第9章「バールのようなもの」 前編
無数の配線がまるで蔦の様に絡まりながら、仄かな灯りを放つ廊下の奥へ向かって伸びている。
人工物が人工物に侵食されているこの廊下は『構造体』の中でも異質な空間であり、その先にいる人物もまた、異質な存在であった。
時折、アリスにはその人物が魔法使いか何かに思える時があった。それはその人物がいる部屋へ続く、この不気味な廊下のせいかも知れなかったし、彼自身の言動のせいかも知れなかった。何にしても、その人物と会うことは特別なことであった。
特別な日。『構造体』の外部へと旅立つ前夜。アリスは言い知れぬ期待と不安に眠れず、その人物の部屋へと向かっていた。大小のケーブルを視界の隅に入れながら、異界へと迷い込むかのように。
彼女は明かりの中へと足を踏み入れた。幾つものモニターに描かれる折れ線のグラフ、電子音を撒き散らす機器、螺旋を映し出すホログラム。アリスには無意味な情報の集積。その中央には机、椅子、大きなディスプレイ、コンピュータの端末がそれぞれ1組ずつ、使用者が向かい合うように配置されている。
入口とは反対側にある1組を使用している人物。キーボードを叩きながら、ディスプレイを注視している男性。ボサボサの黒髪に無精ひげを生やした、30代前後の陰気な容姿。『機関長』と呼ばれている『構造体』の技術的な管理者であり、アリスにとっての魔法使いであった。
アリスは入口側の椅子に座り、ディスプレイ越しに男の顔を見る。表情は上手く読み取れなかったが、彼女が知る限り機関長が何らかの感情を表したことは無かった。まるで彼自身が、この部屋にある機械の一種であるかのように。
「眠れないのか、アリス」
意外にも、先に言葉を発したのは男の方だった。
「それはそうよ。明日にはもう、こんな場所にはいないんですもの」
そう言いながら、アリスは何故か寂しさを感じていた。閉鎖的な『構造体』に愛着があったことに、彼女自身戸惑っていた。
「……どうして、私が出て行くのを許してくれたの?」
『女王』の代理。果たすべき任。それが如何にくだらないものであるか、アリスは実感させられた。だがそれでも、置物としての責務より自分の我侭が優先されたことに、彼女は疑問を抱いていた。
「どうしてなの……?」
キーボードを叩く音が止み、しばしの沈黙。そして答えが発せられる。
「もはや、居場所など関係無くなっただけだ。外界にいようと『構造体』にいようと、権利も立場も変わりはしない。『女王』がそれを示した」
その言葉は、城主の代理として『構造体』に留まり続けたアリスを否定するものであった。
「だから許さない理由など何処にも在りはしない。『女王』自身、君が代理の任を捨てる事を予想の範疇に入れていたのだろう」
気に入らない話であった。自分が『女王』の掌で遊ばれている人形であるかのように思え、アリスは手元のキーボードを適当に叩いた。ディスプレイに滅茶苦茶な文字の羅列が表示され、彼女はその最後を「NO」の連続で締めくくった。
「ひとつ、考えて欲しいことがある」
唐突に、機関長が切り出した。
「今日は妙にお喋りなのね」
「君と話せる機会も残り少ないかも知れない。それに、外の世界へ出る前に話しておきたいこともある」
「なんか、意外だわ」
『構造体』での長い日々の中で築かれた、機関長に対するイメージ。それが融解するかのように、アリスの中で変化して行く。機械から生物へ、無機から有機へと。
「人間の世界には」
機関長は言葉を続ける。
「バールというものがある」
「バール?」
その単語にアリスは聞き覚えがあった。自身のための武器として作られた、唯一無二の一品。『バールのようなもの』という彼女の武器の名に、その言葉は含まれている。
「バールとは梃子の原理を利用した工具だ。釘を抜き、隙間をこじ開ける。君が使う『バールのようなもの』とは違い、武器としての利用は想定されていない」
機関長が何を言いたいのか、アリスには掴めない。それは機関長との対話において多々あることで、だから彼女は黙って話を聞くことにした。
「君の持つ『バールのようなもの』は、武器だ。武器として鋳造された物だ。しかしその形状は、バールと変わりが無い。人間の世界においては、『バールのようなもの』はバールとして扱われることだろう。だがそれでも、『バールのようなもの』はバールではない。『バールのようなもの』という名の武器なのだ」
