第93話
ガヴィー達純血同盟の一団が協会本部側から防護柵を破って登場した事により、今まで激しく交戦していた戦場が、嘘のように静まり返ってしまった。
ガヴィーが刃を喉元に突き付け無理矢理連行している人質がいるからだ。
下手に攻撃したら人質の命が危ないので、協会側も手出しできずにいるのである。
しかもエルには人質には見覚えがあった。その道の人間かと勘違いしてしまいそうな強面の顔に、事務方の人間とは思えないほどのしっかりとした体躯。その見た目に反してこの都市を愛し、街の平和を守りより良くするために日夜励んでいる熱血漢。
そう彼は――
「スレイルさん!? ガヴィー、貴様!!」
「吠えるな!! 動いたらどうなるかわかっているんだろうな?」
「っ! この卑怯者!!」
「ふっ、ふはははははっ、何とでもほざくがいい。所詮は負け犬の遠吠えよ」
「「「ははははっ!」」」
「……」
ガヴィーと彼に付き従う純血同盟の騎士達が勝誇った様に高笑いを上げるが、こちらは歯噛みしながら黙って見守ることしかできない。
脂下がった醜悪な顔。
見ているだけで吐き気を催しそうだ。
「そうか、ガヴィー達は冒険者の立場を利用して協会本部に隠れていたんだ!」
「真相を知る人間は身内しかおらず電撃的に仕掛けられた戦だから、自分達が犯人だと分からないと高を括っていたわけだ。はっ、小賢しく知恵が回るようだな」
「……でも私達は彼らを発見できなかったし、現に今窮地に立たされてるわ。私達の想定が甘かったのよ」
ディムやカーン、そしてアリーシャが敢えてゆっくりと、こちらに見せびらかす様に近付いてくるガヴィー達を苦々しく見つめながら呟いた。
おそらく彼女達の推測は正しいだろう。
クラン所有の屋敷ではなく、ガヴィー達は大胆にも協会本部に潜み機を窺っていたのだ。
協会長等の重役を捕らえる、ないしは暗殺できれば最上だったのだろうが警備が厚くて諦め、協会の中でも重要人物であり、かつ過日自分達に屈辱を与えたスレイルを狙った。おそらくはそういうことだろう。あの厭らしい表情から何を考えているか手に取るように推測できる。
いたぶり、嬲り、思う存分痛め付けて見せしめにする心算なのだ。
一時的に戦いが停止した戦場で、皆がガヴィー達の一挙一動を見守っている。注目されている事が彼らの自尊心をいたく満足させており、そんな衆人環視の中で人質を暴行する事で更に快感を得たいのだ。
静寂の中を勝者の笑みを浮かべ、ガヴィー達がエルに近づいてくる。
自分達の思惑通りに事が運べてさぞ満足なのだろう。何時何時も顔に張り付けている他者を見下す笑みが、更に醜さを増している。見下げ果てる程に見苦しい顔である。
エル達の傍まで王の凱旋の如く偉ぶって、殊更ゆっくりと見せびらかす用に歩いてくると、優越感を体中から発散させながら声をかけてきた。
「小僧! 過日はお前の卑怯な不意打ちで不覚を取ったが、今度は我らの勝ちのようだな。我らの叡知の勝利だ!!」
「「「偉大なる聖王国、純血同盟に栄光あれ!!」」」
「何が叡智だ! お前達は隠れていただけじゃないか!!」
「ふははははっ、力しか取り柄のない冒険者はこれだから困る。現実を見ろ! 貴様等は我らの策に嵌り、身動き一つ取れないではないか。これを勝利と呼ばずして何と呼ぶというのだ! なあ、お前達?」
「「ガヴィー様のおっしゃる通り、我らの勝利です!!」」
「くっ!!」
「おっと、愚かな事をしようと思うなよ。もっとも、この男がどうなってもいいとうなら別だがな!」
