第五話 児童養護施設 精信学園
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「……で、タバコだ、タバコ。あれは? アレはさぁ……まずいんじゃないかぁ?」
お昼休み。
丈太郎が忍と妙を前に、再び真剣な表情で泡を飛ばし、質疑応答を繰り返していた。
ただ、ふたりからの情報提供はタダではない。プロにはプロへの見返りが必要だと、ゴルゴ13御大も語っている……忍は丈太郎をしばしば脅迫していた。
丈太郎は学食で、果肉入りスペシャルアテモヤパン、ブラックベリー&ダークチェリーミックスパイ、トリプル和風テリヤキ海鮮バーガーに、大阪風コテコテやきそばパン、その他12種類のパン類をお供えものとして購入・奉納していたのは言うまでもない。
カラダは小さいのに、よく喰うッ……。
しかし、ふたりのコスプレがいつしか平安絵巻モノ風に変化していたことを、華麗にスルーしていた自分に、少しだけ優越感を感じていた丈太郎だった。
「~ん~っとねぇ、マロも色々調べたでおじゃるが……あれは思うに、盗んだバイクで走り出す思春期ならではの……ある種、日本の風習みたいなもので……ごじゃるで♂ごじゃる♪」
「貴様、……埼玉県青少年喫煙飲酒防止条例にあやまれッ……!」
「煙草吸うのがイカンのやったら、あてぇが●●やってんのは、
オールOKィッ!?♂☆」
中指おっ立て、狂犬の如く威嚇する忍と妙。青少年育成には興味がないらしい。丈太郎には目もくれず、その12種類のパンを、如何に先に食べ尽くすかに没頭する忍と妙。少なくとも……丈太郎の質問の意図を、理解しようとする意欲はゼロだった。
丈太郎が知りたいのは「なぜ東菊花がタバコなのか」その謎であり、女神のような優しさと喫煙女子中学生は、丈太郎の中では決してシンクロしない相反するイメージだった。
「……そりゃ白衣の天使だろーがジャンヌ・ダルクだろーが、女神様、菩薩様だろーが……ヘビースモーカーは世に捨てるほどおりますゆえに……♪♂」
申し訳程度に答える忍。
「オルレアンに公共施設受動喫煙防止条例があったとは…………
初耳だな」
「……かわいい顔して裏側ゲバゲバ&ぐっちょり……なんてのは、世の常でおじゃる♂♪」
―――――お前もな、……と妙にツッコミを入れるのは、やめた。
こりゃ限界があるな、と亞蘭丈太郎は思った。
外側からどんなに情報を集めても、その人間を完全に知り尽くすことは到底不可能。かといって直接交渉は……彼にとって、直接女性に話しかけることがこんなにも緊張した経験は、今までなかった。
大財閥・亞蘭家のパーティーには、芸能界や政界のお歴々まで多数集まる。有名アイドルや大女優、スーパーモデル……その程度の女性には、逆に上から目線で会話していた、国内屈指のスーパー超々セレブ・亞蘭丈太郎である。
しかし東菊花だけは根本的に何かが違う。生理的・本能的に気持ちが萎縮してしまうのだ。
一見ぶっきらぼうに見える彼女。しかし他の生徒と話さないわけではない。
校内の端っこに居るような、気弱なオタク的生徒にはめっぽう優しく、自分から明るく話しかけ、長話にも進んで興じる東菊花。そのときの人懐っこい笑顔は、子供のように天真爛漫で無邪気。彼らがオタクグッズを持ち寄ってくると全て受け入れ、廊下の真ん中でスペースコロニーの直径や島3号の有意性ついて話し込んでしまうこともある。もちろん自分には全く理解し得ない、キワモノ同人誌の話題でも、だ。
では丈太郎本人はどうか。
教室の隅っこで、イジイジしているようなタイプではない。
いっそのこと、オタク生徒の如く演技して、彼女の胸に飛び込んでみようか、などと想像してみたこともある。そのほうが彼女に近づけるかもしれないが……。
どちらにせよ、絶対に嫌われたくない。
東菊花は理想の女神様。
もしかしたら、この世界を救うに違いない……とてつもなく激しい思い込みと、様々な葛藤が脳裏に渦巻き、丈太郎はひたすら悩み続けていた。生まれてこのかた、こんなに悩んだことがあったか? 自己分析して、自らを笑った。
実は今日も、手作り弁当を東菊花に手渡そうと思っていた。
せめて、何か会話のきっかけになれば……と。
今日は駄目だったが、今度こそ……。
ただ、この手作り弁当アタックの一件が、余計な面倒を後々引き起こすことになろうとは………忍と妙を、完全拘束しておくべきだったと、今となっては悔やまれる限りである。
