第三十七話 東菊花、覚醒
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爆発火災による煙焔、崩れ落ちたビルの瓦礫の埃が、新宿一帯を包囲していた。
その白灰色の霞の向こうには、2メートルを超える大男がその長髪をなびかせ、壁を背にして立ち尽くす今井信次郎を見下ろしていた。
男の両手刀の指先からは鮮血が滴り落ち、その巨体の足元には、その影と一体になるかのように、真っ赤な円舞踏が描かれている。
その横には鮮血をまとい、息づかいも荒く、半死半生で横たわる……着物姿の女性があった。
「――――今井さん! 大丈夫!? 今井さん!
…………今井さん!!」
叫ぶ菊花。
「……ッ! ……あぁっ! ……爺ちゃんッ!!」
信次郎の惨状に、唖然とする京也。菊花も信次郎を心配し、近づこうと駆け出したその時………………。
少女は、驚愕の表情を見せる……。
「………っ…………………あっ、あ…………
っ、……あ、あの女、は――――――――――――」
瞬時に凍りつく。
6年前の遠い記憶…………瞼の裏に残る、悪夢の残影……。
網膜に刻み込まれた、あの着物姿、切れ長の瞳、マールボロ……。
―――――――あ、……あの女だ…………
―――――――千春と小春を――――――
――――――捨てた、女―――――――――――――――
「…………爺ちゃん! 今助けるッ!」
菊花の横をすり抜け、岡田雷濠に挑みかかる今井京也。
ギラギラした狂犬のような表情で、
その威圧的な巨体を見上げながら、
「…………ッ…………待ってたぜえェ……
――――――この瞬間をッ!!
―――ィッ、―――――父のォ、仇ィッ!
雷濠ォ、てめェを―――――ぜってェ殺すッ!!」
左右のステップにフェイントを入れつつ、膝蹴り姿勢で雷濠の懐に飛びかかろうとする京也。
「――――生きて……還れると思うなよッ!
土佐のクズ野郎がッ!」
しかし蹴りのモーションに入る前には、
……スウウゥゥゥッッ………雷濠はその場から消失。
高速移動にしてはあまりに異質で、京也にはその動きも、気配すら読めない。「移動」ではなく、その巨体がその場から消え去ったとしか思えなかった。
――――消えたッ!? どっちだ!?
わからねェ、ステップも足さばきも見えねェ!!
………………スウウゥゥッッ……次の瞬間には、京也の背後にその巨躯が出現。左右の手刀を今井京也のこめかみ近くに静止。雷濠は、京也に処刑宣告でもするかのように構えながら、
――――――ボウズ、貴様に用はないわッ!
左右の拳をフルスイングする雷濠。
―――ッッ、―――ガァアアツツツツッッッッ!!
…………その拳を両腕で見事に受け止めた京也だったが、
「――――――ッ、ぐわああぁぁぁッッ!
おッ、重いィッ!! も、もってかれるッッ!!」
体格差だけではない。
人間の範疇を遥かに超越した岡田雷濠の膂力は、鍛え抜かれた京也の肉体でも、受け止め続ける事は到底不可能だった。
……ぐ、ぐッ、ぐゥッ……だ、駄目だあぁぁッ!
つ、潰されるッ!
――――――刹那、
―――――――ッ――――ガッッ!
―――――ガシイイイイイィィィィィ―――ッッ!!
走り抜ける一陣の疾風。
不意の衝撃に、岡田雷濠の巨体が揺らめいた。
「京也ァ! 退けェ! 単独では到底敵わぬッ!
無駄死にでは、お前の父も喜びはせぬッ!」
鉄山靠を雷濠の右半身に喰らわせ、強引に雷濠から京也を引き剥がす今井信次郎。
――――ふん……爺サンッ、やるじゃねえぇぇかァ!!
雷濠は驚きの表情で、高速の右掌底を今井信次郎の左側頭部に叩きこみ、掴み上げ、その身体を屋上床に思い切り叩きつけた。
――――――――――――ッ…………がッ、がはっッ!!
――――――――――――……ッ……………………ッ……
今井信次郎の頭骸骨が軋み、視界が流血に染まる。
暗闇に包まれ、意識が薄れていく……。
「―――――――爺ちゃんッ!
…………―――爺ちゃんッ!
ちッ、ちきしょオオォォッ!!」
雷濠の拳をまともに喰らい、両腕の痺れが取れず、京也は未だ戦闘態勢に入れない。憤懣やるかたない瞳で、少年は眼前の父の仇を睨みつける。
………駄目だッ、一旦引くか?
その時。
倒れている今井信次郎を抱きかかえ、優しく床に寝かせるひとりの少女を……京也は、その瞳に、見た。
東菊花は、ゆらりとその身体を岡田雷濠に向ける。
「…………あッ、き……菊花ァッ!
………っひ、……………ひとりじゃ、無理だッ!!」
京也は少女に叫んだ。
いつしか、あのココアシガレットが……
少女のピンキッシュローズの唇に、挟まっている。
「……京也ァ…………もう一度、あんたに言うよ。
…………わたしに、…………わたしに………………
―――――母親は――――――――――いないッ!」
東菊花は、眼前の巨悪の偶像を前に、
その歩みを一歩進めた。
「…………お前が爆弾をしかけた奴か!?
たくさんの人間が死んでいた!
この街は炎に焼かれ、
死体があちこちに転がって……
………………お前はあれを見て、何とも思わないのか?
何も感じないのかッ!?
あの地獄を見て、悲しくないのか、と聞いているんだッ!!」
大男を前にして、たじろぎひとつしない東菊花。
しかしその内懐は激しい。
傍らの母親への怨念、複雑な思い……
そして、新宿の……死屍累々・悪夢の場景……
僅か13歳の少女がそれら心痛な思いを、
隠し切るのは――――到底、不可能だった。
《……目の前の敵と、何故わたしは戦うのだろう?》
《……奴は何故…………こんな、大量殺戮を行う?》
東菊花は、生まれて初めて「人間」と言う存在に、
理解不能の疑問を持った。
「……悲しい? なぜ爆殺したかって?
俺が死体を見て何か感じるか、……だと?
――――――っ、ひっ、ひっひひ……ひ、ひゃ、
……ッ、ヒ、ヒャハハハハハハハハハハアァッッ!!
人を殺すことに理由が必要かッ!?
生命を弄び、血煙が舞い散る光景は、
この世で最も美しいのだぞッ!?
舌を引き抜き、目玉をくり抜いて、
―――――その魂を喰らうのだッ!」
岡田雷濠の瞳は醜血に輝き始め、既に人としての体は為さず……
もはや、獣に近い。
「……それになァ……直心影の宗家サンよォ、
そこに倒れているお前の母親…………
こいつは、俺以上の最悪の殺人鬼だぞッ!?
反SGLS教団の邪魔者どもを、
ことごとく斬りまくってきたのは……他の誰でもない、
その女――――――男谷涼だぞッ!」
――――――――さ、
………………――――――殺人鬼……!?
……違法投棄をはじめとした反社会的な行為を繰り返していただけでなく、人斬りとして利用されていた?
……たくさんの人を殺した……殺人を―――犯していた…………わたしの母親が……?
消失する言葉と……絶望、血の戦慄。
広大無辺の暗黒の闇が、東菊花の視界を塞いでいく。
血の匂いが、死霊達の地獄からの絶叫が、
喉からあふれ出るように――――少女を、襲った。