宣言と同時にスレイルの首根っこを後ろから鷲掴みし、高々と持ち上げて見せた。
既に見せしめのために何度も暴行を受けてきたようで、スレイルの顔ははれ上がりあちこちから血が流れ出していた。意識もほとんど無いのか時折苦しそうに声を上げるだけで、目もほとんど開いていない。
純血同盟は素行の悪さから協会側から何度も注意や罰則を受けてきた。
その恨みを晴らすべく、スレイルに凄惨な私刑を行ったのだろう。
逆恨みからの愚劣極まりない行為である。
ボロボロのスレイルの姿を見ていると、後から後から怒りがこみ上げてきて歯止めが利きそうにない。リリの時もそうだったが、こいつ等には卑怯という概念が無いのだ。
いや、常識が違うといった方が正解だろうか。
自分達は何しても良いのだ、選ばれた人間だから。
だが、他人からされるのは許さない。許されないのだ。
この世界は自分達のためにあり、他者は頭を垂れ命令されるのが幸せなのだと本気で信じているのだ。
狂人の発想そのものであるが、ガヴィー達はそう信じて疑わず姑息で汚い手であろうと、何ら逡巡せず実行してる。
もはや同じ人間なのか疑わしく思える程のレベルである。
「……お前が聖遺物を持っているのか? それで迷宮の転移陣を封じたんだろう?」
「ほぅ、よく知っているな。我らだけの秘事のはずだが……。まあよい。見よ! これこそが神代より聖王国に伝わりし宝具! 神の後光だ!!」
ガヴィーはスレイルを掴む反対の手の籠手を器用に外すと、衆目に見せびらかすかの様に天高く掲げたのである。
彼の手首辺りには天使の輪を想起させる様な金色の輪があった。
良く見れば、その輪はガヴィーの肉体と合体しているようで、手首の中に入り込み生物の様に脈動を繰り返している。言い知れぬ不安を抱く様な禍々しさだ。
あれが聖遺物?
邪神の創り出した魔具の間違いじゃないのか?
そんな疑わしい思いが顔に表れたの目敏く見つけたのか、ガヴィーは普段以上に蔑んだ視線を寄越しながら、血走った瞳で唾を飛ばしながら糾弾し始めた。
「これだから低脳な者と話をするのは嫌なのだ! 偉大なる神の奇跡を少しも解そうとしない。この聖遺物こそ、我等をさらなる高みに誘ってくれるというのに!!」
「おおっ、これこそが神の御力!」
「我等に御力を与えてくださる至高の宝具よ!!」
純血同盟の騎士達が次々に賛意を示し歓声を上げた。
誰も彼もが、ガヴィーと同じく血走った瞳でどこか熱に浮かれた様な表情を浮かべて……。
異常な程熱狂しており、本人の自我があるのかさえ怪しく見える。
いっそ別の生き物にでもなったのかとさえ思えるほどだ。
敵の豹変した姿に戸惑っていると、勝手に神の後光の素晴らしさを語りだしてくれた。
「この聖遺物は、他人の力を奪い取り分け与える事ができるのだ。対象は生物である必要もない。何からでも、どんなものからでも力を奪えるのだ!!」
「っ!? まさか転移陣の力を奪ったのか?」
「その通りだ。空間を転移させる膨大なるエネルギーを、そっくり頂かせてもらったのだよ」
「ああ、あの強大な力の一旦を頂けるとは……」
「まさに神の起こす奇跡の如き御力よ!」
全員が、ガヴィーでさえも陶酔した表情を浮かべている。
聖遺物から何がしかの力を与えられる行為は、快楽を伴うのだろう。
だがガヴィーがペラペラとしゃべってくれるおかげで、迷宮の転移陣を封じたからくりが判明した。
神の後光の力を行使し、転移陣の動力源を司るエネルギーを強奪したのだ!
