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第99話

「くっ!?」


 無慈悲な漆黒の刃が肉を焼き、身を焦がす様な雷が片腕を失った少年を追い詰める。

 防御能わずの剣を前に神経をすり減らし、疲弊した肉体と精神を必死に叱咤しつつ体を動かし続けた。

 息するのさえ億劫で、止めど無く流れ落ちる汗が不快だった。

 喪った腕や、痛め付けられた体のそこかしこが激しい痛みを訴え、少年の思考を鈍化させた。

 しかも斬られた右の肩口は、暗黒聖剣が纏っていた黒雷によって焼け爛れ、エルに耐え難い苦痛を今もなお与え続けている。

 只でさえ心の平静を欠いた状態であるというのに、激痛によって集中が妨げられているのだ。


 もう何が何だかわからない。

 頭が重い、それに体の反応が鈍い。

 無性に疲れて眠い。

 ベッドに身を投げ出して、どんなに気持ちいだろう。

 心が、体がぐちゃぐちゃで、何も考えたくない。

 いっそこのまま目と閉じれば、楽になれるのかな?

 僕は……、どうすればいい?

  

 強敵カイン相手に、この状況はまさに致命的であった。

 エルは今真に生死の瀬戸際に立たされた、絶体絶命の窮地に陥ったのだった。







 今まさに虎口に、いや竜口に立たされ、その命が風前の灯火とさえ想われるエルの傍ら、冒険者達の間で諍いが起こっていた。


「そこをどけっ!! あの坊主を死なせてえのか!」

「そうよ! このままじゃ、あの子死んじゃうわ!」

「やかましい!! あなた達はそこで黙って見ていなさい!」


 烈火の炎を宿した深紅の大剣を水平に翳し、エルの助勢に入ろうとしたロウル達冒険者の前に、アリーシャが髪を逆立てて立ち塞がっていたのである。

 眼光鋭く居並ぶ冒険者達を睥睨し、開いた口から覗く犬歯が自分の意に添わぬ冒険者を噛み殺さんと威嚇し、怒りで瞳孔が細まった金色の瞳が無形の圧を発していた。

 怒っていた。

 怒り狂っていっても過言でもない。

 アリーシャは無粋に割って入り、決闘を汚さんとする冒険者達の態度に心底頭に来ていたのだ。

 しかしそうはいうものの、ロウル達も何も悪意から助けに入ろうとしたわけではない。

 少年の命の危機だったからだ。

 それも敵将を、自分達では太刀打ちできないであろう強敵を唯一人、懸命に足止めしてくれていたこの戦の功労者をだ!

 誰が見殺しにできようか。

 ロウルは声を荒げて反論した。


「あの子はお前の顔見知りだろ? このままじゃ、もうじき勝負はついちまう。あの子を殺したいのか!」

「その認識が間違っているの! まだ勝負はついていないし、エルは負けない!!」

「どうやって! 片腕を喪い満身創痍で、防戦一方なのに? ここからあの子が逆転できると思ってるのか!!」


 激昂して詰め寄るロウルに対し、アリーシャは無言で頷いて見せた。

 すなわち、エルが劣勢を覆し逆転できると信じているのだ。

 それは、カーンやキース、イーニャといった、エルと苦楽を共にしてきた仲間達も同意見であった。

 元々彼等は赤虎の部族であり、闘いや決闘を神聖視する傾向があるが、今回は少々意見が異なる。

 肝心のエルが何が原因か解らないが戸惑い心此処に在らずといった体で、全力はおろか真面に闘いに集中できていないのだ。

 全力で闘い負けを認める。その後なら助けに入るのも吝かではない。

 敗北は恥ではない。

 本人は身魂の投げ打って闘ったのならば、相手の強さを称賛こそすれ敗者を貶める事こそ不名誉な行為であるからだ。

 それに、今の逃げ惑っているエルを見ていると、沸々と怒りが込み上げてくるのだ。

 一体何をしているんだ!

 お前の力はこんなものはないだろうと!

 少年の本当の力を知らずに勝手に判断し見切りを付けている者達を見返してやれ、と叱咤激励したくて仕方ないのである。

 そうとは知らない他の冒険者達は、自分達を止めるアリーシャ達の行動が理解できず、苛立ちが募っていった。


「いいからそこを退け! 俺はあの子を助けに行く!!」

「だからさせないと言っているでしょ! 私に斬られたいの!?」

「おいおい、どうした? 今は、仲間同士でいがみ合ってる場合じゃないだろ?」

「「「っ!?」」」


 振り向いた先には英雄達が立っていた。

 いつの間にか、周囲に死をばら撒いていた悍ましい怪物の姿が影も形もない。

 元から存在していなかったように、忽然とあの巨体が消失していたのだ。

 しかも英雄達には、負傷した様子も疲れた様も一切見受けられない。

 実に恐ろしきは最上級冒険者、それも最強の呼び声高き集いし英雄達ギャザリング・ザ・ヒーローズである。 

 彼らの魔神や真竜、もしかしたら邪神すらも打ち倒せるのではないか、そんな現実離れした幻想さえ実現させてくれるのではないかとさえ思えてくる。

 その存在に圧倒され、皆一様に押し黙った。

 静まり返る場で、埒が明かないとオーグニルが口を開いた。


「それで、何で揉めてたんだ?」

「!? そうだ! あんたからも説得してくれないか。俺達はあの子を助けようとしたんだが、反対されているんだ」

「どうして止めた?」

「皆勘違いしているからよ! エルはこんな事じゃ負けない! エルの力はこんなものじゃないわ!!」


 名高き英雄達を前にしても、アリーシャは真っ向から毅然と意見を言ってのけた。

 気高く凛然とした態度は、戦乙女さながらの美しさと輝きを放っていた。

 そんなアリーシャを横に、英雄達はカインとエルの一騎打ちを眺めた。

 それはお世辞にも闘いになっているという状態でなかった。

 防戦一方、その言葉でさえ生温い。

 カインの猛攻を疲労困憊、避けるのもやっといった体の少年がなんとか致命傷だけは免れた、といった風だ。

 今しも変貌した元騎士の凶刃に倒れる、そんな最悪な姿が、いや間近に迫った未来が想像できてしまう。少年が負けないという彼女の主張は、最上位冒険者の目から見てもとても賛同できなかった。

