第17話
カイ達との再会までの残り2日間、エルは精力的に迷宮探索に勤しんだ。
8階層の敵がもはや相手にならなくなったエルは、狂猪の猛烈な突進を気を籠めていないただの中段突きで受け止めるという、6階層で誓った復讐を果たすと9階層に向かったのだ。
9階層も8階層と変わらず見渡す限り草原の迷宮である。
ただし、特筆すべき点として草原の隅に巨大な川が流れている。反対側がちょうど迷宮の端になるらしく、川を渡ろうとしても無色の透明な壁に阻まれてしまうそうだ。
ただ、この土気色した濁った川には大小様々な魚が生息している。迷宮に住んでいる魚なので、魔物を倒して魔素を吸収した冒険者の強化を促進してくれる効果を持っている。中には大変美味で大金で取引されるものもいるらしく、魚を捕まえるだけで魔物を倒すよりはるかに安全に金銭を得られる。一攫千金を狙う冒険者にとっては、9階層は正にうってつけの稼ぎ所であった。エルが歩いていると川傍で釣りをしたり、投網をしている冒険者の姿がちらほら見られた。
しかし、ここは迷宮の中である。周囲への注意を怠れば魔物の奇襲を受ける事もあり得る。特に9階層から新たに出現する大鰐が曲者である。エルの身に付けている籠手の材料に使われている魔物で、軽く強固な鱗を有しており生半可な攻撃は通用しない。川縁で魚に取る事に夢中になっていると、川の色に近い薄茶色の鱗に覆われているので接近に気付かず、突然巨大な口で咬み付かれ水中に引きずり込まれる。川の中は視界が劣悪な上、水の抵抗により動きが制限されてしまう。そんな状況に陥れば強靭な力と非常に硬い鱗を持つ大鰐から逃れる術はなく、ただ命を散らすのみである。だから9階層で魚を獲ろうとする場合は、パーティを組み必ず見張り役を立てて常に周囲を警戒しながら行う必要がある。
もっとも漁獲の際に大鰐によって冒険者が犠牲になる事もあるが、それでも豚鬼や岩蛙などと闘って亡くなる冒険者の数の方が多いので、9階層の大河は冒険者にとって実入りの良い魅力的な場所に変わりはなかった。
だが、迷宮探索において魔物との戦闘を第一に考えるエルはあまり興味をそそられなかった。9階層は大鰐以外に新たな魔物は出現しないし、その大鰐にしても水中にいる事が多く、陸上で見かける事は少ない。また、この魔物は水中で本領を発揮するが、陸上では鈍重と言わないまでもエルにとっては不意を突かれても対処できる程度の速さしかなく、ただ固いだけの敵であった。側面に素早く回り込んで、巨体の割に小さい頭部に気魂の一撃を加えるだけで容易く倒せる敵であった。
エルはさっさと転移陣を探すと、足早に10階層に転移するのだった。
10階層で新たに加わる魔物は、偉大なる箆鹿である。へらの様な平たいが所々に鋭利な突起を有する大きな角を持つ、金色の体毛に覆われた雄雄しくも優美な姿を持つ魔物である。
その美しい外見とは裏腹に、守護者を除いた10階層までの敵で最も強いのがこの偉大なる箆鹿である。この魔物の特徴を一言で表せば、万能な魔物である。角による近接攻撃に加えて魔法による遠距離攻撃手段も有し、さらに回復魔法まで使うのだ。唯一の欠点として、豚鬼の魔鉱の鎧や岩蛙の堅固の表皮ほど体毛は固くないので、攻撃が通り易いといった点が挙げられるが、それでもエルの数倍もある巨体で体力も高く、長期戦を強いられる敵である。
エルも当初は苦戦を強いられた。巨体に似合わぬ俊敏な動きで頭を下げ、角を先頭ににして強烈な突進を浴びせられたのだ。辛うじて躱しても、突進した勢いが止まらず距離が離れてしまう。しかも、やっと停止したと思ったら直ぐ様振り向き、エルが接近する間もなく偉大なる箆鹿は嘶きと共に複数の炎の塊を出現させてぶつけてくる。掌に気を籠めた廻し受けで火炎の玉を受けきると、息つく間もなく再び突進による攻撃である。優れた連続攻撃に舌を巻く思いである。なんとか苦労して接近できたとしても、角を下から突き上げられ高々と跳ね上げられる。距離が離れれば、また魔法と突進の連続攻撃である。10階層までで最強の魔物という呼び名に恥じぬ苛烈で隙の見当たらない攻撃であった。
