第98話
虚空を暗黒聖剣が斬り裂き、大地に黒き稲妻が奔った。
アリーシャ達が騎士団相手に勝利を収めたちょうどその頃、エルは大苦戦を強いられていた。
もちろんカインは格上の相手であるし、脅威的な斬れ味を誇る元聖剣を所持している事も少年の劣勢の要因になっているだろう。エルの対人経験の少なさも形成不利に拍車を掛けているのは間違いない。
だがそれ以上に……
「あああっ! 裂砕蹴!!」
「……暗黒盾」
エルの強靭な足腰から繰り出された瞬速の連続蹴りを、カインは虚空にかざした掌の前に魔法の盾を出現させると、いとも簡単に防ぎきってみせたのだ。
更には間髪入れずの鋭い反撃である。
暗褐色の剣がエルを両断せんと、不気味な音を発てて虚空を斬り裂き迫る。
「くっ!?」
「雷光」
「うわあっ!?」
武天闘地によって後方に飛び退りながら聖剣を回避したと思った瞬間、カインの左手から黒き雷が発射され、避ける間もなく身を焼かれてしまう。
全力で気の防御を張り巡らせていたおかげで致命傷こそ至らなかったが、痛みが全身を駆け巡り思わずエルは顔を苦痛で歪めた。
そんな少年の状態にも関わらず、悪鬼に変貌したカインは泰然自若としていて、一切油断した様子が見られない。
そう、カインは気と魔法を操る希少な魔法戦士というだけでなく、戦士としても魔法使いとしても双方が高次元の強さを有する、真に聖騎士を名乗るのに相応しい実力を兼ね備えていたのだ。
攻守に優れ、遠近どちらでも強力な攻撃を有しているせいで、終始圧倒され何度も何度も危険な場面に追いやられていたのである。
それに加え、更に悪い事にエルが苦しんでいるのにはまだ別の理由も存在していた。
少年の心が混乱の極みにあったからだ。
飽くなき勝利への執念。
仮にも元聖騎士だったとは思えない程の悪意。
そして、禁忌の躊躇無き実行。
かてて加えて、仲間や己の命でさえ捧げてまで、更なる強さを得た。
そのくせ闘いになれば冷静沈着で、焦りは微塵も無い。むしろ盤石過ぎる程の、鉄壁の守りだ。
悪鬼外道と化したカイン。
非道を行ったのにも関わらず、その強さ、戦巧者振りはどうだ。
その精強さは新たな境地に達し、今なお時間が経つ毎に強くなっているように感じられる。
だがそれでも、エルにはどうしても理解し難かった。
いや、理解も共感もできなかった。したいとさえ思えなかった。
カインを到底自分と同じ人間とは思えず、嫌悪しか沸いてこなかったのだ。
戦闘狂の少年にして本当に珍しい事だが、雑念に囚われ闘いに集中できていなかった。
三次元での高速戦闘を可能にする武天闘地のおかげで、辛うじて闘いにはなっていたが、そんなエルの心の有様などお構いなしに、カインの攻撃は苛烈さを増していった。
降り積もる雪はおろか地面さえも弾き飛ばしながら疾駆し、防御能わずの斬撃を連続で繰り出す。エルが必死に避け間合いを取ろうにも、離れた瞬間に魔法の雷で追い打ちが掛かるのだ。
平静を失っている状態では苦戦こそすれ、自分以上の強者相手に善戦するなど、夢のまた夢であった。
そんな状況で、ついには致命的な一打をもらってしまう。
暗黒聖剣に堪えかねて宙に逃げた際に、カインも強靭な脚力で跳躍し追撃してきたのである!
