吐き出すと、せき込みながら酸素を欲して呼吸を繰り返す。打ちつけられた全身が痛む。必死に呼吸を整えながらよろよろと起き上がって敵を探す。砂礫竜サンドドレイクを見つけると、あちらも起き上がったようであるが吐く息が荒い。背中から大量の血が流れだし、苦しそうに時折呻いてる。

 だが、挑戦者への攻撃を止めない。竜は大きく息を吸い込んだ。

 竜の吐息ブレスだ。

 エルは傷む身体をなんとか動かそうとするが、竜の攻撃の方が速い。

 竜の口から丸い巨岩が発射されると、高速でエルに接近しながらどんどん巨大化していく。エルに迫る頃には飛び退くぐらいでは回避できないほどの大きさにまで巨大化してしまう。

 エルは間に合えと念じながら、右手に気を籠めた。

 迫り来る大質量の巨岩に向かって、獣の様な咆声を発しながら気魂の拳で地から天へすくい上げるように下突きを放った。

 拳が当たった刹那、小山の様な巨岩に成す術なく、エルはただ吹き飛ばされ大地を猛烈な勢いで転げ回る。

 だが、右手を犠牲にすることで巨岩の軌道を上方に流すことに成功し、なんとか直撃は免れた。

 それでもエルの被害は甚大だ。ごろごろと地面を回転させられた後に緩慢な動作で立ち上がると、右手に付けていたはずの籠手は粉々に砕け、腕自身もあらぬ方向にひん曲がってしまっている。激しい痛みがエルを襲う。脂汗が頬を伝い、思わず苦痛に顔を顰めてしまう。心臓も早鐘を打ち自分の窮地を知らせてくる。

 だがエルは、こんな状況に置かれているにも関わらず笑い声をあげた。


 体中が痛い。腕が千切れそうだ。

 でも、この痛みが教えてくれる。

 これこそが強敵との闘いだと。

 そして今、自分が猛烈に生きていると!!

  

 口角を吊り上げ、エルは狼が笑ったかの様な笑みを浮かべると、雄叫びを上げ強敵に向かって烈火の如く駆け出した。痛みを忘れたかの様な俊敏な動きである。

 再び竜が吐息ブレスを吐いた。だが、一度見ていれば対処もできる。巨岩が発射されると同時にエルは走る方向を直角に転換し、真横に向かって駆ける。大きく距離を取ることで巨大化する岩石を回避すると、再度方向転換し竜に向かって疾駆する。

 竜は後足や背中の出血がひどく、動かずにエを迎え撃つようだ。砂礫竜サンドドレイクが再度息を吸い込む。エルの疾駆によって距離が迫る。この吐息ブレスを回避できればこちらの攻撃も届くだろう。猛烈な勢いでエルが迫るが、これ以上近付けまいと竜は吐息ブレスを吐き出した。

 なんと、今度の吐息ブレスは巨大化する岩ではない。

 エルの頭程度の岩が無数に発射されたのだ。

 予想外の攻撃、加えて回避の困難なおびただしい数の岩にエルの対処が間に合わず、幾つもの岩に体を打たれ吹き飛ばされる。体のあちこちから血が出始め、着ていた武道着も千切れ防具の体を成していない無惨な姿になってしまう。体の至る所に痣もでき、じんじんと傷む。

 だが、倒れているのも束の間、エルは笑みを濃くすると足を振って一気に跳ね起きた。折れた腕が痛む。体中が痣と出血で苦しい。思わず悲鳴を上げそうだ。

 だが、それがどうした。この体中の痛みが強敵の強さの証明であり、エルの生きている証なのだ。これこそが僕の戦場なのだ。

 激しい昂揚感と充足感を感じたエルは、天に向かって高らかに声を上げる。

 そして、己が強敵に向かって疾駆する。

 竜の方も満身創痍でもう動けない。吐息ブレスを躱されて接近されれば己が死が待っていることを本能で理解しているのだろうか、必死でエルを近づかせまいと迎撃の準備を取る。

