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第1章「魔力少女」


 地上200mにも人はいる。たとえ日付の変わる直前でも。

 少女はいた。ビルの屋上で、その端っこに座りながら。両脚を宙に浮かせて。

 少女からコンクリートの地面までは約200m。それなのに少女は怖がる様子も無く、見渡すように夜景の街と夜空を眺めていた。

 もしほんの少しでも体を前に倒したならば肉塊どころか肉片になって、いまだ駆除されていないカラスの餌になってしまうだろうに。

 でも、そんなことは少女にだって分かっていた。それに夜空を見上げるのにも飽きていた。

 だから、降りた。前に向かって。


 落下はしない。

 少女の体は屋上の1m下で停止していた。体を地面と平行にして、両足の裏はビルの壁面にぴったりとくっ付けて。

 重力に逆らって、少女は真下を見た。車のライト、建物の明かり、人の影。人間の街は色んな物が動いていて楽しいと、少女はいつもそう思っていた。その単純な理由だけで彼女は夜毎、自殺に酷似した行動を取っているのだ。

 少女は顔を上げ、見飽きた夜空を見る。そして、水泳選手のように両足で思いっきり壁面を蹴った。

 夜空に彼女が浮かんだ。

 体重×9.81ニュートンを僅かに越える力と、風でスカートがめくり上がらないようにするための力、それと髪が乱れないようにする力、その他にもいくつかの力。それらの力学で以って、少女は可憐に遊泳していた。

 

 少女の名前はアリス。苗字は無い。見た目は名前の通り。

 西暦は2045年だった。


『Respective Tribute』


 翌日の午後、少女は納得行かないと言った顔で本を読んでいた。

 東京都内のある喫茶店、アリスは窓際の席に座っている。ミルクと砂糖を苦味が無くなるまで入れたコーヒーをすすりながら、アリスは独りで『不思議の国のアリス』を読んでいた。

 彼女の背後でチリンチリンとベルが響き、客が1人増える。その客はアリスのいるテーブルの前まで来て、そしてアリスの向かい側に座った。

「おまたせ。早かったわね」

 その女性客は紺色の女性用スーツを着ていて、ワンピースの上にフリル・カーディガンを着たアリスとは対照的にも見える。いかにも仕事の出来そうな、20代後半くらいの女性であった。

「やることが無いからよ」

 アリスの声には不満そうな響きが混じっていた。

「遅れたわけじゃないんだから、怒らないでよ」

「奈々子に怒ってるんじゃないわ」

「それじゃあ何が気に入らないの? あっ、コーヒー1つ、ブラックで」

 奈々子と呼ばれたその女性はアリスに尋ねると共に、店員に注文を言った。

「この本の挿絵」

 そう言ってアリスは本の挿絵を奈々子に見せた。

「『不思議の国のアリス』? 別に普通の挿絵じゃない」

 その挿絵には主人公であるアリスがブタを抱えているシーンが描かれていた。

「かわいくない」

 「こちらの」アリスは口を尖らせて言った。

 それを聞いた奈々子が苦笑する。アリスはますます口を尖らせた。

「ごめん。でもこれが本物のアリスだから、怒ってもしょうがないわよ」

「これは絵に描いたものでしょ? 私はもっと可愛いわ。だから本物も、きっと可愛いはずよ」

「別に貴女と実在したアリスが同じなわけじゃないでしょ?」

「でも、可愛くないと納得できない。アリスは可愛い方が良いわ」

 アリスはそっぽを向いて、窓の外の雑踏に顔を向けた。奈々子はそんなアリスを見つめ、笑みを浮かべる。

 「お待たせしました」という声と共にテーブルのコーヒーが2つになった。

 奈々子がカップを持ち上げる音と同時に、アリスが口を開く。

「今日もいつもの場所?」

 奈々子は「そうよ」と答え、コーヒーをすすった。

「まだまだ取らないといけないデータもあるし」

「キリが無いわね」

「無いわよ。そういうものだから」

 奈々子が「そういうもの」と形容するものをアリスは当然のように使ってきた。故にアリスは「そういうもの」を調べるための被験者となっているのである。

「たまには別のこともしたいわ。もっと体を動かすような」

「そうね…………まぁ、考えとくわ」

 雑踏を見つめたまま、アリスはまた不機嫌な表情になった。


 店を出て、2人は奈々子の車に乗った。紺のスーツを着ている奈々子と比べると、その軽自動車のデザインは可愛らしく、不釣合いにも見える。しかしそれは、奈々子にとって車が自身を着飾るものでは無いためだった。