 背中の可憐な羽をパタパタと羽ばたかせながら、魔法女帝は否定の言葉を口にした。


「とてもそうは見えないわ。早く助けないと、あの子、死ぬわよ」

「そうですわ。実力差は明白。このまま若い命を散らせるのは忍びないですわ」

「だからその必要はないって、言ってるでしょ!! エルは今、迷ってるだけなの! 共に闘い、共に切磋琢磨してきた私には、いいえ、私達にはあの子がまだ全力を出しきれていない事がわかるのよ!! それに、この決闘を止める権利は、例え英雄であるあなた達にもないわ!」


 アリーシャは一人気炎を吐き、英雄達を睨め付けた。

 まさに子を守らんとする怒れる母虎さながらの姿である。

 だがそうはいっても、少年の救出を止める彼女の意見にはとてつもない危険性が伴っていた。

 このままエルが死ぬ、という危険性がだ。   


「……あの坊主が死んだらどうする?」

「その時は私の命をあげるわ。かたきを討ったら、エルが寂しくないように一緒に冥府に旅立つわ」


 肝が据わっている、いや、既に決めてしまっているのだ。

 己の生命さえも、この戦いの行く末に託してしまっている。

 何故そこまでする?

 何が彼女にそこまで決意させた?  

 親愛? 愛情?

 決闘が神聖なものだから?

 あるいは、冒険者達が少年の実力が見誤ったから?

 いいや! それだけで、ここまでするはずがない!

 この闘いを、少年1人に任せたい理由があるはずなのだ。

 少年のために、この闘いを続行させる理由がだ!

 その理由は定かではないが、いずれにしも1つだけはっきりした事がある。

 説得には絶対に応じない、それだけはこの場に居合わせた誰もが理解できた。

 大地巨人は荒々しく髪を掻くと問い掛けた。 


「……そうは言うが、このままじゃ全力を出すのも無理じゃねえか?」

「私に考えがあるわ。どうかこの場は、私に任せてもらえないかしら?」


 そう言うとアリーシャは深々と頭を垂れた。

 その態度から、真摯に少年の事だけを想い行動している事が伝わってきた。

 純粋な想いが、少年への好意が、たとえ理解できなくとも彼女の提案を承服する後押しをした。 

 ついには溜息を吐き出すと、あの魔法女帝も認めたのである。


「はあっ、しょうがないわね。やってみなさい! でも、折角戦いが終わろうというのに、あの子が死ぬのは看過できないわ。無理だと思ったら割って入るわよ」

「それで充分。ありがとう」


 アリーシャじゃ透明な笑顔で礼を述べると、掲げていた大剣を投げ捨てくるりと向きを返ると、エルを目指して歩き出した。

 今から行うのは闘いではない。

 決闘に割って入るわけではないから、武器は要らないのだ。

 そして、静かに語りかける。

 今もなお戸惑いながら、必死の攻防を繰り広げている少年に。

 冒険者の仲間でも本の一握り、自分が恋した真の戦士である少年に!


「……エル。ねえ聞いて、エル……」


 本来なら決闘の最中に助言を送る行為は、決して褒められたものではない。

 例え決闘者から批難や制裁が行われたとしても、甘んじて受ける所存だ。

 ゆえにアリーシャは敢えて気の防御すら纏わず、ただ無防備なままエルに語り続けたのである。


「私は何があったのかわからない。どうしてエルが、そんなに迷っているのかわからないわ。でもね、エル。あなたの態度は、自分にも相手にも失礼なのよ……」


 戦闘の合間、エルを斬り刻まんと猛攻を仕掛ける途上で、今しも仕留めんとした相手を生き返らせようとする目障りの輩に、カインは雷の鉄槌を放ち出した。

 当然ながら、避ける心算など欠片も無い彼女は、その身は焼かれ続けた。

 髪は焦げ頬は爛れ、貫かれた手足から夥しい血が流れだした。

 身を捩り絶叫してもし足りない傷を、次々に追っていく。

 それでも彼女は表情を変えず、痛む仕草を一切見せずにエルに語り続けた。


「エル、ねえエル。相手が例えどんな悪人でも、身に着けた技や力に善悪はないわ。ただその力を、どう使うかが問題なだけなの。相手が悪いから、逆に正しいからといって闘いには何の関係もないわ。そんな余計なものは、闘いが終わってから考えればいいわ。今は、目の前の闘いに集中するのよ。相手の練り上げた技を称賛し、魂魄の限り自分の全てを出し尽くしなさい!!」


 雷光が彼女の腹部を貫いた。

 さしものアリーシャは立っていられず蹲ると、鮮やかな血を吐き出した。


「っ!? アリーシャ! 無理するな!!」

「アリーシャ! お前、死ぬ積りか!?」


 カーン達が必死の形相で駆け寄ろうとしたが、震える手で制すると気丈な笑顔を浮かべると、激痛に苛まれた体を叱咤しゆっくりと立ち上がった。

 そして、またエルに笑顔で語り掛けた。

 それは願い。少年の身を一心に案じる清廉な想いであった。

 この荒んだ戦場の中で咲き誇る、清らかな一輪の花であった。


「ねえエル。お願い、どうかいつものエルに戻って! 私の大好きなエルに戻って!!」


 戦場の告白。

 血を吐きながら必死に少年を正気に戻そうと声を掛け続けた彼女の願いは、愛しい少年への必死の思いは ――― 暗雲立ち込める嵐の中でもがき苦しんでいるエルに、今届いたのである!!


 

 ……霧の中で、道が見えずに立ち往生していた。

 カインのした非道が許せなくって。

 でもそのくせ、命を捨てるまでの覚悟に気圧されて。

 頭の中がこんがらがってわけがわからなくなっている内に、言いようにやられて傷付いていって……。

 ただ鈍った体で、生き残るために必死に足掻いていただけ。

 そんな中、霞がかった頭に声が聞こえてきた。

 初めは幻聴なんじゃないかって、気にも止めなかった。

 いや、カインの怒涛の攻勢に、気にしている余裕なんかこれっぽっちもなかったんだ。

 だけどそんな中、僕を呼び掛ける声が聞こえてきたんだ。

 何度も、何度も、何度も。

 優しい声。心配する声。僕の諭し迷いを払ってくれる声。

 それは、僕の知っている大好きな人の声だった。


 そうして漸く気が付いて、振り向いた先にはアリーシャが笑顔で立っていた。

 満身創痍の傷だらけで、今にも倒れそうな姿でだ!

