第四話
学校から出る間に誰にも会わなかったのは、運がよかった。こんな状況で誰かに会うのは非常にまずい。
いつも校門にいる先生も今日は会議があったのでいなかった。玄関で帰ろうとしていた生徒を発見して少し待ってから外に出たこともあり、学校外には無事に出られることができた。
「どうやら大丈夫みたいね」
「でも、これからどうするんだ?」
「どうするも何も帰るに決まっているじゃない」
さも当たり前のように彼女は言った。
「帰るって……その格好で帰るわけにはいかないだろ」
制服のあっちこっちが汚く、長い髪も貞子みたいに垂れ下がっている状態で帰らせたら絶対に怪しまれてしまう。
それにここから先は先生や生徒以外の人たちが大勢いる。その中でどうやって怪しまれないように帰るのだろう。
「せめてびしょ濡れじゃなければ急いで帰る必要もないだけどね」
「……ごめん」
これを誰がやったのかといえば俺と彼女に恨みを持っている人たちだ。手を出したのは友人の直人だが、犯行の計画を立てたのは俺で、あとの人たちは事前の準備や事後の口合わせだけである。
被害者の面を被って正当の理由で一戸を罰したと思っていた俺は、本当なら断罪されるべき存在で許されるような人間じゃないんだ……。
「あ、また暗い顔になっている!」
「ご、ごめん」
「だから、なんでそんなに謝るの? 私は謝らなくてもいいって言ったでしょ?」
彼女の真剣な視線が心に深く突き刺さった。
「うん、わかった。もう一戸の前では考えないことにするよ」
「私の前以外でもよ。許すって言ってるんだからそんな女々しい考えは捨てなさい!」
「は、はい……」
彼女の性格がどんどん荒くなってきているような気がするが、気のせいか?
「じゃあ、早くあなたの家に行くわよ」
「え」
「何か文句でもあるの?」
「あ、いや、なんでもないです……」
恐ろしい顔でこちらを睨んでいた彼女に俺は萎縮する。
「そういうわけだから、おんぶ」
「おんぶ?」
唐突に言われたので来た言葉をそのまま返してしまった。
「私を背中に乗せるの。おんぶくらいわかるでしょ?」
「いや、わかるけど……」
わかるけどそうじゃなくて、とは言わせてもらえる雰囲気じゃなかった。
俺の考えが伝わったのか、彼女は呆れたように顔に手を当ててから口を開いた。
「顔を見られないようにするためよ」
「おんぶしたところで見られないか?」
「背中に顔を埋めるから大丈夫よ」
顔が小さい彼女ならそれもできるだろう。
「でも、だからってなんでおんぶなんだ?」
恥ずかしいよ、同年代の女の子を背中に乗せるなんて。それをしたら余計に目立つと思うが、どうなのだろう。
「仕方ないから説明するわ。私が用水路に落ちて足を挫いていたところをあなたに助けられたって設定ってことにすれば何も問題はないでしょ?」
すごく無理矢理な気もするが、ここでただ立って話し合っている方が不思議に思われると判断した俺は、彼女に背を向け膝を落とした。
「お、お願いします……」
こういうときは敬語なのか、と呟いて彼女を背中に乗せた。
少し重いと感じたのは彼女の制服に水分が大量に含まれているからであって、彼女自身が重いわけではないと思っていると、彼女に首を絞められた。
「あ、ごめん」
わざとではないのか、と少し疑った。
「……苦しいから早く力を抜いてくれ」
「いやらしい妄想はしないでよ、っていう忠告よ」
する前に殺されたらできるわけがないだろう。重いっては思ったけど、それがいやらしい考えだとは感じない。
それにいやらしい考えだって俺は持っていない。
「わかったから、早く……」
彼女も本気でまずいと思ったのか、すぐに絞める力を弱めてくれた。溜まった息を吐いて呼吸を整えたあと、歩みを再開した。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
「やっと着いた……」
「お疲れ様。もうおろしても構わないわよ」
「じゃあ、遠慮なく」
