第16話
焼けた肉の美味しそうな香りが鼻腔をくすぐる。
シェーバがエルの目の前に、匂いの元の分厚いステーキを置いた。エルが数日前に取ってきた狂猪のモモ肉を調理してもらったものだ。
単純に塩と胡椒で味付けしてもらったが、湯気を立てながら今すぐにかぶり付きたくなるほど堪らない香りを発している。シンプルな調理方法なだけに、料理人の絶妙な焼き加減が光る一品である。加えて、付け合せの野菜も色合いも考慮したのか、肉の赤に葉野菜や根野菜の緑に黄と実に華やかで食欲をそそる。
エルは逸る気持ちに押されて分厚いステーキにナイフを入れた。すると何の抵抗もなくあっさり刃が通り、切った傍から肉汁が溢れ出す。大振りに切った肉片を口いっぱいに頬張ると、たちまち極上の味が広がる。粗挽きの胡椒に柑橘系の果実が混ぜてあるのか味に深みが出ており、しかも後味が実に爽やかだ。
エルはカイ達と迷宮に潜り魔物と闘った後なので、唯でさえお腹が空いている。この垂涎の絶品料理ならいくらでも食べられると、勢い良くステーキを口に放り込み咀嚼している所に野太い声が掛かる。
「エル坊、今日も頑張って迷宮探索してきたようだな」
エルが手を止め、顔を上げると肉食獣を連想させる顏に男臭い笑みを浮かべたライネルが立っている。後ろに弓使いのエミリーと回復役のクリス、そして大盾と剣を背中に担いだ翠熊族の戦士のダムがいるので、迷宮から帰ってきたところだろう。エルは立ち上がるとテーブルの椅子を引き、着席を勧める。
「ライネルさん達もお疲れ様です。
どうぞ座ってください」
「エル坊、悪いな」
「エル君、ありがとう」
皆口々に礼を述べると椅子に着き、エルとテーブルを囲む。今日の探索は何か良い事があったのか、魔物達との激戦の後にも関わらず全員がにこやかに笑顔を浮かべている。
ライエルは他の冒険者への給仕を終え通りかかったリリを呼び止め、大量の料理を頼んだ。常ならエミリーが咎める様な高額な品まで注文しているが、今日は何も言わず笑顔のままだ。
料理が来るまでの手持ち無沙汰の時間に、気になった仕方がないエルが笑顔の理由を問うた。
「何か良い事でもあったんですか?
皆さんがずっと笑顔のままなので、気になりますよ」
「ふっふっふ、聞きたいか?」
にやけて勿体ぶるライネルの態度に、余程のことがあったのだとエルは確信する。一度膨らんだ好奇心が抑えきれずに、エルはライネルにもう一度催促する。
「そんなに勿体付けないで教えてくださいよ。
今日は何があったんです?」
「やれやれエル坊は堪え性がねえな。
しょうがない、特別に教えてやろう」
ライネルは鷹揚な態度を取っているが、その実今日のでき事を自慢したくて仕方ないのであろう事が容易に推測できる。エルが問い質さなくてもそのうち我慢できずに話し出したと思われるほど、ライネルは勢いよく今日のでき事をしゃべり出した。
「俺達は26階層を探索してたんだが、幸運なことに希少な魔物に遭遇したんだ。
しかも倒したら希少な落とし物が手に入りやがった。
さらに協会に戻ると、偶々クエストでその希少な落とし物の依頼があってな、そのクエストだけで金貨50枚の臨時収入だ。
装備の修理代を差っ引いても大幅な黒字に笑いが止まらんぜっ」
なるほど、幸運が重なっておかげで多額の臨時収入を得たというわけだ。皆の笑顔が絶えないわけである。いつもは寡黙で感情を表に出さないダムでさえ、そこはかとなく嬉しそうな様子が見て取れる。エルも納得すると、ライネル達を祝福するのだった。
その後も他愛のない話に花を咲かせていると、リリとシェーバが次々に料理を運んで来た。エルが食べた事のない迷宮の食材がふんだんに使われており、見た目も実に豪華で思わず涎が垂れそうになるほどであった。全員に飲み物が行き渡ると、ライネルの乾杯の合図と共に豪勢な夕食を食べ始めた。エルも止めていた手を動かしステーキを貪り始める。賑やかな夕食にエルも心が弾み、笑い声を上げながら楽しい一時を過ごした。
既に何杯目か分からない程のエール酒に手を付け、気を良くしたライネルがエルに本日の戦果を尋ねた。
「それで、エル。
今日はどうした?