「……力を奪われたせいで、転移陣はもう動かせないのか」
「ふはははっ、愚か者が!! 占領した後の事も想像できないのか! 神々の迷宮こそ、この都市の中枢なのだ。迷宮から得られる富が無ければ、こんな辺鄙な所に価値など皆無なのだ!」
「はははっ、所詮冒険者など無知無能な輩の集まりです。未来を想像する事さえ、難しいのではないですかな?」
「博学多識な我等が例外なのです。凡愚は説明されねば、分からないのでしょう」
「ふははははっ。それもそうだな! 転移陣の力を奪ったといっても全てではない。正確な期間は分からんが、おそらくは数日停止するだけだろう」
「転移陣は、迷宮からエネルギーが流入する仕組みになっているのだ!」
「そのおかげで、何百年と経過しても動作し続けているのだ。まさに至宝! 神々が御創りたもうた聖遺物なのだ!!」
「その聖遺物をさわりだけとはいえ解明した、我等の叡智も称賛されてしかるべきでありましょう?」
「うむ、我等の聡慧さと遠識あってこその勝利なのだ!!」
「まさにその通りですな!」
「「「ははははははっ!!」」」
勝ち誇り声を大にして哄笑を上げた。
だが、こちらは手出しできない。静まり返った戦場で彼等の声だけが嫌に響き反響した。
ガヴィーが呵々大笑しながら、弱り切ったスレイルをこれ見よがしに持ち上げた。
いけない!!
見せしめに嬲る積りに違いない!
エルは必至に制止の声を上げた。
「やめろ!! 弱った人を更に甚振ろうなんて! お前達はそれでも騎士なのか!!」
「ははははっ、これは戦争なのだよ。それに、この男には依然大変世話になった。その借りを返さなくてはいけないのでね。そこで黙って見ているがいい!!」
「くっ、カイン! これが貴方の望んだ戦争なのか? 戦なら何をしても許されるのか!」
もはや藁にも縋る思いで少年が敵大将に話を振った。
カインはというと一瞬、ほんの一瞬だけ顔を歪めたが、直ぐに毅然とした態度で言葉を返した。
「そうだ! これは私が考え作り出した戦争だ! 戦に勝つために行動した部下を責める理由が何処にある?」
「さすがはカイン様! 解っておられる。小僧、貴様が甘いのだよ!!」
「……進軍を開始せよ! 協会本部を手中に収めるのだ!!」
カインの号令一下、成り行きを見守っていた騎士達が一斉に攻略目標に向かって動き出した。
だが、協会側としては人質を取られている。
しかし、このまま騎士団に好き勝手に蹂躙されれば本部が陥落してしまうのもまた事実である。
そうなればこの都市は落ちたも同然である。
スレイルは協会の上層部の人間であるが、こうなっては見捨てるという選択もあり得る。
苦渋の選択を迫られる中、無情にも騎士団が壊された防護柵に迫ってきた。
首根っこを捕まれ苦しんでいるスレイルを助ける事もできず、ただ見ている事しかできない少年は自身の無力に心中で嘆きつつも、少しでも隙を見せたら救出を敢行しようと全身全霊を傾けていた。
ガヴィーの一挙一動、それこそ目線や表情の僅かな変化さえも逃すまいと注視しつつ、何時如何なる時でも動ける様に力を貯めていたのである!
一方の狙われた側の男はというとエルの変化に気付こうともせず、自分の功績を称え続ける声に更に気を良くし、スレイルを加虐せんとついに神の後光を埋め込んだ腕に力を込めた!
「小僧、そこで我等に逆らった愚か者がどうなるか見ているがいい!!」
「止めろっ! 止めるんだ!!」
「ははっ、貴様にできるのは黙って見ている事だけさ!」
「我等に反逆するという事が何を意味するのか、その眼でしっかりと確かめるがいい」
「ふはははっ! この男に散々世話になった分も、きっちりお返ししなくてはな! 何っ!?」
「「「なっ!?」」」
絶頂、ガヴィー達はまさに至福の時を得んとしたまさにその時、事態はまた急展開をみせた。
破れた防護柵から協会本部に向けて雪崩れ込んだ騎士達が宙を舞ったのだ!!
それも一人残らずに!!
「なっ、なっ、何が起きたんだ?」
「あれを見ろ!!」
「なっ!? あの男は!?」
現れ出でるは、長大な武器をその背に背負った大巨漢!!
食人大鬼と見紛うばかりの信じ難き筋肉と身長を有する大男である。中背のエル2人分よりも更にに大きいのだ。もはや人の範疇に入りきらない程の巨体である。
一度でも見れば忘れられない程の衝撃を得られる程の肉体だ。
エルは初見であるが、ガヴィー達は知っているのだろう。優越感に浸っていた顔が一瞬で引きつり、恐怖によって急激に乾いた唇で、声を擦れさせながらその名を口遊んだ。
「オッ、オーグニル・ドヴェルグ……」
「最上位冒険者……」
「大地巨人!?」
「あれが大地母神の勇者!? ……嘘だろ?」
発した言葉が恐怖を呼び、伝染したように騎士達の体を硬直させていった。
そう、大男は敵の前にその身を晒すだけで戦場を静寂の場に変えてしまったのだ!!