 例えば2人が一緒に買い物へ出かけると、奈々子はやたら少女趣味の服をアリスに着せようとする。その一方で自分はそのような服を絶対に着ず、しかし部屋に置くぬいぐるみなどは堂々と購入していた。自分の周りの物は可愛らしく、ただし自分自身は大人を演じる。それが奈々子のスタイルだった。

 静脈と息からアルコールの混じっていない奈々子を認識し、車のエンジンが掛かる。ゆっくりと発進する車の中、助手席のアリスはグローブボックスから目と両耳を覆うHMDを取り出して装着していた。

 周囲の光景を遮断する代わりに、内側のディスプレイに映像を映す。これから向かう施設の位置を把握させないために奈々子が用意したものであるが、到着するまでの1時間が退屈せずに済むためか、アリスも喜んで使用していた。

 アリスが特に好んでいたのは古い洋画であった。それを往復の道程で丁度1本、大抵は見終わる。しかし途中で寝てしまうこともあった。

 今日の1時間は後者の方だった。

 

 HMDを取り外した眼球に陽光が差し込み、アリスが眩しそうに目を細める。

「着いたわよ」

 奈々子がそう言うと、アリスは応えるように体を起こした。

 車を降りた2人は、駐車場から建物内部へと移動した。病院のような白い壁にシンプルな内装。3階建ての建物は逆T字型をしており、入口からは左右に廊下が伸びていた。右の廊下には白衣を着た者が2人いて、何かを話しながら奥の方へと歩いている。

 奈々子は入口の正面、受付の女性の方へ向かう。女性も奈々子に気づき、カウンターの下からストラップ付きのケースに入ったIDカードを2つ取り出した。

「ありがと」

 奈々子はそう言ってIDカードを受け取り、片方をアリスに渡した。アリスはそれを首から下げる。

「これが無いと入れないって、不便だわ」

「安全のためよ。これでも少しは防犯効果あるのよ」

「でも建物ごと壊されたら意味無いでしょ?」

 アリスの素朴な言葉に、奈々子はため息を吐いた。

「そんなことしたらすぐにバレるし、すぐに捕まるわ。危なすぎる」

「そういうものなのかしら」

 アリスはいまいち納得出来ないといった表情だった。いまだ「人間社会の」常識的な考えをしないアリスに、奈々子は時々呆れることがある。

「早く行くわよ。さっさと終わらせて、ご飯でも食べに行きましょ」

 奈々子は受付の右後ろにある扉の前に立ち、指の静脈とIDカードによる認証を済ませる。開いた扉の奥へと、奈々子とアリスは進んで行く。


 扉の奥には長い廊下があり、その左右にはいくつも扉があった。

「Cの23号室だから……」

 奈々子は扉の上にある部屋番号を確認しながら歩く。

「いつ来ても嫌な感じがする場所だわ」 

 アリスが不満を漏らす。

「それは同感ね。こういう殺風景な場所って、人の感情とか無視しそうで」

「それってどういう意味?」

「こっちの言うことを聞かないってこと。こういう場所を管理してる人にどんな文句を言っても、聞く耳を持たないでしょうね」

 アリスは少し驚いた顔をした。

「それは困るわ」

「そう、困るわね。でも大丈夫。どうにかして言うこと聞かせるから」

 奈々子は振り返り、「任せなさい」と言わんばかりに微笑んだ。

「なら安心、かしら?」

 アリスもつられるように笑みを浮かべた。

「っと、ここね」

 奈々子はそう言って、「C-23」というラベルが貼ってある扉の前で立ち止まった。

 奈々子がIDカードで扉を開け、2人はC-23室の中に入った。明るい室内はガラスの壁で2つに別れており、ガラスの向こう側はその横幅に比べるとかなりの奥行きがあった。ガラスのこちら側、つまり入口側には椅子がいくつかと2つのテーブルがあり、ガラスの向こう側を見やすいように配置してある。

 一方、ガラスの向こう側の部屋には椅子は1つしかなく、それはガラスの壁のすぐ前に置かれていた。その他にはボールや直方体の物体、中に液体が入った円柱形の容器などがいくつもあり、それらは部屋の床に書かれた目盛りに合わせて配置してあった。その目盛りは椅子を基準点として部屋の奥へと伸びており、部屋の突き当たり付近で「20m」となっている。