「ただいま……」
東菊花の自宅は、一見普通の一軒家に見える。
壁は剥がれ、屋根もボロボロだが、とりあえず住居としては成立している。住人は複数。多くの人間が共に暮らし、生活していた。
児童養護施設・第二精信学園。
この施設は文字通り両親の居ない、あるいは共に生活することが出来ない子供たちが生活する場である。
入所する・入所せざるを得ない、その理由は様々だ。
児童養護施設の規模の大小は様々だが、この施設の場合、中央施設は大舎制。東菊花が住むのは、分校扱いの一軒家を借りた「グループホーム型」の施設である。「第二」とあるのはそのためだ。
建前上、6人前後が法律上の定員であるはずだが、資金不足のこの施設では、児童11人が押し込まれるように暮らす。
「おねぃちゃんっ!」
「おかえりィ!」
6歳になった妹・小春と、同じく9歳の千春。
これ以上無いほど明るく、楽しそうな表情。
ずっと待っていたんだよ、と言わんばかりに小春は身体を上下させ、楽しげにおどける。
東菊花もこれ以上無く嬉しそうな表情で、ふたりを膝をついて迎え、その胸に抱き寄せた。
小春と千春。
姉妹は、東菊花が己の生命を賭して生涯守り抜くと誓った、この世で最も大切な存在だった。
「……あら、おかえりなさい……菊花さん」
優しく、落ち着いた声。
60過ぎになる、ベテラン保育士・伊庭美智子である。
「ただいま……シスター」
疲れきったという表情で、制服のスカーフを取る菊花。
シスター、と言っても聖職者ではない。正式に洗礼を受けたわけでもない。
施設の建物がキリスト教会のようになっているわけではないが、国内の多くの児童養護施設は各宗教団体の寄付・支援を受ける場合があり、結果的に施設内に十字架やマリア像が置かれ、そして聖書が配布されたりする。
施設の子供たちがキリスト教を信仰してくれるかどうかは、問題ではない。すべては、施設が運営して行くために、宗教団体及び入信者から援助を得るためである。国からの補助だけでは、到底施設運営はままならない。
伊庭美智子はずっと保育士として働いてきたが、寄付をお願いする意味でも、修道服は何かと役立つので大抵は着用し、いつしか 「伊庭さん、伊庭先生」から「シスター」が通り名となっていた。東菊花の胸に輝くクロスは、このシスターから頂いたものだった。
菊花はキリスト教は全く判らなかったが、その温かい施設の対応に、心から感謝していた。
「おねえちゃん、あのね、宿題あるの……」
千春が嫌いな算数の教科書とノートをもって、菊花の前に差し出した。
「あたしはしゅくだいないけどっ、おねぃちゃんとあそびたいっ!」
6歳の小春はここぞとばかりに菊花に飛びかかる。続くように千春も菊花の胸に飛び込む。
そのあたたかく、やわらかな胸元は、母性に満ち溢れていた。
きゃあきゃあと、一日で一番楽しいひととき……三姉妹に訪れた、幸せの瞬間だった。
菊花はまだ13歳。しかし姉妹にとって、彼女は母親そのものだった。ふたりに頬擦りし、そのあたたかいぬくもりを感じながら、目を閉じてうつむく菊花。
瞼の裏に陰る、過去の記憶。そして………
《―――――このままで良いわけがない………
わたしはこの汚らわしい現世を、絶対に許さない………
絶対に…………絶対に、――――――負けるもんか……………》
東菊花に肉親はいる……………はずである。
母親は菊花が2歳のとき、北海道の児童養護施設に彼女ひとりを置き去りにし、そのまま何処へと、その姿を消した。
菊花はその北海道の施設で2年ほど過ごしたが、担当保育士から冷遇され、同居している児童からも酷いいじめに遭い、今も体に傷が残っている。
毎日のように肉体的暴力を受け、日々繰り返し味わった、精神的苦痛などは言うまでもない。
その後、一旦は親戚の家に引き取られた菊花。
しかしそれまでの苦しみとストレス・恐怖の蓄積から顔面神経障害を患い、そのベル麻痺は長期間続いた。
後遺症にも悩まされ、一時は笑うことすら出来なくなっていた。
その後、親戚筋を数軒たらい回しにされ、さらに吃音症、極端なフラッシュバック症状と、様々な悪夢が菊花を襲った。
少女は、心身ともにボロボロになった。
たったひとりで、
現在の第二精信学園に引き取られたのは…………
菊花6歳の冬のこと―――――。