しかも、何故か聖剣の平を向けてである。
二重に虚を付かれ、思考を停止したエルにカインの凶手が迫る。
「振動衝撃」
「えっ!?」
後手に回らされたとしても、そこは戦闘の申し子。
カインの意図を読めずとも危機を察知し、空中でも移動し紙一重ではなく大げさに後方で退いたのである。
だがしかし、それだけではカインの魔の手を掻い潜るには不十分だった。
「うわああっ!?」
避けたはずのエルの身に無形の衝撃波が襲ったのである。
先程の技は気と魔法、双方の力を結集し広範囲に無色の衝撃波を伝搬させる技だったのだ。
さしものエルでも初見では対処できず、無数の衝撃に体中を痛め付けられ地面に落とされてしまったのである。
そんなエルの間近でカインの凶刃が煌めいた。
「っ!?」
はっと気付いた時にはもう遅い。
エルの右腕が、鮮血と共に宙に舞ったのだった。
所変わって、終末戦争とも地獄の様相とも想える大破壊を巻き起こしつつ、人智を超えた頂上決戦を行っているのは英雄達と醜悪なる怪物であった。
無貌の巨人が、体中至る所に生えた苦悶の表情を浮かべる顔から光の奔流を無差別に発射すると、聖女や堅忍不抜が一瞬で結界や防護壁を築いて防ぐと、お返しとばかりに大地巨人や魔法女帝が絶大なる破壊を振りまいた。
「剛気疾走!!」
「精霊狂瀾!!」
砦の如き巨大な化物を更に上回る強大な気の波が敵を飲み込むと、幾千幾万もの真空の刃が乱れ飛び、巨岩は爆ぜ飛び、巨象の如き氷塊が乱舞すると、火炎が世界を真紅に染め上げた。
兵士達を逃がし終え、周囲の被害に苦慮する事無く全力を出した超越者達の攻撃である。
被害甚大、白銀の大地は見る影無く無数のクレーターを有する荒野に変わってしまった。
しかし、怪物はオーグニルやリーリャの凶悪な技によって腕や足が千切れ飛び胴体の大部分が欠損するといった大怪我を受けたはずなのに、いつの間にか元通りになっており意味不明な大声を上げて立ち上がってきたではないか。
「一体全体どうなってやがる?」
「恐ろしい回復能力。いえ、この場合は再生能力といった方が適切かしらね」
超再生、そう形容するしかない程の一瞬で、手足も喪った胴体も元通りになっていた。これ程の再生能力は英雄達といへど、未だかつて出会った事がない。
「それに、あの光の無差別攻撃は油断できませんわ」
「甘く見れば、やられるのは俺達の方だ」
真剣な表情でジークハルトとモニカは頷き合った。
直接あのガヴィーが変じた怪物の光線を防いでみたからこそ、敵の恐ろしさを2人は実感していたのである。正直手を合わせあってなんとか無傷で済んだといった所であり、僅かな油断や遅れが死を招き兼ねないと、言い知れない緊張が生まれていた。
そんな雰囲気をぶち壊すかの様に、オーグニルが呵呵大笑した。
「はははっ! どうしたどうした? 油断するのは論外だが、敵を過大評価するのも、ジーク、お前の悪い癖だぜ」
「オーグ、そうはいうがな……」
「そうですわ! 今の所は何とか防げていますが、油断すればやられるのは私達の方ですわ!」
「わかった、わかった。そうなる前に塵も残さず消滅させてやれば、俺達の勝ちだろう? なあ、リーニャ?」
「シンプルな考えね。まあでも、間違ってはいないわね」
嘆息交じりに肯定すると、リーリャは奇妙な既視感を覚えていた。
山の様な巨人、それも体中に無数の怨嗟振りまく様々な顔を持ち、異常な再生能力を持つ……。彼女の長き生の中で遥か昔どこかで聞いた事がある様な、そんな気がしたのだ。
だが直ぐに頭の片隅に追いやると、眼前の強敵に集中した。
自分の体が、心が、訴えてくるのだ。
この敵は油断していい敵ではないと。
自分を殺し得る可能性を秘めているのだと!
こういった時、リーリャ・グリムテイルは素直に自分の直感に従うようにしている。
数え切れぬ敵を屠り、万を越える戦場を潜り抜けてきた彼女の体は、高感度なセンサにも劣らぬ感知能力を有しているのだ。
特に肌がざわつく様な、悪い報せの時は外れたためしがない。
それに、現存する最古の英雄たるこの身を滅ぼす力があるのなら、それ即ち友を、仲間を殺戮する力を有しているに他ならない。
ならば殺そう。その存在を、欠片とてこの世に残したりしない!
必滅の意志を固めたリーリャが仲間達に宣言した。
「出し惜しみはなし。全力でいくわ! オーグ、あいつの動きを止めて。モニカ、ジーク、守りは任せたわよ!」
「ええ、わかりましたわ!」
「任せておけっ!」
「ははっ、久々にお前の本気が見られるな。前座、喜んで任されよう!」
犬歯を剥き出しにして獰猛な顔で笑うと、オーグは人喰鬼さながらの人を超越した肉体を更に膨れ上がらせ、長大な狼牙棒から膨大な気を発した。
「いくぜ~、緑土生森!」
なんと、振り下ろした大棒が地面を叩くと、突如怪物の周囲から緑が溢れ大樹が次々と生まれ出したではないか。
長く太い蔦の様な植物が絡み付き、鋭い突起を有する木々が巨大な怪物を貫き大地に縫い止めた。
しかも木々の成長は止まる所を知らず、怪物が暴れ体中から光線を発して焼き払っても次から次と生まれ出でては、拘束し続けたのである。
そうこうする内にリーリャの詠唱が完了する。今まで無詠唱であってさえ信じ難き破壊を振り撒いてきた、あの魔道女帝が詠唱したのである!