 砂礫竜サンドドレイクは大きく息を吸い込むと、エルに向かって渾身の吐息ブレスを吐き出す。先ほど見せた避けることの難しい無数の岩による攻撃だ。エルの選択は簡単シンプルだ。回避できないなら避けなくていい。無数の岩の中を身を低くし、真っ直ぐに自分の敵に目掛けて矢の様に疾駆した。

 そのうち避けきれない岩が頭や顏、肩などを強打する。しかし、知っていて当たる覚悟があれば、巨岩と違い吹き飛ばされることはない。傷や痣が深くなろうと構わずに己が強敵に向かって駆け続け、ついには吐息ブレスを搔い潜り竜の眼前に辿り着く。竜は息も絶え絶えという体であるが、それでも挑戦者であるエルを倒さんと己が力を振り絞り、大きなあぎとを開き咬み付きを敢行してくる。エルは竜のあくまで闘おうとする姿に畏敬の念が増し、魂が奮え血が滾った。

 エルも限界まで力を振り絞り強大なあぎとを寸前で回避すると、伸びきった首に折れていない左手に気を籠め、斜め左下から捻るように下突きを放つ。首の下は柔らかい部分なのか、鱗も薄く一気に壊しながら跳ね上げる。そして跳ね上がった首目掛けて、腰の回転を利用し、そして裂帛の気を籠めた左の上段回し蹴りを繰り出した。

 エルの魂魄の一撃は竜の首を半ばまで切り裂き、大量の血を噴出させた。

 連日の修行の成果である、気を籠めた連続攻撃によって竜は力尽き地に付したのだ。

 やがて、勝利者を祝するかのようにか細く一声鳴くとそれきり動かなくなった。

 英雄になることを夢見た少年のあくなき執念と研鑚した技の勝利であった。エルは死した強敵に尊敬と感謝の念を込めて頭を下げると、己が勝利を知らしめんと声も枯れんばかりに雄叫びを上げ続けるのだった。


 そして竜の死骸が迷宮に吸い込まれて消えると、落しドロップが現れる。希少な落とし物(レアドロップ)砂礫竜サンドドレイクのヒレ肉だ。しかも、巨竜の肉なだけあってエルよりも大きい。とても食べ応えがありそうだ。今夜の夕食はこの強敵の肉を食そうと心に決め、魔法の小袋(マジックポーチ)に肉を収める。すると、今度は周囲の音が消え、天から声が降りてくる。


 エルよ。我が信徒よ。

 よくぞ我が課した試練を克服した。

 お前に我が御業を授けよう。

 今後も研鑚を積み、新たな試練に備えるのだ。


 武神シバからの声がエルに届き、頭の中に神の御業の使い方が浮かんでくる。これが神の試練を超えた褒美なのだろう。新しい技を覚えたことで、エルは飛び上がらんばかりの喜びに満ち溢れる。強敵と闘え、その上素晴らしい褒美ももらえるで言う事なしである。武道着や籠手は壊れてしまったが、5階層以前に買ったものだし買い直すにはちょうどいい機会だろう。エルは魔法の小袋(マジックポーチ)から回復薬と予備の服を取り出すと一息付くことにした。


 今回、エルは強敵との闘いで大きな負傷をすることも想定して、念のため回復薬だけではなく上位の高級回復薬も準備しておいたのだ。上位の高級回復薬は骨折などの傷や、千切れかけた部位も繋ぎ合わせることもできるのだ。さらに上位の最高級回復薬にもなると部位の欠損や失った四肢の再生までもできるらしいが、恐ろしいほどに値が張る。ただの回復薬が1個銅貨6枚に対して高級回復薬が銀貨1枚と銅貨20枚、最高級が金貨2枚と効能が上昇するにつれて値段の桁が跳ね上がるのだ。

 だが、そのおかげもあってか、回復薬よりもさらに苦味のました不味いとしか形容できない液体を飲み干すと、エルの身体が急速に回復し始める。しばらくすると、右手の骨折さえ治ってしまった。味さえ我慢すれば実に優れた効能である。ただ、体は治ったが疲れが取れない。それほど強敵との壮絶な死闘の代償は大きかったのだ。エルは先ほどの戦闘を思い出しながらゆっくり休息を取るのだった。


