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第6章「スカーレット・ドレス」 前編


「ここまでは問題無しか……」

 陰島俊二は田園風景が広がる車外を見ながら呟いた。

 彼と神崎忠光の2人が乗る車は、『女王』を招いた洋館へと続く一本道を走っている。時刻は午後5時前、そこからは順調に行ければ15分程度で到着する。あくまで順調に行ければ、であったが。

 早朝にホテルから出る時、陰島たちの乗る車の他に3台の車がダミーとして発車した。その後、全ての車が数時間も無意味な走行を行い、陰島と神崎は途中で車まで乗り換えた。さらにホテルから発車した他の2台が、既にこの道を無事に通過している。そして今の所、『女王』の影は微塵も見えない。

 陰島はそれらが気休めでしか無いことを感じると共に、いっそ何の小細工もせずに堂々と動いた方が良かったのではと考えてしまう。

「しかし、本当に『女王』は現れるんでしょうか」

 神崎が根本的な疑問を発した。運転席に座る神崎は休憩を挟んでいるものの、かれこれ7時間近く運転を行っている。しかし運転手としての仕事も慣れているためか、疲労の色は全く見えなかった。

「それは、わからん」

「良いんですか。昨夜あんな大見得を切っておいて結局何も無かったら、あまり格好の良いものじゃありませんよ」

「何も無ければ誰も死なずに私が恥をかくだけで済む。ある意味、最もなハッピーなエンドじゃないか」

「しかし、叔父上はそんなことを望んじゃいないんですよね」

 陰島は口元に笑みを浮かべ、こう言った。

「私だけじゃない。恐らく『女王』もそんなくだらないことを望んじゃいないだろう」

「……ローエングリンの言うこと、信用なりますかね」

「またその話か……」

 陰島は肩をすくめる。神崎は他人の前では寡黙に働くが、2人きりの車内など、秘書としての体面を必要としない場所では饒舌であった。軽口好きの陰島はその点をむしろ好んでいたが、それでも同じ話を何度も繰り返されることにはうんざりしていた。

「『女王』周辺の機密情報にアクセス出来たのは誰のお陰だ? もしそれ自体が我々を釣るための罠だとして、では我々を釣る意味は? 『女王』の地位と財力から見れば、我々など無視すれば良いほどの存在だ」

「ですが、『女王』の性格まで彼の言う通りかどうかは分かりませんよ」

「今更性格がどうであろうと、手遅れだろう。まぁ、ここまで何事も無かったのだから、正々堂々と戦ってくれるとは思うが」

「……ローエングリンのことをよほど信用しているのですね」

 神崎の不満げな声に、陰島はニヤリと笑った。

「嫉妬か?」

「馬鹿言わないで下さい」

「確かに怪人物の言葉を信じて命をかけるのは難しい。だが、私は彼の本心を聞いた。だから、信じることにしたよ」

 その言葉に引っかかるものがあったのか、神崎がしばし沈黙する。

「……本心とは?」

「男の秘密だ。他言無用ということだな」

「嘘を吐いているかも知れませんよ」

「疑い始めたらキリが無い。自分が信用出来ると思ったから、私は信じた。他の人間には悪いが……私の判断が間違っていたら、その時は一緒に死んでもらう」

「それは……覚悟の上です」

「……すまないな」

 ポツリと、陰島は言った。

「いいんです。最後まで付き合いますよ」

 陰島は再び車外に目を移す。

 自分1人で戦えないことが、彼にとって最大の無念だった。他人が戦いの犠牲になることを避けたいという思い。そしてそれ以上に1対1、真の意味での決闘をしたいという思いが彼の中に強くあった。

 『女王』が現れたとして、1対1で戦って勝てる可能性はほとんど無いだろう。加えて、『女王』が1人で現れる可能性も皆無。そんな中でたとえ決闘を望んだとしても、それは叶わぬ事なのだ。ここまで命があったことですら、奇跡のようなものなのだから。

