第四十二話 少年とメチルフェニデート
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「……じょ、丈太郎さまぁぁ!
……お、お早く、お、お越しくださいませぇ!
じ、爺サマが、大変でございますよッッ!
車を回しましたので、えぇッ……それでお越しになって―――」
俺は、あの新宿の事件の後……シスターが、施設から居なくなったことに全く気づいていなかった。
そのあと総理大臣のオッチャンから電話があってさ、公安がどうたらこうたら、同時に警視庁のお偉いさんたちがズカズカと精信学園にやってきて、俺をVIP専用車両に乗せ、爺が収容されている文京区のデカイ病院まで連れて行ったんだ。
爺の容態について聞いた時は驚いたけれど……まぁ、簡単に死ぬような人じゃないしね。
……それより、爺や菊花たちが新宿でヤクザと喧嘩したとかって……その事件の方が驚いたよ。詳細は後になってやっと判ったけれど、一番心配したのは菊花が行方不明だったこと。
あの新宿の事件の夜、結局あの娘は―――――
精信学園に帰って……こなかったんだ。
夜遅く帰ってきたシスターは何も話してくれなかったし、俺もどうしていいか判らなくってさ。亞蘭家の本隊が菊花の捜索に出ていたから、お前は新宿に来るな、って総監のジジィにもキツク言われちゃってたしね。そう、俺はずっとSPに囲まれて動くに動けなかったんだ。爺もミイラみたいに包帯でぐるぐる巻きになりながら、俺にずっと……説教してたなァ。
……で、菊花が精信学園に帰って来たのは、3日後の夕方だった。
サイレン・赤色灯を作動させない……
とても静かな救急車に乗って、
あの娘は精信学園に…………ひとり、帰ってきたんだ。
「―――――――――………あ……………っ、
…………丈太郎ぉ――――――……みんな、元気だった……?」
彼女は、元気では……なかったね。
そのときの菊花は、ボロボロの制服と、汚れた顔、手足、ぼさぼさの髪の毛……どこをどう見ても、美少女・東菊花ではなかった。
でも、何かが変わっていた。
どこがどう変わったのかは……判らない。
声も一緒だし、青い瞳も、ぶっきらぼうな物言いも、別段変化した様子はなかったんだけれど……。
「――――……だ、大丈夫だったのかい?
……俺、ずっと心配してたんだよ……?」
俺は思わず彼女に声をかけたんだけど、でも、その時の寂しげな東菊花の横顔は…………なんだか外国の人のように見えた。
一瞬だけどね。顔つきが別の人みたいだった。
後で聞いたら、彼女は新宿で怪我した人を助けたり、亡くなった人を運んだり、親とはぐれた子供と手をつないで一緒に両親を探したりとか……ずっと数日の間、ほとんど寝ないでそんな事をしてた……らしい。
その内、疲れ果てて倒れていたところを、ウチの兵隊さんが見つけた……ということだったみたい。
そのあと…………、
菊花は千春と小春を――――ずいぶん長い間、
抱っこしてたっけ………。
それこそ、時間を忘れたみたいに…………
この新宿の事件は、連日ニュースでも取り上げていて、さながら日本の終わりみたいな雰囲気で伝えられていた。
次は国会議事堂だ、成田空港爆破だ、いや次は関西に飛び火して……と、まぁ、世界が破滅するかのような、核戦争でも始まるような煽り方だったよ。
……でも、新宿テロ以降、日本は平和だった。
日常の小さな事件はあったかもしれないけど、日本は何も変わらなかった―――――ただ、ひとつの出来事を除いて……。
……あ、でもそれは俺の中だけの話で、ね。
俺だけが、そう思っただけかもしれない。
でも、俺にとって……人生で最も大きな、
とてつもなく大きな……――――あの、
あの事件が……起こったんだ。
その日は……菊花が精信学園に戻ってから、数日後だったと思う。
――――――――――――ッ、ガッ、
ッ、ガッ――――――ガシャアアァァァァァッンッッ!!