 途端、血が昇った。

 誰が彼女を傷付けた?

 1人しかいない。

 カインだ。カインが僕の攻撃をする合間に、アリーシャを傷付けていたんだ!

 理解した瞬間、絶叫が迸った。


「あああああああっ!!」


 斬られた右腕なんて気にも留めない。

 右肩越しにカインに体当たりを行うと、障壁越しだろうと関係ないとばかりに全力で発剄した。

 それは怒りの発露。

 カインと闘い、終始やられっぱなしだった少年が攻勢にまわった瞬間であった。

 エルの全力。破れかぶれの様な力任せの攻撃であったが、カインを魔法の防護壁ごと遥か彼方に吹き飛ばすだけの、純粋な力を秘めた攻撃であった。

 そして直ちにアリーシャの元に駆け寄った。


「アリーシャさん!!」

「ふふっ、寝坊助さん。ようやく目が覚めたのかしら?」


 痛くて堪らないだろうに、軽口を叩いてエルを揶揄うアリーシャの強さが、優しさが無性に嬉しく、また自分が情けなかった。

 僕は弱い!

 弱過ぎる!! 

 彼女の献身がなければ、今頃カインの剣の錆びになっていたに違いないのだ。


「ごほっ」

「!? アリーシャさん!?」

   

 血を吐き前のめり倒れ始めたアリーシャを瞬時に抱き留めた。

今まで凛とした態度を崩さなかったが、エルが正気に戻った安堵からか無理を押し通した影響が出てしまったようだ。

 闊達、明朗で自慢の姉の様な存在が、今少年の中で弱弱しく横たわっているのだ。


「早く治療しないと!」

「私の事は大丈夫。今はエル、あなたの事よ」

「僕の事なんてどうでもいいですよ! それよりも……」

「いいえ! よく聞きなさい。エル、このままでカインに勝てるの?」

「!? それは……」


 エルに抱かれつつも強い眼差しで問い掛けるアリーシャに対し、少年は答えに窮した。

 はっきり言って、現時点でのカインの実力はエルより上だ。

 とても勝てるなんて断言できない。できるはずがなかった。

 押し黙るエルに、アリーシャは微笑んだ。


「負けてもいいのよ」

「えっ!? でっ、でも……」

「負けを認められないのも、戦士としては恥ずべき行為よ。でもそれは、全力をもって技巧の限りのを尽くした上での事よ。それなら例え負けたとしても納得できるし、相手を称賛できるでしょ?」


 確かに、己の持てる全てを出し尽くしても勝てないのであれば、敗北も受け入れられよう。

 それに、相手が自分を超える強者ならば、素直に尊敬できるというものだ。


「でも、さっきまでエルは何をしていたの? 逃げ、惑い、闘いに集中すらできていなかったんじゃない?」

「っ!? ……はい、その通りです」

「何があったか詳しくは聞かないけど、それは自分にも、決闘相手にも失礼な行為よ」

「……」


 ゆっくり諭す様な言葉だというのに、エルの胸に刃となって突き刺さった。

 カインの非道な行いや明け透けな悪意に気圧されたとはいえ、 先程までの闘いは戦闘とすらいえない一方的なものだった。

 自分は防戦だけで、いや、ただ死なないために逃避していただけだ。

 これを恥と言わず何と言う!

 僕は弱い。弱過ぎた!

 エルの顔が苦渋と悔恨に満ちた。

 アリーシャはそんな少年の頬にそっと手を遣り優しく撫でると、苦しいだろうに荒い息を吐きながらも笑顔で話し続けた。


「まだ大丈夫、間に合うわ」

「えっ!?」

「闘いは身勝手な私のせいで中断しただけ。敵は健在で、エルもまだまだやれる。やれる事が沢山残ってる! ねっ、そうでしょ?」


 彼女の優しさがエルの胸を打った。

 決闘とはいっても戦の最中だから、仲間達と割って入る事も可能だったはずだ。

 闘いを神聖視するアリーシャ達でなければ、介入する事に何ら抵抗等なかったはずだからだ。

 それに、後方には他の上位冒険者達に加えて、英雄達もいるのだ。

 彼の英雄達ならばカイン相手でも後れを取るはずがない。

 彼らに介入して貰った方が簡単に決着が付いたのだ。

 でも、そうしなかった。 

 アリーシャが瀕死になってまで語り掛けたのは、非難される行為と分かっていても決闘中に助言し続けたのは何故だ?

 決まっている! 僕のためだ!

 愚かで弱い僕が迷っていたからだ!

 英雄達に任せたなら、僕のためにならないと判断したからこそ独断で動いてくれたのだ。

 確かにあのままで助けられたのなら、ただ逃げていたという事実だけが残り、苦い記憶と後悔の念を抱く羽目になっただろう。

 でも、そうならなかった。

 アリーシャのおかげで、重傷を負いながらも必死に呼び掛けてくれたおかげで、やり直しの機会を得られたんだ!

 そんな彼女に報いるには、どうしたらいい?

 決まっている! 闘うだけだ!

 それも彼女の望んだ通りに持てる力の全て、命の限りを尽くして!!

 そうだ、他の事は終わってから考えればいい。

 今はただ目の前の強敵との闘いに没頭しよう。

 僕の大好きな闘いに!!

 エルの体に、心に、闘志の炎が燦然と燃え上がった。

 

「ふふっ、ようやくいつものエルに戻ったみたいね。それなら、皆に見せてあげて。あなたの闘いを! あなたの本当の力を!!」

「はい!!」  

 

 腕の中で微笑むアリーシャを、成り行きを見守っていたカーン達に託すと、エルはもう振り返らない。

 ただ真っ直ぐにカイン目掛けて歩き出した。

 一方、アリーシャは直ちに治療を施された。

 