 自分自身を納得させた陰島が諦めの溜息を吐いた時、車がほんの少し、速度を落とした。

「叔父上、前方に人が……」

「人だと……?」

 神崎の言葉に、陰島はフロントガラスの先を見る。進行方向の直線、その先。道路の真ん中で、まるで轢かれるのを待つかのように人影が佇んでいた。

「そうか……」

 それを見て、陰島は理解した。

「轢け」

「……は?」

「轢くんだ、忠光。アクセル全開で。さもなきゃ、こっちが殺られる」

「りょ、了解っ!」

 運転席の神崎が慌てながらも思い切りアクセルを踏み込む。車は轟音と共に急加速し、人影へとどんどん近づいて行く。

 高速で接近する車に気付いているはずなのに、その人影は微動だにせず立ち誇っていた。そして少しずつ鮮明になって行く人影の容貌に、陰島は狂喜の笑みを浮かべる。

 自分達が今も生きているのは奇跡などではない。『女王』の気まぐれなのだ。自分が『女王』と闘いたかったのと同じように、『女王』もまた自分と闘いたいと思ったのだ。そう、きっと彼女も――

「楽しいじゃないかっ……!」

 ――自分と同じように楽しんでいるのだろう。

 『女王』は、ルーシー・ガーフィールドは立っていた。殺意を持って加速する車両にうろたえる事も無く、ただ立っていた。ただ微笑んでいた。

 その微笑に、陰島は予感する。『女王』程の魔導士なら、2mまで接近していたとしても車を避けることが可能であろう。しかしもし、避けないとしたら……

 そして『女王』が右半身を僅かに引いた時、陰島は予感を確信へと変える。即座に車体の右側、その前後両方のドアを魔力による振動加工で破壊し、叫んだ。

「逃げろっ!!」

 神崎はその不可解な行動に混乱した様子だったが、陰島が車外へと飛び出した直後、彼も同様に車から田畑へと飛び降りた。

 運転手を失った車は慣性のまま直進し、車を飛び出した2人が見た時には『女王』を轢き殺す寸前であった。

 そして、『女王』の右腕が残像と共に突き出された。

 瞬間、鈍く大きな音と共に重さ1トンを越える鋼鉄の車体が『女王』を避けるようにして、左右に引き裂かれる。歪な切断面を持った2つのスクラップは『女王』の後方で倒れ、炎上する。

 その光景に、陰島は呟かずにはいられなかった。

「化物め……!」

 『女王』は立っていた。傷一つ負うことなく暴れ走る車に道を譲らせ、ただ立っていた。ただ微笑んでいた。

 緋色のパーティードレスが170cm程の白い肌身を包んでいる。

 直線に下りた長い金髪が肩からシャギーウェーブを描いており、微かに吹く風に揺れている。

 細腕が、脚線が、肩幅が、頬が、耳が、鼻が、眼が、口元が、破壊者に似合わない端整な全てが、彼女の狂気を示している。

 造られた美貌。与えられた威力。夢想の産物が実体化したかのような存在。

 大シンボルの頂点、『自由の女王』ルーシーは嬉しげに微笑む。その眼はじっと、陰島を見ていた。

「あの速度、あの重量を振動破砕で……」

 目の前で起きた異様に対し、信じられないといった表情で神崎が呟く。

「忠光」

 険しい顔で『女王』を見つめながら、陰島は神崎の名を呼んだ。

「私が足止めをする。全速で屋敷に飛び、迎撃の準備をしろ」

 薄手のロングコートに付いた土埃を払いながら、陰島はゆっくりと立ち上がった。

「急げ」

「待ってください、足止めなら私が……」

「黙れっ!!」

 突然に怒号を浴びせられ、神崎がたじろぐ。

「思ってもいなかったのだ……正々たる決闘の機会が訪れるなんてことは。そんな機会を前にして、私に逃げろと言うのか。それともナニか? お前は私が負けるとでも思っているのか?」

「そんなことは……」

「なら、早く行け。私は意地でも『女王』を館へ誘導する。だから準備を……特に狙撃手の準備を怠るな」

「分かっています」

「それとだ……」

 陰島は神崎へと向き、穏やかに微笑んだ。

「元気でな」

「叔父上……」

 そう言った直後、神崎は未練を断ち切るように陰島に背を向け、屋敷へ向かい突風のような加速で飛翔した。その加速で巻き起こった風が砂埃を巻き上げ、陰島はそれを払いながら一歩一歩、『女王』へと近づいて行く。