確か新人達と迷宮に潜るって言ってなかったか?」
「はい、今日は新人達と3階層に潜りました。
顔合わせの時にちょっと揉めて焦りましたが、何とか無事探索に行ってこれました」
「揉めたって、一体どうしたの?」
「初めに僕が教えるのを拒否されました。
彼らはかなり苦しい状況に陥っていたと思うのですが、プライドから断られたんです。
あっ、でも最後にはわかってもらえたので大丈夫ですよ。
一緒に迷宮探索して、少しだけど打ち解けたと思いますし……」
口下手なエルの事だから説得も苦労しただろうと、エミリーが心配そうに見詰めてくる。今度はクリスが穏やかな声で話の続きを促した。
「それでエル君、新人さん達の実力はどうですか?」
「はい、3階層を彼らのパーティだけで探索することは難しそうです。
彼らもそのことはわかっているので、明日から協会の訓練所で鍛えてもらうことにしました」
「そう、その人達とは上手くやれそう?」
「戦闘中は素直に僕の言う事を聞いて貰えますし、まだお互いの性格も知らないことが多いですが、これから徐々に知り合いたいと思ってます。
ただ、僕が集団戦をしたことないので、彼等を上手く教えられるか心配です。」
「ああ、エルはいつもソロだったな。
どこかでパーティ戦を経験できたらいいんだがな……。
おっ、そういやちょうどいい奴等がいたな」
そう言うとライネルがやおら椅子から立ち上がり、酒場を見渡す。目的の人物達を見つけるとエルを誘い、その人物達の座っているテーブルに向かって歩き出す。
「よお、オルグ。
お前のパーティにちょっと頼みたいことがあるだが」
「うんっ?」
仲間たちと酒杯を交わしていた痩身の男、オルグが振り向いた。当初は訝しそうな視線を寄越したが、声を掛けたのだがライネルだとわかると途端に喜色を浮かべて問い返した。
「ライネルの旦那じゃないですかい。
俺らに頼みごとなんて、どういった風の吹き回しですかい?」
「ああ、お前らたしか9階層付近を探索してたよな?
こいつにパーティ戦の勉強させてくれないか?」
「その坊やをですかい?」
ライネルがついて来たエルの肩に手を回し、オルグ達の前に押し出した。途端に集中する視線にエルは居心地が悪くなり縮こまる。エルを見た目から判断すると、童顔の中肉中背の少年でいかにも駆け出し然としており、一見すると冒険者というよりは農村にでもいそうな純朴な少年といった印象を受ける。とても冒険者が務まるとは思えない容姿だ。オルグもそう判断したのかライネルに難色を示す。
「いくらライネルの旦那の頼みといっても、お荷物はご免ですぜ」
「それなら心配ない。
こう見えても、エルは8階層をソロで問題なく探索できる。
ただ、今回神託で新人達を導かなくちゃならないんだが、エルはソロの探索しかした事がなくてな」
「それで俺らのパーティに入れて集団戦を勉強させたいって事ですかい?」
「ああ、そうだ。
エルの実力なら俺が保証する。
決してお前たちの足手纏いにはならないから扱き使ってやってくれ」
エルはライネルの言葉に我知らず胸が熱くなっていた。日頃はからかわれてばかりだが、きちんと自分の事を見てもらえていたと、予期せぬ事態に鼓動が早くなる。エルは兄貴分からの信頼に応える為にも、恥ずかしいまねはできないときつく拳を握り締めた。
一方、オルグ達は顏を見合わせていた。俄かに信じ難いが、ライネルが太鼓判を押すのなら間違いないだろうと視線で頷き合う。誰も反対する者もいない様なので、オルグはエルの受け入れを決定した。
「旦那がそこまで言うなら信用しますぜ。
その坊やと迷宮に潜ってみましょう」
「オルグ、すまんな。
恩に着るぜ」
「よしてくだせえ。
こんな事ぐらいじゃ旦那に助けられた時の借りは返せませんぜ。
実をいうとパーティの一人が所用で実家に帰ってましてね、ちょうど臨時でパーティを募集しようかと話しをしてたとこなんですよ」
「それならちょうどよかったな。
ほら、エル坊。
お前も挨拶しな」
「はっ、はい。
よろしくお願いします。
ソロしかした事がないのでパーティ戦は不慣れですが、勉強させてください」
エルは勢いよく頭を下げた。