結局、エルは自分も傷付く覚悟で突進を武人拳で迎え撃ち、この偉大なる魔物を倒す事になんとか成功した。ただし、こちらの代償も少なくなく、拳を偉大なる箆鹿の頭に届かせる際に避けきれなかった角がエルに突き刺さり、重症とまではいかないが決して軽くない損傷を被る羽目になった。
エルは傷付いた体を回復させつつ敵の強さを尊ぶと、しばらくこの階層で自分を鍛える事に決め魔物達との激しい闘いに身を投じるのであった。
そして、カイ達との約束の日が訪れる。エルは期待と不安を抱きながら待ち合わせ場所に指定した、協会の訓練所に向かった。
既に4人共揃っている。顔を見ると、皆一様にやり遂げたような自信に満ちた顔をしている。カイにいたっては不敵な笑みを浮かべてさえいる。どうやら訓練は上手くいったようだとエルは胸を撫で下ろした。
「皆おはよう。
どうやら上手くいったようだね」
「ああ、俺たちの修行の成果を見せてやるぜ。
エル、さっさと迷宮に行こうぜ」
カイは今にも駆け出しそうなほどやる気を漲らせている。女性陣の方も同様の意見なのか頷いていたり、表情から意気軒昂な様子が窺える。実にいい傾向だ。見ているエルも刺激を受けて今にも闘志が湧き上がってきそうなほどである。
エルもすぐに笑顔で了承すると、カイ達と共に迷宮に向かうのだった。
3階層に降りると、犬鬼を探し回った。3階層の主力の魔物であり、前回との違いを測るのに打って付けの相手だったからである。
ほどなくして犬鬼と遭遇するが、開けた部屋と部屋を繋ぐ狭い通路部分である。1対1で闘うなら構わないがパーティで闘うにはここは狭すぎる。
「皆、さっきの小部屋に戻ろう。
ここじゃ狭すぎる」
エルの指示に従ってカイ達が駆け出す。エルも殿を務めながら走る。犬鬼も逃げ出す獲物を捕まえようと遠吠えを上げて追いかけてくる。幸いにしてカイ達の方が魔物よりも足が速く、小部屋までの距離が短かったおかげで追い付かれることなく予定の場所に到着した。息を弾ませるカイ達に任せると、エルは後ろに下がりながら声援を送る。
「皆頑張って。
後ろから応援しているよ」
「おうっ、前回とは違うことを見せてやるぜ
皆行くぞ」
「「「はい」」」
カイの号令で皆威勢の良い返事を返し、戦闘態勢に入る。
犬鬼は駆け込んできた勢いそのままに、先頭に立つカイに狙いを定めると赤茶色の長剣を唐竹割りに振り下ろした。
カイは腕力勝負では犬鬼に分がある事を前回の闘いで学んでいるので、真面に受けずに一瞬受け止めると力を抜いて逆らわずに側面に流してしまう。犬鬼は堪えきれずにたたらを踏んでしまう。
その隙を逃さずに、シャーリーが側面から偃月刀で前足を薙ぐ。大きな弧を描き遠心力を力に加えて毛むくじゃらの脛を斬る。長物の利点を生かした遠間からの一撃は、肉に食い込み血を流させる。犬鬼も苦痛にもがき苦しんでいる。
今迄は順調だがここからが本番だ。痛みで理性をかなぐり捨てた犬鬼は、獣の本性を剥き出しにして無茶苦茶な攻撃を繰り出してくる。大きく裂けた口から牙を露わにして唸り声を上げながら、自分を傷つけたシャーリーに襲い掛かった。
だが、今度はカイが側面から攻撃を仕掛ける。犬鬼の首の裏を狙った袈裟斬りの攻撃だ。長剣の軌道に対して刃の向きが揃っている、刃筋の通った綺麗な斬撃だ。なにより腕の振りが以前とは段違いである。余程扱かれたのか、きちんと脇を締め手首を効かせた素早い一撃である。
怒り狂ってシャーリーにしか目が向いていない犬鬼には、当然ながら躱す術はない。革鎧から露わになっている首の後ろへの鋭い斬撃は、肉を断ち骨まで到達したのか魔物は悲鳴を上げることもできず苦痛に顏を歪め動きが止まってしまう。今にも倒れ伏しそうな犬鬼に、シャーリーが喉元に突きを放ち、さらにシエナが目に矢を穿つことで止めを刺した。