「それじゃあいつも通り、椅子に座って頂戴」

 小型のイヤホンマイクを手渡しながら奈々子が言う。アリスはそれを付け、ガラスの壁にあるドアを開ける。

 向こう側でドアを閉めたアリスは、すぐに訝しげな表情を浮かべた。

「なんか……気持ち悪いわ」

「気持ち悪い?」

 天井のスピーカーから聞こえた言葉を、奈々子は手元の用紙に記述した。

「エーテルの濃度が通常の大気と比べて20%くらいしかないから、そのせいかも知れないわね」

 「エーテル」と呼ばれる物質。それが大気中で多く検出され出したのと、人間の一部が「魔力」を使用できるようになったのはほぼ同時期であった。そのため、研究者の多くはそれが魔力を媒介するものであると結論している。

 そしてその物質は、アリスにとってさらに重要な意味を持っていた。

「我慢して」

「なるべく早く終わらせて欲しいわ」

 アリスが椅子に座り、目盛りが広がる正面を向いた。

「すぐ終わるわ。まずは加速度発生のチェックから。5m先の、白いボールを持ち上げられる?」

 正面、椅子から5mの距離であることを示す目盛りの弧の上に3つのボールがあった。赤、白、黒。その中の白いボールが、ゆっくりと宙へ浮かんだ。

「どう、重い?」

 奈々子の問いに、ガラス向こうのアリスは首を振った。

「全然。これは軽すぎだわ」

「そう。それじゃあ20m先の、黒いボールは?」

 椅子から20mの地点で、黒いボールが宙を浮いた。

「これはどう?」

「ちょっと重いかしら。でも平気だわ」

 アリスがそう言い終ると同時に、黒いボールが床に落ちた。ドスン、という音がして、微かに部屋全体が揺れた。

「気を付けて。50kgもあるんだから、慎重にやって」

「ごめんなさい。やっぱり、重かったかも知れないわ」

 奈々子はアリスの感想をメモしたが、この感想はさほど重要なものでは無い。重要なことは、触ること無く20m先にある50kgの金属球を浮かばした事実である。ここまでの加速度を発生出来る者は、魔力を行使する「魔導士」の中でもほんの一握りしかいない。

 アリスはその一握りに含まれている。そのことが重要だった。

 メモを取り終わった奈々子が顔を上げる。

「加速度の検査はこれでいいわ。次は熱量操作を検査するから、合図が鳴ったら5m先のボトルを暖めて」

「いつもと同じね。2回目の合図で暖めるのを止めれば良いんでしょ?」

「ええ。しっかりね」

 ガラスの向こうにいるアリスは軽く頷いた。その約2秒後、部屋全体に電子音が響いた。それから10秒後、2回目の電子音。5m先、液体が入った円柱形の容器に変化は見られない。しかし別室にいる研究者たちは、温度が確かに上昇していることを検知しているだろう。

「それじゃあ同じように、次は温度を下げて」

「ええ」

 程なく、3度目の合図。そして10秒後、4度目の合図。この10秒で、容器の温度は下がっているはずである。これと同じことを、10m先、15m先、20m先の容器に対しても行わせた。これで熱量操作の検査は終了である。

「お疲れ様。次は振動発生の検査だから、これも5m先からお願い。まずは破砕から」

 電子音が鳴ると同時に、5m先にあった直方体のブロックがひとりでに粉砕する。

「次、加工ね。隣のブロックを三角にして」

 再び電子音が鳴ると、今度は粉砕しているブロックの横にあった立方体が縦に3分割した。その内の1つは三角柱として床に立ち、残り2つはその左右にそれぞれ倒れた。その後、20m先のブロック2つに対しても同じことをそれぞれ行わせた。結果は同じだった。

