第三十九話 現世の剣聖
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――――――――――僅か、数センチ前後…………
―――――ッ、シッシュ、ズザッ―――……ズッザザァァッッ!
ッ……シュシュ、………シュ――――――――――――ザァッ!!
――――――っく、……く、くううっ!!
―――――こ、っこ……この娘ッ!!?
狭範囲の高速スウェーで、
雷濠のショートレンジの掌打を……次々とかわしていく東菊花。
―――――ッ、ゴォォォシュ、……ゴォッ―――ゴォシュッッ!
……シュ、―――――――――――――――ザァッ!!
……―――――見えるッ!
東菊花にかわされたと同時に――――間髪入れず、左右同時、あるいは上下方向、斜角度からの手刀を、連続して繰り出す岡田雷濠。
数ミリ差で手刀の打ちこみをかわされれば、さらにコンマ数ミリ以下でその軌道を修正、
……ゴアッ! ――……ゴッ! ――ッゴアァァッ!
……ゴッゴッゴッッ! ―――ッ―――――……ゴシュュッッ!
さらに連続の掌打を繰り出し、手刀のトップスピードも、より高速域へとシフトしていく雷濠。血走ったその獣のような瞳は、眼前の標的を完全に捉えていた。
実際に岡田雷濠の攻撃は「少女」の位置情報を捉えていたのである。縦方向、左右……三次元ベクトル上では……東菊花の身体は、既にズダズダに引き裂かれていた―――はず、だった。
しかし、
――――――――――っ、こ…………
……こぉ、この、ッ、………………このおおおおおッッ!!!
触れられない。
この少女は見事なまでに、自分の攻撃をかわしていく。
するりするりとその身体が素早く動いていた……いや、その移動スピード自体は、自分の両眼に捉える事が出来ていても……自分がスピードを上げれば上げるほど……その細く、繊細にしか見えない華奢な少女のシルエットが、次々と消え、現われ、そして消え……。「いる」はずのそのポイントから、数百分の一以下の、いや、もっと僅かな瞬間に………………
その身体移動を超高速に……し終えている―――――――――!
「――――俺よりこの娘は……数段以上、速いのか――――ッ!?」
(……そんなことが……在り得るのかッ!?)
雷濠の表情には、その余裕からか「焦燥感」と呼ばれるようなものは、それまで一切見られなかった。
しかし次々と自らの攻撃をかわし、しかも更に手数を増やし、さらにその速度域を高めているにもかかわらず―――――――この少女には、自らの手刀をかすらせることすら出来ない…………人間相手に……――――俺は、恐怖を感じているッ!?
「…………い、いや……さっき、あの表情を見せてから……
こ、この娘は……!?」
男谷涼からその視線を外したときに見せた……あの、
決意の……表情。
あの瞬間から……この少女は、劇的な成長を見せ始めて、いる?
岡田雷濠は、その東菊花の変化に僅かに気づいてはいたが、自らの領域をここまで脅かす少女の急激な成長に、戸惑いを隠せずにいた。
―――――ッ、――――――――――――――――シュ…………
……シュ、ザッザッザッザッザッ……ザァッ!!
「はっきり……見える! こいつの、体の動き、手の動き……」
……ゴアァァッ! ――……ゴッシュ! ――ッゴアァァッ!
……ゴァッゴッゴッッ! ―――ッ―――――……ゴシュュッッ!
「……っ、ちィィッ! お、追うことさえ……――――――
こ、この娘を……手刀の位置に捉えることさえッッ!!」
徐々に、東菊花の足さばき、その身体スピードは、岡田雷濠の視界から消え去る瞬間を……もたらすようになっていた。
加速度的に進化する、この少女……。
「……男谷道場には神が住まうと……ほざく江戸者が多数いたが……
――――あ、あれは……真実……だったのか!?
こ、これが………男谷下総守の――神の領域か――――!?」
……シャッ、シャ、シャッ、シャ、シャッ、シャ、シャッ、
―――ッ―――――……シュゴァァァァッ―――――ッ!!!!
つま先からの僅かな接地を高速で繰り返すからか、東菊花の足元からは、コンクリート床を削り取るような金属的な音が、ひっきりなしに響き渡る。
続けて菊花は右回りに身体を移動、更にフワッ…………っと空中浮揚―――雷濠の右側頭部に、右廻し蹴りを―――――――ッ……
……ッズ、――――――――――――ズゴッシャァァッッ!
思い切り振り抜く。
しかし、頑強な雷濠の肉体、膂力は微動だにせず、
――――まだァッ!! 次いくッ!!
雷濠の重心・軸足を確認し、さらに二手三手と繋げようとする菊花。屋上壁を三角蹴り、さらに追いかけて―――――――――
グシャアアァァァッッ! 雷濠の顎下に右膝蹴りを入れ、同時に左廻し蹴りを雷濠の右肩に入れて上昇、
――――――――――――――――――これで、どうだッッ!!