エルの初々しい態度にオルグは目を細めるが、表情に反して抑揚のない平坦な声で、事務的に探索の予定を告げる。
「じゃあ、坊や。
坊やが行ける8階層で魔物と闘うから準備を整えておきな。
明日の朝一から迷宮に潜るから遅れるんじゃねえぞ」
「わかりました。
明日はよろしくお願いします」
それから、二三明日の迷宮探索の話をするとエルとライネルはオルグ達と別れた。
エルはライネルにお礼を言うと、明日の準備と装備の点検のために足早に自分の部屋に戻った。ライネルのおかげで集団戦の経験を積める。感謝してもしきれないほどだ。明日は態々骨を折ってくれた兄貴分に恥を掻かせないためにも全力を尽くそうと決意し、準備が整えたら早々に就寝するのだった。
翌日、まだ朝露が残る早朝にエルはオルグ達と迷宮に足を運んだ。
転移陣で一気に8階層に転移すると、迷宮内も明方なのか東の空に太陽が昇り始めたところであった。エルは草が香る清々しい空気を胸一杯に吸い込むと、オルグ達と魔物を探して迷宮の探索を開始した。
歩き始めて間もなく、豚鬼の斧使いが現れる。既に戦意が十分なのか、己の存在を誇示するかの様に雄叫びを上げ猛っている。
昨日の打ち合わせで初めの数戦はオルグ達に闘いを任せて、パーティ戦の動きを観察することになっている。エルは後方に下がると、オルグ達3人を激励した。
「オルグさん、お願いします。
勉強させてもらいます」
「おうっ、坊や良く見ときな。
野郎共、行くぜっ」
「「おうっ」」
威勢の良いオルグの啖呵に呼応して皆豚鬼に向かって駆け出した。
まずは、全身鎧に身を固め大盾に戦鎚を持つ大猩々族のゴルボが魔物の正面に立ちはだかる。大猩々族は森林に小さな集落を作って暮らす亜人である。彼らは皆一様に剛力を誇り、勇壮な戦士を排出することで知られている。
ゴルボが大盾で魔物の斧を受け止め引き付けている間に、今度は後衛の小柄な草原の民の青年、ビルが魔言を紡ぎ豚鬼に魔法を浴びせた。
「絡み付く蔦」
放浪神チェダの魔法によって、足元からたちまち蔦が伸び魔物の体に絡み付いた。
このビルという青年もそうだが、草原の民は総じて小柄な亜人で特定の住処を持たず、草原を塒に己が心の赴くままに自由気ままに旅する民である。その性格や生き様から、流離う神たる放浪神を信棒することが多い民でもある。
自由と束縛の表裏一体を司る放浪神の魔法が豚鬼の動きを束縛する。慌てて力付くで蔦を引き剥がそうとするが、既にエルの腕の太さにまで成長した蔦はきつく絡み付いて離さない。斧で切り離そうとするも、ゴルボが邪魔して上手くいかない。
すっかり意識がゴルボと蔦にいってしまった豚鬼の後ろに、オルグが音を立てずに回り込む。醜悪な豚の顔を乗せた太いうなじをオルグが禍々しい色の短剣でかき切った。
すると、豚鬼はうなじから大量の血を流すと共に、口からも血を吐いてもがき苦しむ。オルグの短剣の黒々とした色から予想できる通り、刃に毒が塗ってあったのだろう。魔物は暴れ続けるが徐々に動きが悪くなっていく。
そして、後方から攻撃を加え続ける目障りなオルグを倒そうと、魔物は無理やり体をよじって後ろを振り向くという失策を犯してしまう。ゴルボがその好機を逃さず、戦鎚を後頭部に叩き付け豚鬼の息の根を止めた。
闘いを終えたオルグ達を観察すると、目立った外傷もなく安全に魔物を倒しきったようだ。
エルはというと、これが集団戦かと感心しきっていた。各々が自分の役割を果たし、細かく魔物に攻撃を加えて被害も最小限に倒しきったのだ。しかも、長年パーティを組んだ経験からか、わざわざ合図せずとも絶妙なタイミングで連携ができていた。リスクを避け、危なげなく魔物を倒したオルグ達にエルは惜しみない称賛の言葉を送る。
「皆さん、お疲れ様です。
見ていて感心するしかできませんでした。
僕には到底真似できない芸当です」
エルの賛辞に悪い気がしないのか、オルグ達は臍を掻いたり、頭を掻いたりと相好を崩す。ひとしきり照れた後、オルグは威厳を込めた低い声でエルに魔物の捜索を促した
「伊達に俺らもライネルの旦那に坊やを頼まれたわけじゃねーってことだ。
