†もう一つの物語
†今回は、お話の幕間です。徐々に世界観を明かしてゆきますので、色々と不足な点があるかとは思いますが、今しばらくご辛抱くださいませ。
「爺ぃ。人間が魔法を使えなくなって、どれくらいになるのだ?」
純白の、目にも艶やかな絹のドレスをまとった姫君が窓枠に座り、堅く閉ざされた格子の向こうに広がる大空を見つめながら、後ろの人影に声をかけた。
「姫ぃ様は、歴史に興味がおありで?」
『爺』と呼ばれた人物は、まだ三十路にも満たない青年ではあったが、何のためらいもなく、姫君の問いに問い返した。
振り向きざま、部屋に吹き込む柔らかな風とともに、姫君の蜂蜜色の髪が軽やかに揺れる。
「無きにしもあらず、といったところかな」
姫君の鳶色の瞳が悪戯っぽく笑う。
「爺ぃ達、ガルブラッド(貴種神血族)は我ら人間よりもはるかに長命なのであろう? 生きた化石ならば、知らぬことも少ないだろうと思ってな…」
「化石…ですか…」
熱い紅茶の入ったティーカップをくゆらせていた青年の、髪の毛と同じ色をした煉瓦色の睫毛が、もの悲しそうに伏せられる。
「慰みに、昔話をしてくれぬか?」
「では…そもそもこの世界は、精霊と妖精の住まう楽園でした。古き名で、世界を『ティル・ナ・ノグ』と呼び、常若の楽園と讃えられていました。」
いつからか、世界のあちらこちらに、別の世界とティル・ナ・ノグを結ぶ『空間の歪み』が生まれ、そこから世界と世界が行き来できるようになり、この世界に人間や他の種族が共存するようになった。争いを好まない精霊や妖精は、彼ら異邦人達と共存することにした。精霊は、人間達の力を借り、また人間達も、精霊の力を借る相互扶助の良好な関係が築かれた中、いつしか事態は一変する。
外来種族が繁殖し、精霊達の存在を脅かすようになった。特に人間の繁殖力は群を抜いて高く、他の種族の追随を許さぬ程の力を持つようになった。すると、今までの関係は崩れ去り、人間が一方的に精霊を使役するようになってしまった。
人間の浅ましい本性を知った精霊王は、世界を譲り渡す代わりに人間の王と不可侵条約を結んだ。そうして、人間は精霊の力を借りて魔法が使えなくなった代わりに、この広大な世界を手に入れた。
そして精霊達は、人間達の目に映らない魔法によって姿を消し、その声も心も閉ざしてしまった。
「…以上が、私が両親より伝え聞いた話です」
淡々と、感情の籠もっていない説明を終え、青年は冷めた紅茶をすする。
「人間とは、つぐづく業の深い生き物なのだな…」
「我らガルブラッドは、もともと精霊の力を借りずに魔法を使っていましたから、精霊が消えた後も特に困りはいたしませんでしたが、その当時の人間達の戸惑い様といったら、ハサミの使えない幼子の様だったと聞きます」
「それでも人は、何かを頼らずにはいられぬのだな…誰の手も借りずに、私は独りで生きてゆけるだろうか?」
青年はクスリと笑い、姫君の自問自答に添削をした。
「姫ぃ様。人は誰しも独りでは生きられません。だから頼ってもよいのです。すがってもよいのです。ただ、己が誰のために何をしてあげられるか。そう思う心を忘れないことが大事なのです。ですから姫ぃ様、遠慮なく私をお頼りください。あなたは何でも感情を内にしまい込んでしまう。私では頼りありませんか?」
姫君は少しむっとした顔で、
「確かに、爺ぃの様な優男では、寄り掛かれば崩れてしまいそうだがな」
「それは申し訳ない。精進いたします」
そう言って、ガルブラッドの青年は軽やかに椅子から立ち上がると、部屋を出ようとした。その背中に、姫君は、どこかで聞いた様な言葉をかけた。
「爺ぃ。私がこの塔に幽閉されて、どれくらいになるのだ?」
「姫ぃ様は、外界に興味がおありで?」
「無きにしもあらず、といったところかな」
先程と同じ姫君の返事を聞いてから、青年は静かに部屋を出ていった。
彼は姫君のお気に入りだ。長生きなだけに彼は何でも答えてくれる。何も持っていない姫君は、己の空虚を知識で埋めることで心を満たしていた。
「私に魔法が使えたなら。あの空へはばたいてみたいもだわ…ここは、あまりにも寂し過ぎる…」
16歳の『少女』の本音が、誰の耳に届くことなく、青い空に融けた。
†まだ名前も明かされていない姫君とガルブラッド(オリジナル種族)の青年とのさっぱりとした会話です。今回だけでなく、また時々こういったお話を挿入させていただきます。†只今、作中で使用する妖精さんを募集しております。例えば『料理の本の妖精』とか『ララおばさん家の花壇に植えられたマーガレットの妖精』とか、何でもいいので。メッセージを残してくださると恐悦至極です。