地母神の慈悲(エーナズマーシィ)!!」

「たくっ、無茶しやがって!」

「ひやひやしたよ」 

「ふふっ、ごめんね。でも、その甲斐はあったでしょう?」

「ああ。エルの奴、良い顔になったな」

「戦士の顔だね」

「ええ。これなら良い勝負になりそうね」

「エルの実力を勘違いしている奴等が多いからな。すぐに目を覚まさせてくれるだろうさ」


 アリーシャ達には立ち直ったエルを頼もし気に思いこそすれ、心配する様子など皆無であった。

 その当事者であるエルはというと、弾き飛ばした衝撃などなんのその、戦場だというのにいっそ清清しい程に静かに佇むカインの前に歩み寄ると静かに頭を下げたのだった。


「……何の心算だ?」

「あなたに謝罪を。雑念にとらわれ不甲斐ない闘いを演じてしまい、申し訳ありませんでした。これからはあなたの闘いだけに集中します」

「……」


 頭を下げたままのエルに対し、カインは容赦なく暗黒聖剣を振り下ろした。  

 ここは戦場であり、語らい合う場ではないのだと無言の剣閃が物語っていた。

 いや、そもそもカインは、アリーシャ達の様に闘いを神聖視しているわけではなかった。

 あくまで今のカイン(・・・・・・)はであるが、勝つために散々悪逆非道な行為を尽くしてきたのだ。何をしても勝てれば良いのであり、戦場で油断する方が愚かなのだ。

 後方ではそんなカインの行いに驚きと非難の声が上がったが、漆黒の刃を向けられた肝心のエルはというと、まだ頭を下げたままであった。

 礼の形を一切崩さず、カインの後方に一瞬の内に回り込んでいたのである。

 そして徐に頭を上げると、右肩の炭化した傷口を気で武器化した左手で切断してのけたのである。

 新たに鮮血が止めどなく流れ出すが、顔を歪める所か気にも留めない。腰に携えた魔法の小袋(マジックポーチ)から最高級傷薬を取り出すと一気にあおったのである。


「それと、このままではあなたと満足に闘えないので、右手を再生させてもらいますね」

「……」


 無言で斬撃や雷撃と飛ばしエルの回復を妨害したが、エルは足を動かしてすらいないというのに地面を高速、かつ不規則で移動してみせ、簡単に右手を復活させてしまったのである。

 怪我の功名ではないが、先程までの防戦によってカインの動きに慣れたおかげで、回避する事さえ難物であるカインの気と魔法による連撃を、易々と躱してのけたのである。

 回復したのなら一転攻勢である。

 今はカインの行った非道も悪事も考えない。思考の隅にすら置かない。

 全ては終わってから判断すれば良いのだ。

 ただ眼前の強者に敬意を込めて、拳を振るうのだ!

 今までの謝罪を込めて、エルは正々堂々声高らかに宣言した。


「さあ勝負だ! 今度はカイン、あなたしか見ない! あなたとの闘いに全てを懸けよう!!」


 エルの溢れんばかりの気を込めた拳と、カインの剣撃が三度激突したのだった。














「……何だ、ありゃ?」


 とある冒険者の呟きが、その場に会した一同の思いを代弁していた。

 それほどまでに異様な光景が、想定を超えた異質な戦いが目の前で繰り広げられていたからだ。


 方や、白髪紅眼の魔に堕ちし騎士。

 方や、真紅の武道着を纏いし少年。


 前者はまだいい。血装転鬼ブラッディデモンズシフトによってその身を魔に窶しても、例え技や魔法が暗黒の力を帯びたとしても、元は聖騎士。

 実に洗練されていて、思わず見惚れそうになる程迅速かつ理想的な動きだからである。

 だが逆に、味方であるはずの少年の方はどうだ。

 まず動きが読めない。いや、理解できないと言った方が適切だろうか。

 ある時は何もない空中に静止し、またある時は気を放出し敵目掛けて真っ直ぐに飛翔したと思ったら。一瞬で垂直方向に移動し、あるいは真横や地面すれすれ、あろうことか後方に移動しているのだ。

 それも、一瞬の遅滞も感じさせない程の瞬時にだ!

 しかも移動後には、特攻もかくやという攻勢を仕掛けているのだ。

 意表を突いて弧を描いてカインの後方に回り込んだり、稲妻の如く高速かつ不規則に移動しつつ、防御能わずの暗黒聖剣を掻い潜り、昏き雷を避け、例えカインの周囲を護る気や魔法の防御に弾かれても、一顧だにせず挑み続けているのだ!

 純粋に闘いそのものを楽しみながら。

 狂気を宿した獣の様な貌で嗤いながら!


「……鬼だ」

「一撃でも受ければ即致命傷の剣撃の中を、あの雷の中を! 何であんなに楽しそうに闘っていられるんだ! あいつは気が狂ってる!」


 少年が立ち向かっているのは、圧倒的格上の強者である。

 剣であれ、魔法であれ、一度でも当たれば深手は免れないのだ。

 そんな危険な状況に身を置きながら、何故闘い続けられる?

 何故そんなに楽しそうなんだ!


 エルの心理を理解も共感もできない冒険者が、悲鳴の様な声を上げた。

 冒険者は戦闘を生業とするからには、やはりどこか一般市民からは外れた存在である。

 闘いに喜びを見出す戦闘狂も少なくない。

 その中でも少年は飛び切りの部類だ。

 生と死が揺蕩う嵐の中を、さも愉快そうに舞踏曲ロンドを踊っているのだ。

 狂っているといわれても仕方がない。

 そんな狂気を受け入れない者達には、味方であるはずのエルの姿がこの上なく恐ろしく見えたのだった。


 エルがカイン相手に攻守相食む程に善戦できたのには理由があった。 

 もちろん、雑念を払い闘いに集中できた事や、今までの防戦からカインの攻撃を覚えた事もあるだろう。

 だがそれ以上に、この土壇場で武天闘地を更に改良し、高速かつ変則的な移動中での攻撃を実現させた事こそが大きい。

 カインの剣と気、更には魔法も合わさった高度で複雑な攻めを避けつつ反撃するために、否応なくエル自身が高みに昇らざるを得なかったのだ。

 では具体的にどう進化したかというと、今までは体の後ろ半面全体から気を放出し足で気の壁を蹴って移動していたのに対し、体の各部位、例えば腕や肘、踵や太腿の裏等々から局所的に気を放出したり、瞬間的に気の壁を張り巡らせて反動による移動を行ったのである。

 実際エル程の超人的な力の持ち主であるならば、足だけではなく指や背中の一部でも透壁に触れさえすれば、反動で肉体を移動させられるのだ。

 加えて気の力で強化し、更に飛天による気の放出も合わされば、あのカインでさえ己が身を守らなくてはならない、予測不能の高速移動と変則攻撃につながったのである!