坊やも後二、三戦しっかり俺たちの闘いを見て勉強しな」
「はい、オルグさん。
よろしくお願いします」
エルの元気の良い返事に気を良くすると、オルグ達は魔物を探し始めるのだった。
それから数戦。
岩蛙や狂猪などに遭遇したが、いずれの魔物達との戦闘もオルグ達は余裕を持ってこなしていく。オルグ達の戦法は基本的に変わらない。ゴルボが正面で敵を受け止め、その間にビルが牽制、ないしは魔物を動きを妨害する。そして、オルグが背後に回り込み、ゴルボと二人で挟み撃ちするというものだ。
本来ならもう一人パーティメンバーがいるらしいが、後衛の回復役だそうだ。回復役がいないので、オルグ達はあまり攻撃を受けずに魔物を倒す方法を選んでいることが推察された。
次戦からはエルも戦闘に加わる。待ち兼ねた出番の到来にエルも気合いを入れ直した。問題はエルの集団戦でも役割だが、遠距離攻撃手段を持たないので必然的に前衛という事になる。エルとしては壁役としてゴルボの変わりをしても良かったが、ゴルボの役目は魔物を押し止める戦闘の要である。魔物を止められないと戦線が崩壊する危険性があるので、おいそれと任せられない重要な役目だ。まだオルグ達との信頼を築けていないエルでは、当然任せられない役目であった。
結局、オルグと一緒に魔物の側面か後ろに回り込んで攻撃する役に落ち着くのだった。
草原を歩き続け魔物を探し回っていると、豚鬼の剣使いと槍使い、そして狂猪の3体と遭遇してしまう。
複数体の魔物との同時戦闘に、オルグは焦りながら指示を飛ばす。
「ゴルボは狂猪を止めろ。
俺とビルで豚鬼を一体やる。
エル、お前は俺達が魔物を倒すまで豚鬼を一体押さえろ」
「わかりました」
全員オルグの指示に従って、それぞれに割り当てられた魔物に立ち向かう。エルも豚鬼の剣使いに駆け寄った。
エルは豚鬼との戦闘は何度も経験している。連日の8階層の戦闘で、複数体と同時戦闘なら傷を負うこともあろうが、一対一なら負けるはずがないと絶対の自信を持つに至っていた。ライネルの保障が確かなものだとオルグ達に証明するためにも、
己が持てる全ての力を揮い、できるだけ短時間で魔物を屠る事にした。
豚鬼の大上段からの斬り降ろしにエルは一気に間合いを詰め、廻し受けを行う。上方に掲げた右掌を右下方へ円運動させ、剣を持つ魔物の手の甲に当てると、エルの右横に剣を流してしまう。剣を振った勢いが止まらず前方に体勢を崩した所に、左手で豚鬼の頭を掴み更に前方に加速させる。
そして、エルは豚鬼の醜い豚面に強烈な捻りを加えた渾身の膝を叩き付けた。
エルの連日の成果の集大成、受け捌きからの交差法であった。
前方に加速させられた所に凶悪な膝蹴りをもらい、豚鬼の顔面は無惨に陥没し息絶えてしまう。
エルは気息を整えると、直ちにオルグ達の様子を窺う。オルグもゴルボもどちらも魔物達を倒せていない。まずは近くにいるゴルボの援護に入る事に決める。
エルはゴルボが突進を受け止め、押し合いをしている狂猪に向って駆けた。ゴルボとの押し合いに集中して無警戒の魔物の頭部に、エルは側面から強烈な震脚からの発剄、猛武掌を放つ。凶悪な猛武掌の一撃に狂猪は哀れにも頭蓋骨を凹ませ、目や鼻、耳などの穴から噴血すると倒れ伏した。
あまりのでき事に思考が追い付かず佇むだけのゴルボを置き去りにして、エルは最後の敵に向かう。
豚鬼の槍使いは高速で接近するエルに勘付くも、オルグやビルの相手で対応が遅れてしまう。エルは雄叫びを上げながら足に気を纏わせ、駆け出した力を全て乗せた飛び蹴りを繰り出した。
一条の矢と化したエルの疾風の蹴撃は、狙い違わず豚鬼の頭部を捉え一瞬の拮抗も見せず蹴り破った。エルが通り過ぎた後には、ただ後頭部を破裂させ惨たらしく脳漿と血を撒き散らす豚鬼の死体だけが残るのみであった。
一連の死体も、幾ばくの刻が経つと迷宮に吸い込まれ戦利品が現れる。
残るはエルの凄まじい所業に驚愕の表情のまま固まるオルグ達である。労いの言葉を掛けようと近づいたエルに、オルグは突然肩を掴み恐ろしく真剣な口調で問い質した。
「おい坊主。いや、エル。
正直に答えろ。
武術はいつから始めている?