だが騎士達が戦を中断し、恐れ慄いたても責められないだろう。
彼らの眼前に突如として立ちはだかったのは最上位冒険者。エルが闘った事のある下位の真竜等比べ物にならない凶悪な魔物。一体で国そのものを滅ぼし兼ねない真竜の中の真竜、あるいは古竜や魔神といった、人智を超越した強大な魔物さえ屠る超人と相対したのだ。
悲鳴を上げて逃げ出さなかっただけでも褒められるべきだろう。
「ばっ、馬鹿な!? 何故お前がここにいる! お前達は1週間ほど前から迷宮に潜っていたはずだろう!?」
現実を受け入れたくないとばかりに、ガヴィーが悲鳴染みた声を上げて喚き散らした。
だが大男の方は全く動じていない。
というより小物に反応する価値等無いとばかりにこきこきと首を鳴らすと、無造作に人質擁するガヴィー達目がけて歩み寄って来る。
そんな姿が更に畏れを生むのだろう。酷く狼狽え醜態を晒して、子供の様に手を振って最上位冒険者の接近を拒んだ。
「ひっ!? くっ、来るな!! 人質がどうなってもいいのか!?」
もはやなりふり構わずスレイルを自分の盾として突き出し首に刃を近付けるが、大男は相変わらず一言も発しない。
それ所か、背中の巨大でありながらも独特な獲物、狼牙棒の一種と思われる長柄の武器で、魔鉱製のメタリックな光沢を放つ柄に、エルの全身よりも大きい八角柱状の錘に鋭利で長い無数の突起物が付いた超重量の打撃?武器を無造作に頭上に掲げた。
そこから先は一瞬だった。
後から思い返しても、エルが反応できたの奇跡と思えた程の早業であった。
大男は大地を連想させる茶色の莫大な量の気を刹那の刻で獲物に集中させると、少年の目をもってしても霞む程の速さで降りぬいたのだ!!
そこから高速で発射される力の奔流。
狙いはもちろん喧しく囀るガヴィーであった。
ただ、ガヴィーの前には壁があった。スレイルという名の人質の壁が!!
「危ないっ!!」
迸る閃光の如き気の奔流に対し、少年は遮二無二飛び込んだ!
救出のために気を練っていた事が功を制し瞬時に風迅を発動すると、スレイル達の前に立つと全力で気を込めた拳を叩き付けたのだ!!
だが、対するは最上位冒険者が放った技である!
辛うじて拮抗する事はできたが、少しでも気を抜けば吹き飛ばされそうだ。
もしこの攻撃を防げなかったら?
気の奔流の射線上にいる人間の死であろう。
ガヴィーもその後に控える純血同盟の者達、そしてスレイルの命だ。
ここで引くわけにはいかない!
圧倒的な力に押され、ぶつけた右拳が砕かれそうになるのを、瞬時の判断で拳を横に流しつつ更に距離を詰めて肩を用いた体当たり纏震靠につなげた。
しかし、それでもなお押されている。気を抜けば一瞬で圧されそうだ。
刻一刻と形成が不利になるのが、悲しかな自覚できてしまう。最上位冒険者が何の気なしに放った技のはずなのに、かくも自分とはかけ離れた領域にある事が嫌でも理解させられたのだ!
敵の気とせめぎ合っている肩が悲鳴を上げる。隔絶した力の前に、今にも破れそうだ。
だが、だが! ここで負けるわけにはいかないのだ!!
「うおおおおっ!!」
少年は力の限り、喉が裂けんばかりに吠えた!!
自分のために、そして後ろに控える人のために全身全霊で抗ったのである!