「核熱崩壊」
厳かに告げられた力ある言葉によって不可視の結界が巨人を包み込むと、大いなる災厄が訪れた。
始まりは小さなものだった。
怪物の胸部付近で僅かな発光があったと思われた瞬間、大気を爆ぜさせ轟音を伴った壮絶な爆発が起こったのである。
それだけではない。爆発と同時に黒炎が驚異的な速度で燃え広がり、マグマさえ気化させる超々高温が結界内の全てを灰燼と帰していったのだ!!
オーグニルが創生した大量の植物と木々も、そしてガヴィーの変じた怪物さえも何もかも一切合切が、彼女の生み出した漆黒の劫火に消えていった。
例え力ある魔であろうとも、太古から生きる古の竜であろうとも、この焔の中では己の命脈を保つ事は叶わないだろう。
それ程の破壊の炎が荒れ狂い、猛威を振るい続けたのである。
これでお終い。
いかに瞬間再生の様な常識外の回復能力を有する怪物といへど、この地獄の業火の中では再生するよりも肉体が焼き尽くされる方が速いだろう。
後はこの戦の首魁を倒せばいいだけだと、あの百戦錬磨のオーグニルでさえ透明な結界の内を黒き炎が蹂躙し尽くす様を、つい身体を弛緩して吐息を吐き出したその時だ。
「!?」
突然。そう、真に突然、何の脈絡も無く怪物の巨大な手が炎を割いて現れると、一瞬の内に彼のリーリャ・グリムテイルが張った結界を打ち破り、劫火の中からはい出てきたのである。
「嘘っ!?」
炎に耐えられたのならまだ理解できる。だが魔法女帝と名高きリーリヤの結界を、何の抵抗すらなく極短時間で突破したのは、もはや理解の範疇を越えている。
壊すのではなくまるで結界そのものを吸収したかの様な、そんな不自然さをもってだ。
彼の魔法女帝が我知らず驚愕の声を上げてしまうのも頷けるというものだ。
だが、英雄達が僅かといへど虚を突かれた暇に、無貌の怪物は恐ろしき逆襲にうって出た。
体中無数に存在する苦痛の面から膨大な光の奔流を乱射しつつ、その巨体からは予想だにすらできなかった速さで接近してきたのだ!
「っ!? やらせんぞ! 不可侵聖域!!」
「させません! 神聖域!!」
ジークが山の如き怪物の前に進み出で、守護神を象徴する絶対不可侵の巨大な不和の盾を出現させ立ちはだかると、聖女モニカは悪しき物はその存在さえ許さない神聖なる結界領域を生み出した。
本来なら如何なこの怪物であろうと、いや、例え神の名を冠する強大な魔であっても、この2人の創り出した強固極まりない堅牢な守りを突破する事はできないはずであった。
事実、あれだけ猛威を振るった悪しき光の乱舞でさえも、唯1つの例外なく完璧に防がれたのだ。
このまま化物の突進も弾き返えし、それを奇貨として一転攻勢に転じるべく仲間達の無言で目で合図し合っていたのだ。
だがしかし、現実は予想を裏切った。
不意に、リーリヤの身に言い知れぬ怖気が駆け上がった。
このままではまずい!
何かは解らないが、このままあれを近付けてはいけない!!
そんな胸騒ぎに従い、本当に珍しい事に魔法女帝は声を荒げて警告を発した。
「急いで離脱して!! あいつを近付けさせちゃいけない!」
「「!?」」
忠告同時に巨大な竜巻を発生させ、魔法女帝は敵を追いやろうと必死だ。
仲間達もそんな彼女の常ならぬ様子に、危機を察し迅速に距離を取ろうとした。
だがしかし、僅かではったが離れる機を逸していたのである。
巨大な手。
そう、人を数人纏めて押し潰せる様な大きな左手が竜巻に触れると忽ち消失し、先頭に立つジークハルトに猛然と左手を打ち付けてきたのである!
仲間がまだ傍にいる状況では逃げるわけにはいかないと、堅忍不抜は自分の行使した神の御業を頼みに
大盾を掲げ怪物に立ち向かった。立ち向かってしまった。
その瞬間、今迄で最大級の危険信号がリーリャの身体を駆け巡った。
「駄目っ!! あの左手を受けちゃいけいない!!」
そう、あの怪物には、あの左手には何かあるのだ。
先程の極大魔法や竜巻を防いだ、いや消失させる何かがあるのだ。
といっても逃げる暇などありはしない。
リーリャの警告も虚しく、ジークハルトは己の不破の盾を信じ立ち向かうしかなかったのである。
如何なる魔法も攻撃も、真竜の息吹でさえも悉く防ぎ切った神の御業を信じて。
されど運命は残酷だ。
絶対不可侵のはずの盾があろうことか怪物の左手が叩き付けられると、まるで初めから何もなかったかのように消え失せてしまったのである!!