「……何を言っているのか、全くぜんぜん分からないわ」
黙っているつもりが、アリスは思わず口に出してしまった。あまりに理解不能な話だったために。
「君も同じだ、アリス」
「私も?」
「君が生まれた時、私は目を疑った。君の容姿はまさしく、『不思議の国のアリス』であった。今まで幾多のシンボルが生まれていったが、私の知る限りここまで人間のイメージと合致する者は存在しなかった。それだけ君は特別であり、同時に唯一性を疑問視される存在なのだ」
「もう少し分かりやすく話してくれないかしら?」
捉え辛い話の中に、アリスは重要そうな何かを感じていた。それがどのように重要なのかは分からなかったが、それでも聞くべきである、何かを。
「外の世界に出れば、『バールのようなもの』はバールとして扱われるだろう。そして君も、『不思議の国のアリス』として扱われる。君という個人ではなく、物語の現出として」
その言葉が、アリスの中にイメージを湧き上がらせた。
模倣。敗北の痛み。『女王』の代理。思い浮かんだ全ては『構造体』での日々であり、彼女の価値と唯一性に対する疑問。
アリスは求めていた。模造品ではない本物を。価値のある素敵な事物を。
だが、もしかしたら、自分自身が模造品でしか無いのではないか。
その想念がアリスを覆い始め、彼女はキーボードを叩いた。「NO」という、2文字を。
「しかし、『バールのようなもの』はバールではなく、君は『不思議の国のアリス』ではない」
その言葉は、救いであった。
「見えるもの、聞こえるもの、感じるもの。それが物事の本質を掴んでいるとは限らない。それは所詮、側面でしかない。本質はさらに深淵にあり、想像の範疇を越える。それを理解できるのは、それを作った者だけだ」
作った者――アリスは気付いた。『構造体』から生まれる者は全て、機関長の管理の下で生まれる。つまり自分を作ったのは機関長であり、彼こそが自分たちの親なのだと。
「いや、作った者にも理解出来ないのかもしれない。我々に出来ることはただ、自身の認識を信じることだけだ。自分なりに、感じた全てを」
親から子への言葉。その真意を汲み取ることは、彼の言葉通り不可能なことなのかも知れない。
「つまり、自分なりに行けば良いってことよね?」
それでもアリスは、その言葉を彼女なりに受け止めた。
「そうだな、それで良いのかも知れない。自分にとって何が大切で、何を重視して行くか。それを選択出来なければ、外の世界で生きて行くことは難しいだろう」
「大丈夫よ。私はちゃんと、自分の好きなように生きて行ける」
その言葉を聞いた機関長が、ほんの少しだけ、微笑んだ。気のせいかも知れなかったが、アリスにはそう見えた。だから彼女は、微笑んでくれたと信じることにした。
「行けば良い、アリス」
意識の混濁。痛みと空気。記憶にある過去から、現実である現在へと浮上する感覚。
「自分なりの、敬意を示せ」
そして、覚醒――
アリスは瓦礫の上で目を覚ました。
まだ明瞭では無い意識の中、ぽつり、ぽつりと。雨粒が落ちるように、機関長の言葉が跳ねる。
――自分なりに。
自分。自分にとって大切なものとは。自分らしい生き方とは。
さっきまでずっと、誰かのことを思って戦っていた。ローエングリン、ホンシア、そして敵であるルーシー。
だけど届かない、全て。
私は、ローエングリンを理解できなかった。ホンシアのことも理解できなかったに違いない。こんなに大事なのに、2人の意志を理解できなかった。
そしてルーシーは言う。「意志を尊重しろ」と。それが敬意だと。
違う。
それは、私の敬意じゃない。
私の、私なりの敬意が、他にある。
私はそれを、示せば良い。
示さなきゃ、ならない。
気配――アリスはゆっくりと起き上がる。
「まだ、動けるのか」
ルーシーが地面から僅かに浮きながら、アリスを見つめていた。
「私はどれくらい気を失っていたのかしら?」
立ち上がるアリス。両手にはまだ、2つの武器が握られていた。
「1分か、それ以下だ。打ち所が悪ければ死んでいたかも知れないが、幸運なことだ」
アリスは足下にあるのが自動車の車体であることに気付く。もしも建物の残骸に蹴り落とされていたならば、失神では済まなかっただろう。
「さて、まだ戦うか、アリス」
ルーシーの質問。アリスは静かに頷いた。
「当たり前だわ。だけど、その前に返さなきゃいけない物がある」
そう言って、彼女は左手に握っていたローエングリンの剣を掲げる。
