第九話 隻腕の野球少年
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「―――――――……で……ど、どうなったんだ?
その3人は?」
亞蘭丈太郎は、爺の襟をつかんで思わず叫んだ。
最終回が掲載された週刊漫画雑誌を買いそびれた少年のように、
目をカッと見開いて、早く答えてくれと爺にせがんだ。
「……そのいじめられていた生徒は、確かに右手首を痛めておりました。在籍していた全国大会を目指すリトルリーグのチームのために孤軍奮闘、相当の試合数を投げ続けたようですな。
チームは全国に知られた、かなりの強豪だったようですが……」
「元ピッチャーか……
そんな野球少年がいじめられるとは、なァ……」
「野球を続けていればまだしも、自慢の翼をもがれればあとはまっさかさま、というパターンは、十代には多いようでございますな」
六十代の爺は冷ややかな口調で答える。
「で……菊花様はその3名を、強引に野球部に入部させたようで」
おせっかいと言うか、強引と言うか。
東菊花のやり方は、少々度が過ぎている部分もあるかも、
と流石の丈太郎も言葉がなかった。
「入部して……その後は?」
「それがですな……赤毛のリーゼント・赤井正治君は、
俄然やる気を出して日々グラウンドをかけずりまわり、
金髪の金村博信君は野球の経験ゼロにも関わらず、
マネージャーの女の子に振り向いてほしいとばかりに、
こちらも野球に熱中」
まるでアナウンサーのように、ペラペラと解説を続ける爺。
「そして……
あの日いじめられていた青木卓哉と申す生徒は、
今も右手首の怪我を治しながら、ほぼ左腕一本で―――――
野球を続けて……おりまする」
……にわかには信じられなかった。
隻腕の野球選手と言えば、有名なジム・アボットがいる。
古いところではピート・グレイ。
彼らは両腕を取り戻すことは出来ない反面、
その片腕に野球人生を賭けた。
――――後日、丈太郎がグラウンドに野球部の練習を見に行くと…………。
片手でシートノックを受けている小柄な少年がいた。
器用にもグラブなしの左手で捕球し、左手でそのままトス、
あるいは近距離なら投げることも出来た。
グラブははめず、
薄いバッティンググローブのようなものを左手にはめていた。
バッティングも左腕に右手を軽く添えるだけで難なくボールをコツン、と当てられるほどで、少なくとも怪我が治れば、レギュラークラスの選手になりそうなことは間違いなかった。
もちろん、投手としての復帰が望まれるのだろうが、
それは右手首の完治次第といったところか。
問題の右手首には、包帯とサポーターで厚く補強がなされていた。
爺の話がすべて本当かどうかは判らない。
脚色もあったかもしれない。
しかし、東菊花が3人の少年達に何らかの影響を与え、
現実に起こっている眼前の事実だけは、
どうあってもこれは認めざるを得ない。
シートノックの打球がイレギュラーバウンド。
青木少年の顔面横の表皮を、白球が無残にも削り取り、
グラウンドの砂と埃が少年を覆う。
滴り落ちる汗がグラウンドに消え去り、
徐々に小さな紅い輪が、少年の足元で明滅する。
キャプテンと思われる上級生のノックは、さらに厳しさを増していく。
「――――オラアァッ!! チビィ!
死ぬ気でやれやッ! この下手クソ野郎がッ!
札幌ドームの無敵のエースも、地に堕ちたもんだなあぁッ!」
眼底付近から流れ落ちる鮮血を拭きつつ、
ふらつくだけで痛み出す右手首の爆弾。
しかし少年・青木卓哉の、
元気な掛け声がグラウンドにこだまする。
「―――――――――――まだまだまだまだああぁぁッッ!!」
ふと見ると、遠くグラウンドの端の方に、漆黒の長髪をたなびかせるひとりの女子生徒の姿。彼女は腕組しながら、ずっと……ずっと、野球部の練習を見つめていた。
―――……っ、……そんな………ことって………
―――亞蘭丈太郎は、東菊花に対するその認識を、さらに何段階か更に書き換えなければならなくなった思いがした。沸騰するかのような灼熱のマグマが、体中を駆け抜けていく。
もう……これは、俺だけの思い込みなんかじゃない!
違う……やっぱりこの少女は、普通の階層の人間じゃない。
絶対に…………!
「……ま、青木君の話は序の口でございまして、な……」
その後も爺のにこやかな表情と共に、東菊花に関する到底信じ得ない、恐ろしい話は続いた。ただオタク話につきあうだけのソフトなものから、校内の不良グループに対する対応、教師達への牽制、種々雑多な言動に至るまで、自分の知らないうちに、東菊花というひとりの少女の行動力・影響力が、恐ろしいスピードでこの中学校内に拡大しつつあることを知った。
丈太郎が知り得なかった恐るべき現実。
「絶句」とは、人間のこのような状態を示すものなのかと、そのエピソードの数々を、口を半開きにしながら聞いていた。
僅か13歳の、たかが中学生の女の子である。
背は高くて迫力はあるし、稀に見る美人ではあるが……その程度。
普通の女の子なのだ。
しかし彼女が救った、あるいは救いつつある生徒の数は、既にとんでもない数になっているのは間違いなかった。
まだこの中学校に入学してニヶ月弱。
確かに入学当初、校内で幅を利かせていた、不良っぽい生徒、ヤンキー崩れ……和を乱す生徒たちがなんとなく、少しずつ目立たなくなっているような……そして、生徒たちの笑い声が増えているような、そんな校内の雰囲気は感じていたのだが……。
愛情、尊敬、いや、
既にこれは崇拝に近いものがある――――――――。
弁当事件はともかく、ありとあらゆるものが、脳内で掻き混ぜられ、出るはずの答えが出ない自分に丈太郎はヤキモキした。
「――――――――爺……俺は、……直接乗り込むぞ」