「ジーク!! どけっ!!」
「っ!?」
突如横から誰かがジークハルトを突き飛ばしたのだ。
理解不能の事態に陥ったジークの身を案じ、大地巨人が矢面にたったのである!
それどころか、瀑布の如き計り知れぬ巨大な気を宿した拳で反撃に打って出たではないか!!
「オーグッ!?」
「しゃらくせぇ! 金剛撃!!」
神秘的な輝きを放つ英雄の拳が、人外の膂力によって幾つもの貌を持つ醜悪な腕と衝突した。
相手が山の如き巨体であろうと、真竜や魔神の様な超常の力を有する破壊の権化だろうと関係ない。
大地の勇者たるオーグニル・ドヴェルクもまた、人を超え獣を凌駕し、竜を降し魔を屠る、英雄の中の英雄である。
その拳は山でさえ容易く砕く、それ程の力を秘めていたいるのだ。
それなのに、またしても現実は想像を超えた。
いや、そうではない。
純粋な力同士のぶつかり合いであったのなら、疑いの余地すらなくオーグニルの勝利で幕を閉じたはずだったのだ。
ところが、オーグニルの拳が怪物の巨拳と相打つと、纏っていた莫大な量の気が無くなってしまったのだ!
「なっ!?」
直に拳を交えたから大地巨人だからこそ感じた事だが、自分の気が高速で敵に吸収されていくのが理解できてしまった。
あまつさえ気を吸い取り終わった直後、オーグニルの巌の如き拳をも取り込み始めたではないか!!
「オーグ!?」
「ちっ! しゃーねえな!」
悲鳴を上げるモニカを他所に、オーグニルは即決即断すると迅速に行動に移った。
取り込まれかけている自分の左腕を狼牙棒にて切断してのけたのだ!
狼牙棒は、叩き潰し引き裂く事を目的とした大重量の武器である。
そんな武器で刀剣の類で斬ったとさして変わらないくらい、鮮やかに切断してのけたのは、偏にオーグニルの卓越した技量ゆえである。
しかもそれだけではない。
左肩付近から斬り飛ばしたはずの腕が、モニカが回復魔法すら唱えていないのに既に新たな物は生まれているではないか!
慈母大地
大地母神から直々に現代の勇者として認定されているオーグニルは、大地に接し闘う限りエルの外気修練法でさえ及ばない、欠損した肉体さえ甦らせる再生能力を有した神の御業を行使できるのだ。
そんなオーグニルを横目に、怒りに燃える魔法女帝の魔法が炸裂する。
「離れなさい! 水帝龍!!」
細長い長大な龍を模した膨大な量の高圧水流が、要塞もかくやという怪物の巨体を押し流すというより吹き飛ばしていった。
更には勢いを増し荒れ狂った龍が胴体や足を食い破ったが、それも忽ち元通りになってしまった。
まったく呆れ果てんばかりの再生能力である。
だがしかし、解った事がある。思い出したというべきか。
山の様な巨体の無貌の怪物。不気味な色の全身には怨嗟渦巻く無数の貌が浮かび、狂った様に周囲に光線を乱射し破壊の限りを尽くす。
そして、あの左手。
魔法女帝の魔法も、聖女の結界や大地巨人の気でさえも、更には堅忍不抜の不破の盾でさえ吸収し、そしてオーグニルの肉体をも取り込んでしまう悪魔の手。
かつて語り継がれた伝承の通りに……。
遥か昔、狂王の命によって創り出され、人の愚かさと罪を象徴する様に制御不能で災厄しか齎さない、如何なる物も吸収する災厄の手を持ちし、異貌の偽神の故事の事を!