「申し訳ありません。お待たせしてしまって」

 陰島の言葉に『女王』は首を振った。

「心の通い合った主従関係を見せて貰ったのですから、お気になさらずに」

 『女王』の表情が分かるくらいの距離まで近づいた所で、陰島は足を止める。

「最高の賛辞を賜り、恐縮です。それと『女王』陛下、お互い堅苦しい建前や言葉は捨てませんか? なにせこれから、殺し合いをするわけなのだからな」

 それを聞いた『女王』はニヤリと笑んだ。

「建前か……先ほどの言葉は本音のつもりなのだが、陰島俊二」

「だとしたら、よほど人間に興味が御ありのようで」

「その通りだ。さもなくば人間の振りをすることも無く、君と戦おうとも思わなかっただろう」

「ならばもう少しだけ、会話する許可を頂きたいのだがね」

「私の許可など必要無いさ。それに戦う相手をより良く知るために、私も君の話が聞きたいのだ」

「それはそれは。嬉しいことだ」

 『女王』と眼を合わせたまま、陰島は右へ右へと少しずつ歩を進める。

「それでは『女王』、まずどうしてこの場所で待ち伏せたのかを聞かせて欲しい」

「魔導士としての君に興味があったからだよ、陰島。君ほどの力を持つ魔導士は私の部下にも数少ない。人間だろうと、『我々』だろうと。だから他者の介入が無い、決闘という形で敬意を示したかった」

「なるほど……」

 右へ。

「それはまた、心から恐れ入る。私の如き老人をそこまで評価してくれるとは」

「年など関係は無いさ。私は君よりも年上なのだから」

「とてもそうは見えないが、本当ならそれは羨ましいことだ」

 右へ。

「ところで、車の代金は補償して頂けるのかな?」

「危険運転致死、というより殺人未遂に眼を瞑るのだ。お互い、細かいことは気にするべきでは無い」

「ふむ、それもそうだ」

 右へ。

「質問はそれだけか? ならば、次は私から聞きたいことがある」

「どうぞどうぞ」

「何故、私と戦おうと思った」

「決まっている。名実共に英雄になれるからだ」

 右へ。『女王』が歪んだ笑みを浮かべた。

「なるほど。人外の首領を倒す、確かにそれは英雄であるな」

「昔から思っていた。自分に特別な何かは出来ないものか。夢物語のような能力、成功は得られないものかと」

 さらに右へ。

「そして、それを諦め続けてきた。10年前まで、ずっと」

「魔力によって、君は自分の可能性を得たということか。それは喜ばしい」

「それで以って魔力をもたらしてくれた者の長である貴方に牙を剥くとは、我ながら恩知らずだとは思うがね」

「そうする自由も承知の上だ。勿論、自己防衛をする自由が私にもあるが」

「そうか……」

 道路と田畑の僅かな段差を越え、陰島の右足がアスファルトに触れる。道路に上がろうとする陰島を、『女王』はまるで見守るように見つめていた。

「あくまで防衛行為しかしないと?」

「そうではないさ」

「それは安心した」

 陰島の両足がアスファルトを踏みしめる。彼の前方には『女王』、彼の後方には屋敷への道。陰島はようやく『女王』の前に立ちはだかることが出来た。

「本気で掛かって来てもらわなければ、つまらない」

「その通りだ……どうも我々は似た者同士のようだな、陰島」

「そのようで。本当に、楽しいことになりそうだ」

 陰島はバッ、とロングコートを開げ、両脚に括り付けられた2丁の長銃を一瞬で構えた。即座に加速度を発生させ、路面から数十cm上を飛びながら後退し始める。そして片手に1丁ずつ構えたショットガンを両方同時に発砲する。

 一方の『女王』は散弾の成す弾幕の遥か左側に、まるで瞬間移動したかのように移動していた。それに構うことなく、陰島は進行方向と逆を向いたまま低空飛行を続ける。

 『女王』もすぐに陰島の正面に戻り、追撃を開始した。陰島同様、路面から少し上を飛行し、かつ陰島との距離をある程度保ちながら。

 陰島は冷や汗を掻きつつも手ごたえを感じていた。屋敷へ着く前に『女王』が先制襲撃をけし掛けて来ることは予想――もしかしたら、期待――していた。それに備えて彼が選んだ武器が、このショットガンだった。

