第十四話 ……お心穏やかに、菊花様
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小川直美と渡辺霧子の女子グループの事件から、
一週間ほどたったある日。
朝7時半過ぎ。
東菊花の朝の来訪を待っていた小川直美と中井理恵子の2人は、今日も彼女に語りかけるアイテムを用意していた。ある少年誌に投稿予定の漫画原稿。
投稿用に本気で描かれたそのナマ原稿は隅々まで冴え渡り、スクリーントーンのグラデがカブラペンの美しい筆圧をより優雅に引き立てていた。原稿用紙も高価な専用のものだった。
「……これ見せたらァ、菊花氏ィ、きっと驚くにょ♪」
小川直美は、幼い頃イジメとは無縁であった時代の、
コロコロと明るい笑顔を見せていた。
「そだね……菊花ちゃん、なおちゃん上手だね、
ってほめてくれるね……」
あらためて小川直美は別人に変貌したものだ、
と中井理恵子は思った。
東菊花の圧倒的な存在感、強烈なインパクト。
校内に於けるその影響力。
ひとりの女子生徒の行動が、校内を別世界に変えつつある。
しかし自分達にはこの上なく優しく、どこまでも温かく見守ってくれて……加えてどこかのほほんとした、可愛らしいところもある人間性……。
そして――――――
あの5人は、ひとりひとり小川直美に直接謝罪に来ていた。
「直美ィ……あ、あのさ……
別に菊花ちゃんは関係ないけどさァ……わ、悪かったって……
あたし、思ってるんだ。
なんかさ、あの、……………その……
―――え、えっとぉ……―――――――――っ―――――
………………っご、…………ごめん、ね…………」
少女の右手には、新品の赤い眼鏡が入った紙袋が握られていた。
渡辺霧子。
彼女は一年生ながらソフト部でエースピッチャーを任され、先輩達にも一目置かれる、体育会系の女子としては学年でも最も目立つ存在だった。
自分の美貌にもまあまあ自信があり、
気も強い。仲間も多い。
そんな彼女だったから、余計漫画を描いてウジウジしている小川直美のようなタイプは大嫌いだったし、それ故、イジメの対象になっていたのだが……。
嬉々とした表情で、スケッチブックのイラストを楽しそうに描き続ける直美。それを横目でずっと見ていた中井理恵子は、……あぁ、あんな……菊花ちゃんみたいな女性になれたらいいな――――と思いつつ、友人を救ってくれたことに感謝しつつ………東菊花がいつまでも、わたしたちのそばにいてくれるのだろうか? と不安に思うこともある。
でも菊花のおかげで訪れるようになった、本当に幸せな毎日。
ほわんっ……としたあたたかな日差しが、小川直美と中井理恵子に注ぎ込む。大好きな漫画を、心置きなく描ける楽しさ。
――――――たのしいな……――――――――――
………学校が、楽しい…………………。
そんな気持ちが、2人に訪れた事は今までなかった。
しかし……良い事ばかりは――――――続かない。
「……オメェか? 東菊花と仲がいい奴って?」
その朝……小川直美と中井理恵子の前に現われたのは、
東菊花ではなかった。
短髪のサイドには稲妻模様のカットが施され、制服を着ずに赤いスイングトップを羽織っている。もうひとりはドレッドヘアにゴールドのメッシュを入れ、ファイヤーパターンのダブルの革ジャンと、どう見ても普通に登校してきた男子中学生には見えなかった。
東菊花が、その不良たちに小川直美が絡まれ、大切な漫画原稿をボロボロにされたのを知ったのは、お昼休みになってからだった。
この日の朝。いつものように、ある不登校の男子生徒の家に赴いた菊花。その男子生徒の妹が、幼稚園バスに乗り遅れたとかで、約10キロの道のりを、菊花は幼稚園まで一緒に登園。人が良いにも程があるが、東菊花はその長い道のりを、ずっとおんぶして送り届けていたのである。
菊花が中学校に遅れて登校したのは、
三時限目が始まる直前のこと……。
「―――――なんか……不良っぽい奴が来て、
大切な漫画をぐちゃぐちゃに破ったとか……
あたし、聞いたよ!? 一体、どんな奴なの!?