「……あいつの正体が解ったわ」
「!? リーリャ、本当か?」
「敵の名前はデミルゴート。千年以上も昔、魔神や悪魔と闘った神代戦争の際に、追い詰められた狂王が対魔神用の切り札として創らせた偽りの神よ」
「神~、あれがか?」
「一応はね。でも見て解る通り命令も何も聞かないし、ただ周囲に破壊を振りまく事しかできない、人造の災厄みたいな存在よ。まっ、それもそうでしょう。依代とされた人間は、人格さえも強制的に壊され、様々な生物の魂や血肉さえも取り込まさせられるんだから。神の名を冠してはいても、例えその名に能う力を有していても、元になったのは生贄にされた哀れな羊ですもの。自分の不幸を、痛みと憎しみ周囲に振りまく事しかできないわ」
「……哀れだな……」
ジークハルトの言葉がやけに響いた。
改めて、依代に無理やりさせられた男や犠牲になった多くの命の事を思うと、憐憫の情を誘わずにはいられない。彼等にも咎があったかもしれないが、ここまでの事をされる謂れはないだろう。
いいや。
ガヴィーをはじめとした純血同盟の一同は、この侵略戦争のために騎士や傭兵達を迷宮都市内に手引きしただけでなく、民間人を人質に取るだけでなく虐殺も行った非道の輩である。
犯した罪の大きさからいって死罪、ないしは良くて終身刑が妥当といった所だろう。
それに何より、敵がいかに不憫だからといって手心を加えるわけにはいかないのだ。
自分達以外で、この偽神に対処できる者は皆無だ。
自分達が負ければ、まず犠牲になるのは残った冒険者達であり、逃がした兵士達であり、そして都市で必死に勝利を願ってくれている民達が、この怪物の毒牙に掛かるのだ。
そんな未来は、絶対に容認できるわけがない!
オーグニルは自然と体から闘気を発散させながら、リーリャに問い掛けた。
「それで神代戦争の時は、こいつをどうやって倒したんだ?」
「天神降臨。多くの勇者達の命を代償に善なる神々を召喚し、神々の力でデミルゴートを消滅させたそうよ。どうする? 私達の命を糧にすれば、夫々が信仰する神を降臨させられるけど?」
「却下だ。まっ、打つ手が無いなら仕方ねえがな。他に手はないのか?」
「さあ? 調べてみない事には解らないわね。協力してくれる?」
「頭を使うのは苦手だしな。何をすればいい?」
中背のエルのそのまた半分しかない可憐な妖精のリーリャであるが、伊達に現存する最古の英雄と呼ばれているわけではない。魔道の深奥を知る者にして、類稀なる英知によって敵の弱点を看破し、神と呼ばれる大いなる魔でさえも討滅してとけた事さえあるのだ。
彼女の為してきた伝説は、枚挙に暇がない。
仲間達もそんな彼女に全幅の信頼を置いていた。
「リーリャ、俺達はどうすればいい?」
「そうね、私が調べ終わるまで囮になってくれる? 守りに徹してくれていればいいわ。あっ、そうそう、できるだけ攻撃は控えてね」
「あの化物相手にか……。そりゃ、中々難儀だな」
「厳しいですわね」
「でもあなた達ならできるでしょ? 私は無理な事は頼まないわ」
「へっ人を乗せるのが上手いな。よしっ、任せろ!」
「どの道、私達にできる事はそれしかなさそうですしね」
「あの左手だけには気を付けて! 敵に接近させないでね」
忠告しつつ仲間達に自在翼の魔法を行使していく。
この魔法を掛けられた者は背中に純白の羽が生え、自分の意志で自由に空を翔けられるようになるのだ。モニカの様な比較的高速移動が苦手な者も、この魔法があれば移動も苦にならないだろう。
魔法を施し終わったら、反撃の開始である。
「それじゃあ、しばらく任せたわよ」
「ああ。君は君の目的を全うしてくれ」
「ふふっ、信頼してるわ」
仲間達に微笑むとリーリャ・グリムテイルは背中になる自前の妖精の羽をはためかせて飛翔し、あっとういう間に天高く昇っていったのである。
そうして十分に距離を取りデミルゴートを俯瞰できる位置を取ると、実験を開始したのである。
まずは炎。
炎といっても、火柱であったり火球であったり、はたまた熱線や溶岩等々と様々な魔法を用いていった。
もちろんそれだけではない。
水の魔法にしても、斬撃として用いる、あるいは大質量による圧潰、氷や氷雪による猛吹雪等、考え得るありとあらゆる攻撃を行っていったのだ。
彼女の信望する神は知啓神メティエーナ、智慧と叡智を司る神である。
通常なら自分の神を司る属性のみが、冒険者が使える属性になるのだが、この神に限っていえばそれは当て嵌まらない。
術者の力量次第だが、全属性の魔法を習得する可能なのだ。
ただし、あれもこれもできるという事は器用貧乏に陥り易い。
他者が一属性に特化しているのに対し、全属性を覚えるのはその何倍、何十倍もの時間と労力を要するのだ。言い換えれば成長も遅く、パーティを組んだとしても足手纏いになり易いのだ。
だからこそ冒険者で知啓神を信仰する者は少なく、軍神や雷神といった五大神を信望するのだ。
ただそうであったとしても、何事にも例外は存在する。
何百年という研鑽と叡智の結集、そして神々の迷宮という実践の場。
妖精族という長き生を持ち、魔法に魅せられ魔導の探求に心血を注ぎ、強大な魔物達との数え切れる屍の上に、魔法女帝リーリャ・グリムテイルという慮外の怪物が生まれたのである!