 闘いを見守る冒険者達の目には、さぞ奇異なものに移った事だろう。

 何せ一切地面に降りず、空中で何度も方向転換しながらカインに肉薄し猛攻撃しているのだ。

 加えてその動きそのものが変則的、いや変態的で全く理解不能なのだ。

 真正面からの中段突きが相手の右頬を狙う側面からの攻撃に変わったと思ったら、右肩への回転肘打ちが後方に回り込んだ左肩への肘打に早変わりし、下段蹴りを放ったはずなのにいつの間にか後頭部への宙返り蹴りになっているのだ。

 何をやっているのか解らないし、共感さえもできない。

 今まで培ってきた常識が、この少年には全く通じないのだ。

 加えてあの嗤い貌だ。

 心底闘いを楽しんでいる。先程までカインの一撃で重傷を負い、今は善戦しているが、また元聖剣の斬撃を受ければ、死すらあり得る状況だというのにだ!!

 誰かがエルの事を鬼と評したのも、的外れな評価ではない。

 今は敢闘しているといっても相手はカイン、圧倒的強者である。

 重傷は負わないまでも、肉を絶たれ身を焦がされ、少年の身は流れ出た自分の血で真っ赤に染まっていた。

 普通なら自身の身を厭い攻勢を弛める所だ。

 だがこの少年は弛める所か逆に勢いを増し、獅子奮迅の烈火の攻めを決行したのである!

 その身を真紅に染め上げ、獰猛に嗤いながら!

 格下の少年が強者を倒そうとする大物食い(ジャイアントキリング)を起こそうかと奇跡的状況にあるはずなのに、少年の異質さが冒険者達を戦慄させ言葉を無くさせていたのである。

 まあ一部の大物達は、面白いものを見る様に興味深そうに観戦していたが……。


「なるほどな。ただの6つ星じゃねえと思っていたが、あんな隠し玉をもってやがったのか」

「高度な気の運用と身体制御法ね。オーグ、あなたでも真似するのは難しいんじゃない?」

「まあな。やってやれない事はねえだろうが、あんな細かい制御をやり続けるのは面倒だ」


 リーリャやオーグニルは決闘を観戦しつつ、いつの間にかアリーシャ達が陣取る最前線に来ていた。エルの興味深い動きを観察したいという気持ちも当然あるが、流れ弾が来た場合に他の冒険者の盾となる積りなのだ。

 勿論、それ以外にも目的があった。

 それは ―― 少年の事を良く知るアリーシャ達に話を聞くためである。


「ねえ、あの技は何ていうのかしら?」

「……武天闘地。エルが武神流の技を組み合わせて創り上げた、独自の闘法です」

「なるほど、天に武を示しめて地にて闘う、か。良い名前ね」

 

 一介の上級冒険者が名乗るにしては大それた分不相応な名前だと一笑に付す所だが、天を翔け、地を砕きながら、烈火の如き怒涛の攻め続ける少年を見ていると、あながち間違いではないと思えてくる。

 魔法女帝の目から見てさえ、今のエルの闘いはそれ程までに見事だったのだ。

 そのエルはというと……、


「ああああっ!!」


 吠え猛っていた。猛りに猛り、一時も休む事無く拳を、足を振るっていたのである。

 ただし、狂戦士の様に自分が傷付く事すら厭わずに攻めたわけではない。

 熱く燃え盛る心とは裏腹に、信じ難き集中力をもってカインの強烈な斬撃を躱し、稲妻を潜り抜けながら攻撃していたのだ。

 ほとんどの攻撃はカイン張り巡らした気の障壁や魔法の盾に防がれたが、エルは全く構わなかった。それ所か更に勢いを増して猛烈に攻め立てたのである。

 そう、躱されさえしなければよかったのである。


「坊主のあの攻撃、何か狙ってるな」

「そうね。それに、あれはただの攻撃じゃないわね。あれは牙、それも猛毒の牙よ」


 確かにエルの攻撃は、気で強化してただ突いたり蹴ったりする様な単純なものではなかった。カインに攻撃を防御された瞬間、溜めこんだ気を刹那の間に打ち込んでいたのである。

 徹気拳

 敵に気を送り込み、相手の内部から破壊する荒技である。

 今のエルにとっては拳だけではなく、膝や脛、肘等の攻撃部位ならどこでも気を打ち込める事が可能なのだ。

 如何なカインの守りが鉄壁だとて、一撃でも抜ければ内部破壊を引き起こす。殊に、内臓等の脆弱な器官にまで気が浸透すれば重傷ではすまない。

 格上相手からでさえ勝利を掴み取れる、弱者の牙なのだ。

 更には防御の上から叩き込んだとしても、敵の気力や魔力の損耗が見込める。

 つまり、攻撃を防ぎ続ければ否応なしに疲弊させられるのだ。

 防御を維持できなくなれば、即ち、攻撃が通るという事に他ならない。

 一発逆転の可能性を秘めた、凶悪な牙がだ!

 魔法女帝が猛毒と称したのは、このためである。

 ただし、その目論見を成就たせるためには、相手より気力が上でないと成り立たない。

 いや、突き等の攻撃力も加味される事を考慮すれば、少なくとも自分の気力が無くなるよりも先に、相手が防御を維持できなくなる必要があるといった所か。

 余程自分の気力に自信が無ければ、こんな消耗戦等仕掛けるべきではない。

 あるいは、自分より先に必ず相手が力尽きるという確信があれば別だが……。

 リーリャ・グリムテイルの深淵を見通す瞳が、エルに流入する不可視の力の流れを看破してのけた。


「なるほど、攻撃しつつ気力を回復できる手段があるのね。お嬢さん、あれは何かしら?」

「お嬢さんは止めてください! アリーシャで結構です」

「ふふふっ、私からしたら皆孫のその又孫以下の年齢よ。あなたのお父さんも、小さい頃から知っているから、ついね?」

「だとしても、いつまでも子供じゃありません!」


 先程まで少年のために身命を賭した気高く美しい姿がどこえやら、戦場では場違いな程年相応の姿で、アリーシャは真っ赤になって反論していた。

 さしもの彼女も魔法女帝から見れば圧倒的に経験が足りていない。

 それに、アリーシャの父に助言を与え成長を見守った事のあるリーリャからすれば、彼女の性格や行動や実に好ましく、つい身内にする様に構いたくなってしまったのだ。

 まあやり過ぎて臍を曲げられても面倒なので、揶揄うのを止めて話を戻したのだが。


「ふふふっ。アリーシャ、これでいいかしら? それじゃあ、あの子の使ってる技を説明して頂戴」

「はあっ……。あれは外気修練法といって、周囲にある力を取り込んで心身を回復させる神の御業です。本来なら瞑想しながらでなければいけなかったはずの御業を、移動しながら、攻撃しながらでも使える様にエルが改良したんです」

「神の御業をっ!?」

「それは凄いわね」


 聖女モニカが感嘆の声を上げ、魔法女帝さえもエルを褒め称えた。

 それ程までに、神から与えられた御業を改良するのは至難の技であるからだ。

 だがこれで可能性ができた。

 成功の確率が極僅かだとしても、消耗戦の先に少年の逆転勝利という目ができたのだ!