それと迷宮に潜ってどのくらい経つ?」
行き成りの不躾の質問に狼狽するも、エルはオルグの真摯な眼差しを見て嘘偽りなく誠実に応えることにする。
「大体10年前から武術をやっています。
迷宮には、探索開始してからおおよそ30日ぐらいです」
オルグはエルの肩から手を放すと、腕を組み熟考する。やがて肩を竦めながらゴルボやビルの方を向くと話し合い出した。
「このエルはどうやら俺達とはものが違うようだぜ。
ライネルの旦那が太鼓判を押すわけだ」
「ああ、本当に集団戦を学びたいだけだとは恐れ入ったぜ」
「僕はてっきりソロがきつくなったので、どこかのパーティに入るために集団戦を学びに来たんだとばかり思ってましたよ」
オルグ達は口々に感想を述べる。
事態の成り行きエルを緊張しながら見守っていると、疑念が解決したのかオルグがエルに笑い掛けた。
「まあ、エルはライネルの旦那の言うとおり大した奴だってことだな。
見掛けがまるっきり駆け出しの新人だから騙された。」
「見た目のことを言われても困りますよ。
童顔なのは生まれつきですし、威厳なんてまだ出る年じゃないから仕方ないじゃないですか」
エルはまだ幼さの残る顏で必死に反論するが、逆に笑いを誘ってしまう。オルグ達は一頻り笑うと、むくれるエルに謝罪した。
「悪い悪い。
エルの反応が子供の様でな」
「全然謝罪になってないじゃないですか」
「おいおい、そんなに怒るなよ。
笑った俺達も悪かったって」
「それならいいですけど……」
まだ釈然としないエルを見てオルグは再び笑い声を発すると、戦利品を回収した。
全員の呼吸も整ったのを見ると、オルグがエルに集団戦の要点について語り出す。
「エルの事だからもう集団戦のことがわかってきたと思うが、用は自分の役割をしっかりこなすってことだ」
「はい、それはなんとなく分かりました」
「後は連携の取り方だが、こればっかりはお互いのことを知り合って実戦で鍛えるしかねえ」
「時間が掛かりそうですね」
「仲間との信頼は簡単にはいかねえってこった。
長い時間をかけるしかねえ。
さあ、探索を再開しようじゃねえか。
今日は稼ぐぞ」
「はい、わかりました」
エルは威勢良く返事をして頷くと、新たな魔物を探し始めるのだった。
それから昼食や途中の小休止を除いて、夕暮れ時までエル達はひたすら魔物と闘い続けた。エルが攻撃役として機能し出したので、魔物の殲滅時間が短縮され効率的に戦闘できるようになったのだ。複数体との戦闘でも、ゴルボやオルグが引き付けている間に横合いからエルが凶悪な攻撃を急所に放つので、楽々と魔物を屠り然ることができた。
オルグ達にとっては手放しで喜ぶほどの望外の戦果であった。
また、エルにとっても集団戦を学ぶ貴重な機会であり、今日の経験は今後のカイ達を指導する上で役立つ事に疑いの余地はない。
ただ、エルはどこか物足りなさを感じていた。おそらく全員で協力し極力リスクを下減らして安全に闘うやり方が、性に合わないのだろうと朧げながら感じ取っていた。
そんな不鮮明な思いも、迷宮の帰り際に狂猪の変異種に遭遇する事で確信に変わる。
オルグ達が及び腰になっている所を、エルは逆に荒ぶる心が顕現した様な獣じみた好戦的な笑みを浮かべ、激しい闘争心に駆られながら比べるのも馬鹿らしいほどの変異種の巨体の前に立ちはだかった。オルグ達が慌てて静止の声を掛けるがエルは止まらず、変異種に真っ向から立ち向かい武人拳で猛烈な突進を受け止める所か弾き返すと、一足飛びに距離を詰め怯む狂猪の顔面に猛武掌を打ち込み絶命させたのだ。
唖然と状況を見送る事しかできないオルグ達を後目に、これこそが自分の望んだ闘いだとエルは確信した。勝負自体は一瞬で付いたが、もし少しでも武人拳の力が変異種の突進に劣っていたら、酷い損傷を被ったであろう事は想像に難くない。全力を出しお互いの存在全てを賭けた極限の闘いこそが自分の求めるものだと、エルは再認識したのだ。やはり今後もソロでの戦闘を主体にしようと決断するのであった。