おおよそ彼女に使えない魔法はない、そう云われる程に幾多の魔法を息するように行使する、それが、それこそが、魔法女帝たる所以なのだ。
「おっぱじめたようだな。さーて、俺達も仕事するか」
「そうですわね。でも囮といっても、どうやって?」
「要するにやつの左手だけ気を付ければいい。それに今の俺達は空を飛べるから、奴の手の届かない範囲でぶんぶん飛び回ってやればいいのだ」
「実質、攻撃はリーリャが担当しているものだから、デミルゴートの動きも鈍るだろう。あの光線の対処さえしっかりしていれば大丈夫だろう」
こうして話している時でさえ、偽神に様々な属性の魔法が降り注いでいる。
リーリャの攻撃に対し、デミルゴートは相変わらず意味不明の咆哮を轟かせ、光線を狙いも突けずに乱射している。 このままでも放置でも十分な気もしないでもないが、他の冒険者達の所に行かれては目も当てられない。この場に引き付けておく必要があるのだ。
それにオーグニル達は、リーリャの魔法によって空を自在に飛べるのだから、囮を務めるのもさして難しい事ではない。
「俺が先頭に立ち敵の攻撃を相殺する! 取り零しは頼むぜ?」
「わかりましたわ!」
「任せておけ!!」
大地巨人を先頭に宙を舞うと、やや距離を置きながらジークハルトとモニカも飛び立った。
そうして大声で挑発を始める。
「ほーら化物! こっちだぜ! 俺を倒してみろ!!」
オーグニルの声に反応し幾条もの光線を発射してきたが、英雄達にとってはもはや慣れたものだ。
順応したという事も挙げられるが、大地巨人さえも防御に徹し敵の攻撃の相殺に腐心したのだ。
時折突破したしたとしても、防御に長けた堅忍不抜と聖女にとっては防ぐのは難しくない。
雷光轟き、光も闇も入り混じり、激しい魔法が行き交う中、英雄達は囮を演じ続けたのであった。
それからしばし、英雄達にとっては特に危なげなく時間稼ぎを務め上げた。
まあ、大量の土砂をその巨腕でこそぎ取って投げてきたり、あるいは目の前を飛び回る蠅を捕まえようと飛びついてきたのは聊か驚かされたが、それでも対処できない程ではなかった。
軽やかに空を舞い、鮮やかに敵の魔手を躱して見せたのだった。
そうこうする内に、天空から魔法女帝が降りてきたのである。
自信有り気に笑みを湛えたリーリャの様子に、仲間達も嬉しそうに声を掛ける。
「待ってたぜ! その様子なら何か解ったようだな?」
「もちろん。まずは残念なお報せ。デミルゴートは左手でしか吸収は行えないみたいだけど、吸収できないものはない。全属性だけでなく、気の力や人の肉でさえも取り込めるわ」
「全属性って……」
一応可能性としては考慮していたが、改めて事実として告げられるとくるものがある。
偽神の左手は何でも取り込め、更には吸収した得た力を用いて肉体の再生や攻撃に用いているのだろう。
デミルゴートを倒すにはどうすべきか?
英雄達は必死に知恵を巡らした。
「左手以外を先に消滅させてはどうだろう?」
「駄目ね。さっき試してみたけど、左手から瞬時に再生したわ。さっきあの手は何でも吸収できるって言ったでしょ? 大気やそこに含まれる魔素や魔力でも取り込めるのよ。あいつは何か周囲にエネルギーがある限り復活できるのよ」
「……打つ手は残されていないのか?」
英雄達の間に冷たい沈黙が広がった。
それでは実質的に無限に再生、いや蘇れるのと変わらないではないか。
もはや善なる神を降臨させるしか手は残されていないのかと、暗澹たる気持ちにさせられる。
だがそんな雰囲気を、目を逸らしたい様な事実を告げた当の本人であるリーリャが笑い飛ばしたのである。
「なーにしょげてるの! いくらでもあいつを倒す方法はあるわよ!」
「本当かよっ!?」
「本当ですの!?」
「まっ、いくらでもってのは、さすがに嘘だけどね。いくつか偽神を倒す方法を見つけたのは、本当のことよ」
「さすがは魔法女帝ですわね。信じてましたわ!」
「おいおい、焦らさねえでさっさと教えてくれよ!」
「はいはい慌てないの。といっても、見つけたのは2つだけなんだけどね。1つは簡単。あの手を切り離し、何も吸収するものがない虚無の狭間に閉じ込めてしまえばいいのよ。再生できなくなれば、本体を滅ぼすなんて簡単な事でしょ?」
言われて見れば至極尤な話である。
吸収するものがなければ再生もできない。
あの厄介な左手さえどうにかできれば、勝利を掴む事など英雄達にとっては容易い事だ。
そして魔法女帝は時空間でさえ自在に操る魔法が使えるのだ。
