第12話
エルは翌日も午前中は神殿で修行し、午後から迷宮の探索を行った。
この方法は修行で身に付けた技を魔物に使うことで練磨し、効率的に新技をものにすることができる。以前に協会の教官から新技を習った際に試してみて成果が得られたので、エルは味を占めていたのだ。
また、気の使い方にも徐々に慣れてきて、拳への気の収束速度も上がってきている。もう少し熟達すれば左右の拳で連続で武人拳を放つことも可能になるだろう。その次は足や膝や肘などの攻撃に使う部位に気を籠められるようになることを考えている。その未来を思い浮かべると、自ずと目じりが下がり頬がゆるんだ。
エルにとって新たな力を身に付けることは至上の喜びである。つくづく自分は修行好きの戦闘狂だと思わずにいられないが、この生き方を変えようとは全く考えられない。修行と魔物との闘争による自身の成長、そして強敵との死闘はこの上ない充足感と生の実感をエルに与えてくれるからだ。特に強敵との生死を別つ激闘は、強制的に現実を認識させ鮮烈なほどに生命の脈動を教えてくれる。一歩間違えば自分が死ぬという恐怖は、猛烈に自分が現実生きていることを喚起させ、その他の出来事が色褪せてしまうような強烈な体験であった。
人は尺度は違えどスリルを求める生き物だ。エルの求めるものは一般人では到底許容できるものではないが、冒険者はどこか普通の人とは外れた人間である。そうでなければ、日々迷宮に潜り人外の力を持つ魔物達と闘い続けることはできはしない。エルの思いは大なり小なり冒険者が共有する心情であった。
ただ、元々の性格も相まってエルは冒険者の中でも闘争を好むようだ。そのせいもあってか早々と迷宮への探索生活に順応し、急速に冒険者として成長していくのであった。
エルは迷宮の8階層に降り立っていた。
午後から探索したのにも関わらず、7階層を大した時間も掛けずに踏破し8階層に転移したのだ。
エルにとって、7階層で現れる新たな魔物は満足できるものでなかったからだ。
7階層で闘う魔物は火蜥蜴や狂猪に、新たに群獣と毒大蛇が加わる。
群獣は中型の犬科と思しき魔物で、常に4、5体の群れを形成し、群れがまるで1つの生物のように連動して襲ってくる。初めて遭遇した時は頭と足への上下の同時咬み付き攻撃をくらい、面喰ったりもした。
だが、群獣の攻撃力は高くなく、咬み付きは雄渾の武道着やエルの鍛えた肉体を越えるほどではなかった。2階層で闘った大山猫の体力が高くなった個体を一度に数体相手取る程度で、多少の負傷はするものの命を脅かすほどの脅威は感じなかった。群体といっても1個体自体は弱いので群獣の対処は難しくなく、距離の遠いうちは前蹴りや回し蹴りで薙ぎ払い、近付いて飛び掛かってきた場合は拳や肘で撃ち落とすだけで容易に片付いた。
また、毒大蛇は不気味な黒鱗に身を包んだ大型の毒蛇で、血管や細胞を壊す血液毒に加えて体の動きを阻害する麻痺毒を有しており、毒消し薬と麻痺消し薬が必要になる面倒な敵ではあった。
ただし、攻撃方法は毒の牙による攻撃と長大な体を活かした巻き付きといったところで、動きは反応できないほど機敏ではなかった。こちらから先手が取れるので全力で頭を踏み潰すか、あるいは首元を片手で押さえ毒大蛇暴れるのも構わず空いた手で叩き潰せば済んでしまった。
結局の所、7階層で加わる魔物は集団戦や乱戦などで不意をつかれれば危険であるが、1対1ではむしろ6階層から現れる火蜥蜴や狂猪の方が強いと感じる程度でしかなかった。その6階層の魔物についてもエルは物足りなさを感じていたので、早々に7階層に見切りをつけ転移陣を捜索すると強敵を求めて8階層に転移したのだった。
情報誌によると8階層で出現する魔物は、狂猪に毒大蛇、そして岩蛙に豚鬼だ。
岩蛙は体表を岩に覆われており、鎧蛙と称されるほど堅固で魔法を使わず倒すのが難しい魔物だ。炎や雷の魔法で倒すことが推奨されるようだ。