辺りを闇が覆う頃、探索を終えたオルグは今日の報告がてらにライネルと杯を交わしていた。
「それで、エル坊はどうだった?」
「へいっ。
あの坊やは、はっきり言って逸材ですね。
坊やの幼い外見と口数の少なさに初めは頼りなさを感じていましたが、すぐに間違いだと気づかされやしたよ。
ほとんどの敵を一撃で倒しちまうんで、こっちが暇しちまうぐらいでしたよ。
さすがはライネルの旦那のお墨付きってわけですね」
オルグの報告にライネルは歯を見せて笑う。エルとは実際に冒険に出たことはないが、エルとの食事時の会話から8階層では既に余裕があることはわかっていたのだ。エルの性格から嘘を吐く事はないと判断していたので、オルグの報告はライネルの予測を裏付ける結果となった。
「それと、ゴルボやビルからエルをうちのパーティに誘ってはどうかと提案がありましたが、あっしの独断で却下しました」
「ほうっ、そりゃ何でだ?」
「あっしらとエルじゃものが違うからですよ。
今は実力的に近くても、成長速度が違い過ぎるのですぐに差が開いていきやす。
そうなれば、エルに追い付くために無理するしかねえってわけで……
すぐに破綻するのは目に見えてやす」
実力差は残酷だ。
オルグは迷宮都市に来て数年になる。しかし、未だに星なしの下位冒険者だ。後から来た者に抜かされ忸怩たる思いを味わった事は何度だってある。無常な現実に嘆き、酒色に溺れた時もあった。
だが、迷宮の探索はいつだって命懸けだ。不純な思いを持ち込み行動が鈍れば、致命傷を受ける事だってあり得る。自分の身の丈に合わない階層に挑み、帰らぬ人となった冒険者をオルグは幾人も目にしてきた。生き抜くためにも、必然的に徹底した現実主義者にならざるを得なかったのだ。
そこから判断すれば、エルは迷宮に潜り始めて30日で自分達とほぼ同等である。エルが今後も順調に成長を続け下層に挑む事は、火を見るよりも明らかである。
エルとパーティを組んだとしても、伸びしろの少ない自分達とでは直ぐに上手くいかなくなる事は目に見えてる。現実を弁えるが故のオルグの判断であった。
「オルグ、自分の事がよくわかってるじゃねえか。
歩みの違う者を仲間に入れても上手くいくわけがねえものな」
「ええ、あっしらはあっしらのペースでやるだけです。
しかし、ライネルの旦那も他人事じゃねえですよ。
この分だと旦那も追い越されるかもしれませんぜ」
オルグの言葉にライネルはゆっくり腕を組んだ。ライネルも自分より優れた人間と出会う機会はあった。後進の者に抜かれる機会も経験してきた。
冒険者は純然たる実力がものいう世界である。闘争とは年齢や感情などの入る余地が一切ない純粋なものだ。自分は全力を尽くした。だが、相手は自分の上をいった。ただそれだけの事なのだ。
ただ、もし抜かれる者を選べるとしたら、見ず知らずの者より自分が目を掛けた者に抜かれる方がいいだろうと、ライネルは自嘲めいた笑みを浮かべる。
「確かに他人事じゃねえな。
もしかしたらエルに抜かれる事もあるかもしれねえ。
実力の世界だ、それも仕方ねえさ」
「旦那」
「だが、簡単に抜かれる積りはねえぞ。
俺も全力で迷宮探索を行う。
それでも抜かれたなら、笑って祝福してやるさ」
「旦那……」
ライネルの熱い言葉にオルグは泣き笑いの様な表情を浮かべる。
実力の世界ゆえに後輩に追い越されるという悲哀。それでも全力を尽くした結果なら受け入れ相手を讃えるという、ライネルという男の気高き心に触れオルグは感極まってしまう。オルグは半泣きのまま言葉を紡いだ。
「かっこいい生き方をしたいですね」
「ああ、せめて後輩に誇れる様な生き方をな……」
男達は杯を酌み交わすと、深夜まで取り留めもない話に興じるのだった。