第三十一話 トウキョウ虐殺・シンジュク崩壊の章 開幕 その3
本物語は「タテ書き小説ネット」のPDF縦書きのみですべて文章調整しています。横書き、携帯ですと読みづらいかもしれませんがご了承ください(挿絵は横書き、携帯のみで閲覧できます)。
今井信次郎が突然慌しく出て行ったが、
しかし精信学園はいたって平和そのものだった。
台所で洗い物をする菊花。
足元には、あの辻本陽人がまとわりついていた。
今日は薬の調子も良いようで、暴力的な面は抑えられ、奇声を発する事もなかった。
何より辻本陽人の母親が、数日中にも病院から外出許可をもらい、精信学園を訪問することになっていた。感情の起伏の激しい陽人も、満面の笑みを浮かべている。
「……菊花ねぇちゃん、あしたね、おれのかあちゃんがね、
くるんだよ……おれのところに、かえってくるんだっ!」
その視線は虚ろではなく、息遣いも安定している。
菊花は安心して陽人を見ていた。
「そっかぁ……お母さん精信に来るんだったね。
陽人、よかったね……」
思わず目じりに手をやり、涙ぐむ菊花。
辻本陽人を日々、誰よりも愛情を注いでいる菊花も、本当の母親にはかなわない。少女は心から、その男児の幸せそうな笑顔に、心が癒される思いだった。
しかし、その涙を払う菊花の右腕を、ぐいっ……
と、引っ張る少年がいた。
今井京也は珍しく真剣な表情を浮かべ、
施設の裏玄関の方に東菊花を連れ出した。
京也のアシンメトリーの髪型が翻り、彼の燃えるような眼差しに菊花は思わず圧倒されそうになった。
「――――頼むッ!
黙って俺の話を聞いてくれ…………
爺ちゃんは、死ぬ気だ。
俺だって…………
今井家のために絶対譲れねェんだッ!
それは……まぁ、お前には関係ないことだけど……
そ、それよりも……―――――
……菊花、おまえ……―――――……
自分の母親のこと……覚えて、いるか?」
精信学園の特に幼児、低学年の子供達は、
彼女達の虜になっていた。
今日は伝説のクックロビン・ステップを子供達に伝授。満足げな表情を浮かべていた忍と妙。そして、明日にも校内で披露しようと準備していた、タマネギ部隊のコスプレ衣装。特にタマネギ型のカツラは最重要アイテムのひとつとして、最終調整には余念がない。
ふたりはコスプレ用ウィッグを手にしながら、ゴソゴソとなにやら話し込んでいた。
「忍ちゃーん、妙ちゃーん、どこいったのぉ~?」
ふと、いなくなった忍と妙を探す、精信学園の子供たち。
……シュ、…………――ッ―――――――
シュワワワワワワッッ………………
駆け寄ってきた子供たちの身体が、忍と妙の目の前で、静止画像のように硬直。そのまま半透明となり、その場でマネキンのように固まったまま動かなくなってしまった。
いつしか狐の仮面が…………姉妹の右手と左手に抱かれ、
双頭の狐の牙が、鋭く……輝き始めた。
「忍ゥ……あたしたちはどうするぅ?」
「どうするもこうするもぉ……役者は揃った、
ってこと……デショ!? デショ!?」
「だよねぇ…………?」
「……クックックッ……クッ……クックッ……
クックックックッ……クッ……クックッ……」
「……ヒッヒッヒッ……ヒッ……ヒッヒッ……
ヒッヒッヒッヒッ……ヒッ……ヒッヒッ……」
精信学園・上空三万メートルに輝く超新星が、
新宿方面に流れ―――――落ちた。
「……雷濠なら、まずはハマの藤伊親分の首を狙うか?
それとも、渋谷のバークレー福音教会・シモン司教の首か?
……いや、やはり新宿界隈が先か……!?」
550旧規格・数十年前の軽トラのハンドルを握り、強烈なアンダーステアを絶妙なフロント加重で、見事なゼロカウンターを決めながら、都内を走り回る男谷涼。
携帯からの連絡指示だけが頼りだったが、しかし未だ今井信次郎からの連絡はない。
(……デトロイトからイーグルでもB―2でも飛ばすくらいは、
やるだろうさ……奴らが本気なら数時間もあれば……
上空から来るなら皇居、赤坂、新宿御苑?
奴らは何処から来るッ?
一旦教団の作戦が開始されれば、あの…………
あの、エグゼクタービルの惨劇が繰り返されても……
おかしくは、ない……)
自分が標的のひとりであることは男谷涼も判っていた。
岡田雷濠率いるSGLS精鋭部隊が、本国のクーデターと同時に動く……しかも、そんな大局とは別に、自分と天国門を狙ってくるのは間違いない。
彼女は無関係な天国門のメンバーを巻き込みたくなかった。
また自分一人の生き死にで、
坂本の溜飲が下がるならそれはそれで良い――――。
彼女の死生観はあっさりしたものだった。
生に執着などない。
ただ、思い残しはひとつ……。
男谷涼は都内の馴染みの親分たちの事務所、組事務所をひとつひとつ見て回ったが、しかしまだ動きはない。
警察も動いてはいない。
東京都内は未だ、平和だった。
(……やはり常識的に考えれば、お天道様が出ている時間帯ではなく……夕闇にまぎれて?)男谷涼の勘は正しかったが、しかし女狐の徘徊までは、予想だにし得なかった。
―――ガシュ! ガシャアアアアアアアッッッッ――――――
ズザアアァァッッ――――
「―――――――な、なにっ!?」
突然エンジンのバルブクラッシュ……廃車寸前の車両のタイミングベルトなら、確かにその確率は皆無ではない。しかし鋭利な刃物で一刀両断にされたかのように、ベルトは断ち切られ、クランクシャフトはその回転を瞬時に停止。
時速180キロに達しようかという高速走行状態の軽トラック車体を、一瞬のうちに静止させる―――――男谷涼の身体は、トラックと共に明治通り上を百メートルほど吹っ飛ばされ、二転三転したのち、ガードレールに張り付いた。
「…………っく、―――……く、うぅ……」
軽トラックの中で頭を抱えながら右目を見開く涼。
運転席のフロントウィンドゥに映るふたつの影。
にやり、と不気味な笑みを見せる。
「……貴様の逝くべき処に連れて行ってやろう……
その上で、己の答えを導き出すがよい。
……第一等継承候補・東菊花も其処に集う。
……貴様も直心影流の端くれならば、
その誇りを見せてみよ…………生死は、問わん」
―――――っ!?
……き、菊花が………………
な、なぜ―――――!?
激しい頭痛に苛まれながら、意識を失う男谷涼。
純白と真紅の狐面は、その場に倒れた彼女を抱きかかえ、
夕陽の彼方へと…………消失していった。