エルの体に纏っていた気が爆発的に増加し、武天闘地を発動する。
体を高速で回転させながら気を排出する事で更に速度を加速させ、刹那の間に次撃への準備に移る。
用いるのは、少年の修めた技の中で最大級の威力を誇る発勁の技。
零にも等しい近距離であっても、回転する事で間合いを確保できる技。
己が背より繰り出す最も打撃範囲の広い大技。
しかも武天闘地を応用して回転速度を上昇させ、打撃部位である気を纏った背には更に硬質化させた透明な壁も這わせたのである!
「破竜靠っ!!」
少年の修めた技術を組み合わせ、繋ぎ目も見えない程の瞬刻の連続技が発動したのである!
しかも、武天闘地の応用により高速かつ、更なる破竜靠の威力の向上も合さって!!
強大な気の奔流とエルの背がぶつかり合い、しのぎ合う。
この一撃に全てを賭け、あらん限りに叫びつつ余りにも圧倒的な力に立ち向かい続けた。
少年にとっては何時間にも及ぶ攻防と錯覚する時の果て、ついに終わりを迎える。
はたしてその結果は —— 土気色の気の奔流の消滅をもって決着したのである!!
エル自身はその場から一歩たりとも下がる事なく、最上位冒険者の気を止め切った見せたのだ!
ただし、その代償も大きかった。
たった一発の気を止めるために魂も魄も疲れ果て、全身からどっと滝の様な汗を流し酸素を求め過呼吸ぎみの息継ぎを余儀なくされたのである。
そんな少年を見つめる食人大鬼の如き大男の瞳は胡乱げになった。
「……坊主、どういうつもりだ?」
「はあっ、はあっ、はあっ。どういうつもりだって? それはこっちのセリフだ! さっきの攻撃は、スレイルさんにも当たるかもしれなかったんだぞ!!」
「それは私達がいたから問題なかったのよ」
「!?」
突然、本当に当然、まるで行き成り人が現れたかのように真後ろから声がした。
エルが急いで振り返った先には数人の男女と、いつの間にか救い出され手当てを受けたスレイルがいたのである!!
先程声を掛けてくれたのは自分の胸程しかない小さな女性、まさに魔法使いといった様相のとんがり帽子に首から下を覆う暗色のローブに杖、背には透明な羽がある。
初めて見るが、おそらくは噂に聞く妖精族に違いない。
その他に後2人、騎士の様な全身白銀の鎧に大盾を持った男に、スレイルに回復魔法を施している純白のローブを着た美しい黒髪の女性がいる。
ガヴィーや純血同盟の面々はいつの間にか騎士団の所までふっ飛ばされている。
なんとも恐ろしい手際の良さ、卓越した手腕である。
「あなた達は……?」
「あらっ、名前を聞かれたのはずいぶん久しぶりね」
「私達はある程度名は知られていると思っていましたが、まだまだのようですね」
「はははっ。この子、オーグに食って掛かるなんて見所あるよ。スレイルさんを助けるために飛び込んだのも好感が持てるね」
「それに、オーグの一撃を止めたのもびっくりしました。危なくなったら助けに入るつもりでしたけど、まさか一人で何とかしてしてしまうなんて思ってもみませんでしたわ」
「エル君は今一番有望な新人ですよ。私もからの活躍を期待しているんですよ」
「スレイルさん!? よかった、無事だったんですね!」
何だか戦場だというのに和やかな雰囲気が流れた所に、高位の回復魔法によってすっかり元気を取り戻したスレイルが笑顔で立っていた。
「ガヴィー達に不意を付かれて人質になってしまったけど、エル君や集いし英雄達の皆さんのおかげで助かったよ」
「集いし英雄達?」
「エル君も薄々解っているとは思うけど、この方々は迷宮都市の最高戦力の1つ。全員が最上位冒険者のパーティさ!」
あのスレイルがどこか興奮した様子で、周囲の面々を見渡しつつ誇らしげに紹介した。
最初に現れた大男オーグニル・ドヴェルグが最上位冒険者だということだから、彼と親しげにしゃべっている彼等もまた優れた冒険者である事は少年も検討がついていた。
それに、誰も彼もが今のエルでは底が見通せない程の実力者である事が、傍にいて実感できたからだ。
いや、正しくはレベルが違い過ぎて全く解らないのだ。
これが最上位冒険者!
