第ニ十話 決戦! 第二校舎屋上 その3 自殺の代償
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「―――――ちいいィィッ……」
東菊花を前に、特攻服の少年は明らかに狼狽していた。
喧嘩強者は相手の表情や両眼の動きなどから、相手の力量を判断し、あるいはハッタリをもって威圧するなど、実際には両者衝突の前に、ある程度の勝負は決まっていると言われる。この少年も経験上、大抵の相手は萎縮し、その時点で自分の勝利は見えていた。
しかしこの少女は根本的に何かが違う。
残念ながらこのサシの勝負では――――萎縮し、絶対的恐怖を与えられているのは、俺の方だ……悲しいかなそれが現実だった。
―――――ッ、……チィィ……こんな女に、
なめられて終われっかよォォッ!!
攻めあぐんだ少年は、落ちていた木刀を不意に菊花に投げつけ、自分もほぼ同時にその大型ナイフを振り上げながら、正面に立つ少女に向けて――――
一気に飛び込んだ。
自分に迫ってくる木刀を見つめながら、
飛び込んでくる少年との距離を測る菊花。
その木刀をするりとスウェーバックで避け、
さらに数歩バックステップ、
……ッ――――パシィィッ!
壁に跳ね返ってきた木刀を、少女は右手で受け止めた。
奇しくも生まれて初めて手にした木刀……それを握り締めた瞬間。東菊花は、今まで感じたことの無い、神秘的な感覚に襲われた。
心が……開放されていくかのような……赤樫の匂い、その感触、重み、質感……。
懐かしい。何もかもが、懐かしい。
投げつけられた木刀を握り締め、呆然とする少女。
意識・思考が瞬間停止し、その場に立ち尽くした。
しかしその隙を、あの少年が見逃すはずはない。
―――――――よそ見してる場合かよ……ッ!?
「……死ねぇええやああああァァッッ!!!」
少年の鋭い突きが、屋上の空気を切り裂く。
しかし顔面横・僅か数センチの隙間で、ナイフの一閃をかわす菊花。戦闘モードへ瞬時に復帰しつつ、彼女はその木刀を無意識に上段に構えた。
しかし、
「――――――――いけないっ!」
振り上げた剣尖が止まる。
なぜか木刀を使用する事をためらう菊花。
……理由は判らない。
何故か犯してはならない、神聖なものの前に立ち尽くし、身体が硬直せざるを得ないような……不可思議な感覚に、少女は包まれた。
だめだ、此れは……こんなことに――――使っちゃだめだっ!
木刀をそっと、優しく床に置く菊花。
「……ケッヘッヘッヘッ……ヒッヒッヒッヒッ、
…………ビビったかァッ!?
このアバズレ野郎がッ!」
形勢逆転、一気に眼前の少女を仕留めようと、ナイフを持ちかえる特攻服の少年。
不良・ヤンキーの類いは、相手の弱みにつけ込むタイミングが絶妙。弱肉強食の世界に生きる、本能的な察知能力なのだろう。少年はギラつく視線で菊花を睨みつけた。
しかし菊花はそんな殺気立つ少年など意に介さず、床に置いた木刀を見つめている。
逆光に照らされたシルエットの中に見え隠れする、少女の半笑いの口元。
ウルトラマリンに輝く瞳が嬉しそうに……
そして不気味に、煌いた。
「……なんかさ、
いい経験させて……もらったよ?」
唇の端で薄く笑う菊花。
特攻服の少年は明らかな間違いを犯していた。
神聖な存在と相対していた東菊花の……
その魂の共鳴を、愚弄したからだろうか?
少女は何かに取り憑かれたかのように、その少年に好戦的な笑みを見せ、近づいていく。
「――――――――友達に、
……なろうぜぇ………………?」
菊花はひとりごちた。
昨年の事件の仔細を聞いたとき、そしてこの少年の名を聞いたとき……少女は殺意を覚えた。
暴走が――――――始まる。
少女はゆらりとその身を倒すように、消失するが如く瞬時の移動、その特攻服へ接近すると、
―――――――ガシシイイイイイィィィンンッッ!!!
振り下ろされる大型ナイフを左手甲で跳ね飛ばし、上体を伏せつつ、少年の回し蹴りを長髪を振り乱しながらウィービングで右にかわす東菊花。
そのまま伸び上がるように………右のバックハンドブローで、
………………ガシシイイイイイィイィィンンッッ!
ガッ、ガッガッガッ!……ガツッッ!!