「……うッせぇなァ! ッるせぇ! ……ッ……ギッ、
……グッ、……グギィィッ……ぎぃぃぃ、ギャ、……
ギャァ、……しねよッ、――――て、めぇしねよッ!
しねよ、っねよッ、しねしねしねしねしねッ!!」
―――ガシャ……ガッ……ガツッ――ドガッ!
……ガシャ――――ッ、ガッシャアァァァァァッッ!!
「いやだぁッ! っや、……っ、やだっ!
……ぎゃ、ぐぎぃ、ぎゃッ、ギャあああぁぁぁッ!!」
7歳の辻本陽人は、ここ数日間……
とにかく荒れに荒れまくっていた。
他の幼児・児童を殴り飛ばす、階段から蹴り飛ばす、机の上にあるものをすべて床に叩き落としたり、ホウキで窓ガラスを割ったり……。
隣県の精神科病院に入院・保護されている陽人の母親が、手術の経過が思わしくなくてね。
心臓の……冠動脈バイパス移植手術。
陽人の母親は元々心臓が悪かったんだけど、同業者からリンチにあって亡くなった夫の死の辺りから、さらにその病状は酷くなったらしいんだ。
それでも何とか精信学園に来ようと、我が子に、陽人に何とか会いたいって……ずっとその母親は体調を整えてきたんだけれど、やっぱり厳しい状況でね。
結局陽人の母親は施設に来れなくなったんだ。
ただ、母親の来園を心から楽しみにしていた陽人にとって、それはとても悲しいことだった。施設の人々も、悲しみにくれる陽人への対応は、一生懸命やっていたと思う。
俺だって鬼ごっことか、ぬりえとか、トランプとか、ナワトビとか、ドッヂボールとか……陽人の好きな遊びに色々誘ったり、なだめたり、色々頑張ったんだけどね……。
「……ゃ、やだやだやだッ! や、やだッ! やだッ!
……ギャアアァ! いやーだッ、もうヤダ、キシィィィィッ!!」
叫び声をあげて、大暴れ……。
陽人は、ずっと感情のコントロールが効かなかった。
メチルフェニデート製剤なしには、辻本陽人の生活は成り立たない。
その日は、朝からリタリン、コンサータあたりの処方がイマイチで、お昼過ぎに再投与していたと思う。
ちょっと、陽人のよだれを垂らす量が多くてね……こりゃ薬が切れたら、夕飯辺りの時間帯には、陽人自身が危ないんじゃないか、って保育士さん達もみんな言っていた。
陽人は昔、「川崎熱病」を患ったこともあり、生まれつき心臓と呼吸器系が弱く、喘息発作と併せると危険な状態にもなりかねない。
東菊花と接しているときは、この男の子も精神的に安定することが多いんだけど……この日は、菊花はまだ精信学園に帰って来ていなかったんだ。
さらに運の悪い事に、その日の夕方……施設の高校生が部活中に、大腿骨骨折という大きな事故に遭い、保育士さんや事務長・何人かの大人が高校と病院に行かなきゃならなくなった。
もちろん、陽人の危険性はみんな判っていたんだけど、その部活中の事故の衝撃が余りに大きくて、施設内はちょっとだけ混乱していたんだと思う。
「丈太郎さん、悪いけどあたしも病院に行くから……」
と、シスターまで施設を離れた。
そしてこの俺までも、陽人との遊び相手をいったん止めて、施設の夕飯の用意のために調理室に行かなきゃならなかった。
今日は大舎番だから、その調理の仕事量はハンパなかったしね。
結局陽人は、傷病代替の臨採の保育士さんとマンツーマンで、事務棟の奥の部屋で宿題をすることになった。
俺も、保育士さんがマンツーマンで陽人をしっかりガードしていれば問題ないと思ったし、施設の他の子供たちは事務棟にはめったに来ない。
……だから、俺も……安心し切っていたんだ。
大丈夫だと、思ったんだ。
――――――――………でも、
施設にたまたま面会に訪れた、
ある母親の姿を見た、辻本陽人の感情は――――
一気に…………爆発した。