迷宮都市の最高戦力の一角。何もかもが遠過ぎる。
エルが戦々恐々としていると、不意に横手から緊迫した声が掛かった。
「……魔法女帝リーニャ・グリムテイルに聖女モニカ・ハーランド、そして堅忍不抜ジークハルト・カーライル。最上位冒険者のそろい踏みだな」
「カイン!」
「お前がこの戦の首謀者か」
「私達が居ない間に好き勝手やってくれたようね」
「ここまでやってくれたからには、覚悟はできてるんだろうな!」
「そして大地巨人オーグニル・ドヴェルグ。……現状では殺しきれんか」
真剣そのものといった表情で聖騎士は状況分析を言ってのけた。
カインもかつては高名な冒険者であったろが、さすがに最上位冒険者のパーティを相手するというのは分が悪いにも程がある。
ただし、仮にも最上位冒険者を目の前にして殺せるかどうか言及してのけるというのも、肝が太いというか大胆不敵というか……。
どちらにせよ、カイン自身も英傑になぞられる程の傑物であるからこそ出た言葉であろう。
逆に言われた方の面々はというと、どうやら感心したり興味を覚えたようである。
「随分強気な発言ね」
「へえっ、俺達を殺すって? 勝算でもあるのか?」
「勝ち目はあるが、今はない」
「それじゃあどうするんだい?」
「こうするのさ! 全軍撤退するぞ!!」
「なっ!?」
なんと、都市占領まで後少しといった所にもかかわらず、カインは全軍に向けて声高らかに退却を宣言したのである!!
そのきっぱりとした態度にエルの方が驚かされた程だ。
いや、エルだけではない。
エル以上に驚愕し、その決定に不満を持った者達がいた。
そう、ガヴィー達純血同盟の面々である。
カインに詰め寄ると泡を食って一斉に反論した出した。
「カッ、カイン様、後少しではありませんか! もう少しで協会本部を落とせるのですぞ!!」
「そうです、今引き上げては元の木阿弥ではありませんか!」
自分達の働きで防護柵が破れ協会への道筋もできている。
後ほんの少し押し込めれば突入できるという所まで来ていたのだ。ガヴィー達の意見もあながち間違いではなかったのだ。
ただし、眼前に立ちはだかる最上位冒険者達をどうにかできるのであればだが……。
異を唱え見苦しく喚くガヴィー達を一睨みで黙らせると、カインは叱責した。
「この電撃作戦の要は冒険者の大半を迷宮に閉じ込めること、特に最上位冒険者に関しては絶対に迷宮に入った事を確認せよと、私は言明したはずだ。そうだな、ガヴィー? 何故彼らが迷宮の外に出ているのだ?」
「そっ、それは……。ですが、彼らは確かに1週間前に迷宮に入ったのです! 深階の攻略を目指し、一月近い食料を買い込んだとの情報も得ていたのです!!」
唾をまき散らしガヴィー達が必死に自己弁護を繰り返した。
そんな面々に対し、冒険者達は大笑いを始めた。
「うふふっ、偶然って怖いわねー」
「ああ確かに。オーグが無茶して真竜の巣に突撃したせいで全員ボロボロになり、攻略を断念して帰還したおかげだな」
「ふふふっ、私も腕を食い千切られて協会の生命の女神の派出所に担ぎ込まれたのにも、ちゃあんと意味があったのですね」
「その話はもういいだろ? 俺が悪かったって、何度も謝ったじゃねえか」
艶のある黒髪の女性が笑顔で嫌味を言うと、かの大勇者もたじたじになっている。
どうやら大地巨人が命知らずの無謀な闘いを行ったせいで、早々に迷宮探索を諦めて帰還せざるを得なかったようだ。
ただそのおかげで、この戦に居合わせる事ができたという事もまた事実である。
最上位冒険者達にとっては塞翁が馬、協会にとっては不幸中の幸い、そしてカイン達にとっては希望から絶望に叩き落されたようなものだ。
カインだって、今日この日のために綿密に作戦を立て部下を動かし、今一歩の所まで事を運んだのだ。
後少しで都市を占領し、目的を達成できたのだ。
できる事ならこのまま押し通したいのが本音なのだ。
だが、それは不可能だ。
この戦場に不釣り合いな程、談笑し笑い声を上げている英雄達と一戦を交えるというのは、たとえ数十、数百倍の戦力差をもってしても、勝利を拾うには足りないのだ。
何故なら、彼ら一人一人が国を滅ぼす事のできる大災害の如き、魔物達と為を張れる程の超人的な実力者だからだ。
たとえ上位冒険者並の力を有する兵士や騎士が何千何百いた所で、路傍の石と何ら変わりない。
それほどまでに人類を超越した存在が目の前にいるのだ。
カインの無念の思いは、強く握りしめた拳から滴り落ちる血からも痛い程理解できた。
それでも努めて冷静に振舞うと、再度大声を張り上げた。
「運に見放されたか……。だが私には策がある! たとえ最上位冒険者達を相手取ったとしても勝つ策がな!! まだ勝利への道は閉ざされていないのだ! 皆急ぎ撤退するんだ!!」
「「「はっ!!」」」
これもカリスマの為せる技であろうか。
騎士達はもちろんの事、あんなに反論していたガヴィー達でさえも渋々ながらカインの言葉に従いだしたではないか!