つまり勝利条件を満たしている事になる。
興奮するのを抑えながら、敢えて落ち着きはらって残りの方法を問うた。
「それで、もう1つの方法は?」
「実はこっちがお勧めの方法よ。まず左手が吸収が行えるのは、あの巨大な手の手首の内部に聖遺物、神の後光が埋まっているからなの。契約者たるガヴィーの肉体に結合している聖遺物が力を吸収し、契約者にエネルギーを供給しているの」
「なるほど、あの力は聖遺物のものだったのか」
「でも何事にも限界があるわ。神の後光は確かに何でも吸収できるみたいだけど、得手不得手があるの。気や魔力、生命力や精神力といった純粋なエネルギーは、それこそ一瞬で吸収できるみたいだけど、水や土といった物質、特に質量が大きな場合は取り込むのに時間が掛かるみたいなの」
「つまり?」
「あり得ない程の大質量攻撃で、取り込む暇さえ与えず聖遺物ごと壊しちゃいましょ?」
あっけらかんと告げたリーリャの話は、その実物騒極まりない。
力押しそのものといってもいい。
しかも、もはや創る事も複製する事も叶わない神の創生せし宝、聖遺物をあろうことか偽神と一緒に破壊してしまおうというのだ。
あまりの内容に、モニカなど驚愕で二の句が告げなくなってしまった。
そんな仲間達に彼女は真意を語る。
「あの聖遺物は、契約者に無尽蔵に力を与える私でさえ創れない究極の一品よ。でも聖王国に所有されてからは、人の愚かの証明にしか使われていないわ。偽神しかり、人同士の侵略戦争しかり。そうそう、醜い身内同士の争いでも使われた事があったわね。いってみれば、神の後光は世に出てから、悪行にしか使われていないの」
「あれほどの力だ。さぞ欲を刺激するのだろうな」
「正しく使えれば問題ないのかもしれないけど、人は弱く移ろい易い。例えこの場で取り上げたとしても、きっといつかあの聖遺物の力に抗えない所有者が出るわ。そしてまた愚行を繰り返し、悲劇が起こる。そんな未来はご免だわ」
「まっ、聖遺物なんて、無くても生きていけるしな。破壊する事で起こり得る悲劇が減るのなら、あんなものいらんな」
オーグニルは破願すると、リーリャの提案に同意した。
圧倒的な力を契約者に与える聖遺物を、要らないと言い切ったのだ。
人は堕落する生物だ。
隔絶した力を有する神代の宝物が欲深な者の手に渡れば、きっと悲惨な未来が待っているに違いない。
そんな未来を防ぐためなら、誰かの笑顔を守るためなら聖遺物など欲しない。
それこそが、神から大地の勇者の名を賜るオーグニル・ドヴェルクの善性であり、人を引き付けて止まない魅力であった。
「しかし、あいつを聖遺物ごと滅ぼすとなると……」
「あなたの奥の手を使っていいわ。それも全力でね」
「……いいのか?」
「舞台は用意するから、存分に力を振るっていいわよ。別次元移送」
魔法女帝の言葉が響いた途端、世界が色を変えた。
狂奔するデミルゴートと英雄達だけが現世から隔絶された異次元空間に移動したのだ。
一種の結界と呼ぶべきこの空間自体が壊されない限り、如何なる破壊も元の世界には被害を及ぼさない。
まさにオーグニルにとって、まさに打って付けの舞台である。
獰猛に笑うと屈み込むようにして力を貯め始め、仲間に声を掛けた。
「いつも通り頼むぜ?」
「ええ、任せておきなさい」
何の気負いもなく請け負ったリーリャの言葉を聞くや否や、大地巨人は直上方向に飛び上がると器用に下方に気を放出し見る見る内に天に昇って行った。
そして豆粒ほどの大きさになってもまだ止まらず、肉眼では捉えきれない程になってもまだ上昇していったのだ。
そんなオーグニルの奇行とさえ思える謎の行動を極当たり前に受け止めると、リーリャはモニカ達に声を掛けた。
「それじゃあ、オーグの準備が整うまで足止めをしましょうか。モニカ、それにジーク、防御は私に任せて攻撃していいわよ」
「よろしいのですか?」
「ええ大丈夫よ。あっ、左手以外をお願いね。右足が狙い目よ」
戦場に似つかわしくない程の雑談とも取れる気楽さで、リーリャは仲間達に笑い掛けた。
そんな中、いつの間にか移動させられたデミルゴートは今まで以上に暴れ狂い、周囲に光線を発射し破壊を振りまいていたが、もはや対策済みだとばかりに魔法女帝に見向きもされず対処されてしまった。
放たれた光線はここなら防ぐ必要もないとばかりに、光の魔法によって光線を捻じ曲げ屈折させ別方向に逸らしてしまう。
唯一危険なのが接近される事だが、モニカ達が攻撃する反対側の左足にピンポイントで重力魔法を行使し転ばせてしまったのだ!