 

「それじゃあ後は、坊主がどこまで自分の勝利を手繰り寄せられるかだな」

「ええ、お手並み拝見って所かしらね」

「きっとエルならやってくれる、私はそう信じてます!」

「それは楽しみだ」


 こちらに向かってきた雷魔法を一瞬で打ち払いながら、堅忍不抜は微笑んだ。

 新しい世代の台頭を、こうして間近で感じられるとは思ってもみなかったからだ。

 それに加えて、少年のために躊躇いなく己を犠牲にして見せたこの少女にも好感が持てた。

 新たな芽が着実に育ってきてくれている事を嬉しく感じながら、一心不乱に激闘を演じる少年に目を向けるのだった。


  

 

 傍から見ればエルが押している様に見えたかもしれないが、現実は違う。

 善戦しているエルであったが、その実態は薄氷を踏む様なものであった。

 カインの魔法や技はどれも強力であり、取り分けあの暗黒聖剣は防ぐ事すらできないのだ。

 はっきりいって一撃でも真面に当たれば、敗北所か死すらあり得るのだ。

 それに加えて、善戦している要因である武天闘地の新型であるが、従来のものより複雑で高度な制御が必要であった。

 カインの猛攻を避けつつこちらが攻撃するためとはいえ気力の損耗も著しく、精神的疲労も恐ろしいものがあったのだ。

 敵の攻撃は避けるしかなく、こちらは新型を用いなければ攻撃も覚束ないが、その頼みの綱は制御が難しい上に消耗が激しく、いつまで維持できるかわからないといった、真に綱渡りな状態なのだ。

 だがそんな危機的状況にありながら、エルは心底楽しくて仕方なかった。

 カインの桁外れの強さが、一瞬の攻防が生死を別つ瀬戸際の闘いが、そして敵に対応するために否応なく成長しなければならず、自分の殻を破り限界を突破せざるを得ない窮地が、エルに生の喜びを謳歌させ

刹那の応酬がエルの血を際限なく昂らせていた。

 早鐘を討つ心臓が、荒く苦しい呼吸さえも愛おしかった。

 カインに焼かれ、あるいは斬られた痛みさえも、生きているからだこそと喜々として受け入れられる。

 ああ、僕は今生きている!

 それに加えカインの狂おしいまでの強さが、立ちはだかる高い壁が堪らなく嬉しかった。

 その強さ、そこに至るまでの修練と闘いの日々を想うと、勝手に敬意が溢れてくる。

 尊敬するからこそ超えたい!

 難問だからこそ打ち破った時の喜びは計り知れないだろう。

 自分が何処までいけるか試してみたい。

 この偉大なる相手に、自分の磨き上げたものをぶつけたい! 

 

 エルは宣言通り、カインだけしか、カインとの闘いだけしか見ていなかった。

 極限の集中の中にいたのだ。

 

 下方から発生する雷の柱を横に回り込む事で回避し、追撃の横薙ぎを上体を逸らしつつ蹴撃し様に避け、左掌からの黒雷をカインの上を飛び越しつつ避けながら肘を叩き付ける。

 もちろん、全ての攻撃に気を込めた武人拳であり、気や魔法の障壁に防がれた瞬間に撤気拳を叩き込んだ。

 肉体は剛体醒覚と気によって体の内外から強化し、気力の消耗や怪我や体力さえも外気修練法で常時回復し続けている。

 そんな全力を出してもなお、まだ伍するとは言い難かった。

 相変わらず攻守は完璧で、エルの変則攻撃を前にしてもなお冷静な防御からの反撃の一撃は鋭く脅威であった。 

 カインの堕ちてもなお輝かしいまでの強さが憎らしく、そして嬉しかった。

 彼を超えたい!

 彼の多彩の技を味わ付くし、また一歩上に昇りたい!


「おおおおおっ!!」


 カインの周囲を上に下に高速で動き回り、所構わず五体全体を武器として気を打ち込み続ける。

 至近距離を飛び回る蝿を叩き落さんとする雷の奔流を放つと、剣を両手で持つと平を向けた。

 それは、その技は —— 既に見ている!


「双波!!」


 気と魔法による衝撃波に対するは、両掌からの発勁を気で強化し、更には衝突時に気の振動波も加えた武神流の気と技を合わせた複合技である。

 純粋な力量はもちろんカインの方が上だ。

 だが斬撃ではなく、衝撃や振動といった武神流、とりわけ格闘術の得意とする分野で、かつ師アルドと共に一撃必殺の発勁に重きを置いて修練し続けたエルに、軍配が上がった!

 大部分は相殺されたが、僅かに上回った衝撃がついに、あのカインに届いたのである!

 弾かれた様に後方に飛ばされたカインの頬から血が流れた。

 白い病的な魔性の肌に鮮血が伝った。

 後方で歓声が上がる中、カインが重い口を開くと静かに問い掛けた。


「何が、君にそこまでさせる?」

「あなたの強さが! あなたを超えたいという思いが、僕を強くしてくれる!」

「……」


 理不尽。そう、理不尽極まりない。

 初めて相対した時、それと先程まで戸惑っていた時までは、見所はあるがまだまだ未熟という評価を下していた。

 剣士として相手の力を計るのは必須技能である。

 熟練の戦士であるカインの判じた評価は間違っていない、いないはずだった。

 だが、現実はどうだ?

 追い詰められている。それも猛烈な勢いでだ。

 力量差はかなりあったはずなのに、目を見張る程の急成長を遂げ、防戦一方から互角の攻防をするまでになっている。

 いや、手数や移動速度の点でいえば、既に上回っているだろう。

 それも、この短時間のうちにだ!