 加速度発生、熱量増加、熱量減少、振動破砕、振動加工。魔力はその5種に大別される。つまり以上の検査で、魔力全てについて計測し終わったことになる。

「これで検査の方は終わりね」

「それじゃあ、もう部屋から出ても良いのよね?」

 アリスは早く部屋から出たそうに、そわそわと奈々子の方を見ていた。余程、部屋の空気が気に入らないらしい。

「まだよ」

 奈々子は首を振った。アリスが残念そうな表情をしている。

「椅子の下に容器があるでしょ?」

 アリスが椅子の下を覗き、そこにあった容器を手に取る。中に小さな球の入った、円柱形の容器である。

「その中の球を動かせる?」

 もちろん「魔力で動かせるか」という意味である。アリスが容器をじっと見つめ、黙る。球に意識を集中し、球が容器の中を上昇するイメージを頭に描いているのだろう。

 しかし、球は動かなかった。

「駄目だわ。どうなってるのかしら?」

「それは後で教えるわ。それじゃあお疲れ様。部屋から出て」

 アリスはその容器を持ったまま、奈々子のいる入口側へと戻った。

「それで、一体どうなってるの?」

 アリスは首をかしげている。手の中という超至近距離において、自分の魔力が働かない。その理由が分からなかったからだろう。

 奈々子がその理由を話そうとすると、容器の中の球が勢い良く上昇し、蓋の内側に激突した。

「えっ!?」

「あれっ?」

 奈々子は思わず大きな声で驚いてしまう。アリスが加速度を発生させたのだろうが、彼女自身も何が起こったのか良く分からない様子だ。

「奈々子、これってどういうことかしら?」

 奈々子はしばし驚いた表情のままだったが、気を取り直し、アリスの質問に答えた。

「その容器は魔力の影響を遮断する素材で出来てるのよ。まだ試験途中だけど」

「ふうん、そういうことなのね。なんか凄いわ」

 アリスは納得すると同時に感心したようだった。

「今までの検査だと完全に遮断してたのだけれど……アリスの魔力には敵わないってとこかな」

「あっち側で動かなかったのは、やっぱりエーテルの濃度の関係かしら?」

「その可能性が濃厚ね。エーテルと魔力の関連性はほぼ確実だから」

 魔力というものは人間の思考、イメージに対応して発生していた。それ故、理論による予想と精度の高い実験が難しく、魔導士による無数の試験結果で以って関係を立証する他無かった。エーテルと魔力の関連性は、それらの試験結果によって裏付けられている数少ない事実だった。

 そして今回のアリスの実験はエーテルが低濃度である時、遠距離への魔力発生にどれほどの影響が出るか。それを調べるのを主目的としていた。

「それで、気分は直った?」

 奈々子の問いかけにアリスは頷いた。

「ええ、かなり良くなったわ。これもエーテルの影響?」

「かもしれないわ。なんだか貴女って、エーテルに左右されてばかりね」

 奈々子は薄っすらと笑みを浮かべて言った。一方のアリスは、しかしそれとは正反対に表情を曇らせた。

「そういう生き物だから……仕方ないわ」

 寂しそうな声で彼女は言った。

「あっ、ごめん……」

 奈々子は自身の不注意な言葉を謝った。それを聞いたアリスは口元を緩め、いつもの調子で微笑む。

「気にしなくていいわ。もう検査は終わりなんだから、早く帰りましょ」

「ええ……そうね。そうしましょう」

 奈々子も笑顔で返し、2人は部屋を出た。


 午後7時。2人は都内のレストランにいた。既にパスタ、ピザ、サラダを食べ終え、テーブルには汚れた皿が散乱していた。

 アリスはさらにデザートを3品ほど頼み、その1つ目にスプーンを突き入れていた。

「にしても、良く食べるわね」

 ストロベリーソースのかかったジェラート1つ。奈々子のデザートはその1品だけで、そしてそれで十分だった。

「太るわよ」

「そうでもないわ。そういう体質なの」

 アリスは1つ目、チョコレートムースから目を離さずに答えた。奈々子はアリスが甘い物を多めに注文することは見越していたが、それでもため息を吐かずにはいられなかった。

 わざと安い店を選んだので、値段が原因では無かった。悩みの無さそうな彼女を見てると、奈々子は癖であるかのようにため息を吐いてしまうのであった。

「……」

 遠慮しなさい、と言ったところで意味は無いわね。この子が「遠慮」なんて言葉、知っているはずないもの。

 奈々子はまたため息を吐きそうになった。そんな自分に気づき、彼女はそれを抑える。一体、このため息はどんな心が出しているのか。呆れている自分か、羨んでいる自分か。

 デザート1つ分が奈々子の食道を通り終わっても、アリスの前にはまだ2つ目の品が半分ほど残っていた。2品目は奈々子と同じくジェラート。頬を緩ませながらそれを食べている彼女を可愛らしく思う反面、少し邪魔してみたくもなるのが、奈々子の性格だった。