また、豚鬼については、3階層で遭遇した犬鬼以来の2足歩行で様々な武器を使用する魔物である。個体によって剣や槍、あるいは斧などを用い、殺傷能力が高いので油断できない難敵と情報誌に書かれている。ただし、豚鬼の武器や防具は魔鉱でできており、戦利品で手に入るので他の魔物に比べて段違いの身入りになるようだ。強敵に見合った報酬なのだろうが、欲に目を眩むと判断を誤り死の危険性があるので無理は禁物と大きく警告文が記載されている。
だが、強敵との闘いはエルにとっては望むところだ。8階層に一気に降りたのも豚鬼との戦闘を目論んでのことである。エルは新たな敵との激しい闘いに思いを馳せながら探索を開始するのだった。
辺りの背の高い茂みを警戒しながら比較的視界の開けた場所を選んで歩いて行くと、突如何もない空間から岩蛙が出現した。
迷宮が新たな魔物を生み出したのだ。魔物が生成される瞬間を見るのはエルにとっても初めての体験であり、何とも言えない摩訶不思議な光景であった。だが、今迄散々迷宮以外では味わえない奇天烈な体験もしているので、これも迷宮の不思議の一つであるとエルは早々に納得することにした。
岩蛙はこちらを敵と認識したようで、身を屈めるといきなり飛び掛かってきた。エルを越える巨体が強靭な後ろ脚の力によって宙を跳び、自身の強固な体を高速でぶつける体当たりであった。
咄嗟のことで避けられず、何とか両腕の籠手を胸の前に掲げて受けに成功するも、体重差を如何ともし難く吹き飛ばされてしまう。しばらく地面を転がると、慌てて跳ね起き左半身の構えをとった。
だが、追撃はこない。岩蛙の様子を見ると、追撃をかけずにその場に止まっている。何か力を貯めているかのようだ。エルは相手の攻撃にいつでも対応できるように足に力を入れ、魔物を注視する。
すると、岩蛙が大口を開け粘液をエルに向けて飛ばしてくる。強力な酸性の消化液だ。岩蛙の攻撃の中でも最も危険な技である。真面にくらえば皮膚は溶かされ、目などに受ければ失明の危険性もある。
エルは即座に横に飛び退き消化液を回避すると、一足飛びに間合いをつめ岩蛙の岩で覆われた口元に上段突きを繰り出した。
拳に金属の様な固いものを殴った衝撃が伝わる。エルの攻撃によって口の先端部分が凹んだようであるが、まだまだ倒れる気配はない。岩蛙の感情の読み取れない無機質な黄色の瞳がエルを捉える。
ふいに岩蛙は両腕を広げ、吸盤の付いた手でエルを捕まえようと覆い被さってくる。
だが、エルは回歩を使って左側面に回り込みながら攻撃を躱すと、全身を下から跳ね上げるような左拳の下突きで岩蛙の顎をかち上げ、追撃の右上段回し蹴りで仰向けにひっくり返した。
エルは直ちに隙だらけの岩蛙の顎に飛び蹴りを加えて飛び乗ると、喉に垂直に左拳を打ち降ろす下段突きを放った。喉の周辺は比較的岩が薄いのか、一撃で突き破り慣れ親しんだ肉を撃つ感覚が手に伝わる。更に傷口に追撃の右拳の下段突きを打ち降ろすと、喉を破り大量の血が飛び出る。しばらく岩蛙がもがいていたが、力尽きたのか戦利品を残して大地に消えていった。
エルはゆっくりと息を吐き出すと、岩蛙との戦闘を回想する。岩蛙は鎧蛙の別名の通り堅固で高い生命力を有しており、巨体を生かした体当たりや消化液も強力だった。だがその反面、攻撃速度はエルにとっては十分対処できるものだ。
対処できるといっても重い鎧などを装備する一般の冒険者にとっては十分脅威となる速度であるが、エルは軽装でありかつ肉体が身上の武闘家である。高速の連撃や移動が得意なエルにとって、岩蛙は攻撃力は高くとも回避しやすいので、固く体力の高い敵といった評価となった。
複数体と一度に闘っても消化液に気を付けさえすれば問題ないと結論付けると、再び草原を歩き始めた。
それからほどなくして、お目当ての豚鬼と遭遇する。エルより頭1つ高く顏以外の全身を魔鉱製の鎧に包み、青白い輝きを放つ槍を持っている。
豚の顔が歪み嘲笑を浮かべている。エルを獲物に見定めたのだろうか、舌なめずりをして駆け寄ってくる。