 それから後はさっさと11階層に転移し、登録を済ませると迷宮都市アドリウムに帰った。いつも受付を担当してもらっているセレーナに冒険者カードを渡して1つ星に更新してもらうと、足取りも軽く弾む様に金の雄羊亭に戻るのだった。

 宿に戻ると早速リリを探す。1階の掃除をしているリリを見つけると、エルにしては珍しく大声を上げて呼び止める。


「リリ、これを見てくれない?」


 エルが大声を出したのを驚きながらリリは手を止めると、エルの掲げる冒険者カードを受け取って見る。そこには、10階層を攻略した冒険者の証である星が1つ描かれていた。


「これは・・・1つ星じゃない!」

「そう、さっき10階層を攻略したんだ。

 これで僕も今日から1つ星のの冒険者さ」


 誇らしそうにするエルが何だかおかしくて笑い声が込み上げてくるが、リリはぐっと堪えるとエルに向かってとびきりの笑顔を浮かべて祝福することにした。


「おめでとう、エル。

 エルはまだ下位冒険者になって一月も経ってないでしょ?

 それなのにもう1つ星だなんてすごいのね」

「えーと、たしか下位冒険者になってから20日ぐらいかな。

 自分ではよくわからないけど、良いペースで迷宮の攻略ができているのかな?」


 リリはエルの何も考えていないかのような回答に唖然としてしまう。1つ星になるのは容易なことではない。オルド達などの例もあるが、パーティを組んでも5階層から10階層を攻略するには数ヶ月以上かかるのが当たり前だ。1年以上掛かることもざらにあるし、才能のない者では一生1つ星になれない者もいるほどだ。エルは単独冒険者だ。それなのに1つ星になるのに一月も掛かっていない。冒険者としてきちんと評価するなら、かなり上位の才能を持っていると判断すべきだろう。エルだったら上位冒険者、もしかしたら最上位冒険者にも届くかもしれない。

 だが、迷宮の攻略速度などについてはリリでも知ってるほどだ。調べればすぐにでもわかるだろう。そういえば、エルは魔物としか闘わず、迷宮の採取や漁、採掘なども全くしていないと言っていたことをリリは思い出した。

 そっとため息を吐くと、冒険者なのに攻略速度も知らない、魔物のこと以外は無頓着でのんきなこの友人を、リリは再度祝福することにした。 

 

「まあ、いいわ。

 エルはエルのペースで攻略するのが一番でしょう。

 あまり無茶して、心配掛けないでね。

 改めて、1つ星の冒険者になれておめでとう。

 よく頑張ったね」

「うん、ありがとう。

 それで今日の夕飯はこれでお願いするよ」


 そう言いながら、エルは魔法の小袋(マジックポーチ)からエル自身よりも大きな巨大な肉の塊を取り出した。リリはあまりの巨大な肉に驚いて固まってしまう。固まったリリにエルは落ち着かせるように、ゆっくりと説明した。


「これは砂礫竜サンドドレイクのヒレ肉だよ」

砂礫竜サンドドレイク?」

「そう竜の肉さ」


 誇らしそうに語るエルの言葉に、茫然としていたリリも次第に理解し始める。こののほほんと笑顔を浮かべている友人は、迷宮で竜を狩ってきたのだ。思わずリリは声を荒げてしまう。