 奈々子はバッグから手帳を取り出し、胸ポケットのボールペンを構えた。

「……ん」

 唇の端に赤いソースをつけた顔が、奈々子を見た。

「今日も少し聞かせてくれないかしら」

 手帳をめくりながら奈々子は言った。

「また? そんなに気になるものかしら」

「気になるわ。個人的にね」

 奈々子は時折、アリスから話を聞く。奈々子と出会う前のアリスの話。アリス自身は嫌がる素振りを見せながらもそれらを話し、奈々子は本当に個人的な興味でそれを書き留める。

「楽しいのよ。現実がここまでファンタジーだと」

「私は恥ずかしいわ」

 アリスは視線をジェラートに戻した。つまらなそうな顔をして。

「いいじゃない。既に世界は幻想に満ちている。恥ずかしがるほどの夢物語じゃ無いわ」

「まだ人間は常識に縛られている、でしょ。奈々子だって今、夢物語って言ったわ」

 奈々子はまたしてもため息を吐きそうになった。アリスは子供っぽい。天邪鬼だ。もっと素直になれば良いのに。

「大シンボル……だっけ。もうちょっと詳しく聞きたいの」

「……シンボル・オーバーロード。大象徴って呼び方もあるけど、何でもいいのよ」

 それでもアリスは語る。恥ずかしいと口にしつつも、自分の過去を話したくて仕方が無いのだろう。アリスは矛盾だらけ。その矛盾が見えているということは、結局の所彼女がとても単純だということ。

 まだまだ子供ね。大人気取りの奈々子は常々そう思っていた。

「で、それって結局どういうものなの」

「うんと……うまく説明できないけど、イメージから生まれたもの、って感じかしら」

「イメージって……誰の」

 眉間に皺を寄せ、アリスの顔は難しい表情を形作った。

「人間の、だと思うわ。人の色々なイメージを形にしたのが、私たちみたい」

 私たち――つまりアリスを含めた、大シンボルと呼ばれる存在。

「もっと具体的にならないかな。例えば、その、大シンボルのどんな所にイメージが現れてるのか、とか」

「う〜ん……性格や見た目、あとは肩書きかしら」

「肩書き?」

「月の女神とか、守護の王とか」

 奈々子は思わず、口の左端に笑みを浮かべてしまう。

 いいじゃない。とても幻想的だわ。

「他には?」

「ぬいぐるみの女神や…………自由の女王なんてのもいる」

 ぬいぐるみという言葉に、奈々子は口の右端にも笑みを浮かべる。歯が見え、完全に微笑んでいた。

「凄い。面白いわね」

 アリスは顔が少し赤い。

「恥ずかしい肩書きだわ。名前負けしてるもの」

「女神とか女王とかで、何か違いはあるの?」

「そんなの無いわ。ただの肩書きよ」

「その肩書きが、大シンボルの現すイメージなのね」

 アリスは頷く。

「そうよ。性格とかと併せると、もっとそれっぽいから」

「へぇ……」

 ぬいぐるみの女神は見た目もぬいぐるみなのだろうか。奈々子はその姿を想像しつつ、ある事が気になった。

「アリスは……何?」

 聞いて欲しくなかったのか、嫌な顔をするアリス。

「答えたくなかったら、いいけど」

「笑わないでよ……夢の女王よ」

「夢の女王……」

 人間が夢に抱くイメージ。それが目の前にいるこの、アリス。奈々子は少し感心した。

「なるほど、そんな気もするわね」

「どの辺が」

「なんだろう、好き勝手やってる辺り、かな」

 笑みを湛えて答えた奈々子に、アリスが反論する。

「生まれてから一度だって、本当に好き勝手出来た事なんて無いわ」

「まだ不十分だって言うのなら、本当にそれっぽいわね」

 奈々子の話を聞きながら、アリスはスプーンを入れたままの口を尖らせていた。あまりにも露骨な、不満の表情である。

「羨ましいわ」

 奈々子の本心だった。

 

「それで、その大シンボルは『構造体』の中で生まれたのよね」

「大シンボルが作られてるのは、その中で一番大きい物だけ」

 膨れっ面のままアリスが言った。

 『構造体』――数年前に深海から浮上し、数日で再び深海へと沈降した巨大な浮遊建造物。魔導士が、企業が、国家が、多くの者が関心を持つ、恐らくはエーテルの発生源。そして恐らくは、魔力の発生源。 