菊花は渾身のチカラを込め、………ッ…………ッ、
――――――ッ―――――――ドシャアアアァァァァッッッ!!
ゆらりと傾いだその巨体の頭頂部に、渾身の両掌底を思い切り叩きつけた。
……しかし。
(………………―――――?
こいつ、身体が……感触が、ぜんぜん…………ない?)
側回転から着地、ふらつく岡田雷濠を見上げる菊花。
(―――……そ、そんな…………っ、そうなんだ……そうか……
わ、わかんなかったよ……ずっと……あたし……)
うつむく大男から視線を外し、複雑な表情。
「……………………可哀想に。
……こいつ……
こいつの魂は――――――悲鳴を、上げている……」
海瑠璃色の哀しい瞳。
立ち上がってくる雷濠を、少女は慈愛に満ちた表情で見据えた。
「……あんた、本当に…………現世に生きてはいないんだね?
あたしは、お化けに知り合いはいないけど……
でも、あたしには見える……友に裏切られ、
たくさん苦しみ抜いたあんたの姿が…………
人を憎んだり、恨んだり、殺したいって思ったり……
あたしだってそうさ、いつも悪い心を持ってる……
人間なんて、みんなそうだ。
でも、あんたがお化けでも、
たくさんの人を殺したその罪は……つぐなうべきだ。
――――――――――そうだろう?」
隣のビルのネオン看板の光彩が、やや斜めに傾いだ男のシルエットを照らし出す。岡田雷濠はその長髪をひるがえし、視線をゆっくりと菊花の方に向け、
「―――――フッ、フッフッフッ…………
面白いなァ、お前……………………ふうん……そうか。
この娘が……?
あの狐面が惚れこむのも判ったよ。
それに、ここまで俺を見切らせない奴は初めてだ。
お前があの有名な男谷下総守道場の……その血を継ぐ娘か。
……フッ、………納得したよ」
岡田雷濠のダメージはほぼ皆無のようだった。
しかし不思議なことに、さっきまでの殺気や威圧感はことごとく消え去り、別人のような顔つきで、菊花の瞳を見つめ返した。
(…………ま、年貢の納め時ってのは――――…………)
岡田雷濠はおもむろに両眼を閉ざし、先程までの野獣のような表情は一変。達観の域に及んだ賢者のように、
…………シュオオォォォッッ………………
その全身が、青白く輝き始めた。
(――――――――――――――――狐ェ……)
(あの約束……守ってくれるんだろうなァ?)
その時、
男谷涼の傍らに置いてあった先祖伝来の剛刀・備前長船兼光が、フッ………と、宙を舞い、美しい輝きと共に、それが平常であるかのように……菊花の右手に収まった。
「――――………っ、え? この……刀は……どうして?」
柄と鍔に施された美しい菊の花々の装飾が、うっすらと少女の遠い記憶の断片を呼び覚ます。
――――っ――――あ…………嗚呼っ、
…………っ、せ……――せ、―――っい………
岡田雷濠の長髪が白雪色に輝き始め、
その獣の瞳は……いつしか静寂の体を為していた。
「東菊花――――――俺の魂は、汚れきっている……。
俺は数多くの人間を殺め、数え切れないほどの罪業を犯した。
この魂の……終の行先が無間地獄だとしても、
俺はもう……振り返る事はない。ただ、その前に――――――
桂浜の……あの、土佐の海が見たいのだ…………」
拳と手刀のみで戦っていた岡田雷濠の右手に……ゆっくりと、不思議な黄金色の輝きと共に立体化していく、一振りの轟剣。
あの坂本龍馬から岡田以蔵が譲り受けたと言われる、肥前國忠広と呼ばれる銘刀が現われた。
「……武士の誇りなど、俺は時の彼方に忘れちまったが…………
土佐勤王党の体の良い殺人要員として使われ、
打ち棄てられ、毒まで盛られてよ…………
俺を救ってくれた、……っ……りょ、龍馬ぁ―――――っ……。
―――龍馬ァ………ァッ………
――――俺は、
龍馬から受け取ったこの忠広で多くの生命を……、
奪って、しまった……」
遥か彼方の時空魔鏡に、自らの後悔の念を映し出しながら……
その真剣に眺入る岡田雷濠。
…………我が命、我が武士の魂よ…………
すらりとその肥前國忠広を鞘から抜き去り、男は青眼に構える。
「さぁ、東菊花……その刀を抜き、俺に打ち込んで来い…………
お前には、武士の生き様など分からぬだろうが……」
岡田雷濠は、女狐との約束を果たすべく、
眼前の少女に……肥前國忠広の剣尖を向けた。