 ローエングリンから『女王』が銃器等の武器を使わないことを聞いた陰島は、『女王』を近づけず、かつ命中率の高い武器こそが最適であると考えた。だが『女王』の魔力、反応速度が人外のそれであるのなら、狙わずに当たる武器を選ぶ必要があった。

 狙わずに当たる可能性があり、そして充分な牽制となりうる武器。多数の散弾を発射し、ある程度の距離以内であれば威力、命中率共に高いショットガンは、その条件を充分に満たしている。さらに陰島は銃の固定、排莢、装弾等の操作を魔力によって行うことで、通常では不可能であるショットガンの2丁同時使用を実現していた。

 2丁のショットガンで弾幕を張りつつ自動車並のスピードで後退する陰島。流石の『女王』であろうと、追いつくことは容易で無いはずだった。

 道の両側が田畑から林へと変わり、陰島は地の利までも得る。道路は車2台が擦れ違える程度の幅しかなく、その両側は飛行困難な林。散弾を避けるスペースが『女王』には乏しくなり、対する陰島は左右や後ろから攻撃を受ける可能性が大幅に低下した。仮に陰島が地上10mの空中にいたとしたなら、彼は上下左右前後、あらゆる方向からの攻撃を想定しなければならず、ショットガンも無意味になっていただろう。

 魔導士の戦闘力は周囲の状況に左右される。魔力を使えない者達よりも、遥かに大きく。そして今、陰島の状況は『女王』を近づけないばかりか、倒せる可能性を含む程に有利なものであった。

 陰島は2度目の2丁同時射撃、すぐに排莢、装填、続けて3度目の射撃。その後、振り返って進行方向を見る。道路のカーブが近づいていた。

 陰島は『女王』の方を向かずに、射撃。そして加速度を調節してカーブを曲がる。曲がった直後、陰島は正面に向き直り、『女王』の位置を確認した。相変わらず、陰島から距離を保ちつつ道路の直上を飛行していた。

 陰島は高揚のあまり、笑みを止めることが出来なかった。

 もしかしたら、殺せるかも知れない。他の誰の力も借りず、たった1人であの女を……もしそれが出来たなら、私はまさに英雄であろう。化物を孤独に打ち倒した、生きる伝説と成り得る……!

 そこまで想像した所で、陰島はイカンイカン、と想念を頭から振り払おうとした。早すぎる勝利の酔いは、死と同義である。彼は冷静さを取り戻そうと、ショットガンを撃ち放った。

 『女王』は上昇して散弾をかわし、すぐに元の高さへと下降した。陰島が確認出来た限り、両側が林になってからの『女王』は上昇による回避行動を常に行っていた。それが定石であるかのように。

 陰島は次の射撃時、右手のショットガンだけを僅かに上へ向かせ、左右同時に撃った。『女王』はやはり上昇、しかし先程よりも左寄りに回避した。そして降下し、『女王』は変わらず追撃を続ける。その動きに陰島はある違和感を覚えた。

 『女王』の回避行動は適確である。回避のタイミング、弾幕の範囲が完璧に把握されているかのように。それはつまり、こちらの射撃を完全に見切っているということでは無いだろうか。

 だとしたら、何を見て回避をしているのか。

 陰島は2丁両方を上向きに、『女王』の上部に弾幕が広がるように射撃を行った。『女王』は体勢を低くし、地面すれすれの位置を飛んで散弾をかわす。

 それを見た陰島は確信する。『女王』はこちらの射撃を見切っていると。

 見ているものは何か、陰島は推理を始める。まさか散弾を眼で確認しているのか。可能性は皆無とは言えないが、考え難い。弾丸を視認した後で回避行動に移る余裕など、さしもの『女王』であろうと無いはずだ。