この偽神の脅威は、無差別の光線の乱射と左手による吸収、そして瞬間再生とさえ呼べる信じ難き再生能力である。
最上位冒険者のパーティでも全滅する可能性もあり得るのだが、その比類なき智慧によって対策を講じた魔法女帝にとっては、もはや見る必要すらないようだ。
起き上がれずもがきつつ光を乱発するデミルゴートに対し、モニカ達の追い打ちが掛かる。
「いきますわよ! 聖光爆!!」
「断裂波!!」
激しい光の爆発と、無数の斬撃の嵐が偽神の右足をズタズタに引き裂いた。
虚無空間ではないので周囲からエネルギーを吸収しているのか、あるいは元から再生能力が高いのか、肉体の大幅な欠損があってもすぐに元通りになってしまう。
もっとも、リーリャ達の目的はあくまで時間稼ぎである。
適当に攻撃しつつ、重力魔法の急速加重によって起き上がってもまた転ばせておけば事足りた。
そうして終わりがやってきた。
彼方から発光する巨大な白銀の物体が降ってきたからだ。
そう、大地巨人たるオーグニルの手によって……。
しかも近づいてくるにしたがって速度が増し、白銀も物体は更に大きくなっていったではないか!
これはまず、オーグニルが自分を周囲の空気ごと気を纏って身を守りつつ、後方に向かって膨大な量の気を噴射して加速し続けているせいである。
そして白銀の物体が巨大化しているのは、己が狼牙棒の先端から神の御業によって白銀の魔鉱を生み出し続けているからなのだ。
この白銀の物体こそ、人々が欲してやまない神秘の魔鉱である。
其れは真なる銀。
其れは決して曇らぬ輝きを放ち、幾百の魔鉱さえも凌ぐ真の鋼。
其れは神代の時代、母なる神から大地の覇者に贈られし王者の証。
大地の民にして、鍛冶を生業とするドワーフならば、一生に一度は扱う事を夢見る金属。
大地母神の慈愛によって生み出されし真魔銀である!!
その真魔銀を神の御業によって一時的に借り受け、大地巨人の超人的な気によって加速し続けているのだ。
もはや地を覆うばかりの大々大質量にまで成長した真魔銀が、断熱圧縮によって空気が発光する程までに超高速で移動しているのだ。
喪われし神代魔法に隕石召喚の秘術があるが、その大魔法でさえこの技には適わない。
隕石よりも強固な魔鉱である真魔銀に、その落下速度にも劣らぬ壮絶な加速。
更には衝突寸前、強大な気によって元から有する常識外の力を何十何百倍にも高め、狼牙棒を柄として想像を絶する巨塊と化した真魔銀を打撃部とした、超々重量兵器を敵に叩き付けるのだ!
「大地滅砕!!」
もはや人というよりも神への階梯を登る超人と呼ぶべき大いなる力を、人々の声望を一身に集めて止まない英雄にして、大地の勇者たるオーグニルは振るったのである。
地殻すらも粉砕し大陸さえ浮沈しかねない恐ろしき破壊を引き起こしたのだ!!
大破壊を直に受けたデミルゴートの最後は、あまりにもあっけなかった。
超高速の衝突による滅びを受けたのだから、痛みを覚える暇さえなかっただろう。
抵抗も回避も事実上不可能で、ただただ自身の滅びを受け入れるしかないからだ。
もっとも、この技は多大な欠点を抱えている。
発動までにあまりにも時間が掛かり過ぎるし、他社に敵を引き付けてもらう必要がある。
最大の欠陥は使用者にも甚大な被害を齎す事だが、そこは魔法女帝の手によって衝突した瞬間に仲間達と共に上空に転移して難を逃れる事で解決している。
ようするに、仲間の協力なしにはできない技なのだ。
その代わり破壊力は他の追随を許さない所か、僅かでも比肩し得るものも皆無である。
爆心地たる偽神のいた地点では、何もかもが高熱と衝撃波によって消滅するか爆散してしまっていた。
それは、聖遺物たる神の後光だとえ例外ではない。
絶大なる破壊を吸収できず、神話の遺物は異空間の塵と消えたのである。
こうして偽りの神との頂上決戦は、英雄達以外知る事の無い時空の彼方で、人知れず決着が着いたのだった。