第四十話 雷濠、寂滅
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その時…………
東菊花の視界の先に見知らぬ映像が浮かび上がり、目眩が襲った。
―――河原沿いで遊ぶ姉妹。
……荒々しい稽古を繰り広げ、道場で打ち合う剣士たち。
―――子供達に囲まれる、ひとりの老剣士の姿。
……投網を持ち、河原で佇む…………。
…………菊花殿。あなたには貴女の、現世での生き様がある。
すべての人間を救おうなどと……考えなくとも良いのだ。
男谷の血なぞ、そう……たいそうなものではない。
傍らの子供が微笑んでくれる…………それで、
それだけで、よいのだ…………。
現世で、精一杯生きよ。
懸命に生きて、わたしに貴女の笑顔を……
見せて、おくれ―――――――――――
ッ―――ッ……キャシィィィッ―――――ッ……
―――――――シャアアアァァァァンッッ!
物打同士が激しい火花と共に、甲高い金属反響音を響き渡らせる。
一筋の光芒と煌く幾多の純白の輝きが、ニ尺八寸の鉄に啜られるかのように宙に舞いあがる。頑強な玉鋼とは言え、刃金と刃金がぶつかり合えば、簡単に刃こぼれもするが――――――
しかし、少女の刀身一体となった柔軟無比なその斬撃防備は、
備前長船兼光を赤子をいたわるかのように、
優しく語りかけるかのように……
その金属音を華麗なアリアへと、美しく……奏でてゆく。
「…………流石々々、
天下に御名轟く剣聖・男谷信友の血を引く……
とはこういうことかッ!
―――――しかし己が魂の震え、
刀剣はやはり……初めてと見受けるが……」
指南役のような物言いで、岡田雷濠が剛刀を振るい、
立て続けに東菊花に、連続の打ち込みをかける。
―――――ッガキィッ!――――ッキャィィンッ――……
脇構えから摺り上げ、左右袈裟、そして刀身を返し、
……シャアアァァッッ!――シャイイィィィィィンッッ!!!
逆胴払いから顔面横への諸手突き……
続けて大上段からの豪快無比な一撃………しかし、雷濠の強烈な斬撃の数々を……切っ先から物打にかけて、絹糸を氷上に滑らせるかのように、見事に受け止める菊花。
少女の全身の血液が激しく波打ち、
その鼓動は、加速度的に高鳴ってゆく。
《…………か、かたなって……もろくて……弱いッ!
やさしく…………優しく………大切にしてあげる………だって、
―――――――……聞こえるもの。
この子から……―――――――聞こえるもの――――!》
――――――ッ――――ッキャシィィィッ!
―――――――ッ……シィィィッ――――――――――――――
――――――――――シャアァァァァァァァァァンッッ!
たとい歴代の屈強な剣豪達であっても、刃先に刃こぼれひとつなく、あれだけの激しい打ち込みを受け止め、受け流すことは至難である。
それは正に、剣聖級の離れ技であった。
―――――っ……ほっほっほっ……見事々々。
菊花殿、流石ですな………………
東菊花にとって、生まれて初めての真剣。彼女はそれを戎具としてではなく、手足の延長として、ひとつの生命として受け止めていた。
刃肉の奥に刻まれた、刀鍛冶の情念、思惟の森、そして……かつてこの剛剣を所有し、友としていた、幕末最強の剣客の魂――――
「――――――…………………護る、ということ………
―――――……慈悲の心、か………」
岡田雷濠は息切れする菊花を前に、その刀・肥前國忠広をゆらりと下ろし、
「――――東菊花よ……我がふるさとに還る前に……
良いものを魅せてもらった……
我が肥前國忠広も、さぞ喜んでいることだろう。
御主が現世で為すべき事は、俺にはよく判らんが……
しかしその手練こそ、神の手腕。
……くわえて、光の守護の証、…………と、いうこと……」
言い放つと、岡田雷濠の身体は四肢の梢から半透明に、そして徐々に透明になっていく。
「………もちろん、東菊花。御主との約束は、守ろう……………」
業火はその勢いを弱め、新宿の紅い々々夜空が、雷濠の白銀のシルエットと重なった。その巨躯は伸び上がるように天空に広がり、母なる大地を目指す。
25000フィートの高空にその霊魂が飛翔……
幾重の微細な煌きと共に、その暗黒の影が純白の翼となり、彼の頬をさらりと撫でた。
西を目指し、そして―――――――――
「……かつて京洛の凶狼とまで呼ばれた愚者であれ……
多少なりと、武士の誇りは……
留め置いていた、か……」
番の狐は、その翼を―――――
五月雨星の輝く夜空に漂いながら、無表情に見つめていた。