「返すわ、ローエングリン」
放り投げた剣が、中庭の片隅で力尽きているローエングリンの方向へ飛んで行く。回転しながら宙から地面へ落ち、滑りながら亡骸の足下に辿り着いて、静止した。
「……どういうつもりだ、アリス」
ルーシーの質問。アリスは静かに、バールのようなものを両手で握る。
「ローエングリンの、彼の剣を捨てただと……!?」
怒りの感情が込められた声。侮辱されたかのように、ルーシーの表情が歪む。
「彼の守護を、ローエングリンへの敬意を捨てるというのか、アリスッ!!」
「違うっ!!」
アリスは力強い声で示した。今までのような感情的な否定ではなく、確固とした意志による否定を。
「私は、ローエングリンじゃない。ローエングリンにはなれない」
夢の中で、彼女は思い出した。
「どんなに大事に思っても、どんなに想像しても、ローエングリンがどんなに悩んでいたのか、ホンシアが本当はどんな人だったのか、私には分からない」
届かない領域があるということ。理解出来ないものがあるということ。
「だけど、私は覚えている。ローエングリンと過ごした、楽しかった、今でも大切な、大切な時間を」
彼女は夢から覚めて気付いた。
「私は忘れない。ホンシアが優しかったことも、一緒に買い物に行ったことも。大事な、大事な思い出だから」
大切なものがあるということ。信じたいものがあるということ。
「だから、私は私らしく戦えば良いの。私はあの2人にはなれないけど、あの2人を覚えている私でなら、ずっと居られる。2人との時間は、私と一緒にある」
アリスが彼らと過ごした時間。それは、彼らを語るにはあまりに不十分なのかも知れない。
だが、アリスにはそれで充分だった。
彼女にとって大切なのは彼らと過ごした一瞬であり、彼女が信じたかったのはその一瞬に見えた彼らの優しさだったから。
アリスは理解出来ない本質を捨て、信じることの出来る表出を選んだ。
それだけが、2人と自分を繋ぐ思い出だから。
「……ふむ」
アリスの言葉を聞き終えたルーシーは、腑に落ちない様子で呟いた。
「それが、君の答えか」
「そうよ。貴方の言うような敬意なんて、私には必要無い。もっと大事なものが、私の中にあるもの」
「なるほど……だが、そうか……ふふっ、そういう考えもあるか……」
右手に覆われたルーシーの口から、笑い声が漏れ聞こえる。
「面白い、面白いぞ、アリス。私には無い考え方だ。それで果たして、力を発揮することが出来るかどうか」
「出来るわ。私は自分が感じた全てを、自分の力に変えてみせる」
自信を込めた反論。今のアリスには、口に出した言葉通りのことが出来るような気がしていた。
「そうか、ならば試してみよう。君の考えが正しいのであれば、君は私を倒せるかも知れない。強い意志を、強いイメージを形成できるのであれば、魔力もそれ相応の強さで発生されるのだから」
構えられるルーシーの手刀。バールのようなものを一層強く握るアリス。対峙する、両者。
「来るがいい」
踏み込む一歩、薙ぎ払う一閃。今までのどんな打撃よりも速いアリスの一撃は、それでもルーシーに避けられる。
間髪入れず、もう一撃。回避される。さらに一撃。届かない。
次の一撃を打ち込むための、筋力と加速度の方向変換。その一瞬の隙を狙い、ルーシーの右手がバールのようなものを掴もうと伸びる。だが掴もうとする寸前、何かに感付いたその手が反射的に引かれ、ルーシーに隙が生じる。
引っ込んだルーシーの手を追撃するように、力強いアリスの一撃が放たれる。ルーシーは突風のように急速な後退で一撃をかわし、アリスと距離を取った。
「驚いたな。まさか、そのバールを熱量増加で加熱していたとは。危うく火傷する所であった」
「貴女はさっき、私のバールのようなものを掴んだ。私は、ちゃんと覚えている」
アリスはそう言って、再びバールのようなものを構える。対するルーシーは相変わらず微笑みを浮かべたまま、ゆっくりとアリスの左方へ回り込もうとしていた。
「それとこれはバールじゃないわ。バールのようなもの、よ」
「そうか」
地面から僅かに浮いたまま、アリスを捉え続ける反時計回りの動き。その動きに合わせ、アリスも少しずつ左へと向きを変える。それと共に見えて来るのは、アリスが先ほど叩き落した自動車。
自動車を間に挟んだ所で、ルーシーの動きが止まる。今まで散々使われた車による攻撃。アリスはそれを警戒しつつ、自動車を攻撃に使われないようにする方法を思案する。