俺は膝を曲げて彼女の脚から手を離す。肩に力が入ったかと思うと、彼女は勢いよく飛び降りた。
彼女の乗りかかっていた場所は制服の下まで冷たくなっており、湿っぽい不快感が染み付いていた。
ふと、彼女の方に視線を向けたら彼女はにたにたと笑っていた。その顔にそれは似合わないと俺は率直に感じた。
「どうかしたのか?」
「びしょ濡れの女子高生をおんぶするってどういう心境だった?」
「…………」
無言で彼女から視線を変え、目前にある俺の家を見た。いやらしい妄想はするなって言ったのは誰だよ。
「ふーん、ここがあなたの家なんだ」
「小さいとか言わないでくれよ」
彼女の家は豪邸だ。少なくともこの辺りで彼女より敷地面積が広い家など存在しない。
「……私だってこういう家に住みたいわよ」
聞き捨てならない言葉が聞こえたが、彼女の視線は俺の家のすぐ近くにあるもう一つの建物に目を向けていた。
「ここは?」
「倉庫だよ。一階は車庫、二階は物置になってんだ」
物置といっても使用しているのは父さんだけだ。
爺ちゃんもここを使っていたが、一昨年の夏に婆ちゃんと一緒に仲良く爺ちゃんは亡くなったため、爺ちゃんのものも放置されたままであった。
「いらないものがあるなら廃棄したらいいじゃない」
「それができない人もいるから物置があるんだよ」
いつか使うかもしれないと思って結局使わないでそのまま放置する人もいれば、大事に取っておく人もいるんだ。俺の家は前者だけど。
「くしゅんっ……中に入ってもいい?」
「ちょっと待てくれ。鍵開けるから」
鞄から家の鍵を取り出し、ドアに差し込んだ。
「ただいま」
靴を確認したが、帰ってきているのは妹だけだった。
両親はまだ帰ってきていない。
「お、お邪魔します」
緊張気味の彼女をすぐに風呂場へと案内し、妹の着替えを借りてくるからそれを着てくれと伝えて、俺は風呂場から出ていく。
そして、すでに帰宅している妹に服を借りる許可をもらうため、妹の部屋へと向かった俺は妹の部屋の前でどうやって説明しようか考えたあと、ドアをコンコンと叩いた。
「……なんか用? 宿題で忙しんだけど」
ドアの隙間から不機嫌な妹の顔が見られ、俺はすぐに用事を口にした。
「えーっと、俺の彼女が用水路に落ちたんだ。今、その彼女が風呂に入っているんだけど……」
「え? お兄ちゃん、彼女いたの? ていうか、家の風呂に入っているの?」
目をまん丸にした妹が不思議そうに問いかけてくる。俺に彼女がいるのがそんなに驚くことなのか?
服を借りるためにその場しのぎの嘘を吐いたものの、妹のこの反応を見るとちょっと罪悪感を抱いてしまった。
「ああ、うん。ちょっと色々あって告白してきたんだ。でも、その帰り道に彼女が用水路に落ちて制服が汚れたから風呂に入らせている」
「はいはい、そういうことね。ちょっとそこで待ってて」
なんのことか察してくれたらしく、妹は服を貸してくれることを許可してくれた。
服のサイズは合うだろうかと今更ながらの心配をしたが、妹と一戸の大きさは見た感じ同じだから心配ないだろう。
適当に物事を考えているうちに妹が部屋から服を一式持って出てきてくれた。
「はいこれ。この前買い物に行ったときに間違ってサイズ一つ大きいの買ったやつだから。きっとお兄ちゃんの彼女さんにも合うと思う」
「ん、ありがとうな」
上下揃った妹の服を受け取り、感謝の言葉を口にする。
「お兄ちゃんが変な感情持たないように服の中に隠すように下着を入れたから、間違っても見ないでよ?」
「了解」
妹の冗談に俺は笑って返した。
「ところでお兄ちゃん」
「ああ、わかっている。あとでちゃんと説明するから」
今すぐにでも聞きたい話だろうが、今はまだ説明できるような状況じゃない。
「うん、よろしい。彼女さんが帰ったあとでもいいからね。じゃ、宿題やるからなるべく静かにしててよ」
妹が部屋に入っていった。
今年高校受験があって色々と学校で忙しいはずの妹の気遣いに、俺はもう一度その場で妹に「ありがとう」と呟いて感謝した。