 しかも理由が、こちらが強いからそれを超えるために強くなったというのだから、呆れてものが言えない。

 今もそうだ。

 無詠唱で雷柱サンダーピラーを唱えたが、見もせずに避けられた。

 視力を用いなくとも僅かな変化を察知し、対処してみせるのだ。

 もはや格下などと侮っていい相手ではない。

 油断すればやられる。それほどの敵に、少年はなってみせたのだ。

 ならば出さねばなるまい。

 英雄達との闘いのたけに温存していた奥の手をだ。

 カインの僅かな表情の変化から、何かする心算だと悟ったエルは愉快そうに嗤った。

 今でさえ散々苦戦しているのに、まだ隠しているものがあったのだ。

 カインの強さ、その引き出しの多さには本当に頭が下がる。

 敵将への尊敬の念を深めると同時に、どんな技なのかと思いを巡らしエルは犬歯を覗かせて嗤った。

 そんなエルの思いを汲んだわけではないが、先手を取ったのはカインであった。

 無数の雷球を放ち様に突進し、元聖剣を袈裟切りに斬り付ける。

 もちろん少年が躱す事も織り込み済みだ。 

 逃げる所か距離を詰め理解不能な動きで側面に回り込もうとするのを、返す刀で切上げて追随してくる。

 だが、それさえも今のエルを捉えるのには不十分だ。

 重力の頸木を外れたかの如く横移動中から何故か上に跳ね上がり、カインの頭上を越えて行ったのだ。

 その際に肘と膝の手痛い贈呈品つきである。

 本当にこの少年は不条理の塊である。

 だからこそ奥義を出すに相応しい。

 静かに気と魔力を練りながらカインは笑った。

 そんな敵将の予想だにしていない行為に、エルが僅かに驚いたその時だ!

 絡め手からの奥の手が発動したのである。


魔法爆弾マジックボム

「っ!?」


 なんとカインは自分を巻き込む形で、エルの周囲や上方で無数の爆発を起こさせたのである。

 まさか自分が傷付く事を厭わず、移動を封じてくるとは思ってもみなかった。

 瞬時に三重壁、エルのできる最高の防御を行ったおかげで、被害そのものはほとんどなかったものの動きが止まってしまう。

 それもカインの目の前でだ。

 この状況を手ぐすねを引いて待っていた敵将に、致命的な隙を与えてしまったのである。


雷弩球ヴォルテックグローブ」 

「あああああああっ!?」


 カインの次の手はシンプルであった。

 巨大な暗黒の雷球を纏うと、エル目掛けて突進したのである。

 もちろん、至近距離で動きの止まったエルに避ける術などありはしない。

 張り巡らせた気の守りに、全力で新たに気を注ぎ続けたが突破してきた雷がエルの全身を苛み激痛を与え続けた。

 いつ果てるとも知らぬ豪雷から身を守り続ける事しばし、本人にとっては何刻にも匹敵する様な時間の後、残った雷と魔力を大放出されエルは高々と宙に跳ね飛ばされてしまった。

 放物線を描きながら苦痛によって意識を辛うじて保っていると、異常な気の高まりを感じ取った。

 そう、カインの本当の奥の手はまだあったのだ。

 相手の動きを止め、極大の雷撃によって全身を麻痺させつつ空に打ち上げ、回避能わずの状況で気の一撃によって命を刈り取る!

 これこそが、カインの奥義の全貌であった。

 研ぎ澄まされたた大量の気が暗黒聖剣に凝縮され荒れ狂い、解放される瞬間を待ち望んでいたのである。

 その剣先の狙う先は……、エルの心臓!


黒雷閃ブラックライトニング!!」


 暗き光はエルの影を捉えだけに飽き足らず、遥か先雲を引き裂いて天に昇ったのである!!

 

「エルッ!?」

「嘘だろっ!?」


 あちこちで悲鳴が上がり、少年の命が絶望視された。

 そんな中撃ち抜かれた少年はというと、地に落下していった。


 いや違う!

 落下していたのは途中までで、行き成り気を纏うと奥義を放った直後のカインを急襲したのである!!


「なっ!?」


 これにはさしものカインも驚愕の色を隠せない。

 一命を取り留めるまでならまだ理解できる。

 だがあの一撃を受けて即座に反撃してのけるのには無理がある。

 奥義を放った硬直と予想外の出来事による心の隙を付かれ、エルの接近を許してしまった。

 気付いた時には、もう遅い。


「あああああっ!!」


 吠え猛るエルの右掌から気で強化された発勁、猛武掌が放たれ、カインの障壁を打ち破る。

 通常なら強力な発勁を放った後は僅かでも動きが止まるのだが、エルには克服する術がある。

 武天闘地によって気で無理やり肉体を動かし、硬直を消すと共に次なる技の準備に入っているのだ。

 それこそが不可能と思える発勁の連続攻撃を可能にしたのである!

 短震肘

 肘による発勁がカインの鎧に勁を注ぎ込み、更なる連撃、纏震靠による肩での発勁が鎧をも粉砕し、鳳を飾る背での発勁、エル最大の勁技である破竜靠がカインの胸を打ち吹き飛ばした!!

 四震勁

 かつて餓竜スタービングドラゴンの死闘で用いた連続技を武天闘地によって昇華し、真に恐るべき連続発勁に練り上げたのである!

 吹き飛ばされ、大地に叩き付けられたカインは盛大に吐血した。

 カインをしてこの惨状である。エルの連撃の恐ろしさをまざまざと見せつけた格好である。

 もっともエルとて無事ではなかった。

 むしろ被害甚大で満身創痍といった所が正しいだろう。

 エルの左胸から背中には大きな穴が空いていたからだ。

 結局、カインの黒雷閃ブラックライトニングは回避できていなかったのだ。

 咄嗟に透壁を何重にも張り巡らせたが、全て突破されあばら骨も左肺も貫かれてしまったのだ。

 透壁によって偶々逸れた(・・・・・・)から絶命せずに済んだ、それが真相である。

 呼吸もままならず、胸からも口からも夥しい血を流していた。

 もう長くは動けまい。

 そんな状況の中でさえ、エルは嗤っていたのである。


「鬼ね。それも闘いに生き甲斐を見出す鬼。闘鬼といった所かしら。全身を焼かれ、左胸に穴を開けられて、よく笑っていられるわね」

「エル程の闘争心を持っている者は、私達赤虎の部族の中でもほとんどいませんからね」

「まさかあそこから反撃するとはな。やるな、坊主!」


 エルが褒められるのをアリーシャは我が事の様に喜んだ。

 英雄達からすればまだまだ甘い所はあるが、それでも賞賛に値する。

 それ程の事をエルは為していたのである。

 


