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第ニ十七話 双頭の女狐 ~剣聖降臨~ 菊花の右腕  その4

本物語は「タテ書き小説ネット」のPDF縦書きのみですべて文章調整しています。横書き、携帯ですと読みづらいかもしれませんがご了承ください。

 男谷精一郎の屋敷近くにある、伊勢久居藩下屋敷。



 この藤堂家に剣術指南役として出入りしていた大川甚五郎という男、たいそうな釣り好きとして有名だった。


 それなりに剣は使うが短気で気が荒く、往来を歩く庶民に喧嘩を売るのは当たり前で、伊勢久居藩の威光を盾に、押し込みまがいの暴挙すら厭わない危険人物。




 その日、隅田川で釣りをしていた大川甚五郎は、どうにもこうにも一尾も釣れない。


 坊主で帰るわけにはいかんと、イライラが募っていた甚五郎。


 これが悪かった。


 腕を組んでしかめっ面をしていると、近くから微かに水音が聞こえてくる。

 フッ……と横を見ると、

 数間先に河川水で獣の皮を洗っている夫婦がいた。


「――――――貴様らッ! 

 ……こんなところで何をしておるッ!」


 凶暴な両眼を血走らせ、その夫婦に凄む甚五郎。


 瞬間、恐怖におびえたその夫婦は地べたに額を擦りつけ、土下座の姿勢となって、


「……お武家様、私どもの生業でございます、

 皮の始末を……つけておったのでございます」


「わしの釣りを邪魔しておったのは、うぬらかッ!!

 伊勢久居藩剣術指南役・大川甚五郎と知っての狼藉かッ!!」


 怒鳴りつけられる言われなど無くとも、

 階級社会の矛盾は簡単に露呈する。


 まして身分制度の最下層に這う民の生命など、

 武士階級にとってはゴミ以下でしかない。


 ―――――――――――――ひっ、ひゃっ、っひ、

 ひぃいいいいいぃぃぃぃッ!! ……お、っ、

 ――――――お助けをッ!



 単なる憂さ晴らし。


 生命を鳥毛の如く奪っていく凶悪極まりない残忍さ。

 その夫婦は無抵抗のまま、

 葦原にその身を倒し………………


 再び立ち上がる事は、なかった。



 

 最下層にある人間にとって、

「孤児」という現実は即………………


「死」を意味する。


 同じ長屋に住む人々は、血縁無き子供を敢えて養育する余裕などあるわけがなく、路頭に迷うか、のたれ死ぬか、往来で慰みものになるか……


 どちらにせよ、その末路は、

 死へと続く途であると言わざるを得ない。



 京は毎日、妹・静の飢えを満たそうと、同じ最下層の人々に頭を下げて回った。


 食べ物だけではない。


 両親が居なければ長屋も没収され、雨風を防ぐ場所も無くなった。





 数日が過ぎ、数週が過ぎると静は感染症に冒され、皮膚もただれ、長屋の人々も、この幼き姉妹を忌み嫌うようになっていく。


 体温は低下し、ヒビ割れた肌に血色は既になく、

 立ち上がる気力も無い。


 視線も虚ろで、ぼさぼさの頭髪には蛆が無数に這う。







 ――――――…………ギャアギャアッ、ギャア……



 ギギッ、……ギッ、ギッ…………

 ギャアギャアッ…………


 カラスやネズミまでもが、妹の近くを徘徊するようになった。




 生命のともしびは、わずか――――――…………。



 傍らの雑草を口にしながら、横たわる妹を看病し続ける京。


 看病と言っても、河原に横たわる妹に、飲み水を運ぶ程度。


 もう、姉妹の行く末は見えていたのかもしれない。






 夏の日差しは何処へ…………。



 いつしか秋風が、

 ふたりの干からびた身体を…………唯寂しく、



 駆け抜けて、ゆく…………。






 ……………………―――あたし、


 河原の泥と一緒になって、

 消えていくのかな……――――――――――――――




 あぁ……せめて、

 静のお腹を……いっぱいにしてあげたかったな…………。




 妹の手を握り締め、その横顔を見つめる。


 埃にまみれたわたしの妹…………


 この世でたったひとり残された、わたしの家族。




 …………ごめん……――――――――

 

 ………………ごめん、………ね………――――――――




 やせ細った京の身体から、最後の涙が…………

 隅田川の泥と消えた。


 意識が遠のいていく。視界が狭まり、

 光が消えていく……―――――――――…………



 ――――――…………


 ―――…………


 ――……


 そのとき……フッ、と京の左目に光が差し、

 京の左目から、光が一瞬消えた。




 大きな何かが……京の眼前を覆い、

 京の両の手を握り締める……。



「立ちなさい。


 わたしと共に生きましょう……


 汚らわしきこの現世を、わたしが祓ってさしあげましょう……


 悲しむことはない。


 御両親はそなたたちを……とこしえに……


 御守りしてくださる…………」




 天を渡る秋の雫の輝きが、葦のひとつひとつを……

 傍らに置かれた投網の結び目さえも、

 ひときわ美しく引き立てていた。



 ………………あ…………。


 ――――――――――――――――――――――――…………。

 ―――――――――――――――――あ………………。

 ――――かみ……さ………―――…………。

 ―――――――――…ま………。

 ――――――…………。

 ――――………。


 ……光が……狐の牙を、揺り動かす。


 遠い記憶と遥か彼方に見え隠れする……

 奥底にある光たちの集まりが、


 女狐たちの内なるともしびを……再び、呼び覚ました。



 ―――――――――…………。

 ――――――…………。

 ―――――………。

 ―――………。


 


「…………………………っい、

 …………………

 ……………………………………………っ、

 …………おいっ、

 …………大丈……聞こえ……る……か!?」



「――――――大丈夫か? おい、

 あんた、聞こえるか!? 

 ……おいっ!」



「…………っう…………………………………

 …………ううっ………」 



 夜8時。


 闇夜の田舎道に、ひとりの少女が倒れていた。


 榊原タクミは、

 膝立ち姿勢でその身体を両手で優しく抱きかかえながら、

 必死にその少女の耳元で、叫び続けた。







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