「それにしても、面白い」
車越しに、独り言のようなルーシーの声。
「いや、楽しいと言うべきか。そうだ、楽しいのだ。陰島とも神崎とも違う、完成されていない強さ。可能性の塊と形容して良いのか、ともかく一筋縄では行かない強さだ」
話し始めたルーシーから注意を逸らさずに、アリスは次の一手を考え続ける。そして、彼女は至極単純なことに気付いた。自動車を武器に出来るのは、相手だけでは無いと。
「楽しいぞ、アリス」
その言葉を合図にアリスは加速し、自動車に向けてバールのようなものを力一杯振り下ろした。
振動破砕と加速度発生を込めた打撃。車体は破裂したように震え、衝撃で飛び散った破片がルーシーへと襲い掛かる。
「ははっ」
笑い声と共に、ルーシーが高く舞い上がる。飛散する破片を避け、さらに加速度を増す。回避行動とは思えない飛翔。アリスは咄嗟に後を追って、飛び立つ。
上昇を続けるルーシー。大地から離れていく、その意図は、何か。
夜空の虚空へ向かう急激な空気抵抗の中、微かな疑問を抱えてアリスは追随する。地表から離れるに連れて、次第に近づくルーシーの背中。
ゆっくりと、ルーシーが振り返った。体の正面をアリスと地球へ向け、彼女はなおも昇り続ける。微笑んだまま、さらに高く、高く。
膨れ上がる疑問を、アリスは決意で握り潰した。いくら考えようとも、ルーシーの真意に辿り着くことなど出来ない。今必要なのは相手の一挙一動を見落とさない集中力と、それを保つための意志。両手で強く握った凶器を命中させるという、強い決意。
アリスはルーシーへの注意を途切れさせないまま、加速度発生を限界まで強める。
急速に近づいて行く両者。
間合いを計ったアリスの、一閃。ルーシーの急降下。
手応えは無かった。アリスに知覚できたのは、笑みを深めた残像が通り過ぎたことだけ。彼女はすぐに上から下へと転進し、落下するルーシーを重力と魔力の加速度で追う。
すれ違った瞬間の笑み。アリスはそこに、相手の意図を垣間見た気がした。
試してみよう――ルーシーが言った言葉を思い出し、アリスは奥歯を噛み締める。精神的な優位と力量的な優位の両方を保ったまま、ルーシーが自分を観察しているような感覚。敵の笑みが、アリスにそれを感じさせた。
ルーシーから漂う強者の傲慢。アリスはそれを叩き潰したいと思った。両者の優劣などもはや存在しないことを、バールのようなものの強打によって証明してやりたかった。
模型のような館を俯瞰しながらの降下。先を行くルーシーは落下方向に背中を向けて、まだ笑っている。
込み上げる感情、だがアリスの認識は揺るがない。想像する必要など既に無かった。
目指すべき行動は、単純な殴打。
たった1度でいい。それで全てが証明されるとアリスは信じていた。自分自身の価値も、死んでいった者たちとの思い出の価値も。そして、ルーシーの誤りも。
迫る地表、館の屋根。ルーシーはアリスに背を向け、その直後、屋根に大きな穴が開いた。振動破砕で開けたであろうその穴に、ルーシーは吸い込まれていく。アリスもそれを追って、高速で落下を続ける。
減速はぎりぎりまで行わない。決して、ルーシーを逃さないように。
穴が目の前に近づき、館の2階が見えた。さらに1階へと開く穴、その下に瓦礫の山。アリスは減速と同時に、その山を吹き飛ばすようにバールのようなものを振るう。
振るった凶器の先端が瓦礫ごと床を破壊し、アリスはその反動と減速の加速度によって斜め上方向へと弾き飛ばされる。落下の衝撃はバールのようなものが吸収したため、彼女は天井に頭をぶつけそうになりつつも無傷で着地に成功した。
破壊による粉塵が煙となって充満する室内。
声が、響く。
「素晴らしい」
不明瞭な視界の先で、人影が揺らめく。
「想像以上の魔力、いや、認識か。ほんの少しだが理解できたぞ、アリス」
強襲に備え、身構えるアリス。隙さえあれば、自身が強襲することも視野に入れて。
「今までの君とは、判断力が違う。私の行動に対する反応速度が確実に上がっているようだ。攻撃は単調になったが、そちらも速度は向上している。まるで、迷いが消えたように」
「自分の戦いやすいようにやれば良いって気付いただけだわ」
「それで私に勝てると?」
「勝つわ、絶対」
アリスを覆っていた想念。過去から現在にまで連なる、ルーシーとの優劣。だがもはや、彼女にとってそれは問題では無かった。