「そろそろ決着が付きそうだな」

「ええ、お互い重傷のようですし、後一合、もって数合でしょうね」

「エルは勝ちます!」


 モニカの指摘を他所に、アリーシャはエルの勝利を信じて疑わなかった。

 エルはいつだって無理難題を突破してきた。

 今は伍する事さえ不可能と思えた、あのカインを追い詰めていた。

 アリーシャはエルの気が紛れない様に、心の中で必死の声援を送ったのだった。


 血を撒き散らしつつ、よろよろとカインは立ち上がった。

 エルはエルで凄絶な貌のまま、吐血しつつゆっくりと歩み寄っていった。

 もはや2人に言葉は要らなかった。

 お互い残された時間は少ない。全力を出せるのも後1回が限度だろう。

 決着の時だ。 

 カインは静かに暗黒聖剣を両手に持つと、上段に構えた。

 初めて見せる構えであった。

 守りも避ける事もせず、二の太刀さえも考慮しない、文字通り一刀に全てを懸けた捨て身の一撃である。命を賭した乾坤一擲の斬撃である。

 それに対し満身創痍のエルはというと、自分の生き死に等これぽっちも考えていなかった。

 それ所か、カインを超えるにはどうするべきか、今まで自分が学んできた事を余す所なく出し尽くすにはどうするべきかと思い巡らせていたのである。

 そして至る。

 先程の九死に一生を得た時の事を、師アルドの最も得意とする大技をだ!

 バズルのピースが埋まる様に、自分の理想が頭の中で高速で具体化していった。

 

 今の僕ならできる!

 武神流の技を結集し、カインを超えるんだ!!

 

 カインは涼やかに微笑み、反対にエルは獰猛に嗤った。

 そして、決着の時が訪れた。


 爆発的な加速から両者の距離が一瞬で縮まると、カインの魂魄の一撃がエルよりも早く放たれた!


雷撃斬サンダーブレイク!!」


 真竜さえも一刀両断する、カインの必殺の剛撃が虚空を引き裂いてエルに迫る。 

 対するエルは先程と同じく無数の透壁を幾つも幾つも生み出しつつ距離を詰めるが、そんなもの紙屑と変わらないとばかりにカインの斬撃は、一切衰えも見せず少年の頭上から真っ直ぐに振り下ろされたのである!


「「ああっ!」」

「きゃああ!!」


 少年が両断された姿を想像した冒険者達から悲鳴が上がった。

 エルの頭に向けて真っ向から振り下ろされた刃は、はたして ―― 少年の、左腕を半ばから断ち切っていた。


「っ!?」

 

 少年を両断してのけたはずの刃が、何故か左手を斬り裂くにとどまっていたのだ。

 いや、そもそも少年の頭に向かって振り下ろした刃が、何故横にずれている?

 答えは単純、エルが導いてやったのだ。

 幾つかの透壁が斬られるのを囮として、本命の透壁を僅かに斜めにして聖剣の軌道を僅かに横に逸らしたのだ。

 カインの豪撃の力が強過ぎたが故に僅かなずれが大きな変化となり、エルの左腕を斬るに至ったのである。

 もっとも、エル自身は理論も何も分かっていない。

 先程黒雷閃を凌いだ事を直感的に理解し、賭けに出たに過ぎないのだ。

 命さえあれば、カインに攻撃できる余裕さればあれば良いと、決死の賭けに出たのである!

 だが、その賭けに勝った報酬は大きい。

 剣の間合いを越え、カインに肉薄できたのである。

 もはやそこは、エルの領域であった。

 放つべき業は、既に決まっている。

 そう、それは——


「豪天衝!!」

 

 師、アルドの神の御業をここに顕現!

 カインの顎を地から天に昇る様な下突きでかち上げると共に、気の竜巻を具現化させたのである!!

 練磨に次ぐ練磨の末、ついにエルは神の御業を修得したのだ。

 強力な突きと気の竜巻によって、カインが天高く打ち上げられていく。

 通常ならこれで終わりだ。

 だが、エルには天を自在に翔ける独自に編み出した技がある!

 武天闘地によってカイン目掛けて飛翔すると、あっという間に追い越していく。

 そしてカインが限界まで打ち上げられた所で、貯めに貯めた気を勁と共に開放する


「破竜靠!!」


 体を地面と水平にして本来なら不可能な態勢からの発勁を行う。

 エルの渾身の破竜靠によって、カインは高速で地面に落ちていった。

 

「まだだ! まだ終わらないぞ!」


 そんなカイン目掛けてエルは飛翔する。

 気を後ろに放出し、透壁を蹴り、先に落ちるカインに向けてあり得ない程の加速を見せた。

 その姿は天から尾を引き流れ落ちる流星の様に美しかった。

 地に衝突したカインに放つ技は、エルのみが使える奥義であった。

 それは、エルの努力の結晶から編み出されたオリジナルの技。

 武天闘地を使える者のみが放つ事のできる技。

 足から発される世界で唯一つの勁技!


「天雷!!」


 カイン諸共地を爆散させ、エルの魂魄の一撃が決まったのだった。

 エルの今までの集大成とも呼べるであろう三連撃を受けたカインは、もはや動けない。

 動くことも不可能な状態である。


「嘘だろっ!?」

「奇跡だ……」


 冒険者達から口々にどこか愕然としたような、驚嘆の声が上がる。

 それも当然だろう。

 実力差は歴然だったのだ。

 こうして逆転できたのは偶然の要素が強く、奇跡に近い。

 一歩間違えば二度も斬り裂かれた腕と同じく、屍となり横たわる羽目になったのはエルだったかもしれないのだ。

 だがその奇跡を手繰り寄せ、勝利したのも純然たる事実である。

    

「僕の勝ちだ」


 残っている右腕を天に掲げると、エルは自分に言い聞かせる様に宣言した。

 驚愕と称賛の声が爆発した戦場で、エルは己の勝利を噛み締めるのだった。 




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