少年の顎を思い切り殴りつける―――――――
――――――ぐふっ……ぐッ、ぐ、ぐはあああぁぁぁぁっっ!!
少年の歯が顎骨と共に砕け散り、ポップコーンの様にバラバラと、血飛沫と共に美しく宙に舞った。裏拳の衝撃でその巨体がふわりと浮上、更に追いかけるように左正拳突きで眉間を潰し、頭骸骨が軋むような衝撃と共に、
―――――――グワシャアアアアアアアァァァァッッッ!!
少年の全身が有刺鉄線に叩きつけられた。
壁と一体となっている少年に、菊花は更に無慈悲な左右のロングフックを頭部、腹部を中心に殴り続け、硬骨、筋組織、諸臓器、血管、その全てを破壊し尽くしていく。
……ッ……ゴリッ! ……グリュッ! ゴ、
ゴリゴッ……リッ……ゴジュッッ……ドゴォッ!
少年の首が後ろを振り向いたまま、
動かない。
動けない。
東菊花の瞳が、血に飢えた野獣のようにドス黒く閃く。
―――――――――――――――――――――――殺すッ!
――……グッ、……ぐぎいいいいぃぃッッッ!!!
……全身に燃えるような激痛が走り、あまりの苦痛に顔が歪む。
その場に倒れこんだ少年は、さらに馬乗りになろうとする菊花に、思わず許しを乞うた。
……は、はひぃッ、っは、わる、わ、るカッ……
わルかっ…………ッた…………っ、ぉ、俺がわ、
わルッ……かっ……っッ……が、ガッア……げ、
ゲッええぇぇぇ……ッッ―――――――
体重差は三倍強はあっただろうか。
軽量の菊花だったが、マウントポジションから左右の拳を恐ろしいスピードで繰り出し、殴り、殴りつけ、殴り、殴り……テンプルのみを、執拗なまでに粉砕し続けた。少年は脳震盪どころではなく、意識を失い、逃げるに逃げられない。
菊花の拳は小さく、華奢に見えるが、その骨格・骨質は恐ろしく頑強で、生まれながらにして自らの拳にナックルダスターを装着しているかのような、悪魔の殺傷能力を秘めていた。
流血が左右に飛び、その飛沫が少女のセーラー服をさらに美しく染め上げる。肉と言う肉がちぎれ、剥離し、頑強な男性骨格がうねるように崩壊してゆく…………。
――――――――――――――――――――――殺してやるッ!
お母さん、今日ね、あのぅ……お財布、落としちゃったんだ……
――――――――――――――――――――――殺してやるッ!
お母さん、塾の月謝を入れた封筒……………
なくしちゃったみたいなんだよね………………
――――――――――――――――――――――殺してやるッ!
お母さん、車にボールぶつけちゃって………
修理費用が二十万円なんだって………………
殺してやるッ、殺してやるッ、殺してやるッ、
殺してやるッ――――貴様を………殺すッ!
―――――ッ、―――――――――死んで………
………償えッ!
流血が尋常ではない範囲にまで飛び散り、
壁の有刺鉄線が紅く染まる。
菊花の顔面もまた真紅に染まった………………
その刹那。
――――――――――――もういいでしょう。
菊花殿。
――――――――――おやめなさい………………
ふっ、と菊花の脳裏に浮かび上がる、
半透明に輝く逞しい男性の姿。
その傍らに立つ、ひとりの少年。
――――――――僕の事はもういいから……
もう、やめてあげて……………
たくさんの人たちが、菊花さんのこと、
待っているよ…………
菊花はそれ以上、身体を動かすことはなかった。
倒れている特攻服の少年の名は、島田虎仁。
埼玉県東部を中心に、他県にもその手を広げ、その勢力を拡大していた暴走族、不良達のリーダーである。
もちろん、菊花もその存在を把握していた。
しかし彼女が知り得ていたのは、彼の勢力範囲やその強さだけではない。
昨年、この中学校校舎から飛び降り自殺をした……ある男子生徒を、散々いじめ抜いていたのは、彼と彼のグループ数名だった。
しかも、その自殺はこの屋上から…………。
今、島田虎仁が倒れているその場所に、
一組の上履きが、ひっそりと……置かれていたと言う……。
「――――ご、………ごめん…………ごめんね…………
助けて……あげられない――――わたし、
何もしてあげられない…………
あなたの魂はそこにあるのに…………
わたしは、…………わたし、は…………
なんにもしてあげられない――――」
東菊花は、その場に立ち尽くし、いつまでも…………
涙が止まらなかった。