殴られたりしなかった!?」
呼吸を乱しながら、1年B組の教室に飛び込んで来た菊花。
「――――っ、う、…………ううん……」
小川直美は、それほど悲しむ表情はあえて見せず……ぐっと我慢。
しかし自分のことを聞きつけて急いで駆けつけてくれた事に、その菊花の優しい思いに、ずっと我慢していた涙が……ぽろぽろとこぼれてしまった。
「……ありがとにゃ、菊花氏ィ……。
漫画なんかいいにょ。
そんなのいい、そんなの……菊花ちゃんさえいてくれたら、
……わたしィ……」
涙に咽び、言葉に詰まる小川直美。
うつむく彼女を、菊花はやさしく抱きしめた。
菊花の胸の中で、直美の嗚咽が聞こえる。
……このまま済ませて良い訳が無い。
自分に直接突っかかって来るならまだしも、卑怯にも……自分が関わった生徒に手を出して来るような人間は、絶対に許す訳には行かない。
「……ごめんね、あたしのせいで……
直美ちゃんの大切な漫画……ごめん、
……ごめんね……。
何かあったら、またすぐ―――あたしに知らせてっ!」
そう言い終えると、廊下を駆け出していく菊花。
……一体、誰が?
胸の奥で叫びつつ、頭の中で全校生徒ひとりひとりの脳内データを分析し始めていた。確かにあの程度のことならやりかねない輩は、校内にひとりやふたりではない。とりあえず目立つはずの、赤いスイングトップを探そうと、校内を駆け抜ける菊花。
しかし階段の踊り場で、
「……お待ち下さい、菊花様……」
自分の顔の前に大きな手が突然現れ、菊花の行く先をさえぎった。
白銀色の長髪が宙を舞い、
派手な紫色のスーツがふわっ、と菊花の眼前で翻る。
爺、こと……今井信次郎は、
呼吸の乱れる菊花の右肩を支えながら……言葉を続けた。
「……先日の丈太郎様の件、大変失礼を致しました。
忍様と妙様にもキツく、
お話をさせていただきましたので…………」
……この忙しいときに、なんだこの紫色のおっさんは!?
菊花は眉をひそめたが、
軽く触れているだけの右肩が、動かそうにも動かせない。
「……は、離せよ!
あたしは今、忙しいんだ!」
イラついて思わず叫ぶ菊花。
しかし身体が右にも左にも動けない異様な状態に、
流石の菊花も戦慄を覚えた。
(何者だ!? この爺さん……?
体が、なぜ……う、動かないッ……!)
菊花は体を振り動かして強引に行こうとすると、今井信次郎は空いている右手で、お待ち下さいとばかりに手のひらを差し出した。
彼はさらにゆっくりとした口調で、
「……お心穏やかに。
お探しの男子生徒たちは、校内にはいませんぞ。
ついては私奴が……本日放課後4時、校門前にて
お引き合せ致しましょう……」
言い終えると、菊花の右肩に乗せていた左手をゆっくりと離した。
「――――――…………はぁっ!?
お前も奴らの知り合いか!?
ふざけるなッ!」
怒りをぶちまける菊花。
「……いえいえ、その少年らがバイクで走り去るのを、
直接この目で見ましたのでな。
彼らは校内不良グループに属しており……
その、中心人物は…………――――――――
榊原タクミ……と、申す者」
何だかやけに詳しい。
なぜこの紫色の爺さんが、小川直美の事件を詳細まで知っている?
しかもいちいち手際が良すぎる……菊花は必要以上に、眼前の老年の男に警戒心を強めた。
「……あんたの言う事を、わたしが聞かなかったら……どうなる?」
「……お昼ご飯の時間がなくなる……という処ですかな」
……ホッホッホッ…………ケラケラと、
明るい笑顔を見せながら、
「不審に思うのも判ります。
ただ、わたくしの存在はすべて丈太郎様の為にある。
彼が求めし事は、全てやり遂げるのがわたくしのお役目。
それだけ、でございますよ」
お昼休み終了のチャイムが鳴り響く。
聞き流しながら詰め寄る菊花。
「……何がなんだか……あたしにはよくわかんないけど……
あの亞蘭丈太郎ってやつの……あんた、家族か何かかい?
まあいいや……信じていいんだね?」
目をつり上げて、紫色のスーツを睨みつける。
「既に……わたくしの孫に全て手配しております。
彼は本日転校手続きのため、ちょうど良いかと思いましてな。
何にせよ……ここはひとつ、
全責任は先日のコトもあります故……。
全て、わたくしにお任せ下さいませんか……?
菊花様」