だが、そんなカイン達に最上位冒険者達が立ちはだかかった。
「このまま逃げられると思っているのかしら?」
「ただで帰れると思ってるのか?」
「無論、ただで帰れると思っていないさ。このまま見逃してもらえるなら、これ以上一切危害を加えずに都市外に退去する事を約束しよう」
「それだけでは足りませんわね」
「このまま逃げられても面倒だしね」
「そして、もう1つ。明日の正午、ペルネス平原にて決戦を申し込む。聖騎士第5位。カイン・F・メレクの名をもって約を違えぬことを、今ここに誓おう!!」
エルを置いてきぼりにして場が一気に進む。
アリーシャ達も困惑を隠せないようだが、カインと集いし英雄達とのやり取りをじっと見据えているようだ。
しかし、これだけの事をしておいて聖騎士の名にかけてとは、良く言えたものだ。呆れてものも言えないとはまさにこの事だろう。
いや、そんな事は発言したカイン自身が最も理解しているに違いない。
市民も巻き込む卑劣な電撃作戦を立て、実行に移したのは聖騎士の己に他ならないのだ。
少しでも恥を知っているのなら、おためごかしの綺麗事は口にするのも憚れたに違いない。
カインは表情こそ変えなかったが、心の中では己を罵倒し続けた。
だがそれでも、ここで最上位冒険者達と戦うわけにはいかないのだ。
何も最上位冒険者への対抗策を講じなかったわけではない。最悪の事態を想定しておくのは将として当然の事であるし、全てが自分達の企て通りに進むほど驕っているわけではないからだ。
使いたくはなかったが、切り札も用意してある。
しかし準備も必要であるし、それに加えてこの場で使うというのがまずいのだ。
一国さえ滅ぼす魔物さえも凌駕する英雄達のために用意した秘策を用いるのだ。
英雄を殺す前に、迷宮都市自体が灰燼と化す可能性の方が高い。
そうこうする内に、どうやら英雄達の間で結論が出たようだ。
巨漢の大男、大地巨人の2つ名を持つオーグニルがパーティを代表して返答した。
「いいぜ、逃がしてやるよ。このまま失せな」
「!? 何で逃がすんですか?」
「慌てないの。私達の力は強過ぎるから街の中だと手加減しなくちゃならないし、被害も馬鹿にならないのよ」
「それに僕等に勝てず自暴自棄になられて、街に特攻でもされたら目も当てられないからね」
「明日決戦だと、誉れ高き聖騎士の名に誓うのならば違える事はないでしょう。周囲に何もないペルネス平野ならば、私達も十全の力を発揮できます。どんな策があるか知りませんが、その日の内に勝敗は決まるでしょう」
「もちろん俺達の勝利でな。わかったか、坊主?」
エルが猛然と食って掛かると一応理由らしきものは説明してくれたが、どこか空々しい。
確かに彼等、英雄達が本気を発揮するには、都市内では狭すぎるのは嘘偽りない事実だろう。
明日決戦が本当に約定通り行われるのならば、最上位冒険者達の力を持ってすれば一日で決着を付ける事も不可能ではないだろう。
しかし、本心は別に違いない。
自分も信じていない形ばかりの言葉では、他人を納得させるのは難しい。
特に大地巨人は嘘を付けない性格のようで、強引な言葉で押し切ろうとしているのがエルでも分かった。
もしかしたら、敵の見ている前で真意を語る心算がないのかもしれない。
ただ間違いなのは、英雄達は停戦に応じたいのだ。
カインの言葉など端から信じていないだろうに、その申し出が都合が良いからと応じる心算なのだ。
ただ、少年ではどう頭を捻ってもその理由が思い当たらなかったが……。
彼等の胸中を察する事ができず、疑問符を浮かべたままのエルを置いてきぼりにして、大男オーグニルは聖騎士に向き直ると大声を発した。
「俺達の気が変わらない内に行きな。明日の決戦を楽しみにしてるぜ!」
「対私達用の策、楽しみにしていますわ」
聖女も大地巨人も、言外に敵の退去を促している。
街を襲われ市民にも多くの被害が出たのだから、このまま決着をつけるべきだと思えてならない。
更に被害が増えるかもしれないが、英雄達の力があれば勝利を手にする事も可能である。
むしろ勝利は目前ではないのか?