 弾丸が発射されるよりも早く、弾の発射タイミングと飛散範囲を知る方法。もしそれがあるとするならば……

 陰島はちらりと右手のショットガンを見た。銃口は正面を向き、トリガーには人差し指が掛けられている。

 果たして、『女王』の距離から銃口の向きと指の動きが正確に読み取れるかどうか。猛禽類のような視力が無い限り不可能、だが相手は『女王』という化物である。少なくとも他の可能性よりは現実味があった。

 ならば、試すのみ。

 『女王』の左手側を狙って、陰島は右手の銃だけで射撃――すかさず左手の銃を予想される『女王』の回避方向に向けて撃ち放った。

 しかし、それでも遅かった。『女王』は1度目の射撃をかわした直後、間髪入れず2度目の射撃に対応した回避行動を取り、何事も無かったかの様に追撃を続行した。

 これも、駄目か。

 陰島は魔力を使用してコートのポケットからショットガンの弾を取り出し、まず右の銃から弾を込め始める。ショットガンの残り弾数は2丁とも1発。装弾する姿を見た『女王』が、ショットガンの残り弾数をゼロと判断し接近してくれたならば、それは陰島にとって好機であっただろう。だが『女王』に警戒を緩める様子は無かった。

 右に続いて左の銃への弾込めも完了させ、陰島は次の策を考える。発砲のタイミング及び銃口の向き、これを相手に読まれない方法。予兆無き、トリガーの操作と射撃方向の変更。

 自身の手を使わず、魔力による加速度発生で全ての操作を行えば、可能かも知れない。不安定な動作になり、危険でもある。だがそれでも試す価値は――

 …………いや、そうじゃない。

 陰島は飛行速度を緩め、地面に降りる。『女王』もそれに合わせる様に飛行を止め、それを見た陰島は両手のショットガンを下ろした。

「どうした、陰島」

「いやな……つまらないと思ってね。『女王』、貴方の力なら弾幕を避けつつ、私の眼前まで接近できるはずだろう。違うか?」

「そうかもしれないが、確実では無い。私は勇敢でも無ければ、愚かでも無いのだよ」

「命が惜しいと言うことか、『女王』」

「その通りだ」

 陰島は鋭い目付きで、突き付けるように2丁のショットガンを『女王』に向ける。

「ふざけるな。こっちには命を捨てる覚悟がある」

「此方だって命がけの戦いであることには変わりない。だが、捨てるような戦い方はすべきで無い。それが命に対する敬意ではないか、陰島」

 その言葉を、陰島は首を横に振って否定した。

「どう使うかが重要だ。無駄に生き長らえるくらいなら、華々しく散るべきだ」

「陰島、残念だが私は君に殺されるつもりは無い。だから、機会を待っているのだよ」

「機会……」

「そう、確実な機会を……」

 陰島が気付き、発砲した時にはもう遅かった。『女王』は既に、上へ。

 全速で後退する陰島、その目の前に急降下した『女王』――陰島は散弾を発射しようと銃を向ける。

 その瞬間、ショットガンの銃身が2丁とも潰れ、折れ曲がる。

 魔導士と、魔力を発生させる位置。その2点が近ければ近いほど、その威力も増す。銃が魔力で破壊されたことは、『女王』が接近したことによる当然の結果だった。

 潰れた銃身に構わず、陰島は暴発覚悟でトリガーに指をかけようとする。だが2つのトリガーは独りでに断裂し、弾き飛んだ。それが『女王』の魔力によるものであることは明らかだった。