「それじゃあアリスも、そこで生まれたんだ」

「そうよ。大シンボルはみんなそう」

 奈々子は今までにアリスから聞いた話を思い出す。『構造体』が複数存在していることは聞いていた。そこで生まれた大シンボルと呼ばれる存在が、『構造体』を出て人間社会に紛れている事も。

 今聞いているのは、その続きだった。

「さっきさ、人のイメージから生まれたって言ったけど、そのイメージって何処から来てるのかな」

「何処からって?」

「本や何かを参考にしたのか、それとも」

 それとも、まさか直接――

「う〜ん……本とかじゃないと思うわ」

「それなら、一体どうやって」

「えっと……」

 アリスが口ごもる。隠し事をしているようにも見えるし、考え事をしているようにも見える。奈々子から見れば、どちらにしてもアリスらしくないことだった。

「何か凄い機械で、人間の心を読んでる、とかかしら」

 奈々子はアリスをじっと見詰めた。冗談なのか本気なのか、彼女には判断が付かなかった。見詰められたアリスは、曖昧な笑みを浮かべている。

「……そんな感じかもね」

 ため息を吐いて、奈々子は手帳を見直した。

 『構造体』で生まれた大シンボルは、何らかのイメージから作られている。まさに「象徴」なわけね。もし、そのイメージが人間の思考から直接得ているものだとしたら、そのために使用している物は……

 ある可能性を考え、奈々子は探し物を見つけたかのように笑みを浮かべた。

「なるほどね」

「何がかしら?」

 そんな奈々子を、アリスは訝しげに見た。

「何でもないわ。あと1つ聞きたいんだけど、大シンボルはどうして人間社会に?」

「色々だわ」

 アリスの持つスプーンが、溶け始めたジェラートを叩く。

「本当は、シンボルの役目は『構造体』を守ることなんだけど、みんな勝手にどっか行っちゃうの。別の『構造体』に行くのも多いけど、何処行ったか分からないのもたくさんいるわ」

「それはやっぱり、10年位前から」

「ええ、その通りだわ。それまで出れなかったから」

 10年前、魔力が出現した時期と一致。大気中のエーテルが増え始めた時期と一致。『構造体』が活動し始めたのは10年前と、そう考えて間違いは無い。

 アリスに対して行った生物学的な検査によると、アリスは人間と遺伝子に差異があり、骨格に至っては機械のようでもあったそうだ。人類の技術を越えた、人外の生物工学による代物。

 さらに、エーテルに対する2つの特徴があった。

 1つは体内のエーテル含有量の異常な値。人間の体内にもエーテルは含まれているが、アリスの量はその比では無かった。もう1つは、人間にとっての酸素同様、エーテルを生命活動に必要としている点である。エーテルの濃度が低い環境において、アリスの脈拍などに変化が見られた。今日の実験においてアリスは身体に不調を感じていたことからも、アリスにとってエーテルは必要不可欠な物質であるのだろう。

 それはきっと、他の大シンボルにとっても――

「エーテルが放出されたから外に出たのか、それとも外に出るためにエーテルを放出したのか」

 スプーンを舐めていたアリスが、その言葉に反応した。

「うんと、『構造体』はそんなに自由に動かせないの。だから10年位前にエーテルを出し始めたとき、みんな大喜びだったわ」

「それ、本当?」

「本当だわ」 

 大シンボルには『構造体』のコントロールが出来ない。奈々子はそのことを手帳に記し、下線を引いた。これが事実なら、重大な事実である。彼女はそう判断した。

 奈々子が手帳からアリスに目を移すと、アリスはしょぼくれた表情をしていた。

「……話をしすぎたわ。溶けてる」

 アリスが3つ目のデザートを見ながら言った。チョコレートジェラートが、皿に茶色い水溜りを作り始めていた。

「あ、ごめん。それじゃあ、今日はこの辺にしとくわ」

 奈々子は手帳とペンを仕舞った。一方のアリスは、デザートから目を離さない。

「うーん」

 アリスがいやにそのデザートを見詰めるので、奈々子もそれに目をやった。すると、デザートの表面に白い結晶が現れ始めた。氷の結晶である。

「ちょっと、止めてよ」

 奈々子は眉間に皺を寄せた。アリスが使用したのは、熱量減少。5つの魔力の中では最も難しく、利用できる局面も少ない。

「無許可の魔力使用は軽犯罪だって、前に言ったでしょ」

 奈々子は小声でささやくが、アリスの耳には入っていないようだった。

 再び凍ったジェラートに、アリスは笑顔でスプーンを突き入れた。






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