エルはそっと息を吐き出した。カイ達の実に見事な立ち回りに称賛の言葉しか浮かばない。つい4日前に犬鬼と闘った時は、カイ達も大分負傷し奥の手の気剣を出さねば勝てないほどの大接戦であった。しかし、今は上達した攻撃で魔物の動きを止めると、きちんと連携を取り傷を負わずに魔物を倒しきってしまっていた。素晴らしい上達ぶりである。エルは目覚ましい成長を見せた4人に、惜しみない称賛を送る事にした。
「皆すごい上達ぶりだね。
びっくりしたよ」
「へへっ、これが俺達の修行の成果だ」
「これなら私達も3階層で闘えるしょう?」
「うん、今の様子なら大丈夫だよ」
「エルさんにそう言ってもらえるとうれしいです」
「ミミは回復魔法を使う機会はなかったけど、いつでも魔法を掛けられるような位置取りをしていたね。
それも、今回の成果の一つかな?」
「はい、集団戦のやり方についても教官に教えてもらいました」
ローブから覗かせる獣耳も喜びを表現するかのように時折動きながら、ミミは笑顔で答えた。カイ達も体全体で喜びを表している。エルに褒めれた事もあるが、やはり実戦で修行の成果が出た事が大きいだろう。今迄苦戦した相手でも切磋琢磨する事で容易く倒せるようになる。直に成長が確認できる冒険者稼業の醍醐味の一つだ。
彼らの成長を喜びつつ、エルは休憩を切り上げる事にする。
「さあ、探索を再開しよう。
今日はまだまだ時間があるよ」
「おうっ、エルが仰天するぐらい魔物を倒してやるぜ」
「はい、頑張りましょう」
成果が出ている事で4人の士気も高い。エルは微笑むと、新たな魔物を探し始めるのだった。
そこからカイ達の快進撃が始まった。3階層の魔物1体ならもはや負ける事はないだろう。エルも安心して見ていられた。犬鬼や魔法使いなどの複数体の魔物との同時戦闘でも負傷しつつも倒せるまで成長を見せた。
ただし、犬鬼が2体以上になると厳しい。前衛のカイとシャーリーを犬鬼と戦力比較した場合、まだ犬鬼の方が強いと言わざるを得ない。カイならシエナの援護があれば倒しきれるが、シャーリーでは後方からの支援があったとしてもまだ無理で、重症を受けそうな危険な場面もあった。その度に待機していたエルが飛び出し、すんでの所で助けに入り大怪我を負う事はさせなかった。シャーリーも自身の実力を把握したようで、積極的に攻撃せずカイ達が犬鬼を倒すまで防御に徹するなどの立ち回りも見せた。彼女の今後の成長が楽しみである。
カイ達も連戦で疲労が色濃くなり始めたら、エルも参戦して魔物との闘いに加わった。魔物を倒せば倒すほど魔素を吸収できるので、冒険者の心身が成長する。迷宮での闘いは、冒険者の気力や魔力と言った精神力や、体力などの基礎的な能力を飛躍的に高めてくれる。そのため、エルは4人と共にできるだけ多くの魔物を倒す事にしたのだ。
エルは壁役となって攻撃を一手に引き受けるか、手加減した攻撃で相手の動きを鈍らせカイ達に止めを刺させた。エルが魔物を倒すだけでも一緒にいる彼らも魔素を吸収できるが、それでは肉体や精神力のみが強化させるだけで技術力は上がらない。それに他人に過度に頼りすぎると依存心が芽生え、肝心な時に力を発揮できなくなってしまうのでよろしくない。
自分達の手で倒させる事で攻撃技術を向上させると共に、エルの助力はあっても補助的なもので戦果は自分達が主体となってあげていることを実感させるようにしたのだ。それからエルたちは途中何度も休憩を取りつつも、4人の体力の続く限り魔物を倒し続けるのだった。
迷宮から戻るとすっかり日が傾いている。さっさと受付で戦果を買い取ってもらうとカイ達が泊まっている、穴掘り兎の塒亭に向かった。
エルもカイ達と夜食を共にし、本日の反省会も兼ねた打ち上げを行った。まあもっとも、エルとしても今回の彼等の闘いぶりは褒めるべき点は多々あっても叱責すべき点はない。あるとしても今後の課題と軽い注意点ぐらいだろう。