 陰島は両手の銃を投げ捨て、拳を構える。

「嘗めるな……たとえ素手であろうと、渡り合えれば問題は無いっ!!」

 それを見た『女王』は、狂気じみた笑みを浮かべた。


「迎撃準備は進んでいるか?」

 神崎は扉を開くと同時に言った。扉の先は書斎へと続く廊下、そこに待っていたのは全身を白に染め上げたローエングリンだった。

「へぇ……それがお前の本来の姿ってわけか」

 黒かった髪の毛は白くなり、全身を覆う革製らしき衣服、ブーツまで真っ白である。白くないのは肌と眼と、鈍く光る刃のみ。

「俺に与えられた、正装だ。『女王』と戦うのに相応しい姿は他に無い」

「志気が高まるのなら何でも良い。それで、準備の方は」

「狙撃手の配置は間もなく完了する。それ以外の兵も指示通り、3人1組で待ち伏せの準備に入っている」

「各兵の交信状況は?」

「良好だ」

「ホンシアたちは?」

「近くまで来ているようだが、間に合うかどうか分からない」

「頼れそうにないな……」

 洋館までの飛行中、自分なりに最善を尽くした指示を通信連絡したが、神崎は一抹の不安を覚えていた。

 3人1組での行動――集団で一斉に迎撃を行う手もあったが、『女王』があのか細き豪腕で1人でも殺したならば、恐怖が一瞬にして伝染し混乱は確実だと予想された。それよりも狭い廊下での待ち伏せを複数用意して、『女王』の動きを束縛した方が良い。神崎はそう判断した。

 各所に設置された監視カメラで『女王』の位置を捉えつつ連携すれば、狩りのように追い込み、『女王』を仕留めることが出来るかもしれない。たとえ『女王』といえども、手の平で転がされては無力なものだろう。

 だがそれら全てが無意味になる予感を、神崎は払拭することが出来ないでいた。高速で走る乗用車1台を難なく破壊したあの力に、果たして不可能などあるのか。

 『女王』の可能性が脅威となって、神崎の不安を煽り立てる。

 頭を振り、神崎は冷静を保とうと務めた。自分の主人が今まさに戦っているのだから。紛れも無い化物にたった1人で立ち向かっているのだから。

 神崎はローエングリンの横を通り過ぎ、書斎へと入った。部屋の片隅に置いてある服と十数本のナイフ、神崎のための装備。

 神崎はナイフの1本を取り、握り締める。主の無事を祈るように。戦う勇気を得るように。

 震える手が治まるまで、神崎は無言でそのナイフを握り続けた。


 高速で突き出される『女王』の手を避け、払いつつ、陰島は後退飛行を続けた。

 直線に伸びる緩やかな傾斜の先には、目指すべき屋敷がある。振り返るまでも無い、このまま後ろ向きに逃げ続けることが出来れば目的は達成される。だがそのためには、前を向いて戦わなければならない。

 絶え間無く攻撃を続ける『女王』、彼女が狙っているのは恐らく陰島の両腕。それを掴まんと『女王』の2つの手は工業機械の如き無慈悲な正確さと速度で伸び来り、退き縮む。その熾烈な攻撃に、陰島は防戦を一方的に強いられていた。

 魔導士は自分自身に近い距離であればあるほど強い魔力を発生出来るが、例外がある。自分の以外の人体に対しては、大抵の場合魔力が作用しない。だからこそ陰島は『女王』の攻撃を魔力で緩和することが出来ず、また『女王』も陰島の骨や筋肉に対する致命的な魔力発生を行うことが出来ないのである。

 逆に自分の人体に関してはそのような抵抗が無く、魔導士は出し得る最大の加速度を加えた打撃を行うことが出来る。だが、それにも問題があった。

 陰島は『女王』の連撃を捌きつつ、それに伴う痛みに歯を食いしばった。魔力により加速した打撃の威力は自身への反動も大きくする。仮に『女王』が最大の魔力で拳を撃ち出したなら、陰島の胸部に大穴が開くと同時に『女王』の骨も粉々に砕けることだろう。たとえ『女王』の身体が人間以上に強固であろうとも。

 己に対する強い魔力は、諸刃の剣。自分が耐えられる範囲の力しか接近格闘においては用を成さない。そんな限界の中、自身へのダメージが少なくかつ相手へのダメージを甚大にする攻撃――それは衝突を行う打撃技では無い。