迷宮は弱肉強食の世界である。エルが弱ければ豚鬼の供物となることもあるだろう。
だが、当然エルは供物になるつもりはなく、逆に豚鬼を自分の糧にすべく闘いを挑んだ。エルとの距離が6,7歩程度になると、豚鬼が槍の長い射程を生かし、胴体へ水平に突き込んでくる。
疾い。
豚鬼の類稀な膂力を用いた力任せの突きである。エルの体に向かって一直線に高速で伸びてくる。余りの突きの速度と槍との戦闘に不慣れなことも相まって、籠手での払いが完全にできず脇腹に槍をもらってしまう。幸い道着を貫くことはなかったが、痛みは筋肉を越え内臓まで伝わる。鈍い痛みと腹の中が熱を帯びたような痛みが広がる。
やはり豚鬼は強敵のようだ。情報誌通りの強さに嬉しくなり、口角が吊り上る。エルがここ最近求めていたお互いの生命を賭した闘いのできる敵だ。
エルが思考に耽っている間に豚鬼は槍を引き、追撃を放ってくる。今度は膝元への下半身に対する攻撃である。
下半身では受けることもできないので、横に飛ぶことで辛うじて槍を躱す。
だが、豚鬼は素早く槍を引き戻すと、エルが近寄る間もなく更に追撃を掛ける。どうやらエルを近寄らせずに倒すつもりらしい。エルも我武者羅に近づこうとしても手痛い反撃を受けるだけと判断し、防御に徹し反撃の機会を窺うことにした。
豚鬼の攻撃は多彩で、胸に連続で突きを放ったと思ったら突然意表をついて足先を突き刺したり、一回毎に攻撃箇所を変えて突きを放ったりもした。さらに突きの攻撃間隔と変えたり見せ掛けのフェイントを行ったりもして、エルに中々反撃の糸口を掴ませない。
エルも横に回避したり籠手で受けたりしたが、いくつかはもらってしまう。体のあちこちが痣になり血も滲む。体の痛みがエルに豚鬼が高い実力を持つ戦士であることを教えてくれる。ただの獣のように力任せの攻撃ならば、あれほど多彩な攻撃は放てず受け損なうこともなかっただろう。エルは魔物の望外の実力に気が高揚し目が爛々と輝いた。
エルは方針を変えずひたすら防御に達した。受け損なった痛みなど意に反さず、豚鬼の高い技量への授業料だとばかりに怯む所か集中力を上げ虎視眈々と反撃する機会を狙った。
豚鬼も終には焦れたのか、不用意に頭部目掛けて突きを放ってしまう。エルは顔の前方に左手を掲げると肘を支点に内から外に上腕を高速回転させ槍を左横に流す。
螺旋受けである。強烈な回転の力によって槍を流され、豚鬼の体が泳いでしまう。
エルは隙を見逃さずに飛び込んで一気に距離を縮める。
豚鬼も己が失態を挽回しようと槍の柄を横薙ぎにエルの顔にぶつけてくるが、その程度ではエルは止まらない。攻撃を受けることでむしろ勢いを増しながら豚鬼の足元に飛び込むと、鎧のない顏目掛けて強烈な踏込からの右の上段突きを放った。
両手に槍を持っている豚鬼は躱すこと叶わずエルの拳を顏面に受けると、見た目から想像できない凶悪な威力に体が浮き上がってしまう。
エルは無防備な顔面に、突きの動きから生じる腰の回転を利用した右の上段回し蹴りを放ち、上げた右足を降ろすと体をさらに回転させ、全身の力を込めた左の飛び後ろ回し蹴りで追撃した。
さしもの豚鬼もエルの顔面への激烈な連撃に崩れ落ちると、戦利品の魔石と魔鉱できた槍を残すと消え去った。
珍妙な味の回復薬を飲み肉体を回復させると、エルは戦利品を回収し魔法の小袋に入れた。
豚鬼との戦闘は小鬼の王以来の満足の行く戦闘であった。単純な膂力や生命力は小鬼の王に軍配が上がるが、豚鬼は舌を巻くほどの素晴らしい技の持ち主だった。しかも豚鬼とは複数体との同時戦闘も起こり得る。2体以上なら小鬼の王よりも確実に強いと判断できるほどの強さを豚鬼は持っている。
さらに、豚鬼は槍以外にも剣や斧の使い手もいるそうだ。
この豚鬼から学ぶことは多いだろう。
しばらく8階層で戦闘を続け自分の強化を行おうと決断すると、エルは強敵を求め草原を流離うのであった。