エルはカイ達を労おうと狂猪や偉大なる箆鹿の肉を提供し店主に調理をしてもらい、今日のエルの取り分から全員分の料理を注文しさっさと勘定を済ませてしまう。ミミなどは恐縮してお金を払おうとするが、エルは微笑みながら首を横に振る。
「このくらい気にしなくていいよ」
「でも、エルさんには助けてもらってばかりですし……」
「いや、今日はほとんど僕は何もしていないよ。
ほとんど皆が倒してくれたからね。
お金をもらって、却って申し訳ない気持ちになったぐらいさ」
「エルさん……」
「皆が喜んでくれれば僕も嬉しいし」
ミミはシャーリーと顏を見合わせる。やがて不承不承納得したのかエルの好意を受け取る事にしたようだ。
「それじゃあ、エルさんの好意に甘えさせて頂きますね」
「うん、遠慮なく受け取ってくれるとうれしいな」
「それにしてもエルさんの気持ちはうれしいですが、ちょっとやり過ぎですよ」
「えっ、そうかな?」
「そうよ、やり過ぎよ」
ミミでけでなくシャーリーからもお小言である。完全に予想外の展開にエルは固まってしまった。
「エル。
今の私達は残念だけど対等の関係じゃないわ。
エルに鍛えてもらったり危ない所を助けてもらったりと、私達の方が一方的に恩を受けている立場だわ。
これ以上良くしてもらったらあたし達の方が心苦しいわ」
「僕は良かれと思って……」
「ええ、エルの気持ちは本当にうれしいわ。
でもあたし達からしたらもらい過ぎなのよ
迷宮で助けてくれるだけでも十分なんだから、そんなに気負い過ぎないで」
「やり過ぎ良くない」
自分が逆の立場だったどうだろうとエルは想像してみる。シャーリーの言う通り相手からの善意からといっても、あまりに好意を受け過ぎると負い目もできるだろう。自分の行為も彼女達からしたらやり過ぎたのだろう。他人との交流が少ないエルの欠点が出た形だ。子犬の様にしょげ返るエルを見て、カイは可笑しそうに大口を開けて笑い転げる。
「こらっ、カイは笑わないの。
でも、エル。
あたし達は本当にあなたに感謝してるわ。
だからもう落ち込まないで」
「エルさん、ありがとうございます。
でも私達はエルさんと片意地張らずに気楽に話せる関係になりたいんです」
「そうだぜ、エル。
今は俺達の方が下だが、すぐに追いついて対等な関係になってやるさ。
だからあまり難しく考えるなよ」
皆の温かい言葉にエルも心が楽になる。エルは導かねばならぬという使命感からか気負い過ぎていたのだ。エルはゆっくり深呼吸すると4人に笑顔を向ける。
「皆ありがとう。
少し焦ってたのかのしれない」
「エルは笑ってた方がいい」
「さあ、しんみりした話もおしまいにしましょう。
料理が来たわよ」
この宿の女将と思しき往年の女性が次々に料理を運んでくる。新鮮なサラダに焼き立てのパン。そして、エルの提供した迷宮の食材を使った様々な肉料理である。肉の焼けた匂いと美味しそうなソースの香りが食欲をそそる。全員にククの実のジュースが行き渡ったら乾杯である。ぼーとしているエルにカイが声を掛ける。
「ほら、エル。
乾杯の音頭をとってくれよ」
「えっ、えーと。
そっ、それじゃ、今日の冒険の成功を祝って、乾杯!」
「「「かんぱーい」」」
杯を掲げて皆で唱和すると宴の始まりだ。たまらない妙味の料理に食が進む。冒険の大成功も手伝って皆笑い声や笑顔が絶えない。
カイ達は苦しい瀬戸際の状況が続いていただけに、今日の喜びは一入だ。暗闇の中にようやく光明が差した気分だろう。彼らの心の中は喜びで溢れていた。
エルにしてもカイ達との距離を掴み兼ねていたが、肩の力を抜いて接する様になった事といい、人心地着いた気分で心も軽やかだ。今後の彼等との探索も順調に行くだろうと、希望を持てるようになった。自然と口も緩む。
今日の冒険譚を肴に、5人は夜遅くまで楽しい一時を過ごすのだった。