 相手の関節を破壊するための関節技こそ、主力だった。

 拳をぶつけるなどの打撃に対し、関節技は衝突の無い攻撃。即ち、攻撃者への反動も皆無。最大の加速度で以て攻撃しても、自身は当然耐えることが出来る。

 『女王』の動きは、明らかにそれを狙っていた。

 腕が掴まれたなら最大の力で捻じ曲げられ、指先一つ動かせなくなる。そうなった場合『女王』を攻撃することはおろか、もはや防御すらままならない。

 間違いなく、殺されるのだ。

 それを防ぐために、陰島は必死で防御に徹した。攻撃を考える余裕は無い。攻撃に転じようとした瞬間に、どちらかの腕が死ぬのだから。

 緊張と焦りによって鬼のように歪んでいる陰島の形相に対し、『女王』の表情は見るからに喜びを湛えていた。

「素晴らしいぞ、陰島」

 猛攻を続けたまま、『女王』が陰島に語りかける。

「私の攻撃をここまで跳ね除けるとは、恐れ入った。私の知る人間の中でも、君ほどの人間は5人といない」

 つまり、他にもいると言うことか。陰島はそう思いつつも、防御に手一杯で口に出す余裕は無かった。

「予想以上だ。1対1で戦えて、本当に良かった。勝利の喜びも、人間への更なる敬意も、君という人間の記憶も、何もかも得られる戦い。私がより高く、高く、高く、高く望みへと昇り、自由で、自由であるための力となる戦い、そう、まさにこれこそ、その戦い、その戦いなのだっ!!」

 爆発する狂喜の笑い。敗北を考えていないその全てが、陰島を不快にさせた。

 思わず我が身を省みずに反撃を考えてしまう程、陰島の我慢は限界に達していた。それを押しとどめたのは、左右を通り過ぎた洋風の門柱である。

 陰島と『女王』は示し合わせたかのように同時に飛行速度を緩めた。陰島の目の前に見える門、それは屋敷へと辿り着いたことを示していた。

 極限の中、陰島は神埼との約束を守り通したのだ。

「おめでとう、陰島。私の攻撃に耐え、仲間の待つ場所へと至ることが出来た事、真に見事だ」

 なおも攻撃を緩めない『女王』の賛辞を聞き流し、『女王』の腕を手刀で捌きながら、陰島は周囲の建物に目を配る。建物の2階、狙撃手が窓から狙いを定めている姿を必死で探した。

 神崎が命令通りに狙撃手を準備したのなら、この絶好のチャンスに『女王』の脳天を貫かんと銃身を突き出している者が必ずいる筈である。それなのに、何処にもそれが見えない。

 唯一見えたのは、窓からだらりと垂れる、人の腕。

「どうした陰島。注意力が散漫して、眼が泳いでいるかのようだぞ」

 悪戯めいた悪意が込められた声。陰島の眼は『女王』の表情へ焦点を合わせる。

「陰島、先ほども言ったが、私は勇敢でも無ければ、愚かでも無いのだよ」

 嫌らしげな微笑、それが狙撃班の全滅を告げていた。

 陰島は完全に理解した。『女王』は多勢に無勢で挑むほど勇敢でも無ければ、愚かでも無い。如何に自分が一騎当千の強者であるかを大胆に示しつつ、その裏で部下を使って姑息に安全を確保する。その手法はまさしく、投資家としての彼女の手法そのものであった。

 全身の毛が逆立つような感覚、湧き上がる憤怒に眩暈すら覚える中、陰島は速度を増して『女王』の腕を叩き、『女王』もそれに合わせて攻速を高めて行く。その反動を踏ん張るため、宙に浮いていた両者の足が地面に降りる。