停戦するにしても形勢逆転したのだから、いくらでも有利な条件も引き出せるだろう?
そんな思いが心を占め、どうしても英雄達の不可解な行動に納得がいかなかった。
彼等は少しでも早く敵を退去させたいのだ。
そして口惜しい事に、この場の主役はすでに少年ではなかった。このまま雌雄を決したかったが、停戦が為った今ではもはや後の祭りである。
エルの思いを他所に、提案を受け入れられて安堵した様子のカインが口を開いた。
「それでは失礼させてもらおう。時間は明日の正午だ。私達は今から平野に向かい、君たちのお出迎えの準備をさせてもらうから、明日は遅刻しないでくれよ?」
「へっ、言うじゃねえか」
「私達を相手にして、ジョークを言えるなんて大したものよ。明日が本当に楽しみね」
小さな妖精族の女性が、見た目に不釣り合いな程強烈な威圧感を放ちつつ微笑んだ。
妖精族は見た目で年齢は判らないし、最上位冒険者ともなれば寿命も更に延びてしまう。愛くるしい少女の様な外見だが、自分の親よりも上かもしれない。
騎士達は負傷した仲間を救助し隊列を組み直したようで、後はカインの号令の下退却を開始するだけとなった。
そのカインはというと悲壮なる意思を固めた様な、決然とした表情となっていた。そうして武器を収めると、何故かエルの方に近寄ってきた。
「君とはできれば今日中に決着をつけたかった。明日は酷い戦争になるだろう。地獄な様なね……。君と戦う余裕も無いだろう」
「いや、あるさ! 僕達が勝つんだから、お前と勝敗を決する機会も必ずあるさ!」
自分のため、そして何よりこの都市に住まう大切な人のため、エルは絶対に勝つと宣言してのけたのである。
それは取りも直さず、カインへのあからさまな宣戦布告に他ならなかった。
そんな少年らしい態度に感じ入ったようで一瞬だけ笑ったが、直ぐに元に戻ると踵を返し様返答した。
「君と戦える事を期待しているよ。皆、退却しろ!!」
カインの命に従い、騎士達が整然と門に向かって去っていく。
聖騎士は騎士達の列の中に加わると、もう振り返る事無く遠ざかっていった。
そんな中、ガヴィー達がエルに向かって悪態を吐いた。
「小僧!! 貴様は明日死ぬんだ。せいぜい今日は残り僅かな人生を噛み締めるのだな」
「ふんっ、我等に逆らった事を後悔するがいい!!」
そうして好き放題言い捨てると、こちらの返答を待たずさっさと去って行った。
カインの潔さの後でガヴィー達を醜悪さが際立ち、何とも言えぬ不快な気分にさせられる。
だがそれと同時に、どうにか協会本部を守りきれた喜びもまた味わっていた。
相変わらず停戦した理由が不明ではあったが、最上位冒険者達のおかげで敵が迷宮都市から退去した事は、紛れもない事実なのだ。
明日の決戦の事もあるが、今はばかりはアドリウムを守れた喜びを噛み締めるのだった。