彼女の蓄積された記憶が、他者との日々が、それ以上の意志となってアリスを突き動かしていた。敗北の歴史などその一部に過ぎず、それを塗り替えようとする勝利への渇望が記憶から溢れ出している。
彼女が目にした光景が、耳にした言葉が、彼女の動機として息衝く。そして更なる記憶を得ようと、感覚が、筋肉が、精神が、力を帯びている。
記憶を基本としたアリスという存在が、そこに生きていた。
「その自信の根拠が何処にあるのか、私にはどうにも分からない」
煙は次第に散り散りになって行き、視界はお互いの姿を確認できる程度に正常化していた。
「自信があるわけじゃないわ。でも、勝つのよ」
客観的な認識では、勝利など程遠い。だが、それが正しいという証明も無い。だからこそ、アリス自身の意志は強かった。強くなければならなかった。勝利を実現する加速度を発生させるために。
「論理的でないが、確かに君らしい。勝利自体への決意が、戦いに対する集中力を高めているということか」
構えられるルーシーの手刀。
「陰島に似ているようで、少し違うのだろうな。何故だろうか、上手く言葉に表せない」
アリスにとっても、それは同じだった。自身の感情を言葉で表すことは出来そうに無く、ただ行動として示すことしか考えられなかった。
「まだ戦いが足りないのだろうな。君をより深く知り、敬意するためには」
敵の加速、寸分の差で対抗する打撃。アリスに向かってきたはずのルーシーは後退しており、アリスの一撃は空を切る。
再び、ルーシーの加速。すかさずバールのようなものを振り回すも、やはり回避され、先端が壁を叩き付けた。衝撃で館全体が震えるが、宙に浮くルーシーには何の意味も無い。震動の中、ルーシーの攻撃が容赦なく迫る。
「くっ!」
慌てて腕の筋力と加速度発生で薙ぎ払ったバールのようなもの。ルーシーに回避行動を取らせたものの、先端がまたしても壁を打った。
「狭い屋内では戦い辛いだろう。私も相手が君ではなくローエングリンであったなら、苦戦している所だ」
ローエングリンが相手だったら、周りの壁を破壊するくせに。
アリスは心の中で愚痴り、直後、その想像が答えへと繋がっていることに気付いた。
自然に思い浮かんだ発想。それは他の誰でもなく、自分自身を映した鏡。自分らしい戦い方への糸口。
思い付き、描いた光景から導き出される、答え。アリスはその答えを信じることにした。
ルーシーの接近。アリスはバールのようなものを強く振るって退かせ、勢い余った攻撃が壁や柱を叩きつける。
接近と打払い。その攻防は何度も繰り返され、家具や壁が次々に破壊される。そして、戦いのスペースも次第に広がって行った。
「ずいぶんと暴れたものだ。向こう見ずにも程があるな」
荒い息を吐くアリスを見て、ルーシーは呆れたように言った。
「重傷の私よりも体力の消耗が激しいようだ。こちらとしては好都合だが、どうするつもりだ、アリス」
余裕の表情を浮かべているルーシー。アリスは息を落ち着かせながら、耳を澄ませる。
微かな震動音と、軋む音。
「こうするのよ」
彼女はバールのようなものを床に叩き付ける。震動の増幅。音の広がりと共に館が歪んで行く。
「まさか……」
異変に気付いた様子のルーシーに、アリスが攻撃を仕掛ける。回避行動が間に合わなかったのか、ルーシーの右手が凶器を持つアリスの両手を掴んだ。
「まさかこれを狙っていたとはな、アリスッ!!」
館の崩れ落ちようとする音が、より大きく響き渡っていく。アリスの放った幾つもの打撃に込められていた僅かな振動破砕。その連続に疲労を起こした館の材質が、最後の一撃により一斉に崩壊を始めていた。
「私だけを視野に入れることで渡り合うつもりなのだと思っていたが、そこまで単純では無いということかっ!! 勝利に対する執着が、己の身を顧みない覚悟が、この大胆さを呼び覚ましたのかっ!?」
「違うわ」
両手を掴まれたまま、アリスは前に向けて加速度を発生させた。ルーシーを押し留める、不退転の意志表示。
「私は貴女の言葉に、ローエングリンと貴女の戦いを想像したの。それは私の心が勝手に描いた光景だけど、だからこそ私らしい答えがそこにあると思ったの」
耐久力の限界へ達した柱に亀裂が走り始め、穴の開いた天井が潰れ始める。
「私はただ、自分の心を信じただけ」
「まだだ、まだ足りないのだっ!!」
掴んでいた両手を押し退け、ルーシーが背を向けた。
破壊される壁。加速と追撃。届かない背中。
そして、崩落する。