「『女王』……私は腹を括ったよ」

 攻撃を受け流すのに手一杯で、口を開くことすら出来なかった陰島。しかし激しくなる応酬の中で、その口が言葉を呟いていた。

「貴女は私を助太刀する者が現れぬよう、手を尽くしたのだろう。決闘を誰にも邪魔させないように、あらゆる手を打っているのだろう」

 微笑んだまま、『女王』は肯定も否定も示さない。

「1つだけ、教えて欲しい。私と同じ車に乗っていた男は無事か?」

「ああ、無事だとも陰島。狙撃手と地下室にいた人間以外は、今のところ全て無事だ」

 その意外な言葉に、陰島は思わず手を止めてしまうところだった。

「私が一時撤退し、体勢を整える可能性を考えてないのか?」

「君はそのようなことはしない。そうだろう、陰島」

 ニヤリと笑う『女王』、陰島も不敵に笑い返した。

「その通り、私はここで貴女を殺す。なればこその全速、全力、全霊、受けて頂きたい」

 そう言った瞬間、陰島が振るう腕から明確な形状が失われた。不退転の加速度発生。寸秒の停止すら無い陰島の攻撃は残像となって、『女王』の腕を狙う。

 それに対し『女王』はふふっ、と小さく噴出し、そして――

「アハハハハハハハハハハハッ!!」

 狂ったように笑い出すのと同時に、彼女の腕も形を無くした。

 静止すること無い腕の酷使、腕では無く運動に対する防御。一瞬でも気を抜いた瞬間、腕が破壊される修羅場。防御ですら自分の神経に激痛を与え、防御ですら相手の骨に亀裂を入れる。

 その中で彼らは、狂喜していた。

「素晴らしい、素晴らしいぞ陰島ぁぁっ!! 折れない程度の全力のつもりだが、これは人間の人体に耐えられる速度では無いはずだ!! 君の腕が悲鳴を上げて、私の腕がか弱く泣いていて、私は痛い、痛い、痛いんだよ陰島ぁっ!!」

 腕の激痛を無理矢理我慢していた陰島に、腕以外の新たな激痛が走る。それが左脚への打撃であると分かった瞬間、彼は右足の踵で『女王』の左足を踏みつけた。骨を砕く感触、骨が軋む鈍痛。その直後、気を失いそうになる痛みと共に左腕の感覚が消えた。『女王』の右手に掴まれた左腕、その関節が千切れそうに折れ曲がっていた。即座に残った右手で陰島は『女王』の左腕を掴み、全力で力を加えたが、『女王』の左手もまた陰島の右腕をしっかりと掴み返した。

 陰島の右と『女王』の左が拮抗する中、残された『女王』の右手がゆっくりと掲げられた。

「遺言はあるか、陰島よ」

 先ほどまでの狂乱振りが嘘のように、『女王』は静かに言った。

「……特には無いが、悔しいな」

 陰島の四肢はもはや満足に動かすことすら出来ない。『女王』の右手に殺されるのは、必至でしか無かった。

「そうか……ならば陰島、死ぬ前に1つ、こちらの質問に答えてくれないか」

「何だ……?」

「魔力……それはイメージに呼応して発生する力だ。だが、意識的に力を発生させることは知的生命体なら当然のこととも言える」

「何を……言いたい?」

 左腕の関節から流れる血。陰島は少しでも出血を減らそうと、腕の周りを加速度で圧迫した。

「魔力があろうと無かろうと、意思のある者は世界を自分の望む方向へ変えようとする。そしてそのための力が大抵の知的生命体にはある。そうなると、魔力とは人間にとって無駄なものなのかも知れない」

「……」

「どう思う、陰島」

 陰島は、いいや、と言いながら首を横に振る。

「魔力によって、私には多くの可能性が生まれた。そして可能性に無駄なものなど、ありはしない」

 それを聞いた『女王』は満足げな笑みを浮かべ、頭を垂れた。

「ありがとう、陰島。君は私が出会った魔導士の中で、最も敬意を払うべき者だ」

「その必要は無いよ、『女王』」

 陰島は、最後にコートのポケットの中で加速度を発生させた。ある物を起動させるための、力を。

「何せ、貴方も私も死ぬのだから」

 顔を上げた『女王』が、陰島の意味有りげな笑みを見て顔を引きつらせる。その表情に明らかな焦りの色が出ていることを確認した陰島は、まるで勝利したかのような満ち足りた達成感を感じた。

 決して余裕を失わなかった偉大なる『女王』の心を、陰島は乱すことが出来たのだ。他の誰もが届かなかったであろう人外の『女王』に、彼は届いたのだ。自分の命と引き換えとは言え、ただの初老の男が、紛れも無い王者に。

 勝利では無いかもしれない。だが、全くの無力でも無かった。彼には、それで充分だった。

 たとえ死の間際、残った右腕が『女王』から離され、胸部に強い衝撃を受け、『女王』が道連れにならないと知っても、その満足感は一片も失われなかった。


 轟音と共に、小型爆弾が陰島の肉体を爆砕する。

 『女王』は飛び散る肉片の一部を浴びながら、無様に立ち尽くしていた。


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