「エル、無理はしないでっていつも言ってるじゃない

 砂礫竜サンドドレイクって、10階層で一番強い魔物じゃない」

「いっ、いや、もちろん無理はしてないよ。

 勝てない敵だったら、さっさと逃げ出したさ」


 エルの返答が信じられないのか、リリは胡乱な瞳でエルをねめつける。エルはリリの信用を得ようと慌てて言葉を募る。


「本当だって。

 現に倒しているわけだし、僕にとってちょうどいい強さの敵だったんだ。

 ねっ、リリ。

 お願いだから信用してよ」


 エルの拝み倒すかのような低姿勢にようやく納得したのか、リリは大きく息を吐いた。


「いつも言ってるけど本当に無理しちゃだめよ。

 冒険者はどんなに強い人でも、あっけなく簡単に死んじゃうこともあるんだから。

 私は友達に死んで欲しくないからこんなこと言ってるんだからね」  

「うん、わかってるさ。

 僕も本当に無理なら逃げるし、簡単に死ぬ積りはないよ」

「それならいいわ。

 さあ、今日はお祝いよ。

 このお肉で父さんに美味しいものをいっぱい作ってもらいましょ」


 リリの提案にエルは笑顔で頷くと、リリが持つには大き過ぎる肉を担いで歩き、厨房にいるシェーバに肉を渡した。

 後は、料理ができるまで一休みである。


 しばらくして、リリが大皿に分厚く切った巨大な肉のステーキを運んでくる。


「はいどうぞ。

 いっぱい食べてね。

 私は手が空いたらまた来るから」

「うん、リリありがとう。

 先に楽しんでいるよ」

「ええ、まだまだあるから思う存分食べてね」


 そう言うと、リリは見惚れるような快活な笑顔を浮かべて去って行った。

 エルは直ぐさま目の前に置かれたステーキにナイフを立てる。柔らかくまるで手応えがなく一切抵抗がないかの様にあっさり切れてしまう。途端に溢れんばかりの肉汁と少量の血が滴り出す。中はほとんどレアのようだ。一口大に切った肉を、エルはもう我慢ならないと一気に口に放り込む。

 竜の肉を口の中に入れた途端に、エルはえも言われなぬ幸福感に包まれる。あまりのおいしさに意識が遠のいてしまうそうになってしまったほどだ。香辛料を効かせ特製のソースを絡めたステーキは驚くほど柔らかく、飛び上がりたくなるほど極上の味である。しかも、あまりの柔らかさに噛むまでもなく飲み込めるほどだ。ほとんど噛まずに飲むように食べると、喉を通るほどに官能的な味わいがエルを襲い陶酔させる。

 喜びに打ち震えるエルがステーキを食べ進めると、肉体が進化したかの様な感が得られる。食べるほどに体が強化される気さえしてくる。砂礫竜サンドドレイク希少な落とし物(レアドロップ)は、この階層の魔物にしては肉体への強化効率を格段に上げてくれる効果もあったのだ。今のエルにはまさに打って付けの食材であった。エルはこの垂涎の料理を食べれる境遇に感謝しながら、夢中で食べ勧めるのだった。


 エルが夢中で食べていると、リリもテーブルに加わる。

 二人で大きな笑い声を上げながら料理を食べ進めていると、冒険者が集まってくる。

 そうしたら宴会だ。

 エルは、リリと食べていた砂礫竜サンドドレイクの肉料理を惜しげもなく振る舞った。加えて、ため込んでいた偉大なる箆鹿(グレートエルク)のモモ肉などの迷宮の食材を提供してシェーバに料理を作ってもらい、それらも集まってきた冒険者に振る舞った。

 辺りに笑い声が木霊する。美味しい料理は人々を笑顔にし、疲れを癒してくれる。

 次々に冒険者が現れてエルの昇格を祝ってくれる。

 オルドやライネル達の姿もある。皆楽しそうに笑い合い、杯を重ね合う。

 エルが喜びに打ち震えていると、カイ達も金の雄羊亭に訪れたようだ。昨日、エルが守護者に挑戦することを聞いていたので、気になって訪れたようだ。この雰囲気にエルの成功を察すると、我がことの様に喜び口々に祝いの言葉を述べ宴会に加わる。

 ああ、なんと幸せなことか・・・。

 本当に冒険者になってよかったと、エルは心の底から思った。むしろ自分がこれほど幸せでいいのかとさえ思えてくる。

 エルはようやく1つ星になれた下位冒険者である。駆け出しを終えいっぱしの冒険者になれた程度であり、まだまだ目指す先ははるか先だ。これから様々な喜びと共に、多くの苦難や苦しみがエルに訪れることだろう。

 だが、エルは自分がこの道を違えることはないだろうと言えるまでに成長できた。この成長は自分の力だけではない。リリやライネル、オルドやカイ達、そしてアルド神官といった多くの人々に支えれたものだ。皆とのつながりによって、エルは一回り大きく成長できたのだ。これからも賑やかな彼等と付き合いながら、自分も成長していこうとエルは誓うのだった。


 宴は深夜遅くまで続き、エルは笑い声と笑顔に包まれながら晴れ晴れとした気持ちで眠りにつくのだった。  

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